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第一章13-訪れる運命の刻-

 夜が徐々に更けていく最中、バーンアレス島はその島の名を冠する――いや、この島の名称となっている主の再臨に歓喜し、大小合わせて七つある火山の全てが一斉に噴火を起こし、島中に満ち漲る火龍の力を抑えることが出来ずに発散させていくかのように、死火山とされていた山でさえも次々と噴火して島の空を朱に染めていた。


 島に生息している動物たちは、その噴火が起こる少し前からまるで噴火が起こることを予知していたかのような動きを見せ、海に近い場所にいた動物は海岸に移動してバーンアレス島の海岸に点在する洞窟の中へと避難し、火山に囲まれた島の中ほどにいた動物たちは、島の中心にあるこの島で唯一火山活動を完全に停止させている山の山頂部に広がる広大なカルデラへと向かっていた。

 火龍バーンアレスが健在だった頃に大きな噴火が起こると、この島に生息する動物たちは海岸の洞窟と島中央にあるこの山へと避難することが、この島の自然となっていた。火龍が島から消えて十年が経っても、動物たちはそのことを忘れることなく、本能と火龍への畏敬の念でそれぞれの避難場所へと向かっていった。


 そんな動物たちの大移動の様子を珍しそうに見ながらも、クリシュが率いる火龍の首飾り(ガルフィネアス)近衛騎士団一行は、火山の爆発によって轟く爆音と地鳴りを感じながら、神体である英霊精龍(カーディナルドラゴン)焦熱の火山バーンアレスが待つ火龍の棲み処、神山――アウレイス山へと行軍していた。


 火龍の首飾り(ガルフィネアス)たちの表情はどれも明るく、これ以上ないほどに心強い味方を得たことによる安堵感に満ち、火龍の姿を見て涙を流す者も大勢いた。そして、二年間という長きに渡る戦いを最高の形で終わらせるために、自分たちの仕える帝国の姫君にして火龍バーンアレスの巫女であるクリシュを、火龍の元へと無事に送り届けるために、決意を新たに足取りは軽くそして力強く山へと向かっていた。

 もうじきアウレイス山の登り口に着くという中で、明るい表情を浮べる周囲とは明らかに違う――まるでその人物だけ隔絶された時間の流れか、違う景色が見えているかのように思い詰めた表情を浮べている人物がいた。

 その人物とは、侍女騎士たちが作る隊列の中心に守護されている人物――クリシュ姫だった。

 周囲の侍女騎士たちの明るい表情とは裏腹に、クリシュは思い詰めた表情で顔色を青ざめさせていた。歩く姿にも力が入っておらず、時々妹のミリエルに支えられながら歩いていた。

 その様子に周囲の侍女騎士たちは、きっと火龍と十年ぶりに再会することで緊張しているのだろうと考えて、敢えて声を掛けることをせずにいた。しかし、騎士団の中でも側近中の側近である近衛隊の長たるジル=カーティスは、主であるクリシュの様子が尋常ではないものに映り、声を掛けるべきか思い悩んでいた。


 火龍の巫女であるクリシュの立場を思えば、ここで苦悩を抱えるのは至極当然と言えた。

 奇跡的な再臨を果たしたとはいえ、火龍バーンアレスは人間の手――それも己が守護せしサーディアスによって一度滅ぼされたのだ。そして、その眷属までもが一頭残らず狩り尽くされて、一族を根絶やしにされたも同然と言える。

 先ほどの火龍の逆賊サウルに対する勧告や、バーンアレスがクリシュを『我が巫女』と呼んでいることや、島の人間とクリシュたちを助ける意思を示していることから、クリシュたちを怨んでいるようには思えなかった。だが、人の身で考えれば憎悪されても当然のことを帝国の人間――クリシュたちはしているはずだ。いくら火龍が人間とは比べ物にならないほどの寛容な器を持っていたとしても、何のお咎めもないと考えるのはあまりに楽観的と言えた。


 ジルの心配は十年前の出来事を伝え聞いた(・・・・・)者としては正しい認識であり、クリシュが火龍との邂逅に対して様々な――巫女としての苦悩を抱えているものだと思うのは当然だろう。


 だが、実際にクリシュが抱えているものは、苦悩などというモノとはまったく異質のものだった。


 己の仕えし火龍神バーンアレス復活の瞬間を目の当たりにして、自分が感じた感情の異質さにクリシュは怯えていた。

 猛々しくも神々しい紅蓮の輝きと共に再臨した御神体の姿を見て、クリシュは――恐怖した。

 敬愛し生涯を通し仕え奉りたて、その真言を人々に伝え、御身を守りて永遠を共にする主。

 それほどまでに想い、共に在ることを至福と感じ、その死を悼み、弑逆(しいぎゃく)した祖国の罪に絶望していた……はずだった。


 だが、甦った火龍の姿を見て感じた己の感情に、クリシュは大いに動揺していた。


 ――何故喜びではなく、恐怖する必要があるのか。


 凍りついた瞳に映る景色は次第に色を失い、クリシュはただ足を動かし、その意識は霞が掛かったように不明瞭なものとなり、色を失った景色が唐突に暗転すると――クリシュの横を一人の少女が走って追い抜いた。

 その後姿を見て、クリシュは驚きのあまり目を見開いた。


 サーディアス皇国王家火龍信仰庁の赤地に金糸が施された火龍巫女の服に身を包み、銀糸のような髪が陽光を反射してキラキラと輝き、聡明でありながら利発な子供特有の元気さによる躍動感を感じさせる動きで、アウレイス山に駆けて行く。

 その後ろ姿にクリシュは、あるはずのない(・・・・・・・)既知感を覚える。


(だって、あれは――)


 不意に少女が後ろを振り向いた。

 その顔を見て、クリシュの驚きは最高潮に達すると同時に確信する。

 

(あれは、幼い頃の私――)


