それに似た甘くない渇望
隣国の使者、ルーク視点から始まります
あの方が欲しい。
それは恋にも似た、甘くない渇望。
今でも夢にみる。
あのときの、真っ青になり血が出るほど唇を噛み、強く拳を握りしめ、まっすぐ前を見据える彼女の顔を。
泣き叫びつづけてぐったりした子供を、虚無の目をした兵士を、地獄を、ただまっすぐに見据える目を。
**********
目が覚めて、体を起こす。
エルリア様が学園を休むようになって、一週間。
はぁ、とため息をつく。
失敗でしたね、あの教師。
やっぱりエド君がやったようにでも見せかけて、もっと前にご退場願えばよかったですねぇ。
まったく。
学園の生徒たちは、『傾国の馬鹿』とかなんとかよく分からない噂が既に広まっていたから、煽って彼女を一人にさせるのは簡単だったんだけど。
教師とも溝を作っておきたかったのになぁ。
まぁ、彼女にカンニングの疑いを持つようにうまく教師たちを先導したのに、そんな冤罪もあっさりと許してしまう心大らかな彼女に、してやられたんですけど、ね。
起き上がり白シャツを羽織り、着替える。
タイを絞めてから、従者が持ってきた手紙をペーパーナイフで開き、そこに書かれた内容に目を通す。
ぐしゃり、と手にしたその手紙を潰す。
「やられましたね。」
潰した手紙を床に放り投げる。
内容は、皇国で監視していたフレッドの失踪。
これは、失敗かなぁ。
せっかくあと一歩まで、彼女を追いつめたのになぁ。
……まぁでも。
これくらいで簡単に潰れてしまうようですと、それはそれで彼女に失望したりするんですよねぇ。
彼女には強くあってもらわないと。
ううーん、難しい。
「さて。」
どうするかな、エルリア様は。
……この手を取ってくれなかったら、さて。どうしようか。
**********
「御機嫌よう、ルーク。」
そう声をかけられて、一瞬真顔になるが、笑顔を取り繕う。
「お久しぶりです、エルリア様。」
せっかく彼女を追いこんだのに、やはりすっかり元気になってしまっている。残念。
傷心の内に連れ帰ってしまって、あちらでしっかり教育するはずだったのになぁ。
見誤ったなぁ、この人を。
もう少し、弱いと思ったんだけど。
「ちょっと、来てほしいの。」
そう言われても、嫌な予感しかしない。
ううーん。まぁでも、ついていくしかないですよね?
「ところで、その頬どうしたのです?」
頬に張られた絆創膏に目がいき、そう尋ねる。
「いえちょっと、母様の回し蹴りにやられて……」
母君の回し蹴りなんて、どんなバイオレンスなご家庭で育ったんでしょうね、彼女。
いえ、良いですよ。
だって、皇国に来てもらったらもっと危険なことが多いですからね。
のこのことついていった先の教室に足を踏み入れ、立ち止まる。
「あの、ここって出口ですよね。こちらで失礼させていただいても?」
おどけてみせるが、
「いえいえ、入口でしてよ?ずずいっと、入ってきてくださって構いませんわよ?」
そうエルリア様も同じくらいにおどけてにっこりと笑う。
中には、クリストファー殿下、カタール様、ギース様、ローゼさんと、おやエド君。なんか顔が明るくなりましたね。あれでは皇国では使えないかなぁ。
エド君はあの、世界に絶望して張りつけたような笑顔がよかったんですけど。
きちんと道具としての自分を弁えてくれれば、使える子だと思ったんだけどなぁ。
できたら、エルリア様と一緒に皇国に来てもらって、王国自慢の『影』の情報も欲しかったんだけど、残念。
「なんか、色々ばれてしまっているようですね?」
そう尋ねると、殺気立った視線が投げつけられるが、そんなものは皇国では日常茶飯事ですからね。
言いながら、中に入ってエルリア様の正面になるように立つ。
「さて。なにをお話するんですか?」
どうやって彼女を説得しましょうか。
面白くなって、思わず嗤ってしまう。
「戦争の噂は、お前が流したんだな?」
「さぁ?」
確かに、噂をあちこちで流して回った。実際にはそんな火種はないのに。
けれど、そんなことを確認して、なんになります?
つまらないお話はやめましょうよ。
そう考えて、またしても嗤う。
「お前の目的は、エルリアか?」
だったら何です?
