恋は急かされると成長する
この度、北海道地震により被災された皆様、また台風の被害に合われた皆様、心よりお見舞い申し上げます。そして、一日も早く、落ち着いた生活に戻れるようお祈り申し上げます。
「エルリアのとこに養子が入ったってな。」
カタールは僕の私室で素振りをしていた。
「カタール、いつも言うけどここで素振りはやめなさい。物が壊れそうで怖い。侯爵家の血筋の、ウランディア伯爵のところの息子だね。二人兄弟の弟。」
「ああ、あの優秀だって噂の。顔が良くてなよっとして見えるけど、実は剣の腕もいいって知り合いの騎士が言っていたな。」
「らしいね。兄もまぁ優秀だし人柄もよいけど、能力で言うと弟の方が優秀で、周りが不憫がっていたしちょうどよかったんじゃないかなぁ。」
「ふーん。たしか、ご令嬢にも人気あるんだよな。」
「……。」
「俺の母さんも褒めまくってたな。剣の腕も立つ上に、父さんと違って紳士的で女性への気遣いができて、将来が有望だー!って。」
「……。」
「そんな男がエルリアとひとつ屋根の下。」
「……。」
僕は手にしていた本をぱたりと閉じた。
「カタール、エルリアのところに遊びに行こうか。」
「おう!ちょろいな、クリス!」
「今不敬なことを言ったのは、この口か?」
「いひゃいいひゃい。」
カタールの頬を思いっきりつねる。
まんまとカタールに誘導されたとは思うのだけれど、一度エルリアの義兄に挨拶に行き、人柄を見るのもよいだろう。
でもまぁ、兄妹となった二人になにが起きるわけもないとは思うが。相手だって養子になるんだから、僕とエルリアの婚約が内定したと知っているだろうし、心配はないだろうけど。
なんて思っていたのだが、着いてそうそう、これはどういう状況かな?
「あの、ギース義兄さま、図書室に行くだけなので、お手を借りなくても大丈夫ですよ?」
エルリアは困ったように、その男に微笑んでいた。男の髪は紺色だが、光に照らされ透けた部分は美しい青色だった。胸元くらいまでありそうな髪を後ろで一つに括っている。が、その結わえている紐がエルリアの髪色と瞳の色だったことがまず気に食わない。
「心配なんだよ、可愛い妹が。それとも、エルリアは僕に触ってほしくない?」
なんて言って、男は悲し気な顔をして、エスコートしようとしていた手を下げる。
エルリア!騙されるなよ!そんな悲し気な顔しているけど、ぜったい嘘だからな!信じるなよ!
「いえ、そんなことは!ギース義兄さま!」
エルリアはあっという間に騙されて、ギース義兄さまと呼んだ男の手を掴む。
なんてダメな子なんだ、エルリア……!そんなころっころと掌で転がされてどうするの?
「よかった!じゃあ、早速、案内してもらえる?」
ギースがエルリアの顔を覗き込んで、にこりと笑う。
「あ、あの、ギース義兄さま、お顔が近い、よう、な……。」
エルリアは頬を染めて、俯く。
なにあれ、可愛いんだけど。なんでそんな顔、僕じゃなくてそいつにむけてんの!?
入ってすぐの階段上でそんな劇場が繰り広げられていて、彼女が階下の僕たちに気づいたとき、びくりと怯えて後退ったので、きっと僕たちはすごい顔をしていたのだろう。
**********
「紹介してくれるね?エルリア。」
急にクリスとカタールが遊びにやってきた。
おい、いつも言っているだろう、事前に連絡してから来い、と。大事だよ、報連相!
あとなんか怖いよ、クリス!カタール!殺気立ってないかいお前さんら。
「クリスさま、こちらがギース=ウィスタンブルお義兄さまです。先日我が家に養子に入ってくださったのです。ギース義兄さま、こちらはクリストファー殿下と側近のカタール=カルタゴさまです。」
「ギース=ウィスタンブルです。クリストファー殿下、カルタゴ様、お会いできて光栄です。エルリアともども、これからよろしくお願いいたします。」
「ああ、こちらからもよろしくお願いする。エルリアは僕の大事な婚約者だから、ね。」
待て!わたしはまだ認めていない!きっとまだ挽回でいる手立てがあるはずだ!
