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第二章8-その街で生きる者たち-

次回更新時に二章の登場人物についての人物紹介を載せます。

簡易的なものになりますが、それなりに重要なキャラが追加で出たらその都度書き加えるくらいの更新はする予定です。

 空を覆い尽くす雨雲の群れ。

 曇天から降りしきる雨は、すでに恵みの範疇を超えて脅威になりつつある。

 帝都を縦断する二本の河川は着実に水かさと勢いを強め、河岸の整備が満足に施されていない流民街の住民たちは、今まで見たことのない様相を見せる川に対し恐怖を覚え始めていた。


 流民街東端にあるサルディア外縁壁の威容は、低い平屋が建ち並ぶ流民街では少々離れていても、その異様で巨大な門構えを確認することが出来る。

 帝都と外界を隔てる門が横目に見える中、雨除けのフードを被った四人組がある場所に向かって走っていた。

 そこは流民街の中でも特に建物の建て方に計画性がなく、無秩序に建てられた家屋は隣の建物とほとんど距離が無く、空から見れば隣接した建物の屋根によって通りや路地が見えないほどだった。

 

 その家屋が密集した通りは、迫り出した屋根によって通りを偽装され、実際には人が五人横に並んで歩けるほどの広さを持っているにも関わらず、空から見れば通りなど無いように思える。

 入り組み密集した屋根を伝って落ちる雨がバシャバシャと音を立て通りに降り注ぎ、通りの両脇に掘られた排水用の溝は既に許容域を超えて溢れつつある。


 通りに溢れた雨水を跳ね飛ばしながら、四人の男女が人影も疎らな通りを駆けていく。その先頭を行くのは身長こそ低くはないが華奢な人物で、その後ろには中肉中背の男、その後ろの人物は小柄で敏捷な運動神経を持っているらしく軽やかな足取りで前の男に付いている。そして最後尾には四人の中で最も身長が高く、雨避け用のフードではなく全身を黒色の外套を纏い、頭部全体を覆うフードからは世にも珍しい黒色の髪が覗いていた。


 太陽が頂点を過ぎて四十五度ほど傾いたが、濃密な雨雲に覆われた空の下ではそれを知る由もない。されど人々は身についた習慣と体感から時間を判断し、時計が無くても生活のリズムを大きく狂わすことはない。

 ただ陽光を絶え間なく遮り続ける曇天は既に五日間続き、人々が日常的に培った体内時計を徐々に狂わせつつあることも、また事実だった。


 入り組んだ密集家屋の通りを駆け、幾度にも曲がりくねった交差路を右へ左へと曲がり、随行している者でさえ道順を覚えることが困難になるほどに、その順路は複雑怪奇で滅茶苦茶に入り組んでいた。

 ただでさえ同じような家屋が隙間無く左右に並び続け、空さえも迫り出した屋根によって閉ざされたそこはまるで街中でありながら迷宮のようであった。

 通常の通りからこの迷宮のような通りに入ってから小一時間が経過した頃、列を先導していた先導役が立ち止まった。

 そこは見る限り今まで駆けてきた所と何ら変わりない場所で、強いて特異点を上げるとするならば、今までの進行方向に向かって左手側に崩れ折れた石像の台座のようなものがあり、一辺が三十センチ程度の四角い台座は地面から一メートルほどのところで中ほどから砕け、その周囲には残骸などはなく以前からその状態であったことが窺える。

 こういった台座は流民街では珍しいものでは決してなく、火龍信仰――ひいては精龍信仰が根強かった流民街では、石像を通りや広場に置いての偶像信仰も盛んに行われていた。そして、その石像の多くが二年前に起きた大規模な『粛清』によって破壊された。

 今でも目立つ場所に置かれていた石像は、多くが台座の一部を残してか、もしくは根こそぎ砕かれてその再建も許されてはいない。


 さして珍しくもないそんな石像の残骸の対面側には、古ぼけたレンガ造りの倉庫が建ち、その入り口は半円状の木製扉で見上げるほどに大きく、隣接した建物を見ればやはり似たような倉庫が並び立ち、まるで倉庫街のようだった。その建物の奥行きは四人のいる位置からでは分からないが、横幅は十メートルほどあり戦車程度なら格納出来そうなくらい大きかった。

 だが、上空から見るとこの通りに並ぶ倉庫群は小さな屋根が数分割されており、その外見は周囲の小さな建物の密集地帯と何ら変わらず、大きな一つの建物であることはこの場に来ないと分からない。

 そして仮にここに辿り付いたとしても、かくも迷路の如き道程と延々と似たような景色に視覚と思考を狂わされ、唯一の視覚的逃げ道である空さえも迫り出した屋根によって閉ざされ、方向感覚はおろか精神が脆弱な者は心神耗弱に追い込まれさえする。

 偶然迷い込んでも辛いが、目的を持って足を踏み入れて迷えば、より一層焦りと戸惑いを覚える。


 ここはそんな場所だった――否、そう作り上げられていた。


「着きました」


「ふぅー、すまねぇな。本当はもうちょっと簡単に来ることも出来るんだが、リサ曰くここは火龍の高巣(バーンクルス)の……というよりかは、俺にとっての急所みたいなもんらしくてよ。お前さん方を信用してはいるんだが、それでも道順を覚えられないように、そんで密偵を撒ける順路を取らせてもらった」


 先頭で先導をしていたリサと、その後ろに付いていたウラジルがすまなそうに笑う。


「うぅ~風景で酔いそう……私は全然順路なんて覚えれなかったぁ」


 ウラジルの後ろについていたラナルゥはやや憔悴した顔で零すが、最後尾を来ていたクロウシスは特段堪えたような様子もなく、砕けた石像の反対側にある倉庫の扉に視線を向けていた。

 その様子を見て、ウラジルはついつい試したくなる気持ちが高まり口を開く。


「御大、そこに何があるか分かるかね?」


「……木製の扉の向こう側に鋼鉄製の扉。そしてその奥に多数の生命反応がある。大半は地下のようだが、帝国での事情を考えれば、ここが何であるかは想像に難くない」


 外部からそれだけのことが分かることに対し、そういったことを出来ないようにと結界を張った張本人としてリサは顔を青くするが、その肩を『いやー敵わんなぁ』と首を振りつつウラジルがやんわりと叩いた。


