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episode1:逆撫千頼



────小夜烏(さよがらす)学園。

それはまるで一つの町かと錯覚させる程の広大な敷地面積を誇り、近隣の住民に尋ねれば皆口を揃えて超有名進学校、特別階級教育機関という答えが返ってくるような特別な機関。

元々学校という組織は閉鎖的な組織であると言うのに、小夜烏学園はそんな大それた近寄りがたい肩書きに守られて、完璧なまでに閉鎖的な組織であり、詳細不明。




インターネットで『小夜烏学園』と検索を掛けるとそのような内容が出てくる。

何せ、一般人では堅く閉ざされた校門の内側に踏み入る事すら許されないが故に、調べられる情報はどれも何となくぼんやりとして、浅く、更に調べを進めた所で出てくるのは、ソースの全く分からないような噂や都市伝説ばかりになってくるため、大体ウェブサイトに挙げられた大体正しそうな情報を総括して纏めるとその程度のものだろう。


しかしそれを人々は最早謎に思う事など一切無い。

それには根拠も理由もなく、空は何故青いのかや、何故花は咲くのかなどの問い掛けに対して大体の人が『そういうものだから』で納得してしまうのと同じである。


それほどまでに小夜烏学園は自然に社会の中に溶け込んでいた。

安全などの観点から、何でもかんでも公表する事が求められる世の中で、内部で一体何が行われているのかを一切窺い知ることの出来ないなんて、これほどまでに不自然なものも世の中にそうそう無いだろうのに─────。






「…はっ、…はっ、…はっ、」

玄関は開かない。窓も開かない。ここはそういう所だ。


目の前に突き付けられた非日常に目の前が真っ暗になったり、頭は真っ白になったり、僕の身体はとにかく忙しい。そろそろ白黒はっきりしてくれないか。頼むから。

そのせいで肺も混乱して呼吸すらまともに出来なくて、僕は犬みたいな浅い呼吸を繰り返す。



────ヤバイ。殺される。

足元に転がっているそれと同じ様に。


それはついさっきまで呼吸をしていたはずだったんだ。声をあげていたはずだった。

なのに、それはもう動いたりしない。ただ血溜まりで(たゆた)うだけ。


こんなことが学校の教室でそうそう起こる筈がないのに。否、学校の教室ならば、こんなことは決して起こってはならないのに。

何故。どうして。

オカシイ。おかしい。笑う(べき)と書いて可笑しい。───笑えない。笑えるか。





「っぷ、っあははははは!!!」

しかしこの状況を作り出した当の本人であるところの男は笑っていた。片手に真っ赤なナイフを握り締め、全身を赤く染めて、笑った。牙のように尖った八重歯が銀色に鋭く煌めく。


「ちょっと、怯えすぎ。マジ笑える。こんなん普通じゃんねぇ?」

「ふ、普通…、?」

「そ、普通ー。…もしかしてアンタ、なんも知んねーでここに迷い混んだクチか?」


そいつは僕を値踏みするような目で上から下までじっくり見た。

「……はーん?道理で匂いがしねぇわけだ。」

「ど、どういう…」

「お前は運が無かったんだよ。残念だった。こればっかりは仕方ねぇ。…まぁ、来世に期待ってことで。」

「ひっ、!」

そう言って男は笑顔でナイフを振り上げる。

足はすくんで思うように動かないし、抵抗しようにも僕は当然のごとくナイフなんて持っている筈がなく丸腰だった。


終わった。男が言うように運が無かったから仕方がないのかもしれない。来世は本当にあるのだろうか───。




「いんや、こいつの運は最高だろ?」


そんな挑発的で挑戦的な言葉と共に金属が弾く音が聞こえた。

ナイフを振り上げるところは確かに見たのに、そこから本来訪れる事が予測される痛みも衝撃も一向にない。

恐る恐る固く(つむ)った目を開けると、目の前には金色の長い髪の女が刀を片手に立っていた。


「偶然にでもこのあたしに会えたんだからよぉ。」




男は先程までの余裕綽々な顔は何処へやら、むしろつい先程までの彼のように冷や汗をかいて動揺に目を見開いていた。


よく見ると男が先程まで持っていた筈のナイフは男の手を離れ、壁に突き刺さっている。きっとさっきの金属音は金髪の女の担いでいる刀でナイフが弾き飛ばされた音だったのだろう。


