邪悪な壁ドン
クリスのターン(`・ω・´)ゞ
怒りをぶつける様に足早にクリスが待つ部屋に突進する。不審人物を止めようと部屋の前の護衛たちが立ちはだかろうとしたが、それがまさかの婚約者であると気が付き躊躇いながら扉の横に寄る。
「ごきげんよう、クリス!」
「おや、エルリア。遅かったね。」
ばーん、と効果音がつきそうなほど勢いよくドアを開けられても、クリスはまったく気にしていない。というか私のこういった令嬢らしからぬ行動には慣れているので、動じない。
「カタールに会ったので。それより!なんなのあのドレス!?」
「ああ、届いたんだね。」
「ええ、届きましたわ。ドレスを贈ってくれた行為自体にはお礼を申し上げますわ。どうもありがとう!でも、あれはないわ!」
「まぁまぁ、落ち着きなよ、エルリア。」
クリスがソファから立ち上がり、私に向かって歩を進める。カタール同様、同じような背丈だったのに、いつの間にやら成長し見上げないと目線が合わない。
美形は相変わらずだ。キラキラとエフェクトが見えそうだ。
「ところで、どうしてこんなに髪の毛が乱れているの?」
髪を一房掬われて、問われる。その動作に、私をまっすぐ見据えるカタールの双眸を思い出して胸が高鳴り、そして、なぜそんな反応をしたか己のことなのに理解できず狼狽して視線を彷徨わせた。
その様子を見ていたクリスが微動し、目を眇める。
「これは、カタールが……」
「カタール?カタールと髪が乱れるようなことでもしてきたの?」
「なんかその言い方だと語弊があるわ!」
わざとらしい言い方をしたクリスを見上げた瞬間、その薄氷の如くに冷えた視線に絡められて心臓が縮みあがった。
「ねぇ、君はだれの婚約者か覚えてる?」
手に取られた髪をつい、と上向きに引っ張られる。
「えっと、あの、クリス……?」
名前を呼べば、なに、と優しく微笑むけれど、その目は笑っていない。
クリスは怒っているときや感情的になったとき、よくそうした心の伴わない冷淡な笑みを浮かべる。怒りや悲しみといった感情に振り回されないように、落ち着いて思考できるように、笑みを浮かべて深く呼吸して、冷静にあろうとし、自分の中のバランスを取ろうとする。
あれ、これなんか怒ってるんじゃない?
驚愕して私は一歩後退る。けど、クリスはその分追いかけてきて、更に逃げようとして追い詰められていく。やばい、このままでは壁に追いつめられてしまう。
よし、にげよう!
避難路である扉の方を見て逃走経路を確認し、走り出そうと息を整えた。
が、結局逃げられなかった。
「だーめ。」
腕を取られて、私はクリスの腕の中に呆気なく確保された。その強い力と、反した軽い物言いになぜか背筋に冷たいものが走った。本能が告げている!ここから逃れなくちゃ!
「はなして!」
身を捩って彼の腕から逃れようと暴れていたら、今度は私を自分の体と壁で押さえつけられ、両腕を壁に固定された。
わ、わぁ、これっていわゆる、壁ドンだよね。
イケメンの壁ドンだよ、エルリアやったね!前世ではこんなシチュエーション憧れてたんだ!
って、いや、よくねぇよ!
怖えええよ!こんな邪悪な笑みで壁ドンなんて全然胸キュンしねぇよ!もっとキャッキャウフフなやつにしてくれよ!あと顔が近ぇよ!
