第二章1-精龍の加護-
世界の中央に位置するグリムディア中央大陸。
その日、大陸全土は概ね青く晴れていたが、サーディアス帝国の首都であるサルディアの空は僅かにくすんでいた。
それは広大な帝都の中心部を囲むように造られた『龍骸物研究所』から排出される黒煙が原因だった。
帝都の中心部であり行政区でもある王宮を囲むように建設されたその研究所は、帝国の主力兵器である龍騎兵の基地にもなっており、王宮を囲んでいるそれは最大の防衛施設でもある。
帝都は王宮を中心として放射状に発展し、幾層もの区画に分けられている。
そしてその区画の中で、ガラりと町並みや雰囲気が変わる境界があり、その境界を隔てるように巨大な壁が築かれている。
壁の高さは三十メートルに達し、厚さも十メートルはあり壁というよりはまるで城壁のような趣きすら漂っている。さらに基本的な材質こそ石と土だが、後から金属によって補強が施されており戦車の砲撃が直撃してもビクともしない耐久性を持っていた。
それほどに堅固かつ厳重な壁が隔てる境界は、帝都を四つの区画に区切っている。
内側から順番に、宮殿と龍骸物研究所を擁する王壁。
貴族や豪商が住む内縁街を囲む臣壁。
帝国から市民権を与えられている帝国民が住まう外縁街を囲む民壁。
外壁より外側にはかつて帝国がまだ皇国だった頃に、小国同士の戦争や内戦によって焼き出された人々が救いを求めて集まり、王都内に入ることは許されなかったが、当時唯一存在していた外壁の外で生活することを許可され、大勢の流民がそこに流れ着き異文化情緒漂う町を構築していった。
そしてサーディアスの国号が帝国へと変わってから、帝国がもたらす繁栄と栄光にあやかろうと更に多くの流民が町に殺到し、町は爆発的かつ歪な成長と発展と遂げていき、なおも成長を続けようとする化け物染みた町の成長を止める為に、帝国はその時点で発展していた町の終端部を武力で制圧し、その境界に四つ目の壁を築いた。
それ以降は、半ば要塞化した最後の壁『サルディア外縁壁』は龍騎兵を擁する警備部隊が昼夜を問わず駐在した。これにより帝政国家と軍国主義によって、他に類のない超大国となっていくサーディアス帝国へ集まる流民の列は次第に途切れ始め、やがて沈静化した。
増えることはなくなったが、サルディア外縁壁の内側は面積にして民壁と臣壁の内側の面積を足した規模とほぼ同等であり、そこに住む人間の人口も正確な数値が出ているわけではないが、大よその想定では数万人とも言われている。
急激な人口の増加によって、当初は異文化情緒溢れる町並みだったが、今では無軌道に発展した低い作りの粗末な建物がデタラメに広がり、もはや広大なスラムと化していた。
当然治安も悪くなり、衛生的でもなく度々暴動が起きて疫病が蔓延した。だが、それらが長らく起こったことはない。何故ならば、暴動にしろ疫病にしろ起こったそれらに対して帝国の対応は一貫して、龍騎兵アレスによる該当区画の無差別焼却だった。
暴動に対する釈明や疫病の種類や規模の説明には一切耳を貸さず、比較的規模の大きいそれらが起こったという報があれば、帝国は調査や裏付けを取るような手間を掛けることはせず、即座にアレス数機による焼却部隊を派遣して区画を容赦なく焼き払った。
異常とも言えるその措置にさえ、広大に成長し過ぎた流民街の人々は言葉を呑み込み、ただ巻き込まれることがないように、その日を無事に終えられることだけを願った。
それもこれも全ては、帝国が大陸全土を巻き込んで行っている統一という名の侵略戦争に巻き込まれず、他ならぬ帝国の中心である帝都の傘の下で過すためだった。
そんな帝都の一画で爆発が起きた。
場所は臣壁内で、貴族たちが住む邸宅が整然と建ち並ぶ中、舗装された白い道の先に広がる緑地公園で黒煙が上がっていた。
爆心地は公園の中心に設けられた石像で、半ばで砕けた大理石の台座が熱で融けている。
その周囲には砕けた石像の破片が飛び散り、大小様々な破片には目から上だけが残った人型の顔、細く美しい足首、鳥の翼に酷似したものなどが散乱していた。
爆発とそれに伴う騒ぎを聞きつけて警邏の衛兵たちが殺到してくるが、既にそこにその事象を起こした人間の姿はなかった。消火作業を開始する衛兵たちの中で、他の衛兵に指示を出している隊長格の壮年の男が飛び火して燃える木を見ながら忌々しそうに呟きをもらす。
「おのれ、反乱分子共めっ……」
◇◆◇
臣壁の外側、外縁街を三人組の男女が走っていた。
流民街に比べればかなり整ってはいるが、それでも一歩路地に入れば入り組んだ地形をしている外縁街の路地裏道を三人は慣れた様子で迷うことなく走り続ける。
その三人は足並みこそ息が合っているが、どういうわけか男二人が罵り合いながら走っていた。
「レゾ! 何が警備が手薄で警邏網が薄いだっ! 爆発させてすぐに警邏の連中が寄って来てたぞ!」
「僕だけのせいじゃないだろう、レオリス! 君が爆発させるタイミングを早めよう早めようって煩いからだっ! あの警邏が巡回路通りに通り過ぎれば、あんなにすぐに見つかることはなかった!」
「っぐ! そ、それは悪いと思ってる……気が急いたんだ」
自分の過ちを指摘されると素直に謝る辺り、憎めない性格をしていると思いつつレゾは頭をカクっと垂らして隣を走るレオリスに笑いかける。
「分かればいいさっ! とにかく走ろうっ! 結果的に逃げる為の時間が削れてしまったわけだからね!」
「お、おう! ラナは大丈夫か?」
気を取り直したレオリスが後ろを振り向くと、そこに先ほどまで追従してきていたはずの少女の姿がなかった。その事に驚いてレオリスが慌てて止まろうとすると、それを察したレゾが顔を覆うように被ったフードの中から慌てて声を上げる。
