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第二章4-火龍の高巣-

 太陽が沈んで間もない時刻。

 斜光がその僅かな光の残滓を残して消えた夕闇の最期。

 流民街の一角、民壁にあるかつての大正門。その南東方向に位置する比較的大きな通り。


『流民街第十七地区-ヘロッサ市場-』


 大通り全体が大きな市場になっており、昼夜を問わず人々で賑わっている。

 流民街にはこういった昼夜を問わず様々な露店が代わる代わる営業する市場が点在し、このヘロッサ市場もそういったものの一つであり、今夜もまた大勢の人間が僅かな銭を手に空腹を満たすため、あるいは必要な物品を探すために歩き回り、露店の主や売り子たちが威勢のいい声を上げていた。


 流民街はそこに住む人間の特性を考えれば、基本的に貧困層の集まりである。

 だが、やはりそんな中でも貧富の差は生まれるもので、この流民街でさえも富める者と更に貧しき者が存在する。どれだけ低い世界であろうとも、それが集団となり社会を構築し金銭のやりとりが生まれれば、そこには必ず貧富の差が生まれ、搾取する者とされる者とに分かれることになる。

 

 そこで生まれてくる当然の疑問として、帝国から市民権を与えられずにいる流民街の数万の人間たちが、そもそもどうやって暮らしているのか。

 数万人の人間が日々、飢えて死ぬことがない程度の食事をしているわけであり、衣服や住居も当然物資として流入しているにしろ。そこに住む人々がそれを得るためには金銭が必要となるわけで、流民街にも勿論先に述べた通り貨幣の概念が存在し、それが広く流通している。

 では、その源泉は何処にあるのか?


 流民街は確かに広大であり、その中でも仕事のようなものは存在する。

 流民街を囲む帝都最外縁の壁『サルディア外縁壁』には五箇所に門が敷設され、壁の運営を司る警備部隊が朝六つの鐘が鳴ると共に門を開け、夜六つの鐘が鳴る時間に門を閉じる。

 門の出入りそのものは基本的に自由だが、荷馬車等で荷物を門内に入れる場合は警備部隊による検閲があり、基本的に荷馬車など大きな荷物を伴っての通行は南の大正門とその両隣にある二つの門で行われ、その様子を常に門の上部にある壁の上段部から龍騎兵(ドラグーン)アレスが二機駐在し見張っている。


 物資の流入は検閲があるものの確かに行われ、物流として成り立っている。

 商業者はそれで生活が成り立つとして、それを消費する者たちの金銭の源泉は何処にあるのか。

 その答えは、朝の開門時間と共に大勢の人間が門から出て行くことに答えがある。


 鐘が鳴る前に門の前には大勢の人が詰め掛け、鐘の音と共に門が開くと同時に出て行く人間は、その大半が成人した男性だが、中には少年や成人した女性も混じっている。

 彼らが出て行くのは基本的南の大正門以外の四つの門であり、西の二門から出ていく者たちは帝都西方にある鉱山地帯へと赴き労働に従事する。一方、東方から出て行った者たちは帝都東方に広がる農耕地帯で同様に労働に従事することとなる。

 これらの労働の対価を日雇いの形で受け取り、彼らはその日生きる糧を手に入れている。しかも受け取る貨幣は流民街でしか使うことのできない『ドヌ銅貨』といわれるもので、粗悪な銅で作られた銅貨ではあるが、複製が出来ないようにある工夫がされている。

 それは帝国が工業化によって大量生産を可能にした合金技術による貨幣だった。

 元々合金そのものは文化的に後進である南方大陸ですらドワーフによって編み出されており、人間もかなり昔に編み出している技術ではあったが、それを大量に生産することは容易なことではなかった。

 とはいえ、合金技術そのものを独占しているわけでもない以上、一見複製は可能なようだが、帝国の合金とそれ以外の合金には一線を画す違いがある。

 それこそが帝国が完全独占するモノ――すなわち古代文明の遺産にある。


 帝国が生産する流民街用の銅貨には、その全てに帝国が独占して採掘、研究、技術転化を行っている古代文明の遺物から取れる物質が混ぜられており、火に近づけると鈍く発光するという特性を持っている。

 これを真似することはどんな腕のいい鍛冶屋でも不可能であり、それでも魔法に深く精通している人間と一流の腕を持つ鍛冶屋が協力して研究を行えば、似たような物は作れるかもしれない。だが、仮にそんな多大な労力を費やしたところで、得られるのは流民街でしか通用しない銅貨でしかない。

 それがその費用対効果につり合う報酬と言えないのは明白だった。


 ともかく。

 帝国は流民街に住む人間が、その狭く限定的な空間でしか使えない貨幣を生み出す代わりに、数万の労働力を得ている。

 そして生み出される貨幣の供給過多によるインフレを起こさせないために、帝国は流民街で力を持つ一部の人間たちに対してドヌ銅貨と、帝国で流通している貨幣とを交換する措置を取っている。それには通常であれば看過できない交換利率が発生するのだが、商いをする人間は外で物資を買い付けるためには帝国流通の貨幣が必要となり、一切の異論を挟むことなく帝国側が設定する利率の元、貨幣の交換を行っている。


 それが流民街の経済の根源であり、帝国が流民街を即座に崩壊させない理由だった。



 夜の六つの鐘が鳴る閉門の時間に合わせて、大勢の人々が四つの門から帰還を果たし、家族の居る者は家族の下へと急ぎ、一人者はその日稼いだ日銭を手に露店を回り、娼館を覗く。

 渦巻く流民街特有の混沌さはあれど、そこには確かに戦火を免れて過す人々に活力に似た――似て非なるものだと言う者もいるが、ともかく良くも悪くも喧騒と活気に満ちていた。



「ほい、お嬢ちゃん。オマケしといたから、また買ってくれよ」


「うん、ありがとう!」


 通りに雑然と並ぶ露店の一つで鳥の燻製を受け取りながら、ラナルゥは御代として流民銅貨を四つ店主に渡し、受け取った店主は小さな『屑銭』と言われる銅貨よりも更に細かい貨幣をラナルゥにお釣りとして渡す。

 屑銭は完全なる流民街発祥の貨幣で、流民街に存在する商工組合が作り出して長い年月をかけて流通させて浸透させたものだった。


 木製の串に刺さった鳥の燻製を手に待ってくれていたレオリスとレゾに合流すると、ラナルゥは自分の分を口に咥えながら両手に持った燻製を二人に笑顔で差し出した。


「ふぁい、ふはりのふん!」


「お、おう。ありがとな、ラナ」


「あ、ありがとう……」


 二人が若干引きつった笑顔でそれを受け取ると、ラナルゥは満面の笑顔で頷いて美味そうに燻製をモグモグと食べながら二人の前を歩きつつ、周囲の露店をキョロキョロと見渡し始める。

 その様子を後ろから見つめつつ、二人は顔を見合わせて苦笑する。


「なんつーか、やっぽ俺らの中で一番大物なのはラナだよなぁ」


「うん。僕は情けないけど、緊張で胃がキリキリいってるよ……」


 元々色白な顔色をいつも以上に白くしたレゾが胃の辺りを撫でていると、ラナルゥが果物の露店に目を輝かせている隙に燻製を食べ切ったレオリスが、手に持つ空いた串とレゾの持つ燻製の刺さった串を取り替える。

 レゾが目線で感謝を示すと、レオリスは口角を僅かに上げて応えた。


「それにしても、こんな賑やかなところでするの? そのしゅーかぃ? っていうの」


 果物の露店から視線を切ったラナルゥが振り返って尋ねると、レオリスから渡された空の串を道端に敷設されたゴミ集積所に放り投げながらレゾが答える。

 

「まさか、場所はこの通りの先にある建物の中だよ。たぶん火龍の高巣(バーンクルス)が持つ支部の一つなんじゃないかな?」


「さっすが流民外最大規模を誇る組織だよな。館を支部だなんて、そんな目立つ建物を大々的に公表してるだけでもすげーわ」


 レオリスが口笛を吹いて皮肉ると、レゾが苦笑しつつ前を向くと先を歩くラナルゥが被っている 飾りっ気のない帽子が僅かにずれていることに気づく。


「ラナルゥ、帽子がズレてるよ」


 レゾが指摘するとラナルゥもすぐに気づき、慌てた様子で頭の帽子を両手で半ば押さえるようにして被り直そうとした。その拍子に手から燻製がまだ半分ほど残った串がポロっと落ちてしまう。


「あっあぁぁぁぁぁぁ~っ……」


 思わずラナルゥが悲痛な悲鳴を上げてしまい、通りを歩く人々が何事かと注目を集めてしまった。今度は逆にレゾが慌ててしまいそうになるが、その肩をレオリスがやんわりと握って落ち着かせると、地面に落ちた燻製を悲しげに見つめるラナルゥの側に行くと、クシャっとなった帽子を被る頭をポンポンと手で叩きながらラナルゥの前に自分が僅かに齧った燻製を差し出す。