「え、…な、どういう…」

目を閉じていた間に起きた何かに付いていけず、混乱し、瞬きを繰り返す僕に、金髪の女は「まー大人しくそこで見てろよ。」と笑う。


「この灰姫院市雛(かいきいん いちひな)様がお前を守ってやっからさ。」


「灰姫院市雛…って、……てめ、十二時の魔女(ストレガ)かっ!」

「…その能書き、なんか厨二っぽいから嫌いなんだよなぁ…。」

驚いたような声色をあげる男に対して金髪の女──市雛さんは呆れた風に嘆息した。

「……ま、それは今どーでもいいや。…で?こっからどうすんだよ。テメェはあたしが誰だか分かった上で喧嘩すんのか?」

「っ、!…てめ、十二時の魔女(ストレガ)っつっても結局は女だろ!?調子のってじゃねぇぞ!」

男は市雛さんの挑発に乗り、激昂しながら新たにナイフをポケットから出して走り出した。


「…おーおー、大した男気だ。嫌いじゃねーよ。」

市雛さんはそう言って不敵に笑うと突っ込んできた男を何が起きたのか分からないほど一瞬でくるりと回し、床に叩き付けて首元に刀を突き付けた。


「──けど、相手の力量計り間違えたら、一気にダセーだけになるから気を付けろよ。……って忠告は遅かったか?」

「…っぐ、」

「……さて。お前はこの市雛様に刃を向けたからにはテメェにはそれ相応の罰を受けてもらう必要があんだけど……あたし好みの男気見せてくれた礼だ。お前に選択権やるよ。どんなお仕置きして欲しい?」


市雛さんのそれはまるで無邪気な子供のような悪戯っぽい笑みだったが、僕にはさっき血溜まりの中で哄笑していた男よりも恐ろしいものに見えた。





「お嬢っ!!!」


そこへ誰かの叫び声とドアを凄い勢いで開ける音が響き渡った。

その大きな音をたてたドアの所には肩を上下に揺らしながら息を荒げた男がいて、市雛さんの姿を認識すると思いきり睨み付けた。


「げ、トラ…。」

「…やっと見つけた。何をやってんですか、アンタは!」


つい今の今までの教室の中の緊迫した空気を見事なまでに一蹴したトラと呼ばれた男は僕も市雛さんに刀を突き付けられた男も無視して一直線に市雛さんの所へ声を荒げながらズンズンと向かっていき、市雛さんの頭に拳を振り下ろす。

全く容赦した風には見えなかったそれは、ゴンッととても痛そうな音がした。


「いったっ!?テメェこそ市雛様に何やってんだ!」

「俺の今の気持ちをアンタに全部ぶつけたら、そのくらいじゃ済みませんよ!むしろゲンコツ一つで済んで、感謝して欲しいくらいです。…ったく、マジで放浪がてらなんでも首突っ込むの止めろよ!正直いちいち付き合ってらんねぇっつの!…ほら、帰りますよ。」


