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第二章7-合意合流-

~前回までのあらすじ~

 帝都サルディアでクロウシスは『精龍の加護』という抵抗勢力組織に出会う。若い少年ら三人で活動する弱小組織だが、クロウシスはその三人を救い力を貸すことにする。

 流民街最大規模を誇る『火龍の高巣』との会談の場を、精龍の加護メンバーと因縁のあるエイティス=ケイティーフィールが龍騎兵アレスを伴って襲撃する。クロウシスの助けにより、無事に危機を乗り切った精龍の加護と火龍の高巣は協力関係を結ぶべく後日再度会談の場を設けることとなった。

 一方、クロウシスの前には北方大陸を治めし魔族の王を名乗る少年、冥王ヘキサティオンが従者ヴォルフィードと共に現れる。

 ヴォルフィードとの力の探りあいを終えたクロウシスに、ヘキサティオンは帝国が『闘争の坩堝』となるという言葉を残して去っていった。

 そして約束の期日となり、精龍の加護と火龍の高巣は再び会談の場を設けることとなる。

 流民街の夜を赤く染めた騒乱。

 その喧騒も遥か遠く、残響すら響いてこない内縁街の奥地。

 広い敷地には正門から庭の中を道が走り、その途中で立派な噴水が夜でも水を止めることなく涼しげな音を立てて噴き上がり、その向こう側には城かと見紛う巨大な屋敷がそびえ立っていた。


 白む空を尻目に一人の少年がその屋敷の大きな扉の前へ、まるで空間から滲み出るかのように忽然と現れると、扉もまたまるで意思があるかのようにひとりでに開き、この屋敷の主を向かい入れた。


「おかえりなさいませ、陛下」


 少年――北方大陸を統べる三柱の一柱にして、魔族の王の一人でもある冥王ヘキサティオンを迎えたのは一人のメイドだった。

 ややフリル多めでリボン増し増しのメイド服を着たその少女を一瞥すると、ヘキサティオンは機嫌良さ気に口の端を吊り上げると悪戯っ子のような笑みを浮べた。


「あぁ今戻ったよ、シルフィ」


 他者には滅多に見せない皮肉のない笑みを浮かべると、ヘキサティオンは広いホールをスタスタ歩くと中央にある階段へ向かい、その後ろをシルフィと呼ばれたメイドが追従する。そしてヘキサティオンが階段へ足を掛けた瞬間、ヘキサティオンの姿は一瞬にして階段を上り切ったホール二階に立っており、追従したシルフィも同様に一瞬にして階段の上へと転移する。


「やれやれ、こんな面倒な仕掛けをするくらいなら、屋敷内での『渡り』を許容してくれたっていいんじゃないかと僕は思うんだけど?」


 自分が一瞬にして階下から階上へと転移した階段を見てヘキサティオンが嘆息すると、その様子を見てシルフィが口元に手をやってクスクスと笑う。


「祖父の我が侭にお付き合い下さり、感謝いたします」


 嬉しそうに、だが可笑しそうに笑うシルフィを見て『やれやれ』と首を横に振ると、ヘキサティオンは奥へと足を踏み出し、最初の一歩を踏んだ瞬間、また周囲の光景が一瞬にして捻れるようにブレる。そしてその現象はやはり一瞬にして終わり、周りの光景が再び形を取り戻す頃にはヘキサティオンは自室の扉の前に立っていた。


 度重なる自分の意思ではない転移にムスッとした顔をするが、仕方なく扉を開けようとすると後ろに控えていたシルフィがそれよりも早く扉のノブを捻って扉を開けると、ヘキサティオンに余裕のある笑みを浮かべる。

 上げていた手を下ろし、澄ました顔で部屋の中へと入るとヘキサティオンは部屋の奥にある巨大な執務机の椅子へと腰掛けた。

 少年然とした体格のヘキサティオンが座ると、まるで貴族の息子が父の執務室へと忍び込んで椅子に座っているかのような光景だが、この部屋もその机も椅子も持ち主は間違いなくヘキサティオン自身だった。


 椅子に半ば埋もれるように座ったヘキサティオンは、おもむろに机からパイプタバコを取り出すと、既に葉の詰まったそれの火皿に空いた片手の指先に小さな火を灯すと、それで火をつける。

 煙道に息を送って煙草に火がついたのを確認すると、それを静かに吸って紫煙を小さな吐息で吹き出す。

 そこへ茶器をお盆に載せたシルフィがやってきて、執務机の横にある丸テーブルにお盆を下ろすとティーカップに紅茶を注いでソーサーと一緒にヘキサティオンの前へと置いた。


「如何で御座いましたか? ネロさんの持ってきた情報の真偽は」


「うーん? あぁ、確かにそれっぽかったよ。雰囲気もあったし、僕の『眼』を見ても一切眼を逸らそうとしなかったしね。確証を得たわけではないしバーンアレスだという証拠もないけど、ただの人間にしては随分と胆が据わっていたね」


 プカプカと煙を燻らせる主の姿に、シルフィが小首を傾げる。


「ハッキリと確かめずにお戻りに?」


 自分が知りたいこと、やりたいことに対しては、少々の不都合や相手の意思など歯牙にも掛けずに押し通すはずの主が、そんな曖昧な情報を得られただけで満足して帰ってくるようなことはない。

 付き合いの長いシルフィは、そのヘキサティオンらしからぬ振る舞いに釈然としないという表情を浮べていると、それを見たヘキサティオンが可笑しそうに笑う。


「ヴォルがね……その男――クロウシスって名前らしいんだけど、随分気に入ったみたいなんだよね」


「まぁっ! 祖父がですか?」


 それがとても珍しいことだと、孫娘ゆえによく知っている――シルフィこと、シルフィールは驚きに目を丸くする。

 魔族の中でも最古参である竜頭の魔族ヴォルフィードは、ずっと武人として生きてきたが、その長い半生はまさに波乱万丈なもので多くの敵を斬り、また多くの仲間を救ってきた。


 堅物とまではいかないが、義理堅く忠節の正義を信条として掲げ、魔族としては珍しいその性格と竜族の血を引く混血という異端性から、アーカーヘイトに住む魔族たちからも距離を置かれていた。

 同族である魔族たちからも幾度と無く命を狙われてきたヴォルフィードは、自己に厳しくあると同時に他者にも高潔なる姿勢を求め、その御眼鏡に適う存在は非常に稀だった。

 アーカーヘイトに三カ国ある魔族の国全てに仕官したことのあるヴォルフィードは、例え相手が王であろうとも魔族として(・・・・・)歪んだことをすれば、それに対して迷い無く忠言してきた。そして三国の王もそれを許すほどにヴォルフィードを重用してきた。


 そんな魔族の中でも異端でありながら、一角の人物であり、一部では伝説視されているヴォルフィードが気に入る程の存在と言われ、身内としてその気質を誰よりもよく知るシルフィールは、その件の人物に興味を抱かずにはいられなかった。


「陛下、私もそのクロウシス様に興味が湧いて参りました。機会があればお会いしてもよろしいでしょうか?」


 忠実なるメイドの珍しい頼みにも、その展開を予想していたヘキサティオンは見た目相応な無邪気な笑みを浮かべて頷く。


「いいよ。でもヴォルには内緒にしてね? 今はご機嫌で剣を磨いてるはずだけど、シルフィが内緒であいつに会うなんて聞いたら、きっととんでもなく怒ると思うんだ」


 その光景を想像してヘキサティオンは身震いするような仕草を取るが、表情は面白い悪戯を思いついた子供そのもので、主人の楽しげな様子にシルフィールは口元に手を添えてクスクスと笑う。

 楽しげに笑っていたヘキサティオンだが、不意に部屋の扉を見て僅かに首を傾げる。


「そういえば、アレ(・・)は大人しくしてる?」


「いけませんよ? アレなどと仰っては……」


 眉をひそめるシルフィールに、ヘキサティオンは肩を竦めてパイプを噴かす。その態度に苦笑しながら、シルフィールは持っていたお盆を抱える。


「フラム様はお部屋でお休みになられています。魔力の発現があれば、陛下の張られた結界と私が張っている結界のいずれかに反応がございますので、心配ありません」


「……ふぅーん」


 気の無い返事をすると、手の中で薄い紫煙を立ち上らせるパイプを弄びながら、象牙色のパイプに意匠されている『大きな眼の中に、縦に開かれたもう一つの眼』という血族の紋章。

