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恭介・圭吾シリーズ  作者: 芹澤柚衣
アンリミテッド・スノーマンの情景
33/73

 肌寒さを覚える夜だった。

 鳴海は急ぎ足で、境内へ向かう石畳を歩いていた。スニーカーの靴底を挟んでいても、ごつごつとした石の感触が足の裏から伝わってくる。踏み込んで走り出してしまいたかったが、気づいていることを悟られる訳にはいかなかった。携帯を片手に、しきりに時間を確認するポーズ。まいったなぁだとか、あがりの時間になって急に搬入来るんだもんだとか。不自然にならないようひとりごちて、さすがにわざとらしかったかと反省する。全ては、急いでいる理由が約束の時間に遅れてしまっているからだと思わせるための小芝居だった。

 平たい階段を、一段抜かしで駆けあがる。古びた石造りの階段は、高さは低いが横幅は広い。学校のそれに慣れた感覚で右足を前に踏み出したため、最初の一歩でつんのめった。素早い反射神経で、左足を更に先へつく。結果、右手に提げたビニール袋を振り回すことになった。手土産にと奮発したプレミアロールケーキが、べっとりと生クリームをつけてしまっているかもしれない。

「超最悪なんですけど……」

 つい漏れてしまったひとりごとを誤魔化すように、掠れた溜息を忍ばせる。友達の家に進む足取りは軽やかであるべきで、「逃亡」のニュアンスが色濃くなってはいけない。

 鳴海は慎重に足を早めた。件の友人宅へは()()()()()()()を完全に撒いてから向かうのがベストだったが、少しの遠回りと断続的な駆け足で以ってしても、距離を開けられなかったのだから仕方ない。この何でもよく視える目のせいで、ぴったりと引っ付くように後をつけてくる存在が、生者か亡者か判断しかねるのだ。

(恭ちゃんちの神社なら、最悪敷地内は結界で守られてるはず)

 神聖な場所に逃げ込むことで、自身の安全確保のみならず、不穏な存在の大まかな正体は突き止められるかもしれない。

(焦るな……)

 震える足を前に進めて、転がるようにして先へと急ぐ。改めて後ろを振り向く勇気はなかった。まるで背中にべっとりと、夜の闇が張り付いているような恐ろしさがあった。


「鳴海、いらっしゃい」

 飛び込むようにして台所の引き戸を開けると、汁物の匂いが鼻を掠めた。柔らかくなるまで煮こまれた優しい野菜の香気に紛れて、里芋の香りを僅かに捉える。そのくせ、味噌や醤油のような濃い芳芬は感じられない。けんちん汁だ、とあたりをつけてゆうるりと部屋を見渡した。食卓には既に、程良い火加減で焼き目を付けたアジの開きと、小女子を散らした下に綺麗な山を作る大根おろしが並んでいる。

 烏丸が上品な顔に似合わず、野良猫のような行儀の悪さでアジにかぶり付いているのが見えた。端正な顔立ちの男が口からはみ出た尻尾を口内に招き入れるでもなく噛み落とすでもなく、そのままにしてモグモグと咀嚼しているのがとてもシュールだ。

 非日常から、日常へ。

 どうやら無事逃げおおせたことに安心し過ぎて、その場にしゃがみこんでしまいそうになる。

「鳴海? どうしたんだ?」

 引き戸を引き開けたまま固まったように動かない鳴海を訝しんで、けんちん汁を盛り付けながら恭介が伺うように声を掛けた。冷えきった指先を握り込み、鳴海は努めて明るい声を出す。

「何でもなーい! あーあ、お腹が空いたから無駄にダッシュしてきちゃってクタクタだよ~。恭ちゃん、俺のご飯丼に山盛りちょうだい」

〝コラ、行儀悪いぞ鳴海〟

 洗面所に移動するのを怠けて流しの蛇口を捻り手を洗うと、母親のような小言が犬神から投げられた。震える指先を冷水に当てて誤魔化しながら、鳴海は一気に思考を巡らせる。

「だって、わざわざ洗面所に行くの面倒なんだもん」

 会話を成り立たすための返事は怠らないまま、外部の気配を探るように神経を尖らせた。

(家の中には、入って来てない……? やっぱり、あやかしの類だったのかな……?)