 今とはまるで違う、快活でお転婆だった自分。

 自分が変わってしまった――変わってしまったのであろうきっかけにもクリシュは心当たりがある。

 英霊精龍(カーディナルドラゴン)焦熱の火山バーンアレスの死。

 それをきっかけに、自分を取り巻く環境と自分自身が変わってしまった。


 今と同じ銀色の髪だが、今よりも柔らかそうな銀髪を風にそよがせながら、

 蒼眼をクリクリと動かしながら、幼い頃のクリシュがそっと手を伸ばした。まるで、そこにいる成長したクリシュが見えているかのように。

 クリシュはアウレイス山へ向かう道を歩き続けているが故に、自然と自分を追い越した道の先で佇みこちらに手を差し伸べている少女へと近寄る形となる。

 戸惑いながらも、クリシュはまるで導かれるかのように同じように手を伸ばして、幼い頃の自分が差し出した小さな手をそっと握った。その瞬間、周囲の風景が急速に歪み、足が地面を踏みしめる感覚すら曖昧となり、やがて歩いているという感覚は完全になくなり、身体がひどく軽くなる。


 そして驚くべき事態がクリシュの身に起きた。


 身体の妙な軽さに驚いていると、目の前を『自分(・・)』が歩いていく。

 それは勿論過去の幼い自分ではなく、今の自分自身そのものが虚ろな表情で親愛なる火龍の首飾り(ガルフィネアス)たちと共に道を歩いていくのだ。咄嗟に追いかけようと手を伸ばすが、もう片方の手を掴んでいる幼いクリシュが繋いでいる手を引いて、それを制した。


 困惑の表情を浮べているクリシュの前で、幼いクリシュはその幼さにそぐわない泣き笑いのような表情を浮べてゆっくりと手を伸ばし、歩いていったクリシュたちの方を指差した。その指す先へと顔を向けると、そこにはもうクリシュや火龍の首飾り(ガルフィネアス)たちの姿はなくなっており、代わりにまた幼い頃のクリシュが数名の神官たちを伴って歩いている後姿が目に入った。

 もう一人現れた子供の頃の自分の出現に当惑して、自分と手を繋いでいる幼いクリシュに目を向けると、そこにはもう誰もおらず、振り向く直前まで握っていた小さく柔らかな感触だけが残っていた。


 次々と起こる不可思議な出来事に混乱しつつも、クリシュはこの一連の事象が自分の抱き続けている疑問と疑念を解き明かす絶好の機会であると思うと同時に、先ほどまでと同様に自分の中に自分以外(・・・・)の意思が介在しているような不確かで不明瞭な感覚が思考を鈍らせて、今はただ目の前で展開される出来事を受け止めることしか出来ない状態だった。


 立ちぼうけとなったクリシュの周囲の景色が突然横にスライドして、まるで万華鏡のようにその様相を瞬く間に変えていく。そして周囲の景色が輪郭を取り戻し、激しい視覚情報の入れ替わりに目が眩んでいたクリシュの目に映ったのは、先ほどと同様に数名の神官を伴って小さな祠とその後ろにある口を開けた大きな洞窟の前に立つ幼い自分自身だった。


 目の前で起こり目に映る景色が自分の過去の出来事であることは、クリシュも分かっていた。

 今目に映る場面は、クリシュにとってとても重大で記念すべき日の出来事だった。


 周囲を囲む神官たちは赤い法衣を身に纏い、頭には銀製のサークレットを着けて、そのサークレットから顔を隠すように赤い布の面隠しが顔を覆うように垂らされている。風でそよぐ面隠しから覗く口元は硬く引き結ばれており、修練を積んだ名のある神官たちでさえも緊張を滲ませていた。

 一方でその神官らに囲まれて立つクリシュは幾分落ち着いた様子で、顔には笑顔を浮べ目をキラキラと好奇心に輝かせて祠の中を見ていた。


 その対照的な様子を見て、クリシュは我ながらこの頃の自分が今とはまるで違う少女に思えた。自分というよりは、妹のミリエルに近い気性と爛漫さを持っているように感じる。


「――クリシュ様。我々が追従を許されるのは、ここまでとなっております」


 不意に年季の入った硬い声音が耳に入ったきた。それは追従してきた神官の一人が発したもので、この祠には代々御子もしくは巫女のみが立ち入りを許されている場所であり、側付きの火龍御子(巫女)がいない状態の火龍の(まなこ)を見たものは、その怒りに触れて目を焼かれるという言い伝えがあり、神官たちは顔を隠す面隠しをしていた。

 通常御子(巫女)となる子供は、十歳を超えるまでは皇都で修練を積むのだが、今回は次期王にしてクリシュ姫の父であるヴェスパルの命によって、僅か五歳という幼さでこの地へと来たのだ。


「はいっ! 火龍さまにお会いしてきますっ!」


 神官たちの緊張とは裏腹に、言わば自国が崇める神に初めて相対するというのに、クリシュには緊張感などは微塵も感じられず、その様子に神官たちは面隠しの裏で複雑な表情を浮べていた。そんなことにはお構いなく、クリシュは一人で洞窟へ向かって歩き出す。神官たちはその背を見送りながら、胸の前で印を切り一礼をして踵を返した。



 その様子を傍で見ていたクリシュは、この時のことを朧気ながら覚えていた。

 当時の自分は五歳で、火龍の御子(巫女)となる運命の証である赤き刻印を持って生まれた者は、認可の祠を奉る洞窟に入りて宣託を受ける、というしきたりがあった。


 今の自分とはまるで違う快活で可愛らしい少女の姿を見て、クリシュは変わってしまった今の自分が酷く惨めに感じた。この頃の自分は、幼さを差し引いてもまるで大輪の花のように華やかで、今の成長した自分から見ると別人の過去を見ているような感覚すら覚える。


 洞窟の中へと淀みなく足を踏み入れる幼いクリシュに合わせて視界が切り替わり、洞窟の壁の中から洞窟の中を透かせて見ているような状態となる。

 この洞窟は神山アウレイスから西方の比較的小さな火山にある。

 バーンアレス島にある火山は全てアウレイス山と地下の火山脈で繋がっており、火龍バーンアレスの力が行き渡り、バーンアレスはその火山脈を自由に行き来することができると言われている。


