表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/31

第二章5-流民街の赤き夜-

※今回は量が多いですので、途中で適度に休憩など取って下さい。

「――は、話しますっ!」


 上ずった声でそう言ったのは、ラナルゥだった。

 レオリスもレゾもその思いもよらない行動に目が点になっていた。


 今まで二人の背に隠れて何ら自己主張をしてこなった少女の、ここにきての突飛な行動に驚きつつもウラジルは、この見るからに嘘の下手そうな少女が何を言い出すのかが気になり先を促した。


「よぉーし、お嬢ちゃん。話してみてくれ」


「あ、あの時、私達は助けてもらいましたっ」


 レオリスとレゾはラナルゥを止めるべきかと思ったが、今の一言で『誰かがいたこと』は確定してしまったし、咄嗟にラナルゥへ近寄ろうとする二人をクリフトが目で牽制してきたので、ラナルゥの口を手で物理的に封じることも出来なかった。


「そうだろうなぁ居たよなぁ……で、そいつはいったい誰だぃ?」


 いよいよ確信の部分に迫り、ウラジルが少し身を乗り出すようにして尋ねると、ラナルゥは自分の胸に手を添えて深呼吸をすると、意を決したように顔を上げた。


「あの時、助けにきてくれたのは――」


「ちょっ――」


「まっ――」


 土壇場でやっぱりラナルゥを止めようと思い直した二人が声を上げるが、時既に遅くラナルゥはその正体を口にした。


「――学院の先生だった人ですっ!!」


 やけくそとばかりに叫んだ声は部屋に響き渡り、火龍の高巣(バーンクルス)の三人は元より、レオリスとレゾも身を乗り出した格好で呆気にとられていた。


「学院の……教師? 学院ってーと、お前らが通ってたリディアス第二学院か」


「は、はいっ」


 三人の素性はある程度調べており、三人が帝都の名門リディアス学院の第二学舎に通っていたことは調査済みだった。しかしウラジルの記憶では、教師名簿にはそんな化け物みたいな力を持つ人間はいなかったように思える。


「ふぅーん、そいつの名は?」


「ク、クロウシス先生です」


「――リサ?」


「私の記憶では、リディアス第二学院の教師名簿に『クロウシス』という名はなかったかと」


 教師名簿も手に入れて、さらにそれに目を通して記憶しているとは思っていなかったようで、ラナルゥは早速言葉に窮して両手をお腹の前で握っていた。

 そこに助け舟を出したのはレゾだった。


「せ、先生は、非常勤講師だったんです! 学院長の個人的なご友人ということで、正規の雇用契約ではなく学院長の一存で学院にいたんです」


「お、俺たち学院の中でも結構なはみ出し者だったから、先生と仲良くなって色々と面倒見てもらってたんだ」


 レオリスもやけくそでその話に乗っかった。

 三人の話を聞き、ウラジルは今すぐに裏付けを取る手立てが無いことを認めつつも、今の話が真実と虚偽が入り混じっているものであることは分かっていた。

 重要なのはその選り分けである。

 虚偽が混じっている以上は、要点を突いた質問をしていけば必ず矛盾が生まれて綻び破綻する。それが思いつきの話であればなおのことだ。


「その男は――男だよな? そいつはずっとお前らと居たのか?」


「いいえ、先生は第二学院の閉鎖に伴い帝都を出奔されていました。この間助けて頂いたのは、本当に偶然で運が良かったんです」


「なるほど……確かに随分と都合のいい時に戻ってきたんだな。そいつと連絡は取れるのかぃ?」


「いいえ、先生も目的があって戻って来られたみたいで、僕たちもお手伝いしたいと願い出たのですが、巻き込みたくないと仰ってそれっきりです」


 ウラジルの問いに答えたレゾの返答は、ある意味彼自身の願望とクロウシスに対する印象が混在したものとなっていた。


 クロウシスが何者なのか。

 何を目的としているのか。

 何故白龍を連れているのか。


 聞きたいことは山ほどあったが、それを安易に聞くことが出来ない迫力と雰囲気を持っていた。

 だが、恐らくクロウシスがやろうとしていることは、レゾたちが目指そうとしていたモノよりも遥かに険しく困難なことなのだろうと、少年から青年へと成長する過程にあるレオリスたちは自分達なりに感じていた。

 それほどまでに、ただ一度助けられ僅かな時間を共に過しただけだったが、三人にとってクロウシスという存在は強く印象に残り、憧れるに足る存在となっていた。


「ふぅーむ、やはり会ってみない事には……だなぁ。悪いがお前さんらはしばらくここに逗留してもらうぜ? お前らを囲っておけば、その内その先生とやらがここへ来てくれるだろうからな」


「……」


 どちらにしろ軟禁は免れないということ告げられ、複雑な表情で三人が顔を俯かせると、不意に扉の向こう側から人が駆けて来る足音が聞こえてきた。

 足音がこの部屋に向かって接近してくるのが分かったときには、クリフトは既に動いていた。そして部屋の外から扉が開け放たれた瞬間、レオリスが剣を抜いて扉を開けた家令のゼクターに襲い掛かっていた。

 強硬手段でここを脱出するならば、扉が開けられたタイミングで部屋を出るのが最適だ。そして最悪、扉を開けた人間を人質にすることも出来る。

 やり口が悪党染みていることは承知しながらも、これが現状を打破できる唯一の方法として行動に移した。

 地を這うように姿勢を低くして駆け、扉を開けたゼクターの背後に滑るような動きで回り、その首筋に刀身を当てた。その一連の動きはレオリス自身も出来すぎなくらいに上手くいき、仲間二人は呆気に取られ阻止しようとしていたクリフトも間に合わなかったほどだった。


 だが――結果は思わしくない方向へと傾く。


「動くなっ! 動けば――ガっ!?」


 ある意味こういった状況でのお約束な言葉を発しようとした時、レオリスの鳩尾に硬い肘がめり込んでいた。

 衝撃が内臓に伝播するほどの強烈な肘打ちは横隔膜の動きを止め、呼吸が出来なくなると同時に猛烈な嘔吐感を伴った。

 崩れ落ちるレオリスの視線の端で、執事服を着たゼクターが素早く引き抜いた肘を、今度は打ち下ろす姿が目に入った。首筋に痛烈な第二撃を受けて、意識が寸断されかかった。痛みと苦しみで明滅する視界の中で床が迫り、ほとんど受身を取ることもできずに顔面から床に激突して倒れた。


「レオリスっ!」


 ラナルゥの悲鳴が室内に木霊し、レゾが駆けようとするもその前にクリフトが立ち塞がった。歯噛みするレゾの視線の先で、レオリスに肘打ち二連打をかましたゼクターが床でもがくレオリスを見下ろしていた。

 

「失礼しました。しかし、殺すつもりも無く人質を取ろうとするのは軽率かと存じます」


 殺意も無い上に、あまつさえ首筋に刀身を当ててしまっての万が一がないようにと、刀身を首から数センチも離しておくなど、人質に対して気遣いを見せては始めから殺すつもりがないと言っているようなものだ。当然それを見抜かれれば、人質からさえも反撃を受けてしまう事態に陥る。


「それに私のような使用人を人質に取ろうというのも些か短慮ですな」


 ゼクターの為になる忠告も、三半規管をやられてしまい、視界が歪んで音さえも歪曲して聞こえているレオリスの耳には届いてはいなかった。

 足元でもがくレオリスにそれ以上の危害は加えようとはせず、ゼクターは改めて主人であるウラジルに対して恭しく頭を下げた。


「ウラジル様、ノックもせずに申し訳ございません。しかし、火急な用件でございます」


「どうしたね?」


「はい。監視班から一報がございました。民壁第一正門が開きアレスが三機出撃した模様です」


 それを聞いて部屋の中の空気は一変した。

 ウラジル、クリフト、リサは眉根をひそめる程度の反応だったが、レゾとラナルゥは顔色を変えていた。


「リサ、民壁の警備部隊には話はつけていたよな?」


「はい、少々規模の大きな集会を行うという形で話は通してあります。警備隊長からの承認も得ています」


「となれば、恐らく本部から直接出てきてるな」


 厄介そうに頭を掻くウラジルに、クリフトがレゾの前に立ち塞がったまま言う。

 歴史の長い火龍の高巣(バーンクルス)は、当然壁の警護を司っている警備部隊とも付き合いが長く、その歳月の中で幾度と無く接触を図った結果、警備部隊の一端を腐らせることに成功した。

 その成果として、本部から特別指示が出るような大きな騒ぎでなければ、事前に裏でやり取りを行えば今回のような目に付く形で呼び込みを行った集会を開いても、警備部隊からの干渉がないようになっていた。


「ま、しょせんは口約束だな。証拠となって残る手形や免状は一切発行せずに、ただこちらの動きに目を瞑ってたからな。本部が出張ってくれば、こういう想定外も当然あるわ。とはいえだ、クリフ」


「出撃した連中の目的が何かは分からないが、予想外の事態であることは間違いない。それに出撃した龍騎兵(ドラグーン)の数も不自然だ」


 元々は優秀な軍人だったクリフトは、帝国軍の動向は勿論のこと作戦行動時の部隊編成についても精通しており、部隊の編成を聞いただけで、その部隊がどういった目的を持って行動しているのかも分かるという。


「どう不自然なんだ?」


「流民街で『粛清対象』となる事案が起きた場合は、その事案の規模に関わらず通常二機のアレスが出撃する。そして定期的に行われている流民街全体に対する偵察は、広大な流民街全体を大よそ練り歩けるようにと五機のアレスとガラクの混合部隊が投入される。よほどのことが無い限り、流民街で龍騎兵(ドラグーン)を用いた作戦行動をする場合は、今言った二通りの編成になる。だが、今回出撃した数は三機――それもアレス三機だ」


 床でもがくレオリスが心配で視線を送りつつも、目の前に立ってウラジルと会話をするクリフトの隙を見出すことが出来ず、レゾは奥歯を噛み締めて睨みつけるが、クリフトは別段気にした風もなく話を続ける。


「作戦行動が民壁の警備部隊ではなく本部である以上、こっちが結んだ暗黙の約束事なんて無いも同然だ。とにかく、連中が何処を目指しているのかが分からないと行動が読めない」


 クリフトは口から涎を垂らして悶絶するレオリスと、目の前に立つレゾとその後ろで自分を睨むラナルゥの順に視線を巡らせると、想定外の状況に際して不本意な手段を採ることになり表情を曇らせながらも、組織の上位に立つものとして決断を下す。


「申し訳ないが、状況を把握してそれが落ち着くまでは君らを拘束させてもらう。彼のような抵抗をしないなら手荒な真似は一切しない。それは約束しよう」


 口調こそ穏やかだが、その目には有無を言わさない迫力があった。

 幾重もの修羅場をくぐり抜け、帝国が裏切り者として探し回っている男の迫力を前に、レゾは思わずたじろいてしまうが、その横から進み出る存在があった。


「ひどいっ! 私達はあなた達に協力出来ることがあればと思ってここへ来たのに、レオリスに酷いことをしてその上私達の自由まで奪うなんてっ!」


 レゾとクリフトの中間に立ったラナルゥは、クリフトの顔を真っ直ぐに見つめて一切目を背けることなく睨みつけた。その行動と少女の眼力に、クリフトは驚いた。

 部屋に入って来たときから二人の背に隠れるようにしており、どちらかと言えば心が弱く三人に揺さぶりを掛けるならば一番に狙うべき人物だと思っていたのだが、先ほど答えに窮して黙り込んでいた二人を他所に率先して状況を打破すべき答えを口にしたことを鑑みても、もしかしたらこの少女が三人の中でも最も強い意志の持ち主なのかもしれない。


「お嬢さん、抵抗したとはいえ君たちの仲間に暴力を振るったことは申し訳ないと思う。だが、この流民街に住む数万の人間は帝国の圧力によって、いつ破滅を迎えてもおかしくない現状にある。我々はそうならない内に、現状を好転させた上で、現在の膠着した状態を打破する手段を勝ち得なければいけない」


 対応はあくまで冷静に、そして相手が誰であろうと一定の礼儀を持って接する。それがクリフト=ヴァルシミクの基本的な在り方であり流儀である。

 だからこそ、毅然とした態度で自分の前に立った少女に対しては、クリフトは最大限の礼をもって接する。


「一見平穏に見えるが、この街の日常は薄氷の上にある存在だ。そして今、その薄く脆い最後の一線が音を立てて崩れ去ろうとしている」


「クリフ様っ!?」


「リサ――かまわねぇよ」


「しかし、それは――」


「クリフがいいと判断したんだ。なら俺らも信じてやらなきゃなんねぇ……違うか?」


 クリフトの言葉に対し、氷の彫像のように沈着冷静だったリサが慌てたように声を上げるが、それをウラジルが制して大仰に頷く。それを見て、リサはまだ戸惑っているようだったが、ウラジルとクリフト両名に見つめられるとズレた眼鏡を直して頷いた。