 その二重眼を紫紺の瞳でしばらく見つめる。

 いつもおどけた態度を取るが、そのパイプの『眼』を見つめる時のヘキサティオンには、無邪気な様子などは一切なく凪いだ湖面のような静かな眼差しを向けている。


 その様子をシルフィールが邪魔することなく傍らで見つめていると、再びヘキサティオンがパイプを咥えて大きく息を吸い、口から輪状の煙をプカプカと浮べる。


「――例の件はどうなったの?」


 中空へ浮かび上がる紫煙の煙から目を離すことなく、ヘキサティオンが平坦な口調で尋ねると、シルフィールはお盆の裏側から一冊のファイルを取り出す。


「順調です。近々日取りを決めて、あちらから使者が訪れる予定です。日取りの正式な通達は三日後を予定しています」


「まさに前代未聞の行い、か……」


 ヘキサティオンの呟きが自分が言っている事柄と違うことを察してシルフィールが顔を上げると、無数の輪を浮かび上がらせるヘキサティオンは、頭上の浮かんだまま消えない輪を更に重ねて徐々に大きな輪にしていく。

 白い煙は天井に到達することはなく、天井に近い中空に滞留していた。


「言い出しっぺはソルムの陰険野郎。本来であれば突っぱねてやりたいところだけど、僕も新しい王として父上の犯した過ちをすすぐ必要があった。そして今やアーカーヘイト一の大罪者であるヴィシャ姐は、まぁ事実上の黙認状態ってわけだね」


 また新たな煙の輪を頭上に吐き出し、今や小さな雲のような円い塊と化した煙を見上げながらヘキサティオンはパイプを咥えて半眼で足を組む。

 だらしない格好ながらも、言っていることは一従者に過ぎないシルフィールが口を挟めないほどに高度な内容であり、出てきている名前がそれを何よりも現している。


「どうやってあの人間嫌いなソルムを懐柔したのかは知らないけど、交渉に当たったのは間違いなくあの女狐だろうね。思い出しても気分が悪いよ」


 一度だけ会った帝国の女。

 一目見て気に食わないと感じ、一言言葉を交わしてうんざりした。

 しかしながら、今まで出会ったどんな人間によりも底知れない『闇』を匂った存在でもある。

 この人間たちの頂点に位置する帝国の支配者よりも――だ。


「ま、連中の好きにはさせないさ。こんなものはただの遊戯。盤面の駒をどう動かすか……駒が足りないなら相手から奪えばいい。その対象が相手が駒とも思っていないモノであるなら、尚更都合がいいからね」


 一頻り喋ると、ヘキサティオンはパイプから口を離して窓へと目を向ける。すぐさまシルフィールが主の意図を察して窓を開けると、ヘキサティオンの頭上に滞留していた直径一メートルほどの紫煙の塊が、まるで意思のある生き物のように窓へと向かいそのまま外へと出て行った。

 散ることなく形を保って空へと登っていく紫煙の塊をシルフィールが見上げていると、その背にヘキサティオンが声を掛ける。


「仕込みもそろそろ潮時だね。シルフィ、明日から帝都も雨にしたから(・・・・)出歩きたいなら今日中に行った方がいいよ」


 紫紺の視線を流し、僅かに斜光の陰った薄闇の中で、ヘキサティオンは楽しげに笑んだ。

 


                 ◇◆◇◆◇◆◇



 帝都サルディアは今日も雨だった。

 五日前――あの流民街が赤く震えた夜から降り続く雨は、遠くの視界が少しボヤける程度の雨ではあるものの、既に五日間降り続く雨によって地面は水溜りだらけになり、帝都に流れる二本の川も水量が多く水かさが増していた。


 下流ということもあり、僅かに増水した川によって面積を狭めた川原に四人の人影があった。

 一人の男を三人の男女が取り囲み、三人はそれぞれ手に剣やナイフを持ち、緊張した面持ちでしきりに目配せをして何かのタイミングを計っているようだった。

 一方で、三人に取り囲まれている人物――クロウシスは落ち着いた様子で佇み、三人の誰とも正面で向き合うこともなければ、特に構えを取るようなこともせずにいた。


 シトシトと雨が降る中で最初に動いたのは、右手に剣を持ち左腕を三角巾で腕を吊った少年レオリスだった。足に溜めた力を解放し、川原の丸まった小石を噴き上げるようにして踏み切ると、五メートルほどの間合いを一気に詰めて振り上げた剣を大振りにならないように意識した太刀筋で振るう。

 レオリスが踏み込み剣を振るうと同時に、ラナルゥも身軽な身のこなしでクロウシスの背後に回ると、レオリスと時間差の攻撃になるようにタイミングを計り、手にした短剣でクロウシスに襲い掛かる。

 腕を負傷したハンデがあってもレオリスの踏み込みの速さは、常人では反応が難しいほどに速く気合の入った打ち込みにも迫力があった。クロウシスの左肩を狙った一撃は唸るような勢いで繰り出されたが、それでもクロウシスの眼には攻撃の軌跡がハッキリと捉えられており、勢い良く腕を振り下ろすレオリスの一撃よりも早く左腕が上がり、剣の柄を握ったレオリスの拳に自らの拳を当てて勢いを瞬時に殺して剣を止めた。


 左腕が使えないレオリスが右手での攻撃を止められて体を硬直させている隙に、背後から迫るラナルゥが模造品の短剣をクロウシスの背に突きたてようとするが、あと僅かというところでクロウシスが体を反転させて短剣をかわす。狙いが外れてたたらを踏みそうになるが、ラナルゥは左足を軸にクロウシスを追うように体を回転させた。しかしそれを読んでいたかのようにクロウシスの体が反転し、突然目の前にクロウシスが身に纏っている黒いローブが視界を覆うようにはためいた。

 一瞬視界を奪われて体が硬く硬直しかけるが、ラナルゥは以前クロウシスから教わった『一瞬の判断が出来ず、体を硬直させて考え込んだ時、大抵の場合はその答えが出る頃には死んでいる』という言葉を思い出し、すぐに硬直を解き、視界を覆う黒いローブに向かって短剣を突き込んだ。


 だが、短剣に手応えは無い。


 体ごとぶつかるような放った一撃は空を切り、無防備になったところで背に多分に加減されている肘鉄を受けて、加減されてもなお威力のあるそれは、ラナルゥの肺から空気を無理矢理に押し出して呼吸器官を喘がせ、鈍い痛みとともに体が崩れ落ちる。


 地面に崩れ落ちるラナルゥの視界の隅で、ラナルゥの攻撃を避ける時に併せて振るわれた後ろ回し蹴りを受けたレオリスが宙に舞っているのが見えた。

 二人が攻防一体の流れるような動きの中でやられたのを見ながら、一人接近戦に参加せずにいたレゾが頃合を見計らって魔法を展開する。

 唱えた魔法はレゾが最も得意とする風性魔力を使った風魔法。

 レオリスとラナルゥの二人が時間を作ったおかげで、術式構成と魔力量をしっかりと練れた魔法はレゾ渾身の出来だった。

 クロウシスを中心に渦巻く暴風が突如出現し、レオリスとラナルゥが余波で吹き飛ばされるが、これも魔法本体に二人が巻き込まれないようにレゾがわざと操作して行ったことだった。

 渦巻く暴風の中心にクロウシスを閉じ込め、難しい制御に労力を費やしながらもレゾは僅かに勝利の可能性を期待して珍しく胸を躍らせていた。

 レオリスに比べて強さというものにあまり頓着がなかったレゾだが、クロウシスと出会ってから自分の持つ概念を容易く踏み越えて、あらゆる絶望的な状況においても冷静に恐ろしいまでに淡々と物事を捌く。

 冷静沈着でありながら、剣を振るえば全てを切り倒し、通常では考えられないほどに高度な魔法を駆使して戦うその姿は、そういったものに鈍感なレゾでさえも憧れざるえない程に完成された『英雄』の姿だった。


 その人物を仲間の助けを得たとはいえ、自分の魔法によって拘束できたという喜びが沸き上がる寸前のところで、レゾは驚きに目を剥くこととなる。

 計算した構成とそれを制御する実感からも、普通の人間であれば荒れ狂う暴風によって地面に半ば潰れるように這いつくばって当然の圧力を受けているはずなのに、クロウシスはほんの僅かな緩慢ささえも見られない動きでレゾの方へ振り向くと、右腕を上げてまるで見えないヴェールを引き裂くかのように腕を振るう。すると、レゾが制御していた暴風が千切れるように歪んで消え去った。