「は、て、テメェはなんなんだよ!」

この状況に付いていけず混乱した男は堪らず困惑した声をあげた。


「あぁ?テメェこそなんなんだよ。」

トラと呼ばれた男は不機嫌を全面的に前に押し出して男を睨む。

「お嬢に刃物向けやがったのを俺ァ寛大にも見逃してやってんだぞ?さっさと尻尾巻いて逃げな。」

「良い身分じゃねぇの。魔女の奴隷が。」

「勝手に言ってろ、負け犬。」

トラと呼ばれた男は床に寝転がったままの男を眼鏡の奥の三白眼で睨み付けると男は苦虫を噛んだような顔をして教室から出ていった。


「相変わらず口悪ィな、トラちゃん?」

「…あんただけに言われたく無いですよ。そういえば、怪我は?」

「あるわけねぇだろ。」

「でしょうね。」


「あ、あの、」

この一連に呆気を取られていた僕も慌てて教室から退散しようとする二人に声をかけた。


「テメェはなんだ。さっきのの仲間か?」

トラと呼ばれた不機嫌そうな男が次は僕を睨んで面倒臭そうに舌打ちをした。

「違います。……僕はその…、そこの女の人に命助けてもらって。…ありがとうございました。」

市雛さんを見る。

トラと呼ばれた男に首根っこを掴まれて、随分と苦しそうな姿勢だったが市雛さんはいつもの事で慣れているのか大して気にした様子もなく、ただニカッと笑い、「またな。」と言った。


その気さくな笑顔はとても明るくて、どこか暖かくてキラキラと輝き、眩しくて、千頼は彼女を太陽のようだと思った。





その太陽がトラと呼ばれた男に引き摺られながら教室を出ていく様は大層シュールだったが……。




◇◆◇◆



僕、逆撫千頼(さかなで ちより)はごくごく普通の一般家庭の生まれ育ちだ。新聞記者の父と看護師の母の間に生まれ、男三人兄弟の末っ子。何となく生きているだけで人並みに勉強も部活もこなしてこれられたような平々凡々な生い立ち。


けれども中学三年生の高校受験の間近、僕に普通ではない事が起きた。

平々凡々なはずの彼が、世の中にあたかも都市伝説のように扱われている小夜烏学園からスカウトを受けた。


僕は新聞記者の父の影響なのか、ゴシップネタが好きだった。

どんなメディアからも信憑性のある情報が全く入ってこないような謎に包まれた小夜烏学園に惹かれない訳がないし、超特権階級のための学校とも言われる小夜烏学園に入学出来るならば、僕はその後の人生は勝ち組であると決定したようなものだ。

僕には、小夜烏学園を蹴る理由など全く無くてほぼ即決した。




「新入生の皆さん。本日はご入学おめでとうございます。」


しかし、小夜烏学園に入学したその初日、僕は自分は誤ったことに気付いた。

何が起きているのか分からない。しかし、何かが異常な事ぐらいはすぐに理解出来た。


「──それでは、早速ですが、新入生の皆さんを厳選させて頂きます。これから24時間、殺し合いを行って下さい。生き残った皆さんを本校の生徒として改めて歓迎致しましょう。」


あの場で市雛さんに会えた事は僕にとって本当に幸運だったに違いない。でなければ僕も死体の仲間入りになっていただろうから。



「───で、お前は保護して貰いにここにいると?」

「違いますよ。…まぁ、確かにここに居たら殺し合いとかに巻き込まれなくて安心ですが、僕はただ単に市雛さんに興味があるんです。」


呆れたように目を細める市雛さんに僕は笑って見せた。

小夜烏学園に入学からまともに話が出来た人間は市雛さんが初めてで、言葉を投げ掛けたら言葉を返してもらえる。そんな当たり前の事さえも嬉しく思う。言葉のキャッチボールとはなんて素敵なものなのだろう。


市雛さんに初めて出会ったあの入学式の日から、市雛さんを捜し出すのに二週間も掛かった。

ただでさえ校内は広いのに、人殺しが日常茶飯事に行われていて、人を捜すのも身を隠しながらで一苦労だった。




「…この二週間で僕もやっと分かりました。超進学校とか、特権階級育成機関なんて大層な肩書きの影に隠れて、実際にここで行われてるのは、お国に『もしも』の事があった時の為の殺人鬼の育成。…そして、貴方はこんな狂った学校の生徒会長さんだったんですね、市雛さん。」



本当ならば、この学園で人探しなんて二週間でも難しい。1つの街の大きさに相当する校内で、生徒である殺人鬼達は息を潜めてお互い探り合いをしている。1ヶ月掛かってもおかしくはないレベルだ。それでも僕がたったの二週間で市雛さんを探し出せたのは、彼女がこの学園において、超有名人だからに他ならない。