「……?」


 そのやり取りにレゾもラナルゥも意味が分からず顔を一瞬見合わせるが、すぐにクリフトが口を開いた。


「例の街で頒布していた書面に書かれていたこと、アレは何も君たちをここへ呼ぶためだけに作ったものではない、ということだ。あの書面には表と裏の意味があって、君たちはその裏の意図を当事者として理解しここへきた。よって、表の意味はあそこに書かれていること、そのものだと思ってもらっていい」


 二人がその言葉の意味を理解するには僅かな時間を必要とした。

 命の危険は無いと言われているとはいえ、拘束されるという危険な状況下ではすぐに頭が働かなかった。そしてあの書面に書かれていたことを必死に思い出そうと考えを巡らせ、僅かな間を置いてレゾはその内容を思い出すことに成功する。


『――英霊精龍(カーディナルドラゴン)に祈りし者たちへ。

 ――帝国の圧制と弾圧は日々、その苛烈さを増すばかりである。

 ――そのような状況の中で、我々は帝国に大きな動きがあることを察した。

 ――我々は来るこのような事態の為に、日々人員の増員を進めてきた。

 ――だが、今回の我々が情報を握った事象に対して、一組織では対処し切れないと判断した。

 ――故に、志しを共にする精龍の加護を受けし同志諸君に協力を願うものである。


                         火龍の高巣(バーンクルス) 統括代表ウラジル=ハーティア』


 その内容を額面通りに受け取り、今クリフトが話した内容と合わせて考えれば、弾き出される事実は一つ。

 すなわち、帝国による流民街に対する大規模な武力行使が行われる、ということだ。

 俄かに信じることが出来ず、レゾが眉間に皺を寄せて思案する素振りを見せると、クリフトはそれ以上は猶予を与えずに一歩前に出た。


「今すぐに理解と納得を得られるとは思っていない。だが、それを待っている時間があるわけでもない。重ねて言うが、君たちの身柄を一時的にで構わないから、我々に委ねて欲しい」


 言葉から威圧感は消え、そこにあるのは歴戦の風格を持つ真摯な男の声だった。そしてクリフトがレゾの前から身を引いて、床に崩れ折れているレオリスへの道を開ける。

 二人は一度クリフトの顔に視線をやってから、すぐにレオリスの元へ駆け寄った。


「レオリス、大丈夫か?」


「レオリスっ! 平気!?」

 

 人体の急所に二打の痛打を受けたレオリスは、未だに立ち上がることが出来ず目の焦点も合っていなかった。三人の中でも一番頑丈なレオリスが、たった二撃の痛打を受けてこの状態になったことを見て、レゾは改めて自分達とクリフトやゼクターたちとの実力の違いを思い知った。


「さぁーて、話がまとまったところで、とりあえず移動するか」


 座っていた粗末な椅子をギィっと鳴らしてウラジルが立ち上がると、クリフトが急に今までで最も険しい表情をして周囲に視線を走らせた。

 何事かとその様子をレゾたちが見上げ、ウラジルが怪訝そうな顔をする。


「クリフト様?」


 ゼクターが一同を代表したかのように声を掛けると、クリフトは無言で素早い動きでゼクターを右手で制して更に眉間に皺を寄せる。一同はその行動で、クリフが耳を澄ませているのだということに気づき、言葉を発さずに同じように耳を澄ませた。

 室内は異様な静けさに包まれ、誰もがクリフトが何の音に対して警戒しているのかすら分からずに、ただ声を殺して聴覚を研ぎ澄ませた。

 そして最初にその異変に気づいたのは、この中で最も五感に優れているラナルゥだった。


「震動が近づいてきてる……」


 ラナルゥの漏らした言葉に、部屋にいた全員の視線が集まる。

 ウラジルがクリフトに視線を向けると、クリフトはラナルゥの言っていることを肯定して頷いた。すると、ウラジルはすぐに床に身を伏せて、敷かれているカーペットを剥ぐって板張りの床に耳をつけた。

 すると、すぐにその耳に僅かな震動と規則的な音が聞こえてきた。


「これは……おいっ!」


 音はその発生源が徐々に接近してきていることを知らせており、この帝都に住む者で――いや、この流民街に住む者の中でこの震動(・・・・)に覚えの無いものなど居はしないだろう。

 その音は常に破壊と殺戮を呼び、人々に絶望と悲哀をもたらして来た。


 地面を踏みしめる重音と共に、脚部の圧力噴射が白い蒸気を吐く。規則的に踏み出される歩みは、舗装の甘い石畳を容易く踏み砕き、人々の悲鳴を蹴散らして疾走する。元々走るよりも跳躍することを得意とする機体ではあるが、それでも走る速度は馬よりも格段に速く、高回転する脚部の駆動から自身の属する属性を物語るように赤い炎を噴き上げて、夜闇の中をまるで地獄の魔獣であるかのように駆けて行く。

 赤炎を纏ったそれは目的の場所を視認すると、脚部に力を込めて一気に跳躍する。

 


 その一連の動作から次に何が起きるかを悟ったクリフトが叫んだ。


「伏せろぉぉぉっ!!」


 直後、館は凄まじい爆音と震動に包まれ、部屋にいた全ての人間がその衝撃によって吹き飛ばされた。

 クリフトはウラジルを、ゼクターはリサを庇うように床に伏せ、レゾとラナルゥもレオリスに被さる様に身を伏せた。爆発といっていい衝撃に遭い、室内は滅茶苦茶になっていた。

 轟音で耳鳴りがする中、レゾが上半身を起こすと背中に乗った木材の破片や壁材の欠片が床に滑り落ちる。自分の下にいたラナルゥとレオリスが無事であることを確認して安堵すると、一体何が起きたのかを確認するために顔を上げると、部屋の東側外に面して窓があった壁が天井ごと崩れ落ち、そこに一対の赤い灯光を光らせてレゾたちを見下ろす巨体があった。


 鈍い光沢を放つ金属が冷たい光を放ち、重厚な駆動音を蒸気の排出音が掻き消す。館の屋根を踏み抜いて部屋の中へと落下してきたそれは、赤い光を放つ眼光を鈍く灯して無機質な視線を向けてくる。

 現在、世界のあらゆる戦場で帝国の敵兵を恐怖のどん底に落としている存在。


 龍型機甲騎兵――龍騎兵(ドラグーン)アレス。


 その搭乗者は部屋にいる面々を見て、操縦座に座っている男――エイティス=ケイティーフィールは裂ける様な笑みを浮かべた。


「これは、どうやら僕にも運が向いてきたようだ……いや、必然かな?」


 目の前のアレスから聞こえてきた聞き覚えのあるその声に、レゾとクリシュは驚きに目を見開く。そして、か細い呼吸を続けながらも、ようやく五感が戻りつつあるレオリスはエイティスの声を聞いて奥歯を噛んだ。


                 ◇◆◇


 太陽が完全に沈み、帝都は夜となった。

 帝都は中心である王宮を除けば、内縁街よりも外へ行くほどに明るくなる。

 内縁街には街灯が敷設されており一定の明るさを常に保っているのだが、表面的な明るさ以前に内縁街には人通りがなく不気味なほどの静けさに包まれていた。

 外縁街は帝都の名に相応しい喧騒で、街灯と家々のランプが通りも建物も明るく照らし、世界で最も栄える国の都で営むに相応しい生活を光として放っていた。

 流民街は規模も然ることながら、街のほぼ全体でかがり火を焚いているせいもあってとても明るい。帝都を初めて訪れる者はその明るさに驚く。そして夜に移動を行う者たちは、この明るさを頼りに方向を見失うことなく帝都を目指し、その明るさによって魔物が寄り付かないことを利用して開門前の外壁で野営をする。


 周囲の喧騒は人々の明るい声に満ちている。

 その喧騒を下に聞きながら、クロウシスはレッサーデーモンの穴の空いた頭部から腕を引き抜いた。血と脳漿が滴り落ちる腕は炎に包まれて一瞬で清潔な状態になる。

 濁った目で虚空を睨むレッサーデーモンの頭部に空いた穴からは、焼き焦げた臭いを含んだ白い煙が細く立ち上っている。

 死んだ生物から記憶などの情報を得るのに、脳に直接触れて電流を流し既に死んでいる状態にある脳に無理矢理電気信号を流させて、そこから情報を読み取るという乱暴な手段なのだが、喋れない生物から情報を得るならば極めて有効な手段と言える。


 だが、今回は結果的に有力な情報は得られなかった。

 レッサーデーモン自体も簡易契約によって召喚された存在で、召喚したのは王宮内にいる宮廷魔道師の一人ということは分かったが、その程度のことは予想の範疇であり、視覚情報も読み取ってみたが、そこから得られた情報も瑣末なものだった。


 今クロウシスがいるのは外縁街にある鐘楼塔の一つだった。

 最初から大した期待はしていなかったが、しょせん番犬代わりのレッサーデーモン如きが有益な情報を持っているわけわなかった、ということだ。

 いよいよ直接的に王宮内への侵入も考えなければ埒が明かないとクロウシスが思い始めていると、不意に遠くから爆発音が聞こえた。

 視線を爆発がした方に向けると、そこには巨大な壁が起立している。炎も煙もまだ厚い壁に阻まれて見ることは出来ないが、爆発は壁――外縁壁こと民壁の向こう側である流民街で起こったようだ。

 

 爆発が起きた瞬間はそちらに目線を送ったが、すぐにクロウシスは視線を切って王壁がある方へと向き直る。帝都へ来てから一半月近く経つが、流民街での爆発はそこまで珍しいことではない。

 爆発が起きる原因は色々推察出来るが、それが軍によって行われたものであろうと、流民街に住む人間同士 起こしたものであろうと、それに干渉するつもりはなかった。

 帝国が流民街に対して非人道的な行いをしているのは知っていたが、それの全てに介入していては本来の目的を果たすことに支障をきたすだけでなく、介入する回数を重ねれば帝国側に警戒される恐れもあり、場合によっては正体の露見にも繋がりかねない。

 ここで言う正体とは黒龍――ではなく、クランガラクの森やバーンアレス島に現れた英霊精龍(カーディナルドラゴン)のことを指す。


 安易な感情で行動し、人助けに精を出し続けるわけにはいかない。

 万人を廃し、総じて見捨てるつもりはないが、あの街に住む人間はある程度の覚悟は持って住んでいる。故にクロウシスも騒ぎが起きたからといって駆けつけるような真似はしなかった。


 爆発は一度きりの単発で続くことはなかった。

 持ち込んだレッサーデーモンの頭部を処分して、再度王壁へ向かおうとした時、不意に服の中でジっとしていた旅の連れ合いがモゾモゾと動き出した。

 クロウシスが眉をひそめていると、背中を伝って昇ってきた白龍トリヴァリアスアルテミヤが首と衣服の隙間から顔を覗かせ、澄んだ銀色の瞳でキョロキョロと周囲を見渡す。

 基本的に食事の時以外は、クロウシスの服の中で眠りこけている連れ合いの珍しい行動を見守っていると、トリヴァは先ほど爆発があった方角をじっと見ていた。


「トリヴァリアス?」


 クロウシスが名を呼ぶと、トリヴァはススッと五十センチほど体を露出させると、体を垂直に起立させて更に爆発が起きた方向を見ようとする。その行動にクロウシスも只ならぬものを感じ、再び体を反転させて爆発が起きた方向へと体を向けた。

 今までも流民街から爆発音が聞こえたことが幾度と無くあった。

 それは毎日とまでは言わずとも、三日に一度の頻度で大なり小なりの爆発や暴動による騒音が起こる。流民街とはそういう街であり、今回は比較的大きな爆発音だったことは確かだが、その程度の変化にこの白龍の幼生が反応するというのは考え難かった。

 であるならば、この白龍の行動にはそれなりの意味があるということになる。


 爆発による火災で生じた黒煙が壁の向こう側から立ち上り始めた。

 それを見ながら背中から這い出ているトリヴァに視線をやると、白き龍はいつも通り何を考えているのか読み取れない顔で銀色の瞳を瞬かせていた。

 クロウシスはトリヴァが見つめる方向へ視線を向きなおすと、幾つかの推論を頭の中に並べてこの白龍がこういった態度を示す理由を模索すると、すぐにその答えに行き着くこととなる。


「――そうか、あの三人か」


 クロウシスが小さく呟くと、トリヴァはその言葉に反応したかのように垂直に伸ばしていた身体をスルスルと回してクロウシスの後ろに回ると、その後頭部を口先でツンツンと突いてきた。