「……」


 両手を前に掲げたままの姿勢で、レゾは小さな丸眼鏡がズリ下がることにも気付かずに呆然とした。

 今の行動で何故自分が操っていた魔法が意図も容易く掻き消されたのか。

 それは理屈としては分かるのだが、それを実際にやってのけられる存在が目の前にいることが信じられず、同時に魔導の道を志す者にとって憧憬せざる得ない感動を覚える。

 個人で持つには余すほどの力を持ちながら、その力に振り回されることもなければ溺れることもなく、自然体で力を行使するその様は、レゾには決して出来ない境地に達していることが窺える。


 考えを巡らせている内に、呆けていたレゾに一瞬で間合いを詰めたクロウシスがレゾの腕を取って僅かに引く仕草をしたので、レゾが反射的に腕を引こうとした。だが次の瞬間、レゾは一瞬曇天の空が近くなる錯覚と浮遊感を感じ、そして川の中に背中から落ちた。


 レゾが水に落ちたことによって生まれた水柱を川原に転がったまま見ながら、レオリスは荒い息を吐いて少しでも酸素を肺に取り込もうと呼吸を繰り返す。

 その近くで同じように四つん這いの姿勢で、背中を肘鉄で打たれた衝撃が肺を貫通していたラナルゥも呼吸を思うように行えず肩を揺らして息を吐いていた。

 二人の背後で増水しつつある川からレゾが顔を出し、生まれたての魚人(マーマン)が初めて陸に上がるようなたどたどしい仕草で川岸に這い上がってきた。そしてうつ伏せに倒れたまま二人と同じように肩で息をして、全身を包む疲労と魔法行使に伴う倦怠感に襲われていた。


 三人は早朝からクロウシスによる『訓練』を受けていた。

 無論言い出して頼み込んだのは三人からなのだが、実戦形式で本物の剣を使って挑んで来いと言われたときには三人で顔を見合わせた。だが挑んだ初日に半日掛けても剣や短剣が掠りもしないという事実に行き当たり、すぐに三人に遠慮や戸惑いはなくなった。

 しかしそれでも自分達で考えた連携はことごとく崩され、掛けたフェイントは全て見破られて通用せず、無手の相手にただの一撃も見舞えることが出来ずに三日が経過していた。


 レオリスの腕はクロウシスによって体内に残っていた砕けた弾丸を摘出した後、火龍の高巣(バーンクルス)のリサが何度かレオリスたち精龍の加護(ドラグリーペ)の隠れ家へと訪れて治癒魔法を掛けたおかげでほとんど治癒されていた。

 それでも腕を吊っているのは、筋組織と神経組織が完全に回復するのは自然治癒に任せたほうがいいというリサの見立てと、一定以上の傷を魔法で治した場合に『幻痛』という症状が生じることがあり、これは四肢を失った際にあるはずのない手足に痛みを感じる『幻肢痛』に似ており、生物的には快癒している傷を脳が魔法による不自然(・・・)な回復を認知出来ずに痛みをもたらすというものだ。

 その『幻痛』自体はしばらくすれば脳が傷の快癒を認知して無くなり、これには個人差があるものの必ず治るものであり、魔法による治療に慣れれば発生することすらなくなる。


「ここまでにする。正午にはウラジル=ハーティアの使いが来るはずだ」


 そう言い残すと、息一つ乱していないクロウシスが隠れ家のある方向へ去っていく。

 その後ろ姿を見ながら三人はよろよろしながらも立ち上がる。

 何度も打ち据えられ、投げ飛ばされた体は全身に痛みが生じ、この三日間体の痛みで寝るにも苦労しているような状態ではあったが、それでも三人は一人として弱音を吐くことは無くクロウシスに挑み続けた。

 大袈裟ではなく殺す覚悟で挑んでも掠り傷一つ付けられない相手に挑み続けるのは、恐ろしく根気のいる行為ではあったが、そんな相手が無償で訓練をしてくれることが何よりもありがたかった。


 それに最初の頃は攻撃する度に注意点を指摘されていたが、それも徐々に減っていき、三人も指摘されてただ直すのではなく自分達で攻撃や体捌きに工夫を常にするようになっていった。

 たったの三日間で急激に強くなることは不可能でも、強くなる為にはどうすればいいのか。その簡単そうで難解な答えに対し、三人は大きなヒントをクロウシスがくれたように感じていた。


「……二人とも、大丈夫か?」


「うん、体のあっちこっちが痛いけど、学院の訓練よりも身が入るよ」


「そうだね。体中痛いけど、私は凄い楽しいよ。こんなに夢中になって一つのことに打ち込むなんて今までなかったもん」


 三人とも痛む体を擦りながらも、顔には笑みを浮べていた。

 そして各々立ち上がると、隠れ家への入り口がある方向へと歩き始めた。


                  ◇◆◇


 火龍の高巣(バーンクルス)からの使者が来たのは、正午を過ぎた頃だった。


 使者として訪れたのは、魔法でレオリスの傷の手当してくれたリサとその護衛で一人の男が随行していた。

 壁をノックと呼び声で、その主がリサであることを確認した三人が地下通路を通って雨の降り続ける表に出ると、そこには書類鞄を提げたリサと左眼に眼帯をした執事然とした男が立っていた。


「あっ……」


 二人の姿を確認すると、ラナルゥが二人の元へと駆けて行く。

 そして二人の側まで行くと、頭を下げて挨拶しながら執事男――ゼクターに顔を向けた。


「あ、あのっあの時は助けてくれて、ありがとうございます」


 ゼクターはラナルゥの言葉に一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに思い当たることがあるのを思い出して笑みを浮かべた。


「いいえ、若いながらも毅然とした態度を取り、仲間を助けようとする貴方達に心を打たれたのです」


「でも、その後に――」


 気まずそうにラナルゥが眼帯に目をやると、ゼクターは少しばつの悪そうな笑みを浮かべて手で眼帯のある顔の左半分を隠すように覆う。


「お恥ずかしいことですが、これは私が恐怖に負けてしまった結果なのです。あの時に御二人を人質に取ろうという行為をしたからこそ、私はあの方に敵として認識されてしまった」


 ゼクターの言葉に反射的にとはいえそれを指示してしまったリサが僅かに俯いた。それを察したゼクターが柔らかな笑みを浮かべて、残された右目にラナルゥを映して頷く。


「命のやり取りをする場で、私は左眼だけで済んだのです。そして私がお仕えする主と、その無二のご友人を助けて頂きました。私はそれだけで十分でございます」


 ゼクターの言葉には澱みや裏はなく、本心としてそう思っていることが感じられた。

 ラナルゥたちはその姿に人に仕える者としての信念を見た気がして、これほどの人物に仕えられるウラジル=ハーティアという人物の凄さも同時に感じていた。


「――ところで、クロウシス氏は何処に?」


 僅かに警戒するような声音でリサが尋ねると、レゾが少し言い難そうな表情でクロウシスの所在を言う。


「クロウシスさんは先にそちらの館に行っているそうです」


「え……? しかし今回の会談の場所は――」


 あの五日前とは違う場所、と言おうとしたリサの言葉はレゾの頷きによって止められ、その後に出てきた発言にゼクターと二人で驚くことになる。


「えっと、今日はゴルドー広場にある赤い屋根の屋敷ですよね?」


「どうしてそれを――」


 そう言い掛けてリサはすぐに口を噤む。

 何故クロウシスが今日の会談の場所を事前に知っているのか?

