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第一章2-大地の咆哮-

前書きと後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


 樹齢数千年の大樹群が枝を四方八方へと枝を伸ばし、空がほとんど見えないほどその手を茂らせ、まるで森の天井とも言うべき様相を作り出している。地面も大樹に見合う立派な根が地下だけでなく、地上へと隆起した根がそこらじゅうで絡み合い、その表面を苔が覆い滑りやすい地形となっている。

 その中を一頭の巨狼が走り抜けていた。

 体長8メートルほどの巨大な肢体を滑らかに動かし、大きな根がうねっているアップダウンの激しい地形を軽快な速さで駆け抜けていた。

 

 巨狼の名はルガル。

 このクランガラクの森を守護する、十二支族の一つ狼族を束ねる長だ。

 

 ルガルはその眼を怒りと苛立ちに燃え上がらせながら、森の発端へと駆け続ける。

 この怒りに胸を焦がすのも、もう何度目だろうか? 

 段々と木々の焼ける臭いと人間の使う鉄の臭いを、その鋭敏な嗅覚で感じながら苛立ちと共に大きな岩を跳躍でかわし、大樹の森を抜けて樹齢数百年の巨木の森に入り、足元の根が大人しくなったことで更に加速していく。

 その頃には木々が焼ける臭いは更に増し、生木の燃えるパチパチという音が木の悲鳴となって耳朶にはっきりと聞こえ始める。

 


 全てのはじまりは5年前だった。

 人間たちの最も巨大な集合体である『帝国』というところから、(おびただ)しい数の人間が森へと押し寄せた。奴らは森の木を切り、魔物を殺し、森に火を放ち、森を侵していった。森に棲むモノたちは怒りの声を上げ、十二支族を中心に大挙して反撃を開始した。

 最初こそ地の利を活かして人間を押し戻しいたのだが、人間たちが『軍』という連中を投入してから形勢はすぐに逆転された。


 軍の連中は、まるで悪魔のようなアレ(・・)を使い森を蹂躙した。

 

 そして、その戦いで十二支族の長を三人失った。

 傷ついたルガルたちは、森の奥深くで深い眠りについていた彼らの神に助けを求めた。

 

 英霊精龍(カーディナルドラゴン)――激硫の大地、クランガラク。


 ルガルたちの乞いに応え、クランガラクは眠りから覚めた。

 生来気性の穏やかなクランガラクも、この時ばかりは憤りを露わにして、軍を含め森に侵攻した人間をその力で砕き、蹴散らし、吹き飛ばした。

 再び情勢が森側へ傾くと思った時、事態は急変した。


 ――クランガラクの死。という事態を迎えて――


 大陸一広大な森の全てを揺るがすほどの大きな咆哮が轟いた。それを聞いたとき、ルガルは胸を押し潰されるような気持ちになった。

 そして、今まで聞いたことの無いその叫びに似た声に言い知れぬ不安を覚え、隣にいたルガルの傷の手当をしていた猿族の長へと顔向けると、いつもは赤い顔をした陽気な猿族の長が、まったく逆の青い顔をしていることに気づき、不安は焦りに変わり声がした方向へと駆けつけた。

 


 そこには腹部に巨大な穴を穿たれ、息絶えた神の姿があった。

 

 周囲は焼け焦げ、地面には複数の大穴と、巨大な剣を刺したような細長い穴が無数に開いていた。

 ルガルたちは呆然とその死骸の前で立ち尽くし、やがて集ってきた森の家族たちと泣いた。

 自分の生まれた時から――いや、この森で今まで生を受けてきた全てのモノにとって、父であり母であった偉大なる龍の死に嘆き悲しみ、途方にくれ、それはやがて怒りに変わった。


 森にいる魔物全てに呼びかけを行い、太古樹ジルフの制止の声にも耳を貸さず、怒りのままに森の縁に野営していた人間たちを襲った。その人間たちは酷く弱く、抵抗も少なかった。

 

 ――だが、それは罠だった。


 単なる理性を持たない獣と化して、その場にいた人間を殺し尽くした。そして血に染まった口で荒い息をして、理性を取り戻した頃には周囲を軍に包囲されていた。

 軍の人間は口々に『大義を得た!』と叫び、今までに無い軍の勢力を投入して徹底的にルガルたちを攻撃した。苛烈にして執拗な攻撃を受け、ルガルたちは再び森の奥地へと敗走した。

 

 後になって自分たちが殺した人間は、軍によってあそこで野営するように言われた異国の大きな行商団だった事を知る――つまり何の関係もない人間たちを殺したわけだ。その上、軍には行商団の人間の仇討ちと危険な魔物を討伐する命令が下り、今もその侵攻は続いている。

 あの無益な戦いで十二支族の長を更に四人失った。もう森には支族の長は5人しか残っておらず、その中で戦いに優れているのはルガルだけだった。


 巨木の森を抜けて、自分の背丈と変わらない高さの森へと到達した頃には、むせ返るほどの煙と鉄の臭いが周囲に充満し、人間たちの声も耳に入る。五年前の戦いで、左耳の音を失ってからは随分音を聴く事に苦労している。

 森の奥へと逃げる小さな魔物たちを踏まないように、だが速度を落とすことなく駆け抜け、森と平地の切れ目が見えたところで跳躍し、まずは木を切るために斧を振りかぶっている兵士に飛び掛った。



                 ◇◆◇◆◇◆◇



「ふんふふ~ん」


 目の前で木々が切られ、火がつけられて燃える光景にその男――サーディアス帝国陸軍辺境征伐第三旅団を統括するカルロ=ヘンザ準級将軍は機嫌が良かった

 でっぷりと蓄えた脂肪を軍服に無理矢理押し込み、上等な皮のベルトで締め上げている。薄くなった頭は皮脂でテラテラと光り、柵に激突した豚のような顔でニタニタと笑っていた。見た目にはまったく有能そうには見えない男だが、実際大した能力があるわけでもない。

 家が帝都住まいの中級貴族の家系で、軍に大きなコネがあり出世だけは早かった。大した戦果や経歴があるわけでもないのだが、ただ一点敵(弱いものに限る)に対しては一切の情けを見せない点だけは、軍部でもある意味評価されている。特に敵領に火を放つことに対して異常に執着する悪癖があり、敵国からも自軍の兵からも『丸焼き男(ロースター)』のあだ名で恐れられている。


 カルロがご機嫌なのは、無論目の前で焼ける森を見ているからだ。

 燃える森の様子が一望できる場所に二メートルほどの仮設舞台を設置している。旅団級の司令官が作戦行動中に居る場所としては、一般的に考えてかなり現場――燃える森に近い場所にカルロはいた。

 上質な木は切り倒して下級兵に運ばせ、売れそうに無い木には容赦なく火を放つ。生木の焼けるパチパチという音を聞きながら、豪奢な椅子に座って手に持ったワインをグイっと煽る。


「んぅー! 燃える森を眺めながら飲むワインは格別だなぁ! なぁー君もそう思うだろう? マテオ君!」


 名前を呼ばれてビクっと体を震わせたのは、カルロの秘書官を務める下級騎士のマテオ=オニだ。気弱で神経質な細い容姿に丸い眼鏡を掛け、目の前で燃える森と自分の前で椅子に腰掛けワインを煽る上司を交互に見つつ、愛想笑いを浮かべた。


「は、はい。今日も豪快に燃えております……」


 すると、カルロはチッチッチッと指を振り、得意げな顔でマテオに振り返る。


「違うぅぅ違うぞ、マテオ君。燃えているのではない、この私が燃やしておるのだよぉ」


「は、はぁ、ごもっともでございます」


 再び愛想笑いを浮かべると、カルロは満足そうに頷き再び燃える森へと視線を移した。


(ふぅー疲れる……)


 ポケットから出したハンカチで、段々と後ろへと後退している広い額を拭きながら、カルロは自分の上司の背を見つめた。

 一年前に異動の通知がきて、自分があの(・・)丸焼き男(ロースター)の秘書官になると知ったときは、着任二日前まで一晩中神を呪いながら、普段は飲まない酒を記憶が無くなるまで飲んだものだ。

