無自覚に煽る君が悪い
ギース義兄様のターン(/ω\)
帰宅後、夕食を辞退し自室で休んでいると、突然ノックされた。
リリアかしら。もう今日は下がるよう言っておいたのに。
まぁ、あの子忘れっぽいからなぁ。
三歩歩くと私の伝えたことを忘れるって、鶏ですの?猫顔の鶏さんですの?
「どうしたの、リリ、あ?」
あれ?
「休んでいるところ、ごめんね。」
扉を開けたら、ギース義兄様が立っていた。
なんでここに!?だって今は学園の寮にいるはずだ。
「こんばんは、エルリア。」
「こんばんは、ギース義兄様。」
挨拶をすると、ふっと小さく息を吐いて微笑んでくれる。
「ちょっと、お疲れみたいだね。」
「……元気ですよ。」
すぐに言葉が出てこず、これでは元気ないって言っているようなものだな、と自分の素直さに苦笑いしてしまう。
「どうされたんですか?」
「急に戻る予定ができてね。エルリアに構ってもらいに来たんだよ。」
「構うだなんて。まるで義兄様がワンちゃんみたいな言い方をされるのね。」
そう言いながら、ギースに犬の耳が生えている様を想像してちょっと面白くなってしまった。
「お茶しないかい?この前、いい茶葉を商人の友人からもらったんだ。とても香りが良くて、リラックス効果があるんだって。」
「お茶……。」
今日はこのまま自室に籠りたかったが、せっかく義兄様が来てくださったのに無下にするわけにもいかない。
「ではせっかくですので。」
「私の部屋で良い?今から別室を使用人たちに用意してもらうのも悪いし。」
ギース義兄様のお部屋?淑女たるものが、そう簡単に義兄様とはいえ男性の部屋に入るのはいかがなものかと悩んでいると、彼はおどけて言う。
「大丈夫だよ、なにもしないから。」
湯気が立ち上り、部屋の中にふわりとハーブの香りが広がる。お茶はいつも飲んでいる紅茶ではなく、透き通った淡い黄緑色をしていた。
「どうぞ」
お茶は、まさかの義兄様が手ずから淹れてくれた。
「寮ではできるだけ自分の面倒は自分で見ようと思って練習しているんだ。美味しいといいんだけど。」
「いただきます。」
香りを吸い込むと、心なしか凝った体が弛緩していくように思えた。一口、呑み込むと熱さが舌に心地いい。
「美味しいです。お上手ですね。」
今日は色々あって考えすぎたためか頭痛がしていたが、お茶を飲むと痛みが少し和らいだ。
リラックス効果があると言っていた通り、飲んでいると眠気がやってきた。さっきまで、あんなに感情が高ぶっていたのに。実際には、ひどく疲れていたのだろう。
「眠い?」
「ごめんなさい、美味しいお茶をいただいて、緊張がほぐれたらつい。」
「大丈夫だよ。」
ギース義兄様が、私の座っているソファの隣に来て腰を下ろし、そっと私の頭を肩に乗せてくれる。
「……つらかった?」
小さな声で尋ねられる。
なにが?なにがつらかった?
「……嫌だった?」
義兄様はなにか知っているんだろうか。今日あったことを、エドからでも聞いているんだろうか。
もしそうだとしても、私は自分の感情をうまく捉えられない。つらいのか、嫌だったのか、問われても頭が混乱していくだけだ。
「ねぇ、私では、だめ?」
甘い、声だった。とろりとした、蜂蜜のように甘い声色。
ぼんやりと、その声を発した男に目線を向ける。
見慣れた義兄の月夜のような瞳。なのに、熱を帯び切羽詰まるように鈍く光るそれに、なぜか怖気づいた。
「嫌だと思ったなら、私が忘れさせてやりたい。」
そっと、触れるか触れないかくらいの力で、唇を指でなぞっていく。
「……どうして、泣くの?」
泣いている、らしい。自分で頬を触ると、確かに濡れていた。自分でも理由がわからないまま涙が流れていく。
「ごめんね、弱っている女の子に迫るなんて、紳士じゃなかったね。」
義兄様は、ふっと小さな息を吐いてそう言って微笑み、頭を抱いてよしよしと撫でる。
「送っていくよ。」
立ち上がって、手を差し出される。何度その手で、エスコートしてもらっただろう。温かくて大きな手。掌には、初めて差し出された頃より更に硬くなったタコがあった。
ふと思いつきで、意味もなく、手をのせるときにそのタコを小さくひっかくように、撫でる。
と、その手をぎゅっと握られて持ち上げられた。
「いたずらっ子だね、エルリア。そうやって、無自覚に煽るのは、君のよくない癖だよ。」
少し怒気をはらんだ低い声。いつも穏やかな義兄様の顔が、歪んでいた。見たことのない、表情。
「いたっ!」
ギース義兄様に掴まれた指を、噛まれた。
「ギースに、い、さま?」
義兄様の眇められ暗く光る双眸に見つめられて、怖気づく。
痛いと思うほどの強さで噛まれていた指を、今度は甘噛みされる。
手を引き抜こうとするが敵わず、甘噛みは今度、指への口づけに変わる。
「……やめて、義兄様。」
震える声でなんとかそう告げる。
義兄様は掴んでいた手を離し、頭を抱えてはぁと大きくため息をついた。
「ごめんね、かっとなった。修行が足りないね、私は。……部屋まで送る。」
義兄様が踵を返して、私の部屋の方向へと向かう。
もう、エスコートと言ってその手を出されることはなく、私は前を歩く義兄様の足元だけを見ていた。
部屋の前にたどり着くと、ギース義兄様はいつものように穏やかに、優しく微笑んでくれた。
「おやすみ、エルリア。」
「おやすみなさい、ギース義兄様。」
だが、私は彼を直視することができなかった。
ただ、俯いて挨拶を返す。
部屋に入りベッドにその身を預ける。
考えるのはなにもかもを放棄して、その中でただ安寧が訪れるのを待った。
次回からまたお馬鹿なエルリアに戻ります。乞うご期待!?