小夜烏学園生徒会長、灰姫院市雛。

この殺人鬼達の、トップが彼女だった。


「あーも、お前うるせぇ。あん時助けなきゃ良かった。」

「え、なんて事を言うんですかっ!?」

「───…お嬢。」


そう不機嫌そうに低い声で市雛さんを呼んだのはあの入学式の日、市雛さんを引き摺って行った男、トラこと、生徒会副会長の壱代香忠虎(いよか ただとら)だ。

彼は入学式の日と変わらず眉をしかめてイライラしているようで、僕を睨んだ。


「それ、邪魔なら片付けますが?」

そう言って傍らに携えた刀に手を掛ける忠虎さんに僕は小さく悲鳴を上げ、身体をすくませるが、市雛さんはそれを見て更にうんざりしたようにため息を吐き、手をヒラヒラと振った。


「やめろやめろ。それ余計に散らかるだろ。」

「…片付けるとか散らかるとか表現怖いんでやめてもらっても良いですかね…?」

「レガちゃんも、トラちゃんもそんなにチヨちゃんを邪険にしなくたっていーじゃん。わたしはチヨちゃん居ると楽しいよー?賑やかで。」


そう言って一人マイペースにニコニコ笑っているのは、市雛さんた達同じく生徒会役員の弐蝶崎小乃子(にちよざき このこ)

生徒会の中で──もしかするとこの校内の中でも最年少の14歳の小乃子ちゃんですらも市雛さんや忠虎さんの物騒な話に慣れたものらしく、全く笑顔を崩すことなく、ポテトチップスへ手を伸ばす。


「ん?チヨちゃんも食べたいの?」

そんな小乃子のマイペースさに意表をつかれたようにぽかんとしていると、小乃子ちゃんは僕の視線に気づき、小首を傾げる。

「あ、いや、僕は。」

「うふふ、欲しいって言ってもあげないよぉ?これはわたしの大切な主食だから。」

「そんなんだから、小乃子は背が伸びないの。ちゃんとご飯はバランス良く食べないと。」

そう言って憂鬱そうにため息を吐いたのは、同じく生徒会役員、徒宮姿(あだみや すがた)