 地面から壁と天井に至るまで真っ暗な洞窟の中を小さな足音を立てて歩くクリシュの前に、小さな祭壇が現れる。祭壇の両脇に小さな銅製の花瓶が設けられて、そこにはアレス城下の住民が供花した花が生けられていた。火龍は無垢なる者を仇なさないと言われており、敬虔な火龍信徒の幼い子供がここへ花やお供えをすることが昔から続けられてきた。


 幼いクリシュはその花を見て嬉しそうに微笑み居住まいを正すと、祭壇の中央に置かれた高さ三十センチほどある杯の前で印を切り、両手を胸の前で合わせて握り祈りを捧げる。すると、洞窟内部の僅かな湿気を含んだ空気が一変し、洞窟の中の空気が一瞬にして乾燥して肌をピリピリとさせる熱気を帯びる。

 ガラリと変わった洞窟内の空気に驚いて目をパチクリとさせるクリシュの前で、祭壇の中央に安置されている杯の上に、いつの間にか小さな火が灯っていた。


 祭壇の中央に安置された杯の直上に灯った火は、その火の大きさと勢いを増してゆき、やがて幼いクリシュが抱えられないほどの火球となる。そしてその火球は徐々に形を変え始め、丸い火球のクリシュと相対する面が前面へと迫り出して一定の長さに伸びたところで止まり、その後ろでは火球の残る球体部がそれ(・・)の輪郭を形取り炎の鬣が靡き赤き竜頭を構築する。前面へと迫り出した部分には、中心から後部の竜頭に向かって横に一直線の線が走り抜けて裂けるような口を形成した。そして最後に、顔の中心に自身を構築している炎よりも遥かに赤いルビーのような深紅の眼が宿った。


 炎によって構築され、宙に浮かび上がった火龍の化身を前に、幼いクリシュは一層目をキラキラと輝かせて使命とかお役目だとかを完全に忘れ、歓喜と感動を持って一切の躊躇もなくその火龍の竜頭に向かって飛びかかって抱きついた。


「本当に本当の火龍様だぁーっ!」


 文字通り火龍の首根っこにしがみつく様に笑顔で抱きついたクリシュは、その炎に髪の毛一本焼かれることなく熱さを感じるでもなく、ただ温かく大きな存在を抱きしめている感覚だけが腕を通して伝わってきていた。


 一方突然抱きつかれた火龍――バーンアレスは深紅の瞳を僅かに見開き、自分の化身に躊躇なく抱きついてきた少女に視線を合わせて、冷静にその真意を汲み取るとする。だが、クリシュの真意は無邪気な感激と無垢な感嘆のみであり、真意も何も裏も表もない感情の発露させる存在に対して、火龍はまったく未知なる新たなる巫女候補に対して甚だ遺憾ではあるが大いに――大いに動揺させられた。


 そもそもこの化身に抱きついて頬ずりまでしている巫女候補は、バーンアレスが代替りをして数百年に渡ってこの島を統治するにあたり、同様に代替りを果たしてきた多くの御子や巫女たちに比べて幼い印象を受けた。それ故にここに訪れる適正年齢の少年少女は分別や自分の立場を重く受け止めて、厳粛な態度だったり確かな畏怖や僅かな怯えを含み滲ませて訪れるのが常だった。だからこそ、この少女クリシュの反応はバーンアレスにとって未知との遭遇であり、人間が恐れ慄き敬い奉り仕る英霊精龍(カーディナルドラゴン)の一柱として、生まれた瞬間より自覚を持ってここまで生きてきた火龍は、この邪気の無い懐き方を示す少女を怒るどころか嗜めることも出来ず、されるがままにさせていた。


 一頻り火龍にスリスリと頬を摺り寄せた後、幼いクリシュはようやくバーンアレスの化身から腕を解いて体を離し、血色の良い赤らんだ頬を緩ませて、満面の笑顔で赤い法衣のスカートを摘んで僅かに持ち上げて頭を下げた。


「はじめまして、火龍様。火龍巫女見習いのクリシュ=リアスカ=サーディアスです」


 まるで舞踏会で賓客相手にするようなノリの挨拶をするクリシュに、壁の中から透けて見える祠内の様子を見ていたクリシュは、過去の自分がしていることにも関わらず顔を真っ赤にして慌てて、見えているはずもないのにバーンアレスの化身に向かって申し訳なく頭を下げてしまっていた。


 だが、そんな心配を他所に洞窟内に響いたのは意外にも大きな笑い声だった。


『――フハハハハハハハハハッ!』


 豪快な笑い声は狭い洞窟内で響き渡り、クリシュはキョトンとした顔で哄笑する火龍の化身を見ていたが、やがて釣られて笑い始め、本来物音一つせずに粛々と行われる『火龍巫女対面の儀』である認可の儀は永き時を遡っても過去に例がないような賑やかさを持って行われた。


 楽しそうに笑う幼い自分と、愉快そうに笑うバーンアレスの姿を呆然と見つめつつも記憶の端に僅かに引っ掛かっていたこの時の出来事の記憶を思い出しながら、クリシュはほんの少し温かな心持ちでその光景を見ていた。すると、周囲の風景がグニャリと歪んで再び場面が変わっていった。



 目が眩むような光彩の変容の後にクリシュの目に映ったのは、泥だらけの格好でバーンアレス島に広がる密林の中を走り回る幼いクリシュの姿だった。

 楽しくてしょうがないという表情で、上等な布で皇都の宮廷御用達の職人が丹精に込めてあつらえた赤いローブをボロボロにして、クリシュは本当に楽しそうに密林の中を駆け回り、草花を愛でたり動物を追い回したり追われたりと西へ東へ北から南へと島中を駆け回っていた。その後ろには、そんなクリシュを見守るようにバーンアレスの化身である炎で構成された竜頭が付いてまわり、クリシュが行おうとする危険な行為は嗜め、凶暴な魔物や動物からクリシュを守り、常にクリシュが安全であるように見守っていた。


