第一部 前途
第一部 前途
「はあ? ウラジオストックまで? 客車なんて出ないよ?」
「構わん。座れるところがあれば十分だ」
「そう? べつにそう言うんならいいけどさ。運賃は貰うよ」
「当然だ。きっかり支払おう」
「まいど」
俺は観光名所でもあるフランスを僅か一晩で離れ、早朝の便でモスクワに着いた。
2世紀近い歴史を誇るシベリヤ鉄道だが、俺が乗ろうとした便には貨物列車しかないという。特に急いでいるわけでもないが、モスクワに長居はしたくない。モスクワは、大ナイジェリア地方と同じで、寝込みを襲われる可能性があるからだ。尤も、大ナイジェリア地方では白昼に街を歩いていても襲われることがしばしばあるが。
「青い車輌には近づかないほうがいいよ」
「わかった」
なにが載せられているのかわからないが、近づくなというのならば近づかない。メリットは一切ないからだ。
「すぐ出すからね」
「ああ、そうしてくれ。俺もこんなところに長居はしたくない」
「はは、同感だね」
共産主義者に襲われるなら、シベリアのよくわからない民族に襲われたほうがマシだ。奴らは話がわかるときもある。だが、共産主義者は全く話を聞こうともしない。
列車が駅を出る。貨物だけのため、警笛もない。
ここからウラジオストック、日本に一番近いユーラシア大陸最東端の港町まで7日間の旅だ。
何事もなければ、本を読んでいると着くだろう。ちょうど、長編が一冊読めそうだ。
*****
何事もない--それは、治安の悪いロシアから、世界政府の目の届かないウラル以東をひた走るシベリヤ鉄道にとっては、願望でしかない。
ギィィイインッ--とブレーキが悲鳴を上げた。慣性力で、本を読んでいた俺は横に積まれた木箱に頭をぶつける。
「お兄さん!」
「おお、どうした?」
この列車を運転していた少年のような男が、俺の乗る車輌を叩いた。扉を開けると、冷たい風が頬を撫でた。
「現地民族の襲撃だ! 追っ払うから手伝って!」
「わかった。武器は?」
「最後尾の車輌にタレットが載ってるし、銃器が積んである! 好きに使って!」
「お前は?」
「前で戦うよ! 頼むよ!」
「報酬は?」
「この列車に載ってるものからなんでもあげるよ!」
「わかった」
俺は後ろの車輌へ走る。
「青い車輌だ! 気をつけろよ!!」
敵の声が聴こえる。青い車輌。なにか金目の物があるのだろうか。
銃器及びその他火器については、大体留学しているときに使用法を教わった。そして、その後の放蕩生活で実践する羽目になったのだから大変為になる勉強であったと言えよう。大変不本意だ。
「おいおい……アンティークじゃねえか……」
最後尾の車輌に据えられたタレットは、2060年代のロシア製だった。最早、古美術品である。
「重機関銃でドラムマガジンってどういう事よ」
「kv-31」というシールの貼られたタレットは、ベルト給弾ですらない。しかも、この系統の重機関銃は放熱に問題があるのだ。気にしていないと銃身が焼け付くだけでなく、マガジンが溶ける。専用マガジンは、耐熱プラスチックでしかないのだ。なんという粗悪品。
「たった二人だ! やっちまうぞ!!」
わらわらと針葉樹林の中から、トナカイに乗った男達が出てくる。いいな、トナカイに乗ってみたい。
パパッと前方が光った。すると、数人の男とトナカイが倒れる。
「クソが! やられた! やり返すぞ!!」
それでも20人ほどいる男達は、手にした拳銃と肉厚の鉈のような刃物を持って迫ってくる。
「勘弁してくれよ」
タレットの引鉄を引く。バラララッ--と爆音が狭い車内に響く。数人が倒れたが、反動に癖がある。扱いづらい。
パァン、と銃声が響いて目の前の窓枠に銃弾が当たる。アルミ製のサッシがひしゃげる。バチッと跳んだ鉛の破片が頬を掠める。
撃ってきた奴を始末しようとタレットを振り回すが--。
「クソがッ、射角が取れねえ!」
