プロローグ3-五百年前の戦い-
この世界の命運を賭けた会談の会場は中立領、神界にも魔界にも勢力図的に領域干渉を受けていない死火山の中腹に作られた神殿だった。当然人間世界からも距離があり、三勢力が話し合いの場を持つには最適の場所だと思われた。
だが、それは全て罠だったのだ。
神殿内は巨大なクロウシスがいることを考慮した作りなのか、とても広大な空間が広がっていた。支柱が規則正しく並ぶ入り口を過ぎると、高さは百メートル、横幅は五十メートル、奥行きは五百メートルはあり、その中間地点には丸い広場が設えており、そこに会談用だろうと思われる机や椅子が並べられて、その部分だけ吹き抜けとなっておりポッカリ空いた天井から空が見えていた。
クロウシスを先頭に、直属部隊を護衛にしたレビたち地上連合軍の代表者が神殿へと入場し、本体が広場に到達した時、神殿の出口が虚空から浮き出るかのように突如として現れた壁に塞がれた。
異変にいち早く気づいたクロウシスが集団転移の呪文を発動させるが、高位解呪魔法で無効化される。転移の術式が霧散すると同時に、周囲の白亜の壁に壁面を埋め尽くすほどの赤い紋様が浮かび上がる。
それが時空系魔法を阻害するためのモノだと瞬時に見抜き、自分に流れる純粋な魔力を最速かつ強力な威力へと変換する『ドラゴンブレス』の使用準備をして、出口を塞いだ壁を破壊しようと振り向いたところで、目の前に黒い異形が迫っていることに初めて気づいた。
クロウシスとほぼ同じ三十メートルほどの全身を黒いマントで覆い隠し、フードから覗く顔は白骨の髑髏。黒い手袋をはめた手には黒い長剣を持ち、全身から魔力が溢れ出して空間を歪めるほどに魔素が濃い。
すでに振り上げていた剣を振り下ろす動作に入っていることを認め、魔力障壁ではなく口内に溢れていたブレスを剣へと放つ。振り下ろされた剣に口から放たれた魔力の奔流とが激突し、空間を揺さぶる衝撃が神殿を大きく揺らした。ブレスの威力を殺しきれず、剣とそれを持つ腕が肩まで根こそぎ消滅し、突き抜けたブレスが天井に近い壁を貫通する。
肩腕を失った髑髏の異形は後方へと体重を一切感じさせない動きで下がる。
「この会談が罠である可能性は十分考えてはいたが、まさか貴様が直接来ているとは思わなかったぞ。アヘルト」
口から魔力の名残である蒸気を噴き出しながらクロウシスが目の前の髑髏を睨む。
「アヘルト……まさか、アヘルトゲイズディ!?」
「そんな馬鹿な、魔族の大侯爵じゃないか・・・!」
内部に取り残された人間たちが口々に動揺した口調で、目の前に現れた魔族の正体に驚愕する。
だが、それも無理もない。目の前に現れた黒いマントを羽織った髑髏の魔族は、云わば神話に出てくるクラスの大魔族なのだ。
人間たちのことなど目に入らないとばかりに、足元にいる存在のことなど目に留めず。アヘルトは黒いフードの中から覗く髑髏の空虚な眼窩でクロウシスを射抜く。
『……クロウシスケルビウス。貴様ほどの大物が人間に加担して、我々魔族と神族との戦いに介入しているのだ。ならば我々としても貴様に匹敵する存在を、その討伐に当てねばなるまい。魔族の長として……この神軍征伐の全権限を持つアヘルトゲイズディがな」
凍えるような冷気を感じる声音と、その物言いにクロウシスは口を裂いて笑みを作る。
アヘルトゲイズディは現魔族の最高権力者だ。元々四族血統の四大侯爵が魔界を統治していたのだが、現在では純血の大侯爵として残っているのは目の前のアヘルトゲイズディのみ。そして代々彼ら四族血統の特に力の強い者のみが保有してきた能力に『開門』がある。
開門能力とは元々次元の違う『天界』、『地上界』、『魔界』を行き来するのに必要な門を開ける能力のことだ。これがなければ双方に行き来することができない。