 やがて日が暮れて遊び疲れたクリシュが、バーンアレス島内の火山の一つにある洞窟の中で眠りについた。その側にはやはりバーンアレスの化身がクリシュの身を守るように浮かび上がり、クリシュが寒く感じない程度の熱を放って洞窟内を暖かい温度に保っていた。


 洞窟に入る前に水浴びをして泥を落としたクリシュはスヤスヤと穏やかな寝息を立て、その顔は火龍バーンアレスという絶対的な存在に守られている安心感ではなく、まるで肉親の側で眠る子供のように本当に安心し切った穏やかな表情で眠っていた。

 そしてそのクリシュを見守る深紅の瞳にもまた、苛烈な威厳や厳しい審査の視線はなく、純真に己を慕う幼き心に対して心を開きつつある穏やかな色をしていた。


 出会いから数ヶ月が経ち、本来巫女(御子)候補はアレス城に滞在して日中は各火山を回って祠を奉る洞窟において修練を積み、夜になればアレス城へと戻るのが慣例なのだが、クリシュは日中はバーンアレスと共に島中を駆け巡って遊び、夜になってもアレス城に帰らず、こうやって洞窟の中で眠りにつき、何よりもバーンアレスと共に過すことを優先させて、心からそのことに喜びを感じていた。


 その光景を見ながら、壁の中のクリシュはこの頃の自分を思い出していた。

 皇国の第二王女として生を受けて、更に火龍の巫女としての刻印を持って生まれたが故に、物心ついた時から巫女としての心得や立ち振る舞いを教えられ、同世代の友人はおろか巫女としての神聖さを保つために外界との接触を極端に制限され、唯一話や遊び相手になってくれていたのは七つ年上の兄だけだった。

 そんな閉塞的な環境で育ってきたクリシュにとって、この島に広がる自然は果てしなく広大であり、そこで自由に振舞うことを許してくれた火龍バーンアレスは、真に――本当に罰当たりで恐れ多いことなのだが、初めて出来た遥かに年上の友人のような気持ちで当時接していたような記憶があり、現に目の前に映る二人の様子からもその記憶があながち間違っていないことを告げていた。


 現在のクリシュが恥ずかしさで泣き崩れたくなるような気持ちで見守る中、バーンアレスは深紅の瞳で幼いクリシュを見守りながらも、内心ではとある懸念を抱えていた。


 ――この少女には、火龍の巫女として耐えうる資質がない。


 この場面での資質とは、つまり魔法を操る才能であり、火龍の権能たる火を操る才覚のことだ。

 数ヶ月間の間に、バーンアレスはクリシュのそれらが発現するように密かに助けをしてきたが、クリシュはいっこうに力や才を目覚めさせることもなく発揮することはなかった。その事をこの少女に告げることが己のとるべき最善の方法だと知りつつも、バーンアレスはこの純真無垢な少女の心に陰りをもたらすことを望まず、傲慢だが己の欲求に従い才覚無きこの少女が眩しく輝き続けることのみを望んで手元に置くことを決めた。


 何も知らずあどけない表情で寝返りを打つ少女が、いつまでもあの空を照らす太陽のように眩しい存在であるようにと願いながら、火龍は少女を見守りその体を優しく温め続けた。


 その光景を見つめながら、クリシュはまるで他人の記憶を見ているかのような奇妙な感覚を受けながら、目の前の光景が自分の身に起こっていたことだというのが、実感として湧いてこない不可思議な感覚で見ていた。だが、

それでもバーンアレスが発する慈愛にも似た、苛烈な火龍らしくない穏やかな空気を感じて――既に過ぎ去りし過去の出来事ではあるが、今のクリシュの心もバーンアレスの温かさを感じることが出来た。


 そして再び周囲の風景がグニャリと歪み、新たな場面へと移り行く。

 先ほどよりも更に眩しい輝きの光彩に目が眩む。そしてその光が止んだときに、目の前に映った光景を目の当たりにした時、クリシュは目を見開いた。



                  ◇◆◇◆◇◆◇



 バーンアレス島にあと僅かという海上を、サーディアス帝国第一王子であるラウズ=レクイア=ウルス=サーディアスの旗艦アウレイスは進んでいた。

 そして今、アウレイスの甲板に乗組員のほとんどが集い呆然とした表情で船先に海上に浮かぶ島の光景を見ていた。


 もうじき夜が明けるという時刻。

 空が白むにはまだ僅かに早い時間で、空も海もそこに浮かぶ島も全ては等しく闇の色をしているはずだった。だが、今目の前の空も海も島も煌々と燃え立つ紅蓮の炎に照らされて、赤く紅く朱く燃え上がる巨大な海上に浮かぶ焚き木のように明るく燃えている。


 その光景を作り出しているのは、島の北部――アレス城に最も近く件の島において最も高く最も高貴なる火山。この戦艦と同じ名を持つ――いや、この艦が名前を戴いている火龍神山アウレイスから空へとそびえ立つように起立する紅蓮の神々しき火龍――『焦熱の火山』バーンアレスだった。


 最初にそのことに気づいたのが誰だったのかは、もうそこにいる誰にも分からなかったし、そんなことは目の前で確かに起きている現実に比べれば些細なことだった。

 

 『焦熱の火山』バーンアレスの復活。


 その事実に対して、この艦に乗っている者で戦慄を覚えない者はいないだろう。

 何故ならば十年前、あの火龍神を帝国が弑逆した際の軍の旗艦はこのアウレイスであり、その大罪――任を負ったのは、この艦の主であるラウズ=レクイア=ウルス=サーディアスなのである。


「バーンアレス様……まさか、このようなことが……」


 口元を押さえて、流石に動揺を隠し切れず艦長のジルドが呻いた。

 その後ろから凄い勢いでカルロがジルドの横を抜けて船の柵に齧りついて、目の前に顕現したバーンアレスの姿を見て目を輝かせていた。


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! あれが火龍バーンアレス! す、すすすすす素晴らしい! マテオ君っ君も見たまえ! アレスの炎などとは比べ物にならないほどの素晴らしい炎だぞっ!」


