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プロローグ6-救われた世界-

※修正情報

9月18日

・ご指摘頂いた誤字と表現について修正しました。

・後書きの痛い小芝居を削除しました。(出来心だったんですorz

・後書きの自分の作品を卑下して、読んで頂いた方を不快にする表現があったので、削除修正いたしました。


 周囲を埋め尽くす(おびただ)しい数のアンデットとデーモンの群れに包囲されながら、守りに特化した陣形を保ち、強固な意志と共に新生地上軍は希望を捨てていなかった。

 その円形陣の中心には一人の戦巫女がいた。

 櫛を通しても一切の抵抗なく滑り落ちるほどの艶やかな黒髪に、優しげだが強い意志を秘めた黒瞳が静かな光を放っている。黒装束の今は亡きリーズケイレン国の巫女服を元とした服を着て、右手には杖を左手には一メートルほどの漆黒の直剣を携えていた。


 いったいいつからなのかは分からない。

 それほどに昔から天界と魔界の戦いは果てなく続いてきたという。この世界で最高位の存在である両者は、世界の在り方など気にする様子もなく。地上界を主戦場として大小様々な戦いを繰り広げて、世界を破滅へと近づけていった。


 だが、五百年前に大きな転機が訪れた。


 地上に住まう者たちは種族の枠を超えて結集し、天界と魔界の戦争に対し介入を行い、戦いの終結を求めたのだ。圧倒的な力の差がありながらも、地上の軍勢は次第に影響力を高め両軍にとって無視できない存在となっていった。


 その躍進を導き、五百年前に地上軍を逃がす為、この神殿で己の身を犠牲にして、長きに渡る封印へとその身を落とした偉大なる最強の黒龍―――クロウシスケルビウス神。

 

 彼を失った後に、地上は天界と魔界によって徹底的な攻撃に晒された。

 神への信仰を長らく失っていた地上に住まう種族たちは、()の黒龍を救いの神として崇めた。その教主となったのが戦巫女の先祖である――当時僧正巫という稀有な自然信仰の巫女をしていた女性だったという。


 今は黒龍信仰の神殿となっている場所は、元々当の黒龍が住んでいた居城だったらしく。そこで発見された様々な資料や魔導器といわれる、人間にも扱える画期的な魔法武具や新系統の魔法を得ることができなかったら、地上軍の再編は実現出来なかっただろうと言われている。


 黒龍への敬愛と感謝、そして希望が人々の拠り所になれば、という理由で教祖となった戦巫女の先祖である――レビ=ティアニカという人物は、後世への書物に『神聖化され信仰の対象となったことを当の黒龍様がお知りになったら、さぞ嫌な顔をなさるだろう』と冗談めかして書いていた。


 考えうる全ての準備を整えて、断固たる決意と覚悟を胸に、ここ―――封印の神殿へと来た。


 常にお互いの動向を監視している関係なので、地上軍の動きは当然掴まれている。そして予想通り、魔界の軍勢が神殿の周囲を埋め尽くすほどに展開されていた。陽動に次ぐ陽動をかけての2基しかない戦術魔導器による、広域殲滅を波状的に仕掛けての中央突破。

 多くの犠牲を出しながらも神殿の中へと侵入した精鋭部隊を待ち受けていたのは、魔界の王となったアヘルトゲイズディだった。


 もう幾度も『戦ってきた』相手だ。


 もう一つの勢力が、今のところ一切出て来ていないことは気になるところだった。そもそもここは世界で唯一天界と魔界が共同で管理している場所なのだから。



 封印装置のある中央の円形広場まで喰らいつき、封印の解除に掛かったがそれが予想以上の難物であることが分かった。

 黒龍の封印を解除することは積年の願いであり、目標であり、何よりも先祖の定めた宿願だった。よって、二百年に渡って封印についての研究と解析を行ってきた。

 人間の持つ魔力でこの封印を解くことは不可能に近いので、別の方向を模索した結果、出来たのが言わば杖の形をした錠前外し(キーピック)だった。樹齢数千年の大樹の枝と高純度のクリスタルで作ったそれは、装置に封印装置に働きかけるに足る力を持っていた。


 先ほど装置の一部を動かした手応えを感じたが、特段に変化はなく。その合間に軍勢の間合いを詰められて、封印装置である円形広場から後退させられ、挙句に包囲を狭められてしまった。

 神殿に侵入して程無く、入り口のあった空間に壁が浮き出るように現れて退路を塞がれた。五百年前の通りに。よって最早ここで決着をつけるしかないのだ。


 そして状況が動いた。今まで軍勢の後ろで静観していたアヘルトゲイズディが、その黒い衣に包まれた巨大な巨躯を幽鬼のように音もなく進めてきた。

 前衛の重装騎士であるオーガが身構えようとするが、それを制して戦巫女が左手の剣を強く握り前へと出た。この中でアヘルトゲイズディと打ち合うことができるのは彼女だけだった。

 彼女が手にする漆黒の刀身を持つ直剣は、戦巫女の家系に五百年前から受け継がれている物で黒龍の角を百年間に渡り浄化させ、丸々一年間鍛冶師が代わる代わる休まず打ち続けて加工した云わば神剣だった。


 戦巫女が漆黒の剣と杖を構え、アヘルトゲイズディが闇に侵食され黒く染まった剣を振り上げ、両手で柄を掴み振り下ろした瞬間に、それは起こった。


 戦巫女とアヘルトゲイズディとの間にあった魔封窟の蓋の内側(、、)から強力な魔力の奔流が突き抜けて、そのまま吹き抜けとなっている広場の上に広がる空へと駆け抜けた。

 それはまるで伝承に伝え聞く―――。

 そこにいる全員が驚きの余り硬直している最中、破壊された床――魔封窟の蓋から立ち昇る煙の中から、それは現れた。


 その全長は長い首の先から尾の先までで三十メートルはある。巨大な巨躯はくまなく黒く鈍い光沢のある鱗に覆われている。その背には巨大な翼を持ち、背中の堅牢な甲殻は長い尾へと続いていく。前方へと力なく垂らした長大な首の先には、鋭角的な角が禍々しくも美しく生え、僅かに開いたアギトからは鋭い牙が覗いていた。