「レオリス……?」


 何か問いたそうな顔でレオリスの顔を見つめるラナルゥに、レオリスはバツの悪そうな顔で頭を掻く。


「実は俺、アジト出る前に小腹が減っちまってさ。ラナが戸棚に隠してたパンケーキ食べちまったんだ」


 二人の間に沈黙が流れ、二人の後ろでレゾもポカンとした顔で呆けた。

 そしてその沈黙は他ならぬラナルゥの絶叫で解かれる。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! た、食べっ食べちゃったの!? 私の秘蔵ジャム付きパンケーキを!?」


「瓶の中身を舐めきる勢いで、美味しく頂いちゃったぜ!」


「ば、ばっばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 胸倉を掴んで涙目になりつつ、ラナルゥはレオリスを前後にブンブンと揺さぶる。

 揺さぶられながらもレオリスが『あっはっは! そんなに怒るなよぉ~』とのたまうと、ラナルゥはますます怒り心頭の様子で『レオリスのアホ! バカ! 食いしん坊! 剣術脳筋!』と叫びながら、さらに前後に振る速度を上げていく。

 その様子に最初は何事かと注目していた周囲の人間たちも『なんだ痴話喧嘩か……』とすぐに興味を失って通りは元の流れへと戻る。そうなった事を空気で察し、レゾが慌てて二人の仲裁に入る。


 その後、不機嫌そうにレオリスから奪い取った燻製を齧りつつ二人の前をラナルゥが歩き、その後ろを変わらず男二人組が付いていく構図に戻っていた。

 ちなみにレオリスはラナルゥのパンケーキを食べてなどはおらず、その場を和ます? ための方便だったのだが、敢えてその真実を語ることはしなかった。

 レゾは自分が注意したことでちょっとした騒ぎを起こしてしまい、結果的に注目を浴びてしまったことに凹んでいる様子だったが、大事の前ということもあり引きずらないように気を取り直した。


 計画や作戦を練ることは得意だが、予想外の事態に遭遇した場合や咄嗟の判断を下すことには、意外にもレゾは苦手だった。典型的な参謀気質なのである。

 そういった場面で、逆に思い切った決断や咄嗟の判断を感覚で迷い無く下すことが出来るレオリスがカバーしており、二人はそういった意味でも良いコンビと言えた。


 前で少しだけ肩をいからせて歩くラナルゥの細く編んだ長い三つ編みが左右に揺れるのを見ている内に、レゾは自分達が目的地の目の前に来ていることに気づいた。


「二人とも、止まって。もう目的地だよ」


 レゾの真剣な声に二人とも歩みを止め、ラナルゥも先ほどまでの不機嫌さなど何でもなかったような様子で二人の元へ歩み寄る。

 通りの隅に移動した彼らがレゾの視線を追うと、通りの終端に位置するそこには噴水を囲んだロータリーがあり、その向こう側に見上げるほどの立派な館が建っていた。

 作りこそ木造ではあるが、基礎は立派な石造りで頑強に作られており、周囲に建つ家屋のみすぼらしさも手伝って立派さが五割増しくらいに見える。

 実際に抗争や乱痴気騒ぎが日常茶飯事である流民街では、そういったモノ巻き込まれて建築物が破壊されたり、ひどい場合は放火されることもある。そういった出来事を踏まえて、こういった目立つ建物がキレイな姿で建っているということは、それは流民街の中でも相当な実力者の持ち物であることが窺える。


「なるほど……ここいらであれだけデカい建物を構えられるのは、そりゃ力を持つ連中だわな」


「学院寮くらい立派な建物だね」


 ここでラナルゥが言っている学院寮は第二学院の通っていた学士生向けの学院寮のことであり、臣壁内にある第一学院の学院寮は神殿を思わせるような無駄に荘厳な造りをしている。

 

「作戦……ってほどのことは今回ないけど、動きについて確認しよう」


 レゾの提案に二人は頷く。

 三人は通りの隅に移動してラナルゥが壁に背をつけ、その前に二人が立って話し始める。


「受け答えと交渉ごとは僕が請け負う。二人はとにかく動揺したりせず、はぐれたりしないように気をつけて。相手にどういう意図があるにせよ、それが友好的なものである確率の方が低いと僕は思ってる。でも、それが分かった上でここへ来たのは、あの火龍の高巣(バーンクルス)が握ったという『帝国の大きな動き』について知ることは重要なことだと思う。話の性質にもよるけど、彼らがそれを大々的に公表することはないと思う。だったら、それをいち早く知ることが出来れば、僕らは僕らなりの行動が出来ると思うんだ」


 ざっとここへ来た真意を再確認し、二人がそれに頷いたことに頷き返してレゾは話を続ける。


「館に入る以上、敵地って言うと物騒だけどあっちの領域に身を投じることになるわけだから。戦うなんて事態は絶対に避けたいけど、もしもの時のことは考えておかないといけないって言ったよね? だからここへ来る前に話したとおり作戦で行くよ。いいね?」


「おう」


「うん」


 短く答えた二人に頷き、念の為に二人に確認の意味を込めて問うことにする。


「二人とも、状況が拗れて敵対関係になった場合の動き、覚えてる?」


「レゾの指示を待ち、ラナが道を示した場合は迷わず追走。先頭はラナで真ん中にレゾ、殿は俺で交戦は出来る限り避けて外へ向かうこと」


「レゾ君の指示があればそれに従って、私が人の居ない道を探せれたらレゾ君の指示を待たずに、二人の服の袖を引っ張って合図してから一気に走り出すこと。人の気配は無くても罠がある場合があるから、不用意に壁には触らず、通路は中央を走るの避けること。えっと……通路と部屋の境や通路と通路の合流地点は特に注意すること!」


 二人が急な立案でとても作戦とは言えない個々の役割を覚えてくれていることに、レゾは若干の感動を覚えつつ二人に感謝した。


「よし、それじゃ精龍の加護(ドラグリーペ)にとっての大一番だ――行こうか」


「おう、背中は任せとけ」


「うん、頑張ろうね」


 今までにない確かな緊張感を感じながらも、あくまでいつも通りに振舞おうとする三人は、自分達が身に余る危険を冒していることに気づいていた。だがそれは、現在(いま)に留まり続けることを拒否し、新たな飛躍を遂げるために絶対的に必要な段階だと心の何処かで感じているからこその行動だった。

 故に三人は後悔することがないようにだけ、三者三様の覚悟を持って館へと向かう。


 彼らが何故そのような行動に出たのか――?


 それは当然、直近に遭遇した――ある人物から受けた影響だった。


 ある人物――クロウシスは深く関わることを避けることで、更なる大きな危険に三人を巻き込むことを避けたつもりだった。だが、若い三人にとって目の前であの荒唐無稽な強さを見せ付けられ、彼らは憧憬と共に願望を持った。

 その結果が、今まで慎重に行動してきた三人に驚くほど大胆で迂闊とも言える行動を取らせたのだった。


 三人は通りの隅から中央へと歩き出す。

 先頭はレゾ、真ん中にラナルゥ、最後尾にレオリス。

 流民街では滅多に見る事がない噴水の脇を通り、館の入り口へと向かっていくと、館の入り口には既に大勢の人間が集まっていた。

 年齢層も様々ではあるが、レオリスたちのように若い人間はほとんどおらず大体が三十を超えている。服装もそれぞれで小奇麗な格好をして来ている者もいれば、ならず者のような小汚い格好をしている者もいる。

 入り口に立つ主催者側の男たちは、見た目や服装で門前払いをするようなことはしないものの、尋ねてきた者たちの風体も込みで審査するような視線を向けつつ奥へと案内していた。

 レオリスたちはいつもの学士生の制服を改造した服ではなく、それぞれに流民街にとけ込める服装をしている。

だがそれは私服というわけでもなかった。


 レオリスは学院の格闘課程の際に着る黒を基調とした修練服の上下を着て、その上にジャケットを羽織って、腰に愛剣を帯刀している。レゾもレオリス同様に対人格闘課程の修練服を着て、その上から肩から足元までを覆ういつものローブを身に纏っている。ラナルゥもやはり女性用と男性用の違いはあるが、二人と同じ修練服を着てその上に肩から腰辺りまであるハーフコートを着込んでいる。

 それらは一見まったく流民街にとけ込めるような服装ではないように思えるが、元々雑多な民族が流入し続け多種多様な民族と異文化の坩堝となっている流民街では、三人の格好など地味な範疇に入るものであり注目を集める要素などなかった。