「あ、あぁぁぁ……クランガラクだけでなく、バーンアレスまで……もうダメだ、私の人生もこれまでだ」


 目を輝かせてはしゃぐ丸焼き男(ロースター)を他所に、またも目の前に現れた討伐されたはずの英霊精龍(カーディナルドラゴン)に出くわしたマテオは、その場にへたり込んで頭を抱えていた。


 兵士たちの間にも動揺が走り、ジルドの元で長年しごかれて来た屈強な海兵軍人も、ラウズ麾下の優秀な近衛兵たちも僅かに浮き足立っていたが、恐慌に陥ったり目に見えて取り乱したりしない点は、流石は過酷な訓練と踏んだ修羅場の数がそこらの兵とは違うということが窺えた。


 さざ波のような僅かな兵たちの動揺、元々は火龍信徒であり今も本心では帝国の在り方に疑問を持っているジルド、狂喜乱舞するカルロ、頭を抱えて(むせ)び泣くマテオ。

 その俄かに混沌としかけた戦艦アウレイスの甲板に静かな――だが、とてもよく通る声が響く。


「――ジルド艦長。アウレイスはこのまま直進、私が指示する位置まで構わず進んで欲しい」


 目の前の光景にある意味一番動揺してもおかしくない人物――ラウズの静かな、だが底知れない深さのある声音を聞いてジルドは自然と背筋が伸びる感覚と共に、動揺していた自分を叱咤して最敬礼をとる。


「はっ! アウレイスはこのまま直進! 閣下の指示あるまで進路そのまま!」


 ジルドの腹に響く声を聞いて、海兵たちは我を取り戻し日頃の訓練とジルドに対する信頼とジルドから寄せられる信頼に応えるべく、長年に渡り繰り返し体に染み付いた統制の取れた動きで艦を動かす。

 その様子に満足そうに頷きつつ、ジルドはラウズの顔色を不躾にならないように窺う。そして先ほどのラウズの台詞に今更ながら既知感を覚えて、それを己の中で反芻する。

 そして思い出すと共に目を見開いて、今度は誤魔化しや窺うような仕草ではなく真っ向からラウズの顔を見た。そのラウズの顔にもやはり既知感がある。

 だからこそ、ジルドは確信した。


 ――これではまるで、十年前の焼き直しだ。


 十年前の英霊精龍(カーディナルドラゴン)『焦熱の火山』バーンアレス討伐戦。


 今目の前に映る火山島の光景。

 ラウズの航行指示。

 そしてラウズの表情。


 その全てが、あの時――十年前とまったく同じなのだ。

 ならば、この後に起こることもまた同じと考えるのが自然というものだろう。


 ジルドは柄にも無く恐る恐るラウズの表情を見て、改めて確信する。


 ――ラウズ=レクイア=ウルス=サーディアスは、再び火龍を殺害するつもりなのだ。



                ◇◆◇◆◇◆◇



 猛々しく噴火を繰り返すアウレイス山の麓に程近い場所、そこに位置する小さな洞窟の前に広がる広場には多くの人々が詰め掛けていた。

 つい先刻、ゼミリオ=カウンディがクロウシスによって殺された場所だが、そこにはその痕跡は一切なくなっており、城下町に暮らしていた元々の島民たちと集落に住んでいた強制移民者たちが一同に集い、城下町に住んでいた者たちが荷馬車で運んできた食料を分け隔てなく分配し、日頃から常に腹を空かせていた移民者たちに優先的に回された食料を食べながら、腹が満たされると同時に移民者たちは一様に地獄からの解放されたことに対しての実感を抱き始め、ほとんどの者が泣きながら鼻を啜って食料を口にしていた。

 その中にはあの時、城の兵士たちに理不尽なことを言われて連れ去られそうになっていた娘とその母親の姿もあり、娘が母親に抱き締められて泣きながら喜びを噛み締め、その娘の頭を優しく何度も何度も撫でながら、母親もまた涙していた。


 その光景を城下町の町長であるオグロは嬉しそうに頷きながら見つめ、その目の端には熱いものこみ上げて目頭を濡らしていた。そんなオグロの肩をポンポンと労うように叩く手があった。オグロが振り向くと、そこにはあの時オグロと移民たちを助けるために駆けつけた商工会の頭目と町長代理の姿があった。二人とも笑顔を浮べて頷き、その二人の目頭にも同じように光るものがあり、オグロは『あぁ、自分は今こんな顔をしているのか』と、二人の顔を見て思い幸せを噛み締めた。

 そんな三人に向かって力強い声が掛けられる。


「三人とも、よくサウルの膝元で折れず投げずに耐えてくれた……心から感謝する」


 三人が振り向くと、そこにはアレス城古参の忠臣ジノン=ロック将軍の姿があった。

 あの時ジノンが現れてくれていなければ、今目に映るあの母娘の幸せはなかっただろう。

 オグロと後ろの二人は頭を下げてジノンを迎える。元々生まれも育ちもこの島である彼らは古くからの知り合いであり、小さい頃に悪戯をしてはジノンに叱られていた間柄だった。


「ジノン将軍もよくご無事で……奥様はまだお城に?」


「あぁ、城への入場はクリシュ様をお迎えしてからだろう。大勢が決しているとはいえ、城にはまだ多くの兵が残っている。今更焦ることもなければ、迂闊に動いて我らが神の御手を煩わせる訳にはいくまい」


