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足音の行方  作者: 咲良尚
第五章
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外された鍵

 渉はスウェーデンへと旅立った。空港へ見送りに行った僕に、「沙織を頼みます」と別れた彼女を気遣って、そして僕に誓いを立てて。

「あの夜は迷惑をかけてごめん。自分がまだまだ弱い人間だって思い知ったよ。必ず、強くなってみせるから」

 渉はやはり凛とした風のように自由で、荒野に立つ一本の木のように強かった。

 そして僕は二人が別れを決断したあの夜に、自分の中で芽生えていた感情を受け入れた。渡辺瑞穂への恋心だ。それはジャーマンアイリスの常連仲間が彼女に抱いている好意や信頼と、似ているようでまったく別なものだった。恐らく柏木さんだけは、僕がそれを認めるより早くに気付いていた。

「長谷川さんは、瑞穂ちゃんに救われたいだけじゃなくて、きっと同じものを同じ時間に見たいんだよ」

 柏木さんにそう言われた時には、まだ自分の気持ちに鍵をかけていたから、その言葉が何を意味しているのか正確には理解できなかった。けれど今なら分かる。嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、憤ったこと、すべてのことをタイムラグなく共有したい。一番に伝えるのが彼女であり、僕でありたい。

「大事な友達がスウェーデンに旅立ったよ。最後まで格好良かった」

 だから僕は空港の帰りにジャーマンアイリスに寄って、彼女に話をするのだ。

「格好良く見えるのは、そのお友達の覚悟の強さから出ているのかもしれませんね。自分のやりたいことをやり通すって、実はすごく大変なことだと思うから」

「覚悟……。僕は今まで、覚悟なんて考えたこともなかった。どちらかと言うと、覚悟が必要なものから逃げてきたような気がする」

 ますます渉が格好いいじゃないか。自嘲気味に笑う僕に、彼女は明るく微笑んだ。

「でも人間、最後まで逃げ続けることなんてできないって、私は思っています。逃げてきたものには、必ずどこかで対峙しなくちゃいけなくなる。そう思いませんか?」

「僕にはよく分からないよ」

「例えば、学生の頃勉強しなかった人が大人になったら仕事でどうしても勉強しなきゃいけなくなったり、子どもの頃悪さばかりしていた人が大人になったら人助けをするようになったり。人生の中で足したり引いたりしたらちょうど良くなるようにできているんじゃないかな、って」

「それなら僕は逃げてきたことが多すぎて、これから先の人生が大変だな」

 僕が苦笑いを浮かべながらそう言ってコーヒーを口に含むと、話は思わぬ方向へ進んでいった。

「私もそうですよ。逃げてばかりの人生だったから、これからは目の前のことひとつひとつに全力投球しようって決めているんです」

「瑞穂さんが?」

 信じられなかった。逃げてばかり、なんて言葉は僕の中の彼女とはかけ離れていた。彼女はいつだって笑顔で、過ぎていく時間を慈しんでいたから。

「柏木さんだけは私の過去を知っているの。いつか長谷川さんの耳にも入るかもしれない。でも、長谷川さんには私の口から話しておきたいから」

 僕はまったく意図していないタイミングで、彼女の過去に触れることになった。

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