始まりと終わり
西野さんの個展から一週間、僕はまだ答えを出せずにいた。答えを出そうとしていることを誰にも悟られないように、何事もなかったかのように変わらない毎日を過ごしている。仕事をして、瑞穂さんと会い、足音を売る。
そんな僕でもひとつだけ変わったことがある。一眼レフカメラを購入したのだ。何かを始めてみればいい、という西野さんの言葉は、気付くと僕にカメラを握らせていた。西野さんの真似がしたい訳ではないし、西野さんのような写真が撮れるとも思っていない。僕にはそれほどの覚悟はなかったから。足音配りを裏切ることもできない僕は、西野さんに言われたから、と責任転嫁しながら写真を撮り始めたのだ。他人のせいにしているうちは、瑞穂さんにもカメラを買ったことは言えなかった。
僕はひっそりと写真を撮る。僕がシャッターを押すたびに、ピントのずれた世界が一瞬停止する。カメラの画面には確かに閉じ込められた一瞬が存在しているのに、カメラから目を離した次の瞬間には、時間が止まることなく動き続けていることを思い知らされる。そこには他人の思い出を覗いている時と似た充実感があった。けれどよりリアルで、より温かみのある、血の通った静止画として僕の心に雫を落とす。
上手くピントが合わないのは初心者だからというだけでなく、僕の心が定まっていないせいかもしれない。それでも次第にカメラを握らない日よりも握る日が多くなっていった。他人任せで始めた写真だったけれど、子どもの頃からずっと探していたゲーム以外の楽しいことがそこにあるような気がして、僕はのめり込んでいった。
これまでの人生で熱中するものに出会えなかった反動なのか、毎日写真を撮る時間をうずうずしながら待った。仕事のある日や足音売りのある日にはカメラを持って外に出ることが難しかったから、僕は部屋の中に被写体を求めた。例えば今夜の夕食、テレビ、ベッド、テーブル、カーテン。結局どれもしっくりと来なくて、一度撮っただけで別のものを撮りたくなった。毎日そんなことをしていれば当然だけれど、部屋の中でシャッターを押したいものは底をついた。諦めきれない僕は、生まれて初めてのサボテンを買いに、近所の花屋へ向った。
「大切に育てれば花も咲きますよ」
小さな茶色の植木鉢から伸びる緑、そしてトゲトゲ。店員から花が咲くと教えられ、僕は袋に入れられたサボテンをなるべく揺らすことのないようにそっと持って歩いた。
僕の部屋にやって来た初めての植物を、スマートフォン用の充電器の隣に置いた。それだけで味気なかったサイドボードが可愛らしく思える。ちょこんと座っているような小さなその生き物を、早速ファインダー越しに見つめた。
部屋の中の様々なものを写真に撮ったけれど、サボテンほどまた撮りたいと思うものはなかった。サボテンを買った僕の目論見は大成功だったようだ。寝る前にサボテンを写真に収めることが、僕の日課になった。
もちろん、天気が良く時間のある日には、一眼レフカメラを首にぶら下げて外で写真を撮ることもあった。ぶらぶらとゆっくり歩くなんて、ずっとしていなかったことに気付かされた。道端の雑草や花に目をやり、日向ぼっこしている野良猫に話しかけた。
時には、滅多に乗らない車で海まで行くこともある。海は天気によっても時間によっても、恐らく季節によっても(カメラを手にしてから季節が移ろうほどの時間がまだ経過していないから、僕の想像でしかない)、違う表情を見せる。様々な海の中で僕が特に好きなのは、水平線に朝陽が昇り始めた海だった。まだ明るくなり切らない空と空全体を明るく照らそうとする光。それが海に反射して、まるで水平線から海岸へ向って道が作られるようなのだ。
部屋の中のサボテン、道端の草花、近所の野良猫、海と水平線の朝陽。それが下手くそな僕のカメラに主に収められている写真だった。
僕には足音配りに言えない秘密が二つ増えた。写真を撮っていること。そして、サングラスをつけて覗き込む思い出の主人公が僕ではなくなっていること。
相変わらず、誰の思い出なのかはわからない。主人公の顔はのっぺらぼうになっているからだ。けれど僕でないことだけは確かで、そのせいなのか僕は思い出を見ても以前のように乾いた心が潤うことはなくなった。
他人の思い出はその人のものであって僕のものではないと、頭のどこかで客観的になってしまう。つらい思い出には同情するし、幸せな思い出には羨ましくなるけれど、疑似体験するような感覚にはなれなかった。それはつまり、他人の記憶では心の隙間を埋めることができなくなったことを意味していた。
僕は次第に思い出を覗こうと思わなくなり、その分写真を撮り続けた。瑞穂さんにさえ見せることのない写真たちが溜まっていく。花の咲いたサボテン、僕の前で日向ぼっこをする野良猫、雨の日の海と控えめな朝陽。
