幸田露伴「さんなきぐるま」現代語勝手訳(5)
其 五
鎮守の祭の他は賑やかなことを知らなかった新三、初めて浅草の観音に詣ったが、石路に下駄の響きが絶えず、肩、袖をすり合うように老若でごった返す雑踏の中に入って、開いた口が塞がらないほど呆れ惑うばかりだった。今まで村道ばかりを悠々と歩いた経験はあっても、こんな混雑した所を歩いたこともなかったので、ややもすれば人に突き当たって、『鈍痴め!』と罵られ、人の足に自分の足を踏まれて、思わず『痛い!』と叫べば、あべこべに『間抜けめ!』と叱られ、賑やかさにはこりごりして、早く自家の周りのような淋しい所へ出たいと真底から愚痴をこぼせば、
「二、三年も経って、自家へ帰ってみたら、早く東京の賑やかな所へ出たいと言うようになるだろうにの」と、清兵衛に散々笑われるのだった。
浅草、上野も清兵衛の好意で見せてもらい、蔵前通り広徳寺前、御成街道、萬世橋、日本橋、京橋、銀座なども教えてもらった。しかし、東京という所が四角なところやら、丸いところやらもよく分からず、東西南北も覚束ないのに、その翌日、清兵衛に連れられて、顔合わせという大層なことでも無いが、神田多町の乾物問屋、坂本屋喜蔵と呼ぶ、清兵衛が懇意にしている、かねて話し合って取り決めた所に今日から丁稚として働くことになった。
清兵衛が身元請負人となり、すべて順調に事が運び、
「では、よろしくお願いをいたします」と言う一言を後に遺して、ただ一つの心頼みと、今の今まで縋っていた清兵衛に振り棄てられ、まったく馴染みの人もない、見ず知らずの中に自分一人となった悲しさ。清兵衛の袂の中にでも隠れていられるものなら、内々、故郷へ帰りたいという気持ちも湧き出て、厭で堪らないお力の居る我が家ではあっても、恋しくなって、眞里谷の家の庭前の林檎の樹陰が直近くなら、駈けても行って、いつものようにお小夜と遊びたいとも思うが、『辛くても辛抱するのだ。奉公中途で帰って来ても家に入れないぞ』と、父様が厳しく仰り、あのお力めもその後に続いて、『帰って来たらただでは置かんぞ、叩き出すぞ、追い払うぞ、絶対この家の敷居は跨がせんぞ』と、恐ろしい眼をして睨み付けたことも眼に浮かんで来て、『よく辛抱するんだぞ』と清兵衛に言い付けられたことに背く力は無く、帰りたくてもどうして好いのやら、それも分からず、どうしようもなくて、涙が湧き出るばかりであった。
つづく
次回から、新三郎の奉公先である「坂本屋」の話に移る。