 勿論、元々服に施されていた学院を示す校章の刺繍や縫い付けられた徽章は全て剥がしている。


 若い三人組であることを除けば目立つ要素の無い三人は、何食わぬ顔で館の入り口へと続く列に加わった。

 列に加わって耳を澄ませば、周囲で同じように並ぶ人々の話が耳に入ってくる。


「しっかし、大勢きてやすねぇ。さすがは最大規模を誇る抵抗組織のお触れってことですかぃ」


「あったりめぇだ。いいか? この機会に火龍の高巣(バーンクルス)に取り入ることができりゃ、この街での生活は安泰なんだ。どうにかして手柄を立てるか、ウラジル=ハーティアに取り入るぞ」


「連中がどういう情報を握っているのかは知らないけど、とにかく私らに興味を持たせるんだ。そうすれば後は連中が欲しがってる情報か、何らかの結果を出せば取り立ててもらえる」


火龍の高巣(バーンクルス)の幹部になれれば、もう日銭を稼ぐ生活ともおさらばだ」


 周囲の会話を聞く限り、抵抗組織(レジスタンス)としての大義や帝国への義憤を口にする者はほとんどいなかった。それどころか、耳に聞こえるのは保身や安寧を求める言葉ばかりだった。

 

「なんか……雰囲気悪いな」


「……当たり前さ。火龍の高巣(バーンクルス)は良くも悪くも大きくなり過ぎている。巨大になり過ぎた組織は末端から腐り始めていくのが常だからね」


 小声でレオリスとレゾが会話している内に、列は少しずつ進んでいった。

 しばらく列の微進に身を任せていると、やがて三人の番が回ってきた。


 館の扉の前に立っていたのは、屈強な肉体を持った長身の男だった。

 年齢は恐らく三十台後半、体を相当に鍛えているらしく着ている服の上からでも頑強な筋肉が無駄なくついており、戦士としての像を思い浮かべるなら理想的な体型をしていた。三人の中で一番長身のレゾでも見上げるに背が高く、髪は短く刈り込んで兵士然としている。特徴的なのは右の頬に二爪の大きな傷があり、右眼の下から斜めに走る傷がより男の精悍さを増していた。

 長身のその男は扉の前に立った三人を見下ろすと、僅かに目を細めて鋭い視線を向けた。三人はその視線を受けても動じるような素振りは見せず、自分達を見下ろす男と正面から視線をぶつけて相対した。

 しばらく三人を見下ろしていた男は、突然ニィっと口を端を吊り上げるようにして笑うと、そっと右手を差し出した。その手にレゾが配られていた例の紙を渡すと、男は紙を見ずに右手だけを使って器用にそれを折る。

 

「組織名を聞こう」


 初めて口を開いた男から発せられたのは、その見た目通りの重厚な声音。それは何気ない言葉だが、気の弱い人間であれば萎縮してしまうような重みのある声だった。


「――精龍の加護(ドラグリーペ)


 レゾの答えを聞いて男は一瞬で笑みを消し、再度鋭い視線をレゾに向けてその後ろに控えるレオリスとラナルゥにも視線をやった。男の凄みの利いた睨みに対して、レオリスとラナルゥは視線を逸らすこともせず正面から受け止めた。

 三人の動じる様子の無い態度に男は再び笑みを浮かべ、体を引いて扉の前を空けた。


「……よく来てくれた。中へ入ってくれ」


 三人は一瞬視線を交わし、すぐに頷いて館の中へと歩を進めて分厚い木製の扉をくぐって室内へ入った。


                ◇◆◇


 夕焼けが軍本部の白い壁を茜色に焼く夕暮れの時。

 バン! という机を乱暴に叩く音が室内に響いた。

 机を叩いたのは金髪碧眼の少年。

 エイティス=ケイティフィールだった。


 内縁街北部に位置する帝国軍本部。

 その一室でエイティスは肩を怒らせて、執務机を挟んで相対する人物を睨んでいた。


「何故ですかっ父上! 現に奴らはここ内縁街に侵入して破壊活動を行っているのですよ!?」


 喚く息子を前に、エイティスの父である帝国軍中級将軍エルド=ケイティフィールは、西日の斜光を背に浴びながら苦虫を噛み潰したような渋面で座していた。


「『相手はたかだか下賎な平民の学士崩れが三人、お預かりした部隊を使ってすぐに捕まえてご覧に入れます』。確かお前は私にそう言ったな」


 十日ほど前にそう高々に言い放ち、この部屋を出て行った息子を前にエルドは父親ではなくあくまで軍人としての態度で答える。


「その結果が中級戦兵二名死亡、三名負傷。下級戦兵三名死亡、五名負傷か……下賎な平民の学士崩れを三人捕まえるには、随分な損失だとは思わんか? しかも取り逃しているときている」


 父である将軍の言葉に僅かな怒りと苛立ちが含まれていることに気づき、言葉に窮する。その様子を見てエルドは深い溜息をついた。


「現場調査でも確かにお前の言うとおり、魔法が行使された形跡は出ている。今のこの世界であれほどの魔法を行使できる者は極めて稀有な上に、確かに脅威だ。だが、その相手の特徴があまりにも曖昧に過ぎる。己の有能さを証明する場で、無能さを証明するとはな」


「……私が、無能だと仰るか」


 エルドから発せられた無能という言葉にエルティスは過剰に反応した。それは自分が常日頃から周囲の人間に対して思い使っている言葉であり、自分は決してそうではないという確信があり、有能な人間であると信じて生きてきたからだった。

 だが、それは他ならぬ父に否定されて動揺と失意と怒りを隠しきれずに言葉が洩れた。


「少なくとも有能ではあるまい? エイティス。お前は確かに私の息子であり、学院も優秀な成績で卒業して軍人となった。そのこと自体は私は誇りに思っている。だがな、いつまでも甘えてくれるな」


 最前線を離れて久しいが、エルドも遂数年ほど前までは前線の指揮を執っていたことのある軍人だった。長い遠征などによって家を空けることが多く、それ故に母を幼くして失った息子を長く一人にしてしまい、その後ろめたさ故に乳母や執事に対して出来る限り我侭を叶えるように命令していた。

 その結果、息子は尊大に育ちいつしか周囲を見下す人間になっていた。

 全ては自分の甘さと弱さが原因であり、息子自身に責があるのかと他人に言われれば返す言葉もなかったが、同じ軍人の道へとエイティスが自ら進んだ以上は、弁えるべき部分は弁えさせなければ部下の命を危険に晒すこととなる。


「自分のしでかした失態に対しての責任を取るのも軍人の務めだ。それが出来ないと言うなら上官として部下の命を預かることは出来ん。今回お前に戦兵小隊を預けたのは私の判断だ。だから、今回の責は私にある。だが、お前が指揮をした結果、兵が死んだのだ。規模がどのようなものであれ、それが軍事行動であるならば、そこにどのような予想外の出来事が起きようと、それに言い訳など一切立たぬと胆に命じておけ――話は以上だ。少し頭を冷やして来い」


 軍人一筋で生きてきた父親の重く温かな言葉を、重く冷たい(・・・)言葉として受け取り、エイティスは拳を震わせて一礼をすると踵を返して執務室を退出した。

 その背を見つめながら、徹底した軍人にもなれず、かといって馬鹿な父親にもなりきれない中途半端な自分こそが、息子を苦しめている元凶なのだろう、と思いつつも、やはりそのどちらにもなれない不器用な男がこけた頬に手をやって嘆息した。


 部屋を退出したエイティスは憤慨していた。

 先ほどの父エルドの話を聞いたエイティスの感想は簡潔だった。


 軍人が何を甘いことを――。


 上に立つものがいちいち部下の命の心配などしていては、適切で合理的な軍事行動など取れるわけが無い。戦兵以下の兵士など代えの利く駒のようなものだ。将軍であれば、それが騎士以下になるというだけのこと。

 昔は憧れすら抱いていた父だが、一線を退いて帝都で暮らすようになってから失望ばかり味わう。


 ――あの男はしょせん中級将軍で終わった男だ。


 出自と歳の割には出世したほうなのだろうが、それでもエイティスにとっては低い地位だった。

 自分はあの男とは違う。

 今帝国は貪欲な怪物のような勢いで世界中を喰い荒らしている。

 自分はその怪物に顎で使われるような存在にはならない。

 怪物を手懐けて躍進し、父では絶対に手の届かない高みへと昇って、栄光をこの手に掴むのだ。


 だが、そのためには乗り越えなければならない――すすがなければならない汚点がこの身にはある。

 気に食わない下賎な三人組の頭――レオリス=ケリン。

 あいつだけは生かしてはおけない。

 必ず捕まえて、この手で私刑に処さなければ気が済まなかった。


 とはいえ、エイティスは中級将軍の子息とはいえ、軍ではしょせん下級騎士に過ぎない。前回は父に願い出て戦兵小隊を借り受けたが、今はそれも出来ずエイティスは身一つだった。