「まぁ、御大を基準に考えちゃダメってことよ。リサも分かってるだろ?」


「は、はい……」


 精龍信仰の最高位にして神聖なる龍神。

 無垢なる魂と高潔なる精神を持ち、世界の中心にて四神たる精龍を見守り、邪なる存在の封印を司り、次なる英霊を選定し、世界の安寧を願い天上への扉を守護する聖龍。


 その白龍から全幅の信頼を得て行動を共にし、手に乗せられた食物に直接口をつけ、あまつさえその人物には甘えるようにすり寄るのに対し、他者には決して手を触れさせないというのを見せつけられれば、いかにその人物が精龍の最高位たる白龍にとって、特別な存在として認知されているかは明白だった。


 まさかあの白龍を幼生とはいえ、直接見ることが出来る機会があるだなんて思っていなかった。そのあまりに衝撃的な出来事に際してリサは立ったまま気絶するという、生まれて初めての経験をすることとなった。


 気がついた時には白龍は既にクロウシスの服内へと戻っており、ゼクターに介抱されながらソファーに座っているクロウシスを見ると、全身隈なく黒い服に身を包むこの人物と白龍の取り合わせが可笑しく思えてしまい、組織のためにとひたすらに疑いの目を向け続けていた自分が滑稽に思えて仕方が無かった。

 笑いが涙と一緒に込み上げて、ソファーに仰向けで寝かされたまま肩を震わしていると、その様子を心配したウラジルやラナルゥが声を掛けてくるが、リサは腕で目元を隠したまま『大丈夫です』と言って一頻り発作を起こしたかのように笑った。


「では、周囲に……クロウシス様。私よりも貴方様の方が格段に探知魔法の精度が高いと思うのですが、もし可能であれば周囲への探知をお願いできませんか?」


「リサ?」


 突然のリサの申し出にウラジルが問いかけるが、リサの顔には他意は感じられず、むしろそうすることが最上の策と思ったからこその行動だということが伝わってきた。


「お願い致します。ここは何がどうあろうと、他者に知られるわけにはいかないのです」


 そう言って頭を下げるリサを見て、ラナルゥがクロウシスを見ると、フードの奥で静かな光を放つ黄金の瞳と視線が合う。そこでラナルゥは口をパクパクとさせて、身振り手振りでワタワタと体を動かす。

 態度を軟化させて頭を下げてお願いをしているリサの頼みを聞いて欲しいとお願いしたいが、それを自分が言ってしまうとリサが頭を下げた気持ちを蔑ろにしてしまいそうだと思い、リサに分からないように声を出さずにクロウシスにお願いしているわけだ。

 だが、身振り手振りを大げさにし過ぎて恐らく頭を下げたリサも、目の前でワタワタとしているラナルゥの行動に気がついているだろう。


「……」


 しばらく手信号めいた何かと不思議な踊りを展開していたが、やがてラナルゥも両手を胸の前で合わせて拝むような姿勢に収まった。

 その一連の動作を見届けると、クロウシスはフードの中で僅かに口角を上げた。


 左腕を上げると、手の平の上に青白く光る拳大の球体が現れる。

 その光球体の周囲を光の粒子が舞い、一際輝きを増した球体が青い炎を上げたところでクロウシスが球体を握り潰すように手の平を握り込むと、光は四散して手から僅かな煙が上がっていた。

 意味を知らなければただ幻想的な光でしかなかったが、リサにはそれが炎性魔力を用いた探知魔法であることは一目で分かった・だが、ざっと見た魔法構築の構成はそのほとんどが簡略化されており、その一端を読み取る間もなく魔法は展開されてしまった。


「密偵の類はいない。我々に探査の呪をかけている痕跡もない。この区域に入るまでは三人張り付いてきていたが、それもすでに撒いている」


「張り付いていたのは帝国の手の者かね?」


「違うだろう。思念を読む限りはこの街の人間だ」


 クロウシスの返答を受けてウラジルは顎に手を当てて僅かに考える。

 帝国から直接遣わされた密偵ではなくとも、流民街の人間が利用されて間接的に帝国と繋がっているという線は十分に考えられる。

 だが、その程度のことをこの男が分かっていないはずもない。

 白龍の存在がダメ押しになったことは間違いないが、ウラジルは初遭遇した時に目が合った時点でクロウシスの存在が超越的な何かであり、不思議と自分たちを害する存在ではないと確信していた。

 だからこそ組織の人間の中でもクリフト、リサ、ゼクターというほんの一握りの、ウラジルが心から信頼している人間だけしか、その存在を知らないここへと連れてきたのだ。


「ふーむ。なら問題ねぇな……もうここまで来てるんだ。俺は腹を括ってる」


 ウラジルがリサに向かって頷く。

 リサは木製の巨大な扉の前まで歩み寄ると、閂型の鍵に懐から取り出した大きな鍵をはめ込んだ。外側から閂をはめて、その上で施錠を施しているのだが、この閂は細工がされており内側からの鍵を解錠することで外側の閂が外れるようにもなっている。

 木製の大扉が開くと、そこには先刻クロウシスが言ったとおり巨大な鋼鉄製の重厚な大扉があった。これだけ立派な扉であれば重量も相当なもので、扉が付いている建物が見た目には不相応な脆いものに見えてくる。


 ラナルゥが巨大な扉を見上げていると、それを見たウラジルがニィっと笑うとラナルゥの隣に立ってその肩をポンポンと叩く。


「凄いだろう、お嬢ちゃん。この扉は昔とある城の門扉に使われたもんなんだ。この国の馬鹿デカい城のモノに比べればそりゃー小さいかもしれんが、これだけの品は外縁街でもお目にかかれない」