つまり、目の前の大侯爵を倒せば魔族は地上へと来ることが出来ないのだ。
「戦狂いの戦場主義もほどほどにすべきだったと思い知らせてやろう」
目の前に降って沸いた戦争を終わらせるための、単純明快にして確実なチャンスにクロウシスは吼えた。
翼を広げ、魔力を全身に漲らせ、魔眼に力を込めて、アヘルトへと飛び掛かる。
瞬時に失った腕の再生を済ませたアヘルトは、黒い剣を虚空から生み出して猛然と迫る黒龍を迎え撃つ。アギトを開き喰らいついてくる牙を剣で受け止めて、空気を引き裂くような勢いで振られる腕爪の一撃をスルリとかわして脇へと逃れる。そこへ剣を吐き捨てたクロウシスのブレスが壁を削りながら追い縋ってきた。魔力障壁でブレスの直撃を防ぎながら、アヘルトは広場より奥の通路に着地した。
すぐさま追撃しようとするクロウシスに向かって、アヘルトは虚空に黒い球体を無数に生み出してそれをクロウシスに向けて放った。
グォォォォォォォォォォッ!!
目の前に迫る黒球を魔力を伴う咆哮で全て打ち消し、アヘルトに向けて突進する。アヘルトの髑髏から蒼い炎がチリチリと燻り、すぐさま剣を正眼に構えてクロウシスを迎撃する。
◇◆◇◆◇◆◇
状況は悪い方向へと陥っている。
出発前にクロウシスも『罠である可能性も捨てきれない』と言っていた。だが、それでも天界と魔界の戦いに介入し、只々犠牲者を出しながら双方を散らして興を冷めさせ戦いを止めさせるという終わりの見えない戦いではなく、話し合いの場を持つという進展があるかもしれない。という希望を持って来たのだ。
落胆は多いにあるし、出てきた敵が大物どころか現魔界の支配者ときている。
目の前で巻き起こる戦いは、壮絶にして異次元のもの。とても地上軍が助太刀できる規模のものとは思えなかった。
そして何よりおかしいのは魔力を操る術において、間違いなく最高位を誇る両者が魔法の類を一切使っていない点だ。
「おかしいです。クロウシス様もアヘルトゲイズディも魔法を使っていません」
「え? しかしブレスや黒い球を使って……」
「クロウシス様のブレスは元々竜族として備わっている能力に魔力を直接込めたものです。そしてアヘルトゲイズディの使ったあの黒球も、恐らくは魔法ではなく自身の持つ能力の一種だと思います。魔力を加工操作した流れを感じませんでした。もしかして……」
言うより試すが早いとばかりに簡単な治癒の呪文を唱える。呪文がすぐに完成するが、本来は回復の輝きを放つはずの手に奇跡の光は訪れなかった。
やはり一切の呪文の発動が阻害されている。そしてその原因となっているのは間違いなく壁面に無数に広がっている赤い紋様だとレビは確信した。
「ここでは魔法が一切使えません。魔導師を後方に下げて、前衛の皆さんは盾持ちの重騎士を前面に防御陣形を! 相手が相手なので、我々は今はとにかくクロウシス様のお気を煩わせることがないようにします!」
周囲の部隊は動揺しながらもレビの号令に応え、陣形を形成していく。その向こう側では彼らを引きいる偉大なるドラゴンが魔族の長と壮絶な死闘を演じていた。
◇◆◇◆◇◆◇
レビが部隊に指示と激を飛ばしている間に、両雄の戦いに動きがあった。
クロウシスがアヘルトの右肩に喰らいつき、そのまま円形広場に引きずり倒した。剣を持った右手を左手で抑え込み、左手も同様に抑えている。アヘルトの髑髏から蒼い炎が噴き上げ、魔力を一気に解放しようとするが、それよりも前にクロウシスが食い込んだ牙から魔力を直接アヘルトへ流し込み内部破壊を試みる。
「ヌグォォォォオォオォォッォォ!」
「魔力を封じれば黒龍の我に勝てると思ったのか? お前にしては短慮に過ぎるではないか」