「レオリス前っ! 前っ!」
「あははっ! レオリス慌てん坊だっ!」
レゾの声と、それに続く聞き慣れたレオリスがギリギリ足を止めずに前を向くと、前方に先ほどまで後ろを走っていたはずの少女、ラナルゥが目深に被った帽子の下でコロコロと笑い元気に走っていた。
「い、いつの間に俺たちの前に……」
「僕らがしょうもない言い争いをしてる間にだよっ」
息を切らして走りながらも、三人は安全圏と言える流民街と今いる外縁街を隔てる民壁のかなり近くに迫っていた。
後ろから追ってくる気配が無いことを確認しつつ、先頭を走っていたラナルゥが石造りの人気が無い建物の前で止まり、周囲を見回してから木製の木戸を開けて二人を待つ。追いついた二人がその扉に入ると、ラナルゥは周囲を再度見回してからそっと扉を閉じた。
古ぼけた建物には木製の塗装の剥げた看板が掛かっており、そこには『ケリン武具店』と掠れた文字で書かれていた。
手入れのされていない武具が埃を被り、壁に掛かっている盾や剣には蜘蛛の巣が張っていた。窓の全てに木の板が打ち付けられており、店内には光がほとんど入ってこない。
薄暗く埃っぽい室内でレゾが小さく呪文を唱えると、手の平に小さな光が生まれて店内を魔法光の薄緑色の光が照らした。
その光を頼りにレオリスがカウンターの中へと入り、置いてある大きな木箱を押しのけると、そこには周囲の床と違う木製の隠し扉があった。
レオリスが鉄製の取っ手を掴んで一気に持ち上げると、重々しい音と共に扉の片側が持ち上がり、地下へと通じる階段が現れる。レゾとラナルゥの二人が先に階段を下りていき、後に残ったレオリスが内側に付いた取っ手を掴んで音を立てないように両手で扉を支えながら閉じた。
薄暗い階段をレゾの魔法光を頼りに十メートル程降りると、木材と石畳で補強された横穴に出る。
三人は大人がギリギリ立って歩けるほどの縦幅で、一人ずつしか通れない横幅の地下道を黙々と歩いていき、数十メートルほど歩いたところで入って来た時と同様に階段があり、そこを上ったところでやはり木製の扉がある。
今度はレゾが鉄製の取っ手を掴んでそのまま持ち上げると、重々しい音と共に扉が開いた。
レゾが手に付いた赤錆を音を立てないように払っていると、最後に出てきたレオリスが木箱を閉じた隠し扉の上に置く。
そこは古びた倉庫のようなところで、周囲には埃の積もった木箱や樽が雑然と並べられており、先ほどの武具店との大きな相違点と言えば、窓に木材が打ち付けられておらず、窓からはくすんだガラス越しに淡い陽の光が
部屋に差し込んでいた。
そして二人が頷くと、戸口へと目を向ける。
戸口ではラナルゥが鍵を外して僅かに開けた扉から外の様子を窺い、外に特に異変がないことを確かめると振り返って頷いた。
三人が裏口から外へ出ると、午前の澄んだ空気と周囲に滞留する澱んだ空気とが混在した、流民街特有のかび臭い空気が鼻につく。
民壁の下を通る外縁街と流民街を繋ぐ地下道がある建物を後にした三人は、そのまま無計画に建てられた住居の細い隙間を縫って広大な灰色の街へと消えていった。
◇◆◇
流民街は広大であり、その広さも然ることながら特に特筆すべきは、無計画に建築された建物群だ。
特に始点となっている民門周辺から離れれば離れるほど、その傾向は顕著に現れる。
上空から見ても、およそ通りというものが確認できないほどに密度の高い密集した建物群。かと思えば、周囲数十メートルに一切の建物が存在せず、その更地の中央にポツンと家屋が存在したり、一繋ぎになった家屋が幾条も交差するように建てられていたりと、特異な例を挙げれば枚挙にいとまがない。
そんな混沌とした街風景の中、帝都を三つに分断するように流れる二つの巨大な水路がある。それは帝都北部に流れる大河の流れを調節し、皇国時代に水路として整備が行われたもので、その名残によって帝都の末端とも言うべき流民街にもその水路は伸びており人々の飲み水となっていた。
その水路の一つからやや離れた位置に居を構える、小さな倉庫のような建物があった。
よく見ればその倉庫には入り口らしきものが何処にもない。そして周囲の色褪せた景色に溶け込むように、地味な塗料が塗られ、屋根も所々色が剥げ落ち疲れきった赤色をしている。
倉庫は掘っ建て小屋というほどにみすぼらしくないが、通常の街にある倉庫に比べれば見劣りする程度の何の変哲も無い倉庫だった。
しかし、この街ではその中途半端さが肝要となる。
みすぼらし過ぎれば破壊され、逆に立派過ぎれば押し入られる。
それがこの街の日常であり、常識でもある。
倉庫の中は外の概観とは打って変わって小奇麗な内装だった。
というよりも、倉庫という趣は無く居住空間として成立している。
床はキレイな木目の板張りで、簡素ながらもソファーやテーブルが置かれて、部屋の隅には観葉植物まで置かれている。さらに奥には調理場もあり、現在そこで一人の少女が鼻歌を歌いながら鍋をオタマで掻き混ぜていた。
部屋の中央にあるテーブルには、天井にある天窓からは陽光が差し込みとても明るい。
今その明かりの下、テーブルの上には大量の資料と地図が散乱し、二人の男が顔を突き合わせていた。
「だからよぉ。要するに次の作戦はダァァァァって行って、ドカァーン!ってぶっ壊して、ドドドドドっと逃げるわけだ。分かったか?」
「今の説明では何も分からないし、分かりたくもないよ。分かるのは君の頭が今日もブレなく悪いってことだけさ」
「なんだとぉ!?」
バカなのは確かだが、真正面からバカにされて怒っているのはレオリス。その向かい側で怒るレオリスに冷ややかな視線を向けるのがレゾ。
