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恭介・圭吾シリーズ  作者: 芹澤柚衣
アンセルフィッシュ・ダーリンの心臓
4/73

 まるで黒装束のような袴姿から規定のブレザーに着替え、恭介は生欠伸を噛み殺しながら玄関の引き戸に手を掛けた。瞬間、手に負荷される有り得ない手応え。ガタがきているのはどこもかしこもで、このガラス戸だって例外じゃない。最早並みの力じゃ開けられなくなっており、毎朝恒例のちょっとした力仕事だった。

 腹に力を溜めて、こじ開けるつもりで左へ寄せる。何度かつっかえながら、恭介一人が潜るには充分のスペースができた。鞄を先に表へ放り投げ、その後に続いて外へ出る。力を篭めて、今度は反対側に引っ張った。ぴしゃん、という音がして、開ける時よりも幾らかスムーズに閉められる。

 ああ、開閉の閉はこんなにも簡単なのに。お陰で修理に頼むタイミングを逸したままだ。

 舗装された参道を歩かずに、砂利道を走り抜けた。さして広くもない境内は、幾らも進まない内に神社にはお馴染みの鳥居が見えてくる。その朱赤の柱に背を預けるようにして立っているのは、先程朝餉を共にした後輩だ。

 ――別に、律儀に待っていなくても、と思う。

どうせ二人が同じ道を共有するのは、鎮守の社と呼べるほど大層なものではない森林を、抜けるまでのほんの少しだ。一般道に出れば、わかりやすく右と左に分かれてしまうのに。

 声を掛ける前に、顔を上げられる。手持ち無沙汰だったのか開いていた参考書を片手で器用に閉じて、圭吾はゆっくり瞬きをしてみせた。水の中に沈んだビー玉を取り上げたばかりのような、つるりとした両目がこちらへと向けられる。

 一瞬、絡み合う視線。見透かされそうな気がして足を速めた。隣に恭介が並ぶのを確認して、圭吾は凭れていた柱から背を離す。

「悪い、待たせた」

「いえ、そんなに待っていませんよ。小テストの単語も幾つか覚えられたし」

「……テストがある時くらい、起こしに来てくださらなくても大丈夫なんですけど」

 とても今日のカリキュラムにテストが組み込まれているとは思えないくらいねっとりと嫌がらせのごとく時間を掛けて布団どころか身ぐるみを剥がされた恭介としては、自分だったらテスト前の朝にそんな時間の使い方は出来ないだろうと感心半分嫌味半分でしみじみと呟いた。

「あんたみたいに、直前になってから焦るような勉強の仕方してないんで大丈夫です。犬神さんは、もういらっしゃらないんですか?」

「ああ? 居るわけねぇだろ。つうか、大体依頼もねぇのに、朝っぱらから実体化してんのがおかしいんだよ。無駄にでかいし、邪魔だ邪魔」

「そんな可愛くないことばかり言ってると、その内愛想尽かされますよ」

「いいんだよ、俺らはこれで」

 チリ、と緊張感が走った。朝の白っぽい空気に紛れて、柔らかく亀裂を入れるような焦燥感。

「…………」

「……しの?」

 僅かに生じた、微妙な空気。根拠のない勘に従ってゆうるりと横を見遣れば、自虐的に笑う圭吾と目が合った――何だろう、らしくない表情だ。

 問い掛ける前に、目を逸らされる。押し殺したような声で、圭吾がぼそりと呟いた。

「……僕にも、犬神さんが視えたらいいのに」

「あんな低級動物霊、見えたところで得なことなんか一つもねぇぞ。わざわざ望む意味がわからん」

「だって、顔を見て話ができたら、便利じゃないですか色々と。仕事の幅だって、もっと広がるし。先輩のアシストも、もっと効率的に出来るようになるし……でもやっぱり僕はあんたの血筋を受け継いでる訳でもない一般人だから、一生出来なそうですけどね」

 柔らかい口調に、一瞬流されてしまいそうになったけれど。圭吾が何かを悔しいと思っていると、何故だか恭介は気付いてしまった。

「いや、そんなことねェよ。往々にして、こういう世界の神は寛容だからな。お前にだって方法がない訳じゃないさ。うーん、例えば……」

「例えば?」

 珍しく真剣な顔つきで悩む彼を見ていたら、慰めてやりたい気持ちにもなる。その昔犬神に聞いたことのある話を脳内で辿って、何か方法がなかったものかと恭介は首を捻った。

 ――ああ、そうだ。確かにない訳じゃない。

 うろ覚えの知識を継ぎ接ぎながら、恭介は得意気な顔で後輩を振り向いた。

「この世界にはな、能力をレベルアップさせてくれる役割の動物霊がいるんだ。そいつに会えれば、ちょっとした願いごとなら条件付で叶えてくれる。会う方法は確か……そうだ。霊感自体がそんなになくても、強力な霊力を持った人物に、永遠の忠誠を誓えば可能になるって聞いたことがあるぞ」