「おぉー……大きさは外縁壁門とかより小さいけど、重厚感とかはこっちの方が全然凄いっ!」


「おぉ? 分かるのかね?」


「うん! 私のじっちゃんは国一番の鍛冶師だったの。だから扉そのものの凄さは分からないんだけど、使われてる金属の良し悪しは分かるよ!」


「そうかそうかっ! イルムコレナにはドワーフを初め、鍛造技術に優れている者が多いって聞いてるからなぁ」


 二人が盛り上がっている内に、リサは二つ目の門扉に掛けられた鍵を解錠していた。

 解錠と同時に微かな魔力の行使が行われて、一つ目の木製扉よりも遥かに重い音と震動が辺りに響き、鋼鉄の扉が外側に向かって開かれる。

 扉には技術的な細工の他に、微細ながらも魔力による細工が施されており、正式な手順を踏めば外側からも内側からも解錠することができる。しかも開閉そのものは自動で行われるので、見た目通り相当な重量を誇るこの鋼鉄製の扉を開閉する労力は実のところ無いに等しい。


 大きく開放された扉の向こう側は薄暗いが、広い空間になっているのは辛うじて分かった。

 リサが片手を上げて短い詠唱を唱えると、その手の内に薄緑色の光球が浮かび上がる。その微小な魔力によって生み出された魔力光が、四人を先導するように口を開いた倉庫へと吸い込まれていく。

 光球は空中で八の字を描くような挙動を取りつつ、四人を待たずして闇の中を下降して消えた。


「あれ……?」


 リサの生み出した光球は、てっきり暗所における光源だと思っていたラナルゥが不思議そうな声を上げ、側に立っているクロウシスを見上げる。

 その視線を一瞥すると、クロウシスは問題ないと頷いて歩を進めた。

 クロウシスの頷きに対し、あの光球が光源以外の役割を持っていたという発想に中々辿り着かないラナルゥは首を傾げながらも、置いていかれないように黒い背を追った。


 左右に開いた重厚な扉に目を輝かせながら建物内へと足を踏み入れると、その意外な構造にラナルゥは目を丸くした。

 倉庫の中はがらんどうとした空間で、一見すれば単なる空き倉庫のような様相だが、よく見れば内側から全ての壁と天井に補強工事がされており、鉄板を無数に張り合わせた壁はそれなりに強固な造りになっていた。

 ラナルゥが驚いたのは、倉庫の中央付近に緩やかな傾斜が存在し、地下へと続く地下道のようなものが存在していたことだった。


「驚いたかね? 普段はこの穴も見た目には分からないように偽装を施しているんだが、俺たちが来たから中から解除してくれたんだ。しかし、驚くのはこれからだぜ?」


 目を丸くしているラナルゥにウラジルが笑いかけながら、地下へと続く傾斜を降りていく。リサがそれに続き、クロウシスも特に何も言うことは無く後に続き、ラナルゥはキョロキョロと辺りを見渡しながら、同じ地下道でもレオリスたちと使っているモノとは大きく違うこと点があることに気がついた。


(土の匂いが濃い……)


 故郷で嗅ぎ慣れたものに比べれば、不純物が多く植物の青臭さや花の香りもしないが、それでもこの帝都の中のみで生活するようになってからで言えば、間違いなく最も濃い土の香りだった。


 故郷を思い出すと胸を浅く抉られるような鋭い痛みが走る。


 だが、今自分はこの帝都で故郷を救うために行動している――その一心で胸に走る痛みを抑える様に片手を胸に添えて息を吐いた。


「着いたぜ。ここが目的地だ」


 不意に立ち止まったウラジルの側には、先ほどリサが生み出した薄緑色の光球がぼんやりと浮かんでいた。その光に横顔が照らされたウラジルは笑みを浮かべ、何かに合図を送るように右手を上げると、まるで表と裏をひっくり返したかのようにして一瞬の内に真っ暗だった地下が明るく照らし出された。


 地下を明るく照らす光源は『火』によるものではなく、地下広間の中央に据え置かれている巨大な鉱石によるものだった。成人男性の身長と同じ位の高さに、大人五人が手を繋ぎ合い輪を作ってようやく囲えるほどの大きさを持つ琥珀色の大石。

 それが見つめても目が痛くないならない光を放ち、その場所を柔らかな光で覆っていた。

 光源はそれだけではなく天井を見上げれば、本来ならば高くないはずの天井部分に、驚くことにそこにはまるで天井がないかのように、青く澄んだ青空が広がっていた。

 ここは紛れも無く地下であり、そこに空など存在するはずがない。


「……すごい」


 不思議なその空を見上げて呟いたラナルゥが視線を正面に向けると、そこに広がる光景に息を呑み、天井部に広がる仮初の青い空を見た時以上の驚きに目を見開いた。

 地下の広間は横幅が十五メートルほどあり、奥行きは五十メートル程度あって、天井への高さは映し出された青い空によって実感を掴みづらいが、ここへ下りてきた時の傾斜を考えれば恐らく十メートルほどあるだろう。

 手前に置かれている光を放つ大石の向こう側には、部屋の奥行きに沿って伸びる長テーブルが中央に置かれており、広間の奥まで伸びたそれは五十人程度の人間が一度に掛けれそうな大きなものだった。

 広間の壁には左右に一つずつ大きな扉があり、部屋の最奥にも同様に大きな木製の扉がある。


 ラナルゥが驚いたのはその部屋の構造や家具ではなく、そこにひしめく様に集まった大勢の人々にだった。

 光源となっている大きな石の後ろ、長大な長テーブルから部屋の奥に向かって隙間無く埋め尽くすように集まった人々は、性別も年齢も様々で皆様々な表情を浮べていたが、それらは一様に好意的なものであり、単純に一度に大勢の人間に見つめられただけならば、ラナルゥは単純な驚きよりも恐怖に近い驚愕になったかもしれない。だが、それを単なる――しかし、大きな驚きとしたのは、そこにいた人々が自分と同族だったからだ。


 性別も年齢に統一性もなくそこに集まった人々は、その全てが獣人族だった。

 人型でありながらも獣の特徴を色濃く出した獣人もいれば、完全に獣としての姿を取っている者いるし、数としては僅かだが獣としての特徴を完全に消し、見た目には人間と変わらない姿を取っている者もいる。


 南方大陸イルムコレナを発祥と安住の地とし、他の亜人種や妖精族と共に南方の楽園を築き上げ、中央大陸に住む人間たちとは違い、精龍信仰を主とするより原始的な自然信仰を奉じてきた。