このクリムディア中央大陸に住む大部分の人間が持つ特徴である茶色い髪に鳶色の瞳。それは平民を象徴する特徴であり、現にレオリスは平民の出だった。中肉中背であるが、鍛えていることが服の上からでも分かる程度には筋肉がついた体つきをしており、短めに切られた髪の下で口をへの字に曲げた顔で怒っている。
対するレゾは、紺碧のような深い蒼色に絹のような白い髪が混ざった髪に灰色の瞳。肌は蝋のように白く、顔や手首にところどころ日焼けして赤みを帯びている部分がある。身長はレオリスよりも高く痩身で、鼻の頭に掛けた丸眼鏡の向こう側で理知的な瞳が憮然とした態度で、目の前のバカを見つめている。
「俺の頭が悪いことは認めるが、今の説明は分かり易くてよかっただろぉーが!」
「ダァァァァとかドカァーンとか、ドドドドドってさ。今日日の小生科の生徒でも、もうちょっとまともな説明ができるよ!」
「迅速に行って、目標物を速やかに破壊して、その勢いで逃げ去るってことだろ!?」
「なんでその説明が今出来て、さっきはあんな幼稚な説明になってたんだよっ!」
互いに机をバンっと叩いて顔を突き合わせて唸り合っていると、調理場からミトンで鍋を抱えた少女ラナルゥがやってきた。
「出来たよぉー!」
ラナルゥの明るい声に、顔を突き合わせてガンを飛ばしあっていた二人は机を上に散らばっていた書類や地図を脇にどけてスペースを確保すると、鍋敷きの上にシチューの入った鍋がドカッと置かれる。
鍋から漂ってくる美味そうな匂いに二人はお腹を鳴らし、ラナルゥがよそってくれるシチューとサラダを横目で見つめつつ、パンの入ったバスケットと食器を準備していく。
準備が整ったところで三人は胸の前で三者三様のやり方で祈りを捧げる。
レオリスは胸の前で両手を結んで祈り、レゾは握った右拳を心臓の位置につけて祈り、ラナルゥはレオリスと同じように両手を結んでそれを額につけて祈る。
数秒間の祈りが済んだ後に、三人は食事を始めた。
ニコニコと笑顔でシチューを食べるラナルゥは、赤味掛かった髪を長く伸ばして一本の三つ編みしており、活動的なラナルゥの挙動に合わせて左右に揺れている。室内だが頭には飾り気のない茶色い帽子を被り、その下で淡い翡翠のような瞳がクリクリと動く。身長はレオリスより頭一つ分小さく、手足はしなやかで今は机の下で足をプラプラとさせながら幸せそうにシチューを口に運んでいる。
「それで、次の作戦は決まったの?」
硬いパンを千切って肉の入っていないシチューに浸けて柔らかくしながら、口に運んでいたラナルゥが尋ねると、レゾが眉を顰めて安い葉の紅茶を啜りながら書類を手にとる。
「うーん、毎回同じというのも芸が無いって気もしてるんだ。反英霊精龍派の象徴であるアレを壊すのは、僕たち抵抗勢力の意思を示すにはピッタリだと思って続けているんだけど。そろそろ行動内容の変え時かもしれない」
「って言ってもなぁ、俺たちは『殺さず・奪わず・捕まらず』が信条の弱小組織。今やってることだって、組織を構成している人員の数考えれば、他所から過激派みたいに言われてるんだぜ?」
「でも、もう銅像ばかり十二個も壊してるよね。民壁への侵入経路はいくつかあるけど、臣壁へは二箇所だし。そろそろ危ないかも?」
地図を見て唸るレゾにレオリスが腕を組み、ラナルゥがサラダを口に運びながら小首を傾げる。
室内にはしばらくラナルゥがサラダを咀嚼するシャクシャクという音が響いていたが、不意にレオリスが立ち上がってウロウロと腕を組んだまま机の周りを歩き始める。
因みにレオリスの皿はすでに空っぽだった。
地図と書類を照らし合わせて難しい顔で考えるレゾの後ろで、レオリスは不意に立ち止まると頭上の梁に飛びつくと、いきなりその場で懸垂を始める。サラダを食べきったラナルゥが熱い紅茶を飲みながら、ニコニコしながらレオリスの懸垂の回数を数えている。
しばらくの間、部屋には梁の軋む音とレオリスの息遣い、そしてラナルゥの数を数える声が響く。が、我慢出来なくなったレゾが席をガタンと後ろに跳ね飛ばす。
「なんで君たちはそうも緊張感が無くて、こうも落ちつきがないんだっ!」
顔を紅潮させて怒るレゾに、レオリスとラナルゥはきょとんとした顔で顔を見合わせた後、二人とも胸を張って答えた。
「落ち着くために体を動かしてるんだぞ?」
「難しいことは、レゾ君に任せておけば間違いない!」
ドーンと言い切った二人に対して、襲い来る徒労感に苛まれつつ脱力感を剥ぎ取りながらレゾは席に座り直して、ずり下がった鼻眼鏡を上げ、再び書類と地図に目を落とした。
このあまり緊迫感のない三人組は、現在帝都が推し進める大陸統一という名の侵略戦争と、この世界の地母神とも言うべき英霊精龍を殺害する行為に対して異を唱え、帝国の膝元にして中枢である帝都を騒がす多くの抵抗勢力組織の一つ『精龍の加護』を構成するメンバーである。
と言っても、本人たちが口にしていた通りメンバーはこの三人だけで、規模で言えば一組織として頭数に数えるのもバカバカしいような弱小組織であり、帝都内に存在する数多の抵抗勢力組織の中でも本来ならば取るに足らない存在だった。
だが、彼らは他に存在する同様同類の弱小組織とは明確に違うところがあった。
それは実績だ。
彼ら三人は帝都の中でも侵入が難しいとされる第三の壁、貴族や豪商が住まう内縁街を守る『臣壁』へと侵入し、そこである特定の物を限定的にではあるが、それに対して破壊活動を行い今までそのほとんどが成功し、一度も捕まることなく逃げ遂せている。
その成果は本来それなりの規模を持った組織が何とか行えるモノであり、たった三人のそれも歳若いレオリスたちが行うには通常ありえない成果と言える。それ故に、彼ら三人が構成する『精龍の加護』はそれなりに名の通った組織となっていた。