「まだ正式発表されていないのでは?」
なぜか険のある言い方をするクリスに、ギース義兄さまはにこやかに対応する。
「それに、兄として妹とは上手くやっていきたいのですよ。ねぇ、エルリア。」
横に座っていたわたしの顔を覗きこんで言われ、それに笑顔で頷く。そりゃあ、ゲームのように嫌われているにも関わらず、美形の兄にヒロインが近寄ったらそれを邪魔して、結果義兄に影使って見知らぬ地に追放(野垂れ死ぬやつだよそれ!)されるより、良い関係を持ってヒロインに嫉妬せずに何事もなく過ごしたい。
「エルリア、お前ちょっとこい。」
呼ばれて、カタールとともに席をたつ。なんだ?
「なによ、カタール。」
「お前、あいつの前では猫かぶれよ。なんであんな素で対応してるんだよ。」
猫?え、かぶってるよ。かぶってちゃんと令嬢らしくお淑やかにしているよ。見えないのか、あの擬態した姿が。見えないならお前の目は節穴だ!けっしてわたしの擬態が下手なわけではない!
「最初の頃に見せたあの我儘放題傲慢なエルリアの仮面つけろよ。あんな素で男に笑いかけるなよ。」
まさかのそっち!?それ猫じゃないよ!悪役だよ!
「いやいや、なんでよ。なんでそんなもんかぶらなきゃならないのよ。」
「じゃないとっ……。」
そこで、カタールは口を噤んだ。そして、あー、とか、うーとかひたすら唸る。考えるより、先に口にでるカタールが、である。
「大丈夫!?よっぽど体調悪い?」
ひょい、とカタールを覗き込む。瞳が合うと、カタールは目を見開いてうっと息を飲み込む。
はあ。
カタールがため息をつく。
「お前、そんな隙だらけで。ああ、くそっ」
え、舌打ちされた。なんか怒られているらしい。なぜだ。
「いいから、俺も殿下も、お前に男が近づくのが嫌なんだよ。」
「はぁ?男って、お義兄さまだよ?大体、なんでそんなことカタールたちに言われないといけないのよ!?」
「お前は俺たちのおもちゃだろうが!」
しーん
「……おもちゃ、ね。おもちゃ遊びがしたいなんて、まだまだクリスさまもカタールもお子さまなのね。」
「ちがっ、まちがっ!」
「ああ、でも。令嬢をおもちゃだなんて、お二人ともギース義兄さまに紳士とはなんぞやを、学んだほうがよろしいのではないかしら?」
それだけ言い残して、わたしはカタールを置いてさっさとお茶の席に戻る。
そこには、不機嫌そうなクリス殿下と、いつも通り微笑んでいるギース義兄さま。
こちらもどうした、この微妙な空気は。
「おかえり、エルリア。そろそろ戻ってくると思って、温かいお茶をお願いしたところだ。」
お子さまな後のこの大人な対応は心に来るものがあるなぁ。
「まぁ、ギース義兄さま、ありがとうございます。」
のろのろと、カタールも席に戻ってきた。
「ねぇ、ギース義兄さま、これからもわたくしと仲良くしてくださいね。」
とびっきりの笑顔を作りそう言うと、義兄さまは嬉しそうな顔をしてもちろんと頷いてくれた。
これは、カタール様に感謝だな、その呟きはクリスとカタールの耳に届き、更にお茶会の雰囲気が険悪になっていったが、エルリアの興味は既に料理長お手製のケーキに移っており、まったく気が付かなかった。
**********
カツカツカツ
王宮内の奥まった回廊を足早にクリスが歩いていく。
父上の私室にたどり着くと部屋の前の護衛たちに取次を願い、その間に一息落ち着けた。入室の許可が下り、僕が歩を進めるといつもよりくだけた服を着てソファに寝そべる父上がいる。
その姿さえ、どこか気品を感じるから不思議だ。
「どうした、クリス。お前が私の部屋に来るなぞ珍しいな。」
父上は目を細め、急にやってきた僕を探ように見る。
声を聞くに、少し機嫌がいいらしい。口にだす言葉の端がいつもより柔らかく聞こえる。ただし、この剛柔をわかる人間はほぼほぼおらず、ほとんどの人間が剛しか感じないだろうが。
「お願いがございます。」
「なんだ、言ってみろ。」
「エルリア=ウィスタンブル嬢との婚約を正式に発表していただきたい。」