 そう言ってジノンが神山アウレイスを見上げると、遥か高みにて煌々と周囲を照らして止まない火龍の御神体が今もなお希望の聖火のようにジノンたちを明るく照らしていた。


 その姿を見ていると、町長代理が恐る恐るといった調子でジノンに対して口を開く。


「――将軍、火龍様は我々を赦して下さるのだろうか……」


 その問い――いや、疑問に対してジノンは険しい顔で顔を伏せた。

 そして、その事を口にしたことをきっかけに賑やかな喧騒に包まれていた広場は、そこを中心に一気に話し声が止み、人々の注目はジノンに集まっていた。

 ここにいる誰もがその事を気に病んでいた。


 ――十年前にバーンアレスを殺したのは他ならぬ人間。


 その事実が人々を不安にさせていた。

 ここまでの展開から考えれば、再臨したバーンアレスは一度亡くなる前と同様に歪むことなく悪を挫く『断罪の炎』であり、弱き者を救う『救済の炎』だった。

 だが、かと言って己を(しい)した人間に対して何の恨みもないと考えるのはあまりに都合のいい考えであり、敬虔な火龍信徒でありながら十年前は何も出来なかった彼らの罪悪感はひとしおだった。だからこそ、火龍が自分たちに赦しを与えてくれない限りは、己を責めることしか火龍に対して出来る詫び方がなかった。


 静まり返った広場の中で沈んだ顔を浮べていると、今度はオグロの服を引っ張る手があった。オグロたちが振り返るとそこには瓜二つの容姿をしたオグロの双子の娘たちがいた。その姿を見たジノンは、あの時本人たちに自覚は無くとも危険を省みずに移民の娘を助けようとした二人の姿を思い出して、腰を屈めて目線を合わせる。


「リゥとルゥか……大きくなったな。私のことを覚えているかな?」


 名を呼ばれた双子は妹のルゥが恥ずかしそうにリゥの背に隠れ、リゥは真っ直ぐにジノンの顔を見つめて小さく頷いた。その様子にジノンは優しい笑みを浮かべて、二人の頭を撫でた。


「……おとーさん」


 姉のリゥの背中に隠れていたルゥがオグロを呼ぶ。


「どうした、ルゥ」


「火龍様にお供え物……してもいい?」


 僅かに気まずそうしている妹娘の様子に、そういえば娘たちは自分の言いつけを破って夜中に家を抜け出してここへ来ようとしていたことを思い出した。

 そのことを怒られるのではないかとショゲるルゥと、怒られる覚悟が出来ているらしいリゥの様子を見てオグロは優しい笑みを浮べて二人の頭をそっと撫でた。撫でられると思っていなかった二人は目をパチクリとさせているが、オグロはこの純真な子供たちの心根と祈りこそが、この火龍復活という奇跡を起こさせたのではないかと思えていた。


 父の優しい笑みと頭を撫でる手から優しさを感じ、双子の姉妹は同じように柔らかな笑みを浮べてお供えの入った袋を持って石造りの祭壇に駆けて行き、大勢の人々が見守る中お供えを祭壇に置いて祈りを捧げ始める。それに倣い、その広場にいた全ての人間が胸の前で両手を握って祈りを捧げる

 広場にいた人間全員が目を瞑り、静かに偉大なる火龍へと祈りを捧げ、辺りは厳かな空気に包まれた。


 祭壇の前で懸命に祈りを捧げる双子の姉妹――その妹であるルゥが顔に温かな風を感じてそっと目を開くと、目の前に広がる光景に驚いて目を見開いた。その隣で少し遅れて目を開けた姉のリゥもまた、目の前の光景に驚いて口を開けたまま――それを見上げた。


 二人の目の前、供物を捧げた祭壇の直上に巨大な火龍の顔が迫っていた。

 先ほどまで神山アウレイスの火口から真っ直ぐに起立していたバーンアレスが、人々が祈りの為に目を瞑った一瞬の内に長大で巨大な胴体を折って、火口から長い胴体を山の斜面に沿うように伸ばし、人々が集うこの広場に顔を寄せていた。


 そのまるで自分達の祈りが火龍に伝わったかのような火龍の行動に感激すると同時に、目の前に迫る頭部だけで数十メートルはある燃え盛る火龍の顔を間近に見て、年寄りは地面に平伏して祈りを捧げ、ある者は腰を抜かしてへたりこみ、ある者はその神々しい姿に魅入られていた。


 突然目の前に現れた火龍に対して双子はしばらく呆然としていたが、いつもは姉のリゥの背に隠れてばかりの妹のルゥが姉の前に出て突然声を上げた。


「火龍様っ! お父さんたちをっ……みんなを……っみんなみんな火龍様が怒ってるって思っているんです! 火龍様に悪いことをしてしまったって泣いて、みんなずっと……して欲しいって心を込めてお祈りしてきましたっ! 悪い人たちにいじめられても、みんなずっとお祈りしてましたっ! だから……だから――」


 次第に言葉に詰まり嗚咽に変わっていくルゥに代わって、今度は姉のリゥが声を上げる。


「――お父さんたちはずっとずっと火龍様にごめんなさいってお祈りの時に言ってました。悪い人たちがきてどんな酷いことをされても、火龍様をお守りできなかった(ばち)が当たったんだって、みんな泣かずに頑張りました! だからっだから――」


 その先の言葉をどうしても言うことができず、二人は意味をなさない言葉を口に乗せて顔をクシャクシャにして泣き始めた。その双子が大いなる存在である火龍神に必死に訴えかける様子を見て、城下町の人々も集落の移民たちももらい泣きをする者が現れていた。


 ただ一言。


 ――赦して欲しい。


 この言葉をどうしても言うことができず、人間が犯したあまりに大きな大罪に対して許しを乞うことすら憚られてしまい、広場には人々がすすり泣く声が静かに響いた。

 そんな彼らの頭上からもたらされたのは――やはり、ただ一言。



『――よい』



 その全身を震わせて体の芯に直接響くような声音に、人々は一斉に顔を上げた。

 燃え立つ紅蓮の炎を纏いしドラゴンは、そんな人々を見下ろしながら、もう一度声を発する。


『――よいのだ。赦すも何もありはしない。我は汝らを憎んでなどいない。あの時のことも、我が情に(・・)流された結果引き起こした末路であっただけのこと。汝らが気に病むことではない』


 そしてバーンアレスは、今最も自分に近い場所でこの場で最も勇気ある二人の少女に視線を定める。黄金の瞳に映し出された純真な魂を持つ二人に対して、火龍は賛辞を贈る。


『小さき双魂の姉妹よ。汝らの訴えは我が魂に確かに届いた。汝らの捧げし祈りと供物は確かに我に届いた。だからこそ、汝らの為に言おう――その想いと祈りが尽きぬ限り、我は汝らを赦し続ける』