だが、他の抵抗勢力組織からも一目置かれる存在である彼らは、先ほどまでのやり取りからも分かるように鬼気迫る使命感に燃えているわけではなく、ある種の頼りなささえも感じる雰囲気を醸し出してすらいた。
彼ら三人が組織を結成して帝国に対して行う抵抗は、ある種の復讐であり、また純粋な抗議の意思だ。
◇◆◇◆◇◆◇
レオリス=ケリン。
ラナルゥ=クルペコナ=スワナミュラ。
レゾ=ケルゲレン。
三人はサーディアス帝国、帝都サルディアの最高学府である名門帝立リディアス学院に通う学士だった。
――否。
その説明は概ね正しいのだが、正確には一つの差異がある。
それは三人が通っていた学院は確かにリディアス学院だったが、その先王リディアスの名を冠する名称の前に『第二』という前置きがつく。
リディアス学院には本校と言われる第一学院と、分校と言われる第二学院の二つが存在した。
第一学院には帝国出身の、それも帝都と縁深い上級貴族の子息子女が通う学院。一方、第二学院は帝都で商いを行う豪商の子供、そして他国からの留学生を受け入れて通わせるリディアス学院の看板だけを提げたまったく別の存在だった。
第二学院は第一学院に比べて締め付けが弱く、他国からの留学生が多かったこともあり校風も自由な気質が高く、生徒たちは高圧的でやたらと見下した態度を取る第一学院の生徒たちとの確執も手伝ってか、やたらと結束が固く仲間意識も強かった。
だが、帝国が侵略戦争を開始した頃から第二学院は隔離され、侵略の手が南方大陸へと伸ばされた時点で第二学院は閉校されてしまい、留学生だった生徒たちは国外追放にされたとされている。
そこに至る間、学士たちには外の情勢はほとんど告げられず、卒業する学士はいても入学してくる学士がいないことなど疑問は尽きなかった。そして日に日に増していく第一学院に通う学士たちの、まるで憐れなモノを見るような嘲笑に晒されていく内に、第二学院の学士たちは外で起こっている事態について大よそ見当をつけていき、中でも一番の問題児トリオだったレオリスたちは来るべき日のための準備をしていた。
そしてレオリスたち三人は、閉校時に兼ねてより準備していた脱出路を使って学院から脱走し、帝都生まれで帝都育ちであるレオリスの案内で民壁内にある第二学院の学士用学院寮から民壁の外、流民街へと逃げて身を隠した。
その後、外の世界で起きていた事態の全様を知り、学院の仲間たちの行方などを調べた結果、帝都出身者は親元へと帰されて留学生組は国外追放された。という情報を実際に親元へと戻っていた学士と接触して得た。
仲間たちの無事を知って胸を撫で下ろした三人に次に湧いてきたのは、帝国の理不尽な対応とあまりに一方的な侵略戦争への憤慨、そして三人が心より崇拝していた英霊精龍を帝国が次々と殺害していたという衝撃の事実に対する義憤だった。
英霊精龍討伐は秘密裏に行われており、最初に討伐された水龍から始まり直近の地龍を討伐するまでは公表されずにそれらは行われていた。
恐らくは根強く人々に浸透していた英霊精龍への信仰心に対する牽制と、それを抑えることが出来る体制を築くまで伏せていたことが予想される。
ともかく、物心ついた頃から愛しくも恐れ多き神として祈りを捧げて、日々の糧と平穏を与えてくれていたと信じていた神が、自分達の知らない間に人間の手で殺されていたことに対して、レオリスたちは大いに怒った。そしてそれぞれが抱える事情によって、戻るべき場所に戻れない彼ら三人はこの帝都に残ることを決意した。
だが、それはあくまで横暴な帝国に対する嫌がらせであり、彼らにとってはあくまでささやかな抵抗という認識の下で行われ、必ずしも使命感に燃えているというわけではなかった。
つまりは遊びというほど軽い気持ちではないが、何かを変えられるという確信を持って行われているという行為でもない、というものだった。
◇◆◇
昼下がりの帝都、流民街の喧騒も遠く僅かなざわめきが聞こえる程度の臣壁の内側、内縁街を駆ける三人組がいた。
レオリスたち『精龍の加護』の三人だった。
整備された街というのは巡回する警邏隊も多いが、その分巡回路は数パターンで固定されており、それを調べてさえいれば路地を使えば見つからずに移動することは難しくない場所だった。
レゾを先頭にラナルゥが真ん中で後ろをレオリスが続いている。
流民街の土が剥き出しになった地面や歪な石畳とは違う舗装された道を走りながら、三人は迷いの無い動きで目的地へ向かって駆けていく。
曲がり角では一度止まり、人が居ないのを確認してからの通過だがそれでも既に十数回の侵入に成功していることから、三人にはある種の余裕が生まれていた。淀みなく進む足はその自信の表れであり、同時に慢心とも言えた。
路地から通りを見れば身なりの良い格好をした人々が行き交っている。だが流民街とは違って、そこに喧騒はなくある意味それが不気味に映りもした。
まるで演劇に出演している役者たちのように、仮面でも付けているかのように静々と通りを歩き、通りで会話をする際もまるで互いの腹を探り合うように、口元は笑っていても目元は笑わっていない。
内縁街とはそんな不気味な街だった。
時間通りに所定の場所を巡回する警邏隊が通り過ぎたのを確認し、レゾは手元にある地図とそこに自らが書いたメモとを照らし合わせ、後ろにいる二人に頷いた。
三人がやってきたのは臣壁から王壁との中間辺りに位置する広場だった。
今までの活動で見つからず捕まらないことに掛けては手応えを感じていた三人は、今回今までで最も深く臣壁の奥へと侵入し、同時に今までで一番の大物を破壊しようとしていた。
広場の隣に隣接する教会で鳴る鐘の音が正午を報せる。