 何の権限もない自分に苛立ち肩を怒らせて廊下を歩いていると、廊下の先で大きな笑い声がした。

 品性に欠ける哄笑にエイティスが胡乱げな視線を送ると、そこには体格の良い体を将軍服に包んだ大柄の男が女官と話しをしながら大声で笑っていた。


 煩そうにその様子を見ていたエイティスだが、その人物が誰だったかを思い出した時、頭の中で一つの思いつきが閃き、口の端をニヤリと上げた。

 エイティスは背筋を伸ばして廊下を歩いていき、将軍の男と女官が話をしている角まで来ると、将軍に一声掛けて深々と頭を下げる。


「ドリアム閣下。ご無沙汰しております」


 突然声を掛けてきた少年に、ドリアムは女官との話を邪魔されてやや苛立った表情で振り向いた。


「なんだ? 俺は下級騎士に知り合いなどおらんぞ」


「父の中級将軍昇任を祝う席で一度ご挨拶したことがございます。申し遅れましたが、私はエイティス=ケイティフィールでございます」


 父親が中級将軍であることを嫌味にならない言葉で告げてから、一度会ったことを告げて名を名乗ると、ドリアムも体の向きを変えて正面からエイティスと対峙した。


「……おぉ、ケイティフィール中将軍のご子息であったかっ! これは失礼した。なにぶん、俺はいい女の顔は忘れないが、男の顔は覚えておけん性分でなぁっ!」


 品の無い哄笑を上げるドリアムに表面上は柔らかな笑みを浮かべながらも、エイティスは内心侮蔑に満ちた悪態を吐いていた。だが、表情にはそのような素振りをおくびも出すことなく話を続ける。


「閣下。実は閣下に折り入ってご相談――いえ、ご報告したい事があるのです」


 腰低く接するエイティスに少なからず疑いの視線を向けながら、ドリアムは顎を指で撫でて率直な疑問をぶつけてきた。


「俺でなくとも御父上に助力を願い出れば良いのではないか?」


「勿論それも考えましたが、父は歳を経てから随分と角が取れて保守派になりつつあります。今回私が手にした情報を伝えたところで、恐らくは動いては貰えないと思われます。そこで帝都の改革を推進されているドリアム閣下であらば、この事案を解決すべく可及的速やかに行動して頂けると確信しております」


 滑らかな口調で耳通りの良いことを話すエイティスに、ドリアムはフンと鼻息を吐いた。


「担ぎ上げてくれるのは嬉しいがな、坊ちゃん。俺はお前さんが下級騎士にしては随分とデカいヘマをしでかしたことくらいは耳に入っておるぞ」


 エイティスの失態が軍内に広がるのを、父であるエルドが揉み消そうとしてはくれていたが、将軍以上には当然耳に入っていた。そのことを予期していながらも、実際に引き合いに出されてエイティスは一瞬自失しかけたが、すぐに深く下げた頭の下で顔を引き締めた。


「――私は自分の失態の尻拭いを閣下にお願いするわけではありません」


「そうでなくとも、結果的にそうなるんじゃないのか? そうでなければ、お前のような高慢そうな青二才が俺に頭を下げて媚びへつらう理由が思い浮かばんのだがなぁ?」


 図星を突かれて背に汗を掻いたが、考え方を変えればいいとエイティスは思い直した。


(そう、この男は下品で粗野だが、それでも父よりも自分に近い性質を持っている)


 そう思ったからこそ、与する方法も容易に考えることができた。

 そしてこの男が帝都清浄化を掲げて流民街を含む、帝都の一切から他種族を排斥する運動を推進するグループの一員であり、その中でも最も苛烈かつ行動的な男であることを承知している。 


「私も閣下と同じく帝都の清浄化を望む一員でございます。だからこそ、帝都の内部――内縁街に獣の血が混じった汚らわしい種族が侵入し、我らが新しき神を愚弄する行為を行うのが我慢できないのです」


「――なに?」


 自らの失態をすすぐダシにしようと自分に寄って来た若造が、それを看破されてどのような苦し紛れの言い訳をするのかと楽しみにしていたドリアムだが、エイティスの話を聞いて顔色を変えた。

 ドリアムは選民思想と共に人間至上主義を抱える派閥に属し、その一派の影響力によってレオリスたちが通っていたリディアス第二学院では、留学生としてきていた他種族の学士を国外退去処分せざる得なくなった。


 ドリアムは根っからの人種差別主義者なのだ。


 露骨にドリアムの表情と雰囲気が変わったことに気づき、エイティスは下げた頭の下で笑みを浮べた。そして頭を上げると共に、聞く意思を見せる下級将軍に一歩踏み込んだ。


「実は――」


 それから数時間後、エイティスはドリアムの権限で受領した龍騎兵(ドラグーン)アレスを駆り、流民街に出撃することとなる。


                ◇◆◇



 扉の先は玄関ホールとなっており、入り口正面には吹き抜けとなっている二階へ続く階段、天井部には控えめではあるがシャンデリアがかかっており、蝋燭の火がホール内を薄明かりで照らしていた。

 流民街ではまずお目にかかれない絨毯の上を歩いて階段側までくると、階段の側に控えていた執事服を着た壮年の男が恭しく三人にお辞儀をする。


「ようこそおいで下さいました。私は当館の主人より家令を任じられております、ゼクターと申します。精龍の加護(ドラグリーペ)御一行様でございますね? どうぞこちらへ」


 澱みなく流れるような仕草でホール正面の階段を示し、三人の前を歩いて案内を始める。その背に付いて行きながら、レゾは後ろを軽く振り返り玄関の方に目を向ける。扉は既に閉まって、三人を中へと入れたあの男の姿はそこにはなかった。

 三人が扉から館の中に入って、目の前を歩く家令と接触するまで僅か数秒ほどだった。それにも関わらず、家令はレゾ達が精龍の加護(ドラグリーペ)であると断定していた。まさか来る人間全員に聞いているわけではないだろうから、確認を取るように言葉も恐らくは社交辞令のようなものだろう。

 だとすれば、一体入り口の男と家令はどうやって意思の疎通を行ったのか。

 レゾは男に促されて扉の中に入る際も、背後にいる男に対して視線を不自然にならない程度にだが切らずにいたが、三人を中へと促してから男はすぐに次の者たちを相手していた。角度的にも男が家令に対して、例えば『頷く』程度の合図を送ることも不可能だったはずなのだ。


 ――やっぱり一筋縄にはいかない相手か。


 レゾが後ろの二人に視線を送ると、二人は最初の関門を突破したことと館へ入場したことで緊張が緩みかけてまた高まったのか、少しだけ硬くなっている様子だった。かくいうレゾも知らず知らずの内に手に力が入っていたらしく、強く握っていた手を解くとじっとりと汗を掻いていた。


 執事を後に付いて進んで行くと、ホールから二階の廊下に移ってもそこはまるで領主の館か何かのようで、通路の床は全て絨毯が敷かれており、置かれている調度品も一体どこから持ってきたのかと見紛う質の良いものばかりだった。

 流民街最大の規模を誇る抵抗組織が所有する建物なのだから、これくらい当たり前だと思う一方でレオリスたちが元々持っていたイメージは、もっと粗野で汗臭い雰囲気を想像していた。


「ここに主人のウラジルがおります。どうぞ、中へ」


 廊下の突き当たりにある木製の立派な扉の前で立ち止まった執事は、右手を胸に手を恭しく頭を下げると扉への道を開けて左手で扉を指した。

 レオリスが屋敷内で帯刀しているにも関わらず、それを預かろうともしないことに違和感を覚えつつも、自分たちからそれを申し出るほどレオリスたちもお人好しでななかった。だが、それにしても組織の長たる人物に会う人間に武器の携帯を許すというのは非常に違和感を覚える行為だった。

 三人は一度顔を見せ合わせてから、レゾが扉の前に立ち扉を三度ノックした。後ろでその様子を見つめながら、レオリスは全身に緊張を走らせ、ラナルゥは息を呑んでいた。


「開いている、入ってくれぃ」


 中から聞こえてきたのは、野太い男の声だった。

 許可を得たのでレゾがノブを回して扉を開くと、空けた瞬間に煙が室外に洩れ出るほどに煙草の煙が充満しており、レゾもレオリスも思わず顔を顰めるが、二人よりもずっと鼻の利くラナルゥは迷わず鼻を摘んで涙目になるほどに堪えていた。


「どうした? 入ってくれよ」


 ラナルゥの鼻のよさと煙草を苦手としていることを知っている二人が、思わず後ろを振り返ってしまっていたが、中から再度入室を促す言葉が聞こえて慌てて中へと入った。

 夜の闇が室内さえも暗く侵す中で、その部屋は幾つかのランプで光源を取り、玄関ホールの明るさが嘘のように薄暗かった。まるであの明るさは愚かな羽虫を寄せる餌であり、この薄暗い場所こそがこの場所の本質であるかのように重い空気がその場を支配していた。