 そしてイルムコレナで最も繁栄し、一大国家を築いているのが獣人族。


 ――現在、イルムコレナはサーディアス帝国により苛烈な侵攻を受けている。


「お嬢ちゃんをここに連れてきてやりたくってな」


 呆然とするラナルゥの背をウラジルがポンと叩き、そこに集った獣人たちに目を向ける。ウラジルの視線を受けた獣人の人々は穏やかな笑みを浮かべた。


「ほら、お節介なのかもしれないけどよ。ここにいる人たちは皆、一人でも多くの同胞があの門をくぐってここに訪れることを望んでるんだ」


 その言葉を聞きウラジルの顔へと視線を向けるラナルゥに対して、ウラジルがニィっと笑みを浮かべた。それは粗野な笑みだったが、温かく優しい笑みだった。

 今度は背後に立つクロウシスに顔を向けると、クロウシスは何かを言うわけでもなく、ウラジルのような笑みを浮かべるようなこともなかったが、ラナルゥの揺れる瞳を見てただ一度小さく頷いた。その仕草にラナルゥは僅かに目を見開いたが、グっと下唇を噛んで頷いた。


 三歩ほど前へと歩み出たラナルゥは、震える手で頭に被っていた茶色い帽子を取り去った。

 そこに現れた黒みかかった銀色の体毛に覆われた三角形の耳を目にして、獣人たちの中に一瞬驚いたような感情が広がった。その反応を予期していたラナルゥが、それを敏感に感じ取り一瞬体をビクっと振るさせた。

 その互いの反応にウラジルとリサは眉根をひそめ、クロウシスは僅かに目を細めた。

 この反応はラナルゥが『蒼儀齢』という獣人族特有の適齢期を迎えているはずなのにも関わらず、獣人としての特徴を頭部の耳にしか発現していないことにあった。

 獣人たちにとっては一般的な『蒼儀齢』という儀式も、人間であるウラジルやリサにとっては言葉の意味を知っていても感覚的には理解し切れていない部分がある。


「あ、あの……」


 その獣人族にとっては名誉的な恥部とも言えるモノを曝け出し、不安に怯える少女を前にして真っ先にラナルゥに駆け寄ったのは三十代くらいの女性の獣人だった。


「よく来てくれたわね。今まで大丈夫だった? 酷い目には遭ってなかった?」


 そう言って獣人の女性はラナルゥを抱き寄せると、優しくラナルゥの赤い髪を撫でた。その温もりを感じ、堪えていたものが決壊しかかり、ラナルゥはグっと歯を食い縛って小さく頷いた。

 その様子を見て他の獣人たちも一斉に駆け寄り、口々にラナルゥを心配する声、労わる声、称賛する声が上がり、この帝都という亜人種にとって住み辛い地で立派に生き延びてきた同胞を歓迎した。

 ラナルゥは思い掛けない歓迎の声に目を白黒させつつも、自分を優しく抱きしめて髪を梳く様に撫でてくれる優しい手に、ラナルゥはそれとよく似た別の手(・・・)を思い出してしまい、また涙が込み上げ掛ける。だが、あくまでそれを流すことは拒否して息と一緒に呑みこんで耐えた。


 温かな歓迎を受ける様子にウラジルは安堵の息をつき、リサも天真爛漫な獣人族の少女が得たであろうはずの安息を想像して目を細めた。

 その二人の様子と、同胞に囲まれて肩を震わしながらも、決して泣こうとしない少女の背を見つめ、クロウシスは少女の強さと優しさを称賛し、同時に少女が内に抱えていた感情の水位が急激に上がり、かなり危険なものとなっただろうことを察した。

 数年掛けて築き上げた『流民街に住むラナルゥ』という名の堤防が決壊しかけ、激情という名の濁流が押し寄せては、なけなし精神力でそれに耐えているのだ。

 だがそれが決壊するのは、もう時間の問題というところにまできていた。


                     ◇◆◇


 広間は大きな琥珀色に光る巨大な鉱石――精龍石(カーディライト)の光で柔らかく照らされている。

 この石はドラゴン族が棲む土地に発生する特殊な鉱石で、ドラゴンの発する魔力を間近で受け続けた岩石が変質して生まれるもの。

 この石そのものは、さして特別な力を持っているというわけでもないのだが、魔力の無い者でも触れるだけで強い光を放ち、光源として使うには申し分ない。その上、魔力の放出が極めて微弱な為、探知される可能性が極めて低いという特性を併せ持っている。


 先ほどまで人で埋め尽くされていた広間は、今は二十人ほどの女性を主とする獣人たちが居た。彼女たちは広間の長テーブルに座り、話に花を咲かせていた。

 その中心に居るのはラナルゥで、流石に互いを直接知っている人物はいなかったものの、集落の族長をしていたラナルゥの父のことを知っている者が数名いたので、今はそういった故郷のことなどを中心に話をしていた。

 最初はおっかなびっくりといった調子だったが、やがてラナルゥも緊張が解けてきたのか自分から話をするような姿勢も見せ、時折笑い声も出ていた。

 

 それでも彼女をよく知る人物、例えばレオリスやレゾがこの場に居たとしたら、ラナルゥの様子があきらかに普段と比べておかしいことに気づいたことだろう。

 ウラジルやリサも思っていた反応と少々違うと感じてはいたが、それは緊張や戸惑いのようなものだろうと思った。今この場でラナルゥの様子がおかしいことに気づき、そしてその原因にも思い至っているのはクロウシスだけだった。

 だが、敢えてクロウシスはそのことを口にすることはしなかった。


「御大。すまねぇな、ここに来るまで何も話さなくて」


 すまなそうに頭を掻きながら、ウラジルがクロウシスの隣に来た。

 傾斜になっている入り口へ至る道と広間のちょうど境に当たる場所で、壁を背に立っているクロウシスは被っているフードを取ることもせずにいたので、獣人たちからもやや警戒され近寄る者はいなかった。

 その様子にウラジルは苦笑しつつも、自分がここに連れてきた以上は、ここに居る者たちが今以上に警戒を強くすることはないと分かっているので、敢えて刺激するようなことはせずにいた。


「獣人を初めとした亜人種は、イルムコレナへの侵攻が開始される直前に帝都から追い出された。そして事情を知らずに残ってしまった者、出られなかった者、捕まって連れて来られた者たちは処罰されたんだ」