 巨大な爬虫類を思わせる様相だが、それは爬虫類などでは決してない。太古の昔よりこの世界で絶大な力と支配力を誇ってきた種族の末裔―――ドラゴン。


 戦巫女の頬に熱い涙が一筋流れる。

 

 黒龍の胸部には二本の槍が刺さっていた。しかし痛みを感じさせる素振りなど微塵もなく。長い首を巡らせて、戦乙女をチラリとその黄金の瞳に映すと、ニヤっと獰猛な笑みを浮かべ壮絶な咆哮を上げた。

 その力強く聴く者を畏怖させる音声(おんじょう)も、胸に突き刺さった二本の槍も、魅入られるほどに美しい黄金の瞳も、全ては伝承通りだった。

 彼女は見上げる、自分が仕えし神の姿を。

 その姿は彼女が今まで見てきた如何なる存在よりも強く、雄々しく、そして美しかった。


                 ◇◆◇◆◇◆◇


 レビの子孫を間近に見て、その存在を再度確認し、クロウシスはとても満足していた。

 人間にとって五百年は長い。しかも世界が荒れ果てている中で、子を生して誓約を課して受け継がせていく。絶える可能性もあれば、日々を生きることに忙殺されて忘却してしまうことだって十分にあり得たはずだ。だが、この娘はあの瞳を一切濁らすことなく。あの誓いを薄めることなくここに存在している。


 まったくもって人間とは計り知れない存在だと思った。

 だからこそ、今度こそクロウシスもまた誓約を果たさなければならない。


『私はお前の瞳が永久に翳らぬ限り、お前の敵を全て打ち砕いてやろう』


 誓いを果たすのは、今。


 咆哮を上げながら、動揺が隠し切れないアヘルトに向かって突進する。すぐに剣を構えて迎撃しようとしたのは流石だが、剣が先ほどのブレスに当たり半ばから溶けてなくなっていることに気づくのは遅かった。新たな剣を出す前に組み付き、間近で睨み合う。髑髏から青い炎が噴き上がりアヘルトの怒りをあらわにした。


 クロウシスが口腔に力を瞬時に溜めて至近距離でのブレスを放とうとすると、アヘルトは身体を幻影のように揺らめかせてクロウシスの目の前から消えた。するとクロウシスはブレスは闇雲には撃たず、五百年前と同様に壁によって塞がれた入り口部分へと放った。やや下向きに放たれた収束ブレスは、地上軍の部隊を包囲していた魔界の軍勢の一部を巻き込みながら壁の下部へと着弾し、巨大な穴を作った。


 背後に気配を感じて振り返ろうとすると、腹部に激痛が走った。ブレスを撃つ間にクロウシスの背後に再出現したアヘルトは、再び作り出した剣でクロウシスの比較的柔らかい部位である脇腹を狙い剣を突き刺していた。だが、そんなことは構いもせずにクロウシスは腕に魔力を集中させて振り向き様にアヘルトの髑髏面に爪腕をめり込ませた。

 剣で刺されても一切の動揺も怯みも見せなかったクロウシスに虚を突かれて、一撃を見舞われたアヘルトの体が大きく傾ぐ。そのまま後方へと滑る様に移動して体勢を立て直そうとするが、クロウシスはなおも追撃する。


 異常な無謀とも思える突貫を止めないクロウシスにアヘルトは焦りを覚えると同時に、疑問を抱かずにはいられなかった。だが、それも無理はない。アヘルトはクロウシスの傷が治った経緯を知らず、勿論その傷が治ったわけではなく神器によって時間が巻き戻された状態ということも知らないのだ。神器・時空晶球(ミラリオ)を魔封窟に設置したのはヴァシアムの独断であり、アヘルトに気づかれないように偽装まで施していたほどだ。


 だからこそアヘルトにはクロウシスの行動の真意が分からない。

 本来は腹立たしいほどに狡猾で冷静な黒龍が、まるで逆鱗に触れられたかのように理性低く暴れているのだ。奮われる爪も、襲い掛かる牙もまた魔力が馬鹿みたいに込められており、魔法戦闘が行えないこの神殿ではその一撃一撃が凄まじい脅威となる。

 だが、これはチャンスでもあるとアヘルトは感じていた。現実味がないと思っていた手段も、この異常なほどに戦闘本能を剥き出しにした黒龍を相手にならば、十分有効だと思えた。

 

 アヘルトは両手に剣を一本ずつ出現させ、両手持ちでクロウシスをいなしに掛かった。それに対し、クロウシスは障壁と魔力を込めた両腕で剣を弾きながら、爪と牙で追い立てる。

 一進一退の攻防と思いきや、やはり形振(なりふ)り構わない攻撃をするクロウシスの勢いにアヘルトは押され出した。


 二刀の剣を巧みに動かし迫るアギトを牽制し、振るわれる爪腕を弾く。そしてクロウシスが首を引き、両の腕を剣で弾いたところで、腕をたたみ二刀を腰溜めに構えて一気に突き出した。だが、それをクロウシスは両腕を同じように突き出し、両手の掌で受けた。両手を裂かれながらも勢いを殺して間合いを詰め、引いていた首を巡らしてアギトを開き、アヘルトの頭部を丸呑みにするかのように喰らいついた。


 裂けた両手から血を流しながら強靭な顎に力を込めると、アヘルトの剥き出しの頭蓋骨が軋みミシミシと悲鳴を上げる。先ほどの様に幽精体(アストラル)化して逃げられないよう魔力を牙から直接送り込みながら、噛み砕こうと顎に力を込めようとした時、アヘルトの頭部から蒼い炎が噴き上がった。今出来る最大限の抵抗であるアヘルトの蒼炎に顔を焼かれながらも、クロウシスは頭蓋骨から口を離す事はなく、それどころか更に顎に力を加えた。

 そして我慢比べはバキバキっという音と共に、アヘルトの頭蓋が噛み砕かれる結果となった。その感触を噛み締める暇もなく、クロウシスは凄まじい速さで身体を反転させた。

 吹き抜けとなっている天井から射し込む光と共に、三条の槍が高速で飛来することを読んでいたクロウシスは振り向き様に空を仰ぎ、魔眼で捉えた光の槍を自分に届く前に爆ぜさせた。


