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指揮者(後)

 




 ちかちかちかちか


 目の奥で黄色い警告の光が点灯する。



 これ以上聞いてしまったらきっとハンプティ・ダンプティのようになっちゃうよ?

 彼のように、ぽっと出てぱっと落ちてすっと消えてなくなっちゃうよ?


 そう、誰かが言う。


 Humpty Dumpty sat on a wall──♪


 ほら(かれの)壁によじ登って(はなしをきいて)座って(しんじて)──?


 あとはただ落ちて割れるのを待つだけ?




 ねぇ、下を覗いてごらんよ。ほら、──が割れて転がっているよ?





 いつもの白昼夢の中から錆びた匂いが立ち昇る。






 ……しっかりしろ、エルリア!


 私は誰だ!?悪役令嬢だろう!



「クリス」


 なにか言おうとした彼を、名を呼んで遮る。


「もっともっと、踊ろう!あの子供の頃みたいに。」


 そう言って、私はステップを大きくする。ターンを早くする。

 クリスを振り回す様に、けれども決して下品にならず、優雅に見える様に。


 ダンスは社交でとても大切なものだ。それで、交渉が決まってしまうことだってある。


 私が、どれだけ父様にダンスの厳しい練習をつけられていたか。

 クリスの横にいるなら、この国で、いや世界でも一級と見られるダンスを、と父様から紹介された教師にスパルタで鍛えらえたのだ。


 無様に踊るなんて、許されない。


 ちらりとオーケストラの方を見ると、指揮者(コンダクター)としっかりと目があった。

 私がにやりと笑うと、彼は目を輝かせて、同じくにやりと笑いお茶目にもウィンクを寄こしてくれた。

 思惑に乗ってくれた!



 彼の魔法の杖が振られる。



 先ほどまで、ただただ美しく優雅だった音楽が、変化していく。

 飛んで跳ねて、そして次第に狂気すら含ませた音へと変貌する。


 音が、まるで踊りを迫るように唸る。


 さぁ踊れ!と、あの老齢の指揮者(コンダクター)が謳う。



 あの、童話の中の死ぬまで踊り続ける赤い靴を履いた少女のように踊ってみせるがいいと。





 音楽に乗って好き勝手に踊る私のリードをするのに、クリスは手いっぱいだ。

 こんなに無茶な踊り方をするのは本当に久しぶり。


「エルリア!ちょっと、ここがどこだかわかってる!?遊ぶ場所じゃなくて、社交場だよ!?」


 焦ったクリスが声をかけるが、私はその声を無視して彼の手を取ってくるりと回転する。


「もちろん。」


 わかっている。

 だが、私の淑女としての評判なんて既に地に落ちているのだ。

 私には失うものはない。

 ならば、私は貴方の言うことは聞かない。


 あの指揮者(コンダクター)の振る杖に身を委ねて、踊って(あそんで)みせる。


「もうすぐ、曲が終わっちゃうね。」


 曲も終盤だ。けど、もっと、もっとだ。

 クリスがこれ以上なにも言えないくらい、ひっかきまわさないと。


「エル、」


「クリス、最後まで、遊ぼう!」


 クリスを見てまっすぐ笑うと、彼は呆気にとられたあと破顔して笑った。

 私のこういった無茶をずっと見てきた彼だ。諦めたのだろう。


 それと同時に、先ほどまで私の動きを収めようとしていた手が、今度は開放するように大きくリードを取る。


「好きに踊って。」


 言われなくても。


 オーケストラの音がますます深みを増していく。


 もう、これはダンスのための音楽ではない。


 周りの観衆たちは、オーケストラの圧倒的な演奏に驚きつつ熱に浮かされたように目を輝かせている。



 さぁ、フィナーレだ。

 指揮者に導かれてただ一つの終局に向かう。


 素晴らしい音楽に身を任せられて楽しかった。

 こんな音楽で踊れること、人生でそうない。

 いや、きっと一生に一度の機会だった。

 名残惜しい。



 指揮者(コンダクター)の魔法の杖の最後の一振りで、オーケストラの音がまとまる。



 一瞬の静寂。



 そのあとで、耳鳴りがするほどの拍手が起きた。

 私たちのファーストダンスへ向けたものではなく、オーケストラへの賛辞のそれだろう。



 私は肩で息をしながら、クリスを見る。

 クリスは、なにも言えずにこちらを瞠目していた。


 よし、なんかわからんがきっと勝った!



 オーケストラが、その熱を失わない内に次の曲を奏ではじめ、それに乗って観衆たちが我先にとホールへと飛び出しそれぞれに踊り始める。


 うん、空気って伝染するよね!

 なにも言わなくても、皆が浮足立って、なんか今日はすごいって思っているのが伝わる。


「エル、」


「クリス!」


 私の名を呼ぶその声をまたしても遮る。


「私だって、いつまでも貴方たちにいいようにはされないんだから。悪役令嬢(わたし)だって、矜持はあります。」


 ふふん。

 そうだ。幼い頃からドSたちに鍛えらえてきたのだ。


 そういうと、クリスはふっ、と息を吐き出したと思ったら、喉を鳴らして笑い出す。


「くく、は、ははは、あ、あは、ははははははっははっ!だめだ、久しぶりに笑うと頬が痛い。」


 踊ろうとホールに飛び出してきた、カップルたちは一瞬踊るその足を止めて、呆気に取られていた。


「……あの。クリストファー殿下が高笑いされるなぞ……」


「……なにが、起こりましたの!?……」


 えっ!?あれも高笑いって言いますの!?

 なんでクリスに先越されたの!?


