金の鍵 銀の鍵
おっさんが鍵を落とします
おっさんの運命や如何に?
ある日の夜がすぐそこまでせまった黄昏時、土木屋で職場が工事現場なおっさんは用事を済ませてのんびりと革のキーケースを手に家路についていた。牛革製でシンプルなデザインのものだったけど革の質もまずまずだし、縫製も丈夫で気に入っていた。たまに鍵を取り付ける金具の締りが甘くなって鍵が外れてしまうのが珠にキズだったのだが。
もう少しで家に着くというところでキーケースをブラブラさせながら、帰ってからのことを思案し始めた。冷蔵庫には確か肉があって、野菜はたしか流しの下に芋と何かがあったから煮て食おうか焼いて食おうか。洗濯もしなきゃならないよな、明日は休日だし家の掃除もしなければ。
おっさんはバツイチの独り者で子供もいなかった。世間一般的には寂しい中年なのだろうが、おっさんはマイペースを絵に描いたようなB型だったのでいくらでも発想を転換してシングルライフを満喫していたのだ。
何の気なしに口ずさんだでたらめな鼻歌をフフフンと小声でハミングしながら歩いていたら、キーケースから鍵が取れた。
「あれ」
おっさんはまた外れたかという思いで自由落下していく鍵の行方を見ていた。また鍵が外れてしまったけど拾って付け直せばいいやと。
舗装面に落下した鍵はイレギュラーなバウンドをした
「ぅえ?」
変な声が出た。鍵はそのまま側溝のグレーチングのなかにトンカラリと落ち込む。
「うそ?!」
おっさんはかがんで側溝の中を覗き込む。グレーチングは手で持ち上げられなくはなさそうだ。実際に試してみる。側溝本体とグレーチングの間に砂が詰まりきってないようで、ふんぬと頑張れば持ち上げられそうだ、が…側溝の中にたまっている濁った水の深さがわからない。指先や手首ぐらいだけならばいいのだが、肘まで水に浸かるような深さでは地面にはいつくばって鍵を探さなければならない。
そこでおっさん得意の発想の転換。鍵がなくなっても家に帰れば予備があるさとキーケースを開いてどの鍵を落としたのか確認する。
ナンテコッタイ オトシタノハ オウチノ カギ ダヨ。
おっさんは落としたのが家の鍵だということを確認してあわてた。動揺したが童謡を歌い始めるのと同様には動揺してない。まだあわてる時間じゃない。そうだ、こういうときは素数を数えるんだっけ。2、3、5、7、11、13、15、17、えーと。
そんなときに側溝の中から淡い光が立ち昇り、同時に地味な服装をした細身で黒髪ストレートでいたって普通な顔立ちの女性の姿が現れる。幅が狭い側溝だから細身なのだろうか、幅が広い側溝だったらジャバザハットが出てくるのかな。道路わきの地味な側溝だから地味な格好なのだろうか、市街地にある化粧パターンのコンクリートだったら派手目な女になるのかな。なんてことを一瞬のうちに考えながらもとっさの現実には対応できずに呆気にとられるおっさん。それにかまうことなく話し始める女性。
「あなたが落としたのはこの金の鍵ですか?それとも銀の鍵ですか?」
「え?あなたは?」
「質問に質問で返すなあっ!」
ビクッとするおっさん。奇妙な冒険を読んでいたおっさんはそれが失礼な行為だということを思い出した。
「普通の鍵ですよ、それがないと家に入れないんだ」
普通に答えた途端に笑顔になる女神?様。
「まあ、あなたは正直者なのですね。正直者のあなたにはこの純金の鍵と銀の鍵と…」
女神様?は傍らからうんしょと何かを取り出す。鉄板とアスファルトがこすれるガリギャリという音がする。
「こちらの普通の鍵を渡しましょう!」
女神様(仮)は渾身のドヤ顔でゴルフトーナメントの優勝者に送られるような巨大な鍵を出してきた。おっさんは口をあんぐり。それじゃ鍵穴に入らないよ。金の鍵も銀の鍵もダメだ。貴金属としての価値はあるけど、金の鍵は鍵穴に挿したとたんに削れて鍵本体に金属粉が詰まるし、銀の鍵は挿せるかもしれないけどひねった瞬間折れたり曲がったりしそうだ。
「ねえ、ちょっと女神?さま」
「疑問形なのが少し引っかかるがなにか?」
「ああよかった。側溝から出てくるから貞○みたいな悪霊かと思ったけど女神様なんだね」
「妾は付喪神であるゆえにな」
「わらわとか無理しないでいいよ。見たところそのコンクリート製品は製作から15年そこらでしょ?付喪神になったとしても中学生ぐらいの姿が妥当だと思うんだけど」
「せっかく人間の前にあらわれるのだから対象が喜ぶ姿にするのが神の勤めってものでしょ? てゆうか、あんたなにげに側溝とかコンクリートとかくわしいのね」