 アヘルトとの戦闘に集中したクロウシスが優勢となり、気が緩んだ一瞬を狙う。五百年前と同じ方法だ。今回は特にクロウシスの様子が極度の興奮状態のように思えていただけに、少なくともアヘルトは成功すると思っていた。だが、結果的にはクロウシスは表面上は猛りながらも内心は冷静そのものだった。出来るだけ大きな隙を作り、奴をこの場に引きずり出す必要があったからだ。


 吹き抜けから見える空を見上げると、今まさにその代行体である女神の像を顕現させるところだった。五百年を経ても、何も変わらず精緻の極みとばかりの造形が尽くされた美しい顔と、高い芸術性を感じる白亜の肢体を同色のヴェールで覆っている。


 五百年前同様に、自分を見下ろすヴァシアムに、焼け焦げた顔でニヤッと凄惨な笑みを浮かべると、翼を力強く広げ中空にいるヴァシアムに向かって突貫を開始した。

 ヴァシアムは翼を翻し、その羽根を光の弾丸の如く撃ち出した。五百年前にクロウシスの背中と翼をズタズタにした攻撃に、クロウシスは背中が痒くなるような錯覚に駆られながら、魔力を拡散する咆哮でそれを打ち消しながら女神へと接近する。

 すると、女神の背に無数の天輪が浮かび上がり、そこから無数の白銀剣がせり出し一斉に撃ち出される。眼前に殺到する剣の群れを前にしても、一切速度を落とさず突き進みながら裂けた両手に力を込めて交差させ、その手を見えない何かを抉じ開けるように左右へ開くと、クロウシスに殺到していた無数の白銀剣が次々と切っ先からヒビ割れて粉々に砕け散った。


 それを見たヴァシアムは両腕を前方に掲げ、自身の巨大な魔力を一気に練り上げる。目の前の空間が歪むほどの魔力を集中させ、ヴァシアムは躊躇なくそれを解放した。

 

 眼前で解放された視界を埋め尽くすほどの極光を前にしても、クロウシスは速度を緩めることはなかった。すぐさま翼で体の前面を覆い、首もその中へ折り畳むように格納する。そして全身の細胞に命令を飛ばすと、全身を覆う鱗と甲殻がざわめくように蠢き瞬時に硬化した。そしてクロウシスは迫る極光へと突入した。


 ヴァシアムの放った極光はクロウシスを呑み込むだけに留まらず、吹き抜けの天井部から床へ向かって撃たれた光の渦は中空にいたデーモンを余波で蒸発させながら、床の着弾地点にいたアヘルトの軍勢を呑み込み、対魔力耐性が施された床を削るように滑り壁を破壊してもなお止まらなかった。


 己の膨大な魔力を転化させた極光に呑まれた黒龍の死を確信し、ヴァシアムが魔力の放出を終えようとした時、信じられないことが起きた。極光の言わば根元というべき放射点から突如腕が伸びてヴァシアムの顔を鷲掴みにしたのだ。


 能面のような鉄面美が驚きのあまり崩れた。放射点から伸びた裂けた手は、血を極光の余波で蒸発させながらもヴァシアムの顔を掴み顔を正面で固定した。いまだ放ち続けている極光の眩い光の中に、異質な静かな一つの光が現れた。これ以上ないほどに眩い強烈な極光の中にありながら、何故かその光は呑まれることなく存在している。

 そしてヴァシアムがその光が黒龍の魔眼の一つだと気づいた時には、もう手遅れだった。女神像の体がビクンっ!と大きく震えると極光が霧散し、まるでおこりを起こしたかのように激しく痙攣する。


 極光が消え去った後には、いまだ痙攣を起こし細かく震える戦女神の代行体である白亜の像と、全身から激しい湯気とも煙ともつかない白煙を噴き出すクロウシスの姿があった。翼はもはや骨格そのものの翼手しか残っておらず、今は翼ではなく魔力で浮遊している。どうやらこの吹き抜け部分の上層は呪文阻害の効果が薄いらしい。

 クロウシスは女神の顔を掴む腕に力を込めると、壊れた玩具のように震える女神の像を地面へと思いっきり放り投げた。グルグルと回転しながら落下して、墜落地点にいたアヘルトの軍勢をすり潰すようにしながら神殿の床へと、戦女神はついに墜落した。

 そこへ間髪入れず、クロウシスは内燃器官を臨界させて収束ブレスを放った。容赦なく放たれた強力な魔力の奔流が倒れるヴァシアムへ直撃した。しかし、立ち込める煙が晴れてそこへ現れたのは、片腕を上げて魔力障壁を張ることで難を逃れたヴァシアムの姿だった。

 そしてヴァシアムは、障壁を張っても威力を抑えきれずにボロボロと砕ける自分の手を信じられないという顔で見た。

 その姿を見て、クロウシスはしてやったりと獰猛な笑みを浮かべた。


「地上世界へようこそ、光と白銀を司りし戦女神ヴァシアム」


『こ、黒龍…クロウシスケルビウス……貴方はまさか』


 余裕を失った声を聞いて、クロウシスは自分の策が成功したことを確信した。


 ここに存在する戦女神ヴァシアムは代行体の像に過ぎない。

 だから五百年前の戦いでも、彼女はいくら砕かれて芥子粒にされようと痛くも痒くもなかった。だからこそ、いつも余裕を失わず他者を見下しながら、天界にいる本体から魔力を送り、今まで好き勝手に攻撃していたわけだ。

 代行体には本来、ヴァシアムの幽精体(アストラル)の一部を接続して動かしているのだが、クロウシスは魔眼によってヴァシアム本体と接続している幽子線(レイライン)を遡り、無理矢理にヴァシアム本体の精神を丸々引きずり出して、代行体である身体に引きずり込んだのだった。