 いつになく暗い表情を浮べたウラジルは、当時のことを思い出して声のトーンを落とした。


「まったく酷いもんだったよ。流民街では今まで三度、亜人種を標的とした大粛清が起こった。龍騎兵(ドラグーン)を使ったものでよ。子供一人であろうと、連中は容赦なく撃ち殺し、焼き殺し、轢き殺した。流民街でどれだけ力を持っていようが関係なく、暗黙の取り決めや裏金もこの時ばかりは一切関係なく、亜人を匿っていれば人間ごと全てが捻り潰されたんだ」


 まるで害虫駆除のように、それを関わりあったモノの一切合財を焼き払った。

 この帝都において、まるで一切の生存権を認めないとばかりに徹底された弾圧と迫害。

 三日三晩休むことなく行われた索敵と殲滅。

 まさに悪夢のような日々だった。


「この時に被害を受けた人間たちは、亜人種を憎むようになった。被害に遭っていない人間たちも、亜人たちに関わることを避け始め、それはまるで疫病のように流民街全体に広がっちまった……それからは毎日が地獄さ」


 その頃の様子を思い出して、ウラジルは胸糞悪そうに顔を顰めて視線を落とした。いつも明るい調子でいることを信条としているこの男からすれば、当時の記憶は苦く唾棄すべき事実だった。


「流民街に住む人間による亜人狩り。街の外へ放逐ならばまだマシだが、帝国による粛清に仲間や家族が巻き込まれた連中は、そんなもんじゃ収まらなかった。連中は女だろうが子供だろうが、人間じゃないってだけの理由で殺して回ったんだ。思えば、軍による粛清は随分と大味のものだったんだ……兵による目視だけで標的を定めて引き金を引くだけってな」


 それが何を意味していたのか。

 その答えを悟った時、ウラジルは改めて現帝国の倫理観と策略に寒気を覚えたものだ。それが血の通った人間が考え、行うものなのか――と。

 隣に立つクロウシスを見ると、フードに隠れて横顔さえ見えない。しかし、この男はここまでの話で既に全てを把握しているだろう、とウラジルは考えていた。

 それでも話を続けるのは、その事実を改めて口に出して言うことで自分が行わなければならないことを再認識するためだった。


「帝国は恐怖を煽り、人間に亜人種に対する差別意識を植えつけた。おかげでもう帝国が直接的に手を下すまでもなく、亜人たちはこの掃き溜めのような流民街でさえも、息を潜めて生きなければならなくなっちまった。まったく吐き気がするくらいに効率的な手法だ」


 流民街で最大規模の帝国勢力を率いていながら、今のような状態になることを許してしまった自分を自嘲しながらも、同時に為政者でもなければ統治者ですらない自分にそんなことが出来ないことも自覚していた。

 帝国による圧政と侵略は、種族に問わず自国以外の全てに及んでいる。いや、自国の内ですら帝都以外の都市や街では、とても善政とはいえない統治が行われている。


「ここは流民街で生き残った獣人たちを受け入れて生活をしてもらっている場所でな。他にも種族別にここと同じような場所が流民街に点在している。もっとも人数が多い獣人は勿論のこと、他にもエルフ、ドワーフが少数ながら居る」


「……何故、亜人種を保護する? 戦力として当てにしているとは思えないが、かといってツテを作るにしても最早手遅れだろう」


 今まで黙していたクロウシスが口にしたのは、単純な疑問だった。

 世界的な大勢は、ほぼ決している。

 この世界で魔族がどれほどの影響力を持ち、そして人間――帝国の動きをどう思っているのかは不明な部分が多いが、それ以外の勢力図で言えば既に何もかもがどうしようもなく手遅れになっていると言える。

 人間が亜人と手を取り合い、魔族とも手を組めばあるいは光明のようなものが見えてくるのかもしれない。しかし先日相対した魔族の頂点に座する王の一人と接した限りでは、人間と手を組み事を成すような存在には思えなかった。


 同情心や罪悪感からくるものと考えれば一番しっくり来るが、目の前の男ならばもっと単純で分かり易い理由で行動しているように思える。

 ウラジルの抱える内情をクロウシスが既に察していることに気づき、ウラジルは『かなわねぇな……』と苦笑して頭を掻くと、広間の左側に面する扉が開き一人の女性と二人の少女が現れた。

 現れた女性はティートレーに人数分の茶器を乗せて、左右に控える少女の一人は女性同様にティートレーを持ちその上には焼き菓子が乗せられており、もう一人の少女は柔らかそうな生地に包まれた赤ん坊を抱いていた。

 その三人が現れたのを見て、ウラジルはクロウシスに断りを入れてラナルゥたちが居る長テーブルの方へと歩み寄った。その姿を見て、ラナルゥを囲んでいた女性たちはウラジルに親しげな笑みを浮かべ、ウラジルとラナルゥが話を出来るように間を空ける。

 ウラジルが歩み寄ってくるのを見て、ラナルゥが慌てて席を立ち改めてお辞儀をしようとすると、それをやんわりと手で制し、ウラジルは茶器をテーブルに置いた獣人の女性を呼んでその肩に手を置いた。


「御大。それにお嬢ちゃん、紹介するぜ。俺の妻、トリシャだ」


 紹介を受けて頭を下げて微笑むんだのは、最初にラナルゥに近寄って抱きしめたあの女性だった。

 ウラジルとトリシャが一緒に微笑む姿を見て、ラナルゥは驚きに目を見開いていた。

 トリシャという女性は最初にラナルゥを抱きしめた女性で、勿論獣人だ。

 見た目こそ普通の人間だが、獣人同士であれば姿形に関係なく相手が同族であるかどうかは感じることができる。

 ウラジルよりもやや高い高身長の女性で、明るい亜麻色の髪を長く腰辺りまで伸ばし、その髪をボリュームのある三つ編みにしている。鳶色の瞳は穏やかで落ち着いたトリシャ自身の気性をよく表しており、優しい眼差しでラナルゥたちを見ている。