「よぅ、あんた等が精龍の加護(ドラグリーペ)かぃ」


 入室を促した声と同じ声。

 三人が目に染みるほどに濃い煙が充満する室内は、置かれている調度品などは先ほどまでと変らず高価な物が置かれているが、漂う雰囲気は何処か気怠けなものだった。

 部屋には四人の人間がいた。

 その中で口を開いたのは、部屋の中央でやたらと簡素な椅子に腰掛ける一人の男だった。


「あー煙そうだな……まぁ、勘弁してくれや。これもちょっとした対策なんでな」


 年の頃は四十歳前後。

 中肉中背でぼさぼさの髪に平民である証拠の鳶色の瞳を眠たげに開き、薄く笑った表情で三人を見ていた。

 三人が想像していた威厳と偉力を伴った男性――というわけではなく、そこらの屋台にでも居そうな特徴の薄い男だった。

 だが、見た目とは裏腹に何か得たいの知れないものを持っていて、それが三人には不気味に映った。


「どうしたぃ? 想像と違うって顔してるぜぃ?」


 男――ウラジルの言葉に三人はハッとして、慌てて姿勢を正した。


「僕は精龍の加護(ドラグリーペ)のレゾと言います。こっちにいる二人はレオリスとラナルゥです」


 レゾが前に立ち自分達の紹介をして、レオリスとラナルゥがそれぞれ会釈すると、男は三人それぞれの顔を座ったまま見て、ニィっと笑みを浮かべた。


「噂通り若いな。だが、目にそこらのガキ共とは違う光があらぁな。確かにアレだけのことをやらかす玉は持ってそうだぜ」


 一目見ただけでそう言い切ったことに焦りに似たものを感じると同時に、本当に自分達が精龍の加護(ドラグリーペ)なのかを疑われることも覚悟していたので、他ならぬウラジル自身が認める発言をしてくれたことは幸運に感じられた。


 だが、予想外の言葉が外野から入ってきた。


「ちょっと待ってくだせぇ。そいつらは偽者ですぜ」


 言葉を発したのは部屋の左奥でテーブルを囲んで座していた二人組の男だった。

 予想外の言葉にレゾたちが目を見開いていると、男の一人がつかつかとレゾとウラジルの間に割って入るように立ち塞がった。

 レゾの前に立った男は小太りで見るからに卑しそうな顔をした男だった。テーブルに付随している席から立ってレゾたちを見ているのは、小太りな男とは逆にひょろりとした痩躯の男で、二人とも軽装ながらも防具を身につけており、それぞれに剣とナイフを腰に下げている。


「こんなガキ共に騙されちゃダメですぜっウラジルの旦那ぁ。こいつらは旦那のことを騙して取り入ろうっていう卑しい考えをした流民街のガキだっ!」


「あなた方は一体……?」


 口角泡を飛ばして喚く男にレゾが引き気味に尋ねると、ある意味レゾにとって予想通りの返答が返って来た。


「俺たちは――いや、俺たちが精龍の加護(ドラグリーペ)だっ!」


「――はぁ!?」


「えぇっ!?」


 レゾにとっては予想内の返答だったが、後ろに立っている二人にとってはまったく予想外の言葉だったようで、二人とも驚きの声を上げた。

 その反応を無視して、小太りの男は長身のレゾを下から睨み上げて凄んだ。


「ガキ共、わりぃーこたぁ言わねぇ。今なら俺から旦那に取り成してやるから、馬鹿な考えは捨ててとっととけぇーりな」


 その言葉にもレゾは動揺することなく軽く目を細めた。それよりも、後ろからレゾの前に出ようとしたレオリスを右腕を上げて制する方を優先する。

 レオリスが怒りを含んだ視線をレゾに向けるが、レゾが冷静な表情で顔を横に振ると苛立った様子で口をへの字に曲げながらも後ろに下がった。

 レオリスが暴発しなかったことに安堵しながら、レゾは目の前の男を無視してウラジルへ向き直る。


「今回は僕らは貴方方の招待があってここへ来ました。そう思っていたのですが、お呼びでないと言うならば僕らはこれで失礼させて頂きます」


 レゾの言葉に小太りの男と痩身の男はニヤっと笑みを浮かべるが、ウラジルは肘置きに肘を置いて頬に拳を当てた姿勢で面白そうにレゾを見る。


「随分と潔いじゃねーか」


「当然です。僕らはここへ目的を持って来ましたが、貴方方が――」


 そこで一度言葉を切ると、レゾは静かな怒気を込めた目で小太りの男を見下ろす。


「――こんな偽者で事足りると思っていらっしゃるならば、僕たちもあなた方に用などありません」


 その物言いにウラジルは笑みを深くして、レゾの後ろにいる二人は驚きつつも喜色を浮べた。そして小太りの男と痩身の男は一瞬キョトンとしたが、すぐに顔を真っ赤にして小太りの男がレゾに掴み掛かろうとした。


「てめぇぇぇぇっ!」


 だが、その行動はレゾと男の間に鞘に収まった剣が割って入ったことで止められる。

 剣を差し入れたのは勿論レオリスで、粗野な笑みを浮かべて剣を持ったまま小太りの男を見下ろしていた。突き出された鞘に収まった剣で行く手を遮られ、小太りの男は憎々しげに二人を見ると自身も腰に差した剣の柄に手を触れている。


「おっさん、うちの参謀に触れんじゃねーよ。相手が欲しいなら俺がなるぜ?」


 レオリスの挑発的な言葉に小太りの男は青筋を立て、柄を握った手が前に動き鈍い輝きを放つ刀身が僅かに鞘から覗きかける。


「抜けば戦いは避けられませんよ? でも、ここを何処だかお忘れじゃありませんよね?」


 レゾの言葉に小太りの男はギクっと体を震わせて、背後から自分を見つめるウラジルの視線を感じ、握った柄を鞘へと押し込んだ。だが、まだ柄から手は離さずにいた。


「僕らは目立つ存在だったし、そんなに存在を謎にしようともしていませんでした。こと流民街では、僕らが住む地区ではそこそこ顔も知れ渡っていましたよ。こちらにも噂が届いているのだとすれば、精龍の加護(ドラグリーペ)は若い三人組だということはご存知なのでしょう?」


 暗に最初にウラジル自身が『噂通り若いな』と言ったことを言質として、レゾがそこにいた全員に向けて言うと、小太りの男がまたも口角泡を飛ばす勢いで喋る。


「俺たちは組織の代表としてここへ来てるだけだっ! 実際に工作活動を行っているのはウチの若い連中なんだよっ! 適当なこと言ってるぶっ殺すぞ!」


 喚き散らす声に辟易しながらも、レゾが男を見下ろして理詰めをしていく。


「では、精龍の加護(ドラグリーペ)が内縁街で行ってきた破壊工作ですが、それが行われた場所を順番で言えますか? そもそも何を破壊してきたのですか? それを狙って破壊したのは何故ですか? 何か一つでも答えれるなら今すぐに答えてください」


 矢継ぎ早に繰り出されるレゾの質問に、小太りの男は思わずたじろぎすぐに返答することが出来なかった。そして小太りの男が後ろを振り向くと、そこには笑みを浮かべたウラジルが面白そうにことの成り行きを見ていた。

 その笑みを浮かべた表情の中で、目が笑っていない(・・・・・・)ことに気づき小太りの男は生唾を飲み込み、その視線から逃れるかのようにレゾたちに向き直る。


 ――動きがあったのは、その瞬間だった。


 室内に『キィン』という金属同士がぶつかる甲高い音が響き渡った。

 音の正体は、レゾに向かって投げられたスローイングダガーをレオリスが鞘から抜き放った剣で弾いた音だった。ダガーを投擲したのは小太りの連れ合いである痩身の男で、すでに第二投を放つところだった。

 レゾの前に立ったレオリスが剣を横薙ぎに振ると、投擲された三本のダガーを残らず払い落とした。その光景に男二人は唖然とし、レゾとラナルゥも驚いた表情をしていた。

 唯一、ウラジルとその脇に控える人物だけは驚くこともなく、目の前で行った諍いを見ていた。


「こちとら剣で銃弾を弾こうと日々剣を振ってんだ。ナイフなんか届かしゃしねーぞ」


 ナイフを払い落としたレオリスはニヤっと笑みを浮かべて、成功したことに内心安堵しつつも敵に舐められないために大口を叩く。だが、現にナイフは全て弾き落とせているので、ナイフを投げた男からすればレオリスの意味不明な言葉にも凄みを感じた。

 ここ毎日、レオリスは銃弾を弾き落とすイメージを持って毎朝剣を振り続けてきた。短時間で驚くほどに人が成長することは滅多にないが、高い目標と自信を持つ意ことで元々持っている能力を最大限に発揮することは可能だ。その結果が、剣によるダガーの迎撃だった。