は、と嗤う。
「エルリア様?今回のことで、よく分かったのではないですか?」
そう言って、エルリア様の目を見つめる。
「貴方には、力が足りない。」
そう言っても、彼女はまったく揺らがなかった。
強い意志をした目で、私をじっと見つめる。
『なに企んでいるのか知らないけど、エルリアは絶対貴方に負けたりしないわ。』
ふふ。素敵な捨て台詞でしたね、ローゼさん。
そう。そんな貴方だから。
私になんて決して屈しない貴方だからこそ。
「貴方に敬意を表して、直球でいきましょうか、エルリア様。」
そう言って、一歩前に出ると、クリストファー殿下も、カタール様も、ギース様も、エド君も、彼女を守る様に私の前に出る。
「皇国にいらっしゃい、エルリア様。」
「……。」
彼女が、冷静に私を見据える。私の真意を測ろうとするように。
そう、慌てず騒がず。それでいい。
彼女が正しく振る舞うことに満足して、私は口角を上げる。
「期限付き、二年でどうですか?こちらの学園の卒業と同じ、あと二年を向こうの学園で過ごす。」
手で2の数字を作って、彼女に見せる。
二年あれば。あとはあの方頼みにはなるが、うまく行けば彼女が手に入る。
「エルリア様、貴方はもっと社交を勉強するべきですよ。ここまで私一人にやられて?それでよろしいのですか?私程度、皇国にはいくらでも転がっていますよ?」
そう言うと、周りの殺気が更に強くなる。
はは、面白いなぁ。
「今後、貴方はこの国を守りたいのでしょう?」
そう言って、彼女に微笑む。
「……思い出した。」
この流れでそう呟く彼女を、訝しく眺める。
「ルーク、貴方、皇国のあの視察の時にいた……」
そう言われて、思わず顔を顰めて歯を噛む。
**********
数年前。
彼女が外交にやってきたとき。
隣国の第一王子、その婚約者が我が領に視察に訪れると聞いたとき。
はは、と嗤った。
私が仮面をつけて「父」と呼ぶ男が治める領地は、賢王と名高い国王が守るブルメンブラット王国とは逆側に位置し、別の国に隣接する。
国を顧みず、国民を顧みず、己の欲のままに欲しいと思う土地を奪おうとする馬鹿が王を名乗る国に。
私達エヴァン家の領民たちは、辺境でありその国に隣接するために、いつも紛争の脅威に晒されていた。
争いは、いつ起こるかわからず、そして始まれば、いつ終わるか知れず。
人々は疲弊していた。
そんな地に、訪れようとする隣国のお姫様。
父が、隣国から呼び寄せたのか?
この惨状を見せて、援助と称して金を積ませようとでも?
領民たちを『可哀想』と憐れませ、『彼らに施しを』とでも言わせ一時凌ぎの金を、隣国の無知なお姫様から吐き出させようとでもしているのか?
……そうでもなければ、平和な国で王子様の手を取るようなお姫様が、我が領地になど訪れるわけがない。
はっ、と再度嗤う。
嗤いながら、いつの間にか手に持っていたグラスを割り、掌に傷ができて血が流れる。
その掌から流れる赤い血を見ても、別に、私の体は痛みは訴えなかった。
ただ。
あのすべてを諦めた目をした子どもたちを。
虚無の目をした兵士たちを。
領民たちの流す血を。
血が流れ続けているのに既に麻痺して、痛いとも思えなくなっている彼らの気持ちを想い顔を顰める。
『父』と呼ぶのもおぞましい、あの男が。
武器商人と手を結び私腹を肥やしているのだと気づいたのは、いつだったか。
それまで素直に、『領民たちを慮り大切にする父』を慕っていた私は、絶望して、そしてはは、と顔を歪めて嗤う。
割ってしまったグラスを拾おうとして、また指に傷が増える。
流れるその血を舐めると、口に錆びた味が広がった。
……相も変わらず、愚かな男だ、と口の端を上げる。
そして。
そのような男に騙されるだろうお姫様。貴方も、なんて愚かなのだろう。
そう冷ややかに嗤いながら、隣国のお姫様の来訪を待つ。
領主である父の陰に隠れて、愚かなお姫様を観察する。
父は、初めこの領地の美しいものだけを見せて回る。
父が、援助の申し出をさせるためにお姫様を呼んだのではなかったのか?