おっさんに突っ込まれた付喪神は素で話し始めたようだ。
「まあねえ、いちおう土木技術者だからね。つーか、普通の鍵を返してよ」
「そっか、うれしいな。こんな私のことを詳しい人に出会えたなんて。いつも道のはじっこで雨水を飲み込んだり、落ち葉が入り込んできたり、ひどい人間になるとガムや吸殻を私めがけて投げ込んでくる人もいるんだよ」
この女神様、人の話を聞かない。
「うん、知ってる。側溝のメンテナンスもやるからね。ていうか人の話聞いてる?普通の鍵がないと家に入れないんだよ」
「メンテナンス?それじゃあ服を脱がせて中をまさぐったの?」
盛大な誤解である。蓋をはずして中を掃除しただけだっつーの。てゆーかあなたはまだ新しくて堆積物もないからまだ対象外でしょうに。つーか、鍵返せ。
「いや!もうお嫁にいけない!」
女神様は顔を真っ赤にして、今にもジタバタをはじめそうだ。勘違いは継続中のようである。人の話を聞かず、勘違いして暴走する。女神様じゃなかったら地雷のメンヘラだ。
「ただのメンテナンスだってば、そんなに大げさなことなのかなあ。それに、それぐらいのメンテナンスならばどこでもやってるよ」
「そうなんだ、誰でもやってるんだ…」
「ところで鍵…」
「そうだ!褒美をあげるのをわすれるところだった!どんなのがいい?あなたの家の周りの側溝の流れを良くしてゲリラ豪雨でも水浸しにならないとか!」
一見便利そうであるが本気のゲリラ豪雨ではこの細身の女神様ではどうにもなるまい。そしてやっぱり肝心な話は聞いてくれない。
「褒美はさっきの金の鍵と銀の鍵で十分すぎるよ。あまり過分なものをもらうと因果応報で災厄がふりかかるかもしれないしね」
「いまどきの日本人にしては珍しく控え目なんだね。他の神様は出雲の神有月でよく愚痴を言ってるよ。『たまに姿を見せると、あれもよこせ、これもよこせってうるさくてかなわん。あまりにも欲の皮が突っ張っている人間には褒美とみせかけた罰を当てることもある』なんて。もっとも、私はまだ生まれて間もない付喪神だから罰を当てるような力もないんだ。その金の鍵と銀の鍵もたいそうなものに見えるけど側溝の堆積物から抽出しただけなの」
「だろうね、過ぎたる力は身を滅ぼす、ってね」
側溝の堆積物から貴金属を抽出できるなんてすごいやと思いながらも、普通の鍵を返してもらいたいおっさんは話を変える。
「ところでさ、女神様は八百万の神様のひとつなんでしょ?神様に助けてもらったから俺の家に招いて祀ってお供えをしたいんだけど着いてきてもらえるかな?」
女神様も神様としていろいろと大概だが、おっさんも大概だ。日本神話に出てくるような神様に同じような口を利いたら不敬で極太の雷が落ちること請け合いだろう。
「うん、いいよ。なにたべさせてくれるの?」
これってあれだよな『飴あげるから付いておいで』みたいなシチュエーションで女神様がょぅι゛ょだったらおっさんの社会的な生命が終わるよな、女神さまが大人の姿でよかったなどと思いながらおっさんは女神様と並んで歩く。そこはかとなく臭い。水がたまっている側溝の神様だからだろうかなどと思いつつ一人と一柱で歩いていき、やがておっさんの自宅に到着する。
「ねえ、女神様?」
「うん、なに?」
「普通の鍵がないと家に入って歓待できない」
「あ、そうか。いま返すね」
やっと普通の鍵が返ってきた。そこで巨大鍵を返そうとするのだが
「えー、重くて持って帰るのたいへんだからいらない。私の始めてのお客さん?だし、ついでにそれもあげる」
なんと、「それをすてるなんてとんでもない!」アイテムをゲットしてしまったようだ。
「えーと、神様を家に迎えるのに祝詞でもあげたほうがいいのかな?」
「えー?私も人の家によばれるのは初めてだからわかんない」
だいぶくだけた神様である。まあ、日本の神様はこんなもんなのかもしれないな。
「じゃあ、アタマの部分だけおぼえてるからすこしやってみるね」
「うん、わたし祝詞をあげてもらうなんて初めて!」
なんだか女神様の目がキラキラしてる。人間に神様と認識されたのがうれしくて仕方がないのか祝詞がめずらしいのか。
「じゃあ、いくよ。かけ~こくもかしこみ~イザナk」
「ちょ、ちょっとまって!」
「え?なに?」
「いきなり会長の名前が出てきたからびっくりして」
そうか、イザナキは神様業界の会長なのか。うん、天地創造の神様だからそうなのかもな。
「祝詞は初めてだもんね、堅苦しいのは苦手?」
「うん、肩が凝りそう。特に会長の名前が出てくると」
