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恭介・圭吾シリーズ  作者: 芹澤柚衣
アンアームド・エンジェルの失言
17/73

 これも違った。溜息をつきながら、片手で古本を閉じる。背表紙から剥がれかけた透明テープと一緒に内側の厚紙まで捲れているそれを、親指で意味もなく抑えた。くるりと向きを返して、どこかで見覚えのある背表紙を恨めしそうに見遣る。殆ど正解を引き当てたと思っていたから、この一冊に裏切られたのは大きかった。

 背伸びして、引き抜いた一冊分だけ斜めに傾いていた書物を端に寄せる。左手をブックスタンド代わりに使い、何とか隙間を作った。本の角さえ入れば後は楽なのだが、なかなかスムーズに収納出来ない。指を開いて、幅を広げる。強引に押しこむ形で、何とか元の形に納まった。

「さて……」

 上の段から確認していくつもりだったが、衝動であの一冊を手に取ってしまったせいでその目論見は一気に無に帰った。どこまで見たのか分からなくなった本棚を、途方に暮れて力なく見上げる。

 仕方ない。空振りは見逃しよりも大きなダメージを受けないから。確かに見たと言い切れる冊子まで遡ることにした。横に避けていた梯子を、乱雑に扱い正面に戻す。ベストなバランスを取るため、何度か調整した。右に傾きすぎた先端を少し斜めに置いて――よし、これが正解。万一にも後ろに倒れてしまわないよう、縋るというより壁に押し付けるような感覚で梯子を掴む。ぐっと力を入れて、もう一度頭上の書籍を仰ぎ見た。右から一、二、三……うん、中身を思い出せない、八番目から怪しい。

「オレンジ色のそれなら、さっき見てましたよ」

 手に取ったような気もするその一冊に、向けた指を咎めるかのような声。柔らかいのに、甘さのないトーン。透き通るような、届きの良い低音。声を聞くだけでこんなに胸をざわつかせる相手の心当たりなんて、ただ一人しかいない。

「きっちり順番に一冊ずつ見ていたのは、上の段の十四冊目までですよ。そこから急に下から三段目、左から五冊目の本を取り出して……何故か左から二冊目の位置に戻してましたけど」

「どこから見てたんだよ!」

 特にからかう素振りもなく淡々と状況を解説されることが余計に恥ずかしく、恭介は思わず声を張り上げて突っ込んだ。片眉をあげて心外そうに此方を見遣る圭吾は既に、普段の空気を背負っていたけれど。会わなくなって、もう五日だ。待ち焦がれていた分、どういう態度を取っていいのかが分からない。

「声を掛けそびれていたんで、はっきりいつとは……最初に梯子に乗っかろうとして、勢い後ろに倒れそうになったところからは見ていましたけど」

「ほぼ最初からじゃねーかよ!」

「二回目使う時、めちゃくちゃ意識してバランスの良い場所探してましたよね。馬鹿でも何かしら学習するんだなと、感慨深い気持ちで観察させていただきました」

「もう観察とか言ってるし!? お前、その辺りで声を掛けろよ」

「依頼ですか?」

「…………」

「……何でわかんの、って顔してますね」

 彼相手に、何かを隠そうと思ったことは二つを除いて他にないけれど。こうまで見透かされていると、そのひた隠している一つでもある自分の気持ちさえ筒抜けになっているのではないのかと不安になってくる。結局もう一つの、盟約に関する事情はすべてばれてしまったし。ちくしょうあの蛇野郎。いつまでも腹の立つ一件だ。石でもぶつけてやればよかったと改めて憎らしく思う。

 まるで殆ど正解に近いヒントを貰った後に答えを言い当てたかのような無感動さで、圭吾はおおげさに肩を竦めた。いつもクールな印象に近い、物腰や動作のスマートな彼だけれど。時折見せるファニーな仕草が堪らない。多少の混乱のせいか、そんなどうでもいいことばかりを考えてしまう。

「盟約のことを調べているんなら、走り読みはしないでしょ。まるごと全部自室に持って行って、虱潰しに文字を辿るだろうし……気付いてないんですか? 一度それが始まったら、僕の来訪に気がつかないほど真剣に読んでますよ」

「へえ……」

 ぼんやりと言葉を受け止める。無意識の上での行為を指摘されたところで、他人より遠い事実に他ならない。何故か座りの悪そうな顔をしながら、圭吾はついでのように付け足した。

「それが必要な情報かどうかは、一冊まるまる読み切ってからでないと結論を出さないあんただ。でも、今回は最初から何かの情報だけを探しているようだったから、仕事で必要な情報があるんだなと判断しただけですよ」

「……逆ならわかんねーよ」

 自分には出来ない芸当だ。まるで大きな交差点を渡る時のようにざっと周囲を見渡してから、圭吾はもう一度視線を恭介に戻す。この部屋に壁という概念はない、と言い切れるくらいには本棚で囲まれた書庫。たった今圭吾が入って来た入り口兼出口を除いては、棚という棚に囲まれており、すべて古本でいっぱいになっている。レバーやボタンで個々のシェルフの移動は可能だが、それは部屋の中に人がいるということを全く無視した造りになっているので、慎重さなしではいじれないというデメリットも含まれている。なかなか定まらない圭吾の視線の理由が、何かを探しているのではなく、バランスの良い場所を探して立て掛けた先程の梯子のように、定位置を探して迷っているのだとしたら――途端に、罪悪感が溢れた。

 まだ、怒っているのか。口を開くのを咎めるように、圭吾が小さく切りだした。

「修学旅行、行くことにしました」

「……そうか」

 何て言ったら良いのかを迷い、頷いたらそれで済むような返答をわざわざ口にした。最初に、ほっとする。良かったと思ってから、最早それが何の安堵だかわからなくなる。言う通りにしてくれた子供へ、身勝手に安心する親のように。大義名分に隠れた何かが、ちらりと頭を掠めた。