そう首を傾げる。
お姫様は、父が次々に紹介する取り繕った美しさに、張り付けたように微笑む。
それはとても高貴な貴族のお嬢様らしくて、やはりね、とため息を吐く。
美しいものなど見飽きたような張り付けた笑顔。
ああ、やはり。この隣国のお姫様は、ただただ美しいだけの、中身のない人間だと心の中で切り捨てる。
けど。
数日たったある日、彼女が泊っていた我が城をただ一人、供もつけずに抜け出すのを見て目を疑った。
今のは、あのお姫様、ですよね?
は?一人で出歩くって、馬鹿なんですか?
そう思って彼女の後を追う。
彼女は、本当に初めてこの領地を歩くのか?というくらい、怖気づかずに知った風にどんどん街中を歩いていく。道行く人に声をかけ、初め怪訝そうな顔をされるのに、二言三言と話すうちに相手は眉を下げて呆れたような顔をしてから、破顔する。
それは、不思議な光景だった。彼女が進む道に、笑顔が咲いていく。
けれど、彼女の足がまるで知っているかのように突き進む先にある一画は、本来彼女が足を踏み入れるような場所ではない。
私は彼女を止めるべきかと思案する。
だが。
現実を知ればいい、と嗜虐的に思う。
きれいなだけのお姫様。貴方が、知らない世界があるのだ、と。
貧困層が多く住む一画に、彼女は足を踏み入れる。
弱弱しい彼女は、一目で目を背けるのだと。
可哀想にと眉を顰め、涙の一つも浮かべるのだと。
勝手に想像していた。
けれど。
彼女は泣き叫び続けぐったりする子どもたちを、それを無感情に抱く母を、虚無の瞳をした兵士たちを、傷だらけで痩せこけ壁に寄りかかる老人を。
真っ青な顔で。
血が出るほど唇を噛みしめて。
強く強く拳が震えるほど握りしめて。
まっすぐに見据える。
逸らすことなく、ただまっすぐに。
しばらくそうして彼女は歩いて回る。
唾をかけられながらも、罵声を浴びながらも、唇を噛みしめて。
その後のテーブルの席で。
彼女は一日領地を歩いてきたことを領主である父に告げ、彼らの惨状をどう捉えているのか、すべきことがあるはずだと彼を諫めようとして、言葉を紡ぐ。けれど、薄汚い父は、のらりくらりとその話をはぐらかす。
それでも、彼女は倍以上生きている男にくってかかり平和の重要性を説いた。切々と、時には令嬢らしくなく声を荒げて。
どうやら、ここにいる彼女は他のご令嬢とは異なるようだ、と思う。
ぱち、と彼女と目が合う。
気がつかぬうちに、見つめすぎていたようだ。
彼女は一日歩き回り、埃にまみれ薄汚くなり、疲弊し一日で見るからにやつれていた。
昨日まで優雅に微笑んでいた彼女の面影はなく。
ただ。
疲労困憊してなお、敵国だろうが関係なく、民を守りたいという強い意志を瞳に宿す。
その目がまっすぐに私を見据える。
そして。
彼女の唇が噛み締め過ぎて血が流れ固まり、赤黒く染まっているのに気がついて。
そして。
彼女の掌に。
グラスを握りしめた私と同じように。
いや、それよりずっと強い思いで、血が流れるほどきつく自身を握りしめたであろう、赤黒くなった爪痕を見た時。
ああ、この方が欲しいな、そう思った。
──この国に彼女が欲しい。
──戦争が多い、この皇国にいただく、皇后として。
──だれよりも平和を願う彼女が欲しい。
皇国が、領民たちが、平和に笑顔で暮らす。
彼女が頂に立てば、それが叶うのではないか。
ならば。
領民たちがあの笑顔を得られるなら。
この皇国が平和になるのなら。
そのためなら、私はなんだってしよう。
そう思った。
運よく仕えるようになった第三皇子が呟く。
皇帝の座が欲しい、と。
それには、今のか弱い婚約者では無理なのだ。
あれでは、俺の足を引っ張るだけだ。そう、呟く。
それなら、そう私は嗤う。
*********
舌打ちしたくなる気持ちを何とか、鎮める。
「エルリア様、皇国にいらっしゃい。」
そう再度、彼女をまっすぐに見据えて伝える。
目の前にいる彼女は幾分違いもせず、あの時に魅せた、夢と同じ瞳で、私を見据える。
まるで、ここが我が紛争地であるように見まがう。
「……行くわ」
おや。
思わず、自分の耳を疑う。