「改めまして、ウラジルの妻トリシャでございます」


 そう言って頭を下げる所作もまた洗練されたもので、ラナルゥが思わず見惚れてしまうほどだった。

 ポカンとした顔で自分を見上げるラナルゥにトリシャが微笑み、ウラジルが苦笑するとラナルゥもそこでようやく自分が随分と間抜けな顔していたことに気づき、赤面して顔を伏せてしまった。その頭をウラジルがやや乱暴にポンポンと叩いて笑う。

 トリシャが今度はクロウシスの元へと歩み寄ると、深々と頭を下げた。


「ウラジルからお話は聞きました。私の夫とその親友であるクリフト様、そしてお友達のリサとゼクターをお助け下さり、ありがとうございます。心より感謝いたしております」


 丁寧な言葉と仕草で礼を言うトリシャに、クロウシスはただ頷いた。

 トリシャにはそれだけで十分だったようで、柔らかく笑うともう一度頭を下げた。そしてウラジルたちの下へと戻ると、随伴していた少女の一人から赤ん坊を受け取り優しく抱きしめた。


「それと、この赤ん坊は俺とトリシャの子供だ。名前はアリアって言う」


 その言葉を聞いて、今度こそラナルゥは弾かれたように頭を上げてウラジルとトリシャの顔を見て、そしてトリシャの抱く赤ん坊アリアに目を移した。

 立ち上がろうとしたラナルゥの前にトリシャが立ち、胸に抱くアリアをラナルゥに預けようと少しだけ前へと差し出した。その行動に困惑するラナルゥの顔を見つめ、トリシャは優しい母の顔で笑う。


「抱いてあげてもらえないかしら」


「えっで、でも私は……」


 頭にある獣の耳をへんにゃりとさせて俯く。

 獣人たちに伝わる伝承で、蒼儀齢を終えても一人前になれない者が子供を抱くと、その子供も同じように育つと昔から言われている。

 そのことを気にして断ろうとしたのだが、トリシャはそんなことは気にしないという風に微笑んだ。その優しい笑顔に心を動かされ、ラナルゥは躊躇いがちに手を伸ばしトリシャから赤ん坊を受け取った。


「わっわわ……温かくて柔らかい。それに思ったより軽いかも」


 受け取ったアリアを胸に抱いて、驚きに目を丸くするラナルゥにトリシャとウラジルが視線を交わして小さく笑う。ラナルゥはその視線のやり取りに気づかず、腕の中に息づく小さな命を見つめた。


「まだ生まれて二月も経ってないからな、軽いだろ?」


「うん。でも、やっぱり重いかも……」


 それが体重のことを言っているのわけではないのは確かであり、とても大切な存在を扱うためにラナルゥは気を配りながらも、無垢な表情で自分を見つめてくるアリアを柔らかな表情で見つめていた。

 ラナルゥの様子にほっとした表情で息をついたウラジルが、皆から離れた位置に立つクロウシスの元へと戻ってくると、広間で赤ん坊とそれを抱くラナルゥを中心に姦しく盛り上がる女達を見て笑みを浮かべた。


「女たちが笑ってるのはいいことだ。こんな時代だからこそな……御大は気づいてるとは思うけどよ。リサの言うとおり、ここは俺にとってまさに『急所』になり得る場所なんだ。何せ俺の妻と娘がいる。そうじゃなくとも、俺の事を信じて集まってくれた獣人たちがここだけで三百人は居るんだ」


 嬉しそうに話す反面、ウラジルの横顔には拭い切れない恐れが見え隠れしていた。

 いつも明るく振舞い、クロウシスに対しても他者に比べれば物怖じしない態度で接してきた豪胆な人物の意外とも思える態度だったが、個人的に命を賭してでも守りたい存在を作ってしまうと、組織の長としては大きなリスクを抱え込んでしまう。

 問題はもしもの時、非情になれるかどうか――覚悟を試される。


「ここを知ってるのは俺とリサ、それにクリフトとゼクターだけだ。ここについての秘匿性や情報操作はリサがやってくれて、ゼクターが物資類の手配をしてトリシャが受け取り、ここの運営もやってくれている」


 三百人という規模の獣人を匿い、生きていけるだけの糧を提供する。それを外部に一切バレないように行い、関わる人間も僅か四名。

 巨大な組織を運営していることを考えれば、リサなどが負担する苦労は並大抵のものではないだろう。だが、その苦労を被っても、リサたちはここを守るための努力を続けてきた。


「ここを御大とお嬢ちゃんに教えたのは、俺一人の判断だ。お嬢ちゃん……ラナルゥ嬢ちゃんは明るく振舞っちゃいるし、仲間の二人も良い奴らだしな。だがやっぱり人間と獣人は違う。同じ志を持ち、共に生きてくことは出来るけどな」


 そう言ってウラジルは、ラナルゥからアリアを受け取り母性に満ちた眼差しを愛娘へと向けるトリシャを見つめる。幸せそうな表情のトリシャと、その顔を見上げるラナルゥの表情を見てその目を細めた。


「俺は孤独ってのには種類があるって思ってる。古い時代には何十万もの臣民に囲まれていても、孤独を感じていた王もいた。大勢の友と志しを一つに歩いていたが、ふとした出来事を境に考え方や価値観の違いで薄ら寒いような孤独感を感じることだってある。種族の違いってのはまさに決定的だ……」


 そこで一度言葉を切り、やや自嘲気味に笑みを浮かべる。


「……万を超える仲間をやんやと集めても、身勝手に孤独を気取っていた男もいた……。得難い人間の仲間を二人得ても、種族の違いを感じた時に思い出しちまうんだ――故郷のこと、家族のこと、同族のことをな」


 ウラジルの視線の先では、ラナルゥと同じように頭部に耳を発現させた獣人たちが笑い、ラナルゥもまた驚きながらも笑みを浮かべていた。その目尻には微か光るものがあった。


「ラナルゥ嬢ちゃんは強い娘だな。俺はひょっとしたら、とてつもなく余計なお世話を焼いちまったのかもしれない……もっと泣いてくれると思ったんだがな」


 少女の頑として泣くことをしない姿勢を見せられ、ウラジルは自分のしたことが酷く的外れで恐ろしく傲慢なことだったかもしれないと思い、感嘆と共に自責からくる溜息を漏らした。