 そんなことは改めて考えるまでもない。

 リサ達がレオリスたちの居場所を把握するために監視者を置いていたように、クロウシスもまた同様に自分達を監視していたと考えるのが自然。

 だが、クロウシスたちがあの時館を去ってからほとんど時間をおかずにウラジルたちは、数区画離れた別館へと秘密裏に移動した。レゾたちの話ではクロウシスは、レオリスの銃創から砕けた弾丸を摘出する医療行為を行っていたと聞いているし、ウラジルとクリフトは勿論リサ自身にも追跡や監視の魔法の類が掛けられていないかは、いつも念入りに確認してある。

 だとすれば考えられるのは、リサでは探知すら不可能な監視用の魔法が掛けられているか、もしくはクロウシスにはレオリスたちとは別に仲間がいるという可能性だ。


 ウラジルはクロウシスは単独で動いていると言っていたが、その根拠を聞くと『勘だ』と言って笑っていた。あの人の勘が恐ろしく鋭く、適当なことを言っているようで裏では様々な思惑を巡らせていることも知っている。だが、今回ばかりは相手が人知を超えた相手だと思わざる得ない。


「あの、リサさん……?」


 硬い表情をして押し黙ってしまったリサにラナルゥが心配そうに声を掛けると、リサは慌てて顔を上げて普段は滅多にしない作り笑いを浮べ、手に提げた書類鞄の取っ手を強く握った。


「ごめんなさい、あの方なら知っていても不思議ではないですね。早速向かいましょう」


 その僅かに気を張った声にゼクターは苦笑しつつ、リサの僅かに後ろでレオリスたちを先導して歩き始めた。


                   ◇◆◇


 流民街の東端にあるサルディア外縁壁の東外門に程近いゴルドー広場。

 帝都東部に広がる農耕地帯へ労働に出ていた多くの者が、その行き帰りに必ず通過することもあり、人通りが多い場所には商売をする者が集まって自然と発展する。

 このゴルドー広場もその例に洩れず門を利用する労働者を標的とした市場が開かれ、昼夜問わず喧騒が途切れなく響く賑やかな場所となっている。


 広場のすぐそばにあるその赤い屋根の館は、さして高くもない塀に囲まれた印章の薄い建物だった。外観も綺麗なものではなく外壁の所々には灰色の染みや植物の蔦が蔓延り、周囲の建物よりも高さがあることを除けば庭すらも満足に無い。

 この館のことを見る人間は大抵が、一時的に財を成した人間が勢いで建てたものの維持することが出来ずに朽ち果てつつある物件程度の認識で一致していた。


 ゴルドー広場で開かれる市場は正午を過ぎても活気を失わずに賑わい、その喧騒に紛れるようにしてレオリスたち五人は件の館前までやってきた。

 一同は周囲を見渡すが、振り続ける雨で明瞭とはいえない視界の中にクロウシスの姿を見つけることが出来なかった。

 ラナルゥがやや不安な面持ちで周囲を見渡し、レオリスとレゾも首を巡らせて黒い装いの恩人を探すが、降雨の中に広がる流民街の雑然とした景観の中にその姿を見つけることは出来なかった。


「――遅れておいでになるのかもしれません。どうぞお入り下さい」


 クロウシスの姿が見えないことに若干の安堵と胸騒ぎを覚えつつも、リサはゼクターに一度目配せをしてなから三人に入館を勧める。

 三人も自分達がここで待とうとすると、リサとゼクターも雨の中で待たなければいけないことを察して一様に顔を見合わせてから躊躇いがちに頷いた。


 門を抜けてすぐに木製の扉へと行き着き、ゼクターが扉を開けて脇に控えるとリサも逆側に控えて三人を招き入れる。

 館の中は前回騒ぎのあった館よりも随分質素な赴きだったが、幽霊屋敷のような外観から考えればむしろ小奇麗に整理と掃除の行き届いた良い館に思える。


 リサとゼクターに案内されて館の奥へと進むが、見る限りメイドやフットマンがいるような様子はなく広すぎることもなく狭すぎることもない館の中は閑散としていた。

 だが、三人の中で最も五感の優れているラナルゥは、館の何箇所かに常人では一切気付くこともないほどに気配を断った人間が潜んでいるのを感じとっていた。

 帽子を被っていてもその気配と僅かな息遣いを感じとれることからも、ラナルゥの持つ獣の耳は非常に優れた感覚を持っていると言える。しかし同時にラナルゥの感覚程度で捉えることの出来る護衛を、あの二人の傑物が側に置くかと考えると引っかかるものを感じた。


 廊下の最奥にある扉の前でゼクターが立ち止まり、部屋の扉をノックすると一拍置いて中から『入ってくれ』というウラジルの野太い声が聞こえてきた。その普段どおりの返答にリサが内心安堵すると、三人の入室を促した。


「失礼します」


 レゾが代表して進み出ると、ゼクターが扉を開けた。

 三人が入室し、その後にリサとゼクターが続くと部屋に入ったところで三人が立ち止まっていた。

 何故そんなところで立ち止まっているのかとリサが視線を奥へと向けると、リサもまたその場で固まることとなった。


 前回騒乱の中心となった館の部屋よりも二回りは小さな応接間で、小さな暖炉と黒檀で作られたテーブルを中心に配置されたソファーの一つにウラジルとクリフトが座り、その対面に一人の男が座っていた。


 黒衣のローブを部屋の隅にあるコート掛けに掛け、今は魔導師協会の戦闘魔道師を思わせる動き易さを重視した簡易法衣に似た服を着ている。

 顔立ちからは年齢を掴みにくく、三十代と思うにはあまりに貫禄があり過ぎる。四十代くらいが一番妥当に思えるが、それにしては若く見える上に、受ける印象からくる年齢はもっと上にさえ感じる。

 そして生まれて初めて見た黒い鋼のような頭髪。他の色が混ざることを許さず、揺ぎ無い一色によって形成されたそれは、光の当たり具合によって変化する平民の茶色や貴族の金髪とは違う異質なものに感じられる。


 その特異な容姿と服装から一瞬それが誰かリサには分からなかったが、その人物が視線を巡らせて自分たちを見た瞬間それが誰であるかを理解し、リサは足が震えだしそうになるのを必死に自制して、自分を映す黄金の瞳に身を竦ませた。


「あークロウシスさんっ!」


 ラナルゥが嬉しそうに駆け寄ると、クロウシスの対面にあるソファーに座っているウラジルが笑みを浮かべ、その隣でクリフトがリサとゼクターに向かって肩を竦めてみせた。


「おう、おいでなすったか。雨の中すまなかったな御三方」


 親戚の小父さんのような物言いでウラジルは三人に席を勧め、ゼクターに茶を淹れるように指示を飛ばす。それを受けてゼクターは一礼すると今入ってきた扉から静かに退室し、残ったリサはクロウシスの存在に若干ビクビクしながらも暢気なウラジルの様子にピリピリとしていた。


「――おい、リサがなんか怒ってるようだけど、俺なんかやったか?」


「……お前は全部分かってる上で、聞こえるような小声で俺にそれを言うのか」


 クリフトに耳打ちにする意味が感じられない大きさで話すウラジルに対し、リサは自分が怒っていることがバカバカしくなり溜息をつく。

 そのやりとりを見て、レオリスは笑いを堪え切れていない表情で横を向き、レゾは澄ました表情で目を瞑り、ラナルゥはよく分かっていない表情で小首を傾げていた。


「冗談だって、リサ。そうカッカするな。今ので怒ってっと、これから話すことをお前が聞いたらって思うと怖くて話せねぇーよ」


 怖がるような素振りで言っている割にはウラジルの顔は笑みを浮かべたままで、大抵こういう顔をしている時は心臓に悪いことを言い出すことを知っている。リサは自らの役割をよく理解した賢しい女性であり、常に冷静であるようにと感情を極力抑えているが、この人の悪く器が大きいのに時々ガキ大将のような悪戯――もとい突発的な決定や、軍であるならば秘書官に相当する自分に一切の連絡もなく重要な案件を決めて実行してしまうウラジル=ハーティアという人物に振り回されて爆発してしまうことがある。


「実はな――」



 しばらくして全員分のお茶を用意したゼクターが部屋の扉前まで戻り、七人分のティーカップを載せたお盆を片手に載せてノックをしようとした瞬間――。


『密偵を依頼していたぁぁぁぁぁぁっ?!』


 館を揺るがすような音声が轟くが、ゼクターが片手に持つティーカップは、その水面が僅かな波紋を浮べただけでまったくもって危なげない様子で一瞬止まった動作をすぐに再開して扉を叩く。


「い、いつからですかっ……」


 いつも冷静な彼女にしては珍しくなかなか感情の制御を取り戻すことが出来ず、その言葉尻はまだ震えていた。それでも精龍の加護(ドラグリーペ)の三人と、クロウシスの前ということも思い出し、これ以上の醜態を見せないように自身を落ち着けていた。