一般的にいうところの美人に当てはまる姿は憂い顔すら美しく、絵になるのだが、残念ながら姿は男だった。

本人曰く、男の娘でもニューハーフでもなく、女装家のオトメンというまどろっこしいことこの上ない身の上らしい。


「大丈夫だよー!ほら、だってレガちゃんもあーんなにお菓子ばっか食べてるのに、あのナイスバデーだよー?」

「市雛は市雛。小乃子は小乃子。そんなことしてて、市雛の真似してどっかの配水管工事のキノコ野郎体型になっても知らないからね?」

「うへー…、さすがにそれは嫌かもー。」

「なら、ちゃんとご飯も食べなね?」

「まー、それはなったときに考えるよー。」

「こらっ!」

呆れたように、でも笑いながら姿さんは小乃子ちゃんの頭をぽすんと叩いた。



平和だ。なんて平和な光景なのだろう。

小乃子ちゃんと姿さんのやり取りをみて思わずため息が出た。

ドアを一歩外に出たら、そこには惨劇が広がっているのに。



「あー、帰りたいな。家に。」

思わずそう呟くと市雛さんは親指で窓を差した。

「出れば良いじゃん。」

「無理ですよ!市雛さんだって知ってるでしょ?この学園は学園の周囲は高い壁に囲まれてるし、仮に上れたってそこには高圧電流!出れるならとっくにやってます!」

「あ、なんだ。お前知ってたのかよ。」

残念。と市雛さんはカラカラ笑う。

もし僕が何も知らずにやっていたらどうしていたのだろうか…。

案外本気で嫌われているのかもしれないと思うと軽く気持ちが落ち込んだ。


「もー!レガちゃんってば、そんな意地悪言わないのー。」

「ただの冗談だよ。冗談。」

「大体、わたしたちはさぁ、」

「ストップ。」

何かを言おうとした小乃子ちゃんを忠虎さんが制す。

「それは駄目です、小乃子。」

「…うー、ごめんなさーい。」

「………?」

忠虎さんに忠告されると口をつぐんだ小乃子ちゃんを見て、僕は小首を傾げた。


「それとお嬢、…そろそろ。」

「あぁ、分かってる。」


市雛さんは忠虎さんと目配せするとまるで社長の座るそれのような黒い皮の豪勢な椅子からギシリと音をたてて立ち上がった。


「悪ぃな、千頼。あたしらはこれからちょっと用事があんだよ。だから今日はお開きだ。」

「え、僕も一緒に行っちゃ…」

「駄目だ。」

僕が言い切る前に市雛さんは首を横に振る。

「今日のところは帰ってくれ。また何時でも遊びに来て良いから。」

「………。」

「…千頼。」


思いきり市雛さんに拒絶されて、視線を下に落とした僕の肩に姿さんが優しく手を添える。

「ごめんね。別に市雛も貴方が嫌いで言ってるんじゃないのよ。分かってあげて?」

「姿さん…。」

「旧校舎、分かる?」

「…え?」

「あそこは身を隠すのに絶好の穴場ポイントなの。アタシ一押し。」

そう言って姿さんはニコニコ笑った。




───小夜烏学園が外で実態が全く知られることなく、あたかも都市伝説のように扱われている理由は至極当然だった。

こんな法律も規律もあったものではない機関が、平和主義を唱う日本に、しかも国家の勅命で作られているなんてことがあってしまえば、大問題どころの話ではなくなってしまうのだから。

だから、特別階級育成機関とか、超進学校とか、一般の人が寄り付くことのできないような大層な肩書きを付けて、その下にこんな大きな爆弾を隠していたのだろう。


この爆弾の秘密を貫く事は生徒にも当然強要されている。入学して、この秘密を知ってしまえば一切外との干渉を絶たれるという形で。


僕だって当然、この学園がおかしいと気づいてから何度も何度も逃げ出そうとはした。

しかし、無理だった。

仮に壁や高圧電流の問題がどうにかできた所で、この学園の背後には国がいる。絶対に国家権力から逃げ切ることなんて事は到底一般人の僕には不可能だ。

それこそ、この学園の生徒のような殺し屋達に追われ、殺されるのも時間の問題となるだろう。




「僕も市雛さんみたいに強かったら、どうにでもなるのかも知れないけど。」

一人ポツリと呟いた。

生徒会を後にした僕は旧校舎に向かって歩いていた。

この学園では常に命の危機に晒されていて、いつ死んだって不思議はない事はこの二週間で散々身をもって理解した。


本当は市雛さんの側に居られたら、それに越して安心なことは無いのだろうが、市雛さんにも色々事情はあるらしい。多分それは小乃子ちゃんがポロっと口を滑らせかけた事に関連している事で、きっと僕みたいな他人が首を突っ込んではいけないようなこと。

それに、この学園から逃げられない以上、いつまでも市雛さんの腰巾着のようにまとわりついて頼っていてはいけないことくらい、重々分かっている 。


「…強くならないと。」


その為には武器が必要だ。会う人会う人皆、こぞって何やら物騒な物を持っているが、何処で手に入れているのだろう。



「──よぉ。」

「っ!?お、お前はっ、」

「お前なんてひでぇ言い種だなぁ。──安生極楽(あんじょう ごくらく)っつー立派な名前あんだよ、俺には。」

廊下を曲がってその先に居た人影は入学式の日にあった男、安生極楽。

しまった、つい考え事をしていて油断したと後悔するも遅かった。旧校舎は安全なのかもしれないが、ここはまだ旧校舎じゃない。ただの廊下。なのにこの廊下から旧校舎まで一本道だと思って気を抜きすぎた。