本来ならばレオリスたちのような抵抗勢力は夜に活動すべきと考えるが、こと帝都においては数多の抵抗勢力が存在していることは既に周知の事実であり、そういった組織が活動し実際に何かしらの行動を起こすのが専ら夜であることから、帝都の警備は夜の方が厳しいくらいだった。
それ故に、レオリスたちはそれを逆手に取って三人という少数での行動と、レゾによる緻密な下調べと計画によって昼間行動する方がむしろ安全だった。
広場に人の気配がないのを確認し、三人は路地から姿を現して広場を見渡した。
白く舗装された地面、広場の四隅に植物が植えられており風でサラサラと葉が擦れて耳触りの良い音を立てている。広場にはいくつかのベンチが置かれ、シンメトリーに作られた広場の中心には噴水が置かれ、その噴水の水を浴びるようにそれはあった。
「レゾ。今回はアレか?」
「うん、比較的初期に作られてこのウィゾール広場に安置されたものだよ」
「わぁー今までで一番大きいね」
三人が見上げるのは一体の像だった。
石を磨いて作られた巨大な白亜の像。
素肌を隠すには些か頼りなく感じるヴェールを身に纏い、右手には剣、左手には槍を持ち、冷たい彫像でありながらも慈悲と憂いを帯びた視線が感じられるような精緻な造りをしている。そして何よりも特徴的なのは、その背中に生えて大きく広げられた白い翼だった。
美的感性のみで言えば美しい彫像だが、レオリスたちにとっては苦い思いを寄せるに足る憎い存在だった。それ故に、彼らは今日に至るまでに十二個の天使像を破壊してきたのだ。
「よし、今のところ計画通り進んでいるけど、ここが内縁の深い場所であることには変わりない。とっとと済ませてしまおう」
「おう」
「うん」
レゾの指示に従い、レオリスが肩にかけていた鞄から何かを取り出す。それを身のこなしの軽いラナルゥが受け取って、噴水の中へと跳んで水の溜まった水場に置かれた飛び石を伝っていき、噴水の中心にある天使の彫像まで辿り付いたところで足を止め、剣を掲げた天使の右腕を鉄棒のように使ってクルリと逆上がりの要領で彫像の肩へと上ると、手にしていたものをそっと彫像の首にかけた。
白い天使の首にかけられたのは、赤く鈍い光沢を持った石がいくつも連なった首飾りだった。
それは古来よりサーディアスに伝わる宝具として有名な火龍の首飾りを模した首飾りで、赤い石は赤龍石というモノで火龍の力が宿っていると言われる石。炎性魔力を宿したその石は、外部から指向性魔力による干渉を受けると激しく燃焼、場合によっては爆発する性質を持っている。
レオリスたちはこの首飾り型の爆発物を天使像に仕掛けて爆発させることで、今日までの破壊活動を行ってきた。首飾りの形を取っているのは天使への皮肉と、レオリスが悲劇の火龍巫女として有名なサーディアス帝国第二王女クリシュ=リアスカ=イニス=サーディアスに、一火龍信徒として憧れていることに起因している。
首飾りをセットしたラナルゥが降りてくると、レオリスが頷きレゾも同様に頷く。そしていつもであれば、ここで踵を返して身を隠し、彫像の周囲に誰もいないのを確認して爆発させるのだが、今日はそれをする前に異変が起きた。
三人が彫像に背を向けた瞬間、広場に声が響いた。
「そこまでだ、反乱分子共。いや――元第二学院の落ちこぼれ共が正解か」
学院から出てしばらく聞いていなかったが、学院にいた頃はしょっちゅう聞いていた人を見下した耳障りな声を耳にして、レオリスたちは三人で背をくっつけ合う様に固まって周囲を見渡した。
すると、広場を包囲するように通りや路地から警邏隊とは明らかに違う服装の男たちが銃を手に姿を現す。
白を基調として青い模様が入れられた制服は準騎士のモノだ。
準騎士とは学院を卒業して騎士となることを希望した者が、騎士となるための仮期間を過す身分であり、階級的には正規の下級騎士の下に位置するが下級騎士には平民上がりが多く、準騎士は第一学院出身の学士が多く平民上がりの下級騎士を見下す傾向がある。
つまりはここにいる準騎士たちは第一と第二の違いがあるが、レオリスたちの同期である連中だった。
「適当なところで網を張っていたら、そっちからノコノコと掛かってくるとはな。やっぱり貴様らは落ちこぼれの能無しだよ。ケリン」
「へっ。偶然がいい方に転んだからってはしゃぐなよ、ケイティフィール。お前がレゾの作戦を見抜いて先回りできたわけじゃないなんてこと、わざわざ説明してくれなくたって分かってるっつーの」
嘲笑に対して更なる嘲笑で返すと、準騎士たちを率いる金髪碧眼の青年が憎々しげにレオリスを睨む。その眼光を涼しげに受け流すと、レオリスはチラりと後ろを振り返ると、レゾに向かって目線だけで合図を送った。その合図の意図を察したレゾがレオリスが地面に置いていた鞄をおもむろに足の先で小突くと、中から丸い拳大の水晶球がゴロゴロと転がり出た。
「ともかく貴様らはこの場で逮捕する。我らが愛しき神を象った像をいくつも破壊した罪は重い。それも臣壁の中、この内縁街で事件を起こしているんだ。重罪は覚悟しろ」
「何が愛しき神だ……胸糞悪い」
低く呻くレオリスの側にラナルゥが寄ると、レオリスの背をつついて視線だけで一方向を指す。そして小声でレオリスだけに聞こえる声音で囁く。
「レオリス、あそこ――赤い壁と茶色い壁の路地。あそこだけ人数の配置が特に薄いよ」
「おう、レゾにお膳立てはしてもらった。一気にいくぞ」
「うん」
頷いたラナルゥに頷き返し、レオリスは左手に握っていた起爆スイッチを準騎士たちのリーダー格であるケイティフィールに見えないように握り直した。
「抵抗しても無駄だ。既にここの広場は――」
勝ち誇った顔で更に饒舌に状況を喋ろうとしたケイティフィールの話をヘシ折るように、レオリスたち三人は一斉にその場に伏せながら起爆スイッチを押した。