「三日前だ。夜間限定で頼んだのよ」


「ウラジル説明不足だ。三日前にリサがレオリス君の治療に行った際に、実は俺とウラジルも彼らの隠れ家に向かったんだ。勿論俺たち二人だけの行動をリサが承服するとは俺も思えなかったから、君と入れ違いになるようにしてね」


 クリフトもその件に噛んでいたという事実にリサの体温が上がったり下がったりしているのが見て取れた。本来であればクリフトもウラジルのそういう突飛な行動を諌める立場であることを考えれば、一緒になって護衛も連れずに行動している時点で同罪と言える。クリフト自身が帝国にとってお尋ね者であるという事実もあるので、尚更その軽率とも言える行動がリサには信じられなかった。


「まぁ、ぞろぞろお供を連れて行動しちゃー逆に目立つし、そんな我が身可愛いと周囲に振り撒いてる輩にこの御大が会ってくれるとも思えなかったんでな。勘弁してくれよ」


 悪戯っぽく笑う中年の男にリサの鋭い視線が突き刺さるが、冷静になって考えればリサ自身がどうしようもなくクロウシスという人物に対して『怯え』を抱いていることを鑑みて、敢えて報せずに行動したのだろうということは推察できる。だが、それでも常日頃から組織の核たる二人の身を案じている身としては不満だった。


 それも未だに素性どころか得体の知れない人物と会うためになど――。

 そう思って視線をウラジルの対面に座るクロウシスに移すが、黄金の瞳が僅かに動くだけで慌てて視線を逸らしてしまう。


 魔道師の端くれであるリサは思う。

 ウラジルやクリフトは魔法を使わないし、精龍の加護(ドラグリーペ)のレオリスとラナルゥも魔法を使うタイプではない。この中で唯一魔法の素養があるレゾという少年は、何故こんな得体の知れない化け物と一緒にいられるのだろうか?

 報告や実際に見た感想としてもこのレゾという少年は高い素質を持っているし、魔法の扱いに関しても同世代の中ではかなり優秀な方だろうとリサは推察していた。

 魔道の道を志している者であれば、四精を司りし魔力の根源たる英霊精龍(カーディナルドラゴン)が三柱も失われている現状で、あれほどの魔法を行使できるはずがないことを知らないはずがない。


「けどまぁ、おかげで確信が得られたぜ。このクロウシスの御大が内縁街で調べてくれた内容からも、俺たち火龍の高巣(バーンクルス)が睨んでいた通り、帝国(やつ)らは近々何かデカいことをやらかすつもりのようだ」


 ウラジルの視線が鋭くなり、隣のクリフトも同様に談笑していた時の笑みを消してそれに頷く。レオリスたち三人も以前にウラジルたちが招待状に書き、口頭でも言っていたことを思い出して真剣な表情で顔を見合わせる。


「……具体的にはどのようなことが判明したのですか?」


 まだ仏頂面のままなリサが尋ねると、ウラジルが苦笑しつつソファーの背に預けていた体を前に乗り出して膝に両肘を乗せ、対面に座るレオリスたちの顔を見ながら口を開いた。


「皆も知っていると思うが、内縁街中央には街を二分する道幅が広く王壁へ向かって一直線に伸びる『ルーレンデルテ中央凱旋路』がある。で、今そこで大掛かりな道路整備が行われている。元々馬鹿デカくて広い道幅がある大通りだったが、今はそれを更に拡張するつもりらしく、邪魔な街路樹はおろか通り沿いにある邸宅の門扉まで潰して回っているらしい」


 ウラジルの話を聞いてレオリスたちは驚きと共に顔を見合わせるが、その驚きと疑問を予期していたクリフトが次に口を開いた。


「直近まで内縁街に侵入して破壊工作をしていた君たちが驚くのも無理はないが、その工事は王壁側から行われて徐々に臣壁に向かっているそうだ。それに着工されたのもごく最近――だが、工事の速度は凄まじく早く、恐らく龍騎兵(ドラグーン)と同じ古代の遺物を使って行っていると見られる」


「そんな、また新しいものを……」


 リサが身を駆け抜ける怖気を言葉と共に漏らし、レオリスは顔を伏せて拳を握った。


 龍騎兵(ドラグーン)を始めとする古代文明の遺産は、現代を生きる人間には想像も及ばぬような事象を巻き起こす恐るべき存在だった。

 その発掘や研究にも当然大きな危険が伴い、十年ほど前に行われた発掘調査でも大規模な事故が起こり、その際に現場にいた全ての人間が犠牲となり、その数は数千人に上ると言われている。


「通りの拡張している理由は断定出来てはいない。だが、俺の予想では何かの式典を行うためだと思っている。もうじき皇国から帝国へと国号が変わって十年の記念式典が行われる。これは恐らくそれに関連するものだと予想される――そうだな、ウラジル?」


「あぁ、クリフの言うとおりだ。通りを整備するってことは、多分だが記念行列の類をやるんじゃねーかと俺は睨んでる。もっとも中央大陸のほとんどが隷属国になって、残っている国とも目下戦争中だ。いったいどんな賓客を呼ぶつもりなんだと思うがね」


 皮肉混じりで肩を竦めるウラジルを横目に、クリフトが右手の人差し指を立てる。


「得られた情報はもう一つある」


 クリフトの言葉にその場にいるクロウシス以外の人間全てが注視すると、クリフトは顔をテーブルに寄せて僅かに声のトーンを下げる。


「こっちは我々が元々掴んでいた情報で、それをクロウシス氏の内偵でより確信に変わったことだ」


 そこで一端言葉を切り、懐から三枚の書簡を取り出してテーブルの上に広げた。

 クロウシスとクリフトたちの背後に控えるゼクター以外の全員が顔を寄せて紙を覗き込む。

 その紙は流民街のかなり詳細な平面図で、広い流民街全体をカバーするために三枚に分割されていた。平面図には大小様々な通りに民壁から外縁壁まで無数の矢印が引かれ、それはさながら――。


「制圧進路、ですか?」


「君もそう思うか?」


 真っ先に発言したレゾの意見にクリフトが視線をやると、平面図に目を落としたままレゾはしきりに視線を上下に動かして矢印の軌跡を辿っていた。


「――はい。太い矢印は流民街でも比較的大きな通りや、力を持っている者が所有する建物の付近を通過しています。逆に小さな矢印は小組織が隠れ家にしている場所を上手く分散させて通っている……これを考えた人間は流民街のことをよく分かっていますよ」


「そうだ。恐らくは太い矢印は龍騎兵を中心とした部隊編成で、小さい矢印は歩兵の小隊を中心に龍騎兵を一機ないし二機を護衛とした小部隊だろう。これに記された通りに流民街への攻撃が行われれば、恐らく抵抗勢力(レジスタンス)どころか街そのものが焦土にされかねない。それほど効果的な制圧進路だ」


 クリフトの説明にレゾが頷き、他の皆は顔を青くしていた。

 帝国による流民街の排除はありそうで無いと思われている出来事だった。

 それは帝国が流民街の人間を体のいい労働力として扱っており、その利害関係がある間はいわゆる『粛清』は行われないだろうと思われていたからだ。


「問題なのはこの書簡が複数存在し、しかもそれを流民街でも力を持った組織が入手したことだ」


 クリフトが平面図の一枚を摘み上げて、この書簡が持つ効力を強調する。


「これが複数枚……? いったい何処の組織が手に入れたんですか?」


 事態に違和感と疑念が湧いて声でレゾが尋ねると、クリフトが一度チラりと横に座るウラジルに視線を向ける。その視線を受けてウラジルはガシガシと頭を掻いて、珍しく厄介そうにその組織の名を言った。


「……精龍の使徒(カーディナル・レムト)だ」


 その名前を聞いてレゾとリサは顔色を変え、レオリスとラナルゥは顔を見合わせる。

 この二組の反応からして状況把握能力の差が如実に出ているわけだが、ある意味組織にはそういった存在が一人二人は居た方が噛み砕いた説明をその者に行うことで状況を再度整理するにはいいのかもしれない。

 とはいえ、精龍の加護(ドラグリーペ)三人の内二人がそうであるというのは、レゾにとっては若干頭の痛い状況でありつつも、説明役が板についている彼はすぐに二人に対して説明を行うために質問を先回りして飛ばす。