窓枠が邪魔で取り回せない。
背後からARFだろうと思われる銃身の長い銃を引っ張り出すと、窓枠に銃身を置いて引鉄を引く。
バババババッ--とロシア製らしい大口径弾がばら撒かれ、またも数人を斃す。
バズッ、バズッ、と確実に車輌に着弾する弾は増えているが、俺に当たらなければ問題ない。流石に、武器弾薬を格納する場所は強化アクリルパネルで覆われている。
「畜生、始末だけでもつけるんだ!!」
リーダーらしい男がそう叫ぶと、既に片手で数えられる人数になっていた男達は、一斉に件の青い車輌に何かを投げた。
言うまでもない--手投げ弾である。
その隙を逃すわけがない。手早く照準、反動のことも考えて引鉄を引く。前方からも鉛玉が走って、彼らは全て倒れた。だが。
耳を劈く爆音と共に、青い車輌は大きくひしゃげた。驚いたことに、あの車輌は耐爆だったらしい。ひしゃげるだけで、吹き飛んだりはしていない。
『もしもしお兄さん? 生きてるかい?』
背後の通信機から声が聴こえる。どうやら機内無線のようだ。
「ああ……なんとかな」
俺は武器を片付けると、車輌の外に出た。丁度、彼も降りてきたようで、青い車輌の様子を見て、あちゃ〜、と呻いている。
「……なにが積んであるんだ?」
掌で覆った顔が、こちらを見る。
「見ればわかるよ…………あ〜、片付けるの面倒だなー……」
ひしゃげた扉を開ける為に、彼はハンマーで扉を叩く。しかし、非力な少年では、叩く力などはたかが知れている。
「代わろう」
「え、いいの?」
俺は無言で頷くと、ハンマーを受け取った。
背筋を反らせて、腹筋を使って--おっと。
「これ、中身は傷ついても大丈夫か?」
「だいじょぶ」
--という事であるので、全力でぶっ叩く。
「…………凄い力だね……」
「そうか?」
どういう原理でか、扉は吹き飛んだ。自分でも吃驚だ。
積荷は--。
「…………奴隷か」
「あ、うん。まあ、端た金さ。向こうでの売れ残りだからね」
奴隷。重犯罪者はもちろんの事、納税を長期間怠る事などでも、市民権をはく奪される。そうすれば、奴隷の出来上がりだ。奴隷に一切の人権は認められない。また、奴隷の子は奴隷でしかない。
莫大な、それこそ天文学的な金額を積めば、奴隷にも市民権が得られる。尤も、収入を見込めない奴隷に、そのような希望は一切ないが。
彼は俺に代わって車内を覗き込む。すると、またも手で顔を覆った。
「うへぇ……全滅じゃんか…………折角耐爆車輌まで準備したってのに…………」
「最近増えてるのか?」
「うん……なんかよくわかんないけど、奴隷を攫っていくんだよ。なんだろ、労働力が欲しいのかな…………というか、その頬の傷、早めに処置したほうが良いよ? 痕になるよ?」
「男が顔を気にしてどうする…………」
俺は車輌に首を突っ込んだ。
それは、枯れ枝が積み重なっているようだった。
骨と皮だけになった人間の形をした何かが、大きく凹んだ面の反対側に折り重なっている。外見は腕や足が折れているくらいだが、瞬間的に高いエネルギーを加えられた体内は、きっと滅茶苦茶になっているだろう。多くの奴隷達が、口から夥しい量の血を垂れ流している。
「…………おい」
その中で、一人だけ生きている奴がいる。女、少女と形容したほうが良いかもしれない。口の端から血が流れているが、薄っすらと開いたまぶたの間から見える双眸は、まだ光を宿している。垢や埃に塗れて汚い顔をしていたが、まだ生気が残っている。
「うん? どうしたのさ」
「生きてるぞ、ひとり」
「え? …………ああ、本当だ、でもなあ……あれだけ弱ってると、ウラジオストックまで保つかな…………」
まあ、このまま死臭が満ちるこの車輌に乗せておけば、間違いなく死ぬだろう。いくら夏とはいえ、シベリアは肌寒く感じるときもある。
俺は、条件反射的に口にした。
「そう言えば、報酬をまだ、貰ってなかったな」