 己の意図を察してくれたクロウシスをせっつく様に突く白龍の頭を片手でポンポンと叩きながら、クロウシスは後ろに垂らしていたフードを目深に被ると、視線を鋭くする。


 内縁街で騒ぎを起こして罠に嵌められたことから、若くも賢しいあの参謀役の少年がすぐに同じ轍を踏みに内縁街へと来るとは思っていなかったが、流民街で騒ぎの渦中に巻き込まれているというのも意外と言えば意外だった。

 だが、トリヴァが単に興味を抱いただけの人物にこんな反応をするとも思えない。

 その在り方や力の質が違えども、この幼龍は他ならぬ白龍なのだから。

 そう考えれば、あの三人と出会ったことも何かしらの強い運命だったのかもしれない。


 何よりも、クロウシス自身があの三人のことを、見捨てるには惜しい――程度には気にかけていた。


 頭をやんわりと叩かれたトリヴァは素直にクロウシスの懐へと戻り、クロウシスは左手に生み出した指向性の高い炎をレッサーデーモンの頭部に放つと、周囲に延焼せずに目的のものだけを焼き尽くす炎が鐘楼内を明るく照らす光を背に、爆発が起きた流民街の方角に向かって跳躍した。


                  ◇◆◇


 アレスによる着地点への炎弾攻撃によって燃える館。

 流民街の一角は、突如として現れて攻撃を行った龍騎兵(ドラグーン)アレスによって恐慌に陥っていた。

 現れたアレスは一機だけだが、その一機が問答無用で攻撃を行ったのを見ており、周囲にいた人間は巻き込まれまいと全力で逃げ出していた。


 炎弾が着弾したことによって炎上した館は、アレスが着地したことによって崩れた天井や壁が消火剤として機能してそこまで大規模な火災にはなっていない。

 それでも燻る火の粉が大部分を木材で作っている館をジリジリと燃やしている。


 鉄よりも遥かに強固で堅牢な装甲に包まれた身体は、生命の温もりが感じられない冷たい光沢を放ち、その身体が燻り燃える炎の輝きを怪しく反射させる。

 ずんぐりとした身体は、その大半が火龍の口を模した大きな発射口で出来ており、両サイドに付いた大きな赤点が目として鈍く怪しい光を宿している。


「なかなか豪華な面々が揃っているね……」


 民壁の警備部隊をドリアムの名で締め上げ、有力な抵抗組織が保有する支部を片っ端から叩いてレオリスたちの居場所を尋問して回ろうと散開したところ、エイティスが最初に当たった場所にレオリスたちが居たのである。エイティスで無くとも、自分に運が回ってきていると思うのは当然だろう。

 ましてや、そこにはレオリスたちなど比べ物にならない大物(・・)がいたのだ。


 エイティスは出世に繋がりそうな指名手配犯の顔は全て覚えている。

 敵が多く、同様に裏切り者も多い帝国の数多いる手配犯の中でも、上位に位置するその男の名は――クリフト=ヴァルシミク。

 抵抗組織に与して流民街に潜んでいるという噂は耳にしていたが、まさかこうも都合のいい状況で遭遇できるとは思っていなかった。この男が帝国にもたらした被害も小さくはないが、何よりも反帝国側にとって精神的主柱の一人とされている人物なのだ。


 エイティスの乗るアレスに最も近い位置で見上げているのがクリフト、その右斜め後方にも何処かで覚えのある男と顔を青ざめさせた女がいた。

 その男が誰であるかを思い出し、ますますエイティスは笑みを深くして漏れ出す笑いを堪えきれなくなっていた。

 アレスの炎弾直撃時か、アレス自身が屋根と壁を押し潰して侵入してきた際に女を庇ったらしく、男は頭から出血しており顔の右半分を朱に染めていた。

 その男はエイティスの記憶が正しければ、ウラジル=ハーティア。

 帝都の汚点とも言うべき流民街に存在する数多の抵抗組織。その中で最大規模を誇る火龍の高巣(バーンクルス)の頭目である男。

 クリフトが身をよしているのではないかと疑われていたのだが、これでその疑いも決定的なものとなった。そして二人を同時に逮捕出来れば、その功績は計り知れないものとなるだろう。

 何しろ流民街は面積的には内縁街と外縁街に匹敵するほどに広大で、その上混沌としている。そこから人一人を見つけるのがどれほど困難なことかは、未だに多くの手配者が流民街に潜み拘束されていないことが物語っている。


 そして、何よりも――ある意味、大物手配者であるクリフトとウラジルがそこに居ることよりもエイティスの笑みを深くさせたのは、部屋の一番奥で執事と思しき服を着た男の側にいる若い三人組の存在だった。

 煤と土ぼこりに塗れていつも掛けている丸眼鏡がずり下がっているレゾ。その脇で青い顔で側に伏しているレオリスを守るように、ラナルゥがギュッと服を掴んでいた。二人に守られるようにして膝立ちで床についた腕を震わせているレオリスは、エイティスの目から見ても痛打を受けて消耗しているのが見てとれた。


「なかなかいい様じゃないか、ケリン。大方僕に殺されるのが怖くなって、こいつらに助けを乞いに来て逆に痛めつけられたってところかぃ?」


 そうでないことは分かったいたが、エイティスはわざとレオリスを小馬鹿にした口調で侮辱した。

 圧倒的に優位な状況は前回と変わりはしない。

 エイティスは龍騎兵に乗り、仲間としてさらに二機の龍騎兵を従えている。そして相手は生身の学士崩れの愚か者三人に、巨大抵抗組織を率いる二人の男とそのメンバーと思しき女が一人。従えている組織が如何に巨大で強くても、その首魁に王手をかけているこの状況では非力な人間でしかない。


 部屋の中にあの(・・)黒衣の男がいないことは残念ではあるが、レオリスたちを捕まえて痛めつければその内姿を現すかもしれない。そうすれば、あの時の借りをたっぷりと返してやれる。

 自分の完璧だった計画を邪魔した男の姿を思い出しつつも、龍騎兵に乗ったエイティスは自身の絶対的な有利さを疑うことはなかった。


「おいおい、何か随分若い声だけどよぉ……もしかして知り合いかね?」


「えぇ……まぁ、学士時代の腐れきった縁みたいなものです」


 ウラジルの問いかけに、レゾが心底うんざりした声で答える


「おい、そこのお前」


 龍騎兵アレスの前面部についた索敵灯でエイティスが照らしたのは、自分に最も近い位置にいたクリフトだった。


「貴様は裏切り者のクリフト=ヴァルシミクだな?」


「俺を知っているのか……」


 クリフトに面が割れていることに、クリフトは小さく呟く。

 自身の名が割れているならば、クリフトにとってはむしろ都合のいい状況だった。何しろ自分には生死問わずの法外な懸賞金と共に、軍人であれば生きて逮捕すれば出世へ繋がる大手柄が約束されているのだ。だからクリフトのことを知らずに殺しに来る輩よりも、むしろその価値を知っている人間の方が御しやすい。


「そこにいる三人にお前たちを拘束させる。抵抗すれば――」


「殺す、という脅し文句に屈するつもりはない」


 自分の言葉を遮られその上否定までされたエイティスは、『ギリッ』と奥歯を擦り合わせる。そして龍騎兵アレスの主力武装である『火龍砲』をクリフトではなく、向かって右側にいるウラジルとリサに向けた。


「誰も貴様を殺すとは言ってはいない。代わりにそこにいるウラジル=ハーティアを火炙りにしてやろう。それで足りないというなら、僕の部下に指示を出してこの汚れたゴミ溜めに住む薄汚いネズミ共を無差別に焼き殺してやる。まさか出撃した龍騎兵がこの一機だとは思っていないだろうな?」


 ウラジルの面も割れていることを先回りして告げつつ、その上で流民街最大の抵抗組織であウラジルを殺害しても構わないと言い放つ。しかもそれでもなお抵抗するなら、流民街に住む関係のない人間を殺して回るという狂気染みた発言に対し、クリフトもウラジルも眉をひそめた。


「随分と強権をお振るいになられているが、あんたは随分と若いようだ。今回の出撃はいったいどういった名目でいらっしゃってるんですかね?」


「優秀であれば若くともそれなりの権限と部隊は任せてもらえるのさ。ただまぁ……出撃の動機が知りたいというなら教えてやらないでもない」


 ウラジルの探りを入れる言葉に対し、エイティスは傲慢な態度で答える。

 帝国軍の中でも龍騎兵の運用については特に厳重な管理がされており、派兵する際は元老院の認可を必要とするほどである。帝都内の運用であれば多少の融通が利くとはいえ、レオリスたちと同じ歳の若造に龍騎兵三機を簡単に委ねるとも思えなかった。

 ウラジルの疑問に対し、エイティスは操縦座で薄笑いを浮べて、その視線をエイティスから最も離れた位置でこちらを見上げている三人組に向ける。


「おい、雌犬。その被り物を取れ」


 その言葉にレゾの後ろにいたラナルゥがビクっと体を強張らせた。

 エイティスの意図を理解したレゾが、その悪辣な手口に呻いてエイティスの乗るアレスを睨みつけるが、そんな視線が逆にエイティスの笑みを益々深くさせる。


「とっとと取れ。相変わらず頭の回転が遅いな、これだから下等な種族に命令するのは嫌になる」


 辛辣で悪意と侮蔑に塗れたその言葉に、ラナルゥは震える手で被っていた茶色い帽子をギュッと押さえて体を震わせた。その様子を見て、エイティスは苛立たしげに声を荒らげる。


「何度も言わせるなっ! それともお前の下らない羞恥心のせいで人が死ぬのを見たいのかっ!」


 エイティスの恫喝にまた体をビクっと震わせたラナルゥは、ギュっと目を伏せて被っていた帽子を震える手でずり下ろした。

 その様子にレゾは悔しげに呻き、龍の高巣(バーンクルス)の面々は目を見張った。

 帽子を取ったラナルゥの頭部には、赤い髪と共に一対の獣の耳が存在していた。黒みかかった銀色の体毛を生やした三角の耳は、今は本人の心情を反映してヘンニャリと垂れており、泣きそうな顔をしたラナルゥの体と一緒に震えていた。


「獣人族!? ということは、あの差別主義者共の差し金か……っ」


 ウラジルが珍しく言葉を荒らげて罵りの言葉を吐いた。その様子にレゾは一瞬違和感を覚えてたが、それよりも今は恐怖と羞恥に震えるラナルゥの前に立って、その姿を人目に晒さないようにした。


「見ての通りその雌犬は下等な獣人族だ。現在帝国は帝都に人間以外の居住――いや、生存を認めていない。よって我々はそれ(・・)の捕獲もしくは処分の命を受けている」


 帝都サルディアを始めとする人間たちの生存圏である中央グリムティア大陸から南へ、海を越えた先にあるのが南方大陸イルムコレナ。

 そこで最も繁栄してるのが獣人族であり、本来獣人族は『蒼儀齢』と言われる年齢に達すると完全な人化と獣化、そしてその間に位置する獣人を基本形として姿を自在にコントロールすることが出来るようになる。

 だが、ラナルゥは蒼儀齢の年齢に達しても完全な人や獣の姿を取ることができず、獣人としても頭部に獣の耳のみが発現し続けるという中途半端な姿となった。その為、種族差別が再燃した帝都では常に帽子を被っており、自身も自分の半端な姿に対してコンプレックスを持っていた。


「事情は呑み込めたな? ならば、さっさとその三人に拘束されてもらおうか。もう一度言うが、抵抗する意思を見せれば街に対して無差別攻撃を行う。命令を出した将軍からは一区画程度ならば焦土に変えてもいい言われている。容赦するつもりはない」


 帝国軍でも長年捕まえることが出来なかった相手に対し、圧倒的優位に立っている状況にエイティスは酔い始めていた。龍騎兵という攻防一体となった最強の鎧に身を包み、巨大な組織を束ねる人間を弱者として見下して命令し、生身同士であれば優位であろう彼らを元学士の三人を使って拘束するという、この場を支配している揺ぎ無い事実に笑みを深めた。


 まだ動きの取れないレオリスと、獣人である自分がこの状況を作り出した要因だと知りショックを受けているラナルゥでは無理だと判断し、レゾが立ち上がると火龍の高巣(バーンクルス)の面々はその動きを全員が目で追っていた。

 どうすることが最善なのかレゾにも分からなかったが、このままレゾたちが動きを見せなかったらあのイカれた男は本当に流民街に対して無差別な攻撃を行いかねない。あの鼻持ちなら無い高慢な男がその程度の狂気を持ち合わせているのは、この間のことで十分に分かっていた。


「レゾくん……?」


「うん……大丈夫だよ」


 無理に笑おうとするが、顔面が引きつるのをレゾは誤魔化せずにいた。

 まだ腰の剣帯を取り付けたままだったクリフトがチラリとウラジルに視線を送ると、ウラジルは小さく頷いた。それを確認してから、クリフトは小さく息を吐いて剣帯を取り外した。