会長は怖いのか。本気になれば日本の国土が沈むだろうし、生きながらにして冥府に行ってみたりするような神様だもんな。
「でも冒頭にこれを言う決まりがあるらしいよ。なんでも『声をおかけする事も畏れ多い大神にこれから畏れながらも私のお願いを奏上奉ります』って意味みたい」
「へー、そうなんだ。でもわたしはそんなに古くて難しい言葉はわからないから…」
「じゃあ現代風で行こうか」
「うん、お願い」
「女神様のことはなんて呼べばいい?」
「普通に女神様でいいよ?場所が場所だけにネーミングは難しいでしょ?」
「そうだな、じゃああらためまして女神様」
「うん!」
「○△町の側溝におわします女神様、本日は側溝に鍵を落としてしまった不運なおっさんを救っていただいてたいへんありがたく感じております。つきましては、ささやかなものではございますが食事とお酒を用意いたしますのでごゆるりとお楽しみください」
おっさんは丁寧にお辞儀をする。
「なんだか恥ずかしいな」
女神様が若干照れているようにも見える。
おっさんが食事の支度をしている間、女神様にはテレビを見せておいた。バラエティーをみて大笑いしていたり、世界紀行でアマゾン川の映像が流れると食い入るように画面を見ていたりした。
「さて女神様、食事の用意が出来ましたよ」
テーブルの上にはおっさんが作った煮物、炒め物、サラダ、冷凍食品を暖めたり揚げたりした揚げ物を並べた。おっさんは過去の苦い経験から酒を断っているのだが来客用に用意して会ったビールと日本酒を並べた。
「それでは女神様、こころゆくまでお召し上がりください」
「ねえ」
「何ですか?女神様」
「その堅苦しい挨拶、嫌」
「でも一応神様だしねえ、礼儀はある程度つくさないといけないよ」
「その神様が嫌って言ってるんだから合わせてよ」
「はいよ、そんじゃ仕切りなおすね」
「うん!」
「めがみさまー!ごはんだよー!」
「はーい!いっただっきまーす!」
用意したご馳走はあっというまになくなった。その細い体のどこに入っていくのかというぐらいに女神様の食べること食べること。さすがなんでも飲み込む側溝の神様というところか。
「あー、おなかいっぱい。ごちそうさまでした!」
女神様はご満悦である。
「ねえ、おじさん、私に願い事なんてない?できることならなんでもかなえるよ?」
ここで主人公が若ければ恋愛フラグが立ってみたり、某女神3姉妹みたいなずっと一緒にいるなんて展開になるのだろうが、主人公は悲しいかなおっさんである。自分の子供はいないが親戚の子供を見るような気持ちで若い女神様を見ていた。
「じゃあさ、俺が乗ってる車が側溝にはまらないようにしてくれることってできるかな?」
「え?そんなことでいいの?」
「あとさ、この紙に女神様の名前を書いてよ」
おっさんは三つ折にした半紙と筆を取り出す。
「名前を書くのはやぶさかじゃないけど…どうするの?」
「神棚にお祀りする」
「ええーっ? やだ、ちょっと…恥ずかしい」
「なんで?」
「だって、いままで文字通り日陰者で誰も見向きもしてくれなかったのにそんな、お祀りだなんて…神様みたいじゃん」
「神様じゃん」
「そうなんだけど。そうなんだけど…祀られたことなんてないからなんだか照れくさいというかなんというか」
女神様がモジモジしている。かわいい。
「本当は毎日なんだけど、忘れることもあるから週に1回は水とお神酒とお供えをするよ」
おっさんが言ったら女神様はその辺にあったクッションをかぶってジタバタしはじめた。なにがそんなにはずかしいのだろうか。神様基準はよくわからん。
少したって落ち着いた女神様は帰ることにしたようだ。玄関先でおっさんが見送ろうとすると女神様はふとおっさんの家の屋根を見つめた。
「ねえ、おじさん。雨どい詰まってない?」
「ああ、そういやそうかも。災害級の雨の時には呼び出されてるから自分の家がおろそかになっちゃったのかもなあ」
「よし、そんじゃ水の流れをつかさどるわたしがなおしてあげましょうか。えいっ!」
女神様が横なぎに腕を振るうと雨どいにたまっていた落ち葉や砂が舞い上がって庭に落ちてきた。
「さすが神様」
「でしょう?」
本日2度目のドヤ顔である。
「女神様、今日は大変にお世話になりました」
「ううん、こちらこそおなか一杯までごちそうさま。おいしかったよ」
女神様はそう言うと出てきたときと同じ淡い光に包まれて道端の側溝に消えていった。
おっさんは次の日、女神様が出現した側溝の流末を探して側溝に詰まっていたゴミを掃除した。次に女神様に会うときは臭くないといいな、などと思いながら。