 だが、朝になって部屋の戸を激しく叩く音に二日酔いの頭を音で痛打され続け、普段は温厚な彼が、まだ若干残っている酒気と、本日付けで下級とはいえ騎士位に昇位したことを気持ち的な武器に『なんだ、こんな朝っぱらからぁー!』と扉を開けると、そこには絞めた子豚を片手に満面の笑みを浮かべたカルロ=ヘンザが立っていた。


 1秒間呆然とした彼は0.5秒でその場に土下座して謝罪していた。

 だが、カルロはニヤニヤとマテオの肩を叩くと部屋に上がり込み、呆然とするマテオの前で子豚を焼き始め、しばらくしてキッチンから胸焼けがするほどにジューシーな子豚の丸焼き(ローストポーク)を持って出てくると、彼に食べるように勧めた。

 相手は準級将軍、しかも直属の上司となる相手――当然断れるはずもなく。

 激しい二日酔いの最中、濃厚な豚肉を食べさせられた挙句に、如何に燃えるものを鑑賞することが素晴らしいかを力説したカルロは、帰る間際に――

『私の秘書官になる人間には、必ず私の趣向を理解してもらおうと思っているのだよ。ハッハッハァー!』

――と言い残すと、颯爽と脂肪を揺らしながら去っていった。

 

 扉が閉まった瞬間に、床拭き用モップのバケツに突き刺さるような形で頭を突っ込み、人生最大の嘔吐を経験したマテオは、フラフラとベッドに倒れこむと日付と時刻を知らせる鐘の音が鳴り、慣れない酒で完全に酔い潰れた自分が丸々二日寝てしまい、今日がカルロの秘書官となる当日であることを知り、もう一度バケツに顔を突っ込むことになった。

 あれ以来、酒と豚肉を受け付けない体となったマテオは、目の前で厚く切った燻製豚(ベーコン)を食べながらワインを飲む男の元で、粛々と次の異動命令が一刻も早く来るように毎日朝晩祈りながら仕事をこなしている。 

 

 それにしても、本当にこの準級将軍は作戦対象となったモノを燃やすのが好きな男だ。

 いつだって何かを燃やしている気がする。前回は敵国の町で、今回は目の前の森だ……そう思いながらマテオは、上司のワインが目減りしていることに気づき、慣れた手付きでワインを注ぎ足していく。



 注ぎ足されるワインを見ながら、カルロは抜群のタイミングだ。と、自分の秘書官が行うワインを扱う所作に満足げに頷いた。

 いやはや、今まで色々な人間が彼の元で秘書官を務めてきたが、今回のこのマテオ=オニほど優秀で気の利く者はいなかった。

 毎朝必ず1時間前には執務室に入り、その日必要な書類の用意してスケジュールも完全に把握し、訪問先の相手の趣味嗜好を事前に調べ、昼食はその日のカルロの気分をキッチリ予想し、馬車や蒸気車両で移動中に睡眠を取れる時間をカルロに教え、眠るカルロの横で自分は書類の整理をし、終業の刻を迎える頃にはキッチリとその日の仕事を終わらせて明日の用意までしている。

 そしてここが一番重要なのだが、カルロが飲みに誘うと絶対に断らないことだ――酒を飲むときはグラス一杯飲むたびに手洗いに行くという不思議な習慣を持つ男だが、ともかくカルロは大いにマテオを気に入っていた。

 

 その余りの優秀ぶりに感服したカルロは、先日マテオ宛に送致されてきた異動命令を自分の手元でキッチリと止めた。そしてこれがマテオの目に留まり、彼に異動命令を断る気苦労(・・・・・)をさせないようにと、そっと処分しておいた。

 優秀な部下が理想の上司の元で働ける機会を守る――将軍として当然の責務だ。という、当のマテオが聞いたら失神しそうな事実をワインと一緒に飲み込むカルロ将軍。

 ワインを飲み干したところで、作戦対象の森から兵の絶叫が聞こえてきた。

 そちらへとカルロが目を向けると、そこには巨大な狼が斧で木を切っていた兵士に喰らいつていた。ワインが垂れる口元を高価な将校着の袖で拭うと、カルロはニヤっと笑った。


「巨大なイヌっころめっ……やっと現れおったな! おい! 機甲騎兵(ドラグル)は護衛機を残して全機発進させるのだっ! 今日こそ、あの毛むくじゃらを丸焼きにしてくれるっ!」

 


 カルロの嬉々とした声に応え、後方に位置する本営陣地から、次々と全長8メートルほどの金属の塊が地面を滑るような動きで出てきた。更にその後方から形は大分違うが、やはり同じような金属の塊が森に向かってきている。

 地面を滑るように走ってくるのは、全長8メートルほどの巨大な亀に似た姿をした機械の化物だった。地面との設置面で体が僅かに浮いているらしく、走るよりも速い滑らかな動きで滑走している。  

 その後方から遅れて来ているのは、全高6メートルほどのやはり機械の化物。二足歩行を行い

腕の無い形をしており、前部に荷重を掛けているような前傾姿勢のまま走ってくる。

 

 これがサーディアス帝国が誇る武力の要――龍型機甲騎兵だ。


 大昔に帝国の前身である皇国が、グリムディア中央大陸に存在している古代遺跡を調べる過程で次々と発見されたのだが、彼らの技術や知識ではそれらが兵器の類である。ということ以外は分からなかった。

 だが、20年前に一頭の英霊精龍(カーディナルドラゴン)が死んだ際に、4種類発見されていた内の一種類が稼動の気配を見せた。躍起になって研究を行った末に、この龍型機甲騎兵 という複雑な構造をした機械は、古代で使われていた強力な兵器であり、英霊精龍(カーディナルドラゴン)と深い繋がりがあることが判明した。


 稼動の気配を見せたものの、最後の最後で動力が抜けている。

 そして試行錯誤の稼動実験の最中、死んだ英霊精龍(カーディナルドラゴン)の眷属である龍の体内で構成する『龍玉』といわれる宝玉を動力部に入れると、それは遂に起動したのだ。

 それからは全てが怒涛の勢いだった。

 新たな英霊精龍(カーディナルドラゴン)が死ぬたびに、帝国は新しい力を手に入れるべく龍たちを殺し、宝玉を奪っていった。


 そして今や帝国の軍事力は他の国家のそれとは比べ物にならず、魔物すらも恐れるに足らない存在となったのだ。


 龍型機甲騎兵――長いので大体、龍騎兵(ドラグーン)機甲騎兵(ドラグル)と呼ぶのが一般的だ。


 亀に似た四足の龍騎兵が複座式陸戦一型龍騎兵――ガラク。

 一回り小さく二足歩行型の龍騎兵が単座式陸戦二型龍騎兵――アレス。


 それらが各100機ずつ合計で約200機、カルロのサーディアス帝国陸軍辺境征伐第三旅団には配備されている。

 カルロとしては、地形を選ばず高速起機動が可能なガラクよりも、火器に優れたアレスをもっと自分の元に配備したいのだが、 龍型機甲騎兵の扱いは軍の最上層部と枢密院で決定されることなので、準級将軍のカルロ如きがどうこう出来る問題ではない。


 ガラクがその巨大な体をホバーさせながら、巨大な狼へとある程度接近すると、背中の巻貝を背負ったヤドカリのヤドに似た機関が、重なった上下部分がそれぞれ逆方向に回転し、激しい高音を発する。そして体の大きさからすれば随分小さな顔の口が開かれ、そこからバチバチと電気を発する弾丸が高速で射出された。

 

 巨狼ルガルは、それを見てから避けることが不可能なのを身を持って経験しているため、とにかく射線が定まらないように動き回り、残弾が尽きた機体を狙って接近しようとするが、すぐに他のガラクからの射撃を受けて後退を余儀なくされる。

 