 ガシャンという重い音と共に剣帯ごと剣が地面に落ちる。


「貴様ほどの者ならば銃くらい携帯しているだろう。それも出せ」


 エイティスの言葉にチラリと背後に鋭い視線を送りつつ、クリフトは懐から拳銃を取り出してマガジンをスライドさせて床に落とし、続いて拳銃本体も床に落とした。

 それを見て満足そうに笑みを浮かべると、視線を部屋の奥へと向ける。

 いまだに顔を伏せて蹲るレオリスとその側で露出した獣の耳を伏せてうな垂れるラナルゥ。その二人を見て、エイティスは面白いことを思いついたとばかりに、その二人の背後にいるゼクターに目を向ける。


「そこの執事。ケリン――そこに蹲ってるゴミをその状態にしたのは貴様か?」


 その悪意に満ちた声音に嫌悪感を抱きながらも、ゼクターは一瞬ウラジルに視線をやるもすぐに無言で首肯した。その答えに薄ら笑いを浮べながら、エイティスは操縦桿に腕をついて狂気的なことを言い始める。


「ほぅ? いったいどうすれば、その頑丈なだけが取り得のゴミがそんな風になるのか、僕に見せてみろ」


 その言葉にレゾとラナルゥが驚きに目を見開き、火龍の高巣(バーンクルス)の面々は眉をひそめる。

 クリフトにとっては慣れた光景だった。

 龍騎兵(ドラグーン)という乗り込んで操縦が出来れば、圧倒的な力を持って他者を蹂躙できる力。その力を得ると、人は増長し狂気を孕んで化け物となっていく。

 戦場に広がるそんな光景に嫌気が差して、クリフトは帝国軍を去り帝国に反旗を翻したのだ。


「どうした? 出来ないというなら出来るように後押しをしてやろうか?」


 遂に言葉にさえ愉悦を含んだ声音が混じり始め、エイティスがこの状況を弄ぼうとしているのは確かだった。


 階下で人がバタバタと走り回る音や怒声が聞こえてくるが、龍騎兵が屋根と壁をブチ抜いて館に取り付いているのは外からでも分かるだろう。

 侵入されている部屋に組織の長であるウラジルとクリフトがいることは分かったいたが、敵を下手に刺激しては二人の身に取り返しの付かない危害を加えられかねない状況に際し、館にいた火龍の高巣(バーンクルス)の構成員たちは迂闊に手出しが出来ない状況にあった。


 ゼクターは一度目を瞑り、葛藤で僅かに眉間を痙攣させると、この場で自分が何よりも優先すべきことはウラジルとクリフトを守ることだと自身に言い聞かせた。そして目を開けると、その目には最早迷いはなく数歩先で床に蹲るレオリスへと歩を進めた。

 ゼクターがその気になったことに喜色を浮かべ、エイティスはまるで演劇でも観るかのように前方のモニター越しに広がる光景に首を伸ばしたが、その顔がすぐに不満なものへと変わる。

 レオリスに近寄ったゼクターの前にラナルゥが膝立ちで両手を広げ、レオリスを守るように割って入った。

 切羽詰ったその顔からは言葉はなく、床に接している膝はガクガクと振るえ、露出した獣の耳は内側が見えなくなるほどに伏せっている。

 恐怖と悲しみに震えながらも、女の身で仲間を守ろうとする姿勢に共感と敬意を抱くが、ゼクターも主に仕える身としての責任と矜持があった。葛藤を呑み込んで、ゼクターは右手を平手の形で振り上げた。そしてそれをラナルゥに振るおうとした瞬間、二つのことが起きた。


「ゼクターッ!!」


 室内に響いたウラジルの怒声。

 そしてラナルゥを押しのけて、平手を繰り出した腕をレオリスが掴んでいた。

 ウラジルに制止されることはある程度予期していたが、寸止めしようとした腕をレオリスに掴まれたのは予想外だった。ゼクターの手応えでは、常人であれば数時間はまともに動けないほどのダメージをレオリスには与えていたはずなのだ。


「女に手を上げるんじゃねーよ、執事のおっさん。相手が欲しいなら俺がなってやるぜ……」


 声音からしても受けたダメージは今でも十分に引きずっており、消耗した体を無理矢理に起こしていることはすぐに分かった。だが、下からゼクターを見上げて睨みつける眼光は鋭く、吐く息は異音交じりの荒いものであるにも関わらずゼクターの腕を掴んだ手は、手首を握り潰さんばかりに力が込められていた。


「茶番は沢山なんだよ、ケリン。無様に伏せていればい――」


「煩いんだよ、ゲス野郎。偉い父上にお借りした部隊を取り上げられたからって、今度はどっかの将軍に尻尾振って玩具を借りてきたのか? それでよくラナのことをバカにできるもんだな。てめぇこそ汚いケツを鏡でよく見てみろよ、尻尾が生えてるんじゃねーのか?」


 エイティスが自分の言葉を遮られることを嫌うことを知っているレオリスは、わざとエイティスの言葉を遮って罵ってやった。その効果は抜群で、エイティスは操縦座で怒りに身を震わせる。

 そこへさらに横合いからウラジルが続く。


「さっきから見てたらよ、お前さん小さいねぇ……小物臭が龍騎兵(ドラグーン)の中から漂ってきてるぜぇ? やだねぇ『無能』なのに出自と育ちのせいで自分が有能だと勘違いしてるなんて……憐れで仕方がねぇぜ」


 これまで多くの人間と関わってきたウラジルは、その経験からある程度話を聞いていればその人物の性格や気性を把握することが出来る。そしてその人物にとっての心理的な逆鱗とも言うべき言葉を当てることも、ウラジルにとっては容易いことだ。

 特に目の前にいる龍騎兵(ドラグーン)に乗った少年は、ウラジルに言わせれば非常に分かり易い類の人物であり、怒らすことなど赤子を泣かせるのと大差ないことだった。


「どうした? 図星を突かれて言葉もでねぇのかぃ? これだから戦場にも出たこともない『無能』な若造はいけねぇな。俺に言わせれば、こっちにいる坊主らの方がよっぽど肝が据わっていて有能だね。それに比べればお前さんはおつかいも任せられそうにもないね。なにせ『無能』だからなぁ?」


「――殺すっっっ!! こ、殺してやるっ!」


 ウラジルの狙い通りエイティスは激昂した。

 龍騎兵アレスの火龍砲をウラジルに向け、その砲内に炎性魔力で赤く輝き始める。


「クリフ、ゼクター」


 エイティスの主な狙いが自分であることを知っているクリフトが、ウラジルとアレスとの射線上に動こうとするもウラジルの声に動きを一瞬止める。ゼクターも同様で助けようと動こうとしたが、ウラジルの声に思わず体に制動が掛かってしまう。


「後事は託す。上手くやれよ?」


 ニヤっと笑みを浮かべたウラジルの意図を察して、クリフトが止めていた足を動かして射線上に割り込もうとするが、そのクリフトに向かってウラジルは側にいたリサを突き飛ばした。

 不意に突き飛ばされたことで足元をフラつかせたリサを避わすわけにもいかず、クリフトが足を止めてリサを抱きとめると、その向こう側でウラジルの笑みが見えてクリフトが叫ぼうとした時、予想外のことが起きた。


「死ねぇぇぇ――なんて、言うと思ったか?」


 火龍砲に満ちた炎性魔力が輝く中で、エイティスは突然アレスの向きを変えて驚くウラジルの顔を尻目に、部屋の奥に向かって巨大な炎弾を発射した。

 直径が二メートルはある炎弾はクリフトの背後を通過し、ウラジルの視線を横切って部屋を朱に染めながら横断して、レゾが反射的に飛び退って射線上から抜け出たが、そこでレゾは自分の背後――炎弾が向かう先を思い出して顔を青ざめさせて振り向いた。

 炎弾は木目の床を焼いて火の道を作りながら、真っ直ぐにレオリスとラナルゥ、そしてその背後にいたゼクターに迫った。レオリスが剣を捨ててラナルゥに飛びかかり、地面に腰を抜かしたように蹲っていたラナルゥに被さるようにして床に伏した。初めは射線外に飛び退って避けようとしたゼクターだったが、レオリスの行動を見て一瞬の思考の後、ゼクターはレオリスたちの上に覆い被さった。


 エイティスの攻撃は明らかにあの場で咄嗟の判断と行動がとれなかったラナルゥを狙ったもので、そこを狙えばレオリスが命を捨ててでもラナルゥを助けるという愚かな(・・・)行動に出ることをエイティスは分かっていた。そこに執事が加わったのは予想外だったが、ウラジルやクリフトに対して精神的な打撃や自分に対する舐めた態度を改めさせることが出来るのなら、思わぬ成果となるだろう。


 メインモニター越しに炎弾が着弾し、その炎の輝きを増して視界を白く染めるのに合わせて、エイティスは目を瞑る。


(ケリンと執事が雌犬を庇ったようだが、人間が二人被さったところでアレスの炎なら十分に三人まとめて消し炭にできる。まったく愚かな奴らだ……反吐が出る)


 これであの下品な下級将軍との約束も果たせた――たとえ帝都の末端であろうとも、下賎で下等な獣人の存在など許してはいけないのだ。後はあの女と流民街の住民を交渉材料に、クリフトとウラジルを拘束すれば全てが丸く収まる。

 この功績を手に自分は大きく飛躍し、帝国の上層へとその階を駆け上がる。

 父が三十余年を費やして昇った地位など、すぐに追い越してやる。そして自分を無能などと言ったことを後悔させる。帝都最年少での将官入りを果たし、必ず帝国軍を率いる存在になってみせる。


 輝かしい未来に口元が緩むのを自重できず、まずは学士時代の汚点が燃えカスになったのを見ようと目を開くと、目の前に広がる光景にエイティスは驚愕した。


                  ◇◆◇


 猛然と迫る龍騎兵(ドラグーン)アレスから発射された炎弾。

 極度の緊張と恐怖、自身の隠していた獣人族の耳(コンプレックス)を露見させたことで開く精神的傷痕。その全てがラナルゥの足から力を奪い、立ち上がることが出来なかった。

 迫る炎の塊を呆然と見つめていると、横合いから抱きすくめられて地面に押し倒された。驚きに目を見開いて顔を身動ぎさせると、ラナルゥの頭を掻き抱いたレオリスの顔が見えた。


(レオリス……)


 必死な顔をして自分を抱きしめて、炎弾から身を挺して庇おうとしてくれているのが分かり咄嗟にレオリスを押しのけようとしたが、腕に上手く力が入らなかった。

 自分はいつもお調子者で、でも肝心なところではいつも足手まとい。

 二人を守ってあげたいと思っても、いつも二人に守られてばかり。

 さっきもエイティスに理不尽な命令をされて、レオリスを殴ろうとしたゼクターの前に出たが、膝は震えて制止の言葉も出すことが出来ずにただ首を横に振ることしかできなかった。

 迫る炎弾の熱量を肌がチリチリと感じる中で、被さっている圧力が急に増したことに驚くと、視界の隅で白い手袋をした手がラナルゥとレオリスをまとめて掻き抱くようにするのが見えた。


(何だ、やっぱり良い人だったんだ……)


 レオリスに酷いことをした人だけど、ラナルゥに向かって手を振り上げた時に見た目には、躊躇と悲しみが感じられた。


 どうして世界にはこんなに良い人ばかりなのに、皆がそうなれないのでだろうか?