男との距離は10メートル程度。これでは逃げ切れない。入学式の日と同じ。



「しかし俺はよぉ、会いたかったんだぜ。お前と十二時の魔女様に。」




◇◆◇◆



「う、…ぐっ、」


両手を重ねた上を貫いたナイフはそのまま床に突き刺さっており、僕を床に縫い付けた。

その痛みは尋常ではなく、冷や汗が首筋を伝う。


ここは旧校舎の一教室で、安生は教卓の上で胡座を組んでいた。

旧校舎と言うだけあり、年季が入っているらしく、安生が教卓の上で身体を揺らすと床がギシギシとなる。もしかしたら床抜けてしまうのかもしれない。むしろ抜ければいい。都合よく安生の下だけ。



「そんで?他のレベルはどこよ?」

「レベル…?」

「あん?テメェレベル知らねぇの?」

安生の言葉に僕はポカンとしたが、むしろ安生も驚いたように目を見開いた。


「あの魔女が来やがったからてっきり…。…まぁいいや。それならそれで。」

安生は一人でぶつぶつと呟くと深々とため息を吐いて教卓から降りた。

「──んじゃま、せめて魔女呼ぶ餌にくらいなってくれよ。」

「…へ、?」


きょとんとしていると安生は口角を吊り上げて狂気的に凶器的に笑った。これはマズイと僕の本当が警告する。けど、床に縫い付けられた僕にはどうすることも出来なくて。




───安生は僕の両手を貫いたナイフの後ろを思い切り踏みつけた。

「ぐ、ぁああぁああ!!!」

「ちょっと俺とゲームしようぜ?ルールは簡単だ。俺はお前を拷問してお前はひたすら鳴く。運良く十二時の魔女が来たらおめでとう、お前の勝ちだ。きっとあの魔女はお前を助けてくれっだろうよぉ。……けど、魔女がくる前にお前が拷問に耐えれなくなったらお前の負けだ。制限時間はお前が死ぬまで。



──……だから、頑張って長生きしろよ?」



そんなの無茶苦茶だと文句も言わせて貰えず、僕の口からはただただ悲惨な悲鳴のみが溢れた。







───身体には今、何本のナイフに貫かれているのだろうか。


何が痛くて、何が痛くないのか、もう良くわからなくなってきて、もうそろそろ意識が朦朧としてきた時に安生の手が止まった。


「……あーあ。お前、ホントに運いいのな。オメデトウ。」


カツン、とヒールの音がする。

音の方へ顔を向けて確認する元気は今の僕には無い。

テレビを視聴している時のように何処か他人事で床を何となく眺めていると、ヒールの音は近くまできて、黒いブーツの靴先が僕の視界に入る位置で止まった。


「よぉ、千頼。」

その声は僕がよく知る自信に満ち満ちているような強気で、どこか悪戯っぽい声。


「……市雛、さん…」

「待たせたな。後、悪かった。結局あたしの都合に巻き込むんならお前を帰らすんじゃなかった。」

「いんや?魔女様は悪かねぇよ。──悪いのは弱っちぃこいつだ。ここはこういう世界なんだからよぉ。」

「ごふっ、っぐ、」

そう言って安生はニヤニヤと笑いながら、僕の腹を蹴り上げるが、両腕が床にガッチリ固定され、蹴り上げられても大して浮き上がりもしなければ悲鳴を上げる元気もない。


「おい、テメェ、なにしてやがんだ!」

眉をしかめる市雛さんとは対称的に安生は相も変わらずニヤケ面だった。

「魔女様、あんたは噂に違わず甘いんだなぁ。ゲロ甘。」

「あん?」

「例えば、」

「っ、!」

安生が愉しそうに笑いながら、僕の髪を掴み上げて、左の眼球の寸前にナイフで突き付けると市雛さんはピクリと眉を動かした。



「──目の前でこーやって、苦しんでる人が居たら見捨てらんねーんしょ?あの入学式の日だってそうだった。自分の身内でもねぇただの他人なのに。……そんなに正義感振り回して全部背負い込んだらいつかアンタ、潰れるぜ。」