 剣を抜いたレオリスに対し、剣で見事にダガーを弾き落としたことに呆けていた小太りの男も慌てて自分の剣を抜いた。

 レオリスを睨んだまま、手に新たなダガーを持った痩身の男が投擲の構えを取ったまま隙を窺っていた。

 レゾがレオリスの後ろでローブの中、足の腿に固定していた簡易スタッフに手を這わせる。その更に後ろでラナルゥが二人の邪魔にならないように、二人の背後に身を隠しながらも二人が敵となった二人組に集中している間に、他に妙な動きがないかをつぶさに観察していた。


「……」


「……」


 沈黙が室内に漂い流れる。

 剣を手にした小太りの男がジリジリと靴で絨毯をにじる音をさせ、相対するレオリスが姿勢を低くして小太りの男を警戒しつつも、その目は痩身の男から視線を切ることなく見つめていた。

 その場が本格的な一触即発を迎える寸前で、部屋の扉が開いて一人の男が入ってきた。


「おっと、お楽しみの最中だったかな? 邪魔したならすまなかった」


 室内の張り詰めた空気など歯牙に掛けず軽口を叩いたのは、館の入り口にいたあの男だった。

 先ほどレゾたちと言葉を交わした時は地味な平服を着ていたが、今は赤を基調とした火龍の高巣(バーンクルス)の上級員が着る制服に身を包み、先ほど三人を中へと案内したときと同様に不敵な笑みを浮べている。


「おう、クリフ。今ちょうどいい出し物の最中だ」


 ウラジルが暢気な声で言うと、クリフと呼ばれた男はやれやれという表情で首を振る。そして腰に剣を帯刀したまま中へと入ってくると、睨み合うレオリスと小太りの男の間に入ってきた。

 見るからに屈強な肉体を持ち、身に纏った雰囲気も荒事に慣れ親しんでいるという猛者の気配がして、小太りの男は勿論のことレオリスも僅かにたじろぎそうになった。


「ウラジル、遊ぶのも大概にしておけ。俺はこういうことをさせたくて、そいつらを先に中に入れたわけじゃない」

 

 そう言うと、クリフと呼ばれた男は顎をしゃくって小太りの男と痩身の男を指す。

 クリフトの言葉にウラジルが悪戯を叱られた子供のように頭を掻く。その様子にしばらくポカンとしていたが、小太りの男が精一杯の虚勢を張って自分の半身分は上背のあるクリフを下から睨む。


「てめぇは入り口にいた野郎じゃねーか……誰なんだ?」


「これは失礼。俺は火龍の高巣(バーンクルス)火龍部隊『火龍翼(アレストレス)』隊長クリフト=ヴァルシミクだ」


 その名を聞いた瞬間、小太りの男は目を見開いて後ずさった。痩身の男も構えていたダガーを持つ手を下ろして、若干足を震わせていた。


火龍翼(アレストレス)の隊長って……あの裏切りの?」


 クリフト=ヴァルシミク。

 その名を流民街で抵抗組織に関わっていて知らないものは、まず居ないだろう。

 抵抗組織が本格的に世に認知されるようになったのは、十年前に起きた火龍の殺害が発端だった。

 多くの火龍信徒が声を上げて帝国を糾弾し、各地で暴動が起こり国は荒れた。だが、それはすぐに鎮圧されることとなる。

 その原動力となったのが、火龍バーンアレスを殺したことによって稼動した龍騎兵(ドラグーン)アレスによる武力鎮圧だった。この火龍信徒鎮圧騒動で数万人の人々が犠牲になったと言われている。

 こと市街地におけるアレスの制圧能力は凄まじく、高い跳躍能力と硬く火に滅法強い装甲に守られた機械の化け物に対して、剣や槍など何の役にも立ちはしなかった。

 そんな折に、一方的に蹂躙される火龍信徒たちの前に現れたのが、当時帝国の下級騎士だった男――クリフト=ヴァルシミクだった。

 自身も配備されたばかりのアレスに搭乗して鎮圧任務に就いていたのだが、そのあまりに一方的な戦局と手にした力に酔って精神に異常きたして残虐な行為に及ぶものが続出したことを目の当たりにして、軍に対して鎮圧任務に異を唱えたが、いち下級騎士でしかなかったクリフトの訴えは当然無視された。それどころか危険分子として拘束すらされた。

 思想修正という名の拷問を受けた末に、クリフトは帝国を捨てて軍を出奔した。

 そして次のクリフトの名が表舞台に立ったのは、既に抵抗組織として産声を上げていた火龍の高巣(バーンクルス)の戦隊長としてだった。軍で培った兵法に独自の戦術を組み合わせ、更に龍騎兵(ドラグーン)の弱点を独自に研究した戦い方を考案した。

 元々天才的な戦術センスがあったのに加えて、火器に対する技術的な素養にも恵まれていたことによって、他組織が為しえなかった部隊行動による龍騎兵(ドラグーン)の破壊に最初に成功した。

 これらの功績から、抵抗組織に所属する者たちから『裏切りの火龍兵』と呼ばれて敬い畏れられた。

 いわば伝説的な男なのだ。


 そんな男が突然目の前に現れ、二人組は完全に戦意を喪失していた。

 レオリスとレゾも生きる伝説のような人物が目の前にいる事実に気圧されていた。


「こいつらを試すダシに使ったことは悪いと思っているが、あんたらもどうやら俺たちを騙してやろうって魂胆だったんだろう? どうだ、ここはお互い様ってことで大人しく身を引いてくれないか?」


 クリフトの真摯な言葉と、そこに秘められた確かな迫力に男たちは動揺を隠し切れず、手にしたそれぞれの武器を震わせた。そしてお互いに顔を見合わせてから頷き合うと、そそくさと扉へと向かう。

 出て行く途中で痩身の男がレオリス、レゾ、ラナルゥの順番で忌々しげな視線をぶつけてきたが、三人は動じることなくその視線を受け流した。


 二人が退出してから部屋には沈黙が訪れ、妙にくたびれた椅子に座ったウラジルが足を組み直して懐から煙草を取り出して火をつけた。

 三度の扉の開閉によって充満していた煙が幾分薄らいだ部屋に新たな紫煙が吹かれる。


「さて、若いは若いがまんざら勢いだけの阿呆ってわけでもなさそうだ。こいつらが件の精龍の加護(ドラグリーペ)だってのは間違いないんじゃねーかぃ?」


「最初から裏は取れていたことだろう。もったいぶった言い方をするな」


 ウラジルの言葉をピシャリとカットすると、クリフトは三人に向き直るとニヤりと口の端を吊り上げた。


「騒がせてすまなかった。試されるというのは気分のいいものじゃないと思うが、我々も組織を背負った身だからな。相手を見極める必要があるんだ。理解してくれると助かる」


「……必要なことだったと思います」


 突然現れた伝説的な人物を前に、レゾも動揺を隠し切れず平静を保てずにいた。レオリスも部隊運営から個人戦闘に至るまで神がかりな活躍をしている人物を目の前にして固まっていた。その後ろでラナルゥは新たな紫煙に涙目になりつつも、場を収めてくれた人物を興味深げに見ていた。


「さて、だが今この場が君らにとって安全で友好的な場であるか――と言われれば、実はそうでもないんだ」


 クリフトの言葉に三人が凍りつく。

 緊張が解けかけていたところに、突然抜き身の刃を向けられたような心境だった。

 凍りつく三人の前を横切ってクリフトがウラジルの横へと移動し、踵を返して三人に振り向く。これで部屋の中には六人の人間が居て、その三人はそれぞれに並んで向き合う形となった。


「意図あって君らをここへ呼んだのは間違いない。恐らくここへ来るまでは、自分達が名指しされたことについてはある程度の確信は持ちつつも、何処か半信半疑な部分もあっただろう?」

 

 緊張を高めながらも三人は頷いた。

 自分達を見つめる三対の目に改めて晒されたとき、レオリスたちは初めて相手が自分達よりも数段上の存在であることを認識した。

 彼ら三人の前に立つのは、曲がりなりにも流民街最大勢力を誇る抵抗組織火龍の高巣(バーンクルス)を束ねる最高幹部の三人なのだ。

 

「では、本題に入ろうか。君らの活躍は我々の耳にも入ってきている。構成員は君ら三人だけなのだろう? だとしたら大したものだ。内縁街に侵入しての破壊工作などということは、中堅どころの組織でもなかなか出来ないことだからな」


 称賛を送りつつクリフトが頷くと、そこへウラジルが口を挟む。


「当然の話だが、他組織はお前らが帝都内部への侵入経路――あの『壁』の越える方法を知っていると思っている。そして実際にお前らはあの壁を二つ越えて、内縁街という帝都の奥深くへの侵入を果たしている。まぁ、大半は妬み辛みだろうが、それでもお前らが内縁街への侵入経路を秘匿することをよく思わない人間は多いってことだわなぁ」