 小さな幸せだけを求めて、互いに助け合い求め合えば、きっと世界はいつだって幸せに満ちるはずなのに。

 現在帝国によって侵攻されている故郷の家族のことを思い出して、その安否を思うと胸が張り裂けそうではあったが、罰当たりにも自分が人の優しさに抱かれて死ねることに、ラナルゥは安堵した。

 暴力的な炎によって蹴散らされて焼き尽くされる瞬間を思い、ラナルゥもレオリスにギュっとしがみ付いてすぐに訪れるその時を待った。

 だが、いつまで経ってもその瞬間は訪れなかった。

 不意に重さと圧力が和らいで、ラナルゥが恐る恐るうっすらと目を明けると、そこには不思議な光景があった。


 炎弾はゼクター、レオリス、ラナルゥを呑み込んで部屋の奥に着弾し爆発したはずだった。だが、直径二メートルの炎弾は壁どころか、三人にすら到達せず部屋の中で止まっていた。

 燃え盛る火球となった炎弾は、床に敷かれた絨毯と床の木材を焼きながら、火柱のように形を変えて天井を炎が炙りっていた。

 部屋にいる全ての人間が、何が起こっているのか分からずに呆然としていると、不意に炎がその勢いを弱めて終息し始め、縮小する炎の中に人影が見えた。


「……あっ」


 思わずラナルゥの口から声が洩れた。

 知っている。

 レオリスもラナルゥも、その背中を知っていた。


 鉄さえも溶かす龍騎兵(ドラグーン)アレスの炎の中で、その人物は炎弾に横合いから飛び込んで炎性魔力の主導権を奪ったときと同様に、その性質を弱めて魔力を散らしていく。

 そこから除いたのは黒い外套に身を包んだ背中、右手には一振りの剣。フードを頭部をすっぽり覆うほど目深に被り、口を開けた顔の部分は黒い霧のような闇が滞留し、その表情どころか顔すら見ることができない。ただ一つ、その闇の中で一対の黄金の輝きを放つ光が、まるで霧の深き闇夜を漂う幽鬼のように亡っと光っていた。


 周囲で燃える炎はその人物の全身を包んでおり、通常であれば火だるまになっているはずなのに、その人物――クロウシスは全身を包む炎になど一切気にした風はなく、徐々に収まる炎の中から目の前にいる龍騎兵アレスを見ていた。


「クロウシス……さん」


 レゾが呆然と呟くと、その後ろにいたウラジルが目を見開いて、もう一度クロウシスに視線を向ける。

 直撃すれば帝国の戦車すら破壊する炎弾に被弾したはずなのに、その体どころか服にすら燃えている様子は見受けられない。

 炎が終息して完全に姿を現したクロウシスは、全身を隈なく包む黒の外套が暗殺者か魔道師を彷彿とさせるが、ゆっくりと周囲を見渡すように顔を向けられた時、その闇の吹き溜まりのような顔の部分で光る一対の光を目にした瞬間、背筋が凍りそうなほどの悪寒と全身が総毛立つような衝撃をウラジルは受けた。

 グルリと部屋の中を見渡すように首を巡らせる中で、その鈍く輝く黄金の光を見てリサが先ほどウラジルが感じた以上の恐怖を覚え、その感情に負けて叫んでしまった。


「ゼクターッ!」


 守る為に被さっていたラナルゥとレオリスから退いて、突然現れたクロウシスの異形に言葉を無くしていたゼクターだが、リサの叫びに反応し咄嗟にレオリスたちに手を伸ばそうとした瞬間、クロウシスが踵を返してゼクターに襲い掛かった。


「リサ!? くそっ――止めろゼクターッ!!」


 ウラジルが制止を呼びかけるが、既に状況は止められない流れに陥っていた。

 尋常ではない速さで接近するクロウシスに対し、ゼクターはこのままでは自分の手がレオリスたちに触れる前に斬られると判断して身を引くと同時に懐から二本のナイフを取り出す。

 瞬く間に間合いを詰めたクロウシスの横薙ぎの斬撃を右手に持ったナイフで受けたが、手首が折れそうなほどの衝撃と共にナイフの刀身が砕け散り、砕けたナイフの破片が幾つか顔に突き刺さる。

 左目に破片が刺さったことを自覚しながらも、ゼクターは躊躇せずに残る左手に持ったナイフを振るおうとするが、クロウシスの姿が失った左目の死角へと消え、長年の経験で予測を立てて見えない相手に向かってナイフを振るうが、左腕は空を切り何の手応えもなかった。


 ナイフを振った体勢から見える右目で消えた姿を捉えようと首を回すが、それよりも早くそして強く左の頬を鈍器で殴られたような衝撃が加わり、左側へ巡らせていた首が衝撃と共に右へと押し戻される。

 その際に顎と左側の歯が全て砕け、砕けた歯が頬を突き破ったのだが、この時のゼクターには痛みよりも顔の左から右側へと突き抜けるような衝撃に意識を奪われないようにするのが精一杯で、痛みを自覚するほどの余裕はなかった。


 左目の視力を失ったゼクターを死角から殴りつけたクロウシスの背後から、落としていた剣を拾って駆け寄ったクリフトを剣を振り上げる。

 制止したウラジルの真意はクリフトにも理解できたが、既に状況が動き始めた以上は加勢に入らなければゼクターが殺されると判断した。


 折れた歯で口の中がグチャグチャになったゼクターが(おびただ)しい量の血を口から噴き出す。そしてそのまま右の膝が折れて右側に全身が傾くが、強靭な精神力でそのまま崩れ落ちることなく踏みとどまった。

 背後から迫るクリフトに対応する為に体を翻そうとしたクロウシスは、右手に違和感を感じて視線を向けると、そこには顔の左側を変形させて口からダラダラと血を流しながらも、白い手袋に包まれた両手でクロウシスの持つ剣の刀身を握り締めるゼクターの姿があった。


 一瞬動きを止められて、その隙を突いてクリフトが剣をクロウシスに向けて振り下ろすが、今度はクロウシスが空いた左手でその刀身を掴もうと手を伸ばした。

 両手で柄を握り剣を振り下ろしながら、クリフトはクロウシスの左手を腕ごと両断するつもりで振り切ろうとしたが、その思惑はまるで鉄の塊を打ち据えたような硬く鈍い手応えに阻まれた。手の痺れと共に、血の一滴も流さずにガッチリと掴まれた刀身が現実感のない光景に映り、剣を受けた衝撃で腕が下方に落ちることさえなかった事実にクリフトは目を剥いた。


 右手に持った剣をゼクターに掴まれ、左手でクリフトの振るった剣を掴んでいる膠着した状況なのだが、その膠着はゼクターの呻き声と共にすぐさま破られることとなる。


 ゼクターが両手に付けている白い手袋は帝国軍が開発した防刃素材と、同じく魔法によって防刃の能力を付与させた特注品で、そのお陰でクロウシスの剣を握ることが出来て止められた。

 だが、その剣の刀身が目に見えて赤い光を放ち始め、無事な右目でその異変に目を見開いていると、掴んでいた刀身が不燃性の防刃手袋を焼き切るほどの熱を発し、手袋の繊維を焼き切った刀身がゼクターの両手さえも焼く。


 それと同時にクリフトの剣にも異変が起きていた。

 幾ら力を込めて押しても引いても剣はビクともせず、まるで万力にでも掛けているかのように剣が動かない。そしてクロウシスが握っている刀身から煙が昇り始め、クリフトがその異変に気づいた時には握られた部分が高温で手の形に溶け、刀身の幅が半分にまで減っていた。

 クロウシスの手と刀身が接触している隙間から眩しさを伴うほどの光が溢れ、接触面がどれほどの高温になっているかが窺える。溶けた刀身がドロドロと赤い金属の液体となって零れ落ち、床に落ちると同時に発火していた。

 刀身から伝わった熱が柄にまで達し、これ以上その剣を持っていることが危険な上、もはや剣そのものが使い物にならないことを悟りクリフトが柄から手を離して後ずさる。


 クリフトが剣を手放したと同時に、刀身の放つ熱に耐えかねて掴んでいた刀身から手を離したゼクターの首筋に剣の柄を叩き込んで意識を刈り取る。

 ゼクターが床に崩れ落ちるのを見届けもせず、クリフトとその背後にいる龍騎兵アレスへと振り向いたクロウシスは、刀身の半ばに新たな握り(・・)でも出来たかのような形となったクリフトの剣をそのまま握り潰した。

 刀身の半ばで握り潰されて砕けた剣が澄んだ音を放って床に崩れ落ちる。


 息一つ乱すことなく、言葉一つ発することなく、だが確かに存在(・・)する。

 目の前で起こった一瞬の攻防に対し、そこにいた誰しもが声を発することさえ出来ずにいたが、先に床に落としていた拳銃がアレスの炎弾に巻き込まれて溶けて変形していたので、クリフトは懐からナイフを取り出そうとするが、そこでいち早く我を取り戻したウラジルが再度声を張る。


「クリフっ!! 冷静になれっ! そいつは俺たちの敵じゃないし、そもそも敵う相手かっ!?」


 ウラジルの制止でギリギリ冷静さを取り戻したクリフトは、僅かに後ずさりナイフを落として両手を上げた。

 クリフトたちにこれ以上抵抗する意思が無いことを認めると、クロウシスはクリフトの横を通りゆっくりとした足取りで崩れた部屋の縁にいるエイティスの元へ近づく。


「――ぁぇ?」


 目の前で起こった出来事が何もかも強烈過ぎて、エイティスは思考を纏められず半端パニックになりかけていた。そもそも炎弾の突然制止、その中からあの時の男が現れた瞬間、エイティスの心臓は凍りついたかのように動きが止まりそうになった。


 一振りの長剣を片手にゆっくりと近寄ってくる男を前に、エイティスは自分の四肢が(おこり)でも起こしたかのようにブルブルと震えていることに気づき愕然とした。

 相手は単なる生身の人間で、自分は帝国が誇る武力の象徴である龍騎兵(ドラグーン)に乗っているのだ。何を恐れる必要があるというのか、アレスの火炎で焼き尽くせばいいだけの話ではないか。

 だがエイティスでも分かるほどに、目の前にいる存在が単なる人間であるようには思えなかった。いや、そもそも人間であるのかすら疑問に思える。


 さっきまでは自分がこの空間の支配者だった。

 だが、竦み上がり震える体が如実に伝えてくる。

 もうお前は支配者ではない、と。

 狩猟者から獲物に堕ち、狩る立場から狩られる立場になったのだと。


(違うっ! 僕は強者だっ! 有能で帝国に無くてはならない存在で、いずれは――)


 不意にモニター越しに、闇が滞留したフードの奥で光る黄金の輝きと目が合う。


「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ! う、動くなぁぁぁっ! 近づくなっひと、ひとじちっ人質を殺すぞ! それ以上近づけばこの街の人間を全て殺してやるっ! 脅しじゃないぞっ!」

 

 ヒステリックにそう叫ぶと、クロウシスが歩を止めて立ち止まった。

 その様子を見てエイティスは逆に驚いた。咄嗟に最後の拠り所として口走ったものの、内心ではクロウシスに流民街の人間が人質として通用するとは思っていなかった。だが、それが通用すると言うのであればまだ活路はある。

 エイティスは引きつった笑みを浮かべ、震える手で操縦桿を握り直す。


「そ、そうだ……そのまま動くな。人質がいるのは嘘じゃないんだ……」


 下手な脅しが通じる相手ではないと判断し、エイティスは無線機の交信ボタンを押して館の外に待機させてある二機の友軍に交信する。


『こ、こちら隊長機。二番機、三番機応答しろ』


 エイティスがこの館に踏み込んだ際、驚くほどの幸運で精龍の加護(ドラグリーペ)の三人と火龍の高巣(バーンクルス)のリーダー二人を発見したことは、既に無線で伝えてある。すぐに合流するように言ったにも関わらず、外で待機しているにしても、到着の連絡もないことにエイティスは憤慨する。


『おい、応答しろっ!』


 何度も交信ボタンを押して声を上げるが、応答は無く合わせた周波数の領域から聞こえてくるのは、『ザー』という無機質な雑音だけだった。

 自身が置かれている状況が状況だけに、エイティスが焦りを覚えてもう一度交信先に怒鳴ろうとしたところで、モニターの先でクロウシスに動きがあった。

 剣を持っていない左手を外套に手を入れて何かを取り出そうとしているのを見て、エイティスは交信を外部送信に切り替えて叫ぶ。


「う、動くなっ! 街の人間を殺すぞ! 外には二機の――」


 そこでエイティスは言葉を失う。

 エイティスが発する制止の声を無視して、クロウシスが外套から取り出したのは二つの金属のプレートのようなものだった。それをまるで顔の高さでクロウシスが掲げると、エイティスの視線がそれを追う。

 掲げられたプレートには帝国の標準文字であるジルベット文字で『カザンリム連隊』と書かれていた。

 それを見てエイティスは顔色を失い、口元に手をやり震えて言葉が出ない口を覆う。


 カザンリムというのは、エイティスがこの龍騎兵(ドラグーン)を借りたドリアム=デリム=カザンリムの家名。

 帝国では将軍以上の地位になったものには、帝国の管理下の元ではあるが龍騎兵を常時直属の部隊に配備することを許されている。下級上軍であるドリアムは十機の龍騎兵を持ち、その出撃には元老院の許可を必要としない。

 勿論国外への出撃は認められず、帝国領内への出撃も明確な理由と上位者三名の署名が必要になる。ただし唯一の例外として、帝都サルディアの中――流民街への出撃に関しては、通常に比べればかなり簡略された手続きで龍騎兵を運用できる。

 今回エイティスもそこに目をつけて、ドリアムに甘言を囁いて出撃したのだ。

 そして各将軍位を持つ将軍たちが管理運用を任された龍騎兵には、その将軍の元に所属している証明として呪印による登録と、見た目で分かるように家名の書かれたプレートが取り付けられる。


「あぁ……ぁぁ……ぁっ」


 操縦桿を握る手がブルブルと再び震え始め、視界が上下に揺れるほどに震える全身の震えを抑えきれず、エイティスは自分の口から漏れ出すか細い声を聞きながら、現実を直視することとなる。