「ほら鳴海。山盛りよそったぞ」

「わーい! いただきまーす!」

 お馴染みの蓮華も一緒に渡されて、鳴海は差し出された丼にそのままざっくりと差し込んだ。上から惜しみ無くけんちん汁をひっくり返し、貪るように口へと流し込む。

「ねぇ、恭ちゃん。最近変なことなかった?」

「変なことって?」

 口の中に入れたばかりの猫まんまを充分咀嚼する前に、アジの開きを頭から豪快に齧る鳴海を見て、その横で漸く尻尾を口の中へと収納した烏丸は真剣に引いていた。テーブルの端に置いてあったティッシュボックスを鳴海の方へと近づけてやりながら、恭介はざっくりとした質問の意図を探るべく問い返す。

「えっと……例えば誰かに後をつけられたとか」

 晩御飯をバキュームのように吸い込むような食べ方をしていても一切損なわれない美貌を持つ鳴海ならもとより、誰かに追いかけ回されるような事態にはとんと無縁な恭介にはそんな心配をされるような覚えもなく、何一つ心当たりなどはなかった。

「俺は別に……」

〝おい鳴海。むしろおめェに何かあったンじゃねェのか?〟

 鋭い犬神の指摘に一瞬ギクリとしたが、こういう時に誤魔化すのは得意な方だ。

「物騒なこと言わないでよワンちゃん! いくら俺が可愛くたって、一応男の子だからね?」

 力が入りすぎないよう口許を緩めて、気の抜けたような声で緩く否定した。

「っていうか……まあ、こないだたっくんのさ……九死に一生レベルの超しんどい依頼が終わったばかりだから、変にピリピリしてたのかも。ここは一応神社だし、神聖な場所として守られてそうだもんね。外から変なものが入って来るようなこともないだろうし、よっぽど大丈夫だよね」

「いや、逆だよ」

「え?」

 アジの開きを噛み始めてから二十分以上も時間を掛けて漸く完食した烏丸が、ポツリと溢す。聞き返したが、もうその話に興味はなくなったのか、答えてもらうことはできなかった。

〝……まぁ、とにかく最近は問題ごとも特には見当たらねェし……圭吾が帰ってくるまでは、恭介が勝手に厄介そうな依頼を受けないよう目を光らせてるから大丈夫だ〟

「えっでも、圭吾って今謹慎中じゃなかった? 便宜上」

〝まぁ、確かに仕事に口出しはできないことになってるけどな……便宜上〟

「便宜上便宜上っていちいち付けんな」

 恭介が決まりの悪そうな声で嗜めた。確かに、依頼のことには口出ししないよう命じてはいるしそのボーダーラインを越えるようなことはさせていないつもりだが、ここ最近その反動か私生活ではベッタリと構い倒されていた。

 まさに恭介のおはようからお休みまで暮らしを見守り世話を焼かれ、就寝時に適当に被った布団をいちいち肩に掛け直された時には顔から火が出るかと思ったくらいだ。挙げ句お風呂までついてこられた暁には勢い土下座し丁重にお帰り願ったが、それにしたって距離感のおかしすぎる日々だった自覚はある。

 便宜上などと改めて言われるまでもなく、最早謹慎とはどういう行為を指す処分だったか恭介自身見失っていた。

「そもそも、圭吾に口を出すなって言ったところで、いつまでも素直に我慢してくれるようなタイプでもないじゃん。そこは恭ちゃんの判断でいいと思うけど、許してやってもいいかもって思える時になったら、解除してあげなね」

「許すなんて……」

 途方にくれたような声で、恭介が口ごもる。依頼人を危険に巻き込んだという行為への咎で下したつもりの処分だったが、あの一件に関してはそもそも恭介にも責があった、と言えなくもない。鳴海には痴話喧嘩と揶揄されたが――恭介にしてみればそんなつもりはまるでないけれど――片方だけに懲罰を与えてそれで仕舞いと片付けるには些か座りの悪い気持ちはあった。

