ランクアップの試験ーランチタイム終了
だが、それを口に出してはいけない事は理解出来ている。
だから、押し黙っているのだ。
それが分かっている葵も何も言えない。
仕方ない…そう説明しても、分かってはもらえないだろう。
カイトにしたらレイラ姫の体で、あのような作法でご飯を食べる等、言語道断なのだから。
分かっていても、葵は反省も後悔も無い。
そうしなければ、現実味が増すとわかっているから。
自分が、田舎から出て来たばかりの【冒険者】の少年である事が事実である事を周囲に認識してもらわないとならない。
ましてや、性別を偽って、【姫】という身分を偽って、行動していると知られれば、シンフォニアの信用にも関わる。
今の世界では、フィアント公国に対する信用は無いに等しいだろう。
シンフォニアの加護が受けられず、ビルガ帝国の侵攻を許したのだから。
だから、その王族がシンフォニアの加護を受けて、身分を偽れたと分かれば、シンフォニアの信用に関わるのは明白である。
だからこそ、葵の身分は当然、カイトの身分もバレてはならない。
その為ならば、何でもやる覚悟がないと、この旅は成立しないと葵は考えている。
…試されている
そう感じる事はある。
葵の行動の一つ一つが、シンフォニアからの試練…課題…なのかもしれない。
それを一つずつクリアしていくしかない。
元の世界に戻れるかもしれない一縷の望みをかけて。
葵は、まだ諦めたわけでは無い。
希望は…ないかもしれない。
自分が亡くなって、かなりの時間が経っている。
時間でも遡れないと元の世界に戻れる可能性は薄い。
だが、シンフォニアに奇跡の力があるのなら…?
葵とレイラ姫との魂の融合とて、奇跡の御業に変わりない。
だからこそ、シンフォニアになら、時間を遡って自分の魂を元の体に戻すくらいは出来るかもしれない。
だが、シンフォニアは言っていた。
あのままでは、自分の魂は消える運命だったのだ…と。
それをこの世界に引っ張ってきて、レイラ姫と融合する事で生きながらえたとも言える。
希望は、僅かもないかもしれない。
だが、葵はそれに賭けている。
何より、自分とレイラ姫の魂の分離によって、カイトは救われるだろう。
カイトは、レイラ姫を愛している。
だからこそ、僅かに残っている奇跡に賭けているのだ。
そう思うと、少しだけ胸が痛む。
何故だが分からないが、心がざわめく。
(考えるのは…よそう…この旅の終わる頃には、答えは分かるのだから)
そう自分に言い聞かせてから
しばらく、水をちびちび飲みながらゆっくりする。
遠い向こう側では、自棄になっている冒険者が相変わらず騒いでいる。
絡まれると嫌なので
「そろそろ行かないか?」
と、その連中を一瞬だけチラリと葵が見て言うと
バッカは、目を細め
「そうだな。そろそろ行くか」
そう言って立ち上がる。
『リノンちゃーん、さけーおかわりー』
『はいはい』
向こうでは、そんなやりとりが行われていた。
それから、そそくさと逃げるように食堂を出る。
(絡まれなくてよかったわ。酔っ払いって慣れてないから苦手だもん)
葵は、心の中から胸を撫で下ろす。
葵の周囲には、酒に溺れる者も、酒で自我を失う者もいなかった。
それは、両親とて例外では無い。
剣の道を究めんとするからこそ、余計に【酒】というのは、縁が無い。
父が少々嗜む程度だ。
しかも、会合などの付き合い程度では飲む機会はない。
家では、緑茶がデフォルトであった。
夏場は、冷たい麦茶も用意されていたが。
それを思い出し、帰れるか分からない元の世界に思いを馳せる。
だが、それもすぐに振り払う。
今は、感傷に浸っている時では無い。
一刻も早く進まないとならない。
追っ手がある事を葵は忘れてはいない。
オリンズにも、いつヴィヴィアンやビルガ帝国がやってくるか分からない。
焦るのはよくないが、急がないとならないのは事実だ。
葵達は知らない。
彼女らを支援する者がいる事も。
まさに今、彼らが追っ手を撹乱している事も。
知らないので急がないとならない、と考えてしまう。
ヴィヴィアンは、探知魔法の才に関しては右に出る者はいないだろう。
おそらく世界の中でも…だ。
いるとしたら、ベイト・ディインダくらいである。
それ程に優秀である。
気配すら読まれてしまう。
だから、幼い頃からヴィヴィアンとのかくれんぼでは、彼女に勝った事は無い。
すぐに見つかってしまう。
悔しい思いばかりしていたが、いい思い出だ。
今、敵に回ってしまった彼女の事を思うと、その思い出すら複雑だが。
敵に回すと恐ろしい…それがヴィヴィアンなのだ。
(とりあえず、レベルアップに集中しよう)
葵は、決意を新たに
「フェンダーベアの群れは、把握しているんだよな?」
と、バッカに確認する。
「あぁ、もちろんだ。だが…」
そう言ってから
「シャウトベアより小さめだが、それなりにでかい。持って帰るのはリスクがあるぜ。俺達は収納魔法の存在を隠しているんだからな」
バッカの言葉に
「それは、分かっている。仕留めるだけフェンダーベアに止めを刺すだけで十分だろ。それでも討伐の証拠に何か持って行かないとならないが…」
そう葵が言い淀んでいると
「そこは大丈夫だろ。フェンダーベアには珍しい角がある。虹色に輝くソレは、金持ちの間ではアクセサリーに加工する傾向がある。そいつを持って行けば討伐の証拠にもなるし、金にもなる」
バッカが、そう言った。




