幸田露伴「さんなきぐるま」現代語勝手訳(9)
其 九
甚吉という一人息子が普通の餓鬼ならとにかく、親父の勝気を受け継ぎ、母親の甘い躾けで育ったとなれば、我儘、気儘は言うに及ばず、疳の虫のせいとか俗に言う異常な振る舞いさえ折に触れてすることもあって、何か自分の思った通りにならないことがある時には、眼尻を吊り上げて、涙を流し、口には沫を噴き、足は地団駄を踏んで、急に金切り声を絞り、生き死にを争うように騒ぎ立てるのは度々のことであった。
教養のある者でも自分の子には眼がないというのが世の常となれば、無学の者なら無理はないにしても、その度毎に女房はもとより流石のしっかり者の喜蔵も、
「やれやれ泣くな、甚坊、誰が泣かした、憎い奴め、オオこの変わり絵がか。この変わり絵はこれより変わり様はない、ムムそれで腹を立てたか、ムム、悪い悪い、この絵が悪い。又、好いのを買ってやりましょ。沢山変わる面白いのを買ってやりましょ。コレ辨吉、お前が居るのにどうしたことじゃ。相手をして遊んでいて泣かせるということがあるか。何だ、おのれ、口答えをするナ、お前が言わなくてもこれきりしか変わらない変わり絵をこれ以上に変わらせろと言う甚が無理を言っているのは分かっているわ。その無理を言って責めるのが子どもというものだのに、それをお前が何とか欺しようも賺しようもありそうなものを、これきり変わりません、変わらせろというのは丸々坊主の丸っきり無理だと、ポキリと木を折るように言ってしまうから、甚も泣いて引き裂いて捨ててしまうのだ。お前が悪い、甚に謝れ、エエ、まだ分からないことを言うか、馬鹿め鈍痴め、お前が悪いのでは無いが、謝れと言ったら早く謝った方が好いではないか。まだ膨れ面をしくさるか、謝れ謝れ、サアサア辨吉も謝ったから甚も堪忍してやるがいい。辨吉の憎い奴め。オオ、甚、叩頭しているのを打ってはいかん、もうよし、もうよし、堪忍してやれ」というような具合で、愛に溺れて眼が眩み、子の無理を親が通してやることも多々あり、他家の子が日本地理を読んで勉強している声は耳に入らず、我が子が采幣(*戦場で大将が部下を指揮するために振った道具)を刀のようにして腰に差し、箒を馬として股にあてがって、芝居のようなことをして遊んでいる中、ただの一ヶ所でも器用な所が見受けられれば、『オオ、あの熊谷(*歌舞伎の熊谷陣屋のことか?)らしく巧く似せるところなどは』と、目に留め褒める単なる親馬鹿。その子にとっては有り難い親の情が溢れたものとなるのだろうが、奉公人にとってはこれ以上迷惑なものはない。
商売の一切は主人の喜蔵が切り盛りしているので、店には総支配の番頭というものは居らず、いずれも同等に使われている三人の若い者、百二郎、善三、千三郎と、十三くらいの中小僧の辨吉だけであるが、商売の小さくない割には人が少ないのは、主人喜蔵が日頃大の自慢にしている一つである。
奥に炊婦のお熊、そして女房の里から従てきたお類という女房の遠い遠い縁類の小娘、そして、喜蔵が世帯を持ち始めた時から今までずっと離れずに、ほとんど主人の叔母みたいになってしまったお重の三人が居るというのは、少し多いようではあるが、女房のおえつが、お重、お類が居なくては困るからなのであろう。
手代三人の中、千三郎は店が芝に店があった頃から仕えている者で、一番若いけれど、主人の一番のお気に入り。店から離して、田舎廻りも安心して任せられる程である。善三は途中から使われている者。百二郎は元の坂本屋に勤めている時も真面目であったが、主家が分散した時、俗に言う乗馬上がりの役立たず(*今までやって来たことから離れてしまうと、何も特技もなく役に立たない)となって、手に職もなく、商売をしようにも資本がなくて困っていたのを喜蔵が拾ってきたものである。
新三郎、今初めての奉公で、主人から炊婦まで、この通りのこの家に来たが、これから先、どのようなことになるのだろうか。
次回で最終です。