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物語は終わり、悪役令嬢は

 








 たどり着いた裏庭で、震える自分の体を抱きしめる。



 ぽたり。

 涙がスカートにおちて、丸くシミをつくる。

 それはいくつも広がって、水玉模様を作っていく。





 大丈夫、大丈夫だよ、エルリア。

 ──大丈夫って、なにが?



 泣くなよ、エルリア。

 泣いた自分より、笑った自分の方が好きだって、言っていたじゃないか。

 ──笑うの?こんなときまで?






「はは、」


 と、声に出して笑う。


 けれど。

 その声は震えていて、耳に届くときには悲鳴のように変わっていた。



「はは、は、ぅ、ぅぅ、っ……」







 ……笑えるわけがないじゃないか。








 もういやだ、もう嫌だ。


「……っくぅ、ぅぅぅ」


 歯を食いしばっても、嗚咽が漏れる。




 どうして、いつの間にこんなことになったんだろう。

 だって少し前まで、皆で仲良く笑っていたのに。




 あんなに楽しかったのに。

 あんなに幸せだったのに。





 ギース義兄様が物憂げに笑む顔が。


 エドの張りつけたようだけど優しい笑顔が。


 ローゼのまっすぐに明るく笑う顔が。


 カタールの大きく笑って八重歯を見せる顔が。


 クリスの少しだけ意地悪に微笑んだ顔が。




 全部、全部。

 零れ落ちていく……!




「……っく、えっ、……っ、ぅぅぅ。」







 ──じゃり






 音がして、顔を上げる。



「ルーク……」



 そこには、ルークが佇んでいた。






「……なに」


 涙が流れたまま、そう尋ねる。



 彼はなにも言わなかった。

 ハンカチを差し出して、私に手に持っていた彼のコートをかける。そうして、そっと横に座ったきりなにも。




 ずっと私の記憶に纏わりつくローゼの、優しくて甘いミュゲの香りから、コートに残った彼のフレグランスの香りが私を守ってくれる。



 私は、何も言わずにそばにいてくれる彼から伝わる温かさに安心して、しばらくそのまま泣き続けた。













 **********








 どれだけ泣いていただろう。

 頭がぼうっとする。



「……ごめんね」



 小声で、背中にいるルークにそう言う。



 冷たい風が、涙で濡れた頬を更に冷やしていく。






「……ねぇ、エルリア様。」




 そう声をかけられて、彼の方に視線を向ける。

 ルークはいつになく真剣な顔をして私を見つめていた。





「もう、よろしいではありませんか?」





 彼の目が、優しく弧を描く。



 彼に縋りついて、泣きたくなるほどに優しく。






「この物語は、王子様とお姫様が幸せになって、終わりなのです。」






 ──クリスとローゼが結ばれて、ハッピーエンド。めでたしめでたし。






 泣きすぎてぼうっとした頭に、その言葉が響く。





 そうか、そうだったね。

 最初から、物語は決まってたんだ。






「エルリア様。」






 彼がとても優しい目をして私を見つめ、そうして本当に、本当に優しく柔らかく囁く。








「もう、この物語に()()()()()()()()()のですよ。」








 ──悪役令嬢は、要らない。








 その言葉は泣きつかれて無防備に晒された悪役令嬢(わたし)の心にいとも簡単に突き刺さる。

 心が、まるで出血したように赤黒く染まっていく。






 ──悪役令嬢(わたし)は、要らない。







「……もう、悪役令嬢(わたし)、要らない、の?」







 震える声で、そう小さく呟く。

 その声は私ではない誰かが、どこか遠くで発したように耳に響いた。






「そうです、エルリア様。」





 ──もう悪役令嬢(あなた)の出番は終わってしまったのですよ。





 ルークが、聞き分けのない子どもを諭すように、少しだけ困ったように、優しく言う。






 その表情を見て。

 そう言われて。

 そうか、と息を吐く。





 そうか。

 悪役令嬢(わたし)はもういなくていいのか。









「ねぇ、エルリア様。」






 ルークが優しく微笑んで、大切なものを呼ぶように私の名を呼んでくれる。






「貴方の幸せは、別のところで探しましょう?私がそこに連れて行って差し上げますよ。」






 私は凍えすぎていて。

 彼の温かな声が、私には嬉しくて。






「私の手を取ってください、エルリア様。」






 立ち上がり手を差し出すルークは、ただただひたすらに、優しい瞳をして、私のことをその細い目に映してくれる。





 先ほど見た、私のことを映しているはずなのに、私のことを全く見ていなかったクリスのアイスブルーの瞳が思い浮かぶ。








「ともに、皇国に行きましょう?」







 この手を取って。

 別の場所で悪役令嬢(わたし)の幸せを探す。





 そうだよ。

 優しく笑う彼の手を取ればいい。






 だって、今の私の手にはなにもなくなったじゃない。



 学友たちは傾国の馬鹿なんて言って私を蔑み。




 ……友達(ローゼ)も。



 ……(ギース)も。



 ……仕えてくれていた(エド)も。




 ……幼馴染(カタール)も。







 ……婚約者(クリス)も。








 皆みんな、

 私から離れていった。







 誰もが、悪役令嬢(わたし)なんか要らないよと言う。










 でも。



 ルークは優しく微笑んでくれる。


 守ってくれる。


 私を見てくれる。


 おいで、と言ってくれる。













『ねぇ、エルリア。


 もう、物語は終わったんだ。


 ……悪役令嬢(あなた)は、この物語から退場すべきだよ。』









 自分の声が、そう優しく心に()()を与える。


 逃げて、楽になってもいいんだよ、と。












 先ほどまで軋んで、悲鳴を上げていた心が妙に静かになっていく。
















 世界から色が、消えていく。
















 世界から音が、消えていく。




















 この手を取れば、もうつらくない。

 なら、もういい。

 もう、いいんだよ、ね。
















 ぼうっとした頭で、目の前に差し出された手を眺める。

















 優しく温かな、ルーク(かれ)の手をとろう────




















荒川弘さんの漫画「銀の匙 Silver Spoon」で、主人公が通う学校の校長先生が『生きるための逃げは有りです。有り有りです。』というセリフがあります。

作者も、そう思います。本当につらくて無理なら、逃げていい。ただ、その先で、逃げたことに苦しんだり後悔するだけじゃなくて、心から幸せになってほしい。

物語は、貴方が選んだ先に続いていく。

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