「レオリス、精龍の使徒(カーディナル・レムト)について知ってること言ってみて」


「――お、おう。精龍の使徒(カーディナル・レムト)って言えば、火龍の高巣(バーンクルス)と同じくらいの規模がある流民街最大級の抵抗勢力(レジスタンス)組織のことだよな」


「ラナルゥ、何か補足することある?」


 次に指されたラナルゥは一瞬ピッと体を震わせると、視線を泳がせながら頭に被った帽子のブリム部分を両手で摘んで顔が隠れるように深く被って考える。


「えっと……うぅ~……あっ! ウラジルさんたちと仲が悪いっ!」


 元気良く手まで上げて言われたことに、ウラジルもクリフトもリサも驚いた顔をしていた。

 ラナルゥの答えは、やや表現が幼稚ではあるが問題点の本質を見事に射抜いた答えだった。


「うん、そうなんだ。ウラジルさんたち――というよりは、火龍の高巣(バーンクルス)精龍の使徒(カーディナル・レムト)は現在かなり微妙な状況にあると僕は聞いてる。敵対関係とまでは言わなくても、それに近い状態で互いに緊張を高めている――違いますか?」


 レゾの鋭い視線と指摘を受けて、ウラジルとクリフトは動じることもないが肩を竦め笑みを浮かべて頷いた。それはレゾの言っていることを概ね肯定しつつ、更にその先を聞こうと促している仕草だった。


「そんな緊張状態が続いている二大勢力下に――」


 レゾがテーブルから書簡を掴み上げて掲げる。


「こんな両者にとって刺激的なモノを、二つの勢力を同時に潰せるだけの力を持った相手が作成していた。そんな事実を突きつけられて、両組織の人間が平静でいられるわけがない」


 そこまで言って掲げていた書簡をテーブルに戻すと、レゾは紙の底辺部右端を指でなぞる。

 帝国軍が作成する軍事書類、特に作戦立案書やそれに付随する制圧経路などの書類には、本来レゾが今指でなぞっている位置に作戦立案の部署名と共に『サーディアス帝国軍』の印が押されている。


「しかもこの情報は明らかに帝国側から作為的に流された情報です。クロウシスさん、この書簡はいったい何処で、そして誰が持っていましたか?」


 いつの間にか進行役のようになっているレゾが尋ねると、ずっと沈黙していたクロウシスが視線を上げて懐から一枚の紙を取り出してテーブルの上に広げた。

 広げられた紙はかなり簡略化されているが、帝都第三街層である内縁街の市街図だった。精度の程度から見ても内縁街に常駐している帝国兵が地図代わりに携帯する程度のものであり、ウラジルたちはこれよりももっと精度の良い内縁街の地図を持っている。


 その地図の一点をクロウシスが指さした。

 全員がその指先に注視すると、そこは外縁街寄りの先ほど話しに出ていた内縁街の中央を走る『ルーレンデルテ中央凱旋路』に程近い内縁街の一角だった。


「持っていたのは警邏隊の隊長だが、レゾ=ケルゲレンの言うとおりこれは意図的に流民街の人間――お前たちのような抵抗勢力(レジスタンス)の手に渡ることを目的としていたようだ」


「その根拠は?」


 すかさずレゾが尋ねると、クロウシスは更に数枚の紙を取り出してテーブルの上に滑らせた。それはウラジルたちに渡したものと同じ、すでにテーブルの上にある流民街の制圧進路図とまったく同じものだった。


「内縁街を警邏する部隊がそんなものを持っていること自体が妙なことだが、位置的にまったく接点の無い何組かの警邏隊がこれを持っていた。ということは、元々何らかの方法でこれを流民街に流すつもりだったのだろう。それも――」


 そこでクロウシスは一度言葉を切り、黄金の瞳を僅かに細めてウラジルたち火龍の高巣(バーンクルス)の面々を一瞥する。


「流民街で特に力を持つ存在に、な」


 それはつまり、現在この地図を持つ火龍の高巣(バーンクルス)精龍の使徒(カーディナル・レムト)という、流民街最大規模の抵抗勢力(レジスタンス)組織である二大勢力のことに他ならない。


「これは別段、連中が大事に抱え込んでいたわけでない。むしろ怪しいものを持っていると言わんばかりに腰に下げていたものだ。恐らくは持たされていた当人たちも、これが何なのかは知らず持たされていたのだろう」


精龍の使徒(カーディナル・レムト)がこれを入手した経緯について調べたが、どうやら警邏隊を襲って奪い取ったというわけではなく、内通者を通じて盗み出したようだ」


 クリフトの言葉でこの場に居る者のおおよそが、この制圧経進路と思しき地図が間違いなく帝国側の意図によって流布に近い形でこの場に存在していることを確信した。

 では次に浮かぶ疑問は、それがいったい何を目的として行われたのか、ということだ。


「うーむ。クリフ、仮に帝国がこの地図通りに制圧作戦を行っていれば、流民街は焦土と化していたと思うかね?」


「この地図がない状況で、こちらがその動きを察知出来ずに行われれば……この規模の兵と龍騎兵(ドラググーン)が動けばこちらも察知出来ているとは思うが、恐らく壊滅――帝国がその気ならば人一人、街は柱の一つも残らず焼き尽くされるだろうな」


 元帝国の軍人であるクリフの分析には説得力があり、場は重い空気に包まれた。


 帝国による流民街の掃討作戦。

 十万人近い人間が暮らしている流民街が焦土と化す。

 それは悪夢以外の何ものでもなく、もし実行されれば歴史上類を見ない惨劇となることは確かだった。

 だが、他国を次々と侵略し、抵抗する存在は全てその圧倒的な軍事力を持って排除してきた今の帝国には、それをやってのけるだけの狂気が確かに感じられる。

 まさかそれはしないだろう――そう思える材料が何もないのだ。


「恐らくは中央大陸、このグリムディアの平定にほぼ目処が立ったのだと思います。現状帝国が手中に収められていない国は、グリムディア東端にあるラーザイオ公国のみと聞いています」


 レゾが自分の持つ情報は正しいかどうかを視線で問うと、ウラジルとクリフトは頷いた。そして補足するためにクリフトが口を開く。

 

「現在は帝国はラーザイオ公国に侵攻中だ。だが、あそこは国土の大半が山岳地帯な上に堅牢な砦を多数持ち、首都も山一つをそのまま使った城塞都市。噂を聞く限りでは、帝国は侵攻に手こずっているようだ。地形の関係上、基本的に平地でしか運用出来ないガラクが使用出来ず、侵攻軍の龍騎兵(ドラグーン)はアレスのみを帯同させているようだが、やはり相当苦労しているらしい」


 このグリムディアで唯一抵抗を続け、不羈独立を守っている国に思うことは人それぞれあるが、今は自分達が住み守らねばならない街のことを考えなければならない。


「帝国がこの街を潰す決心がついたということは、征服した国々の国民を奴隷として労働力に充てるための準備が出来たんじゃないかと考えられます。帝国は今、軍事力と恐怖によって世界を覆い尽くそうとしています。だから今更流民街に住む十万人近い人間を虐殺することを醜聞とせず、むしろその行為そのものを新たな恐怖として他国から連れてくる人々に植え付けることが目的にすら思えます」


 レゾの分析に対しリサは驚いていたが、ウラジルとクリフトはむしろ満足そうな笑みを浮べていた。

 初対面時の振る舞いや発言から切れ者だとは思っていたが、改めて喋らせてみるとレゾの考え方や情報分析能力は流民街最大規模を誇る火龍の高巣(バーンクルス)のソレと大差ないものを持っている。

 少数ながらも内縁街で破壊活動をして捕まることがなかったのは、このレゾ=ケルゲレンという優秀な参謀役がいたからこそだと、火龍の高巣(バーンクルス)の二人は得心していた。


「――何もこの街を滅ぼすことが目的とは限るまい」


 自ら喋ることのなかったクロウシスの発言に、室内にいた人間全ての視線が集まった。

 流民街を滅ぼすことによって帝国が得る利益については、先ほどレゾが一定の考察を出したが、クロウシスの言葉は『流民街の焦土化』が目的ではなく、通過点や段階の一部だと言っている。