「はっ!?」
そう言ったのは、クリストファー殿下だった。
どうやら、聞き間違いではなさそうですね。
**********
「はっ!?」
クリスがそう驚いて声を上げる。
「ちょっと、エルリア!?君今行くって言ったの!?」
クリスが私の肩を掴んで揺さぶる。
「うん。」
「うん、てそんな簡単に。おい、カタールも、ギースもエドも止めろよ。」
そう言って振り向くが、誰も私のことを止めるような言葉は出さなかった。
「他の人にはもう伝えているんだ、クリス。」
そう柔らかに微笑むと、カタールがクリスの肩にぽんと手を置いて、歩き出す。
「ほら、ルーク。お前も出るんだよ。」
「ええー。二人っきりにしてあげようってことですか?」
「要らんこと言うな、お前。」
そう言って皆が教室を去っていき、私とクリスの二人きりになる。
困惑した顔をしたクリスの目を見つめて、私は、あのね、と切り出す。
「私ね、あっちで勉強してくるよ、クリス。」
父様と話していて、私は私の望みが分かった。
私にはローゼのように、皇族の血はないけれど。
クリスのそばにいたい。
クリスとともに国を治めていけるように、もっとちゃんと力をつけたい。
私が両国の架け橋となれるように、向こうに飛び込んで学んでこよう。
「……行かないで、なんて言葉は私の甘えだよな。」
そう言って、クリスが苦笑いする。
「浮気しない?」
少し拗ねるように、彼が呟く。
「なにそれ。しないよ、そんな時間ないよ。」
やらなきゃいけないことは、いくらでもあるのだ。
「だって君、自覚ないけど本当に色々な人を惹きつけているんだよ?」
ルークなんてあんな厄介なものもひっかけてくるくらいだもの。そう彼が呟く。
いや、ひっかけてきたつもりはないんだが。
「浮気なんてしないよ。クリス。貴方が好きだもの。」
そう、まっすぐに彼を見据えて微笑む。
好きだよ、クリス。
その気持ちを、笑顔に託す。
ふ、とクリスが優しく微笑む。
距離が近づいて、どちらからともなく、そっと唇を重ねる。
前と同じく、触れるか触れないかくらい。
──前はごめんね。
──え?
──前、君の気持ちを無視して強引に奪ってしまって。
──ああ。
クリスのアイスブルーの瞳に、私がうつる。今度は、ちゃんと。
「エルリア、君が好きだ。愛している。」
クリスが、ようやく言えた、と微笑む。
もう一度、今度は少し長めに、唇を重ねた。
人質となってたフレッドを奪還して、ルークに反撃です。
本当はエルリアが一人でルークに会いに行こうとしていたのですが、止められ意味もなく皆勢揃いしてます(笑)
またしても補足長々すみません。
ルークは紛争の多い地で生まれ育ち、武器商人と手を組み金儲けをする父を憎んでいます。平和がほしいと切に願うけれど、力をつけなければ、なにも手に入らない。知恵をつけ、皇子に取り入り、そしてある日、エルリアを見つけます。
エルリアは、前世では身近になかった惨状をみて、強く強く平和を願ったのだと思います。
領民の、皇国の平和が欲しいルーク。そこに現れた強く平和を望む女性。彼女を欲しいと思い、更にそこに、皇国の皇子の思惑も絡み今回の騒動になったわけです。
ルークは、皇国の皇后に戴く予定のエルリアにずっと「様」づけしていましたし、弱くては困ると成長を願いお叱りもし、彼女の身を守って(例えば階段を落ちた時に必死になって助ける)きました。
その一方で、彼女が孤立するよう画策します。そうそう、BL机の上放置も彼女が周りから孤立するようにですね。
孤立させて国に彼女の居場所をなくせば、皇国に連れて帰れる。
よく、ルークは『~の仕草をする』とありますが、彼は仕草も目線も笑(嗤)い方も、細心の注意を払ってきたようです。
ルークは、用意周到で、欲しいものに貪欲な、平和主義者のそんな男です。(そんな風に見えない?そこは作者の力&頭不足です!)
さて。次で最終話となります。
大変申し訳ありません。諸事情で、明日の更新が今までの10時ではなく、AM7時にさせていただきます。どうぞ最後まで、よろしくお願いいたします。