「……忠誠、ですか」

「ははっ、だから俺でもいいんじゃねぇの? 血筋だけは最強だし。今から誓え。そして尊敬しろ。崇め奉れ」

 途端繰り出される、容赦のない一発。死角の多い右側では反応も遅れ、避け損ねたどころじゃなくクリーンヒットだ。

「おまっ……何すんだよいきなり!?」

「あんたがもっと尊敬できる人物なら、言われなくともそうしているんですけどね」

 相変わらず酷い言われようである。改めて言われなくても朝から散々の扱いを受けているのだから、尊敬されていないことは充分に分かっているのだが。

 何かを言いかけようとして、言葉を飲み込む。向こうの思惑通り、食ってかかる必要もない。気が付けばいつもの分かれ道だった。

 一方的に踵を返す。どこぞの後輩と違いどちらかというと最低限の挨拶さえあまり慮らない恭介は、お座なりな科白を投げつけながら足を早めた。

「じゃーな、勉強頑張れよ受験生」

「あれ、恭ちゃんじゃん! おっはようございまぁす」

「鳴海」

「……城脇」

 まるで上質な鈴を振ったような、綺麗な声音が耳に響く。視界に映るのはふわふわでくるくる、クリーム色に近い黄土色。ドーナツの某有名店でよく見かけるフレンチ・クルーラーのような頭を揺らしながら、圭吾に城脇、恭介に鳴海と呼ばれた男子生徒が駆け寄ってきた。

「珍しいね、こんな早い時間から登校なんて」

「んなことねぇよ、こいつが毎朝きっちり起こしてきやがるから」

 くい、と親指で忌々しそうに圭吾を指す。指された本人はまるで心外だとでも言いたげに眉を上げ、向けられた指先を軽く弾いた。

「言いますけどね、先輩。あんた僕が居なかったら今頃留年確実ですよ」

「流石にそこまで寝汚くねぇだろ」

「へえ、世の中の寝汚い人って大抵そう言うもんなんですね。今改めて知りました」

 小さな棘を見せながら、圭吾は呆れたように呟いた。確かにここで反論出来るほど()()()な訳ではなかったが、ここまで嫌そうな態度を取られると、拗ねた気持ちにもなってくる。別に、起こしてくれなんて頼んでないし、とぼそぼそ口の中で文句を言うと、滑らかな仕草で傷口を叩かれた。

 今朝、手当てしてくれたその手でこの暴挙である。流石彼自身が処置しただけあって、包帯の下に隠れているのに、狙い澄ませたような的確さで見事患部に一打お見舞い出来る器用さに感心する。ガーゼの上からとはいえ、地味に痛い。

「変わってるなぁ圭吾。俺だったら頼み込んだって恭ちゃん起こす役、やりたいけど」

「……変わってるのはお前の方だろ」

 苦々しそうなため息をついて、圭吾はあまり友人と言う括りには入れたくないのだが一応友人の顔を横目で見遣る。恭介が動物霊を認識出来る程度には霊媒体質で、この歳でお祓い屋なんて自由業をやっていると知っているのは、圭吾を除いて後はこのくるくる頭しかいない。勿論、依頼人を別としたらの話だけれど――その点に関しては事後ないし事前に内密にしてくれと承諾を得ているので、覚えのない噂話が一人歩きすることはあっても、恭介の身の上に繋がるような、()()()()()()()が流布することはまずなかった。

「だってすげーじゃん! 俺らの二個上で、お祓いの仕事で生きてくなんて!」

「実際生きてるだけですけどね、先輩って」

「お前さあ……基本俺のこと貶すよなあ」

「恭ちゃん! こんな分からず屋そろそろ首にしちゃって、俺雇って二人で再出発しちゃわない?」

 少年ソプラノのように、甘く高い声。見た目も少女に近い華やかさがあるのだが、上背だけはこの三人の中では一番高い。

 俺もこれだけあればなあと思いながら、ぼんやり眺めているうちに肩を抱かれる。まるで欧米人のように強引な所作とスキンシップ好きなところが、愛らしい顔立ちで上手く調和されている。鳴海はそんな不思議な男だった。

「しのにお前くらいの可愛げってもんがあったらなぁ……あ、やばい俺絆されそう」

「はは、絆されちゃえ絆されちゃえ」

 しみじみと呟く恭介に笑って、鳴海はわしわしっと頭を撫でてくる。こんなことを躊躇いもなくやってくる辺り、どうやら彼自身も恭介を年上とも思っていない証拠なので、いまいち釈然としないけど。

「ね、先輩。けーごをクビにするついでで、そろそろ番号教えて」

「いつまでも馬鹿やってないで学校行くぞ城脇」

 躾の悪い犬か猫にでもするように、圭吾が鳴海の首根っこを掴む。ずるずると引き摺りながら恭介から引き離し、乱暴に車道側へと放り出した。つられてよろけた恭介をちら、と目線だけで捕らえて、ふ、と鼻で笑われる。ちくしょう、また馬鹿にされた。