「流民街を滅ぼすことが目的ではないと?」


「一つの目的なのかもしれないが、段階の一部とも取れる」


「じゃあいったい、この街を滅ぼしてまで帝国は何をしようってんだ?」


 クロウシスの意見には特に興味のあるウラジルが、半ば身を乗り出すようにして尋ね、隣に座るクリフトもレゾの時とは違い表情を鋭くして耳を傾けている。


「力の誇示というのは間違ってはいまい。世界に狂気を見せつけて恐怖を煽るのも、恐らくは効果の一つくらいには思っているだろう。だが、帝国の真の目的はそんなものではない。この街に住む者達を自国の民と認めていないのなら、今の帝国がそれを行っても大した影響はない。他国に侵略を行う前なら、かなりの反響があったであろうがな」


 その言葉にレゾはハッとした表情をして、すぐに思考の渦を巡らせる。

 確かに奴隷として他国の人間を連れてくるならば、焦土と化した流民街の光景は恐怖を煽り隷属させるに足る効果があるだろう。だが、クロウシスの言うとおりそれをするならば、戦争を仕掛ける前に行った方が真理的な打撃は計り知れず、帝国と双璧をなしていた『ウィルキュア王国』を征服する際には、地平線を埋め尽くすほどの龍騎兵(ドラグーン)が投入されたと聞いている。

 その光景が『古代の得体の知れない兵器』であるよりも『十万人に及ぶ人間を慈悲もなく焼き尽くした存在』である方が、より強い恐怖をもたらすことが出来るだろう。

 無論、その時点では代替出来る労働力がなく、まだ利用価値のある流民街をすぐに潰す必要がなかっただけとも考えられる。

 帝国が必要としていたのは鉱山から発掘される鉄鉱石を始めとする鉱物であり、農耕地帯の農作物はどちらかと言えば流民街の人間を生かすために作らせていたとも言える。

 つまり流民街に対し、早い段階で今回見つかった制圧進路を基にした作戦が行われ、街を焼いた上で鉱山における最低限必要な労働力のみを生かして(・・・・)おけばいいだけの話なのだ。


 結果的に帝国は今日まで流民街を生かし続けてきた。

 そして今頃になって、その存在を焼き尽くす計画を立てている。

 ならば、これは帝国にとって単なる労働力の入れ替えと合理化に過ぎないのかもしれない。

 もしそうならば、流民街の壊滅計画はクロウシス言うとおり、何かもっと大きな事柄への一つの段階に過ぎないのかもしれない。


「流民街を滅ぼす時期が、何故今この時なのか」


 レゾを思考の渦から助け出すかのように、室内にクロウシスの言葉が響く。

 難しい顔をして俯いていたレゾが顔を上げるのを見て、レオリスとラナルゥはどこかホッとした表情をして二人もまた少しでも理解しようとクロウシスの言葉に顔ごと耳を傾ける。


「考えうる理由として、最初に出ていた話題が挙がるだろう。帝国が内縁街で行っている街を縦断する通りの拡張。これが意味するので何であれ、時期を考えれば無関係とは思えん。これは我の経験から出した推論だが、恐らくは式典に際する『祝いの火』にするつもりだろう」


「祝いの火……?」


 人々が大勢住む街を焼く火にそぐわない言葉にレオリスが反応すると、クロウシスは感情の起伏が感じられない声音で続ける。


「人間の住む世界だけで言えば、帝国が支配出来ていないのは最早一国のみ。中央大陸が平定されるのも時間の問題だろう。力を持ちそれを誇示したいものは、得てして祝い事に際して『光』を求める。手にした絶対的な力。成し遂げた偉業。齎された富と栄誉。その何であれ他者に知らしめるには誰もが驚き、慄き、言葉を失うような鮮烈で眩い『光』を欲するのだ」


「それが、今回はこの街の壊滅……焼失に当たると?」


「そうだ」


「馬鹿げてるっ! そんなことのために、この街に住む人間を全員殺すっていうのかっ!?」


 ウラジルの問いに答えたクロウシスに対し、レオリスが激昂して席を立って声を上げた。その隣ではラナルゥも信じられないとばかりに瞳を揺らしていた。

 クロウシスは立ち上がって怒りを露わにする少年に視線を向ける。


「その『光』は言わば寄せ火。人間の世界を平らげた――それに等しいことを為したと、世界に知らしめるための祝炎となる。そしてその火はただ燃えるのではなく、新たな獲物を寄せ集める炎となる」


「新たな獲物って、帝国はすでに南方大陸にも侵略を――って、まさか!?」


 クロウシスの言わんとするところを理解し、ウラジルは目を剥いて唸った。その隣でクリフトもまた同じ結論に至り、顎に手で添えて考え込んでいる。

 巨大な組織の長である二人にとっても、帝国の狙いがそこであることは予想外だった。


(もしそうなのだとすれば、確かに流民街くらい帝国は焼くだろう)


 二人は互いに視線を交わして、その方面に探りを入れることを無言で通じ合わせた。

 レゾは青い顔をして俯き、その隣でレオリスが今の話の意味を理解出来ずに立ち竦んで視線を彷徨わせ、ラナルゥもまた一様に黙り込んでしまった一同の、その只ならぬ雰囲気を感じてオロオロとしていた。

 そしてその深い沈黙を破ったのは意外な人物だった。


「ウラジル様、クリフト様。私から一つはっきりとさせておきたい事案があります」


「お? 珍しいな、何かあるのか?」


 発言をしたのは、ウラジルたちが座っているソファーの側に立っているリサだった。

 自分に全員の視線が集まっている中、クロウシスは別段気にした様子もなくゼクターによって置かれたティーカップの水面に視線を落としていた。

 その様子を見てリサは一度目を瞑り、そしてすぐに開けるとずっと手に持っていた書類鞄を開き中から数枚の書類を取り出して口を開いた。


「私は火龍の高巣(バーンアレス)の筆頭魔道師として、御二人の身の安全と共に組織の存続と円滑な運営を行う義務があります」


 リサの只ならぬ雰囲気に精龍の加護(ドラグリーペ)の三人は驚き、ウラジルとクリフトは何事かと眉をひそめた。そんな周囲の反応を意図的に無視し、リサは主張を続ける。


「長らく膠着していた帝都側との均衡が破られようとしているこの時、我々はあらゆる危険性を排してこの状況に望まなければならないはずです」


 リサの主張に対し、ウラジルもクリフトも何が言いたいのかを察して僅かに表情を曇らせた。レゾも同様なようで、レオリスとラナルゥは真剣な表情をリサに向けていた。

 それらの視線を受けて、リサは手にしていた書類を突きつけるかのようにクロウシスの前にかざした。


「閉鎖されたリディアス第二学院の関係者から証言を取りましたが、クロウシスなる人物があの学院に在籍していた事実はありませんでした」


「だ、だからそれは――」


 この期に及んでクロウシスの信用が疑われると思っていなかったので、レオリスが慌ててあの時ラナルゥが言ったことを再度言おうとするが、そこに先回りしてリサが続ける。


「勿論学院長にも調査は行いましたが、ご自身とご家族の(・・・・)|命に懸けてそんな人物は存在しないと証言して下さいました。つまり、この人物の身元は再び闇の中です」


 学院長とその家族を脅してまで証言を取ってきた事実に精龍の加護(ドラグリーペ)の三人は驚き、火龍の高巣(バーンクルス)の二人はやや苦い顔をしている。

 もはや事実がどうあれ、ウラジルたちはクロウシスを含め精龍の加護(ドラグリーペ)と協力関係を結ぶつもりであり、特にウラジルはここに至っては理屈など抜きにしてクロウシスを必要としている。

 巨大で強大な存在に立ち向かう際には、個として劇的な変化をもたらす極光を掲げれば、人々は臆することなく一丸となってその光が照らし出す奇跡的な軌跡を辿って、挫けず折れることなく戦うことが出来る。

 そういった存在が今この時に現れたことこそが、天命であり火龍神バーンアレスの加護であると信じていた。


「おいリサよ……」


「ウラジル様、これは必要なことです。彼らと協力関係を結び、この人物にも火龍の高巣(バーンクルス)の活動に深く――いいえ、中心として関わって頂くならば、その正体を見極めることは必然です」


 前途の思いがあるからこそ、この状況下でクロウシスの正体迫ろうとするリサに対し、彼女の立場や魔道師ゆえに自分たちよりもクロウシスの存在を忌避していることを承知した上で、ウラジルは苦言を呈そうとした。