 目の前で掲げられた二枚の『カザンリム』と書かれたプレート。

 それがいったい何を意味するのか、エイティスは考えたくなかったし考えられなかった。

 だが無情にも、いっこうに応答が返って来ない無線のノイズが全てを物語っていた。


 プレートを床に投げ落とすと同時に、クロウシスが一気に距離を詰める。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 エイティスが恐怖に押し潰されながら操縦桿の攻撃用トリガーを引くと、炎性魔力の形成が出来ていないアレスは自動的に充填と形成が必要ない放射状の火炎を放った。

 だが、単なる火炎などクロウシスには何ら脅威ではなく、突き出した剣の切っ先が火炎放射を渦のように断ち割って進み、そのまま炎を放出している火龍砲の発射口に剣先を突き立てる。

 甲高い金属音と共に発射口が潰されるが、それでも隙間から炎を放出し続ける。しかしそれもクロウシスが柄を持ってグリっと剣を捻ると、発射口そのものが完全に潰されてしまう。


 放出点を失った炎性魔力が暴走して爆発しないように、アレスは自動的に機体後部にある動力部から魔力の供給がカットして停止させる。

 発射口を潰したクロウシスは、そのまますぐに剣を引き抜くと柄の根元から切っ先まで刀身を炎が噴き上がり、一瞬にして刀身が紅蓮に染まる。

 赤く輝く剣を二閃させると、接近時の対人用武装としてアレスの前部に付いている四本の爪が砕けて落ちる。優秀で冷静さを失わない兵士が搭乗していれば、機体に肉薄されて発射口を潰された時点でそれを使うこともできただろうが、エイティスは迫るクロウシスに怯えて操縦桿のトリガーをひたすら引くことしかできず、機体に刺突の衝撃が走ると同時に操縦桿から手を離して頭を抱えていた。

 そこへ更に二度機体に衝撃が走り、その度にエイティスは恐怖で体を縮込ませて怯え、二度目の衝撃が走ってから機体が傾いて前に倒れる段では、操縦座で無様な悲鳴を上げていた。


 両足の間接を破壊したクロウシスは、剣を顔の横に引いて構えそのまま両手を突き出す。魔力による硬質化と刀身を覆う炎性魔力によって、通常は砲弾の直撃にも耐えるアレスの装甲が――比較的他部位よりも打撃に弱い発射口の側を狙ったことによって容易く貫通し、真っ赤に焼けた刀身が操縦室に侵入し、そのまま搭乗座に座るエイティスに迫る。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 目の前に迫る死にエイティスが悲鳴を上げるが、クロウシスは一切頓着せずに剣を突き入れる。そしてアレスの装甲すら貫く剣の切っ先がエイティスの頭部を焼き貫こうとした時、室内に声が響いた。


「待ってくれっ!」


 剣を押し込む手を止めて、僅かに振り向いて後ろを見ると、そこには真剣な表情をした少年がいた。

 声を上げたのはレオリスだった。

 右手に剣を持ち立った足は震えているが、その震えが恐怖ではなくあくまで疲労からきているものであることを認め、クロウシスは剣を制止させた。


 切っ先は顔から十数センチ程度のところで停止したが、それでも剣が持つ熱量が尋常ではなく、エイティスの鼻の頭から皮膚が『ジュゥゥ』という音を立てて焼け爛れる。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」


 顔を焼かれる痛みに耐えかね、エイティスは自分を操縦座に固定していたベルトを解いて、狭い操縦室で転げるように剣から離れた。


「そいつは俺と因縁があるんだ……だから、俺に任せてくれないか」


 フード内の闇で光る黄金の双眸と目を合わせて、ハッキリと自分の意思を申し出たレオリスの目には、確かな意志が感じられた。その輝きとも言うべき光を目の当たりにして、クロウシスは静かにアレスから剣を引き抜いた。


 それを見て、ウラジルやクリフト、そしてリサたち火龍の高巣(バーンクルス)の面々は驚いた表情を浮べる。悪魔的な強さで場を支配した正体不明の男――いや、クロウシスを探していたのはウラジルたちであり、レゾが名を呼んだことで目の前にその本人がいるというだけの話なのだが、やはり見ると聞くでは驚きが違った。

 対人格闘ではそれなりの腕であるゼクターとクリフトが、魔法を使われるというハンデがあるとはいえ、一方的に叩きのめされた。それにその魔法も要は使いようであり、通常魔法に特化した人間は近接戦闘の腕など伸ばさないのが一般的なのである。

 そんな見た目からもあまり人間味を感じない存在が、レオリスの頼みを聞いて剣を引いたことに対して、三人は驚いていた。


「ありがとう――って、あれ?」


 クロウシスが剣を手に、アレスの横へと回って崩れた壁材に足を掛ける。


「お、おい何処へ――」


「増援が来る」


 怒らせたのかと慌てたレオリスの声を遮って、クロウシスの声が室内に響く。

 低い声だが不思議とよく通り、その場にいた全員の耳に声は届いていた。


「――規模は!?」


 増援という言葉にいち早く反応したのはクリフトだった。

 クロウシスがクリフトに視線を向けると、一瞬クリフトは怯みそうになったが意地で真っ直ぐに見返した。その態度に『フン』と鼻を鳴らすと、クロウシスは問いに答えた。


「これと同じものが五体」


「アレスが五機……」


 数からして恐らくは民壁を警護している警備部隊のアレスがそのまま来ているのだろうが、あっちからここの様子が窺えるとも思えない。ならば何故、これほど早く壁の警備部隊が増援に出たのか?

 その答えはすぐそば、先ほどクロウシスが床に落としたプレートにあった。

 クロウシスがここへ訪れる前に、既に龍騎兵二機を撃破していたことに思い至り、クリフトは自分の中の常識が音を立てて崩れるのを自覚した。


「増援は我が始末する。戻るまでにこちらも終わらせるがいい」


 必要なことだけを告げると、クロウシスは崩れ落ちた壁から外へと跳んでいった。残されたレオリスは頼んだこととはいえ後事を託されたことと、クロウシスがここへ戻る意思を告げてくれたことが嬉しかった。

 そして跳ぶ前に見たその黒い外套に包まれた背中が、果てしなく広く力強いものに見え、龍騎兵五機を『始末する』と冗談ではなく言える強さに、強く憧れた。

 だからこそ、この場を任された自分の責を果たす。


「おい、ケイティフィール。死んでないなら、そろそろ俺たちも片を付けようぜ。いい加減お互いに追うのも追われるのも飽きてきた頃だろ? 俺はもう飽きたね……だからここでケリをつけようぜ」


 部屋の中央から歩を進めて、エイティスの乗るアレスから七メートル辺りの場所でレオリスは止まる。エイティスは間接を破壊されて前のめりに崩れたアレスの中で、ジクジクと痛む焼け爛れた顔を抑えて震えていた。

 既に正常な判断など出来ない状態にあり、クロウシスがこの場を一時的に去ったことにすら気付かず、ただ痛む顔を押さえて猛獣に囲まれた箱の中に閉じこもっているかのように怯えていた。


「どうした……いつもの鼻持ちならない態度は何処いったんだよ。それとも自分は腰抜けの『無能』野郎だってことをようやく認める気になったのか?」


 その言葉にエイティスがビクっと震える。

 

 ――無能。


 自分をそう蔑む人間は絶対に赦さない。

 自分は優秀でなくてはならないのだ。

 決して平民上がりの成金などに馬鹿にされてはならない。

 何故ならば、優秀でなければ――。


「ぅぅぅぅぅぅぅっぅぅっ」


 手負いの獣のような瀕死の唸り声を上げ、エイティスは懐から拳銃を取り出して開閉ハッチのボタンを押すが反応はない。最後に受けた前面部を貫通する攻撃によって電気系統にダメージを追い、開閉スイッチを始めとする主な自動操作が一時的に使用不能になっていた。


「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」


 苛立たしげに唸りながら、右足の駆動ペダル付近にあるハッチの強制排除レバーを捻るが、これも刺突後の捻りを加えられたことでハッチそのものが変形して作動しなかった。


「がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 何もかもが上手くいかず、エイティスは癇癪を起こした子供の様に何度も強制排除レバーを蹴りつける。何度も何度も蹴りつけるが、ただの人間が蹴ったくらいで壊れるような作りではなかったらしく、いくら蹴ってもレバーは少しも曲がることは無かった。

 それがエイティスに更なる怒りを燃え上がらせるのだが、結果は変わらなかった。


「はぁ……はぁ……」


 息を荒らげて前を向けば、モニターは消失し目の前には灰色の球体然とした搭乗室の壁があり、内部は赤い非常灯の光源のみ――いや、後一つクロウシスの長剣によって貫かれた穴から光が侵入していた。

 その光の向こう側に剣を構えてジっとこちらを見ているレオリスの姿が見えた。

 真っ直ぐにエイティスの方を見つめるその姿を見て、エイティスは歯が折れるほどにギリギリと歯を食いしばって銃を持っている右手を上げ、光が洩れてくる穴越しにレオリスに照準を合わせた。


「はぁ……はぁ、はぁ……」


 震える手では中々上手く照準を合わせられなかった。

 だが、ここでこの男を――レオリス=ケリンを殺せれば、自分はまだ大丈夫だ。

 そう思うことで、エイティスは自分を鼓舞することが出来た。

 そう思うと、不思議と手の震えは止まった。


「はぁ……はぁ……は、ははっははは――死ね」


 引き金を引くと銃はエイティスの思う通りに弾丸を発射した。

 そして長剣によって貫通した狭い穴を抜けて、そのまま一直線にレオリスに向かう。

 狙いは頭部の一点。

 通常であれば狙いを外し難い胴体を狙うべきなのだが、エイティスの殺意が一撃で相手を葬ることが出来る頭部のみを狙わせた。

 距離とエイティスの精神状態を考えれば日頃の射撃訓練の成果と照らし合わせて考えても、当たるかどうかは五分五分といったところだったが、不思議と外れる気はしなかった。


 銃弾は真っ直ぐに飛び、そのままレオリスの頭部へと吸い込まれる。

 エイティスが銃を構えた時、何故かレオリスも剣を大きく上段に構える仕草を取っていたようだが、そんなことはエイティスには関係なかった。相手が目の前にいないのに剣など構えてどうするつもりなのか。

 相変わらず訳が分からない行動を取り、まったくもって癇に障る。

 だが、それももう終わりだ。

 撃った体勢のまま銃弾を行方を追い続けると、まるで時間が遅く流れているかのように銃弾の弾道を追うことが出来た。螺旋状に回転しながら飛ぶ銃弾がレオリスの眼前に迫り、その軌道は完全にレオリスの額を捉える弾道だった。

 

 ――殺った。


 そう確信してエイティスの顔が破顔した時、信じられないことが起きる。


 銃弾と同じかそれ以上の速度だった。

 レオリスが振り下ろした剣が銃弾を捉え――正確には掠めたのだが、それによって銃弾の軌道が逸れることとなった。

 逸れた銃弾は左側に流れて、そのままレオリスの左肩へと吸い込まれた。


「ぐぅっ!!」


 甲高い音と共にレオリスの鋭い呻き声が響く。

 肩に銃弾を受けてよろめくが右手に持った剣を取り落とすことは無かった。

 激痛にレオリスが呻いていると、そこへレゾとラナルゥが駆け寄る。


「レオリスっ! このバカっ!」


「レオリスっ!!」


 レゾが出血を止める為にローブを裂いて傷口を押さえる。

 ラナルゥは何をするべきなのかと最初はオロオロとしていたが、胸元に手を入れるとそこから小さな青い石が付いたネックレスを取り出す。そして血に染まったレオリスの右手にそれを握らせて、その手の上から自分の手を被せてぎゅっと包み込む。


「ら、ラナ?」


「これね、村を出るときにばっちゃが持たせてくれたの。これね、アリアラクア様の御力が宿った凄い御守りなのっ。だから、だからっ大丈夫だから……死んじゃダメだよレオリスゥゥゥっうあぁぁぁぁぁぁん!!」


「ラナルゥ落ち着いて! 肩に当たっただけだから死なないよっ!!」


 レゾが布の切れ端をレオリスの肩に押し当ててながら諭すが、ラナルゥは緊張の糸が切れたのかわんわんと泣き始めてしまった。

 そんな光景に当惑しながらも、リサが頭部から血を流すウラジルの下へ行こうとすると、ウラジルは倒れたままのゼクターを指した。リサはすぐに意図は察して頷くと、気を失っているゼクターの側に駆け寄ってその凄惨な状態に顔をしかめながら治癒魔法をかける。


「リサ。ゼクターが終わったら彼にも治癒魔法を頼む」


「――」


 ウラジルの指示にリサは一瞬複雑そうな表情を浮べるが、自分があの時恐怖からゼクターにレオリスたちを確保する指示を独断で出し、その結果が今の状態であることは理解していた。