 森の縁まで再び後退したところで、前線へと合流したアレスが攻撃を開始する。

 背中にあるエラの様な機関が口を開けると、そこから空気を吸い込み頭部の眼が赤く光ると、口から次々と炎弾を吐き出し始める。護衛機を除いた総数180機の射撃を受けて、ルガルはたまらず森の中へと逃げ込んだ。

 そして森の奥へと退避したルガルが森の外の様子を伺うと、弾切れになったガラクたちが地面の土を口から内部へと取り込み、それを再度弾へと換えるべく背中の機関を動かしている。更にアレスたちが森の縁から10メートルほどの位置で等間隔に並ぶと、口から炎弾ではなく放射状の炎を吐いて森に凄まじい勢いで火を放ち始める。


 火の手は先ほどとは比べ物にならないほどに早く回り、ルガルの視界を赤く染めた。このままではここもすぐに火が手が回ると思い、ルガルが更に森の奥へと後退しようとした時、視界の隅にあるものが映った。

 それは小さな鳥の巣だった。

 若い木の枝に巣を作った小さな小鳥の夫婦が、巣にいる孵化して間もない小鳥と迫る火の手を前にどうすることも出来ずに、ピーピーと悲しげな声で鳴いていた。

 咄嗟にルガルが小鳥たちを助けようと身を翻した時、アレスの火炎放射が扇状に横移動し、木々を舐め尽す炎が小鳥の家族を呆気なく巻き込んだ。巣は炎に包まれ、小さな体を火達磨にした鳥の夫婦が地面へと落ちていく。


 ルガルはその光景を見て、今までもずっとこんなことがこの森で起こり、そしてこれからも続いていくという事実に、気が狂いそうなほどの怒りが湧き上がる。

 自らの欲のために――森の仲間を殺し、神を殺してその眷属たる地の龍を皆殺しにして、その上母なる森までも侵し続ける。広大なクランガラクの森はすでに、元々の面積の4割近くを焼失させていた。

 

 ――何故こんな仕打ちを受け続けなければいけない。

 ――いったい自分たちが何をしたというのか。

 ――いつになったら終わるのか。

 ――森が死ぬまで?

 

 もう限界だった。

 もうこの森に棲むものでアレとまとも戦うことが出来るのは、今やルガルだけだ。

 だがそんなルガルでさえ、連携の取れた攻撃をされれば手も足も出ない。

 しかし、このままでは確実に森は消えてしまう、そんなものをルガルは見たくなかった。

 ならば……ならばいっそのこと、ここで一思いに――。


 ルガルは森の奥へ目を向ける。

 父であり母であった英霊精龍(カーディナルドラゴン)と同様に、この森の全ての祖父と言っていい存在である――太古樹ジルフ老。

 昔まだ自分が子供の頃、よくあの巨大な体に登ろうとして、今は亡き父に叱られたものだ。

 ずっと見守ってくれた存在で、ずっとお守りするのが自分の役目のはずだった。

 だが、ルガルにはもう戦い抜く意志が持てなかった。

 報われずに散っていく、家族ともいうべき森の仲間たちの死を看取り続けてきた。その生き残った強い体とは裏腹に、精神は消耗し尽して生きる気力さえも掻き出していく。

 

 だが、最後の希望もあった。

 現れた見知らぬ黒い龍。

 英霊精龍(カーディナルドラゴン)の理を外れた偉大なる存在。

 ルガルが助力を求めなかったのは、森の主たるクランガラクを守ることが出来なかった自分たちが、恐らく龍族であるからには何か大きな宿命を背負ったクロウシスに助けを求めることなど、彼に出来ようはずが無かった。

 しかし、恩に厚そうなあの龍神ならば、自分の死を知り仇をとってくれるかもしれない。だからこそ、自分の死にはきっと意味があるのだと、ルガルは弱った心の自分に言い聞かせた。


 そしてルガルは、最後に残る意志を総動員して、森の外で今も森を殺し続ける怨敵に一矢報い――死んだ仲間たちの元へ行くために、体に力を込めて一気に走り出した。

 


                 ◇◆◇◆◇◆◇



 森の中へと引っ込んで出てこない巨狼に、カルロは面白くなさそうにワインをちびちびと飲んでいた。その横ではマテオが、吹き寄せる熱波を受けて額に浮き出る汗をハンカチで拭いていた。


「つまらんではないか、あのデカいイヌっころめ。畜生の分際でやたらと頭がいい。向かってきて楽しませてくれるのはいいが、手間が掛かるだけなのは好かんな」

「は、はぁ……仰るとおりです」


 苛立たしげにワインを煽ったカルロのグラスに、マテオがボトルに残るワインを注ごうとした時、カルロが突然嬉しそうな声を上げて席を立った。その拍子に落ちそうになったワインボトルを空中で必死に掴んで、ホッとしたところで森へと目を向けると、あの大きな狼が森から飛び出して、近くにいたアレスに組み付いたところだった。


 馬鹿な狼だとマテオは思う。

 もう随分前からこの森には再三攻撃を仕掛けているが、その度にあの狼は抵抗してきた。何のためにこんな抵抗を続けるのかは知らないが、もう敵わないことくらいは獣の頭でも分かっているはずだろう。

 それでもあの巨狼は、押し倒したアレスの強固な装甲に必死に牙と爪を立てて、横合いから押し倒しているアレスごと火炎放射を浴びて、火達磨になりながら横合いに転げて土で火を消し、すぐにまた倒れたままのアレスへと襲い掛かる。

 まるで一体とは確実に刺し違えてみせる、とばかりに。

 倒れたアレスへと飛びかかろうとした時、前方から撃たれたガラクの石弾が身を掠めて、その衝撃だけで体がフラつき、横腹が一文字に裂けて血が滲み出ていた。

 地面に倒れてなお唸り声を上げて威嚇する巨狼を包囲して、ついに止めが刺されるという時に、それは起こった。


 凄まじい地震が辺り一面を揺らし、次第にそれは震度を増していく。

 龍機兵に乗っている人間もまた困惑したのだろう、動きを止めている。その隙をついて狼が森の中へと体を引きずる様にして逃げ込んでいく。


「ええぇーい! なんだこの地震は! これではまるで――」


 もうちょっとのところを邪魔されて憤慨するカルロが、何かを思い出したかのように言葉を詰まらせた。



「――これはまるで、5年前の……」


 そのカルロの呟きは、凄まじい地震と地鳴りに掻き消された。


 そして――それは現れた。


 短く切られた切り株が点在する森の縁。

 そこに展開していた龍機兵たちの足元が突如として隆起し、まず現れたのは巨大な頭だった。ゴツゴツとした岩のような体表に、丸いドリルのような鈍角形の頭部が姿を現し、続いて龍騎兵ガラクなど問題にならないほどに巨大な小山のような岩のヤドが土砂を巻き込みながら地中から抜け出し、太く強靭な足を地面に着けると体の下半分は地面に埋まったまま体を曲げて顔と体を前へと向ける。

 使い込んだシャベルのようなフォルムの顔にはデコボコとした凹凸があり、目に当たる部分は窪んでおり、そこには地中を移動するために二重のフィルターの役割をする分厚い瞼があった。それがゆっくりと開かれると、そこには黄金の瞳が炯々と輝きを放っていた。


 ゆっくりと首だけで巨大な頭を巡らして、周囲を見渡す。

 呆然と立ち尽くす龍騎兵と仮設舞台に立つ二人を見て、最後に森の縁からその巨躯を見上げる狼に目を向けると、その巨龍――激硫の大地クランガラクは咆哮を上げた。



                 ◇◆◇◆◇◆◇



 何が起きているのか、ルガルには分からなかった。

 身に覚えのある地震と地鳴りを感じて、しかしそれはもう二度と感じないはずの振動だった。だが、その振動を起こしている者が自分たちの足元に来たことを、鋭敏な足裏の触覚で感じ混乱するルガルに声が聞こえた。


 ――森まで走れっと。

 

 そして地面を破砕して現れたのは、5年前にその(むくろ)すら人間に持ち去られた彼らの神の姿だった。

 自分はもう死んで夢を見ているのではないかと、ルガルは思った。だが、傷の痛みはズキズキとこれが現実だと彼に教えている。

 体の前半分だけを穴から出したクランガラクは、ゆっくりと首を巡らせてその場にいる人間たちを見て、やがて森の縁で荒い息をしているルガルに目を留めた。

 ごつごつとした岩肌のような顔の中で、異彩を放つ黄金の瞳と目が合う。

 その瞳の色を見て、ルガルは全てを理解した。

 激硫の大地クランガラクの瞳は、本来は大地の色である茶色だ。

 そして彼が知る中で、黄金の瞳などという希少な眼の持ち主は一人しかになかった。


 ――――グオォォォォォォォォォォォォっ!


