転生
僕、大山雅俊には父親がいない。
母が言うには、僕が生まれる前に亡くなってしまったらしい。
母は両親や親戚もいないため、誰にも頼らずたった一人で僕を育ててきてくれた。
そんな母に、僕はとても感謝している。まだ15歳になったばかりだが、将来は母に楽をさせてあげたいと思っている。
母は現在45歳。しかし見た目は年よりも若く見える。そのためか、授業参観などでも同年代の親たちと比べても遜色はなく、会話で年齢を話して驚かれることもあるようだ。
僕は今年受験を控えており、三者面談では母の姿に驚く先生も多い。
そして今日も、三者面談を終えて家へ帰ってきたばかりだった。
「まーくん、このままいけば志望校にも合格できそうね」
三者面談の結果を聞いた母は嬉しそうにいう。まーくんというのは僕のことだ。正直恥ずかしいのでそう呼ばないでほしい。
「うん。母さんには小さい頃から迷惑もかけたし、いい学校に入っていい会社に就職して楽にさせたいから頑張るよ」
「あら、ありがとう」
母はニコニコと笑っている。
僕が志望している高校は、県内トップの偏差値を誇る名門校だ。全国で見ても五指に入るほどで、入試の倍率も高いため入学は厳しいと言われてきた。
しかし母を楽にさせてあげたいという一心から僕は懸命に勉強をし、二か月後に受験を控えた今ではもう射程圏内にまで入っている。内申点も申し分ないため、このままなら合格することも難しくないようだ。
「今日も夜勉強するから、母さんは先に寝てていいよ」
「わかったわ。あまり無理をしないようにね」
母は心配そうな目を向けながらも了承した。
夕食と風呂を済ませた後、僕は勉強を開始する。今日も夜遅くまで勉強をするつもりだ。もちろん明日も学校があるので、差し支えが出ないようにほどほどに済ませるが。
勉強を始めてから何時間が経っただろうか。流石に少し疲れたので休憩することにした。
「気分がてら、散歩でもしてこようかな」
本来ならば中学生が外に出ていい時間帯ではないが、勉強ばかりではストレスもたまるのでやむを得ないということにしておこう。
僕は寝ているであろう母を起こさないように静かに外に出た。
夜遅いため、辺りは静まっている。この静寂な時間がたまらない。こころなしか、夜に吸う空気は昼間と比べると美味しいような気がする。
「お腹減ったから夜食とか買いたいけど……」
僕は背丈は中学生相応なため、深夜にコンビニに入るのは勇気がいる。店員はそんなことは気にしないだろうが、なまじ優等生のように育ってきたため、あと一歩が踏み出せなかった。
「まあいいや。家にあるもの適当に食べよう」
散歩を切り上げて僕は家に帰ることにした。
帰ってきたときも出かけるときと同じように静かに入る。そして足音を立てないように台所へと向かい、適当に食事を済ませた。
「後少しやったら寝ようかな」
食事をとったからか、眠気も出てきたので勉強は少しだけやって寝ることに決めた。
「雅俊、おはよう」
翌朝、学校で友人に声を掛けられる。
「おはよう」
「勉強はどうだ?」
「順調だよ。このままなら志望校にも合格できるかも」
「おー、流石だな。県内一の高校に進学か」
「そうは言っても、まだ油断できないけどね。とりあえず模試の結果待ちかな」
そう、合格するまでは油断できない。
ここで油断して勉強を怠ってしまっては、これまでの苦労が水の泡だ。
「あ、そういえばさ、お前最近噂になってる話知ってる?」
「どんなの?」
「神隠しだよ。30年前と15年前にこの学校で行方不明になった生徒がいたんだって。二人とも現在も姿が見つかっていないから、神隠しにあったんじゃないかって言われてるんだ」
「へえ、なんか興味深いね」
「だろ? オカルト研究部の奴が広めててさ、なんか現実味があって面白いんだ」
友人は目を光らせながら語る。
「ちなみに神隠しにあった生徒は男子生徒、女子生徒?」
「えーと、確か両方とも男子生徒だったはず。なんと俺たちと同じ学年だったらしいぜ」
「へえー」
同じ学年か。中学三年生で突然いなくなるなんて、その親もショックだっただろう。
「それでこの二つの神隠しって、15年周期で起きてるから、今年も誰かが神隠しにあっちゃうんじゃないかって噂が出てるんだ」
「確かに、偶然かもしれないけど怖いね」
「な。だからお前も一応気を付けた方がいいぞ。せっかく県内一の高校に合格できそうなんだからさ」
「そうだね」
神隠しに合わないように、帰りに神社にでも寄って行こうかな。ついでに合格祈願も。
数日後、模試の結果が出た。この調子なら志望校も大丈夫そうだ。