「神族の本体は精神体に限りなく近い。ということは、精神の死は完全なる死を意味する。これでお互いに命は一つだ、対等であろう?」


 ヴァシアムが悔しげに自分を()め付けるのを感じながら、その代償として完全に死んだ右の魔眼を瞑る。それと同時に胸部に三回激痛が走るのを感じた。


 確認するまでもないことだ。

 時間が迫っている。

 今まで自分の体の一部のように背中から胸部と腹部に刺さっていた二本の槍は、それぞれ時間を取り戻して血を滲ませる。そして、五百年前に引き抜いてしまった槍が刺さっていた場所にも、まるで不可視の槍でも刺さったかのように、突然穴が開き血が噴き出る。


 背中に三箇所と胸部に二箇所と腹部(内四ヵ所は槍が刺さり突き出たまま)に穴を開けた黒龍は口から血をダラダラと流しながら、中空から降りてきていた。

 人智を超えたその戦いにその場にいた地上軍も、ある程度の知能があるデーモンなども目を奪われていた。それでも知性が低かったりなかったりするアンデットたちを相手に、地上軍の精鋭部隊は戦っていた。その先頭に立っているのは、やはりあの戦巫女であることに、クロウシスは口角を持ち上げて笑う。


「さぁ、終わらせようではないか」


 クロウシスが地上へと降りると、穴の開いた魔封窟のそばで蒼い火柱が上がった。わざわざ確認するまでもない。今や魔界の王となった男が、魔力を根限り込めた牙で頭蓋骨を噛み砕いたくらいで滅びるわけがないのだ。

 アヘルトは強力な魔力を持って直接噛み砕かれた頭部の再生を捨て、蒼炎で髑髏の形を作り顔としていた。


『クロウシスケルビウス……決着の時だっ』


 この元魔界の大侯爵は元来誇り高い男だ。

 だが、魔界の情勢の悪化と純血種の衰退による重責によって歪みが生じ、天界との終わりなき戦いを続ける内に歪みは(よじ)れていったのだ。だが、今のアヘルトは赫怒に支配されて自分の立場を見失い、いい意味で純粋な一人の魔族となっていた。

 だからこそ、負けられるわけがない。


 クロウシスは槍によって損傷している内燃器官に鞭を打ち口腔に魔力を溜める。

 アヘルトは蒼炎を噴き上げて、両手の剣にそれを宿し燃え上がらせた。


 最初に動いたのはアヘルトだった。両手に剣を持った手をばっと左右に開き、まるで撃って来いとばかりに突撃してくる。それに応えるかのようにクロウシスは口腔から魔力の奔流を撃ち出した。眼前に迫る強力無比なドラゴンブレスを両手の剣を十字に交差させて受け止める。純粋な力と力のぶつかり合いは、わずかな均衡を保った後に爆発した。

 

 クロウシスが立ち込める魔力の残滓からなる煙の中を注視すると、蒼い炎を迸らせながらアヘルトが両の剣を背中に着くほどに大きく振り上げて、二本同時に振り下ろした。それをクロウシスは魔力を遮二無二込めた手で握るように受け止めた。蒼い炎を纏った刀身と黒い魔力が込められた手は、見えない力場を発生させてバチバチと拮抗し合い、その力場に溜まった力が最高点に達したところで、クロウシスが裂けた手で刀身を握り潰そうとした瞬間、抑圧されて逃げ場を失った力が魔力と結びつき爆発した。

 アヘルトは両方の剣が砕け散っていた。だがクロウシスも無事には済んでいないはずだ。

 だからこそ次の剣を用意しようとした。それが明暗を分けた。

 爆炎の中から白銀の槍が突き出され、アヘルトの蒼炎で形成された髑髏に突き刺さり、そのまま近くにあった支柱の一本へと打ち付けて串刺にした。


『アグオァァァァァァァァァァァァァァアァっ!!』


 今までにない絶叫を上げてアヘルトが苦しむ。


 白銀の槍はクロウシスに刺さっていた二本の内の一本で、引き抜いたそれを口で咥えてアヘルトに突き刺していた。

 アヘルトの両剣を受け止めた両腕は肘から先が消し飛んで、傷口は完全に炭化して血すら出ていなかった。


『……み…ごと…だ』


 ヴァシアムの作り出した槍で本体を刺し貫かれたアヘルトは、もはや幽精体(アストラル)化となって逃れることも出来ないことを理解し、率直にクロウシスを称賛した。


 アヘルトゲイズディは一般的に巨大な死霊骸骨(デミリッチ)の大魔族だと言われているが、その正体は完全なる蒼炎幽霊(ブルーファントム)だった。蒼い炎の霊体が巨大なデミリッチを操作しているに過ぎない。だからいくらデミリッチである骸骨を攻撃しても意味がないということだ。


 クロウシスは槍越しに魔力を送り込み、アヘルトに止めを刺しにかかった。

 戦女神の槍に暴力的なまでの魔力を注がれて、アヘルトの本体である蒼炎が黒い衣の四肢から狂ったように溢れ出し、やがて小さくなっていく。そして最早火の粉となったアヘルトが、長年に渡り共に在った依り代である巨大な骸骨へと染み渡るのを確認すると、両腕を失っているクロウシスは強靭な尾で支えを失い崩れ落ちる巨大な骸骨を打ち据えて木っ端微塵にした。

 蒼い火の残滓は燻る様に辺りを漂い、やがて消滅した。


 永きに渡り魔界に残る唯一無二の純血種の大侯爵としてその名を馳せ、ヴァシアム率いる神軍と戦争を続けてきた魔界の王――アヘルトゲイズディは遂に消滅した。

 これは同時に、魔界には現時点で地上世界へとやってくる術である『開門』の能力を持つものが居なくなった事を意味する。


 これで実質的に数千年単位で続いてきた神族と魔族の戦いは終わったことを意味していた。


 だが、魔界にまたいつ『開門』の能力を持つものが出てくるかは誰にも分からない。ならば、いや仮にそうでなくても、クロウシスがもう一人の当事者を見逃したり、ましてや逃がしたりすることなどあり得ない。常に最前線に赴き戦ってきたアヘルトと違い、彼女は地上界へと自ら赴くことすらせずにこの無益な戦いを続けてきたのだから。


 クロウシスは支柱の下に残るアヘルトの依り代だった骸骨の残滓を、残された左眼で見ていたがすぐに迷いを捨てるように振り向いた。



 神殿は静かだった。

 王を失ったアンデットたちは活動を停止し、亡霊は逃げ惑い、デーモンはうな垂れていた。そして地上軍は呆然とクロウシスを見ていた。

 状況が呑みこめていないわけではないだろう。だが、恐らく理解が追いつかないのだ。

 その中に在って、あの戦乙女だけがクロウシスに向かって何かを叫んでいた。


 ―――もういいですっ戦いは終わりました! 早く手当てを! 死んでしまいます!