 轟く咆哮による振動をビリビリと体で感じながら、クランガラクの森に棲まう十二支族の生き残りである誇り高き巨狼は、その眼から涙を零した。

 


 ――我らの神が、あの黒龍の体を借りて戻ってきたのだ。



                ◇◆◇◆◇◆◇



 別の龍の体でその能力を使い戦う。などということは、クロウシスの数千年生きてきた中でも、勿論初めての出来事だった。


 人間から元の黒龍の姿へと戻った時と同じで、それが出来ることがまるで本能として当たり前のように感じ、それが教えてくれる通りに体を変化させていった。


 ――いや、変化というのは正しくないのかもしれない。

 

 人間から黒龍へと戻る際は、確かに体が変身していた。細胞のレベルから全てが書き換えられて、ドラゴンへと戻る感覚があった。

 だが、この激硫の大地ことクランガラクの体へと体を転じる際に感じたのは、高度な魔法による偽装に近い感覚だ。あくまで基本となる体は黒龍クロウシスケルビウスのままで、高密度な魔力を使った極めて高度な魔法によって、ほぼ完璧な偽物を作り上げている。

 それがクロウシスの出した結論だった。

 

 地中を掘り進むという新しい体験を済ませて、地中からルガルに呼びかけ、ルガルが巻き込まれない位置まで逃げたのを確認してから、敵のど真ん中にその姿を現した。

 周囲を見渡すと、そこにはここまで人間たちが森を食い破ってきた証しである、大量の切り株が無残にも乱立し、その中に変な仮設舞台の上でこちらを阿呆みたいな顔で見上げる二人組が眼に入る。

 身なりがいいことから、それなりの立場にいるものだろうとクロスシスは推察した。

 まさかこれだけの規模の軍隊を率いている司令官が――戦場の中であんな舞台の上に立ち、アホみたいな顔でこっちを見ている人間だとは、さすがの賢龍にも予測することができなかった。

 

 そして自分の周囲に展開している龍騎兵に目をやる。

 機械とは珍しい――クロウシスが元々いた世界にも、地下世界で一度こういうものに近いものを見た気がする。力と魔力が大体そこそこで収まる人間が、その他種族にはない特異な知恵で生み出す道具の数々、その中でも厄介なのが――この機械だ。


 大体は魔力を持たないものでも扱え、大抵の場合は魔法に劣るのだが、ある一線を越えてくると魔法よりも厄介な存在になってくることがある。今回のこれは見た限りでは、まだ魔法とドッコイドッコイくらいの物のようだ。だが、それを動かしている動力の正体に気づくと、クロスシスの瞳がすっと剣呑なものとなる。

 そして最後に森の縁より自分を見上げるルガルを見ると、体毛が全体的に焦げて横腹を横一直線に切り裂かれて、白い体毛を赤く染めていた。


 傷ついたルガルから視線を外して、ふつふつと湧き上がる怒りと共に周囲の人間たちに目を向けた。

 一瞬、脳裏に元の世界で共に戦ってきた人間たちの顔がよぎる。だが、これほどの非道を働く連中ならば、恐らく彼らなら自分と共に戦うことすら選んでくれるだろう。

 そう確信し、己の中で迷いを断ち切り眼をカッと開ける。


 ――――グオォォォォォォォォォォォォっ!


 咆哮を上げて、近くに立ち尽くす龍騎兵を前足で踏み潰す。足の下で爆発した衝撃を分厚い皮膚で鈍感に感じ、次の一体を更に踏み潰した。

 そこでようやく我を取り戻した人間たちが龍騎兵を操作し、クランガラクの姿をしたクロウシスへと攻撃を開始した。背中のヤドを回転させて岩の弾丸をクロウシスに向けて撃ち出し、アレスも炎弾や火炎放射で攻撃するが、頑強なクランガラクの堅殻で全て弾かれていく。

 クロウシスが背中にある未知の器官へ命令を飛ばすと、背中にある巨大な三段重ねのヤドが高速回転を始め、ここへ来るまでに地中深くで大量に喰らった岩盤が、腹腔から背中のヤドへと移りそこで精製され、純粋な磁力を持つ鉱物の塊が再び腹腔へと戻り、そこから内燃器官による魔力の充填を受け、ヤドの回転で生じる激しい電流を帯び、白く輝くそれを口から射出した。

 距離を取っていたガラクの一体が回避行動など起こす間もなく直撃を受け、ガラクを粉々に粉砕した砲弾はそれだけで勢いを殺しきれるわけも無く、地面へと着弾すると地表が爆砕し、土砂が10メートルほど垂直に上がり、辺りには粉々になったガラクの部品と土砂が飛散した。


(なるほど……面白い構造だ)


 冷静に英霊精龍(カーディナルドラゴン)、激硫の大地クランガラクが持つ能力に感心しながら、次々と目に付く龍騎兵にそれを射出させていく。

 すぐに周辺は人間たちにとって地獄絵図となった。

 自分たちの攻撃は相手にいっこうに効かず、逆に自分たちは避けることもできない攻撃で一撃で粉砕される。そしてその粉砕された仲間の部品が空から延々と降ってくるのだ。

 恐慌寸前の中で、ある者が一つの事実に気づく。そして自分へと死の照準が合わされる前にそれを実行した。

 

 クランガラクのクロウシスは最初に出てきた穴から体の前半分、上半身だけを出している。言わば固定砲台のようなものだ。自然とその射角範囲は前方に限られる。だから龍騎兵に乗るものたちは、その背中側へと回り始めた。もし仮にクロウシスが穴から出てきたり、穴に入ったまま上半身の向きだけを変えて来るならば、こちらは小回りが利くことを活かして、クロウシスの動きに合わせて背後に回り続ければいい。

 早速背後に回ったガラクとアレスの各機が、方向を変えてこないクロウシスに作戦が成功したと思い、次々に加速させた岩弾や炎弾を背中へと浴びせるが、背中はクランガラクの硬い体の中でも最も甲殻と堅殻が重なり合い、一際分厚くなっている箇所なので掠り傷しかついていない。

 だが、それでもさっきとは逆の立場で一方的に攻撃できることに安心し、彼らはクロウシスの背後から攻撃を続ける――そして後悔することとなった。

 

 クロウシスが本能に似た何かが教えてくれるままに、背中の器官に命令を飛ばすと、背中の小山のような三段重ねのヤドが、通常とはそれぞれ逆方向に回転を始めた。すると回転で生じ通常はヤド内部の器官で弾丸の精製や射出を行う力が、外へと放出され激しい放電に似た白雷が暴れ回り、それに触れた龍騎兵は大きく痙攣し、精密な機械部分を破壊すると同時に中にいる人間を次々と焼死させていった。

 そして慌てて前側へと逃げ込むと、そこには反応できないほどの高速で射出される弾丸が待ち受けており、程無くして200体いた龍騎兵ガラクとアレスは護衛機を含めて数機を残して壊滅していた。



 そのあまりの光景にカルロとマテオが仮設舞台で呆然と立ち竦んでいると、敵を粗方殲滅したのを確認したクロウシスが体を動かし、クランガラクの体がついに地表へと完全に姿を現した。