「面白すぎる!エルリア!」


 息も絶え絶えな様子でクリスが笑う。

 いいのかな、一国の王子がここでそんなに感情をだしても。


「……そうだね、エルリア。君はずっとなんとかやり返そうと、いつだって向かってきたものね。」


 はあ、と大きくため息をついたあとでぼそりとそう呟く。

 そして、にやりと口の端を上げて、そのよく通る声で言う。


「エルリア、君がずっと昔から私に懸想していたのは知っている。そしてこうして自身が婚約者であるという披露できる場だ。君にとって人生で最良の日だし、はしゃいでしまうのも仕方がないけど、ほどほどにね。」


「なっ!」


 既にホールに出ていた、多くの貴族たちがその言葉にああ、と納得の声を漏らす。


 ちがう!事実と異なります!などという私の声はかき消される。




 ……ああ、だからあんなにはしゃいで……

 ……まぁ、はしたない!……

 ……あのはしゃぎよう、本当に殿下をお好きなんだね……

 ……まあこういう場だ。少しくらいは大目に見てやっても……

 ……あんな残念な令嬢が……

 ……この国の未来が……、




 周りの目がまたあの最初の残念な子を見る目になってしまっている!

 おおおうい!

 あれ!?勝ったって思ってたけど、なんか逆転負けしてません!?


 私に無くすものなんてないって思ってたけど、なんか無くすもの作られてない!?


 く、くそう!

 次こそ!

 次こそ下に見て笑ってやるからな!!





 そしてもう二曲、クリスと踊って(今度は大人しくしたよ!だって、なんかやたら体をクリスに固定されたからね!もう暴れないって!)、ホールを一度抜ける。


 さぁて!お仕事だー!社交するぞ!

 こう見えても、父様に手ほどきを受けているので意外とお馬鹿なだけじゃないんですよ?

 だから、皆さん、私の顔を見ながらそんな残念そうな目をなさらないでくださいませっっ!!







 **********






告白でき(いえ)たのか?」


 カタールが笑いながら小声で聞いてくる。


「言えなかった。」


 本当は、ちゃんと伝えたかった。

 婚約者なんて言葉じゃなくて、君と未来を共に歩きたい、一緒に幸せになってほしいと言っておきたかったのに。


 ……好きだって、伝えたかったのに。


 だけど、君は、あの子供の頃のまま。

 いたずらをして怒られて、それでもめげずにまたいたずらするあの頃のままの君で。



 私がどれだけ真剣に話そうと目で訴えても、無視した。


 それを聞くまいと、踊ってみせた。



「はは、そりゃよかった。」


 カタールの言葉に苦笑してしまう。


「私にはよくないんだけどね。」


「楽しそうに踊ってたな。」


「ああ。」


 本来なら、あのような振る舞いは淑女として咎められるところだ。

 けれど、彼女はオーケストラのあの堅物な名物指揮者を動かし、聴いている観衆たちも動かした。

 あの指揮者の本気の音楽でこれだけ踊れる人間などそうはいない。

 これほど、ファーストダンスで観衆たちが歓喜したのを、私は今まで見たことがない。

 咎めるものより、彼女に乗せられた者の方が圧倒的に多かった。



 相変わらず彼女は、自身が知り得ぬところで成功を治めるのがうまい。


 彼女が作り出した賑やかな雰囲気にのせられ、多くの者の口が軽やかになるだろう。

 今この場で根回しをしておけば、良い効果が出そうだ。



「あと、男どもがくぎ付けになってたけどな。」


「……ほほぅ。とりあえず、そいつらの名前だけでも聞いておこうかな。」


 何に、とか誰に、とは聞かなくてもわかる。カタールから数人の子息の名前を聞く。


「そう、彼らも次代を支えてくれる大切な子息たちだものね。ちゃんとお話し(しつけ)しておかないとね。さて、私も社交(しごと)といこうかな。」


 感情を押し殺したいつもの笑顔を作ったクリスが場に戻ると、あっという間に人に囲まれた。

 遠目に見るエルリアは、凛として社交を続けている。


 私の色で覆われているそのドレス姿に、優越感を感じる。




 逃がさないよ、エルリア。





「ん?なにかおっしゃいましたかな、殿下?」


「いいえ。なにも。そうだ、ボレーヌ産の今年のワインの出来は……」


 つい口から洩れた言葉を、かき消すために相手方の領地の特産物の話を振る。




 今日は遮られてしまったけれど、それほど問題はない。


 だって、君は私の婚約者だもの。


 君が話を聞かないように逃げ回るなら、私はそれを追うだけだ。


 好きなだけ逃げたらいい。



 どこまでも、追ってあげる。








エルリア「いつまでもやられっぱなしの私ではなくてよ!」と暴れだす。→クリス、告白できずドS発動。ついでに「このくそ作者、お前の力量が足りなかったせいで告白できなかっただろうが。だれかこいつを連れてけ。処刑しとけ。」→作者 (((( ;゜д゜))))アワワワワ逃げ、逃げなきゃギャー―――――!捕まった!!だがエルリアをベタ甘でいじめるべく雪辱リベンジをしてみせる!I’ll be backだー覚えてろよ!(←今ここ)


エルリアが暴れるので、今回字数が多くなってしまいました。(とエルリアのせいにする作者。)読んでくださった皆様、お疲れ様です!!ありがとうございます!!


もう一つ。ハンプティ・ダンプティ(アメリカでのスラングの意味)は、エルリアの心境。

落選確実な泡のように消えていく候補者。悪役令嬢なんてヒロインが出てきたらぽっと消えちゃう道化なのかな?

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