 ウラジルの話を聞いて、レゾは『やはり――』と思うと同時に焦っていた。

 元々若く少数な割には派手なことをしていた自覚は多分にあったのだが、こうやって流民街でも最大の規模を誇る組織の長に直接言われれば、自分達が随分と暢気に危ない橋を周回で渡っていたことを思い知らされた。


「それで……その方法をあんたらに話せってわけか?」


 レオリスが厳しい顔で絞り出すような声音で尋ねた。

 交渉役を買って出たレゾの横でレオリスが三人を睨むが、レゾにはそれを制止する気にはなれなかった。元々あの壁を越えるための地下道は全てレオリスが知っていたもので、それを三人でフルに活用していた。何故レオリスがあの地下道に熟知していたのかも知っているレゾには、レオリスの地下道に対する思い入れも十分に分かっているつもりだった。


 静かに三人を睨むレオリスに対して、ウラジルが肘掛から右手をすっと上げると、向かってウラジルの右側にいた人物――この部屋にレオリスたちが入ってからただの一言も言葉を発しなかった人物が前に進み出た。

 ランプの光源の届くところへと出てきたのは、一人の女性だった。

 眼鏡をかけた碧眼の切れ長の目は、怜悧で高い知性を感じさせる。貴族の証である稲穂のような黄金色の髪を肩にも届かないほどのショートカットにし、クリフトと同じ赤を基調とした火龍の高巣(バーンクルス)の上級員が着る制服を身に着けている。


「――内縁街三十七区ウィンズ通り二十二番地。内縁街第四十三区スヴェンス通り二十九番地。内縁街第四十八区テラリア商業区三番地」


 その女性が突然羅列し出したのは内縁街の住所だった。

 知らない者にとっては、それが何のことなのかは分からなかっただろう。

 だが、レオリスとレゾはその住所の羅列を聞いて顔を青くした。


「これらは全て、あなた方が内縁街に侵入する際に使っている地下通路の出入り口のある建物の住所です。勿論、外縁街側の住所も把握しています。外縁街と流民街も同様です」


 そこで女性は言葉を切り、冷たい視線を三人に向ける。


「――続けますか?」


 怜悧な視線で睨まれレオリスが言葉を窮すると、レゾが再び前に出た。

 その顔には焦りが浮かぶと同時に、疑問が大きく張り付いていた。


「僕らが使っていた地下道の出入り口を把握しているならば、一体僕らに何の用があるというのですか? まさか使用の許可を得るためだなんてことではないでしょう?」


 少し皮肉めいた言い方になってしまっているが、レゾの疑問は心からのものであり率直な思いでもあった。

 あの地下道を利用したいというだけであれば、組織規模の差を考えても火龍の高巣(バーンクルス)側がレオリスたち精龍の加護(ドラグリーペ)に対して気を遣う必要などありはしない。力ずくで奪い占拠占有したとしてもそれを責める者などいないし、レオリスたちも泣き寝入りするしかないはずなのである。


「――勿論あの地下道をこっちで奪って使うことだって考えはしたさ。だが、それは止めた」


「それは何故ですか?」


 答えたのはウラジルですぐにレゾは尋ね返すと、小さく嘆息して一度目を瞑って再び開けた時、ウラジルの目には鋭さがあった。そして、その視線はまっすぐにレオリスに向けられていた。


「――リサ」


 名を呼ばれたのはウラジルの右側に佇む先ほどの女性。


「はい。旧名レオリス=ケリン。現在の名はレオリス=ダルグ=ヴァリアント。父は帝国軍龍骸物(ロ・レゾナス)研究所の建設にも協力し、現在は帝国軍兵器総局の技術長の任に就いているダグラス=ダルグ=ヴァリアントです」


 リサの口から感情乏しく抑揚も無い口調でスラスラと語られた言葉に、三人は驚愕した。

 特にレオリスは目を見開き、信じられないもの聴いたという表情で固まっていた。


「俺はダグラスと昔少々縁があってな。と言っても本当に昔の話で、それこそ奴がまだ外縁街で武具――」


「やめろっ!!」


 激昂したレオリスがウラジルの言葉を大声で遮った。

 他の二人から見てもレオリスの動揺はひどく、柄を持つ手が怒りと動揺で震えていた。

 最も触れられたくない過去に無遠慮に触れられれば、誰しも感情を抑えることは難しいだろう。

 

「やっぱり親父とは冷戦中か……まぁ、そうじゃなきゃこんなところでそんなことをしてないわな」


「黙れっ……あいつの話を俺の前でするなっ!」


 息を荒らげて睨みつけてくるレオリスに対し、ウラジルはやれやれという表情で笑う。

 その様子を心配そうにみていたラナルゥがレオリスの腕にそっと触れると、レオリスはビクっと体を震わせて思わずその手を振り払ってしまった。

 払われた手を抱きしめて一歩下がったラナルゥに、レオリスは払った自分の手を震わせながら申し訳なさそうに俯くラナルゥを直視出来ずに奥歯を噛んだ。


「レオリス落ち着いて……下手に動揺しては相手の思う壷だよ」


「――あぁ、すまねぇ」


 取り乱して仲間の気遣いすら邪険にした自分の未熟さに歯噛みしながらも、冷静でいてくれる親友の言葉に幾ばくかの理性を取り戻し、レオリスは頷いた。


「……ごめんな、ラナ」


「う、ううん。辛いのはレオリスの方だもん……平気?」


 強がりではない明るい表情で聞いてくれるラナルゥに救われ、レオリスは何とか笑みを浮かべられた。そして出来る限りいつもの表情であることを意識して頷いた。


「おう、大丈夫だ」


「うんっ」


 二人のやり取りに胸を撫で下ろしながら、レゾは目の前にいる三人に鋭い視線を向け直す。


「あの地下道の由来さえもご存知だと言うなら、なおさら僕らを呼んで尋問する理由が分かりません。まさか旧知の人物に義理を通すためにレオリスの許可を得たい――なんて、そんな理由でもないでしょう?」


 乱れかけた仲間の輪をすぐに修正し、もう一度対等な目線で詰問してきたことに対して、ウラジルはこの三人の間にある絆が生半可なモノではないことを再確認しつつ笑みを浮かべた。そして左隣に佇んで同じく様子を見ていたクリフトに視線を送ると、クリフトは静かに頷いて三人に視線を向ける。

 それは何気ない視線だったが、次の瞬間――場の空気は一変した。


「「「――ッ!?」」」


 全身が総毛立つような感覚。

 まるで目の前に牙を剥いた野獣がいるような焦燥感。

 今まで味わったことの無い純然たる殺意を向けられる恐怖。


 それは戦兵に包囲された時には感じなかった感覚であり、今感じる感覚に比べれば喚きながら『殺す』と叫んでいたエイティスの殺意など不快に感じる程度の感情に過ぎなかった。

 三人とも足が震え出すことを押し殺すのが精一杯で、その視線を正面から受けることは勿論のこと睨み返すことなど出来るはずがなかった。


「――やっぱりなぁ」


 ウラジルの言葉を合図にクリフトは殺意と伴った敵意を三人に向けて放つことを止めた。

 それと同時に三人は体にジットリと汗を掻き、ラナルゥなどは少し体をふらつかせていた。その様子にレオリスとレゾが咄嗟にラナルゥの両脇を支えた。


「どう思う、クリフ」


「お前の考えた通りだな」


「だろう? となれば、やはり聞かねばなるめぇーな」


 ウラジルの問いにクリフトが頷くと、ウラジルは面白そうに口の端を吊り上げた。その様子にレオリスは苛立ちを隠せず噛み付く。


「何なんだよ、あんたら。突然クソみたいな殺気漲らせやがってっ! 一体なんの真似なんだこれはっ!」


 さっきのこともあっていつになく言葉の汚いレオリスだったが、レゾもそれを訂正する余裕がなく、感じている思いもレオリスのそれに近かったので黙って相手の回答を待った。


「お前たち、人を殺したことはあるか?」


 唐突で脈絡のない質問に意表を突かれ、呆けた表情で三人は一瞬言葉を失ってしまった。

 その表情を見てから、クリフトは答えなくていいとばかりに手で三人を制した。


「ないな? 人を殺したことある奴なら、今くらい殺意を込めた敵意を感じれば大なり小なり身を守る為に反射的な行動を取ることが多い。だが、お前らは三人が三人とも一般的な人間と大して変わらない反応をした。したがって、お前らは人を殺したことはない――少なくとも故意にはな」


 クリフトの説明を聞いて納得は出来ても、その行動によって得られる情報から最終的に何を導き出したいのかはまだ不明瞭だった。

 今になって震えだしそうになる足に、震えるほどに握り締めた腕を沿えてレゾは声を絞り出す。


「いったい、それは何の確認なんですか? 僕らが人を殺してないことが何だというんですか……」


 三人とも『殺さず・奪わず・捕まらず』を信条に掲げて、必要以上に人を傷つけずに無機物の破壊に徹してきた良く言えば人道的、悪く言えば甘ったれた行動理念で行動してきた三人なのだ。勿論、人を殺めたことなどあるはずもなく、傷つけることさえ稀と言っていいほどに逃げるのが上手かった。