 その姿を横目に、あの少女が泣くことを許さない理由に見当がついているクロウシスは、痛々しいまでの虚勢を張り続ける少女の姿を見て愚かだと思うのと同じくらい、その人間じみた感傷と意固地から築かれた虚勢を好ましく思っていた。


「お詫びにもならないと思うがよ、ラナルゥ嬢ちゃんが望めばいつでもここへ来れるようにするつもりだ。だけど、レオ坊とレゾにはこの場所の存在は教えない。ここの存在を知る人間は一人でも少ない方がいい……そう思って俺達は今日までここを守ってきたからな」


 そう言った時のウラジルの表情が組織の長としての顔をしていたのか、それとも妻と娘を案じる一人の男の顔をしていたのか。それを敢えてクロウシスは見ることはせず、ウラジルが次に喋るであろう言葉を待った。


「出来ればでいいんだけどよ……ラナルゥの嬢ちゃんがここに来るときに付き添ってやってくれねーかい? なるだけリサが付き添えるようにするつもりなんだが、それでもリサは組織の事を優先しなくちゃならねー時もあるからよ」


 その言葉の内側に込められた思惑――いや、思いは明白だった。

 ウラジルの性格ならば面と向かって頼んできてもおかしくはないが、それをしてしまうとそっち(・・・)側に全てが傾いてしまいそうだった。だからこそ、らしくもなく回りくどい言い方をしたのだ。

 顔をやや俯かせてクロウシスの言葉を待っていると、隣から簡潔な一言が告げられた。


「いいだろう」


「……そうか。そうか、すまん、ありがとう。恩に着るぜ」


 何か目に見えない重荷が少し減ったかのような、そんな表情でウラジルは壁に背を預け、そのままズルズルと腰が抜けたように崩れ落ちそうになったが、中腰になったところで止まった。

 そして安心したような表情でトリシャたちを見ると、思い出したかのように別行動を取っている親友たちの事を口にした。


「クリフたちは、上手くやってるかねぇ……」


                  ◇◆◇◆◇◆◇


 降り続く雨が屋根を打ち、小気味の良いリズムが音を奏でる。

 遠くの音を聞けば『サー』という音だが、近くに意識を向ければ聞こえてくるのは隣で居眠りをするレオリス(バカ)の寝息と屋根を打つ雨音だった。

 場所も考えずに――いや、考えてないからこそなのかもしれないが、居眠りをするレオリスの横顔を見るレゾの額には青筋が浮かび上がるが、場所が場所だけに騒ぐわけにもいかず、一撃でレオリスを葬るために固めた拳に熱い息を吐きかける。

 その様子を横目で見て、クリフトが笑いを噛み殺していた。


「……すみません、ウチのバカが」


「いや構わんさ。治療魔法を受けたら眠くなることはよくあることだからね」


 確かに治りきっていない左腕の治療を出掛けにリサから受けたのは間違いない。そしてクリフトの言うとおり、治癒呪文は対象者の体力を著しく消耗するもので、治癒を受けた者は眠気や食気を催すのは一般的だ。

 だがしかし、レゾは思う。

 自分が今置かれている状況を一切顧みないというのは、些か違うのではなかろうかと。


 それというのも、ここは流民街の中でもかなり特殊な場所だからだ。


「クリフトさん。今日お会いする方はどのような方なんですか?」


 敢えてその名を直接出さなかったのは、その対象への恐れからだろうか。

 何しろ相手は、流民街最大勢力を誇る『火龍の高巣(バーンクルス)』のトップであるウラジル=ハーティアに匹敵する人物。

 この流民街で最も『組織』としての力を持つ人物。

 その人物像には謎が多く、年齢についてなど数字的な情報は多少流布されているものの、人物像や経歴についてはほとんど知られていない。しかしこれも反政府組織の首魁として帝国から狙われていることを考えれば、情報が知れ渡ることを避け、正体が掴めない状況を維持するのは必要なことと言える。

 組織の長が何もかも謎の存在では、そこに集い所属する者たちは不安に思うこともあるだろう。だが組織の長が圧倒的なカリスマ性を発揮して表に立つには、この帝都流民街はあまりにも危険な場所だった。

 現にウラジルもまた、クリフト=ヴァルシミクという目立つ存在を表に立たせ、その光が作り出した影を隠れ蓑として、組織の運営を行ってきた。

 流民街でその正体を知る者は非常に少なく、直近にウラジル=ハーティアという人物と知り合ったからこそ、その正体について余計に興味をそそられた。

 その事を察したクリフトは苦笑しつつ、何度か会っている立場としてその印象を伝える。


「初老の方でね、紳士的な方だよ。見た目は白頭に細身でね、掴んで捻れば折れそうな印象を受けるのに、これがまたとんだ老獪な爺様でね。ウラジルくらい口が達者じゃないと渡り合えない御仁だよ」


 クリフトの評価にレゾは緊張から冷や汗を掻きつつ、まだ見ぬ相手を警戒した。

 余裕のある態度で椅子に座るクリフトと、隣で居眠りをするレオリス。何故かこの場で一番緊張している自分がバカみたいに思えてくる状況に頭痛を感じていると、『失礼致します』という美しい声音と共に部屋の扉が開いた。


「お待たせ致しました。準備が出来ましたので、こちらへどうぞ」


 待合室の扉を開けて現れたのは、美しいメイドだった。

 薄緑色の長い髪を腰まで伸ばし、柔和な顔も端整な作りをしており、貴族の令嬢だと言っても通りそうなほどの美しさを持っている。身長も女性にしては高く、レオリスよりは低いがラナルゥよりは高いだろう。着ているメイド服も帝都ではあまり見られないデザインのもので、少女の美しさに可愛らしさを付与させている。


「どうかされましたか?」


 小首を傾げるその仕草すらも可愛いので、レゾは見惚れてしまった自分の行いを恥じ、若干八つ当たり気味に隣でいまだに寝こけている相方の頭を叩いた。


「いってぇ! 何すんだよ!」


「痛いじゃないよ! ここ何処だと思ってるんだ!」


「寝たくらいで忘れやしねぇーよ! 精龍の使徒(カーディナル・レムト)の支部の一つだろぉ? ここに来た目的だって俺はちゃーんと覚えてるってぇーの! いいから俺達はここで――へぶしっ!!」