「なので、来週の水曜から三日間不在にしますね。城脇にご飯を食べに来るよう言っておいたんで、あんたが無精することはないと思いますけど……僕が帰って来た時、少しでも痩せていたら許しませんよ」

「何でそこで、食べに来る、なんだよ。作りに来るとかじゃねえの?」

「人が食べに来た方が、ちゃんと献立考えて作ろうとするでしょ先輩は……別に城脇にやらせても良いですけど、あいつホットケーキと琉球ドーナツしか作れませんよ」

「ある意味すげえな」

 呆れるというよりは普通に感心して、恭介はしみじみ呟いた。視線を定め損ねていた圭吾が曖昧に笑って、少しだけ恭介から距離をとる。

「しの……?」

「明日の仕事は、ギリギリ手伝えると思うんで。依頼人の名前と、何時に待ち合わせしてるのかだけ教えてもらえますか」

「いやお前、何で明日のこと知っ……」

 脳裏に浮かぶ、保護者のような相棒。口を滑らしたという体で連絡網を繋いだのだろう。恭介と圭吾の間の報連相が、蛇霊の一件以降殆ど機能していないことを知っているのだ。あまつさえ、ここ最近不仲と言うには大げさかもしれないが、それなりにぎくしゃくしていた。連絡ルートは完全に遮断されていたと言って良い。

「……依頼人の名前は、水無月拓真。午前十一時には来る予定だけど」

「了解しました。ああそれと、この辺りの資料借りて行きますね。もしかしたら、新幹線の中で読めるかもしれないし」

「なぁ」

 やっぱりどうしても、いつも通りだとは思えない。上滑りする会話がもどかしくて、たまらず恭介は縋るような声を出す。

「しの、まだ怒ってる?」

 虚をつかれたように瞬いてから、圭吾は緩く首を振った。笑みの形を保っていた唇を一瞬解いて、言葉を探すように遠くを見遣る。

「……最初から、怒ってなんかいませんよ」

 嘘つけ、と言いかけて、けれど結局言葉にはならなかった。力のないその声は、どこか頼りなげに宙に放たれてぼんやりと霞む。これは喧嘩ではない。自分でさえ何となくそう思っていた。喧嘩ですらない。正しくは、そういう意味で。

「それだけ確認したかったので、お邪魔しただけです。微妙な時間にすみませんでした」

 立ち去ろうという意思表明。どんな言葉なら引き止められるのだろう。こんな空気で帰したくはない。けれど、圭吾とどうしてこうなってしまったのか、今でもわからないのだ。不用意な言葉が彼を傷つけてしまいそうで、いつもの軽口さえ僅かな決意が必要だった。

「八ツ橋」

「……は?」

「土産、八ツ橋頼むな」

「……今時の修学旅行が全部、京都と奈良に行くと思ったら大間違いですよ」

 呆れたように笑って、聞きなれた悪態をつかれた。


 お目当ての資料が見つかったからと言って、無論それがゴールとは限らない。期限は明日。正しくは翌日の正午までに順序を頭へ叩き入れ、なおかつ自分流にアレンジしなければならないのだ。恭介に視ることのできる範囲は、動物霊のエリアまで。二体の霊と契約を交わす結果にはなったが、それによって能力自体が広がるということはなかった。

 単純に、ジャンルの問題だと思う。現に圭吾は白虎との契約で、犬神や九尾までならどうにか認識できるようになったのだし。羨ましいなどとは思わないけれど、こんな時は不便に思う。こういう仕事をしていれば、必然的に関わる霊など動物霊の範疇に納まるわけがない。

 少し無理があるかもなあ、なんて。呟いた一言に、期待したリアクションはなかった。頭の中でもう一度、組み立てたばかりの作戦をざっくりなぞる。全てが自分の都合の良いように動くと仮定してのそれに、現実味はあまりなかった。

 考えても仕方ない。やってみなければわからないことだ。未知の世界へは、片方だって足を突っ込むところからが文字通りの第一歩。

 圭吾の不在に重なりそうなタイミングの依頼に胸を撫で下ろしていたのも束の間、結局のところまた巻き込む羽目になってしまった。視認できる霊のジャンルが増えることにはありがたさを感じないでもないが、正直に言えば不安の方が大きかった――今度こそ絶対に、傷一つつけずに彼を守らなければ。

 抱えていた秘密をひとつ、圭吾に預けた時から重心は容易くぐらついていた。際限なく頼り切ってしまいそうで、それが一番怖い。

(自分一人の体重くらい、自分の足で支えれなくてどうする)

 救われたい訳じゃない。救いたいのだ。縋るのではなく、あてにされたい。それならばこれしきの壁で、いちいち立ち止まる訳にいかないのだから。

「犬神、聞こえるか」

 質問ではなく、殆どが合図だった。マスターの声掛けに、すぐ答えるのが盟約条件のうちのひとつ。ゆらりと空気が歪んで、犬神が姿を現した。

「打ち合わせをするぞ。事前に話しておきたいことがあるんだ」

〝話すもなにも、いつもの通り、俺が祓やァいいんだろうが〟

「……本当に、お前は人の話を聞かないやつだな」

 途端、眉間に寄る皺。躊躇ったのは、犬神の方が先だった。

〝いつもと違うと、言っていたな……〟

「覚えてたのかよ。なら、余計な手間取らせんな」

 どう違うんだ。そう続けられる前に、恭介は静かに答えを告げた。

「――守護霊、交代の依頼だ」

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