 全長はおよそ40メートル、尻尾はあまり長くないのが特徴だろうか。

 その巨大な体を揺らしながらクロウシスは、立ち竦む二人の前にやってきた。完全に逃げるタイミングを逃していたカルロとマテオはお互いに抱き合い、震えながらその場にへたり込む。その二人に出来る限り顔を近づけて、黄金の瞳で睨みつける。


「……貴様らの主に伝えろ。我は森を守護するために蘇った亡霊だ。この森に手を出せば、貴様らを徹底的に殺す。森に来なければ、こちらからは何もしない――いいな?」


 二人は言葉が出ず、首を壊れた玩具のようにカックンカックン動かした。

 

 必死の形相で頷く二人から眼を切り、その背後へと眼を向けるとこの部隊の本営が見える。透視と解析で視ると、そこにはもう人っ子一人残っておらず、クロウシスによるあまりに一方的な戦いを見て、本営にいた兵士たちは二人を残して全軍で逃走したらしい。しかし、そこにはまだ運搬用と思われる蒸気機関を使った車両が残されていた。

 

 クロウシスが背中の器官を再度回転させ始め、至近距離で堅い岩をすり潰す音と隙間から洩れる回転の高音に二人が耳を抑える。そして白雷がヤドの隙間から洩れ出るほどまで充填したところで、クロウシスが口から今までに無い大きさの砲弾を射出させた。超高速で直線弾道を維持した砲弾は二人の頭上を一瞬で過ぎ去り、本陣営の真ん中辺りの地面に着弾する。

 凄まじい爆発が起こり、爆心地には50メートルはあろうかという土砂が垂直に噴き上がり、衝撃が爆風となって押し寄せて、二人は風に吹き飛ばされて(もつ)れ合うように仮設舞台から転げ落ちる。そして舞い上がった土砂が雨のように降る中に、呆然と本営があった方向を見ていた。そこにクロウシスの声が降り掛かる。


「帰りは歩くがいい――」


 そう言って背後で森の方へと歩いていく足音を聞きながら、マテオは恐怖と涙と鼻水と土砂でグシャグシャになった顔で泣きながらマルコを揺さぶる。


「ヘ、ヘンザ閣下! わ、私たちた、たたたた――たす、助かったんですよぉー!」


 号泣する優秀な秘書官に体を揺さぶられながら、丸焼き男(ロースター)ことマルコ=ヘンザは呆然と吹き上がる土煙でいまだ様子すら掴めない本営跡地を見ながら何事か呟いていた。


「あ、ありえん……五年前と同じだ、同じだが……威力が違いすぎる」


 呆然と呟く準級将軍と滂沱と涙を流す下級騎士の秘書官は、しばらくはそのままだった。



                 ◇◆◇◆◇◆◇



 闇の帳がクランガラクの森に降り、森の奥地は元々日差しが入りこみ難い場所だが、不思議と月明かりは美しく、淡い光を木々の切れ目から地面を丸く照らしていた。

 人間の姿に戻ったクロウシスは、その光の中に横たわる巨狼ルガルの傷の手当を行っていた。乗り捨てられていた龍騎兵の内部から救急キットを発見し、それを手に魔法で眠らせたルガルを月明かりが照らす場所へと運び治療をしている。

 8メートルの巨狼の体に乗っかり、同じく拝借してきたナイフを高温の炎で炙って消毒し、今はそれでルガルの腹部を裂いて内部に腕を突っ込んでいる。

 その様子を集まってきた魔物たちが遠巻きに心配そうに見つめ、太古樹ジルフも息を潜めてはいるが、やはり心配なようで視線は感じていた。


「……あったぞ、これだ」


 臓器を傷つけないようにしながら腕を引き抜くと、血まみれの手の中に人間の子供の頭ほどある圧縮された岩の塊が出てきた。1年ほど前に龍騎兵ガラクの撃ち出す岩弾の直撃を受け、貫通しなかった弾が体内に残っていたのだ。

 取り出したそれをシゲシゲと見つめて、地面に放り捨てる。

 龍騎兵の部品から急ごしらえで作った縫合針で傷口を縫うと、傷口に手をやり細胞活性の魔法を唱えると、傷口は見る見るうちに塞がっていった。血に塗れた体表を煮沸消毒した布で拭き、毛が無いツルツルになった腹部をペチペチと叩くと、クロウシスは頷く。


「弾が出していた毒素は抜いた。内臓に損傷がなかったのが幸いだったな。我もこんな道具だけでは、損傷した内臓機能までは回復させる自信がなかった」


 全身を血に染めたクロウシスがジルフに向けて言うと、ジルフは安心した声音で声を森の中に響かせる。


「若旦那ぁぁぁ。本当に助かったでなぁぁぁぁぁ。森を代表してぇぇぇ礼を言わせてくれるかのぉぉぉ。わしはルガルにぃぃぃぃ随分多くのモノをぉぉぉ背負わせてしまっていたようだわぁぁぁぁ」


 太古樹ジルフ老の声に、あの時恐らく自ら望み死を受けようとしていた巨狼へと目を向ける。

 ややテンポが早いものの、概ね一定のリズムで規則正しい呼吸を繰り返すルガル。

 

 ――この巨狼もまた、その命を燃焼させようとしていたのだろう。

 

 だが、たった独りで戦い、その死から高潔な意志も想いも受け継いでくれる者がいないのは、あまりに不憫なことだとクロウシスは思う。

 だから――間に合って良かった、と思った。

 この巨狼はこの森にとってかけがいの無い存在だ。それを証拠に、治療中は色んな種族が入れ替わり立ち代り訪れては、ジルフに諭されて遠巻きで見守ってくれていたのだから。


「若旦那ぁぁぁ。これからどうするおつもりなのかのぉぉぉぉぉ?」


「うむ。この世界のことを色々と知っておきたい。故に、人里へ行ってみようと思う」


「そうかぁぁぁぁぁ。うむぅぅぅ若旦那はきっと今のこの世界に必要な御仁だからのぉぉぉ」


 そう言いながらも、太古樹の声には少し残念そうな響きがあった。


「世話になっておきながら、すまぬな」



「よしてくれぇぇぇぇぇ、助けてもらったのはぁぁぁこの森の方だでなぁぁぁぁぁ若旦那がクランガラクにぃぃぃぃ転じたのをみてぇぇぇわしは希望をみさせてもらった気分だでなぁぁぁぁ。あいつとはぁぁぁ永い永い付き合いじゃったからのぉぉぉぉぉ」


 喜びと哀惜を含んだ大きな音声(おんじょう)に耳を傾けていると、小さな猿の魔物の子が何かを持って駆け寄ってきた。

 何事かと見ると、子猿は震える手で小さな木の実を差し出していた。


「我に……くれるのか?」


 クロウシスが驚きながら尋ねると、子猿は(せわ)しなく頷いた。

 その様子に目を細めつつ、木の実を小さな手の平から受け取る。(あお)い小さな実で、子猿の手からちょっとはみ出す程度の小さなものだった。

 シゲシゲとそれを見ていると、子猿がクロウシスの顔を見ていること気づく。食べて欲しいのだろうと思い、おもむろに口の中に放り込むと、口の中に仄かな渋みと共に甘さが広がった。

 

 ――そういえば食物を摂取するのは2000年ぶりくらいだったかもしれない。


 と思いつつ、口の中に広がる味わいを吟味する。やはり単なるドラゴンだった頃よりも、味覚が敏感になっている気がする。とても小さな実だったにも関わらず、美味しく感じられた。


「馳走になった」


 そう言って子猿の頭に手を置くと、子猿は嬉しそうにキキっと鳴いて群れの中へと帰っていった。


 それからは大変なことになり、色んな魔物がクロウシスに食べ物を持ってくるのだが、木の実から始まり草とか虫とか、果てには自分自身を――という、中々大胆なモノもあったが、その大半をクロウシスは抵抗なく受け取り、一通りは食していった。自分自身――には説教をした。

 甘い、辛い、苦い、酸っぱいなどドラゴンである自分の舌が、如何に人間よりも大雑把な味しか感じていなかったのか、ということを思い知っていると、ふと横に寝ている巨狼ルガルへと目を向ける。