表情はまったく動かないが、ほんの一瞬だが父上の瞳孔が開いたのを見て、彼が内心でなにかにひっかかったのだろうと想像する。
賢王と呼ばれる父上は、その無表情にすべてを隠す。無表情の父上に無言で見つめられて、聞かれてもいないのに自分が働いてきた悪事の尻尾をそうと気づかず話す家臣や、弱みと成り得る国の内情の一端や思惑をこぼしてしまう腹に一物持った他国からの使者が、父王の前でひどく狼狽え真っ青になる様子を何度か見たことがある。ただ、無言でいる、それが相手の焦燥を煽り、弁明しようとして、または優位に立とうとしてボロを出す。父上は、自身の美貌や威圧感を味方にして、より優位に自分を保つ方法を知っている。
僕は見習わなくてはならない。目の前の人から逃げるでなく、追いつき、いつか追い越さないといけない。だから、真似をするだけではだめだ。彼と僕のやり方はちがう。
焦って自滅する姿を無言で待つ父上に、僕は微笑んで見せる。
「僕は、エルリア嬢が納得していないという言葉を盾に、彼女の他に、僕……いえ、『次期国王』に相応しいご令嬢がいないか探していました。しかし、お茶会から半年。王家に地位的に釣り合い、かつ、次期王妃として相応しい女性はついにお会いできませんでした。時間は有限です。これ以上、この婚約話に手を取られる必要がないよう、この問題については早々に決着をつけたく彼女を婚約者として正式発表いただきたいのです。」
しばらく無言で目線を交わしあったその後に、本当に珍しく、わかりやすく父上が唇の端を上げて「笑み」のようなものを表す。
「お前は、あのご令嬢でよいのかい?それが本当に最善だと、考えているのか?」
「彼女と僕が治世を築くのはまだ先のこと。今の時点で最善かはわかりません。逆に言えば時間はあります。もしその時期が来て、彼女がそれに相応しくないのであれば。」
そこで、一旦言葉を区切る。顔を上げて、僕と同じ薄氷の瞳を見据える。
作り物のような、灯りの反射で灰色にも見えるアイスブルーの、王としてなら切るべきものには容赦をせずに切り捨てる瞳。僕にもその血は受け継がれている。
「切り捨て、別のものを据えるのみです。」
しばらく父上は、真意を図ろうと感情を閉じ込めた双眸で僕を見つめていた。
「まぁ、よいだろう。ウィスタンブルのとこの娘は悪評が高かったが、今は鳴りをひそめているらしいし、お前が良しと言うのだ。願いは、ひとまず聞いておいてやる。」
実行に移すかは別だが、そんな声が聞こえてきそうだ。
何はともあれ、父上に僕の願いを伝えられて一息をつく。
「まぁ言い訳には及第点をやろうか。しかし、ウィスタンブルの娘に会いに行ったその足で駆け込んできては、言い訳と行動が合わずなにがあったか勘ぐられるぞ?例えば、新たにとった養子の兄に嫉妬して自分のものだと宣言したくなったのでは、なんてな……。」
その言葉に取り繕った仮面が外れ、僕は無様にも慌てふためいた。
「……父上、貴方もお人が悪い。」
「ふふ、お前が私とやり合うにはまだまだ早いな。精進しなさい。」
はい、と力なく項垂れ、指摘された感情にまだ頬が火照るのを抑えて退室の礼をする。
そうしてしばらくして、願いを聞き入れてくださった国王陛下より正式に婚約が発表された。
ねぇ、エルリア?これでもう、逃げられないね。
このあたりから、一話が少し長くなる予定です。書きたかった溺愛シーンに突入予定。ストーリーが薄くてごめんなさい。
お子様な二人(クリス、カタール)が自分たち以外にエルリアに近づく男を見て、このままじゃ取られちゃうと危機感を持つ話です。クリス、君は嫉妬して駆け足で僕のものだーって婚約発表しようとする、その辺がお子様だって言われるんだよ?
あと、カタール、お前女の子に『お前は俺たちのおもちゃだろうが!』ってなんつーお馬鹿な失言を。
本当は、『お前は俺たちとだけ仲良くしてればいいじゃん、他のやつらなんて、おれたちの中にいらないだろう?』という閉じた世界にエルリアを置いておきたい男の醜い嫉妬です。