レオリスの鞄から転がり出た水晶球は木漏れ日の中で止まっていたが、レオリスによって押された起爆スイッチに呼応して吸収した木漏れ日の僅かな光を増幅して周囲に拡散させ、その光に含まれた指向性魔力を受けた赤龍石がレゾによって予め臨界点へと達しやすくされていたことにより、すぐに反応して内包していた炎性魔力を一気に解放する。
周囲が光で白く染まり、続いて爆音と共に衝撃が爆風となって駆け抜け、そして爆炎が周囲の建物を超えるほどに高く燃え上がる。
砕かれた彫像からは白いモヤのようなものが噴出して、爆発と共に広域に拡散したのだが、光と音と衝撃によって五感がめちゃくちゃにされ、その場にいた誰一人としてそのことに気づいた者はいなかった。
キーンという耳鳴りがする中で、真っ先にレオリスが飛び起きてラナルゥとレゾの腕を引いて立ち上がらせる。二人が自力で立ち上がる姿勢を見せたのを確認すると、すぐさま先ほどラナルゥが指摘した比較的人員配置の手薄な路地を目掛けて走りこむ。
立ったまま爆風を受けた準騎士たちは、結構な数が地面に転がって伸びていた。気を失っていない者も、爆発の際に発生した光と爆音によって視覚と聴覚をやられて、平衡感覚さえ曖昧でふらついているのがほとんどだった。
レオリスたちは爆発のタイミングを予期できることで光は避けられたが、爆音までは防げず未だ耳鳴りが酷いのだが、それでも出来得る限り真っ直ぐに走りこんで路地の前で膝をついて頭を振る準騎士の顔を走りしなに蹴りつけて昏倒させる。
そしてそのまま路地の中へと走り込み、後ろを振り向いてレゾとラナルゥが付いてきているのを確認すると、そのまま走る速度を落とすことなく駆け抜けていく。
まんまと包囲網を突破されたケイティフィールこと、エイティス=ケイティフィールは頭を振りながら立ち上がるとレオリスたちが逃げ去った路地を見つめて、ニヤっと笑みを浮かべた。
◇◆◇
流民街に比べると路地とは思えないほどキレイな路地裏を走りながら、自分の息遣いが明瞭に聞こえることで聴覚が完全に戻ったことを確認し、レオリスは後ろを追走してくるレゾたちにペースを合わせて少し走る速度を減速させる。
「レゾ、何か俺が予想していたより遥かに爆発が凄かった気がするんだがっ!?」
「うん、いつもより大きい目標物だったから純度が高い赤龍石を選んだんだ。でも、よくよく考えればアレって彫像だから今まで破壊してきた銅像より脆いんだよね」
「俺が言うのもなんだけど、お前って時々凄いバカだよなっ!」
「本当に君に言われるのだけは嫌だよね……それ」
「なんだとぉ!?」
「ほらほら、仲がいいのもいいけど、ここまだ臣壁の中だよっ! とにかく外縁街まで逃げないと!」
いつもの漫才を始めようとする二人をラナルゥが止めて、現状を思い出させる。
「っとと、そうだったね。大丈夫、この路地は逃走経路の候補に入ってたから、ここから抜け道までの経路は頭に入ってるよ」
「相手があのケイティフィールってのは予想外だが、包囲されたのは事実だからな。無事に逃げられるように頼むぞ、レゾ」
「分かってるさ。僕だってあんな奴の罠に掛かったなんて思いたくは無いからね。とにかく、ラナルゥが言うとおり本職が出てくる前に外縁街逃げよう。さすがに内縁街で逃げ回るのは得策じゃないよ」
「そうだな」
危機的状況あったにも関わらずイマイチ緊張感にかける掛け合いをしながら、三人は整備された路地を駆け抜けていく。
軽口を叩き合っている三人ではあるが、その額には疲労とは違う意味の汗が浮いていた。
いままでは臣壁からそう遠く離れていない場所で活動していたが、今回は今までとは比べ物にならないほどに深い場所に侵入し、そこで起きた予想外の出来事。相手が準騎士という半人前の、それも第一学院に通っていたお坊ちゃま学士上がりだったとはいえ、今まで包囲までされたことはなかった。それも前記の通り、今回は逃げるのに時間のかかる場所にいる。
全てが悪い方向に転がりかけていることを三人は感じながらも、何とか冷静さを失わないようにいつも通りに振舞っていた。
しばらく無言で走り続け、角で止まっては学院で習った手信号で会話しつつ音を立てずに移動を続けた。その間背後に気を配ってはいたが、追っ手がいる気配はなかった。
そして陽が僅かに傾く時間となって、レオリスたちはようやく内縁街と外縁街を繋ぐ地下道がある建物の前までやってきた。
それは外縁街と流民街とを繋ぐ地下道がある『ケリン武具店』とは趣が違い、内縁街の中でも郊外に位置する臣壁側によくある比較的簡素な邸宅だった。華美な装飾があるわけではないが、周囲を塀で囲い二階建てで庭がある。外縁街ならば十分に豪邸扱いであり、流民街ならば略奪の対象になるには十分な趣があった。
表札に名は無い。
その閉ざされた門に掛けられた鍵をレオリスが解錠しようと手を伸ばすと、ラナルゥが鋭い声を上げた。
「レオリス、レゾ君。囲まれてる……っ!」
「なっ!?」
レゾが慌てて周囲を見渡し、レオリスも鍵を手の中で弄びながら後ろを振り向き周囲を見渡す。
内縁街は臣壁に近ければ近いほど人気がなくなる。そして街中と王壁に近いと人気が増える。臣壁に程近いここは閑静な通りで、先程まで人っ子一人居はしなかった。
だが、今は濃紺を基調とした戦闘服に身を包み、銃を持った戦兵たちがその通りを塞ぐように現れ、徐々に距離を詰めるように包囲網を狭めつつあった。
「後をつけられていた……? しかし――」
苦い表情でレゾがラナルゥを見ると、ラナルゥも顔を青くして信じられないと首を振った。
「気配も臭いもなかったよ……」
