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第四部 鼓動

 第四部 鼓動


 ソヴィエト。


 原型は、ソヴィエト社会主義連邦共和国であることは言うまでもないだろう。


 1917年2月に、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世が退位(二月革命)し、ケレンスキー臨時政権発足も、10月には革命組織(ボリシェヴィキ)が政権を掌握(10月革命)。革命家レーニンを中心に、世界初の社会主義国家が誕生した。

 そもそもレーニンは、第一次大戦中はドイツに政治犯として捕まっていたのを、ドイツ帝国参謀総長ルーデンドルフがロシアに送還したことから革命を起こしたのだ。20世紀における人類最大の失敗はこれであると俺は思っている。


 その後、東西冷戦を経てソヴィエト社会主義共和国連邦は崩壊。連邦国家ロシアが誕生するが、結局は共産主義であり、思想としては資本主義とやはり異なるものである。


 現在のソヴィエトは、資本主義社会の象徴である世界政府打倒を目論む叛乱分子であるが、その規模は大きい。


 本部はモスクワに設置されているが、支部であったり、下部組織は無数に存在する。


 *****


「じゃあね! また、使ってよ!」

「貨物の運転手の言葉か?」

「関係ないよ!」


 プレハーノフはそう言って車輌基地へと向かう列車の運転席から手を振って消えていった。


「行くか」

「…………あの」

「うん?」

「……どこへ、行くのですか?」


 俺はそう言われて、無意識のうちに後手で頭を掻いた。

 言ってなかったか。


「この海の向こうだ」

「…………?」

「日本だよ」


 そう言っても、ユーリアは首を傾げたままだった。

 こりゃ日本を知らないパターンだな。


「取り敢えず、行けばわかる」

「はい」


 眼前に広がるウラジオストック、極東の果ての街は、元々はロシア帝政時代からの軍港であったが、現在は漁業と林業、そして日本や中国北東部からのEUへの輸出品の集積地でもある。賑わうし、人口も極東で頭一つ抜けて多い。


 奴隷もそれなりに連れられて歩いている。だが、女の奴隷は、こういった地方ではほとんど見ない。

 地方では労働力として奴隷を買うことが多い。まあ、奴隷を買うことのできるほどの財力を持っている人間自体少ないが。


 奴隷は、一目でそれとわかるように首輪をしている。別に首輪である必要はないが、首になにかつけていなければならない。それがなければ、市民権のある市民として見られて、持ち主が扶養者として奴隷の分の税まで払わねばならなくなる。ユーリアも幾分か綺麗なものではあるが、首輪をしている。


 大西洋沿岸地域では、奴隷は労働力でもあるが、女は装飾品の一つである。綺麗に飾り立てて、自らの裕福さを示すのだ。

 尤も、娯楽小説によくある、自らの性的欲求を満たすために女の奴隷を持つことは稀である。

 奴隷はあくまで所持品の一つであり、バッグやネックレスと同じものである。それに性的興奮を覚えるのはおかしなはなしであるからだ。

 まあ、それに性的興奮を覚えるのであれば、別にそうすれば良いだけの話だ。誰も咎める人はない。


「ああ? 船? 明日の朝に出るぞ。なんだ、乗るのか?」

「ああ。どうせ対岸に行く好事家なんて居ないだろう?」

「へっ、嫌味なこと言うぜ。ああ、お前さんの言う通りだ、誰も乗りはしねえ。そこの奴隷にだって個室を使えるぞ?」

「そこまで迷惑はかけん。それに金もないしな」

「けっ、つれねえ客だ」


 運賃を支払い、取り敢えずの移動手段は確保したため、もう一つ重要なことを済ませるためにそちらへ足を向ける。


 そこは--銀行である。


「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか」

「電子化を頼みたい」

「では、現金を」


 業務終了時間間近ということもあり、ほとんど人のいない銀行で、俺は荷物から封筒を取り出し、中身をカウンターにぶちまけた。


「これだけ」

「…………は、はい、かしこまりました……」


 全ての金を現金で持ち運んでいたが、それはナイジェリアでは電子マネーが未だ浸透していないからであって、EUはもちろん日本であっても電子マネーで事足りる。寧ろ、現金を出すと手数料を取られたりする。

 引き攣った笑みを浮かべながら、受付は応援を呼んで3人がかりで札束を数え始めた。ざっと5万レイン紙幣が二千万枚ほどあるため、これは数えるのに何時間かかるのか見当がつかない。


 手持ち無沙汰なので、5万レインだけ先に電子マネー化してもらい、残りは明日電子化してもらうことにする。精々徹夜で紙幣と格闘してくれ。

 公衆浴場に行こうと思ったが、ふと考えるとユーリアも男湯に入れねばならなくなる。奴隷はあくまで持ち物であって、いかにユーリアが年頃の娘だとしても一人で湯に入ることはご法度である。

 それではあまりに可哀想であるし、俺の腹も穏やかではない。


 仕方がない、風呂付きの宿を探すしかない。


 幸い、日本や中国に近いウラジオストックでは、湯宿は少なくない。


「…………いらっしゃい……」


 引き戸を開けると、前髪の長い女がカウンターの向こうで接客の基本、挨拶をしてきた。


「ここは風呂があると聴いたんだが……」

「…………ある。個室にもある。大浴場もある」

「なら良いんだ。一部屋頼むよ」

「…………まいどありがとう」


 微かに口元が笑った気がしたが、如何せん顔の半分が隠れているためにその表情はわからない。

 一泊一食12000レイン。風呂が付くと高くなるのは、風呂の習慣の定着していない地域では普通ではある。


 そうたいして美味くもない夕食を腹へ詰め込み、個室の湯舟へとユーリアを押し込んだ。


「私が湯を頂くなど……」

「お前も女なら身だしなみくらいは考えておけ。身分のことは気にするな」


 ユーリアが湯に浸かっているあいだに、懐から小さな手帳を取り出して日本に帰ってからのことを考えておく。

 取りあえず家に帰る。ユーリアのことはなんとか説明すれば良い。どうせ阿呆な姉しかいないのだ。


 そこで俺の思考は中断した。なぜなら、ユーリアが湯から上がったからだ。自分も汚れを落とさねば。


 *****


 風呂からあがってから、深刻な問題が生じていることに気が付いた。


 ユーリアは奴隷である。それを主張するために、首に奴隷であることを示す首輪をつけている。つまり、ユーリアの寝床はない。用意されないのだ。


「…………慣れてやがるな」


 当のユーリアはすでに板張りの床で寝ている。規則正しい寝息が聞こえることを鑑みるに、きちんと眠れているようだ。

 俺は毛布をユーリアにかけてやると、安いベッドのマットレスに横になった。奴隷に毛布など必要ない。けれども、俺はそうしなければいけないような気になったのだ。どうしてこうなったのかは、皆目見当もつかない。


 同類だからか。それとも、エゴか。はたまたーー。


 俺はそこで考えるのをやめた。俺も多分ユーリアも、普通ではない。

 普通ではない、人間かどうか怪しいような人間が、他者を求めるなどーーあってはならない。例えそれが、本意を無視する形になっても。


 自らの左胸に手をあてる。感じられるはずの鼓動は、全くない。

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