 うっかり重大事項を口から滑り出しそうなったレオリスの頭を、今度はクリフトが笑顔でど突いた。頭から煙が出そうな一撃を受けて、蹲るレオリスにレゾは同情せず呆れ顔で見下ろしていた。

 すると、扉の方から『くすくす』という小さな笑い声が聞こえてきた。レゾが視線を声の方へと向けると、先ほどのメイドが口元に拳を沿えて可笑しそうに、だが上品に笑っていた。


「ごめんなさい。でも、楽しい方たちなんですね」


 そう言ってまだ肩を揺らすメイドの少女に、レゾは恥ずかしさに白い顔を赤面させる。


「すみません、騒いでしまって……」


「いいえ、思っていた印象と違って、素敵だと思います」


 そう言って微笑む顔を直視出来ずレゾは俯き、目の前にあった蹲ったままになっていたレオリスの頭を照れ隠しで叩いた。


「何すんだよっ!」


「うるさいっ!」


 ギャーギャーと喚く二人の横でクリフトはやや怪訝そうな表情をして、二人のやりとりを見てまた『くすくす』と笑うメイドの少女を見ていた。少女はそんなクリフトの視線に気づいたような様子もなく笑っていたが、やがて体の向きを変えて待合室の外を手で示した。


「どうぞ、ご案内します」


 そこでようやく不毛な言い争いを止めたレオリスとレゾは、クリフトに申し訳なさそうに頭を下げて廊下へと出た。

 屋敷の廊下には生地の薄いものではあるが、赤い絨毯が敷かれており、置かれている調度品や壁に掛けられている絵画なども一定の水準は満たしており、全体的には火龍の高巣(バーンクルス)よりも質素な印象は受けるものの、支部としては十分な雰囲気は持っている。


「どうぞ、こちらへ」


 先導して歩き始める少女の後ろをクリフトが歩き、その後ろをレゾとレオリスが付いていく。

 後ろでレオリスが若干キョロキョロとしているのを感じつつも、レゾは目の前を歩くクリフトの背を見て気を引き締めて、今日ここへ訪れた目的を再確認する。


 ウラジルから別行動をすることを提案された際に、自分とレオリスが一緒でラナルゥが一人という分け方を聞いた時は反対しようとしたが、ラナルゥにクロウシスが付くという条件を出されては、強く反発する理由が無くなってしまう。なにしろ、自分達と一緒に行動するよりも遥かに安全だからだ。


 そしてウラジルとリサの説明から感じた奇妙な印象から、何処となくラナルゥはそっちに行った方がいいのだろう。という結論をレゾは導き出し、レオリスを丸め込んで今に至る。

 勿論こっちの目的を聞いた際にも、その役割の重要性に驚きもした。

 精龍の使徒(カーディナル・レムト)の支部を訪れた理由。その内容を再度頭の中で整理しようとしたところで、メイドの少女とクリフトが立ち止まったので、レゾは思考を中断した。

 少女は他の部屋よりもやや大きい造りの扉の前で立ち止まり、無駄のない所作で振り返る。


「ご足労をおかけ致しました。ここに当家の主人がおります」


 いよいよという所まで来てレオリスが背筋を伸ばすが、クリフトが一瞬メイドの少女の顔へ視線をやり、先ほどは動揺とレオリスとの漫才で冷静さをやや欠いていたが、今度はレゾもクリフト同様に若干の違和感を持った。

 そんな二人の視線を気にした様子もなく、少女は扉をノックする。


「ご主人様、火龍の高巣(バーンクルス)の使者様が参られました」


『――』


「はい。では、失礼致します」


 室内から返答があったようだが、三人には聞こえなかった。

 一瞬顔を見合わせる三人の前で、メイドの少女扉を開けて先に中へと入り、振り返ると三人の入室を促した。

 僅かな迷いはあったが、クリフトは今日の来訪は自身が提案したことであると同時に、緊張感が高まる現状を変える為には絶対的に必要なことだと自分に言い聞かせ、歩を進めた。

 その背に続くレゾとレオリスもまた、クリフトを守ることが自分達の役割だと頷き合った。


 三人が入った部屋は、応接室というよりは執務室に近い場所だった。

 部屋はこじんまりとした内装で、応接用に絨毯が敷かれた場所にはソファーとテーブルがあり、その向こう側には執務机が置かれ、対面すべき人物が座っているはずの椅子は何故かその向こうにある窓の方を向いていた。  

 シックな色合いの壁紙と、そこに接する部屋の両サイドにはキャビネットと本棚が置かれ、観賞用の植物が晴れであれば日の当たる場所に置かれていた。

 三人の視線の先にある執務机の向こう側、そこには陽の光を閉ざし泣き続ける空の景色と、流民街の寂しげな町並みが広がっていた。


「アマン卿……?」


 クリフトがこの屋敷の主にして、精龍の使徒(カーディナル・レムト)を率いる老獪なる人物の名を呼ぶ。その声に反応して椅子が少し動いたのを見て、レオリスもレゾも緊張で体を僅かに固くした。

 いよいよ対面の時となり、この僅かな期間で流民街を統べる――というのは意味合いとしてややおかしいのだが、それに等しい力を持つ二人の人物に相次いで会うことになるとは、クロウシスに出会う前までは少しも思っていなかった。


「――やぁよく来たね。仕込みの最終段階に入る為に、君達がここへ来てくれるのを待っていたんだ」


 聞こえて来たのは、レゾが予想していたものと大きく違う異質な声音。

 レゾとクリフトの話を居眠りをしていた為に聞いていなかったレオリスは、聞こえてきた声に対して単純に驚いたようで『?』という顔で面食らっていた。


 そして座席が回転して、椅子に座った人物が正面へと回る。


「子供……?」


 レオリスが呟き、レゾは驚きに目を見開いて背中を粟立たせた。

 そんな二人の様子を見て、大きな椅子の上で足を組んだ子供は嗤う。


「ようこそ、火龍に選ばれた少年たち。心から歓迎するよ」


 精龍の使徒(カーディナル・レムト)の首領、冥王(ヘルフィブス)ヘキサティオンは益々笑みを深くした。

後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


ご意見・ご感想はお気軽にお寄せください。

とても励みになります。

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