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幸田露伴「さんなきぐるま」現代語勝手訳(8)

 其 八


 おこの夫婦は江戸にも住めないようなことをしでかしてか、跡をくらまし、どことも知れない田舎へ行ってしまったとのこと。多分、恥面(はじづら)を包み隠し、夏は田の(いき)れで臭く、冬は案山子(かかし)の姿の淋しい所で、面白くも無い顔つきをして暮らしているのだろうと、噂だけは時折立つが、その姿を見たと言う者もいなくなった。


 一方、多町(たちょう)へ出てからの喜蔵の勢いは日の出のようであった。することなすことすべて道理に(かな)っていて、ますます取引が広くなれば、人の信用も厚くなり、(あぶら)(まわ)りの良い車の走りが良いと、重い荷物も運ぶことが出来るのと同じで、好い上にも好い目が出来る。あれこれの仕事の段取りもよくなった上に、酒を飲むでもなく、遊興(あそび)をするでもなく、一汁一菜に満足して、日々じわじわと(しっか)り身代の根を固めていくだけなので、数代続いた町人の由緒ある者ですら、今は坂本屋を軽くは見ず、娘を遣ろう、妹を呉れようと言い込む者も少なくなかった。しかし、船に()りては駕籠(かご)も厭がるというのか、身分のいいところから吊台、長持やら光り輝く持参金付きの嫁をもらうことは強く辞退した。

 暫くの間は妻も持たず、忠実な婆一人に家事全般を(まかな)わせた後、何やかんやと親切心で言ってくれる他人(ひと)の口も治まったのを見計らったように、電光石火、いつの間にやら、身分も支度も技も容貌(きりょう)も何一つ取る所もない女をもらい、(あれ)が女房を持ったかと、他人(ひと)に気づかれる程の変わりようも見せないその遣り方、新婚当時というものは……と、川柳に何やかやと突っ込まれるような数々の愚も犯さなければ、新婚後、先生は閉めきった(へや)でどのようにしておられると冷やかされそうなところの裏をかいて博議(はくぎ)(*春秋左氏伝に関する評論)を著した(りょ)東来(とうらい)(*中国,南宋の学者)を学ぶ訳でもなく、一分一厘自分の領分には牛を売り損なう女(*『(おんな)(さか)しゅうして牛売り損なう』の諺から)の意見を入れさせず、お前は北に()れ、俺は南で働くと、普段と変わらず引き続いて仕事に励めば、やがて生まれた今の惣領(そうりょう)である(じん)(きち)、行く末に親を泣かす愚か者になって、月謝を出して習わせた字で『売家』と書くようなことをしでかすならともかく、今のところは傾くとは考えられない身代となった。彼家(あそこ)は商売の手を広げないだけ、まかり間違っても急に駄目になるようなことはないと評価され、坂本屋の跡をしっかり守って潰さないのは感心だとも評された。しかし、その腹は黒いか白いか分からん奴と、またもう一方の評価もある。善人ではないにしても卑悋(きたな)くはなく、悪人でないにせよ確かに毒はある男のようである。喜蔵の女房は褒めて言えば気立て好し、悪く言えば割引のつくような欠点のある代物(しろもの)。他人の家の提灯を我が家の者が借りてきて、それを返す時、蝋燭を新しくして遣るだけのこともうっかり忘れ、亭主の襦袢(じゅばん)も催促されてから洗い、(おし)えられれば(はい)と答え、叱られれば謝り、罵られれば縮こまってしまい、褒められてもそんなに得意がらず、煽動(おだて)られても乗らず、目下(めした)の者に安く見られても腹を立てず、慾も薄ければ(じょう)も鈍い代わりに、あちらを向けと言われれば三年でもあちらを向いているほど辛抱強く、自分の髪の乱れも構わず、顔に生毛(むくげ)が桃の実ように生えていても気がつかない。そのくせ、遠慮しなければならない人と会うときには土百姓が公方(くぼう)(さま)御駕籠(おかご)でも見るくらいに恐ろしがるという風である。


 新三の仕える二人というのが、この主人(あるじ)であり、この女房であるが、まだもう一人、先ほど少し触れた甚吉という七歳の男の子が一人いた。


つづく

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