僕の気持ち
瑞穂さんに足音を売る必要がないことを、僕は重々承知していた。はっきりと「消したいとは思わない」と言われたこともあるけれど、その言葉がなかったとしても、彼女の人には見せない努力の日々を思えば足音を買う確率は限りなくゼロに近いと判断しただろう。今や足音売りとは無関係になったジャーマンアイリス。そこに通い続ける理由は、瑞穂さんに会いたいという気持ち以外にはなかった。瑞穂さんの過去を知った僕は、つらい過去を乗り越えそれでも柔らかく笑う彼女に、以前にも増して惹かれていたのだ。足音を売るなんて口実で、自分をごまかす必要はもうなかった。
駄々漏れになってもおかしくないほど瑞穂さんへの気持ちは盛り上がっていたけれど、僕は極力それを知られないように振る舞った。瑞穂さん本人に伝えるつもりもなかったし、周りの人に気を遣ってもらいたくもなかったからだ。
そんな中で、僕の瑞穂さんへの気持ちを知っているのは三人だけだ。
一人は渉。
渉とは月に二度ほどメールで連絡を取っている。メールを送る時期を決めてはいないし、特に伝えなければならい急ぎの用事もないから、お互いの近況報告を気ままにするだけだ。相変わらず仕事の愚痴くらいしか書くことのない僕に対して、目に入るものすべてが新鮮な渉の文章からは、いつでも興奮が伝わってきた。もちろん慣れない海外での生活は楽しいことばかりであるはずはなく、あまり弱音を吐くことのない渉が言葉の壁に苦労していることを匂わせたことがあった。渉のことだから、メールで伝わってくる何倍も何十倍も大変な思いをしているのだろうと想像はつく。そしてそれを乗り越えるパワーが渉に備わっていることも、僕には分かっている。
一度だけ、デリカシーがないと思いながらも清水のことを尋ねたことがある。渉が今、清水のことをどう思っているのか。別れたことを後悔していないのか。本当は気になることは色々とあったけれど、僕がメールに書いたのは「その後清水とは連絡を取っているの?」という一文だけだ。僕だけが納得できていない二人の別れを、まだ信じたくなかったのかもしれない。別れたと言いながらも、離れてからお互いの大切さに気付いてよりを戻していることを心のどこかで期待していたのかもしれない。もちろん頑固な二人が元の鞘に収まっている確率なんて、真夏に雪が降るくらいありえない話だと思う。だからせめて、連絡くらいは取っていてほしい、どこかで二人がまだ繋がっていてほしいと願うことを止められずにいた。
そんな僕のお節介な思いとは裏腹に、渉の返事は素っ気なく「別れ話をしたあの日以来、一度も連絡を取っていない」とだけ書かれていた。僅かな期待が粉々に砕け散ったことを突き付けられ、僕は仕方なく現実を受け入れた。おまけに、僕が清水の話題を出したというのに、渉の方からは清水の近況を尋ねることも気にかける様子もなかった。連絡を取っていないという一文以外、清水について触れている文章は見当たらない。清水のことは完全に吹っ切れたのかと思うと、二人が決めた別れなのに、僕には関係のないことなのに、勝手に苦しくなった。
僕は渉のことも、清水のことも、それぞれ大切な友人だと思っている。けれどそれ以上に、渉と清水が二人でいることが好きだった。そんな二人をもう見ることがない寂しさを抱えながら、僕はメールを読み進めた。二人は先に進むために必死なのだろうと、自分に言い聞かせた。
だから最後の最後に「何かあった時には沙織の力になってあげて」という一文が遠慮がちに書かれているのを見つけた時は、清水を思う気持ちが渉の中に残っていることが伝わって来て、思わず目頭が熱くなった。渉の中に清水は今も間違いなく存在している。渉は清水に見返りを求めることも、清水の今に立ち入ることもしないだけなのだ。別々の道を歩き始めた以上、手を差し伸べるべきは自分ではないと決めたのかもしれない。
僕が瑞穂さんのことを報告したのも、清水への思いが渉に残っていると知ったことが少なからず影響していた。もちろん一番の理由はメールだったから、というものなのだけれど。きっと渉が今までどおり日本にいて、頻繁に飲みに行くような状況だったなら、照れくさくて報告なんてできなかっただろう。
「会社の近くで喫茶店を経営している女性と知り合って、彼女に恋をしている」
僕は端的に、ありのままを伝えた。渉は「先輩がそんなことをメールに書くなんて!」とからかってきたけれど、たくさんの改行の後に「先輩が好きになる人だから、きっと素敵な人なんだろうな。いつかお会いしたいです」と真面目なメッセージをくれた。
だから僕も真面目に返事を書いた。
「僕ではとても釣り合わないような素敵な女性だよ。渉に紹介できる日が来ればいいな」
渉と瑞穂さんは、どこか似ていると思う。真っ直ぐに前を見つめているところ、強くあろうとするところ。僕はいつも二人の後ろにいて、二人の背中を見つめてきた。僕とは正反対の二人の背中が、どんどん僕を引き離していくような感覚が突然湧いてきて、僕は不安を振り払うようにパソコンを閉じた。
瑞穂さんへの気持ちを知る二人目は、足音配りだった。何を隠そう、僕の変化に最も敏感に反応したのが足音配りなのだ。
「渡辺瑞穂が足音を買わないのはそれでいいけど、足音売りの仕事を疎かにしてもらっては困るダネ」
いつものようにシャッフル作業を終えた後で、落ち着かない様子の足音配りは少し拗ねたように言った。