「いや……駄目だ……やっぱりもう少し、せめて形だけでも謹慎扱いにしておかないと……!」

 好きになった欲目で、つい絆されてしまうのは悪い癖。片恋相手というのは一旦横へ置いて、上司として正しい処遇を与えねばならないのに。

「まぁ、恭ちゃんはいつも圭吾に甘いからねぇ。たまには長めに怒ってもいいと思うよ」

 ごちそーさまー、と童謡か何かのように独特な節をつけながら、鳴海が行儀よく両手を合わせた。

「さてと。それじゃあ俺帰ろうかな」

「え、泊まっていけばいいだろ」

 こんな時間に来てくれたのだから必然的にそうなるだろうと思っていた恭介は意表を突かれ、箸箱の蓋を閉めようとしてひっくり返すという間抜けなタイミングで思わず突っ込んだ。

「んー……お泊まりも楽しそうだけどさ。明日のバイト朝番で早いし、家に帰っておいた方が距離的には近くて楽なんだ」

 恭介の作る夕餉も大いに目的のひとつだったが、あの得体のしれない何かが恭介にも関りがあるかどうかを確かめるために予定を変えずここへ来た。()()が恭介たちに災厄を齎すものでないのなら、長居は無用だ。影響が出る前に、自分を餌に引き返す必要がある。

 建前の理由を並べ立てて、百点の笑顔で鳴海は笑った。

「そう、なのか……」

 確かに、こんな辺鄙な場所から繁華街のバイト先へ向かうのは、些か骨の折れる行為かもしれないと納得し、恭介は引き下がった。ただただ先輩を回し蹴りで起こしに来ることへある種の楽しみを見い出している某後輩は欠片も負担に思ってはいないようだったが、この神社に最寄り駅はなく、スーパーマーケットはおろか、ポストのひとつさえも近くにはない。どこかに通うためには不便極まりない立地条件なのは確かなため、理由を聞いてしまっては無理に引き留める気にはなれなかった。

「犬神」

 それまで借りてきた猫のように、大人しく小鉢に残った小女子を一匹一匹しがんでいた烏丸が口を開く。

「鳴海を送ってやれ」

「え!?」

 思ってもみなかった人物からの思ってもみなかった提案に、鳴海は思わず椅子の上で飛び上がった。彼が猫っ可愛がりしている愛弟子の送迎ならいざ知らず、烏丸にとってはその他大勢の括りに入れられるだろう自分の帰り道を憂慮して貰えるなどとは欠片も予測していなかった。

「いっ……いいよいいよ! こんな遅い時間だし、わざわざ送ってもらわなくても!」

「こんな時間だからこそだろ。恭介のことは俺がみておくから、遠慮しないで送ってもらいなさい」

 まさかの提案の後に、まさかの人物から更にまさかの援護射撃を受ける。盟約主も反論の意志がない以上、この場の決定権は大人に委ねられているようなものだった。

 鳴海は戸惑いながら、犬神を見遣る。その表情を見て、多数決をとるまでもなく明確な三対一の構造を知る。反論の余地はない。いや――そもそも、その他の選択肢がないのだ。

「じゃあ、お……お願いしようかな……」

 ここで食い下がる程、子供にはなれなかった。むきになって断っても、不審がられるだけだ。どの動物霊とも盟約を交わさない選択肢を選んだ自分が、身を削るような条件を飲んでその権利を手に入れた盟約主からレンタルビデオか何かのようにやすやすと持ち霊を借りるのは気が引けるだなんて、この如何ともしがたい引け目のような、或いはいじけているような気持ちをうまく説明することもできない。

「鳴海」

 おどおどと視線を反らしながら、床へ放り投げていた鞄を手に掴むと恭介に名前を呼ばれた。

 ばつの悪い顔のまま、鳴海は戸惑うように振り返る。

「またな」

 告げられたお決まりの挨拶に、緩く頷き返すことしかできない。説明のつかない違和感がぐるぐると、鳴海の胸を掻き回していた。

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