幸田露伴「さんなきぐるま」現代語勝手訳(7)
其 七
喜蔵が坂本屋の親類一同やおこの親子に対して、余りにも自分を見下した身勝手なやり方だと、恨みを抱いたかどうかは分からないが、坂本屋の店を出ると直に芝の神明前に同名の坂本屋を名乗って、同じ商売を小さいながら始めた。
資本はどこからどう工面したのか。元の主人の店を出る時、手切れとは言わず語らず突きつけられた百両程の金は、いただく理由もございませんと、突き戻して来たとのことなので、おそらく喜蔵の不幸を憐れんでくれた誰かに頼んで出してもらったものと思われる。そんな気性であるから、月日を重ね、商売にかけてはもとより、才覚のある男が励みに励んで働き出せば、店での売り買いはもちろん、あれをこちらへ、これをあちらへと、運用賢く、見る眼、聞く耳も冴えに冴えて、仲間同士の売り買いの仲介の口銭も少なくなく、又一つには、喜蔵の身の上を知った問屋達の贔屓の力を加勢に得たこともあり、自然と人も、同じことならあの男に儲けさせてやろうというようになった。捨てる神あれば助ける神あり、苛責られる子は哀れがられるという具合に、綺麗さっぱりと坂本屋を追い出せば、行く先難儀をするだろうと驕った奴が面倒がる世界を易々と渡っていく具合で、二年三年、五年目には早くも身代もずっと大きくなり、店自体も大きくなって、街中で広く構えるようになっていった。
それに引き換え、元の主家の坂本屋の方だが、娘と通じた榮吉の身元はそれ程悪くなく、浦和には蔵二つ、馬二、三匹もある農家の次男であり、出来ることならいっそ一緒にさせてしまった方が好いと、周りから言われれば、粋とか通とかいう捌き方を、母をはじめ親類一同でやって退けて、終に不埒なことも形式だけの綺麗な礼儀で包み、濁った四海も波静かになって事は治まったが、「礼」で始まった夫婦なら本来「和」で留まるところだが、色で出会った往時があれば、真実の夫婦仲ではなく、それとは違った夫婦仲なので、どうして良いことが長続きするだろうか。
夫が女房をからかえば、女は亭主に甘えて身体を寄せ合い、縺れるようにして巫山戯あう。それすら下の者には威がつかず、商売がおろそかになる根元となるのに、仲が好過ぎて、一日の帳合もまだ済まないうちから、女房の身として男に酒を勧めれば、亭主殿は『御台所』のご機嫌取りに、『今からそんな遊びごとは止めておけ』と言った試しはなく、知らず知らず、お互いに奢り、増長して失費が多くなるのであった。そんな傍ら、油断という虫に食われ、帳面は店の者の不届きが多くなり、店としてもその尻を拭うようになり勝ちだったが、病が内蔵に潜んでいるので、手の甲の擦り傷ほどとも思わぬ節穴同然の眼の悲しさ、気づきもせず、初めに女の子の誕生、次に男の子という目出度さ、めでためでたに浮き立って、祝賀に莫大な出費、そしてその後、二人が結びの神様と崇めた母が長患いから往生。目出度さも哀傷さも、これ皆、貧乏神が一つの渋団扇から扇ぎだした風とも知らず、笑ったり泣いたりしている間に、流石の身代も土台際から柱が朽ち、床下のつか(*床を支えるための短い縦材)が倒れて、栄枯盛衰、天地返し、家質(*家、屋敷の抵当)は流れて、代が替わる世は、からくり小屋のお客が入れ替わるように、焦った末、がったり、ばったり、坂本屋夫婦は柳島の寮へとかに引き籠もってしまった。
長年の本懐がこれで果たせたと、手を拍って喜んだかどうかは分からないが、そんな素振りも見せない喜蔵、芝から今の住居の多町に移って、小さいけれども坂本屋の暖簾を掲けたのは見事なことであった。
つづく