安生は続けて言う。

「…まぁ、与太話はこの辺にして、優しい十二時の魔女様?こいつがこれ以上傷付くのが見たくなけりゃあ、取り敢えず武器を手の届かねぇ所に投げな。」


安生にそう言われると市雛さんは一瞬僕を見た後にどこか不機嫌そうに、つまらなさそうに眉をしかめるが、特に何か文句を言うのでもなく、腰のベルトに吊るしてある刀と小刀、ホルダーに入ったままの銃を投げ捨てる。



「服も脱げよ。十二時の魔女様相手にセクハラする気はねぇが、服の下に何か隠されてちゃあたまったもんじゃねぇかんな。」

「……な、!?市雛、さん!」

さすがに慌てたような声を出す僕に、相変わらずつまらなさそうな顔をした市雛さんは、「別に構わねぇよ。千頼みてぇな健全な思春期男児にゃあ刺激が強いかもしれねぇけどな?」といつものように悪戯っぽく笑うとネクタイに手を伸ばす。



しゅるりとネクタイを外すと床に捨て、次はなんの躊躇も無くYシャツのボタンを外していく。


「──…あぁ。そういやぁ、お前さっき正義感がどうとかつったよな?」

「ん、言ったけど?」

「あたしさ、『正義』っつー言葉嫌いなんだよなぁ。なんか自分の言動を正当化して、押し付けがましくって、自己中な思考そのものなのに、あたかもそれが大衆の常識みてぇに気取って。正直イライラする。」

市雛さんの青と黒のオッドアイが真っ直ぐに安生を捉えると、強気に口角を吊り上げて笑った。


「…正義の味方(ヒーロー)なんて言い訳なんかあたしには要らない。あたしは開き直って自分勝手に好きな事を好きなだけ好き勝手してるだけのただの悪役(ヒール)だからな。