きっと僕の心が瑞穂さんへの気持ちで満杯になり、他人の思い出を受け入れる余裕を失くすことを恐れているのだろう。僕は諭すように穏やかに言葉を口にした。
「大丈夫だよ。昨日だってちゃんと足音を売って来たじゃないか。思い出を消すことで前に進める人がたくさんいるってことは、僕だって分かっているつもりだよ」
足音配りはまだ納得がいかないのか、「でも……」とか「そんなこと言っても……」とか、僕には聞き取れないくらいの声でブツブツと言っていたけれど、僕は苦笑いを浮かべながら黙って見ていた。
足音配りには言えないけれど、正直なところ少しだけ自分でも気にかかることがあった。瑞穂さんへの気持ちで満杯になることではない。僕の思い出が少しずつ増えていっていることだ。
瑞穂さんと出会ってから、僕は過去を思い出すことが多くなった。最初は、初めて触れるジャーマンアイリスの雰囲気が一時的に僕の記憶を刺激しているのだと、気にしてはいなかった。けれど今では彼女と日常会話をしているだけで、思い出そうとしなくても記憶が蘇ってくるのだ。おまけに、そのスピードはどんどん速くなっている(おかげで足音を売る時の思い出話にバリエーションができて助かっているのだけれど)。
例えばクリスマスの思い出だ。瑞穂さんが店内にクリスマスツリーを飾ると言うので手伝っていると、彼女のクリスマスにまつわる思い出話を聞かせてくれた。小学生の頃に弟とどちらが一番上の星を飾るかで喧嘩して母親に怒られたことや、ジャーマンアイリスで迎えた初めてのクリスマスで閉店後にマスターとささやかなクリスマスパーティーをしたことなどを、幸せそうに話してくれたのだ。それを聞いていた僕も、自然と子どもの頃の実家の様子が浮かんできた。
幼い頃の僕は、クリスマスにはプレゼントよりもサンタクロースからの手紙を楽しみにしていた。枕元に僕が書いた手紙(と言ってもまだ幼かったからほとんどが絵だった)を置いておくと、翌朝サンタクロースからの返事がプレゼントと一緒に置いてあるのだ。手紙には乗ってきたトナカイの名前や、家に煙突がないから入るのか大変だったことなど、サンタクロースらしい内容が書かれていた。僕や妹がその手紙を持って「読んで、読んで」と嬉しそうに母親にまとわりつくのを、父親は手紙をもらった僕らよりも嬉しそうに見ていた。
小学生になって同級生たちがサンタクロースの正体に気付く年頃になっても、僕は手紙を待っていた。彼らの言うように、仮にプレゼントを枕元に置いてくれるのが身近な人物だったとしても、もしかしたら手紙だけは本当にサンタクロースがくれるのかもしれない。そんな一縷の希望を心の中に抱いていた。
そして両親も負けてはいなかった。筆跡があからさまに自分たちものであってはつまらないと、父親の同僚に手紙の代筆を頼んでいた(これは最近知ったばかりの事実だ)。毎年違う手紙の内容を考えるのも、きっと頭を悩ませたに違いない。それを思うと、自然と笑みが溢れてしまう。
いつ頃まで手紙のやりとりが続いていたのか、その記憶は僕にはまだ戻ってこないけれど、僕にだって大切なクリスマスの思い出はあったのだ。
クリスマスだけではない。特別な思い出なんかないと思っていたけれど、それは間違いだった。少しずつ記憶のピースが集まり、思い出が形を成していく。子どもの頃の日常、家族とのやりとり。
僕の家族は、両親と妹の四人で暮らしていた。今では妹も結婚して家を出たし、僕も一人暮らしをしているけれど、実家は僕のアパートから車で約一時間のそれほど遠くないところにある。頻繁に実家へ顔を出しているか、と聞かれると返事に困るけれど、年末年始は必ず実家で年越しをしているし、それ以外にも年に二、三回は帰っていると思う。
誤解を恐れずに言えば、僕の家はそれなりに裕福で幸せな家庭だった。小学校に入る前から年に一度は家族でホテルのレストランでディナーを食べることが恒例だったから、ナイフとフォークの使い方を知っていることが密かに自慢だったし、夏休みは毎年家族旅行に出かけて本州で行ったことのない都府県はほとんどなかった。テレビゲームはもちろん、それ以外のおもちゃだって、ボードゲームから一輪車まで揃っていた。とは言っても、特別裕福だった訳ではない。欲しいものを聞かれてもすぐには思い浮かばない程度には満たされた子ども時代を送っていたけれど、まさに絵に描いたようなどこにでもある平均的な家族だった。
僕はそんなありきたりで普通の家族を、どこかでつまらないと感じていたのだと思う。そんな僕の気持ちが、大切にすべき思い出を見えなくさせていた。どこにでも転がっているような過去に、特別な思い出なんかあるはずがないと思い込んでいた。
けれど瑞穂さんと話しているうちに蘇ってくる思い出は、どれも春の陽射しのように柔らかくきらきらと輝いていた。広くない庭だって、そこにいた雑種の犬だって(それらがより一層普通な印象を僕に与えていた)、ありきたりでも愛すべき僕の思い出だ。
足音配りには、僕が思い出を取り戻しつつあることを言えなかった。けれどあいつのことだから、きっと僕の中で他人の思い出を受け入れるスペースが少しずつ狭くなっていくことに気付くはずだ。僕の変化は瑞穂さんへの恋心のせいだけではなく、僕自身の思い出が僕の中へと戻ってきているせいだということに。
そして三人目。僕の変化に気付いた人は柏木さんだった。