「それはそうと、ジルフ大老。ルガルは自分の姿を見て自害とかしないであろうな?」


「大丈夫とおもうんじゃがなぁぁぁぁぁぁぁ」


 横腹の一文字傷の治療と縫合、そして腹腔の岩弾を取り出す際に、傷の周りの体毛を粗方刈られたルガルの腹部周辺は見事に禿げ上がっていた。



                  ◇◆◇◆◇◆◇



 朝露が草木を濡らす中、森を抜けた先に広がる広大な平原を一望し、クロウシスは世話になった

クランガラクの森へと振り返り、その広大な自然の領域をしばらく眺めてから、改めて平原を歩き始めた。

 歩き始めて5分ほど経過したところで、後ろから獣の遠吠えが聞こえてきた。

 後ろを振り返ると、巨大な狼の白い巨躯が森の縁に立ち、こちらに向かって遠く長く響く声で吠えていた。


 ――まだ体力すら戻っていないであろうに。


 クロウシス振り返ったことを確認し、ルガルは頭を深く深く下げていた。その姿にクロウシスは、息を吸い込み、魔力で声音をドラゴンのモノにして咆哮で返した。驚いたように頭を上げたルガルは、すぐにもう一度大きく長く吠えた。

 クロウシスは片手を上げて、今度こそ背を向けて森とは逆の方向に向かい歩き始めた。背後から聞こえる、感謝の遠吠えを聞きながら。



 森を出て二日間ほど歩き続けた。

 体の構造は間違いなく人間なのだが、一皮剥けばドラゴンであるせいだろう。体はまったく疲れることを知らず、いくら歩いても堪えることがなかった。だが、一応空腹は感じるらしく森でもらった果実などをかじりながら歩いていると、ついに街道へと出ることができた。

 人の整備した一直線の道は、当たり前だが左右に分かれており、そのどちらも起伏の激しい丘の向こう側へと続き先は見えない。

 どちらへ行くかと少し考えたが、東から流れてくる風にわずかな潮の匂いを感じた。海があるならば恐らく港町や漁村があるだろうと思い、そういった場所なら得られる情報も多いかもしれないと、大して迷うこともせずに東へと続く街道を歩き始めた。

 

 果てなく続くのではないかと思うほどに、長い街道を歩いていると、ここを今まで通ったであろう様々な人間の幻が見えるような気がして、彼方へと続く白く街道を目で追っていると、街道の側に立つ木の側に三人組の男が立っていることに気づいた。

 やがてその男たちの立つ木の側まで来ると、三人組がそれぞれに武器を片手にクロウシスの前に立ち、道を塞いだ。

 何事かと顔を上げると、男たちは粗野で剣呑な――極めて威圧的な態度でクロウシスへと声をかけてきた。


「おーっと、ここを通りたければ身ぐるみ置いていってもらおうか」


「俺たちはこの街道を縄張りにしてるモンでなぁ、ここを通る奴に通行料を貰ってんのさ」


「分かったら、とっとと持ってるものから着てるものまで全部置いていきやがれっ!」


 三人がそれぞれに同じ粗末な武器を手に、威圧的かつ乱暴な口調で金品を要求する。

 それを見たクロウシスにはピーンっ! ときてしまった。


「もしかして、貴様らは野盗……か?」


 若干自信無さ気に言うクロウシスに、男たちは怒りを露わにする。


「はぁ!? 街道で武器持って身ぐるみ置いていけってんだぞ! 野盗じゃなくて何だって言うんだよ! バカかてめぇーは!」


「そうだ! 命が惜しけりゃさっさと身ぐるみ置いて消えな!」



 その返しを受けて、クロウシスは場違いにも若干の感動を覚えて空を見上げる。


「そうか、我が野盗に襲われることがあろうとはな……いや、すまん。ちょっと感慨深いものがあってな。軽い感動を覚えてしまったのだ」


 様子がおかしいというか、クロウシスを変なヤツだと思った野盗が顔を見合わせた瞬間、クロウシスの体が一瞬ブレるほどに素早く動き、右の拳が正面真ん中にいた野盗を殴り飛ばすと、その野盗は10メートルほど地面と平行に飛んだ挙句に、地面へと落ちゴロゴロと更に15メートルほど転がって止まった。その姿をつい目で追ってしまった二人の野盗の間で、クロウシスの両の腕を唸りを上げ、二人の顎を砕かんばかり一撃を下から打ち込むと、残る二人も気絶した。


「ふむ。この場合の正しい対応は……」


 三人の気絶した野盗を側の木へと括り付けると、まだこの世界の文字を把握していないことを思い出し、仕方なくクロウシスが元いた世界で野盗を示す『三日月』と『短剣』の絵を地面に消えないようにしっかりと彫って、その場を後にした。


 野盗が持っていた武器のみを没収して、その武器をそれぞれ確認しながら歩いていく。

 

 錆の浮いた大振りのナイフが4本、了。


「………」


 相手が長物を持っていたらどうするつもりなのか――いや、その為の三人行動なのかもしれない。と、野盗たちの戦略の真意について真剣に考えつつ、粗末な武器を懐にしまい、まだまだ続く街道をひた歩いた。


 野盗に襲われてから半日ほど歩いたところで、ついに町が目に入った。

 数時間前に看板があったことから、そろそろだろうと思っていただけに、ちょっとした感動を味わった。


(そうか、人間はこうやって町から町へと移動して旅をするのか)


 またも感慨に耽っていると、町から爆発音がした。

 目を丸くして、町へと目を向けると港と思われる場所で煙が上がっていた。そして僅かに見えたのは、見覚えのある大きな機械のシルエット。

 クロウシスは表情を険しくして町へと急ぎ、一気に足を加速させた。



                  ◇◆◇◆◇◆◇



 いつもは穏やかな雰囲気で活気のある小さな漁港が、今は悲鳴と怒声が飛び交う凄惨な状態となったいた。

 帝国軍の兵士たちが武器を手に、町民を港の一角に集めて包囲している。そして二人組みの男女を自分たちの前に跪かせていた。



「いい加減観念したらどうだ、ダバン。お前らが我らが帝国軍に対してよからぬ動きをしているという情報をこちらは持っているんだぞ」


「いやいや、オレはそん大それたこと考えたことねぇーですぜ。オレたちゃただの漁師だっ」


 分隊長の詰問に、腕を後ろ手に縛られて座らされているダバンという男が、愛想笑いを浮かべながら否定すると、後ろから首を銃底で殴られて顔から地面に受身も取れずに倒れる。

 港に集められた町民から悲鳴が上がり、続いて怒声を上げるが銃を突きつけられて黙らされる。その様子を分隊長の男がふんっと鼻で笑う。


「その舐めた態度がいつまで続くのか楽しみだな。おいっ起こせ」


 分隊長の命令に兵士がダバンの体を起こす。

 2時間ほど前に突如として現れた帝国軍の分隊が町を占拠し、町の人間を全て港に集めた。そこから始まったのは言われなき不当な尋問だった。

 その嫌疑は『この港町に、帝国に対して反乱行動を起こす組織に対して、支援・幇助をしているものがいる』というものだった。そしてその容疑者として上がったのが、港を仕切っているダバンと妻のディールだった。