純粋な攻撃指向の魔力を直接本体に流し込まれてアヘルトが苦悶の声を上げる中で、クロウシスが喰らいついた顎にさらに力を込めながら言うと、唸っていたアヘルトが歯をカチリと合わせてにやっと笑った。
「……なに、世界最後の龍を葬ろうというのだ。これくらいの醜態は晒す覚悟が出来ている」
「ぐっ!?」
異変に気づいた時には全てが手遅れだった。
円形広場の天井は神殿で唯一吹き抜けとなっている。
そこから見える澱んだ空がカッと光り一条の光が射した瞬間、雲を引き裂いて三本の光の槍が高速で飛来し、その全てがクロウシスの背中に突き刺さりそのまま貫通して神殿の床にクロウシスを縫い止めた。
「ぐぉぉおぉぉぁあぁぁあぁぁっ!」
クロウシスが自分を貫いた槍へと目を向けて、驚き眼を剥いた。
それは魔族が使うものでもない。
怖気がするほどに清廉された、禍々しいまでの光を放つその槍は神族が使うものだ。
クロウシスが首をもたげ吹き抜けの天井から空を仰ぐと、そこにはいつの間にか翼を生やした巨大な神像が浮かんでいた。
精緻にして卓越した美を誇る造形の顔に、流線を描く滑らかな体。白いヴェールを纏い、手には剣と盾を持っている。
「ヴァシアム……神族と魔族が手を結んだと言うのか………っ」
口から吐血しながら呻くクロウシスを神像は静かに見下ろしていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「クロウシス様!」
レビを始め直属部隊もそれ以外の部隊も悲鳴を上げた。
信じられない事態が起こっていた。
アヘルトを抑え込み勝利を目前としていたかに思えたのに、突如吹き抜けとなっている広場の直上から強烈な光が射したかと思えば、三条の槍が降り注ぎクロウシスを串刺しにしたのだ。
そしてクロウシスが空を仰ぐ仕草にならい空を見上げると、そこには後輪を纏った女神の像が浮かんでいた。
「戦場神ヴァシアム……」
神軍による魔族征伐の指揮を執り、戦と断罪を司る最高神。
女神でありながらその圧倒的な力で戦の最高神格に昇り詰め、そもそもは魔界との戦いに対しても消極的だった天界を独自の潔癖な理想論と好戦的な性格で、天界を魔軍征伐へと実質的に扇動し指揮している女神。
何故このタイミングで神族の戦女神が出てくるのか? その答えは一つしかない。
そもそも元々この会談は天界、魔界、地上による三者会談のはずだったのだ。しかしそこで待ち受けていたのは魔界の長たる大侯爵アヘルトゲイズディ。そのあまりに強烈な衝撃に、天界というもう一つの強大な敵の存在を刹那の間忘れてしまった。
恐らくはあの賢龍でさえも。
そしてもう一つの衝撃は、三条の槍がクロウシスを貫く瞬間、まるで光の槍が飛来することを予期していたかのように、アヘルトゲイズディが喰らいつかれていた右肩を引き千切るという強引な形で槍の射線から逃れたことだ。いくら仰向けに倒れ空を見ることが出来ていたとしても、偶然ではないはずだ。
だとしたら……?
答えは分かりきっている。
悪い状況どころではない。最悪の状況に自分たちは陥っているのだということを、レビたちはようやく理解した。
神族と魔族の共闘……いや、共謀だったのだ。
恐らくは一時的なものだろう。だが一体、何の為に?
水と油のように決して相容れず、終わり無き戦いに明け暮れていた両者が結託する動機。
いや、これもまた考えるまでもない。
ただそうである事をレビは考えたくなかった。
震える視線を上げると、そこには三条の光の槍に貫かれ夥しい血を吐く黒龍の姿があった。
そう、目的など一つしかない。
彼らは数千年の因縁も確執も憎悪も脇に置き、ただ一頭のドラゴンを殺そうとしているのだ。