 だが、リサは自分の独断でそれらを調べた時点で覚悟を決めており、ウラジルの苦言に対しても譲るつもりは一切なかった。


 特異な容姿に計り知れない力。


 リサに言わせれば今この瞬間にもやろうと思えば、この場にいる全ての人間を造作もなく殺してしまえる正体不明の存在を、何故裏付けもなく信じることが出来るのか。

 戦闘能力も魔力の行使も人間とは思えず、だが魔族というわけでもない。

 感性が一般のソレ(・・)の域を出ないリサにしてみれば、その存在はあまりに不気味だった。

 

 恐れを抱きながらも、リサはクロウシスを直視して問う。


「貴方は何者ですか? 我々は貴方のような存在を求めていました。ですが、あまりに貴方には未知の部分が多すぎます。組織の上に立つ者を支える者として、私は私の命を賭して貴方に尋ねます」


 結った金色の髪の下、貴族特有の碧眼に強い意志を宿してリサは問う。


「貴方は、何者ですか?」


 その言葉を聞いて、ウラジルたちも瞳の色を変えた。

 猜疑心や恐怖からではなく、リサは自らの命を賭して尋ねている。

 組織に身命と懸けた一人としての偽らざる覚悟を見て、ウラジルも自身の勘を押し通すことを止め、側近である彼女にそこまでの覚悟をさせたしまったことを反省しながらも、リサの覚悟を無駄にしないようにクロウシスへと視線を向けた。


 毅然とした態度で己に向き合ったリサに対し、クロウシスはその行動の原理が如何なるものであるかを量ろうと考えた。

 目の前の女魔道師が自分に恐怖を抱いていたのは分かっていたが、今はそれを懸命に抑えつけて組織の一員として、組織の長である二人に対し進言が出来る立場にいることを理解しているからこそ、その役割を果たそうとしている。

 しかし組織の狗であるなら、それはクロウシスにとって興味を惹かれるものではない。そうではなく、もっと個人的で人間臭い感情によって突き動かされ、己という得体知れない存在に立ち向かってきているのであれば、語るに値する価値がある。

 その真意を量るべく口を開こうとした時、隣に座っていたラナルゥが慌てた様子でクロウシスの腕を掴んだ。


 先ほどリサがクロウシスの正体について言及し始めた辺りから、自身がついた嘘がきっかけということもあり、この少女は大いに焦っていた。

 クロウシスは自分たちを含め、ウラジルたちの命も救ったことからもう正体について言われることはないだろうと、ラナルゥは能天気に考えていた。だが、組織をまとめる上層部の者として正体不明の人物が居ることは好ましくない、というリサの主張についても理性的な部分では納得が出来たのだが、命の恩人であるクロウシスを糾弾することに対しては理屈にならない怒りと焦りを感じていた。

 このラナルゥという少女は極めて感情――否、自身の直感を信じて生きている節があり、特に切羽詰った状況に追い込まれてしまうと、その特性が顕著に現れる。


 追い込まれていた状況だったとはいえ、自分のついてしまった嘘によってクロウシスが糾弾されてしまう。その逼迫した状況に直面し、自分がそれを何とかしなければならないと考えたラナルゥは、思えばあの嘘をついてしまった時もまた、今と同じように考えるよりも先に体が動いた結果だったことなど考えの範疇になかった。


「クロウシスさんっ! わ、私っ市場でトリヴァリアス様のご飯買ってきたんですっ!」


 突然の訳のわからないことを言って、腰元のポーチから小さな皮袋を取り出したラナルゥに、リサは呆気に取られ、クロウシスはラナルゥの意図をすぐに理解して一瞬どうしようか悩みもしたが、旅の連れ合いが眠りから既に覚醒したのを感じて諦めることにした。


「トリヴァリアス様……?」


 クリフトはラナルゥの言葉を反芻し、その隣では何が出てくるのかと年甲斐もなくワクワクと目を光らせたウラジルが、ゼクターの淹れ直した紅茶を啜る。


 ラナルゥは皮袋から木の実を何個か取り出すと、それを自分の空いた方の手に乗せて転がした。手の平で転がる木の実の擦れるコロコロとした音が部屋に小さく響くと、クロウシスの懐がモゾモゾと動き出した。

 その様子にリサは『ヒィッ』と小さな悲鳴を上げて後ずさり、クリフトは眉を寄せて注視し、ウラジルはティーカップを口につけたまま硬直する。

 三者が見守る中、モゾモゾとクロウシスの衣服内で蠢くそれは、衣服内を移動し胸付近からせり上がってくると、グルっと背中に回ってうなじからその姿を現した。


「ぶふぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!! げほっごほっ!? ごほっ!」


「……は?」


「――」


 姿を現した白麗たる神体は、艶やかな白い体表を光らせ、静かな輝きを放つ銀眼は相変わらず何を考えているのか読み取れない視線で周囲を見回す。そしてススッと体を一メートルほど露出させるとクロウシスの右肩から首を一周して巻きつき、クロウシスの右肩に頭を乗せてラナルゥが手に乗せている木の実をジッと見つめている。


「ちょ、ちょまっけほ……ほんとかよ?」


「夢にしては、お前に噴きかけられた茶が生温く感じるな……」


 驚きのあまりウラジルが飲んでいた紅茶を横に噴き出し、それをクリフトが引っ被っていた。だが、二人は紅茶を滴らせながらも視線を交錯させると、互いに一つ頷くとソファーから離れた床に平伏した。


「まさか生きている間に白龍様をこの目で見ることが出来ようとは、精龍を奉じる一信徒としてこれ以上の喜びはございません」


英霊精龍(カーディナルドラゴン)が死に絶えていく中で、貴方様が生きておいでになることは、この世界に生きる者にとって輝く希望に他なりません」


 一切の躊躇なく平伏した火龍の高巣(バーンクルス)を束ねる二人の男に対し、レオリスたちは驚いた表情を浮べているが、むしろ精龍信仰に理解の深い者であればウラジルたちの対応こそ本来取るべき行動と言える。

 そんなウラジルたちの行動に驚きつつも、やはり自分の手からは食事をしてくれないトリヴァリアスアルテミヤに対して凹み、お預けをするのも心苦しいと思い手の平に乗せていた木の実をクロウシスの手に移した。

 それを確認してから、トリヴァはクロウシスの右肩から胸元を通過して右腕に沿って体を伸ばし、薄い生地の手袋をしたクロウシスの手から木の実を咀嚼し始めた。


 白龍が懐いている――心を許している存在。

 その光景を目撃し、ウラジルたちはより一層自分達の判断に確信を得た。

 精龍信徒にとって、それは絶大な信用を得るに足る説得力を持っていた。

 

 ウラジルたちと共にその後ろで同様に平伏したゼクターが、不意に頭を上げてある人物の不審に気付く。その視線の先には一人の女性が立ち呆けていた。

 そのことにウラジルたちも気付いて、クリフトと顔を見合わせる。


「おい、リサ?」


 ウラジルの問いに対し答えは返ってこず、ほぼ直立不動の状態で立ち尽くすリサにラナルゥがテーブルから身を乗り出すようにして顔を覗くと、その目を驚きに見開いた。


「嘘……」


 小さな呟きに不穏なものを感じてウラジルたちが立ち上がると、ラナルゥは口元を出て押さえて呟いた。


「リサさん、気絶してる……」


 突然目の前に現れた白龍に、リサは驚きのあまり気絶していた。

 ウラジルたちはその場にこける様にして体を弛緩させると安堵の息を吐き、レオリスたちはウラジルたちの対応を目の当たりにして、最初にあろうことか追いかけっこなどに興じたことに冷や汗を掻いた。


 周囲の反応など気にした様子もない白龍がクロウシスの手から顔上げると、その頬は大きな木の実を二つ含んだことにより、まるでリスのように両頬が膨らんでいた。

 それを見て、そして気絶したまま固まっているリサに対して、その場にいたクロウシス以外の全員が笑い始め、館の一室は和やかな空気に包まれた。


 その中でも白龍は、両頬を膨らませたまま周囲で笑う人間たちをキョロキョロと見ると、後ろを振り返って自分を見下ろすクロウシスに向かって一度小首を傾げるような仕草を取ると、再びクロウシスの手に顔を埋めて食事に戻った。

 

 周囲の喧騒と白龍の気ままな仕草を見ながら、クロウシスは小さく肩を竦ませた。

後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


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