 そもそも怒りや憎しみの感情を抱いていないと言った上で、直接訴えかける勇気をみせた双子の為に、二人が納得できるようにと『赦す』とわざわざ言ってくれた。

 その事実に大人たちは呆然として、二人は見る見る目に大粒の涙を浮べてわんわんと泣き始めた。その後ろでは、城下町の町民と移民たちが両膝を着いて頭を深々と下げた。俯かせたほとんどの顔から熱い雫が零れ落ちて、地面を熱く濡らしていた。


『我が炎は断罪の炎。故に悪意を感じ、それを焼き尽くす』


 長い首を僅かに上げたバーンアレスが、その黄金の瞳で移民たちが集う一角に視線を送ると、突如移民たちの数人に火が点いて、着ていた衣服が燃え上がる。


「うわぁぁぁぁぁぁっ!」


「熱いっ! 熱いぃぃぃぃぃ!」


「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」


 声を上げてのた打ち回るその連中は、実は移民たちの服を着て紛れ込んだサウル側の兵士たちだった。旗色が悪くなったために、移民たちに紛れ込んで難を逃れようとしていたのだ。


『その者達はサウル=パンディアの手の者だ』


 バーンアレスの言葉を聞いて、火を消して助けようか迷っていた移民達は救助の手を伸ばすのを止めて、衣服があらかた燃えたところで男たちを取り押さえた。衣服は完全に燃えていたが、体の火傷は軽かったが男たちは一様に歯の根が合わないようでカチカチを恐怖に震えていた。

 それは着火される際にバーンアレスの黄金の瞳を見たからだった。

 脳裏に焼きついて、目を瞑っても瞼の裏に焼きつき脳を焼くようにジリジリと痛みを与えてくる。


 痴れ者達が取り押さえられるのを見届けて、バーンアレスは巨大な鎌首を僅かに持ち上げて西方の海へと視線を送る。その視線の先に一隻の大型軍艦が、既にハッキリと見える位置に迫っていた。そのことを確認したバーンアレス――クロウシスは黄金の瞳を細め、再び広場に集った人々に視線を戻す。


『これから我はある者と戦わねばならない』


 突然すぎる思ってもみない言葉に、人々は息を呑んだ。

 この火龍が戦うと敢て明言する相手とは――いったい?

 サウル=パンディアのことかと思った者もいたが、先刻の宣言から考えればわざわざサウル相手にそんなことをこの火龍神が言うとも思えなかった。故に人々は不安になり、彼らの神を見上げた。


『案ずる事は無い。この戦いに汝らを巻き込むつもりはない、この戦いは云わば――清算のようなものなのだ。そうであろう――』


 そこで言葉を切った火龍が視線を人々の後ろ広場の上り口へと向けると、そこから特徴的な赤い制服を着た侍女騎士『火龍の首飾り(ガルフィネアス)』近衛騎士団の面々が現れ、彼女たちもまた広場に集った大勢の人々に目を丸くさせて、その頭上から自分たちを見下ろす巨大な火龍の姿に一瞬硬直してから、すぐさま道を作るように左右に分かれて片膝を着いていく。

 そして、彼女たちの後方から現れた銀髪の美しい一人の少女を迎え入れる。


『――我が巫女よ』


 火龍の巫女クリシュ=リアスカ=イニス=サーディアスが、遂に火龍の元へと辿り付いた。



                ◇◆◇◆◇◆◇



 表情を強張らせて目を見開き、クリシュは目の前の光景に息を呑んだ。

 何度目かの光が収まった先に見えたのは、見慣れた――二年前まで見慣れていたアレス城の自室だった。部屋にある天蓋付きのベッドの上に一人の少女が横たわっていた。

 少女――クリシュはあれほど健康的だった血色が嘘のように青白く、コロコロと変わっていた表情にも力はなく、キラキラと輝いていた瞳は色を失い何も映さず虚ろだった。

 あまりに変わり果てた姿に、クリシュは自分のことであるにも関わらず口を手で覆い唇を振るわせた。だが、クリシュが動揺しているのは、幼い自分が見る影も無く衰弱した姿に対してだけではなく、その自分がいる場所が自分の記憶と食い違っている(・・・・・・・)からだった。


 幼い自分の様子から考えて、これは信望していた火龍神バーンアレスが他ならぬ祖国によって滅ぼされたことを皇都に戻っていた時に報告を受けて絶望していた時の様子――のはずだった。だが、部屋も窓から見える外の風景も、それは皇都のものではなくバーンアレス島にあるアレス城のものだった。


 自分の記憶と今見ている過去の情景が一致せず、クリシュは頭を手で覆って記憶を精査しようと必死に思い出そうとするが、昔からこの頃のことを思い出そうとすると鈍痛がして、まるで思い出すことを拒むようにクリシュの記憶を堰き止めていた。


 苦悶の表情を浮べて頭を抱えるクリシュの前で、部屋にノックの音がした。

 ベッドの上のクリシュは返事どころか一切の反応を見せなかった。すると、しばらくして部屋の扉が開かれて一人の少年が入室した。

 

 まだあどけない印象は残っているが、少年にしては身体は強く鍛えられており、瞳が放つ光も既に戦士のソレだった。ベッドに横たわるクリシュより幾分年長であり、同じ銀髪をこちらは短く切り青い瞳に悲しみと何らかの決意を同居させて、僅かに揺らしていた。


『――兄様』


 クリシュは入室してきた少年――自分よりも七つ年上の兄ラウズを見て目を見開いた。そんなクリシュの横を通り抜けて、ラウズはベッドの縁へと進み横たわるクリシュの力ない手を取り優しく握ると、空虚な視線を天蓋へと向ける妹の額に空いている手を置いて優しく撫でた。