 大体の内容はそんなだったのだろう。

 率先して危険に立ち向かうところも、どんな状況でも諦めないところも、クロウシスの身を第一に案じるところも、五百年前のレビから受け継いだのだろうか? 

 だとしたら、やはり人間は凄いっと、改めてクロウシスは思うのだった。


 首を巡らし、もう一人の敵へと視線を定める。

 ヴァシアムは途方もなく永きに渡り仇敵であり、五百年前に共謀した魔界の王が目の前で消滅するのを目撃し、酷く動揺しているようだった。そこには最早戦乙女として鉄壁の鉄面美を誇っていた姿はなく、消滅という死に怯える矮小な神の姿があった。


「戦女神ヴァシアム、決着の時だ」


 潔く戦い消滅した魔王の言葉を借りて、女神に勝負を挑む。


『い、いやだ……嫌だいやだイヤダいやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』


 声を裏返し、持っていた静謐な神格も精緻な造形も何もかもかなぐり捨てて、ヴァシアムは死ぬことを拒絶した。


 焼け焦げた顔に片目を死なせて瞑り、翼は翼手を残すのみ、両腕は肘から先を失い炭化している。背中と胸部と腹部からはいまも血が噴き出ていた。


 それでもクロウシスは淀みなく歩を進めて、ヴァシアムへと近づいていく。その歩に合わせてヴァシアムは後ろへと後退する。その目には石像であるにも関わらず、恐怖、憎悪、怨嗟、後悔、憤怒などありとあらゆる負の感情が滲み出ていた。


 クロウシスが円形広場の淵に立ったとき、それは起きた。


 突如としてクロウシスの胸部から喉を経て口角に至るまで裂傷が走り、傷口から血と炎が噴き出た。五百年前にアヘルトの攻撃からレビを守る為に放ったブレスの代償を払う時間が訪れたのだ。


 内燃器官から漏れでた炎性魔力が肺を焼き、あまりの苦しみに膝を突き激しく喀血する。

 

 その場所と状態をヴァシアムは見逃さなかった。

 

 並みの攻撃ではこの黒龍は殺し切れない。しかし、何も無理に自らが手を下し殺す必要はないのだ。そもそもこの黒龍は五百年前の戦闘での負傷で死んで然るべきだった。だが、魔界の王との謀略の末に奴を、聖条の鎖と魔封窟という二重三重の搦め手で封印したとしても、狡猾なこの黒龍が落ちるまでに脱出の秘策を企てるかもしれないっと、時間操作の神器を共謀者に感づかれないように偽装までして置いておいたのが全ての間違いだった。結果的には黒龍の傷を一時的に治してしまい、挙句にこの状況になってしまったのだ。


 自壊するのを待てば良かった。


 だが、その最も安全で確実な方法を取れなかったのは、天界の尖兵として魔界を制圧する使命を帯びた使徒たちを束ねる戦女神の矜持が許さなかったのだ。

 だからこそ消滅(しね)ない、消滅(しぬ)わけにはいかない。

 この理想と矜持がニセモノでないことを証明するためには、相手が何であろうと勝たねばならなかった。だからこそ挑んだ。


 だが結果は最悪どころか、彼女の予想の範疇を超えた結果となってしまった。引きずり出されてしまったのだ、自分の本性――正体を突きつけられた気がした。

 認めない! 認めるわけにはかない!

 ここでこの黒龍を殺し、目撃した魔族も地上軍も全員殺す。

 そうすれば元通りだ、全てが解決し何かもが上手くいく。


 だから―――っ!


『聖条の鎖よっ!』


 魔封窟から五条の黄金の鎖が駆け上がってくる。だが、クロウシスはそう来ることを予想していた。すぐ側で口を開けている、自分が破壊した半開きの穴から五条の鎖が出てきた瞬間に、残る左の魔眼でそれを捉え、完全に消滅するほどの魔力を込めた視線で射抜いた。魔眼に晒された五条の鎖はグズグズに風化して砂粒となって消える。

 だが、これはヴァシアムも予想の範囲だった。

 すぐさま残る片腕を突き出すと、光輪が現れそこから新たな聖条の鎖が出現する。

 クロウシスもまた、それに対して再度魔眼で対処しようとしたが、残酷にもまたそのタイミングで次の時間が追いつき五百年前の代償を払う時となった。

 それは皮肉にも前回の戦いで、聖条の鎖に更なる力を加えてクロウシスを穴へと引きずり込もうとしたヴァシアムを黙らせる為に、防御形態時の護りの要である領域支配を打ち破るために使った時のものだった。


 残っていた左の魔眼が、すでに死んでいる右眼諸とも爆ぜて潰れる。


 阻むものが無くなった鎖は、クロウシスの首と二の腕、足に巻き付いた。

 そして巻き付いていない側の鎖が伸びて魔封窟へと降り、底にある固定具と連結すると同時に、凄まじい力で五百年前の再現のようにクロウシスを引きずり込もうとする。


 視界を無くしたクロウシスはすぐに五百年前と同様に魔力の存在や流れを感知して『視る』能力へと切り替えるが、その一瞬の隙をヴァシアムは逃さなかった。

 聖条の鎖を出した時と同様に、残る片腕の前に現れた光輪から光輝く白銀の槍が撃ち出される。極光によって消耗した代行体としての女神像の身体は、魔力の枯渇状態での権能能力の使用に耐え切れず、ヴァシアムの残る腕も砕け散った。


 撃ち出された槍はクロウシスの胸部の中心に命中し、聖条の鎖によって残り僅かな魔力さえも吸収され意識を失いかけていたクロウシスは、その衝撃に耐えることができなかった。爪を掻きたてて踏ん張っていた足がついに地面を離れ、口から(おびただし)い量の血を吐きながら、鎖に引かれるがままに再び魔封窟へと――墜ちた。