 かっと頭に血が昇って、思わずくるりと圭吾に背を向けたその瞬間――無遠慮に投げられる、声。

「先輩、今日は何か依頼入ってますか」

 余程昨日の裏切りが根強く残っているのだろう。確認と言うよりは、猜疑のニュアンスが色濃い、そんな一言。ピリピリとしたオーラに幾らか気圧されながら、恭介はしどろもどろになりつつも答えた。

「や、当分ねェよ。逆にどうしようかって感じなくらいで生活費」

「……どうするんですか生活費」

「うん、まあ。困ってから考えるわ」

 未来どころか明日にすら真正面に向き合おうとしない癖なら、十歳の頃からついている。今更直しようもない。一種の病気みたいなものだから。

 重ねて何かを言おうとした圭吾の言葉を、聞くつもりはほぼなかった。通学路に一足踏み込めばすぐに、彼が自分と碌に喋れなくなるのは分かっていたことだったから。

「紫野岡君、おはよっ」

「おはよう!」

 朝から黄色い声に囲まれた当の本人は、先程の不機嫌そうな顔はどこへやら、爽やかな笑顔で対応している。全く、呆れるほど切り替えの早い男だ。

 この猫かぶり、と胸中で毒づきながら、恭介は己が通学路を歩き始めた。恭介には邪険な扱いで酷いものなのに、どうやら中学では、自分の本性を隠しているらしい。聞けば、その爽やかな態度とあの美貌で、王子だなんて今どき空寒い称号まで頂いているとのこと。

 皆、見かけに騙されているのだ。確かに顔は良い。それは認めよう。しかも男の癖に美白だし。ダックグリーンの明度を、少し落としたような髪色も印象的だ。緩やかな癖はあるけれど、殆どストレートと言って良い程柔らかい髪質が、整った顔立ちにとてもよく似合っている。

 傷みやすく、どこかがいつもはねているような頭の恭介からすれば、雨の日に困ることもないだろうそれは正直羨ましい。本人目の前では悔しいので決して言わないけれど――身長も。目算だが、恐らく自分より五センチは高い。ずば抜けた迫力のある長身ではないけれど、彼に見合った上背だと思う。全体的に隙のない、バランスの良い男である。

 だがしかし、性格には多少どころか大いに難ありだ。神は二物を与えないらしいが、それをまさに体現していると思う。薄ら笑いで好青年を気取っている彼へ、惜しみなく熱視線を放つ女生徒に言いふらしてやりたい。寝起きの悪い恭介限定で沸点の低い彼なので、言葉の暴力は元より物理的に蹴飛ばされたことさえあるくらいだと。いくら声高に叫んだ所で、信じてもらえないかもしれないけれど。

「うわ、やばい。ほんとに時間ないじゃん! じゃーね恭ちゃん、また明日!」

 時間がないだろうに律儀に振り向いて手を振りながら、鳴海は黄色い渦を素通りして通学路を一気に駆け抜けて行った。振り返し損ねた片腕を上げたままぼんやりと見送りながら、圭吾の後ろ頭を盗み見る。無意識に息をつく恭介の横で、黒い靄が小さな渦を巻く。

〝恭介ぇ〟

「何だよ犬神。普通の時は話しかけんな」

 相当の霊力がない限り、今実体化している犬神を肉眼で捕らえることの出来る人間はいないだろうが、独り言の多い学生なんて白い目で見られるのは確実だ。小声で返事をしながらも、それ以上の問いかけを許さないだけの険を含ませてやる。図体の割に小心者の犬神は、簡単に涙目になった。

〝お前、明後日依頼あるじゃん……〟

「……あ、やべ」

 急な申し込みだったので、うっかり頭から抜けていた。慌てて圭吾を振り返ったが、群がる女子達が既に倍近くの人数になっている。もやもやとした気持ちになって――その後に、いつもやってくる自己嫌悪。

 やきもちなんて、焼いたところで虚しいだけだ。最初から、結果の見えている片想い。漫画や小説でもあるまいし、性別を乗り越えてまで両想いになれると信じるほど生憎夢見がちな性格ではない。

 ましてや、自分にはあと三年しか残されていないのに。

「いいよ、面倒臭ェ。後で言う」

 吐き捨てるような荒々しさで、恭介は強引に会話を終了させた。大きな肩を竦めて、溜息をつかれる。こんなどうでもいいところで、妙に人間らしい仕草をする霊だ。

 もともと靄のようだった犬神がフェードアウトする気配を背後で感じ取り、少しだけ悪いことをしたような気持ちになる。

 こんな理不尽な態度を、犬神に取るつもりなんてなかったのに。

 ――ああ、ちくしょう。

(この寒さで春なんて信じらんねぇ!)

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