「――内縁街第三十四区アウスリン居住区十四番地」


 再び口を開いたリサの発した住所を聞いて、三人はまたもや表情を凍りつかせることとなる。

 その住所は三人がエイティスの罠にかかった末に、逃走に使おうとした内縁街と外縁街と結ぶ地下道があるあの邸宅の住所だった。

 あの時、三人がそのまま何事もなく逃げられていたなら何ら問題なかった。

 だが、あの時三人はエィティスの追撃をかわし切れずに追いつかれ、その末に――。

 そこでようやく、三人はウラジルたちが何を問いただしたいのかを理解した。


「お前たちは最後に行った破壊工作で、どうやらしくじったみたいだな? そして追っ手を振り切れないまま、まんまと内縁街と外縁街を繋ぐ地下道の入り口がある建物まで泳がされて、そこで包囲された」


 事実を言い当てられてぐうの音も出ずに口篭っていると、そこでウラジルは口元に手をやり無精ひげを撫でると首を傾げた。


「お前たちが包囲されて追い詰められたところまでは、うちの者が監視していた――が、そこでそいつは何者かの襲撃を受けてな、気を失った。意識を取り戻したときは全てが終わっていたんだ」


 顎を撫でていた手を顔の上に上げて、片手の手の平で目を擦るような仕草をしてから、その手を外したとき雰囲気がガラりと変わった。

 今までどこか軽薄とも言える適当さがあったが、今はまるで違う人物がいるようだった。

 くたびれた椅子に浅く腰掛け、前屈みの姿勢で鋭い眼光を放ち三人を睨みつける男からは、確かに数万人とも言われる人間をまとめるに足る何か(・・)を感じることができた。


「中級戦兵二名が死亡、三名が負傷。下級戦兵三名が死亡、さらに五名負傷。この兵士たちは訓練を積み実戦経験もある優秀な連中だったそうだ。そしてお前らが逃げ込もうとした邸宅は外縁街からでも見える高さまで炎が噴き上がり、爆発炎上。この爆発に巻き込まれて死んだ五名の兵士の内、二名は死体が消し炭になって発見されなかったそうだ」


 あの事後の情報をあえて収集していなかった三人は、あの時目の前で放たれた魔法の一撃によってもたらされた被害を聞いて息を呑んだ。

 そんなレオリスたちの様子をつぶさに観察しながら、ウラジルは話を続ける。


「帝国側の事後調査結果を手に入れて読んだが、あの炎と爆発は魔法によるものだった――リサ」


「はい。現在、我らが御神『焦熱の火山』バーンアレス様の逝去によって火の精霊力(エレメント)が世界から減退しています。そのような状況下であのような魔法を前準備もなしに行使できるのは、帝国が皇国の時代より抱えている宮廷魔道師でも恐らくは不可能です。現在あれほどの火の精霊力(エレメント)を行使できる存在は、火龍様の御力をその身に備える火龍の巫女であらせられる帝国第二皇女クリシュ様、そして帝国第一皇子ラウズ様だけです」


 リサの口から語られる事実とそこに出てきた名前は、三人にとって雲の上のような存在の二人であり、三人を助けた人物がどれほどの力を持っていたのかを客観的に知り、改めて驚愕させられた。


「ここまで言えば、賢しいお前らなら察しはついただろ? 俺らがお前らをここへ招いたのは、あの時何があったのかを知りたいんだよ。小規模ながらも帝国軍の部隊に包囲されたお前らが、どうやってその包囲状態から邸宅内に入り、すぐに追撃してきたはずの兵士たちに追いつかれること無く地下道へのハシゴを降りて、そして邸宅内にいる兵士を建物ごとぶっ飛ばす魔法を使った――それをやってのけた人間が誰かってことをな」


 ウラジルから第三者の存在を示唆されて、三人は極力動揺しないように努めたが、それでもウラジルたちから見れば三人の目は動揺に泳ぎ隠し事をしているのは明らかだった。


「お前らは人を殺したことが無い。お前らの中でアレほどの魔法を使える者もいない。だったら答えは一つだ。誰か居たんだよ、あの時あの場所に――そんだけのことをやってのける化け物みたいな奴がな。俺の予想ではお前らに付けていた監視を気絶させたのも、十中八九そいつの仕業だ。軍の連中なら殺してるか、連れ帰って尋問のために拷問の一つにでもかけてるはずだからな」


 部屋に備え付けられた大きな柱時計の振り子が左右に揺れる音が妙に大きく聞こえた。

 ウラジルは自分が問いたいことの内容と意思は伝えたとばかりに、両膝に両肘を置いた前傾姿勢で顔の下で組んだ両手に顎を乗せて三人の回答を待っていた。

 三人は最早あの場に第三者が介入しなかった、という嘘がつけるような状況でないことは理解していたが、それでもすぐにあの男――クロウシスの名を出すことは出来ずにいた。


 自分達に付いていた監視を気絶させたのがクロウシスであるならば、少なくともクロウシス自身が自身の存在が不用意に露見して広まることを避けたいと思っている可能性がある。その可能性がある限り、ここでレオリスたちがクロウシスのことをウラジルたちに説明するのは、あの人物への裏切りに思えてならなかった。

 その圧倒的な強さ、埒外の魔法を行使できること、神聖にして伝説的な存在である白龍を連れ合いとしていること、その全てがクロウシスが只ならぬ人物であることを示していた。

 だが、そんなことは分かりきっていたことだ。

 彼らが口をつぐむのは、単純にあの命の恩人を裏切りたくないという一心だった。


「だんまりか……だが、こちらも浅い考えでお前らをここへ呼んだわけじゃない。お前らがそいつの正体を明かしてくれるまでは、悪いが帰すつもりはないぞ」


「仮にその人物が実在したとして、あなた達はどうするつもりなんですか?」


 墓穴を掘らないように言葉を選びながら、レゾは時間稼ぎにしかならないことを承知の上で質問をした。ウラジルたちは確信を持って尋ねてきているし、レゾたちとしてもあの状況をこの三人で打破出来たことを理路整然と証明できるような話を考える時間もなかった。


「会ってみたいねぇ。アレだけのことをしでかす人物だ。すげぇー大物か、よほどの変わり者に違いねぇ。仲間になってくれるなんざ都合のいいことは考えちゃいねぇーが、会う価値は十二分にあると俺は思ってる」


 粗野な笑みを浮かべながらも、その表情に嘘はないように感じられた。

 ウラジル自身も個人的には純粋な好奇心が先立っているのは事実だった。

 目の前にいる前途ある若者たちを恐ろしいまでの力を行使して守った人物。

 あの邸宅が吹き飛んだ一件がなく耳にした話であれば、そんなものは話に尾ひれがついて膨れ上がったものだと一蹴するところだが、現に監視をつけていたこの三人組は絶体絶命の危機から五体満足で脱出し、今目の前にいる。そして吹き飛んだ邸宅と兵士が死んだのは紛れも無い事実であり、物的証拠もある。

 であるならば、それを為した人物に会ってみたいと思うのは、今まで大勢の人間を見てきたウラジルにとって自然な欲求だった。


「……」


 少なくともウラジルに悪意が無いのは感じられた。

 方法は乱暴でレオリスたちにしてみれば一方的で理不尽さを感じるやり口だが、暴力に訴えてくるわけでもなくただ睨み合って、こちらが折れるのを待っている。

 しかしこのまま黙っていれば、最終的には軟禁くらいはされるかもしれない。

 どちらにしろ、話さないという選択肢はありえないのだ。


 再び室内に沈黙が流れる。

 レオリスたち三人が顔を見合わせるが、上策が出てくるわけもなく互いの焦りと『話す』か『話さない』かの選択を目線だけで互いに問うた。しかし、三人とも首を縦に振ることは無く横に振った。

 その様子を見て、ウラジルは小さく嘆息するとクリフトに視線を送ると、クリフトは頷いて三人の前に出る。


「ここで話せないと言うなら、別室に部屋を用意するからそこで相談したまえ」


 思いもよらない提案に三人が目を白黒させると、それを見たウラジルが笑みを浮かべる。


「あの状況下でお前らは間違いなく詰んでいたんだ。もう一度、よぉーく考えてみろ。お前ら三人であの状況を打破することは絶対に不可能なんだぜ? もし、お前らが俺を納得させられる筋道の通った嘘をつけれたら、お前らにはウチの作戦行動の計画立案に携わって欲しいねぇ」


 つまりは絶対にそんなことは無理だと、暗に言っている。

 やはり返答に窮するレゾの前に、思いもよらない人物が進み出た。


後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


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