 何の反応も示さない妹の姿を見つめ、ラウズはそれでも手を握ってしばらく頭を撫で続けた。


「――クリシュ」


 数年ぶりに聞く兄の声は、まだ変声期の頃で僅かに少年らしい高い声を残したものだったが、確かにクリシュが敬愛する兄のものだった。


「クリシュ。もういいんだ――自分を責めるのは止めろ。悪いのは私であり、全てを仕組んだ――だから……もう――していい」


 急に声が聞き取りづらくなり、クリシュの頭を激しい痛みが襲った。それでも、今幼い頃の兄が言っている言葉はとても重要なことな気がしてならず、クリシュは必死に耳に神経を集中させる。


「――忘れよう。罪の意識を感じるのは私一人で十分だ。お前は――でいい。真実――だ」


 痛みに耐えて歯を食いしばるが、次第に痛みが増していきクリシュは立っていることができず、その場に膝を折って崩れ落ちそうになるが、それでも――それでも真実が知りたかった。

 そしてラウズが口にした決定的なことを耳にすることとなる。


「――お前が火龍様を裏切ったのではない。父がそうさせたのだ」


 それを聞いた瞬間、クリシュは目を見開いて自分の中に渦巻いていた全ての疑念がグルグルと脳裏を駆け巡り、その言葉の意味を理解して呑み込もうとするが、どうしても上手くいかず胃が凝縮を繰り返すような感覚に目を白黒させながらぼやける視界でベッドの上のクリシュに目を向けると――。


 ――目が合った。


 ベッドの上で今までずっと虚ろな表情で身じろぎ一つしなかった幼いクリシュが、首だけを動かして横を向き床で苦しむクリシュを見ていた。

 そして二人の決して合うはずのない視線が交錯した。

 驚きに目を見開くクリシュの視線の先で、幼いクリシュは色を失った蒼い瞳から一筋の涙を流していた。悲しみも苦しみも後悔も絶望も全てを含んだ――たった一筋の涙。


 それを見た瞬間、クリシュは願った。


 ――真実が知りたい。


 ――それがどんなに残酷なものであろうとも、偽りなき真実が知りたい。


 心の底から渇望するその想いと共に、クリシュの視界が再び歪み始める。その視界の中で、涙を流す幼いクリシュにラウズは懐から小さな薬包を出した。

 それは記憶を消す薬。

 壊れそうな妹の心を唯一救う手段として、兄が下した残酷で優しい決断だった。


 完全に視界が歪んで再び目が眩むような光が暗転するその先――そこでクリシュの目に飛び込んできたのは大勢の人々が集う広場と、自分に道を作るように片膝を着いた『火龍の首飾り(ガルフィネアス)』の近衛騎士たち。


 そして――


 巨大な気配を感じて頭上を見上げれば、そこには巨大な燃え盛る頭部を巡らせて長い首を火口から伸ばしているバーンアレスの姿があった。


 先ほどまでとは違い、今は自分自身の感覚があることを認識して、これが今までの不可思議な過去の回想ではなく現実であることを体が感じる全ての感覚が教えてくれる。

 だが、何故――とも思う。


 自分が知りたいと願ったのは、十年前のあの時――何が起こったのか、ということだったはずだ。何故今になって急に現実へと引き戻したのか――元々任意性のある現象だったわけではないが、それでも今までの回想を思い返せば、アレはクリシュに真実を伝えることを願っていたように感じていた。


 その答えは案外身近に――クリシュのすぐ側にあった。


 不意に気配を感じて横を見ると、そこには幼いクリシュが立っていた。驚くクリシュの隣で、身体が僅かに半透明な幼いクリシュは信頼と愛情を込めた視線を頭上にいるバーンアレスに向けていた。


『――我が巫女よ』


 その言葉が一体どちらのクリシュに向けられたものだったのか、クリシュは一瞬判断がつかず視線を彷徨わせた。そして隣の幼いクリシュ同様に頭上に在るバーンアレスを真っ直ぐに見つめた。


『これから我を滅ぼそうとする者がここへ訪れる』


 その言葉に二人のクリシュは同じように動揺し、瞳に不安の色を浮べる。

 周囲の人間、広場に集った人々の間にはさざ波のような静かな動揺が緩やかに走り、火龍の首飾り(ガルフィネアス)たちも並んで膝をついたまま、隣の仲間と視線を交錯させていた。


『だが、案ずることは無い。汝はそこに在れ。そして見ているだけでよい』


 その言葉を聞いた瞬間、クリシュは気づいた。

 バーンアレスは十年前とまったく同じことを言っている。

 一言一句違わず、まるで十年前の焼き直しを行っているかのように、幼いクリシュと成長した現在(いま)のクリシュの二人に対して言っているかのように、同じことを言っているのだ。


 幼いクリシュが戦いへと赴く火龍に祈りを捧げる。クリシュもまた、過去の自分に倣う様に両手を胸の前で握って祈りを込めるが、全てが十年前の焼き直しとなっているなら戦う相手が誰であるかということにも、当然クリシュは気づくべきだった。


『我を滅ぼしに来るのは――ラウズ=レクイア=ウルス=サーディアス。汝の兄だ』


 その言葉を聞いた瞬間、クリシュは重い鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。そして隣の幼いクリシュも今何を言われたのかを理解できず、祈りを捧げる格好のまま呆然と火龍を見つめていた。


 そしてクリシュは気づく。

 確かにこれは――自分が望んだことだった。

 十年前に起こったことを、今目の前で見せてくれようとしている。

 それも、現在(いま)の自分にとって最も近い場所で、だ。


 呆然と己を見上げる二人のクリシュを視ながら(・・・・)バーンアレス――クロウシスは、巨大な首を持ち上げて再び天高くそびえるように身体を起立させて、火山脈から力を吸い上げて体内で放出可能なエネルギーへと変換させる。


 その視線の先には、海上で静止した一隻の軍艦。


 ――その先端に立つ一人の青年。


 堂々たるその態度にクロウシスは笑みを浮かべる。

 そして体内で飽和した力を出力させ――凄まじい光と共に赤い光の奔流を放った。


 

後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


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とても励みになります。

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