 冷静な分析と判断が本来の彼女の持ち味なのだ。

 だからこそ、その指示にも頷いた。


「――なんなんだ、何なんだよおまえら……」


 エイティスは狭い龍騎兵の操縦室の中で呻く。

 銃を持っていた手はガタガタを震えて次弾を放つことが出来ず、力を失った手指から銃が零れ落ちて操縦座の足元に転がる。焦点の合っていない瞳が上下に揺れ、頭が目の前で起こった出来事を受け入れられない。


 ――銃弾を剣で弾く。


 そんなこと普通の人間が出来るわけがない。

 以前の戦い、内縁街でレオリスたちを追い詰めた時にあの黒づくめの男がやっていたが、アレはあいつが異常かつ尋常ではない化け物のような存在だったからだ。だからそのくらいのこと出来たとしても、その後に邸宅を吹き飛ばすほどの魔法を使った事の方がよっぽど印象に残っている。

 だが、レオリス=ケリンはただの人間だったはずだ。


 平民の出でありながら、父親が遺跡調査に出資して調査そのものに加わり、その結果偶然にも大きな発見をして、その際に帝国第一皇女エシャリア姫の目に止まり、兵器開発と遺物調査を任されて今や帝国の中枢である龍骸物(ロ・レゾナス)研究所の副所長兼帝国軍兵器総局の技術長となった男の息子。

 龍骸物(ロ・レゾナス)研究所は軍部ですら不可侵の領域であり、そこへ直接的に指示命令が下せるのは皇族か元老院だけとされている。それはある意味、軍部の頂点に位置する元帥と同等の立場と言える。

 何しろ帝国の軍部が強い理由というのが、そもそもは龍骸物(ロ・レゾナス)研究所が起動させることに成功した龍騎兵(ドラグーン)に大きく依存しているからだ。

 現にレオリスの父ダグラス=ダルグ=ヴァリアントは、元老院会議どころか枢密院への出席すら許可されている。それは龍骸物(ロ・レゾナス)研究所の所長である帝国第一皇女エシャリア=ニアスカ=イニス=サーディアスの随伴という形ではあるものの、軍部の上級将軍たちでもダグラスに意見を言える少ない。


 そんな人間の息子でいながら、いまや廃れつつある英霊精龍(カーディナルドラゴン)などという過去の神に依存して、焦熱の火山バーンアレスを始めとするドラゴンたちを虐殺するきっかけと、直接的な手段として用いられた兵器の数々を自分の父親が作ったことに反発し、今や場末の流民街などという場所で抵抗組織(レジスタンス)の真似事などをしている。


 ――気にいらない。


 自分がそれほどの立場にいる人間の息子に生まれていたならば、その力を利用してもっともっと高みを目指せるはずなのに、それをせずにあまつさえ反発して帝国の繁栄に泥を塗ろうとするなど許せるはずがない。

 憎らしく妬ましい……だからこそ、負けられない――負けてはいけないはずだった。


 だが、銃で殺せるはずだったのにそれを剣などというモノで防がれた。

 エイティスは剣を帯刀していない。

 軍服の正装としては必要なものだから、人目がある時は仕方がなく帯刀するが、今回は極々内密な出撃だった上に自分は龍騎兵の中だ。だから最初から帯刀せずに乗り込んでいる。

 何故帯刀しないかと言えば、そんなもの必要ないからだ。

 今の時代、剣など時代遅れも甚だしい。

 剣などよりも銃の方が比べるまでもなく強力で簡単に人が殺せる。


 だからこそ学院で剣によって自分を圧倒し、大勢の前で自分に恥をかかせたレオリス=ケリンが剣を手に自らこちらに近づいて来た時に、エイティスは恐怖に対し憤怒と喜びで打ち勝つことが出来た。

 ここは戦場。

 綺麗事など何の意味もなさず結果が全ての世界。

 ならば、アホ面で剣を手に構えを取る相手を、こちらが銃で射殺することも当然ありなのだ。

 そしてエイティスは銃を構え、撃った。

 銃弾は真っ直ぐに飛び、寸分の狂いもなくレオリスの眉間か額に向かった。そしてそのまま剣を構えたまま何も出来ないレオリスの頭部に着弾し、皮膚を破って頭蓋を砕き、脳をズタズタに引き裂くはずだった。

 だが現実は違った。

 レオリスは必殺の一撃だったはずの銃弾をあろうことか剣で弾いて弾道を変えた。

 結果的に肩を被弾したようだったが、そんなことはもうエイティスには関係なかった。


 ――化け物だ。


 銃が剣などに負けるはずがないのに、負けた。

 エイティスがレオリスに負けるなどあり得ないのに、負けた。

 それは何故か?


 レオリス=ケリン――いや、レオリス=ダルグ=ヴァリアントは化け物だったのだ。


 そうでなければ負けるはずがないのだ。

 だが化け物であるならば、あの黒ずくめの男同様に化け物であるならば納得が出来る。

 いや、そうでなければ納得がいかない。


「あぁぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 エイティスは今度こそ全身の震えを抑えることが出来ず、叫び声を上げながら頭を抱えて体を丸める。恐怖と絶望が全身を蝕み、砕けて形を失った矜持が今までの自分という精神に突き刺さって痛みを伴う。


 アレスの残骸から聞こえてくるエイティスの叫び声を聞いて、傷の手当を受けているレオリスにはそれ以上エイティスに掛ける言葉もなければ、行う行動もなかった。


「剣で銃弾を弾いたせいで弾丸が体内で砕けています。治癒魔法で傷口を塞いでしまうと、恐らく腕が使えなくなると思います」


「えっ!? それは困るな……」


 ゼクターの治癒を終えたリサがレオリスの銃創を診断していると、クリフトが助け舟を出す。


「とりあえず今は止血だけして、あとで医者に見せよう。うちが抱えている優秀な闇医者がいる」


「闇ってのが気になりますけど、流民街だから闇じゃないほうがいないのか……」


 レゾがそう言って頬を掻くと、その場にいた全員が微かに笑い場の空気がやや落ち着く。

 部屋の中で動かなくなったアレスを見ていたウラジルが、燃えている床の火でタバコに火をつけて周囲を見渡す。アレスの攻撃によって部屋の中はまだ燃えていたが、この建物は昔ながらの技法で作っており、床材や壁に使っているのは木材なのだが、その裏側には火を吸収して硬度に変える火龍煉瓦というものが使われている。

 火が木材を焼いてその下にある火龍煉瓦に接触すると、火は煉瓦に吸収されていく。

 これは昔の人々が英霊精龍(カーディナルドラゴン)焦熱の火山バーンアレスが自分達の所へ訪れてくれた時に、その神炎で街が燃えて火龍が心を痛めないようにと作ったもので、ウラジル自身が敬虔な火龍信徒であり幼い頃から身近なものだったからこそ、流民街に保有している火龍の高巣(バーンクルス)の建物には全て火龍煉瓦を使わせた。


「さてと、おい少ね――」


 レオリスたちに今後のことを相談しようと顔を巡らせた時、ウラジルの言葉が止まって口からタバコが零れ落ちた。

 ただならぬ様子に他の皆がウラジルの視線を追うと、出て行った時と同じ崩れ折れたアレスの横に音もなくクロウシスが立っていた。

 その姿を見てクリフトは緊張を走らせ、リサは恐怖に震えそうになる自分を必死に抑えていた。


「クロウシスさんっ! 怪我はない!? 大丈夫?」


 ラナルゥが躊躇なく駆け寄り、クロウシスの全身をキョロキョロと見て回る。

 その様子を黙って見下ろしていると、レオリスがレゾに支えてもらって立ち上がった。


「増援のアレスは?」


「始末した」


 レゾの質問に事も無げに答えるクロウシスに、ウラジルたちが唖然としていた。


「そんなまさか……一人で五機のアレスを、しかもこの短時間で?」


 クリフトが眩暈を感じて眉間を抑える。

 アレス五機を倒すとなれば、通常であれば罠を張り巡らせた市街地におびき寄せ、その区画が再建不能になることを覚悟した上で挑み、それでも多くの犠牲を払って倒す戦力なのだ。


「そちらも用は済んだようだな」


 レオリスたちの側に歩いてきたクロウシスが、チラリと背後のアレスに目を向けると中からは叫び声ではなくすすり泣くようなくぐもった声が洩れていた。

 その様子に恐らくはもうエイティスは再起不能だろうとレゾは思った。

 身の毛もよだつ様な恐ろしい恐怖と完全なる敗北。

 その二つを同時に味わったのだ、これ以上戦う意思を持てるとも思えなかった。


「外は騒ぎになっている、送ろう」


 そう言うとクロウシスは右腕でレオリスとレゾを抱え、左腕でラナルゥを抱え上げる。

 既に三人はかなり消耗しており、特にレオリスは最初に受けた打撃のダメージで随分と体力を消耗して、その上で肩に銃弾を受けたのだ。歩くどころか立つのも難しいだろう。

 残る二人もずっと緊張の糸を張り続けていたので、精神的な疲労が見て取れた。精神の疲労はそのまま身体への疲労に繋がり、足腰に震えがきていた。


「うぉぉ……情けねぇ」


「ぼ、僕は歩けますって!」


「わぁっ♪」


 三者三様のリアクションを取るが、クロウシスは気にした様子もなく崩れた壁へと向かう。

 呆気なく去ろうとするクロウシスに、ウラジルが慌てて声を掛ける。


「ま、待ってくれ!」


 制止の声にクロウシスは足を止めて、微かに顔を後ろに逸らして振り返る。

 フードの中は変わらず闇が滞留し、その中で蠢く黄金の灯がギョロリと動いて自分を見た時、ウラジルは生唾を飲んだ。


(こいつは本物だ……紛いモノじゃねぇ)


 数千人――いや、もしかしたら万の単位で人間を見てきたが、人間とは一線を画す魔族を含めても、目を合わせてこんな気分を味わったことはなかった。

 未だに素顔すら見えない相手だが、ウラジルには自分に視線を向けた存在があらゆる意味で尋常ならざる相手だということがハッキリと感じ取れた。


「今回のことは全面的に俺たち――いや、我々が悪かった。勝手な話であることは重々承知しているが、改めて三人にはお詫びをさせてもらいたい。そして出来ることならば、我々に協力して欲しい」


 態度の豹変――というには、ウラジルは最初から結構砕けていた印象があったので、それほど気にはならなかった。だが、三人には確認しておかねばならないことがあった。

 三人は互いに頷き合うと、代表してレゾが口を開く。


「お言葉は嬉しいのですが、その協力相手にクロウシスさんは含まれてないでしょうね?」


 自分達が浅慮で未熟で舐められるのは仕方がないし、我慢はできる。

 だが、それを利用して彼らにとって二度も窮地を救ってくれた命の恩人であるクロウシスを巻き込もうというのであれば、そんなことは断じて願い下げだった。


「いいや、我々が協力を要請しているのはあくまで精龍の加護(ドラグリーペ)に対してだ。勿論そこにクロウシス氏が加わってくれるならば大歓迎だがね」


 微妙な言い回しではあるが、クロウシス抜きでも協力はして欲しいという意思は本物であるようにレゾたちは感じた。同時にそこにクロウシスは随伴してくれるならば喜ばしいというのも、やはり本音だと感じた。