                 ◇◆◇◆◇◆◇


 勝利を確信したヴァシアムは喜びに満ち、天を仰いだ。


 これで後はこの場にいる者全員を殺せば、全てが上手くいく。

 あの黒龍を相手にすることと比べれば、何と容易いことだろうか、と思う。

 魔封窟の底にある神器・時空晶球(ミラリオ)も同一の対象には効果が現れないという特性があるから、あの穴から再び無傷の黒龍が姿を現すなどということはあり得ない。


 今度こそ勝ったのだ、しかも自分の一人勝ち。

 ひび割れた無様な身体でも、その高揚感は凄まじいものだった。数千年に及ぶ戦いが終わり、唯一の懸念事項だった、世界最後のドラゴンもこの手で葬った。

 

 完全勝利。


 そう思っていた彼女にとって、あまりに予想外の出来事が起こった。

 天を仰ぎ勝利の余韻に浸る彼女の前に、立ち塞がる者たちがいたのだ。


                 ◇◆◇◆◇◆◇


 戦巫女を先頭に陣形を敷く最中、誰もが厳しい顔をしていた。

 自分たちが神と仰ぐ偉大なる黒龍の死―――いや、死んだなどとは誰一人として思ってはいない。だが彼が凄まじい重傷を負い、再びあの穴へと墜落していくのは誰もが目撃した。


 だからこそ彼らはアヘルトゲイズディの討滅という事態に呆然として、目の前にいる戦女神の本質を見抜くことが出来ず、ほんの少しでも『戦いが終わった』などと思ったことを恥じた。

 黒龍は分かっていたのだ。

 この戦女神ヴァシアムは、たとえ仇敵であるアヘルトゲイズディがいなくなろうと、自分の醜態を目撃した彼らを――地上界を許すはずがないと。

 だから最後まで戦おうとした。

 他ならぬ彼らのために………。


 彼らは決意を持って始めようとしていた。

 長年に渡って彼らを導き支えてきた黒龍の戦巫女を先頭に、最後の戦いを。


 地上軍。

 正式名称は『天魔調停地上軍』。

 五百年前に設立されて、以降今に至る五百年間に渡り混沌とした地上を生き抜き、亡国リーズケイレンの僧正巫レビ=ティアニカを祖とし、黒龍クロウシスケルビウスを神とした黒龍神教を母体とした他種族連合軍。代々その総指揮を務める者はレビ=ティアニカの血を引く者が行うという世襲制だったが、不満を言う者は五百年の歴史の中でただの一人もいなかった。

 組織の大きな転機は約三百五十年前。

 黒龍クロウシスケルビウスが住んでいた根城である居城を発見し、そこに秘匿されていた膨大な資料と魔導器の数々を得たことによって、地上軍は凄まじい躍進を遂げたのだ。

 そして今ここに、代々受け継ぎ続けて三百五十年間に渡り神族と魔族を殺す方法を延々と調べてきた者達が集っているのである。


 神官たちの加護と付与術師からの付与魔法を受け、重装騎士のオーガが号報を上げ、盾を前面に突き出しランスを構えて突撃する。

 その後ろに槍を持った半人半馬族(ケンタウロス)の騎士と剣を持った人間の騎士が続き、その後方からエルフが矢に弓とつがえる。

 最後衛では数名の護衛騎士と共に神官、魔導師、付与術師たちがそれぞれに呪文を唱えている。彼らはブレスレット型の魔導器を手首付けており、それはこの神殿内の無事な壁に今も光っている赤い紋様が発する、呪文阻害の効果を無効化するものだ。

 突撃するオーガの前に魔力障壁が展開されるが、ランスに付与された障壁破壊の効果がすぐに対応して障壁を打ち破り、中ほどで砕けたヴァシアムの足へと猛然と突っ込み、接触と同時に円錐形のランスに黒い文字が浮かび上がり、魔力を伴った一撃がヴァシアムの足を穿ち爆発する。

 本来はクロウシスと同等の三十メートルはあるヴァシアムの全長だが、最初の墜落で両足の膝から下が砕け散っており、今は二十メートル半ばほどにまで縮んでいる。そこへ更なる攻撃を受けて、石像の足がさらに砕けた。

 

 さすがに驚いた様子でヴァシアムもすぐさま身体の体表に、そこそこ強力な魔力障壁を展開する。本来ならいくら障壁破壊の付与や魔力を伴った武器でも、人間の攻撃程度ならそう易々とは突破されない魔力障壁を展開できるはずなのだが、彼女は今一切の魔力補給ができない状態で魔力がほぼ枯渇している。よって、今この場にいる人間が破るのに『ちょっと苦労する』程度の障壁しか展開できないのだ。


 付与呪文を施された矢が黒光を放ちながら、まるで流星のように飛来して障壁とぶつかり爆発して、半人半馬族(ケンタウロス)の騎士が左右に展開し、剣を持った人間の騎士が重装騎士のオーガたちに代わりヴァシアムへと取り付き、それぞれが魔法により増強(ブースト)された身体と付与を受けた武器に魔力を加えて、障壁を削りにかかる。


 ヴァシアムはすでに両腕を失っているために、自ら物理的な反撃を行えない。

 そこで周囲の瓦礫を魔力で浮かせて、自分の周りで瓦礫を含んだ竜巻のように回転させたり、虚空から小さな光輪を大量に出現させ、人間サイズの小さな白銀剣を撃ち出すなどの攻撃を行ってきた。


 瓦礫を含んだ竜巻は重装騎士である各オーガの元へと集まり、回転方向に対して巨大な盾を構えて踏ん張るオーガの背中を支えてしのぎ、大量の白銀剣は各自で切り払い、打ち落とした。

 

 その様子に痺れを切らしたヴァシアムが眼をカッと見開くと、クロウシスに対して撃ちだしていたものと同じサイズの巨大な白銀剣を出現させて、それを後方の魔法部隊に対して撃ちだした。