「ねぇ、ほら。君がだれのものか言ってごらん。」
アイスブルーの瞳が私を射すくめ、焦れたようなくぐもった声が耳朶を打つ。
「私、は、ものではありませんわ。」
とつかえながらも、返事を返す。思わず声が小さくなり、弱弱しくなってしまう。
「エルリア?」
名を呼ぶ声のトーンが一層下がり、すっと目を眇められた瞬間。
「はい、すみません。私、クリスの婚約者(一応)でした。はい。」
習慣って怖いですね。
父様に逆らうと後が怖いのでいつもすぐに謝っていた癖が、まさかここで出るとは。私、今確実になにかに負けたよ。負けてはいけないはずの勝負に、負けちゃったよ。
「よくできました。君は私の、だよ?」
クリスは満足げに微笑むと、こつりと額同士をくっつけ、視線を合わせてくる。
あまりの近さに一瞬思考が止まる。その間にクリスの手が頬を包み、そっと顔を持ち上げられる。強い力ではない、本当にそっとだ。だからきっと、正気ならそこから顔を背けられたはずだ。だが、頭が真っ白になっていた私には、瞠目してただ見ているだけだった。
口づけをされるのだ、と頭の片隅で妙に冷静な私がいた。
あと数ミリ、というとこだったと思う。
急にクリスが動きを止めて、後ろを振り返って身構える。
腕を解放されて、一気に恥ずかしさがこみ上げた
「ねぇ、君誰?そして誰が入室を許可した?」
「申し訳ありません。主の危機だったのでついでしゃばっちゃいました。」
「エド!?」
クリスから体をずらして覗いた先に立っていたのは、ニコニコと笑うエドだった。
「知り合いか?」
「ええ、私の護衛です。エド、護衛とはいえ勝手に殿下の私室に入ることは許されませんよ。クリス、護衛の不敬は私が謝ります。申し訳ございません、今後このようなことがないように言い含めますので、此度のことはお許しいただけないでしょうか。」
私はクリスの元を駆け出し、エドに注意する。ああ、でもエドのおかげで助かったのだ。ありがとう!ナイスだエド!と心の中でぐっと親指を立てる。
クリスははあ、と大きくこれ見よがしなため息を吐いた。
「君の頼みだものね。でも、今後は気を付けて。」
「大変申し訳ございません。」
私とエドと一緒に頭を下げる。
「じゃあ、続きをしようか。」
え?と思ったら、後ろから抱きしめられていた。その恥ずかしさに、一瞬で体が熱を発し頬が火照っていく。
「ちゃんと紹介して?私が君のなんなのか。」
紹介!?この格好で!?
「いえ、あの、紹介はしますので離れていただけませんか?」
「いやだ。むしろ、護衛なら私たちのこういう睦みあう姿に慣れておいてもらわないと。」
そう言って、クリスは私の頭の天辺にキスを落とす。やめろ!どいつもこいつも乙女心を弄びやがって!そして、睦みあってないし今後もそのような姿をみせる予定もない!
どうあっても離れそうにないクリスに大きく嘆息してから、それぞれの紹介をした。
「ごめんなさい、エド。普段はもうちょっとしっかりした方なんだけど。クリス、こちらはエド。父が私につけてくれた護衛なの。エド、こちらクリストファー殿下よ。先ほどのカタールと三人、幼馴染だからかこうしておふざけされることがあるの。」
あえて婚約者という言葉をつけずに紹介したのだが、それがお気に召さなかったらしい。クリスがその説明は不十分でしょう?と私の手をにぎにぎと握って早く言えと促す。これは逆らっても、無駄だと経験的に悟る。
「私とクリストファー殿下は婚約しているのよ。まぁ、きっと解消されるでしょうけど。」
「余計なことは言わなくていいよ、エルリア。そして、解消するつもりは一切ない。」
更に言い合いになりそうだった私たちの会話を切って、エドがクリスに挨拶をする。
「エドです。僕の主ともども、どうぞよろしくお願いいたします、クリストファー殿下。」
「こちらこそ、私の婚約者をよろしく頼むよ。」
クリス殿下はわたくしの腰をグイと引き、頬にキスをした。
「なっ!」
「そんな可愛い顔をしないで。もっと食べたくなってしまう。」
だれが可愛い顔をした!むしろ拒絶の目だ!と口を開こうとしたとき。一瞬だった。
触れるか触れないか。柔らかいなにかが、唇をかすめた。
唇が、重なったのだ、と遅れて理解する。