僕は母にその結果を見せるため、寄り道もせずに真っ直ぐ帰宅した。
「母さん、いる?」
家の中に向かって呼びかける。しかし返事はない。
「まだ帰ってきてないのかな……」
庭を見てみるが、そこにも姿はない。
「あ、もしかしたら……」
僕には心当たりがある場所があった。それは庭にある小さい倉庫だ。
この倉庫は僕が生まれる前からあるようだが、小さい頃に入ろうとしたら母にひどく怒られたため、それ以来近寄っていない。
小さい頃はむやみに触ると危険だから怒られたのだろうが、今はもうそんな心配はない。倉庫に母がいないか確認しに行ってみた。
しかし、そこにも姿はない。
「じゃあ、やっぱり帰ってきてないんだ」
仕方ないのでテレビでも見て待ってようかと思ったその時、僕はふと倉庫の方を見た。
「……この中って何が入っているのかな」
考えてみれば、僕はこの倉庫の中に何が入っているのかを知らない。小さい頃から一切立ち寄っていないこの場所に、何が入っているのかは正直気になる。
「ちょっと見てみようかな」
普段この倉庫は鍵がかかっているが、その鍵の場所はわかっている。母の部屋にある机の引き出しに入っているのだ。以前母が鍵をしまう様子を見たことがある。
「ごめんね、母さん」
僕は母に謝りながら部屋に入り、倉庫の鍵を手に入れる。
そして外にある倉庫の扉を開けた。
倉庫の中は、驚くほど綺麗に掃除されていた。日ごろから家の中も綺麗に掃除する母らしい。
倉庫には多数の段ボールが積まれていた。僕はその一つを開封してみると、そこには写真が入っているアルバムがあった。
「もしかして、僕が生まれる前の母さんや父さんの写真があるのかな」
父は僕が生まれる前に亡くなったため、一度もその姿を見たことがない。写真はないのかと尋ねたこともあったが、母はないと言っていた。
僕は少しの期待を添えてアルバムを開いてみる。そこには僕と同じくらいの少女の写真があった。名前も書いてある。母の名前だ。
「この子は母さんの小さい頃か」
少女の姿から、現在の母の面影を感じる。
「父さんの小さい頃の写真はないのかな」
ペラペラとアルバムをめくってみた。そこで僕は衝撃的な写真を見つけてしまった。
それは、僕と同い年くらいの母が赤ん坊を抱えている姿だった。
「え……?」
年齢を逆算すれば、僕は母が30の時に生まれた子供だ。しかしこの時の母はおよそ15歳ほどに見える。つまりどう考えてもこの写真の赤ん坊は僕ではない。
「僕に上の兄弟がいたのか? それともこの子は母さんの弟か妹……?」
疑問が解決しないまま、アルバムの次のページをめくる。そこで僕は再び衝撃的な写真を見つけた。
その写真には、二人の少年少女が写っていた。年齢は15歳くらいか。少女の名前は先ほどと同じく母の名前だったが、少年の名前は雅俊と書かれていた。
「え……?」
そう、その名前は僕と同じだった。とはいっても、たまたま母の同級生に同じ名前の子がいたのかもしれない。
「でも、仲良さそうだな。もしかして母さんは初恋の人の名前を僕につけたのかな」
だとすると、少し父さんが可哀想だった。
アルバムを見終えた僕は、次に段ボールの中に入っていたビデオカメラの映像を見てみることにした。
同じ段ボールにビデオテープが入っていたので、それを挿入してみる。
その映像を見たとき、僕はこれまでの写真の衝撃を上回るほどの脅威を味わうことになる。
「え……」
その映像には、母が出産をしているときの姿が映っていた。
『ふふ、帰ってきたね、まーくん』
ビデオ内の母が放った言葉の意味がわからなかった。帰ってきたとはどういうことだ?
『今度は、幸せになろうね……』
自分の赤ん坊に対して絶対に見せることのないような表情を、ビデオカメラの母は見せていた。
そう、それはまるで恋人に向けるような表情だった。
「なんだ、これは……」
うろたえていた僕の元に、声がかけられる。
「まーくん……?」
その声を聞いた僕は、背すじが凍るような悪寒に襲われた。
聞きなれた母親の声だが、何故かとても怖い。
「か、母さん……」
「ああ、なんだ。そのビデオを見てたの?」
母はニコニコした表情で言った。
「これって、一体どういうこと……」
僕は恐る恐る尋ねてみる。
「どういうことって、私たちの思い出、でしょ?」
「は……」
「もう、忘れちゃったの、まーくん。まーくんは15歳の頃に一度死んじゃったけど、こうやってまた生まれ変わってきてくれたじゃない。私の元に転生してくれたでしょ」
この人は何を言っているんだ?