酷く驚いた様子で狼狽するラナルゥを落ち着かすように、レオリスがその肩に手を置く。そしてレゾに視線を送ると、レゾもハッとした表情で頷いてラナルゥを守るようにレオリスと共に前へ立つ。
「その下等種族の女が笑えるくらい狼狽えているということは、やはり追跡の有無はそいつが察知していたわけだな」
その声は先程久しぶりに聞いてうんざりさせられた声だった。
道を包囲する戦兵たちが道を開けて、そこへ現れたのはエイティス=ケイティフィールだった。
「貴様たち三人の特性を僕はよく知っているからな。毎回騒ぎを起こしてから、臣壁の中にいながらこちらの兵と出くわさないのは妙だと思っていたんだ。だから僕は思い出したんだよ。そういえば貴様ら二人は鼻の利く犬を飼っていたってね」
「お前っ……!」
「……」
ラナルゥに侮蔑に満ちた視線を向け、その前に立つレオリスとレゾを嘲笑するエイティスにレオリスが呻き、レゾも白い顔を僅かに紅潮させて拳を震わせていた。その後ろでラナルゥが頭に被った帽子をぎゅっと押さえつけて悲しげな表情をしていた。
それを見てエイティスはニヤっと口角を上げると、片腕を上げる。すると、T字路になっている通りの全てに詰めていた戦兵たちが射撃姿勢を取る。
「レゾ、跳躍魔法で三人抱えて跳べるか?」
「分からないけど、出来ないって言える状況でもないじゃないか……」
ここで言う跳躍魔法というのは、時空だとか空間を跳ぶ様なものではなく、単純に跳躍力を高めて物理的に跳ぶことを指している。
そしてレゾが二人の腕を取ろうとするが、帽子を押さえたままラナルゥが首を振る。
「ダメ、さっきまで臭いが全然しなかったけど、今は分かるの――狙撃手がいる」
ラナルゥの重い声音にレゾの手が止まる。
狙撃手の居る状況で悠長に三人で跳躍などすれば、空中で無防備になったところを撃ち落される。
「状況が大分理解出来てきたか? さっき貴様たちを逃がしたのは、貴様たちにここへ案内してもらうためだ。我々の目的は貴様らの逮捕だが、特に重要視されていたのは内縁街への侵入経路の特定だったからな」
レオリスたちの前にある邸宅に目を向けると、忌々しそうに目を細めてレオリスに視線をやる。
「やはりケリン。貴様の持ち家か。貴様の父親が建物を含めた資産を我々に開示すれば、貴様らみたいなネズミを追いかけるような面倒なことをしなくても済むというのに……成り上がりの平民め」
言葉を吐き捨てると同時にレオリスに侮蔑に塗れた視線を向けるが、レオリスは別段堪えた様子も無く剣帯に吊っている剣の柄に手を這わせていた。
険しい表情で剣を抜こうとする親友の横顔を見つめながら、レゾがフードの下で下唇を噛んだ。
今回は完全にしてやられている。
偶然を装っていたが、先程の遭遇そのものがここに至る布石だったのだ。
あの高慢でやたらと矜持の高いエイティス=ケイティフィールが、まさか間抜けな道化を演じることはないと思い込んでいたのがそもそもの失策だった。
三人の中で、作戦の立案と指揮はレゾの役目だった。
だからこそ、今までの成功に慢心していたのかもしれない。今回も何事も無く無事に事が進むと思い込んでいた。だが、ここぞというタイミングで敵は罠を張ってきたのだ。そして自分達はそれにまんまとハマり、貴重な臣壁を抜けるための地下道がある場所を特定されてしまった。
そして何よりこのままでは捕まる公算が極めて高い。
抵抗して殺されるくらいならば、大人しく投降した方がいいのかもしれない――だが、レゾとレオリスの後ろで震える少女の事を考えれば、それも出来ぬ相談だった。
「――レゾ。投降する振りして土壇場で逃げるしかない。出来る限り援護してくれ」
「う、うん……」
自分と同じ結論に至ったレオリスの背を見つめながら、レゾは身に迫る今後の人生を左右する瞬間――出来事の予感に手足が震えた。
「おっと、さっきの二の舞は御免だからな。武器は捨ててもらおうか」
さすがにバカではなかったらしく、エイティスは武装解除を要求してきた。
しばらくは剣を捨てることにレオリスは躊躇っていたが、エイティスが引き連れている中級戦兵の銃口が僅かに動くのを見て、剣帯から剣を外してその場に捨てた。それに倣い、レゾも後ろ腰に挿していた杖を取り出してその場に放り投げ、ラナルゥも短剣を二本捨てた。
三人が武装解除に応じたのを見てエイティスは気を良くしたらしく、ニヤっと笑みを浮かべて饒舌に話し始めた。
「貴様らが名乗ってるそのちゃちな組織名――『精龍の加護』だったか? 学院に居た頃から熱心に祈りを捧げてたよな? 僕たちから見れば、何も知らずにもう死んでる神に祈りを捧げる貴様らはとても滑稽だったよ。それにその服、帝都の都合で第二学院が無くなったことを抗議してるつもりか知らないけど、無くなったものに固執している辺り、本当に貴様らは滑稽で間抜けな連中さ」
エイティスが指摘したレオリスたちの服装は、三人が学院時代に着ていた第二学院の制服だった。
レオリスは剣帯やベルト式の軽防具を付け、レゾは制服の上から黒い外套を着込んで、ラナルゥは制服の上から白いジャケットを羽織っている。
そして彼らがそれを着続けて行動しているのは、残念なことに概ねエイティスの言うとおりだった。
無くなってしまった第二学院を忘れないためと、これを着て行動することで連帯感を共有し、自分達の行動原理の一つを忘れないためだった。
「ともかく、英霊精龍だか何だか知らないけども。もうそんな神は過去のものだ。我々の帝国は古き神を打ち砕き、新たなる神をお迎えする。その為に我らが神は我らに力を与え、役立たずのドラゴン共の討伐にご協力下さっているのだ」
ベラベラと話し続けるエイティスが英霊精龍を軽んじる言葉を吐いた時、三人の中で何かがざわめいた。