 巨大な白銀剣には大きな魔力を割いている上に、突破力のある攻撃だ。いくら精鋭の神官や魔導師でも防ぐことも破壊することもできない。

 撃ち出された巨大な剣を前衛たちが目を見開いて見送り、魔導師たちは迫る巨大な剣を前にしても諦めず防御の魔法を展開し、護衛騎士たちは彼らの前へと盾を構えて身を投げ打つ。その全てを巨大な白銀が無情にも打ち砕くかと思った時、その剣身の腹へと吸い込まれるように黒い人影が横から凄まじい速度でぶつかり、巨大な白銀剣はその軌道をズラして魔法部隊の二十メートル横合いに着弾して床を爆発させた。

 それを成した黒い人影は、空中でグルグルと回転して地面へと降り立つ。


 亡国リーズケイレンの偉大なる僧正巫の装束が、そのルーツである黒を基調とした巫女服には黒龍の紋章が描かれている。その手には巨大な戦女神の白銀剣の軌道を逸らせた、黒龍の角から削り出した黒い直剣。美しい長い黒髪をなびかせ、その黒瞳は強い意志と決意に輝き、何処までも澄んだ色をしていた。

 

 天魔調停地上軍の長にして、黒龍神教の唯一の戦巫女――レキ=ティアニカ。


                 ◇◆◇◆◇◆◇


 神族の戦女神である自分に愚かにも手向かう地上軍を、ヴァシアムは完全に侮っていた。

 その認識を改めるのは、彼らの攻撃の(ことごと)くが対魔力障壁対策がされており、呪文阻害の紋様があるこの神殿でも魔法を行使できる魔導器を持ち合わせていて、連携に無駄が無く、相手が神である自分であっても恐れる素振りがなく、その長である戦巫女はあのアヘルトゲイズディと打ち合いができるほどの猛者だということに気づいた時だった。


 満身創痍の身で地上軍を侮った結果、正面から戦えば負けないにしても魔力が枯渇しボロボロの代行体のままでは勝てる手立てを思い付けず、ヴァシアムは恥辱と怒りでどうにかなりそうな頭を冷ましながら、空へと逃げることを決める。


 何もここで急ぐ必要はない。天界に帰り自分の身体に戻り全てを元通りにしてから、再び代行体に幽精体(アストラル)の一部を接続して、改めて地上へ訪れて始末をつければいいのだから。

 飛翔することも高速では行えないほどの深刻なダメージの中で、徐々に高度を上げて行き、もう矢は届かないが魔法は届く程度の高度に達した。

 するとモノによってはまだ魔法は届く高度にも関わらず、何らそれらが飛んで来ないことに疑問を持ったヴァシアムが下へと視線を向けると、レキが助走をつけて重装騎士のオーガが盾を上に構えて、それをレキが踏み台にして跳躍するのが見えた。


 馬鹿なことを……とヴァシアムは鼻で笑ったが、すぐにその顔が驚愕へと変わる。


 信じられないことに矢すら届かないほどの高度にいるにも関わらず、レキはグングンと高度を上げてヴァシアムとの距離を詰め、ついには追い抜いた。

 ヴァシアムの頭上でレキは直剣を両手で構え渾身の力で振り下ろす。黒龍の角から削り出した直剣の持つ膨大な魔力と、レキ自身が持つ人並み外れた魔力はヴァシアムの魔力障壁を易々と引き裂き、そのままヴァシアムの顔を額の左側から口までバッサリと斬り裂いた。


 そのまま魔法で落下速度を調節して地上へと降り立ったレキが見上げると、ヴァシアムの怒りが憎悪となって空間を歪めるほどの魔力を放出しているのが見てとれた。怒りのあまり代行体である女神像である自身を保つために、本来残しておかなければいけない魔力の制御を放棄しているのだ。

 そしてキっとレキたちの方へと、その大きく傷ついた顔を向けると、周囲に放出した魔力と今の身体を保つ為に残していた全ての魔力を、口の前へと集め収束していく。


 ―――絶対に……殺す。


                  ◇◆◇◆◇◆◇



 伝わってくる理性を失った憎悪の波動を感じて、レキは賭けに勝ったことを確信した。

 そして仲間へと振り返る。


「皆さん、私たちは賭けに勝ちました。あれを撃てば戦女神ヴァシアムは滅びます」


 全員が神妙な顔で彼らの長の話を聞いていた。その中には一人として諦めややり遂げたという顔をしている者はいない。


「ヴァシアムの最後の一撃は恐ろしい魔力が込められて、その威力は想像を絶するものでしょう。このままでは私たちも確実に死にます。ですが――」


 一度、全員の顔を見渡したレキは力強く頷く。


「諦めたくありません。最後まで……最期まで戦いましょうっあの御方がそうであったようにっ!」


 ほとんどのメンバーが生まれた時からの付き合いだ。全員がレキの言葉に嬉しそうに頷き、拳と拳をぶつけ合ったりしていた。


 そしてレキを中心点とした特殊な陣形が瞬時に組まれていく。

 その円形の陣形は、円形に人を等間隔に配置するもので、重装騎士を最外円に、次に槍術騎士、剣術騎士と配置して、円自体は段々と狭くなっていき、三重の円の中でエルフ、魔導師、付与術師が不規則に配置され、神官が作る小さな円の中、この巨大な陣形の中央点に戦巫女――いや、龍巫女がいた。


 

 外周円の各人は自分の武器を床へと突き立てる。

 すると、武器に黒い文字が浮かび上がり、武器が内包している魔力が地面へと浸透し、それをエルフと魔導師。付与術師たちが黒い線で結び合わせて中心へと送る。床を走って送られてきた黒い線状の魔力を神官たちが掬い上げて、その全てを龍巫女であるレキへと集めていく。

 やがてレキの全身に黒い紋様が浮かび、その背中に黒龍の紋様が浮かび上がった。そして巨大な黒い魔法陣をなった陣形の上に黒い魔力が波打つ水面のように堆積され、その中から、黒く巨大な何かがゆっくりと姿を現す。