「ダバン。お前が正直にならなければ、お前の上さんが酷い目に遭うぞ? それでもいいのか、お前は?」


「あんたっ! あたしたちは何もやましいことなんて無いんだ! こんな仕打ちに屈しちゃ――」


 大声でダバンを叱咤しようとしたディールの後ろ首にも容赦なく銃底が叩き込まれ、失神したディールが地面に倒れこむ。


「ディール! てめぇら……女にまで手を上げやがって、それでもナニはついてんのか!」


「黙れっ!」


 また銃底を打ち込まれてダバンも地面に倒れる。


「おいっ水をかけて女を起こせ」


 分隊長の命令にバケツを持った兵士が失神したディールに水をかけて、意識を無理矢理に覚醒させる。


「二人とも起こせ」


 そして夫婦は髪の毛を掴まれて、また無理やり起こされる。


「ひでぇ……こんなのあんまりだぁ」


「帝国の兵士なら何やってもいいのかよ……」


「ディールさんは妊娠してるかもしないのに……あんなこと」


 口々に不満と怒りの声を洩らす町民たちを銃で黙らせる。そして分隊長はニヤッと笑い、ディールの前にやってきた。


「いいことを聞いたぞ、女。お前は妊娠しているかもしれないそうじゃないか」


「お、おい……やめろっ! 何考えてるんだてめぇー!」


 怒声を上げるダバンを、その後ろに立っている兵士に目配せして銃底でまた殴りつける。


「無事に生みたいよなぁ。確かお前らはまだ子供がいなかったはずだ……初めての子供かもしれないんだろう?」


 震えるディールの髪を優しく撫でると、その顔を上に上げさせる。


「10秒やる。言え、帝国に反抗する異分子の手助けをしているのはお前たちだな? 言わなければ、お前の腹を銃で殴り続けてやる」


 そのあまりに残酷な要求に町民がついに切れた。


「この人でなしー!」


「何が軍人だっ! ふざけるな! それが人間のすることか!」


 口々に怒号を上げて、銃を突きつけられても今度は黙る気配がなかった。


「おいっ」


 隊長が声をかけると、兵士が手信号で港の入り口へと合図をすると、ほどなく港の入り口のアーチを破壊しながら、巨大な化物が港へ侵入してきた。

 ずんぐりとした形からは、想像できないほどに俊敏な動きをするそれは、複座式陸戦一型龍騎兵――ガラクだった。


 ダバンたちを挟んで、町民たちと向き合うようにして止まったガラクは、威嚇するように背中のヤドを回転させると、キィィィィィンという高音が港町に響いた。

 帝国の武力の象徴たる龍騎兵(ドラグーン)の異形を前にして、その迫力に町民たちは声を上げることが出来ず、恐怖と悔しさに泣く者もいた。


「さぁ、10秒かぞえ――」


「見るにも聞くにも堪えない行いだ」


 分隊長の言葉を遮り現れたのは、見慣れない黒い服を着た男だった。

 その男は、分隊長の男やダバンたちの正面20メートルほどの所にいつの間にか現れていた。

 若く見えるが、妙な貫禄があるために年齢は定かでない。くすんだ茶色い髪の毛に灰色の目という平凡な容姿だが、身に纏う雰囲気が他の人間にはないものがあり、上手く言葉には言い表せないが、何か不思議なものを感じさせる。 



「おいっ」


 隊長が捜索と封鎖を指示した兵士に声にかけると、その兵士は軽く首を捻り肩をすくめた。


 ちっと舌打ちをして正面へと向き直ると、目の前に唸りを上げる拳が肉薄していた。何の抵抗も出来ずにまともに顔面を捉えた拳に、頬骨を砕かれる感触を味わいながら、分隊長は一撃で意識をむしり取られて後方に吹き飛び、そのまま海へと落ちた。

 その電光石火の一撃に完全に虚を突かれる形となり、兵士たちが我を取り戻す頃には男は近くにいた兵士の銃を手で脇へといなし、鳩尾へ体が浮き上がるほどの拳を見舞っていた。すぐに取り落とした銃を町民の方へと蹴りながら、町民の前に立つ二人の兵士へと踊りかかる。

 一人目は銃を構える前に顎を砕くほどの拳打を受けて気絶し、二人目は引き金を引く前に錆びたナイフで銃身を下から切り上げられ、空いた拳で殴り倒される。


「銃を押さえてくれ。縛られている二人をこれで」


 男は呆気にとられる町民へ指示を飛ばして、錆びたナイフを町民の一人に渡すと、振り返り様に懐から取り出した同じナイフを投擲し、それはこちらを銃で狙っていた兵士の首筋に突き刺さった。


「そこまでだぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 大音声が響きそちらにその場にいた全員が目を向けると、ヤドを回転させるガラクがこちらを狙っていた。その中にいる兵士が今の声を上げたようだ。


「そこのお前……許さんぞ。それにこの町の人間もだっ! 全員皆殺しにしてやる!」


 その怒気にダバンたちの縄を切っていた町民の動きも止まる。


「まずはお前からだ……」


 そう言ってガラクの副座で火器管制を操る兵士が照準をつけようとした時、男が手の平を上に向けて右手を前に突き出した。


 何のつもりだ? とそこにいた人間全てが見つめる中、それは起こった。

 男の突き出した手の平の上に紅蓮の火球が一瞬にして浮かぶと、そこからは凄まじい速さで火球をガラクへと飛ばし、同時に手の平を合わせて地面につけた。

 火球がガラクへと直撃し、その巨体が火炎に覆い尽くされる。だが、元より熱耐性高いガラクの装甲は若干溶かされながらも問題はなく、搭乗士兵士二人も無事だった。反射的とも言える操作でガラクの口から岩弾が撃ち出される。だが、地面に両手をついた男の前に港の地面が四角い壁となって隆起し、それに直撃した岩弾は壁に大きくめり込んで止まる。

 そして次弾を撃つ前に、ガラクの右半身側の地面が同じように四角い壁となって隆起して、右側を力点に押し上げられたガラクは、そのまま反対側――海に向かってひっくり返りながら背中から落ちた。

 白い飛沫(しぶき)を巻き上げて沈んでいったガラク。そして残った兵士は唇を恐怖で震わせる。


「こ、こいつ……魔道師だぁぁぁぁぁぁ!」


 戦意を喪失した彼らは町の外にある車両に向かって走り去っていった。

 そして後に残された町民たちは、逃げ去っていく帝国兵とそれを見届けるように見つめる男を交互に見比べ――静寂は一気に歓声へと変わった。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「すげぇな兄ちゃん、魔道師様なのかぃ?」


「あのゲテモノ機械を海へ沈めちまうなんて、オレあんなの初めてみたぜっ!」


 歓声と共に男――クロウシスを町民たちが取り囲んでいると、縄を解かれたダバンがディールと抱き合ってから、クロウシスの前へと進み出た。


「てめぇらいい加減にしねぇーかぁっ!」


 その馬鹿でかい声に町民たちが耳を塞ぐ。そして自分でも自覚のある馬鹿でかい声を聞いても特に驚いた様子もなく立つクロウシスの両肩にポンっと手を置く。


(あん)ちゃん助かったぜ、帝国軍の連中、最近特に見境がねぇーんだ」


「いや、無事で何よりだ」


「兄ちゃんは魔道師様なのかぃ?」


「――あぁ、流浪のだがな」


 その答えに一瞬眉を動かしたダバンはニィーっと笑った。


「とにかく助かったぜっ! おかげでうちのカカアも無事だったしよぉー! うぉーし酒だぁー飲むぞぉぉぉ! 逃げ帰った兵士と魚の餌になった兵士を肴に祝杯だぁぁぁ!」


 そしてダバンと町民の勢いに押されて、クロウシスは酒場へと連れて行かれるのだった。



                  ◇◆◇◆◇◆◇


 

 シャプールの町にある唯一の酒場は、今夜大いに盛り上がっていた。

 帝国軍の一分隊による弾圧に等しい尋問を受け、絶対絶命の状況で現れた黒ずくめの旅の魔道師。その強さと魔法を目の当たりにして、人々は大いに盛り上がってた。

 あの後、海へと落ちた兵士たちは引き上げられて、漁師のおっさんたちにぼっこぼこにされた挙句に、今は海獣用の檻に入れられている。


 エールを木製のジョッキに並々と注ぎ、それをあっちこっちでガンガン飲んでいる。手製の弦楽器で奏でられる調子っぱずれな音楽を耳にしつつ、クロウシスは酒場の中心に設けられた特設テーブルの前に座らされ、次から次へと運ばれてくる料理を一口ずつ食べていた。