「とにかく、我らが神を模して造られた像を破壊してきた貴様らの罪は重い。覚悟を――」
「黙れよクソ野郎」
「――あ?」
エイティスの言葉をぶった切って、レオリスが怒りに燃える鳶色の瞳を向ける。その後ろでレゾもラナルゥも迷い無くエイティスを睨みつけていた。
「この世界は英霊精龍様たちのお力で保たれて来ていたんだ。俺たちの先祖もお前らの先祖も、この国の発祥を辿っても、英霊精龍様たちの加護があったからこそ平穏に暮らしてこられたんだ。それを忘れて帝国は力に溺れている。力を尽くしてきた古き神を悪として、新しい神を善とするならば、俺は――」
言葉に詰ったかのように僅かに顔を俯かせたレオリスは、足元に捨てた剣を一度見てから顔を上げて再びエイティスを視線で射抜く。
「俺は亡くなられた精龍様の名を汚す輩を決して許さない。命と引き換えにしても、口汚く罵ったことを後悔させてやる」
その眼光に宿った意志を正面から受けてエイティスは僅かに腰が引けた。そのことを自覚して羞恥で顔を紅潮させて握り締めた拳がブルブルと震える。そして、その怒りを発散させるように命令を飛ばす。
「戦兵、連中を拘束しろっ! 抵抗すれば手足の一本や二本は構わない、口が聞ければそれでいい。連れてきて、僕の前に跪かせろっ!」
怒号にはなっていなかったが、幾分感情的なニュアンスの入った命令だった。だがそれでも、仮の身分である準騎士よりも階級の低い彼らは命令に背くわけにはいかず、銃を構えたままレオリスたちとの距離を再び詰め始めた。
相手は本職の軍人、先程エイティスの周囲にワラワラといた学士上がりのお飾り準騎士とは訳が違う。
接近する彼らが醸し出す本当の戦場を知っている雰囲気に気圧されて、レオリスたちはジリジリと門へと下がるが、先程門に掛けられた錠前を解錠する前に声をかけられたことで鍵は解錠されておらず、背後に感じるのは固く閉ざされた鉄門の冷たい感触だった。
「二人とも、俺が囮になる。その間にこの鍵で門を開けて逃げ込め」
そう言って後ろ手に鍵と差し出すレオリスに二人は驚きに目を見開いた。そしてその背中をラナルゥがドンと叩いて首を横にブンブンと振る。
「何を言ってるんだ、お前は――」
「地下道にさえ逃げ込めば、魔法が使えるレゾがいれば助かる公算は高い……だろ?」
レゾの言葉を遮って自分の考えを押し付けてくるレオリスだが、その言葉は彼にしては非常に冴えているものだった。普段はバカみたいなことばかり言うくせに、いざという時は肝が据わって頭のキレるレオリスにレゾは憤慨しながらも鍵に手を伸ばした。
「よし。それじゃ俺が合図したら――」
二人が助かるために必要な指示をレオリスが出そうとした時、レゾは手に持って鍵をポーンと庭の中へと放り投げてしまった。その暴挙にレオリスは言葉を失って口をパクパクとさせ、次にレゾに掴みかかろうとした。だが、二人の間にラナルゥが入り込み、レオリスの鳶色の瞳をラナルゥの翡翠色の瞳に込められた意思が射抜く。
――構わない。捕まったって構わない。
この中で、捕まれば一番酷い扱いを受けることを知った上で、ラナルゥは本気でそう思っている。
その意思を感じたレオリスは、レゾの襟首を掴もうとしていた手を引っ込めた。そして自分の目線よりもやや高い位置にある灰色の瞳と視線がぶつかった。
――わかってんだろうな?
――当然だ。
そんな思いを視線だけで意思疎通を行い、二人は同時に動いた。
弾かれたような動きでレオリスは地面に放っていた剣を手に取り、真っ直ぐにエイティスに向かって走り出す。その後ろでレゾが防御の為の魔法を構築し始める。
武器を取り攻撃の意思を見せた時点で、戦兵たちは躊躇無く引き金を引いた。
複数の銃声が鳴り響く。
それに続いて金属を弾くような音が続く。
レゾの防御呪文は間に合わない。
それは二人とも分かっていたことだった。
最初の射撃は運任せ、当たれば運が悪ければ死ぬ、良くて負傷。
恐ろしく運が良ければ当たずに無傷。
そうすればレゾの防御魔法が展開されて、反撃のチャンスはあった。
だが、自分達に向けられていた銃口の数と姿の見えない狙撃手の存在。
それは余りに分の悪い賭けだった。
銃声が鳴った瞬間、ラナルゥは魔法を構築するレゾを守ろうと身を投げ出したが、咄嗟に目は瞑ってしまった。それは自分に銃弾が向かってくるからではなく、目の前で駆け出していったレオリスが凶弾に倒れるかもしれない場面を想像し、それを見るのが怖くて目を瞑ってしまった。
銃声の後、気味が悪いほどの静寂に辺りは包まれていた。
耳元で聞こえていたレゾの詠唱すら聞こえない。
ラナルゥは硬くした体の強張りを解きながらうっすると目を開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。
通りに呆然と立ち尽くすレオリス。
その向こう側ではエイティスもまた驚きに目を見開いて固まっている。
ラナルゥの後ろでも、レゾが魔法の構築が霧散してしまうことにすら失念して言葉を失っていた。
剣を手に無傷で立ち尽くすレオリスの前に、それはいた。
一振りの長剣を手に全身を包み込む黒い外套に身を包み、頭を完全に覆うフードの中は闇を流し込んだかのように黒い影となっている。そのフードの縁から黒い髪が僅かに覗いていた。
そして何よりもその場にいる人間の目を引いたのは、闇が滞留しているかのようなフードの中で朧気に輝く一対の黄金の瞳だった。
それが精龍の加護と黒龍クロウシスケルビウスとの出会いだった。
後書きを活動報告にて書いております。
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ありがとうございました。
2013/03/04 誤字脱字修正しました。