そのうちに少しずつピントも合うようになった頃、僕は撮り溜めた写真を順番に見ていくことにした。記念すべき初めての写真から、ついさっき撮ったばかりのサボテンまで、一枚一枚をパソコンの画面に写していく。
こうして見ていくと、知らず知らずのうちにかなりの枚数の写真を撮っていたようだ。
すべての写真を見終えると、西野さんの写真の素晴らしさと自分の写真の薄っぺらさを思い知らされて、恥ずかしさで一人赤くなった。けれど悪い気はしない。僕はこれからも、下手くそな写真を撮るのだろう。
もう一周自分の写真を見ようと最初の一枚に戻った時、僕は後ろ頭を殴られたような衝撃に襲われた。
どうして今まで考えもしなかったのだろう。普通の日なんてないことを。毎日が二度と訪れない特別な日だということを。日の当らない部屋の中でもサボテンは花を咲かせるし、猫だって次第に懐いてくるし、二度と同じ海は見られないのだ。
過ごした時間は戻らない。もう一度やり直すことなんてできない。だからこそ、僕らは小さくて尊い動力となり、歴史の渦の流れを繋いでいく。過去とも、未来とも、話でしか聞いたことのない祖父母とも、僕が消えた後に生まれ来る命とも、繋がっている。
西野さんの写真の前で感じた大きな歴史の流れは、僕らの不可侵の領域なんかではなく、僕らの毎日がそれを作り上げてきた。僕らの姿かたちが消えて見えなくなる日が来ても、作り上げた歴史が消えない限り、僕らの存在がなかったことにはされないのだ。
本来なら今夜来るはずのない足音配りがやって来るのを、僕は強く願った。あいつは必ず来るはずだ。どこかで僕の気持ちを感じているから。きっと僕の決意に、もう気付いているから。僕はテレビも付けず、静かに足音配りの気配に耳を澄ませた。
コンコンコン……。コンコンコン……。
何度となく聞いたノックの音がした。僕は覗き穴で足音配りの姿を確認してから、鍵を開けた。
「ちゃんと覗き穴を見るようになったダネ」
足音配りは子どもの成長を微笑ましさと寂しさの入り混じった視線で見る親のように、穏やかな口調で言った。
「君に何度もそう注意されたからね」
僕も控えめな笑顔でそう答えた。それから足音配りは、ひとつ息を吸うと本題に切り込んできた。
「自分のやりたいことを進む道は、思っているより楽じゃないダネ」
思っていた通り、僕の話の内容を知っていた。
「そうかもしれない。僕はまだ甘いのかもしれない。それでも、嫌な思い出も大切な思い出も、すべてが僕を作っているんだ」
こんなに真剣な僕の表情を、足音配りは見たことがないだろう。今度は諦めともとれる溜め息をひとつ吐き出して、足音配りは僕が初めて見る笑顔で言った。
「そろそろアキラの記憶の隙間も窮屈になってきたダネ。このままじゃ、オイラはお腹が減って困ってしまうダネ」
足音配りの潔さに、僕は胸が熱くなった。
「君には本当に感謝しているよ。君に会えたから、僕は自分を見つけられた。記憶の断片を取り戻すことができたし、かけがえのない人たちと出会うこともできた」
「オイラはただ足音が食べたいだけダネ。でも……、そう言って辞めていった足音売りはアキラだけじゃないダネ。オイラが忠告しても、人間というのは何かを見つけてしまうものなんダネ」
僕より前の足音売りたちが僕と同じ思いを抱いて足音売りを辞めてきたのなら、それは足音配りが人間に大切なものを教えてくれた証拠に他ならない。
「君は、本当はいいやつなんだ。ねえ、もしかして僕も足音を買っていたのかな。だから思い出せる記憶がなかったのかな」
「どうだろう。それはオイラにも分からないダネ。他の足音配りが誰の足音を食べたのかは知らないダネ。だから、知らないうちに何度も足音を売っている人間もいる可能性はあるダネ」
足音配りの答えに「そうか」と返事をしながら、僕は気になっていた疑問をぶつけるべきかどうか、迷っていた。その答えを聞くのが怖かったのだ。そんな僕の気持ちを読み取った足音配りが、明るい声で「アキラの心配は無用ダネ」と話し始めた。
「消し去ったつらい思い出と、その対価としてもらった大切な思い出は、足音を買った人間が本当に自分と向き合えるようになった時、自然と戻っていくものみたいダネ。オイラたち足音配りに必要なのは足音だけだから、戻っていっても全然構わないダネ」
「そうか。それなら、僕も自分と向き合う準備ができたのかもしれない。さようなら、足音配り。君のことを忘れるのは、とても寂しいよ」
「オイラはアキラを忘れないダネ。また記憶の隙間が広くなったら、すぐ会いに来るダネ。でも今は、さようなら、ダネ」
僕が足音配りから預かっていたサングラスを返すと、いつも思い出をシャッフルしている時に見えていた光が部屋全体に広がり、僕は眩しくて目を閉じた。