──なぁ、そうだろ?トラ。」



市雛さんの脱いだYシャツが床に落ちる。と、同時に何かが壊れたようなとても大きな音がした。


Yシャツの上に瓦礫の破片が落ちた思えば、どうやら天井が破壊されたらしく、瓦礫と共に上から忠虎さんが落ちてきた。



「ホント。自覚してる分質が悪いですよ、アンタは。」

「…な、っ!?」

安生が驚いて怯んだ隙を見逃さず、忠虎さんは刀で安生の喉を引き裂く。


「……お前は甘いな。あたしなんかよりも全然優しい。」

喉をヒューヒューと鳴らしながらまだ意識があり、瀕死の安生に市雛さんは言う。

「トラがあたしを見付けるまでの時間と猶予をくれるような優しい奴だったから潰れちまったんだよ、テメェは。」




◇◆◇◆



「……はい、これでおしまい。」

「ありがとうございま……ッゴホッゴホ、」

「あーあー、お礼なんて良いから大人しく寝てる!貴方は重症なんだから。」

保健室の自称保健委員の車椅子に乗った少女、佐岩井(さいわい)ゆれあは膝の上に千頼の処置に使用した医療機材の入った膿盆やトレイを乗せると苦笑した。


「……あの、ゆれあさん。市雛さんは?」

僕は咳き込まないように気を付けてゆっくりと話した。


「さぁ…?あの子は私が苦手みたいだから生徒会室とかに帰っちゃったんじゃないかしら?」

「そうなんですか…?」

市雛さんにも苦手な人がいるんだ。ちょっとした驚きだ。


「まぁ、とにかく。怪我人は大人しく寝てなさい。今は大人しく寝ることが貴方に一番必要な治療よ。」

「あ、あの、ゆれあさん。後1つだけ教えてもらっても良いですか?」

車椅子を操作し、身体を反転させようとしたゆれあを呼び止めるとゆれあさんは「なにかしら?」とその動きを止めた。


「……レベルってなんですか?市雛さん達とどんな関係が…?」

「うーん…、レベル、ねぇ。」

ゆれあさんは少し困ったように眉をしかめながら、人差し指を顎に当てる。

「…この学園ってほら、殺人鬼を作るための学校だから人の生き死になんてのは日常茶飯時なんだけど、最近はね?特に活発なのよ。…なんでか分かる?」

「……すみません。分からないです。」

「──反逆者(レベル)が現れたからよ。」

ゆれあさんは少し考えるように間をおいてから言う。

「レベルはこの学園の歪んだシステムに不信感をもって、学園に反逆を始めた。簡単に言うなら学園を破壊しようとする組織がレベル。今この学園は戦争が起こってるのよ。……そのリーダーが、灰姫院市雛。」

「え、だって市雛さんって生徒会長じゃ…?」

「あぁ。その生徒会長の灰姫院市雛様が先陣切って学園を破壊しようとしてるんだ。」

気付くと市雛さんが不機嫌そうな顔でドアの所に立っていた。

「殺しなんてくだんねぇことを一生させられるなんて真っ平ごめんだからな。あたしが破壊してやろう、って訳。」

「あら、市雛。いつから聞いてたの?盗み聞きは良くないと思うわ。」

「お前こそ勝手に人の事話してんじゃねーよ。」

「良いでしょ、このくらい。それに今私が言わなくたって、この学園に居ればその内嫌でも分かることよ。」

「あ、あの、市雛さん…、」

「あん?」

「お願いが、あります。…僕も、レベルに入れてください。……力が必要なら頑張って付けます。足は出来るだけ引っ張らないようにします。僕もこの学園は可笑しいと思うから…だから、」

「……はぁ。ぜってぇ言うと思ったよ。」

市雛さんは面倒臭そうに深々と溜め息をつくと髪を掻き上げる。


「レベルになって、今日みたいな事が今後もあってもいいのか?もしかしたら今日程度じゃ済まねぇかもしんねーんだぞ?」

「…分かってます。僕、頑張って市雛さんみたいに強くなりますから、お願いします。」

「………何かあったらすぐにあたしに連絡すること。怪我直んねぇ内は無理しないこと。絶対に死なないこと。……分かったな?」

言うだけ言うと市雛さんはさっさと踵を返して保健室から出ていってしまった。

「!…はいっ!…ごふ、ゴホゴホ。」

「あーほら、大人しくしてないからよ?」

「す、すみません…。」


ゆれあさんは噎せる千頼の背中を叩きながら、市雛さんの去った方を見てクスクス笑った。










「駄目よ。レベルなんてはしたない。私が許可しないわ。」


「───え、?」



小さく声を上げた。けど、僕には驚く間も与えて貰えないらしい。とても突然且つ自然に、気付いたら彼女は居た。真っ赤に染まったナイフを持った少女が。


───そして、グラッとふらつき、ベッドから落ちたのはどうやら僕の身体。


「レベルは殺されてしまうの。一人残らずね。」

「千頼君!、きゃ!?」

ゆれあさんは僕の手当てをしようと直ぐ様手を伸ばしてくれたが、それは車椅子を彼女に蹴られて倒されたことで叶わなかったらしい。

車椅子が横転してしまえば、足の悪いゆれあさんではまともに動くことも出来ず、車椅子の下敷きになったまま動けないのだから。


「……佐岩井さん。貴女はレベルじゃないし、私達もお世話になっているから殺しはしない。…けれど、私の仕事の邪魔はしないでくれるかしら。」

「……彼野(かのの)ちゃん。」


彼女は無表情に、意識が遠退いていく僕を見下ろすと、頭を踏みつける。


「っぐ、」

「逆撫千頼くん、よね。私は捌ツ咲(やつざき)彼野(かのの)よ。はじめましてで申し訳ないのだけれど、死んでくれるかしら?ほら、悪い芽は早い内にって言うでしょ?……そういうことで、じゃあ、さようなら。」


そんな淡々とした朗読のような平坦な声で一方的に紡がれた言葉が僕の聞いた最期の言葉になった。


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