初めはなにが起きたのかは理解しても、頭がそれを拒否していたのか呆然として凍り付いた。
そうしてしばらくしてから、一気に衝撃が走って私の体は理屈ではなく本能のままに動いた。そう、ぱーん、と目の前にいる男の頬を高らかに打ち付けて駆け出していた。王子だってことは忘れていた。
「「エルリア!」」
後ろからクリスとエドが名前を呼ぶ声が聞こえてきたが、私はやってきた羞恥やら憤りやら戸惑いやらの絡み合った感情に揺さぶられて混乱して、立ち止まることはできなかった。
**********
クリスはエルリアを追いかけるのを護衛に任せ、部屋でエドと二人になっていた。
「エド、といったかな。人の婚約者を物欲しそうに見るのはやめてもらおうか。あれは、私のものだ。」
はっ、とエドは息を短く吐いて顔を歪ませ嘲るようにクリスに向け冷笑する。
「エルリアの顔、見なかったの?あんな辛そうにして。今頃泣いているよ、可愛そうに。あんた、よっぽど嫌われているんだねぇ。」
「彼女は私たちが純粋に育ててきたから、口づけは刺激が強すぎて驚いたんだろう。しかし、エルリアにも困ったものだ。美しく甘い匂いに、すぐに虫を引っかける。」
「あんたも虫だろう?」
「彼女に惹かれたという意味では、ね。ただ、彼女を好きにできるのは、婚約者である私だけだ。お前は、指を咥えて私と彼女の行く末を見ていればいい。」
仄暗く燻っていたエドの瞳の中の炎が、一層渦を巻くようにして燃えていく。
クリスを睨み、しね、と小さく呪いの言葉を吐いて、煙のようにエドは消えた。
「……あれが、ウィスタンブル侯爵家自慢の影、ね。厄介な。」
エドが消えた空間を見つめながら、クリスはまた現れた彼女を慕う輩に忌々し気に小さく舌打ちをする。
そうして、はた、と気づく。またエルリアに近づく男に過剰に反応してしまい、思わず口づけた彼女の柔らかな唇を。
思い出して、頭に血がのぼってきた。
やってしまった……!
可愛さのあまりについ口づけをしてしまったけれど!きっと彼女だって初めてのキスには夢も理想もあっただろうに!あんな簡単に奪ってしまうなんて!
クリスはその場にしゃがみこんだ。
あああ、本当に嫌われたらどうしよう!?
ばーーーん
先ほどのエルリアと同じように、なんの前触れもなく扉が勢いよく開け放たれた。
これは、エルリアの他にはあいつしかいない。
「……カタール。」
「いよう、殿下!さっきエルリアと会ったけど、ここに来てないのか?」
「……お前、そういえばエルリアの髪が乱れてたの、なにしたんだ?」
「大したことしてないぞ。撫でまわして、髪にキスしただけだ。」
髪にキスした。前だったらふざけるなとカタールに食ってかかっただろう。
そして昔から、この側近は僕の婚約者に対しての好意を隠すことがない。
「あの、エドってやつに会ったか?挑発されて、つい、俺たちのものだ、って感情がわいてしまってさ。」
「俺たちのじゃなくて私のだ。私も冷静さをなくしていたようだ。つい、キスをしてしまった。」
無意識のうちにカタールへの牽制も含めて発した言葉により、空気ががちりと氷のように固まった。
「髪に?」
「頭にもしたな。」
「頬に?」
「頬にもしたな。」
「……それ以外に、どこにキスするんだ、クリス?」
「唇にも、した。柔らかくて、ほんのり温かかった。」
どこか亀裂が入ったんじゃないか、というくらい部屋の気圧が下がっていく。
……。
…………。
「は、ははは。」
「はははははは」
「ははははははは。」
カタールはしばらく、クリスの両肩をバンバン叩きつづけていた。タンバリンをたたき続ける猿のおもちゃを思い出す。
どれくらいそうしていただろう、ふぅとカタールが一息つくと、ここ最近で一番爽やかな笑顔を見せながら親指を立てて下に向けた。アウト!それ、やっちゃだめなやつだよ!教育に良くないやつだよ!という声がするが、今のカタールには届かない。
「よし、訓練場行こうぜ、クリス!殺してやるぜ!」
「ははははは。そろそろ、エルリアの周りの虫を排除しないといけないしね。受けて立ってやるよ!」
廊下を歩く二人は、笑顔だがそのあまりの殺気に、だれもが逃げて行きましたとさ。