人間が転生? そんなこと、あるわけないだろう。
「な、何言ってるの母さん。転生なんてそんなことあるわけないじゃないか」
「……まーくん?」
その途端、母の目から感情が消えたような気がした。
「小さい頃に約束してくれたじゃない。私と将来結婚してくれるって。私嬉しかったんだ。小さい頃から両親も親戚もいなくて独りぼっちだった私に、まーくんは優しくしてくれた。僕が一生傍にいてあげるって。何があっても、二度と私を一人にしないって言ってくれたじゃない」
母は感情が一切こもっていない声で語る。
「でも30年前のあの日、私に赤ちゃんができたって言ったら、まーくん逃げちゃったよね。追いかけて捕まえたら、まーくん動かなくなっちゃった」
母は狂気と恍惚が入り混じった表情で言葉を続ける。
「私が赤ちゃんを出産したとき、気づいたの。まーくんが転生して帰ってきてくれたって。だから私、あの時の答えを聞くまで育てていこうって思ったんだ」
そして再び感情がない表情になる。
「でも、15年前にあの時のことを聞いてみたら、何も知らないっていうの。忘れちゃったのなら思い出させてあげるよって、この倉庫にある写真を見せたんだ。そしたら、まーくん体を震わせながら泣いてたよね。全てを思い出せたから嬉しかったのかな」
母が俯く。これでは表情が見えない。
「でも、あのときはショックだったな。私に向かって『寄るな!』とか『触るな!』とか暴言吐かれて。まるで汚物を見るような目をしていたから、嫌われちゃったのかと思った。でもあの時私と結婚してくれるって言ってくれたから、またまーくんと愛し合ったんだよ」
母がジリジリと僕に近づく。
「数日後にまーくんの赤ちゃんができたって言ったら、またまーくんは逃げ出そうとしたよね。『また一人にするの?』って聞いたら、『僕はそんなこと知らない』って。そのとき私気づいたの。まーくんはまだ忘れたままだったんだって。だから思い出させてあげようとしたら、またまーくん動かなくなっちゃった」
一歩ずつ、確実に近づいてくる。僕は腰が抜けて立てずにいたが、必死に後ろへ逃れようとしていた。
「また赤ちゃんを産んだときに、またまーくんが転生してきてくれたってことがわかったからすごくうれしかった。でも前は思い出す前に動かなくなっちゃったから、今度は思い出すまで待ってみようって思ったんだ」
ここまでの話を聞いて、ようやく全てわかった。
最近噂になっていた神隠しは母の仕業だったのだ。そして僕の父親の正体もはっきりした。僕は母とその息子の間に出来た子供だった。そして写真で母に抱かれていた赤ちゃんは僕の父であり、最初の雅俊さんの息子でもあった。その事実が、僕に言いようのない不快感を味わわせる。
「うっ……」
思わず僕は吐き出してしまった。
「まーくん、大丈夫?」
母が心配そうな表情で駆け寄ってくる。
「来ないで!」
僕は思わず叫んでいた。それと同時に、自らの失態に気づく。これでは15年前の僕の父と同じだからだ。
「……まーくん? また、拒否するの」
空気が凍るような感じがした。
「あ……」
「まだ、思い出せないのかな。でも大丈夫だよ。思い出せなくても私は大好きだからずっとそばにいるよ」
狂気を孕んだ瞳で母は言う。
「あ、そうだ。また愛し合ったら思い出すかもしれないね」
名案だ、と言わんばかりの母。
「だからいっぱい愛し合おうね、まーくん」
ジリジリと僕に近づいてくる。
「な、何を……」
「ね、まーくん……」
吐息交じりの声を耳元で囁く。
「今から、たくさん愛し合おうねっ」
母が僕の体を掴む。女性とは思えない力でつかまれているため、逃げることもできない。
「まーくんっ、まーくんっ」
母が名前を呼びながら懸命に動いている。僕は精神的に疲れ果てており、動く気すら失せていた。
目の前で淫らに動く女を見ながら、僕は知りたくもなかった事実を思い知らされていた。
僕は生まれてから一度もこの人に愛されたことがなかったんだということに。
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とある病室で、赤子の泣き声が聞こえる。
「おめでとうございます! 玉のようにかわいい男の子ですね」
看護師は女性の出産を祝っている。
「ありがとうございます」
その女性はにこやかに礼を述べた。
「高齢での出産でしたので、少し心配していましたが無事に生まれましたね」
「ええ本当に。ところで、もうお名前とか決めているんですか?」
「この子の名前は、最初から決まっていますよ」
うっとりとした目つきで赤子を見る女性。その奥に潜む感情は果たして何なのか。
「生まれてきてくれてありがとうね、雅俊くん……」
女性はその名前を呟いた。