 漆黒の魔力の塊であるそれは、長い首をもたげ頭部には雄々しく突き出た長い角を冠し、裂けるように開かれたアギトから覗く牙も全てが黒い。

 黒い魔法陣から姿を現したのは、魔力で構築された黒龍の幻影だった。

 幻影のドラゴンは漆黒のアギトを開き、その口腔に周囲に氾濫する魔力を貪欲に集めていく。


 その頭上ではヴァシアムが魔力の収束に手間取り、苛立ちを募らせていた。

 根限りの魔力を集めているが、今の身体に制御することすら難しいほどのその魔力量に、身体が自壊しかける。だが、それでもやる。

 狂気を孕んだ目で、下で何事かをしてる地上軍をそこで初めて見下ろして、その濁った目を見開いた。


 巨大な魔法陣によって形成された魔力槽に黒龍の幻影が生み出され、その口腔へ魔力が収束されて黒い輝きを放っている。



『ドラゴン狂い共め……あの黒龍のように、今度こそ完全に消滅させてくれる』


 空を背に白い輝きを放つ光を前に、地上を見下ろす戦女神。


(これは成功したことがない秘術――でも、本物を見た今なら、出来る……っ)


 地上を背に黒い輝きを放つ黒き龍の幻影と共に、天上を見上げる龍巫女たち。


 その存在を賭けた最後の一撃が同時に放たれた。


 本来の極光とまではいかないが、そう言っても過言ではない猛烈な光を放ちながら地上へと迫る光と、黒龍が放つそれに比べれば威力は劣るが、黒い魔光の奔流が天上へと駆け上り、両者の中間で激しくぶつかった。

 神殿を白の光と黒の光が照らし、凶暴なまでに荒れ狂う魔力の余波が壁を柱を天井を床を舐め尽くし破壊していく。

 数秒の均衡を保った後、黒い魔光が白い極光を押し始めた。


 今まで一度も成功したことがなかったこの秘術だったが、それは魔法や魔術を行使する際にとても重要なイメージを、術の要であるレキが出来ていなかったからだ。だが、間近で本物の黒龍が放つドラゴンブレスを見た事によって、遂に秘術は成功した。


 とても人間が扱う魔力の量ではない威力に、ヴァシアムは焦っていた。だが、すでに自分の中にあるものは出し尽くしている。これ以上の魔力の上乗せはあり得ない。そこで何かないかと魔力の制御に集中しながら周囲を見渡すと、ある物に目が留まり、唇を吊り上げた。


 威力で押し勝ち制御も安定していることに、勝利を確信しかけていたレキたちの目に目を疑いたくなる光景が飛び込んできた。


 クロウシスがアヘルトゲイズディを倒す際に使い、そのまま支柱に刺さったままの白銀の槍を身元へと権能権限で召喚し、それに残留する魔力を解放させて極光の内部へ撃ち出した。


 撃ち出された槍が白と黒の拮抗点に到達した瞬間、凄まじい重圧がレキたちを襲い、状況は一気に悪くなった。七割まで押し戻されてなおもジリジリと詰めてくる。その圧力に耐え切れず、魔法陣を形成している騎士たちの武器が音を上げ始め、刀身にヒビが入り始める。

 この状況から押し戻すことはほぼ不可能だろう。しかし、このまま耐え続けても恐らく武器が砕け、魔法陣を維持することが出来ず術が解除されて極光に焼き尽くされる。


 レキたちは完全なる手詰まりとなり、それでも諦めることだけは絶対にせず、術の維持に全力を注いだ。長い術の負荷にレキの身体が悲鳴を上げて、術の制御のために空へ掲げた直剣を持つ細い腕に裂傷が走り血が滲み出た。


 口内に広がる鉄の味を噛み締めながら、レキは思う。


(お話を……してみたかった、な)


 物心付く前から教えられていた偉大なる黒龍の伝説。

 辛い修行にも、きつい訓練にも、死が隣り合わせの戦いにも、何よりも強く偉大な存在を自分が奉っているのだと思えば耐えられた。

 正式な戦巫女となって、初めて先代である母から神剣である直剣を渡された時に感じたのは、凄まじい力の存在。角の断片でしかないのに、まるで闇そのものをこの手にしているかのような存在感だった。

 そして今日、その御神体を間近で見て心を奪われた。

 全ては伝承の通り、全て自分が思い描いていた通り――いや、それ以上だった。

 だから、話をしてみたかった…恐れ多いけれども、出来れば触らせて貰いたかった。黒龍に頭を撫でたりしてもらえたら死んでもいいかもと思った。

 だから諦めたくなかった―――何もかもを、絶対に。

 歯を食いしばり、悲鳴を上げる身体を叱咤した時、それは起こった。


「………えっ?」


                ◇◆◇◆◇◆◇


 一向に押し戻してくる気配がない様子に、ヴァシアムは勝利を確信した。

 だが、油断はしない。

 奴らがどんな悪あがきを講じてきても、それを跳ね返してみせる。

 そして全ての勝者として、天界へと帰還するのだ。

 そう思い唇を吊り上げる。

 この魔力のぶつけ合いの八割を越した。

 とどめを刺すべく、制御に力を入れようとした時にそれは起こった。


 深く昏い深淵の底から凄まじい魔力の奔流が駆け上がり、魔封窟の壊れかけの蓋を完全にはかいし、そのまま無防備なヴァシアムを呑み込んだ。圧倒的な熱量に揉みくちゃにされ、ヴァシアムの身体が融解していく。


 いったい誰が――?

 などと考える者は、この場にはいるはずがなかった。

 レキは目から溢れる涙をそのままに、凄まじい魔力の奔流に魅入った。

 やっぱり本物は違う―――凄い。凄いっ!


 子供のような感激を胸に、レキはまるで見ていて欲しいとばかりに手に力を込める。

 幻影の黒龍も息を吹き返したように、本体が激しいダメージを負っていることで弱まった極光を一気に押し戻して、白銀の槍を消滅させ、その押し合いを完全に制した。

 合流した二本のドラゴンブレスに晒されて、ヴァシアムはグズグズに融け、やがて消滅した。

 

 合流した一本の巨大な魔光の奔流は、まるで祝砲のように空を昇っていった。


 この戦いで死んだ全ての者の魂を天界でも魔界でもない、何処かへと導くように。


                ◇◆◇◆◇◆◇


 その後、地上軍によってすぐに魔封窟へと人が降りた。


 だが、そこには大量の血溜まりと砕けた鎖が残るだけで、彼らの愛する偉大なる黒龍の姿は何処にも無かったという。


 


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