 見た目は冴えないおっさんなのに、やはり食えない男だ。


「――今回の件に関して、我とこの三人が関わっていないようにしろ」


 突然の要求に室内にいた全員の視線がクロウシスに集まる。


「この部屋にいる人間以外で我の姿を見たものはいない。外の人間も含めてだ」


 恐らく外に出てからは姿を消す類の魔法を使っていたということなのだろう。

 確かにそれならばクロウシスの存在を知る人間は限られ、レオリスたちのことを見た人間もそれほど多くいるとも思えないので、情報を操作すれば可能かもしれない。


「しかしこいつを含めて今回撃破した龍騎兵(ドラグーン)は八機だろ? 何かもっともらしい話を作らないと軍が黙っちゃいないぜ……」


「それはお前たちが考えることだが、『我』でない存在であれば倒した者を作ることは難しくあるまい」


 クロウシスの言葉に一瞬ウラジルの表情が固まったが、すぐに得心がいったように手を叩く。


「なるほど……確かにあんたじゃなけりゃー問題ないわけだ」


「そういうことだ」


 ニヤっとウラジルが笑みを浮かべて頷く。


「一周月経って市井の噂に三人のことが流れていなければ成功したとみなそう。その時は直接勧誘に来い。この者たちの答え次第だが、請け負うならば我も随伴する」


 一周月というのは日にちの単位で、五日間を意味する。

 ポンポンと決められてしまったのだが、クロウシスの判断に水を差す気にもならず任せたのだが、それよりも気になる発言があった。


「そ、それって……僕たちが参加する場合、クロウシスさんも一緒に――」


「仲間になってくれるのっ!?」


 レゾの言葉を遮って目を輝かせたラナルゥが尋ねると、クロウシスは首肯した。


「やったぁぁぁっ! ねぇねぇレオリス聞いた?」


 小脇に抱えられたラナルゥが喜びを爆発させて足をバタバタとさせる。

 レゾは思いもよらぬ提案に嬉しい反面、謎のプレッシャーを感じて胃が痛んだ。

 こういう時は天然だったり馬鹿だったりするほうが本当に楽だと思って横で一緒に抱えられているレオリスの顔を見ると、レオリスは力尽きて眠っていた。


 再び踵を返したクロウシスに今度はクリフトが言葉を投げる。


「何故、貴方はその子らを助けるんだ?」


 きっかけが何だったのかは分からない。

 だが、龍騎兵(ドラグーン)を単身で破壊する人間が何故彼ら三人を庇護するのか、そこにどんな理由が存在するのかをクリフトは知りたかった。

 そしてその質問はレゾたちも知りたいところではあったので、眠っているレオリス以外の二人も抱えられたままクロウシスの顔を見上げた。


 単なる数奇な縁だと答えようとした時、クロウシスの脳裏に銀髪をなびかせる皇女の声がした。


 ――先生。


 脳裏に響いたその声に、たかだか一半月前の程度しか経っていないのに妙な懐かしさを感じる。

 ドラゴンの生で考えれば、僅か二十日ほどの日にちなど瞬きをするよりも短い時間だ。

 月日の経つのが早く感じるのも、恐らくはこの体だからなのだろう。

 精神は肉体に影響を与えるならば、無論その逆も然りなのだ。

 

 そんなことを実感しつつ、クロウシスは火龍巫女とのやり取りを思い出して言葉にする。


「我に師事する者たちだからな、手を貸すのは当然であろう」


 クロウシスがそう言うと、レゾとラナルゥが口をポカンと開け、クリフトたちも呆気にとられていた。

 彼らがそうなるのも無理のない話で、奇しくもその返答がクロウシスの居ないところで彼らがついた嘘を真実へと変えることになるとは、さすがの黒龍も予測していなかった。


 あれはラナルゥが咄嗟についた嘘で、クリフトたちもクロウシスの正体を隠すために思いつきで嘘をついていると思っていたのだが、他ならぬクロウシス本人から真実であることを匂わせる言葉が出たので混乱していた。

 こういったことになると、あの時名前だけは真実を言っていたことが上手い具合に目くらましとなる。


「我らは去る。後は上手くやってみせろ」


 そう言うと、精龍の加護(ドラグリーペ)を三人を抱えたクロウシスは闇夜へ跳んだ。

 クリフトが慌てて窓際に立って空を見上げるが、そこには夜空が広がるだけだった。そして空を見上げていると、足元の階下から歓声が沸き起こった。

 何事かと下を見ると、そこには大勢に流民街に人間が集まってクリフトを見上げて歓声や拍手を送っていた。


「見ろ! クリフト=ヴァルシミクだっ!」


「さすが火龍の高巣(バーンクルス)だっ! 龍騎兵(ドラグーン)を八機もやっつけるなんて!」


「いいぞっ! すげぇーぞ! 火龍の高巣(バーンクルス)万歳!」


「近々なんかやらかすんだろっ!? 俺たちも協力するぜぇー!」


 今夜起きた騒動の全てが火龍の高巣(バーンクルス)によるものだと流民街の人々は認識し、その絶大なる成果を前に人々は希望を見て熱狂していた。

 冷静に考えれば、龍騎兵(ドラグーン)を八機を一晩で――それも帝都のお膝元である流民街で失ったのだ。その事実と汚名をすすぐ為に報復行動に出ることも十分に予想できた。

 だが人々はそんな後事の憂いよりも、今は自分達を抑圧し蹂躙する象徴である龍騎兵が破壊され、見るも無残な形で転がり、それを成したのが自分達と同じ立場である流民街の抵抗組織の仕業だということが何よりも嬉しく、そして希望となっていた。


「おぉーおぉー……あのクロウシスさんとやら、とんでもない置き土産を置いていってくれたなぁ」


 クリフトのやや後ろ、下の人々からギリギリ見えない位置に立ったウラジルが下の状態を察して笑みを浮かべる。その笑みが面白がっているように感じ、クリフトが少し怒って嘆息する。


「笑っている場合か。これからとんでもないことになるぞっ……」


「まぁ、試されてるってことなんだろーよ、あの御仁にさ」


 ウラジルの意図を察してクリフトが額に手をやって呆れていると、その背をバンバンとウラジルが叩く。


「クリフ、時代が動くぞ。俺たちは今その中心点にいる――いや、接触したんだ」


 いつも覇気に欠けている男がらしくもなく瞳を爛々と輝かせる姿を前に、クリフトもその言葉に頷いた。

 

 帝都の夜は更ける。



                 ◇◆◇◆◇◆◇



 流民街の一角にある小さな倉庫然とした建物。

 精龍の加護(ドラグリーペ)の隠れ家に戻った四人は、昏々と眠るレオリスの体を清拭して寝かせた。

 寝ているレオリスの上にクロウシスが強力な催眠の魔法を掛け、完全に意識を失った状態でクロウシスが傷口から砕けた銃弾を摘出するための治療を行った。

 レゾはその助手をしながら興味深げに治療を観察し、ラナルゥは湯を沸かしたり軽食を作ったりと忙しそうに動いていた。


 治療が終わってクロウシスが去ろうとすると、ラナルゥがクロウシスの手を掴んで『帰っちゃダメ!』とひたすら言い張り、レゾもせめてレオリスが意識を取り戻すまでは居て欲しいと懇願した。

 ああ見えて義理堅い性格だから、きっと直接お礼を言えないと落ち込むとお願いし続け、仕方がなくクロウシスが折れるとラナルゥは飛び跳ねて喜び、それをレゾに注意されて謝るという一幕もあった。


 夜明けまであと数時間というところ。

 寝る前までロフトの上から今日のことを興奮気味にラナルゥが話していたが、やはり相当疲れていたようで次第に声は小さく緩慢になって、やがて途切れて寝息が聞こえてきた。

 その様子にレゾが苦笑し、改めてクロウシスに深々と頭を下げて三人を代表して礼を述べた。

 丁寧に礼を述べるレゾに対してクロウシスが一言『構わん』と告げると、何処か安心したように微かに笑って頬を掻くと、レゾもほどなく眠りについた。


 野犬の類が上げる遠吠えと近くを流れる川の音だけが響く中で、クロウシスは三人が深い眠りについたことを確認して、剣を手に壁をスリ抜けて(・・・・・)外へ出る。

 一時的かつ限定的な空間転移魔法なのだが、無論使える人間は多くはない。

 まだ空が白み始めるには時間がある。

 遠くの大通りで眠らない人々の活気ある声が遠く響いてくる中、クロウシスは目的に向かって跳んだ。


                  ◇◆◇

 

 僅かながらの時間を掛けて辿り付いた場所は、臣壁の内側である内縁街。

 そこは夜と帳が落ちて昼間以上に閑散としており、本当に人間が住んでいるのかどうかすら疑わしくなるほどに空虚な空気が漂っていた。


 あの時とは違い、クロウシスは通りを歩いて自分がいたあの時いた鐘楼塔を見上げる。

 三角錐の形をした鐘楼の屋根に月がちょうど掛かり、歩行に合わせて徐々に見える形を変える。そして視線を前に戻せば、そこには小さな通りが合流する小さな広場で、白く舗装された地面、広場の四隅に植物が植えられている。広場にはいくつかのベンチが置かれ、シンメトリーに作られた広場の中心には噴水が置かれ、その噴水の水を浴びるよう翼を持つ天使の像が月の光を浴びていた。


 そこはクロウシスと精龍の加護(ドラグリーペ)が初めて遭遇した場所で、あの時三人によって爆破されて四散した天使像を含め、周囲の地面やベンチなども全て補修されていた。

 足音一つ立てずに歩き続け、クロウシスは天使像の前まできてそれを見上げる。

 あの時、この石像から出た特徴的な魔力は今はなく、この石像は単なる石像だ。


「居るのは分かっている、出てこい」


 クロウシスが静かにそう言うと、虫の鳴き声一つしない空虚な街に笑い声が響いた。


「あはははははっ! ほら、やっぱりバレてたよ。だからわざわざ気配を消すとか面倒なことしなくて、むしろこれでもかってくらい存在を感知させてればよかったんだ」


 後ろを振り向くと、そこには巨大な人影があった。

 頭の先から足まで全身をローブで覆い、顔すらも完全に覆っている。特筆すべきはその体躯にあった。

 身長はおよそ三メートル超。

 ローブ越しではあるが、それでも相当に鍛えた体を持っているようで、月明かりに浮かぶシルエットは巨人族の類ではないのかと疑いたくなるほどにゴツかった。

 そして布越しでもその姿を隠した状態から受ける印象は、ただならない気配を放っていた。


 しかし、声を発したのはそのローブの人物ではなく、その広い肩に座った少年だった。

 容姿は一見人間の子供と変わらないが、僅かに尖った耳と紫紺の瞳が特徴的で、灰色の髪の毛を首の後ろで複数の小さな三つ編みにしている。

 巨大な人物の肩で足をプラプラとさせながら、面白そうな玩具を見つけたような表情でクロウシスを見下ろしている。受ける印象はまるで霞が掛かったように曖昧だが、その根本的な正体はすぐに分かった。


「――魔族か」


「ご明察。でさ、君ってあの焦熱の火山バーンアレスをその身に宿してるんだって?」


 まるで何かを期待するかのような表情で問いかけてくる。


「いやさぁ、ネロの奴がなんかニコニコしながら来てとっておきの情報があるとか言ってきてね? あいつの話って大抵面白くないし、しかもろくでもない話なんだけど。今回は違ったよ」


 バーンアレス島で出会った糸目の魔族を思い出し、目に剣呑な色を浮べて細める。

 だが、少年魔族はそんなこと意に介した様子もなく喋り続ける。


「討滅された英霊精龍(カーディナルドラゴン)が人の身に宿るなんて初耳でさ、うちの古ぼけた本共に聞いても事実なら初めてのことだって言うもんだからさぁ。ちょうどサルディアに来る用事もあったから、今日一日様子を見させてもらったんだ」


 一方的にガンガン喋りながらも、その紫紺の瞳はクロウシスを捉え続けている。


「まぁでも、やっぱり帝国のゲテモノ機械なんかじゃ本性を現してくれないよね? だからちょっと、こいつと闘ってみてくれない?」


 そう言うと少年魔族はふわりと浮き上がり、空中で腰の後ろで手を組んで漂う。

 少年が肩から退くと、今までまったく動かなかった巨大な人物がまとっていたローブを取り払った。そして姿を現したその正体を見て、クロウシスが僅かに目を見開く。


 身長はやはり三メートル超あり、全身を鋼のような鍛え抜かれた筋肉が覆い、その全身を紺碧の軍服に身を包み、露出した橙色の肌は深緑色の鱗に覆われ、伸びた首の先には四本の象牙色の角を有した竜頭があった。

 一見リザードマンに思いそうな装いだが、見る者が見ればすぐにその正体がドラゴンの血筋に連なるものだと分かるだろう。


「我が名はヴォルフィード。不躾で申し訳ないが、貴方様の力量を試させて頂きたい」


 腹に響くような重厚な声音で名乗ると、丸めたフードの中から三メートルはある巨大な剣を抜き放ち、残ったフードが腕に生き物のように巻きつくとそれはそのままガントレットになった。


「僕も名乗りたいんだけど、立場的に先に名乗れないんだ。これって凄い面倒だよね? でもヴォルが煩いからさ、出来れば先に名乗ってくれないかな?」


 ふわふわと空中に漂いながら屈託のない笑顔を浮べる少年に対し、クロウシスは名乗る。


「クロウシスケルビウス」


「名前だけ……ね。ふーん、バーンアレスじゃなくてクロウシスケルビウスって名乗るんだ」


 名前を舌の上で転がすように何度か反芻すると、少年はニヤっと笑う。


「何だか、そっちもドラゴンみたいな名前だね?」


 可笑しそう微笑むと、少年は空中に立って(・・・)名乗る。


「僕は北方大陸アーカーヘイトを三分する一国、アーマーンの王。魔族を統べる三柱の一柱、古来より受け継ぎ守りし称号は冥王」


 闇夜を背に小さな冥王は嗤う。


冥王(ヘルフィブス)、名はヘキサティオンだよ」



後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


ご意見・ご感想はお気軽にお寄せください。

とても励みになります。

ありがとうございました。


2013/09/23 文章の一部を修正しました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