 料理というのは存外奥深いものだと思う。様々な味が味覚を刺激にする面白さに、クロウシスは次から次へと色々な料理を口にしていく。



「よぉー(あん)ちゃん飲んでるかぃ? なんでぇ食ってばっかじゃねーか」


 すでに若干酔っているダバンがジョッキ片手にクロウシスの横にドカっと座る。

 自己紹介は乾杯の時に済ませたので、もう後は只管(ひたすら)てんやわんやの状況だった。日頃から帝国軍に辛酸を舐めさせられることが多いらしく、今日のことがよほど痛快だったらしい。


「しかし、この時代に流しの魔道師様がいるなんてなぁー」


「少ないのか?」


 油で揚げた芋をフォークで刺して口に放り込みながらクロウシスが聞くと、エールを一口飲んだダバンが難しい顔する。


「そうさなぁー。流し云々よりも魔道師ってモンが今はあんまり見ないんだよなぁ。元々は各国にお抱えの宮廷魔道師や軍に魔道師部隊を持つ国が多かったんだけどなぁ。ここ10年くらいでそういったお方たちの話をきかねーんだよ。前はよく魔物の退治だとか、武装盗賊の討伐に活躍をしたっつーような噂を耳にしてたのによ」


 10年前……。

 

 この世界で起きている何か――それは大体ここ10年前後に起きている出来事が原因となっているのは間違いない。それが何か、ということまではまだ完全には分かっていないが、一つ分かっていることとして、その大きな要因となっているのは――英霊精龍(カーディナルドラゴン)たちの死だ。


「ダバン、英霊精龍カーディナルドラゴンのことを、お前たちはどう思っているのだ?」


「んぅー? カーディナル……あぁ! 龍神様のことか!」


 最初は何を言われているのか分かっていなかったようだが、すぐに膝をパチンと叩いて声を上げた。そして途端に暗い顔をする。



「兄ちゃん、兄ちゃんは魔道師様だ……だから知ってるとは思うんだが、本当に龍神様たちは死んじまったのかぃ? オレたちゃ子供の頃から子守唄の代わりに、龍神様がこの世界をお守り下さってるって聞かされてきてるんだ。だから、オレたちゃ龍神様のこたぁー大好きだぜ。毎朝毎晩に龍神の像に祈りを捧げるくらいによぉ」


 心底心配そうな声音で呟くダバンの様子に、やはり人間全てが龍の殺害に関与しているわけがなかったと、クロウシスはホッとしていた。


「龍神様が亡くなると、その龍神様がお守りになられているもんが、良くないことになるって言われてるんだ。実際にそうなんじゃねーかってことも起きてるしよぉ」


「その話、悪くなったモノを順番に教えてくれないだろうか」


「おぉ? そうだな、どんくらい前かってことは、ちょっと覚えてねーんだけどよぉ。最初に湧き水が枯れたり、海が荒れることが多くなってよ。次に火が熱くなくなっちまったなぁ、前はすぐに沸かせていたお湯が、今はどんだけ薪をくべても早く沸かせねーんだよ。ほんで、4~5年前だったかそんくらいに畑してる連中が、土が腐りやすくなってるって言い出してよ。ちょっと長雨が降ったりしたらすぐに土そのものが腐ってよ、逆に三日も雨が降らねーと土はカラッカラよ」


 ダバンの話を総合すれば、最初に死んだのは水の英霊精龍カーディナルドラゴン。次に火が死に、そして土であるクランガラクだ。土壌の腐敗現象の発生時期が、クランガラクの死んだ時期と一致していることから考えても、まず間違いないだろう。

 ということは――英霊精龍カーディナルドラゴンはこの世界の四大元素と深い結びつきがあって、彼らが死ぬことでそれらが荒れていることになる。

 あのドラゴンの宝玉を奪い取り使った古代兵器を見る限り、これらを主導しているのは『帝国』という人間たちの巨大な国家なのだろう。

 

 いったい何のために――?


 今得られている情報からでも、いくつかの推論は出来るが結論を出すにはまだ早い。

 クロウシスが頭の中で得られた情報を整理していると、ダバンがその背中をバァーン! と叩いて豪快に笑い出した。


「なぁーに難しい顔してんだよっ! そういう所はやっぱ魔道師様らしいなぁ兄ちゃんはよぉ」


「そういうものか?」


 っと、楽しげに笑うダバンの横で苦笑しながら頬を掻く。

 ちなみに髪の毛の色と目の色は、太古樹ジルフ老の忠告を受けて染めている。その理由は、どうやらこの世界では黒い髪や黄金の瞳はとても高貴な存在であったり、神聖なものらしい。元いた世界では、瞳はともかく髪が黒い人間は普通にいたので、クロウシスにとっては意外だった。


「小難しいこと考えてると楽しくなれねぇーぞぉ! そうだ、明日から俺らは東の海に浮かぶクリセリアって国に行くんだけど、どうだ? 兄ちゃんも一緒にこねぇーか?」


 随分唐突な提案だった。

 さすがに島国に行くよりは、このまま大陸を見聞する方が有益な気がする。

 

「いや、我はこのままた――」


 どうやら断ろうとしているのを雰囲気で察知されたらしく。クロウシスの断りを入れる前にダバンが言葉を上乗せしてくる。


「あそこには物凄い美人の可愛いお姫様が二人もいるし、それに……ほら、兄ちゃんが気にしてる龍神様の巣があるんだぞ!」


「何? どの龍のだ」


 姫が云々という話はともかくとして、英霊精龍カーディナルドラゴンの巣があるというのは重要だ。


「お、おう。あそこは火の龍神様が棲まわれてた火山があんだよ。今はもう――いらっしゃらねーんだけどよぉ……」


「火の……」


 無意識に手で服の胸を掴む。

 胸の中には、激硫の大地、クランガラクを含めて三体の龍の『力』が宿っている。

 理由は分からないが、その龍の『偽物』になるために必要な情報が、今のクロウシスの中にはあり膨大な魔力を使えば、姿形だけでなくその能力も完全に再現が可能なのだ。

 だが、クロウシスにとって最も肝心な記憶といった類のものは一切なかった。


 ――我に何をさせたいのか、それを見極める必要がある。


「分かった。我も一緒にいこう」


「おぉぉ!? 本当か兄ちゃん! いやぁー良かった良かった! これで船旅も安全が保証されたようなものじゃねーか! なぁ、皆!」


「それが目的か……」


 悪びれないダバンにクロウシスも笑い、周りの人間たちも大いに笑った。

 こんな雰囲気の場にいるのは数千年生きてきたが、恐らく初めてだ。レビたちといた時にも時々振舞い酒による酒宴があったが、ドラゴンであるクロウシスはいつも独りでいた。だが、そこへよくレビが酒をタルごと持ってきてくれ、二人で飲んでいたものだ。

 だからこそ、自分が表面上とはいえ人間としてこういった酒宴の中にいることが不思議でもあったし、嬉しくもあった。

 あの頃の自分が姿形に囚われることのない精神を持ち合わせていたら、あの仲間たちともこうやって飲んでいたのかもしれない。

 哀愁と寂寞が交じり合ったような複雑な感情が体を駆け抜ける。

 そしてクロウシスはおもむろに立ち上がると、エールの入ったジョッキ――ではなく、エールが満タンに入った樽の上蓋を外すと、それを軽々と持ち上げる。そして――


「飲むぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 柄にも無く叫ぶと、呆気に取られていた町民たちは、すぐにそれぞれの手にジョッキを掲げて歓声を上げた。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 樽一気を敢行して、それをあっさりと成功させたクロウシスに、海の男たちが飲み勝負をドンドン挑んでいったが、結局誰一人として勝つことができなかった。

 何かやれぇー! という野次に応えて、クロウシスがドラゴンの咆哮(手加減)を真似すると言って大いに沸いたが、実際にやると彼らの予想以上に凄まじかったらしく。クロウシスの両隣と正面にいた男が失神して、15人がしゃっくりになり、3人のしゃっくりが止まった。


 ともかく、急遽決まった船出を前に――シャプールの酒臭くも陽気な夜は更けていった。




前書きと後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


修正報告

・2012/09/23・24

誤字修正しました。


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