第一章12-火龍再臨-
真夜中を過ぎた闇夜の下、アレス城が灯す光も朧気な城下町の外れ――強制移民者の集落との境界でその騒ぎは起きていた。
鎧に身を包んだ帝国兵たちが銃や剣を手に、粗末な服に身を包んだ移民者の娘を無理矢理に連れて行こうとし、それをその娘の母が止めに入っていた。
「止めて下さいっ! 今回の税は既にお支払いしたはずです!」
「領主に払う税の他にも、お前等をこうやって魔物から守ってやっている我々にも奉仕の精神を持てと言うておるのだ。なぁ?」
娘の手を引いていた兵士がいやらしい笑みを浮かべて仲間に同意を求めると、銃を手にした兵士たちもまた薄ら笑いを浮べて頷く。その様子を見て母は顔を青くさせ、娘は生気のない目で四肢にも力はなく、兵士に引かれるがままになっていた。
騒ぎを耳にして他の移民者がボロ屋から顔を出して、騒ぎを見ていた。だが積極的に止めに入ったり、助けに入る者はいなかった。
この島に連れて来られてから、何度も過重な税を身代わりとして城へと連れて行かれて、あの身の毛もよだつ宴で体を汚されてきた。もう抵抗して殴られるのも馬鹿馬鹿しく思えていた。
自分を連れて行く兵士に必死に食い下がる母の姿に、父を戦争で失って以来めっきり弱くなってしまった印象だったが、何をそんなに必死になっているのか疑問だった。
税を払えなければ殺されてしまう。
自分が城に行けば母は生きることが出来て、自分も別に殺されるわけではない。
最初は城から股の間に傷を負って帰って来た自分を抱きしめて、ごめんねごめんねっと泣いていた母も、回数を重ねる内に抱きしめてくれなくなり、ただ俯いて地面を見ているだけだった。
――なら、もうそれでいいではないか
自分はもう納得してしまっている。
慣れつつあるのかもしれない。
空虚な思いで、なおも抵抗を続ける母の姿を見ていた。
「しつこいぞっ貴様! 下がれっ!」
「いいえ、下がりません! ここに連れて来られてから、私は敗国の下民として重い税を払うために、この何の力も無い体ながらも身を削り働いて参りました。ですが、それでも税をお支払いすることが出来ずに、娘の――娘に体を売ることをさせてしまった、私は畜生にも劣る母でございますっ!」
その慙愧に満ちた血を吐くような声音に、兵士たちは一瞬たじろいで娘の目が僅かに見開かれる。
「領主様が定めた税を私ども納められていないのであれば、私はまた自分の無力を呪い、娘に向かって頭を地面に擦り付けて謝り乞い願わねばなりませんっ! もう、お城から傷だらけで帰ってきた娘を抱きしめてあげる資格すら、私にはないのです!」
その言葉を聞いて、初めて娘の目に生気が戻り見開いた目で自分の手を掴む母の顔を見る。痩せこけた腕は傷だらけで、慣れない野良仕事を続けたせいで手も指も潰れた豆でガサガサになり、顔も頬がこけて骨が浮き出ている。そういえば、母が食事を摂っている姿を見た覚えがなかった。
「かぁ……さん」
戦争前は村一番の美しい婦人と言われていた母の変わり果てた姿を今更ながら直視して、娘は頬に涙を伝わせて母を呼んだ。
その声に母もまた娘の顔を見て、優しく微笑みながら涙を流した。だが、その母が横合いから腹部に激しい殴打を受けて吹き飛ぶ。
「母さんっ!」
剣の鞘で殴打された母は患部を押さえて激しく咳き込み、血の混じった胃液を吐瀉した。その姿を見ながら、兵士は唾を吐いて更に母を痛めつけようと近寄る。
「止めて下さいっ! お城には行きます! だからもうこれ以上、母さんに酷いことをしないでっ!」
「ダ……っめ……」
地面に蹲ったまま血と涎と涙でクシャクシャになった顔で手を差し伸べてくる母に、娘は泣きながら出来る限り優しい顔で微笑んだ。
「母さん……お城帰ったら、また抱きしめてね。私は……私はそれだけで、大丈夫だから」
「――ッ!!」
娘の言葉に母は差し伸べていた手から力を失い、手で地面を掻き毟って大声で泣き始めた。その声に娘は溢れ出す涙を拭いもせず、唇を噛み締めて目を瞑った。
兵士が大声で泣く母親を目障りそうに見た後、再び娘の手を引いていこうとした時――幼い声がした。
「「お姉ちゃんを放せっ!」」
完全に調和したその二つの声に、兵士が訝しげに声がしたほうを見ると、そこには平民服に身を包んだそっくりな容姿をした娘が二人、手に麻の袋を持って兵士を睨みつけていた。
その闖入者を涙でぼやける視界で見て、娘は驚きに目を見開く。
身なりが平民服を着ていることから、移民ではなく城下町に住む住民であることはすぐに分かったが、そっくりな容姿を持つ双子に兵士は困惑していた。
娘はその双子姉妹のこと知っていた。
この島に連れてこられてから、何度か移民たちの集落に父親と一緒に来ていた娘たちだ。父親は最初、娘たちが移民の人間と関わることをよく思っていなかったようだが、税のことで城下町が移民者に対して融通をして島での耕作や猟についての協力を持ちかけ、それを移民たちが好意的に受け止めて共にサウルの敷く圧政に対して耐えていく誓いを打ち立ててからは、目の届く範囲では自由にさせていた。
その時に娘はこの姉妹と知り合い、草花で作る王冠を作ってあげたり、亡国となった祖国と生まれ育った村に伝わる唄やおとぎ話を教えてあげていた。
「お姉ちゃん泣いてるっ!」
「放してあげてっ!」
その自分達を真っ直ぐに見つめる純真な抗議に対して、兵士たちも若干居心地悪そうに顔を傾げていたが、その中の一人があることを思い出していやらしい笑みを浮かべると、娘の手を引いていた兵士に何事かを耳打ちすると、その兵士もまた同じ表情浮べて姉妹を見た。
その視線に対して本能的に危機感を感じた姉妹が、お互いに手を繋いで一歩下がった。
「ほぉー……これが噂の町長の双子娘かぁ」
「俺にそっちの趣味はないが、確か帝都から来たあの変態男爵がご所望してるって話だぞ。連れて行けばたっぷりと報酬を弾んでくれるだろうぜ」
「でもいいのか……? 町長の娘だろ」
「なぁーに、構わな――お、噂をすれば」
兵士が視線を城下町の方へと向けると、こちらに向かって走ってくるアレス城下町の町長オグロの姿があった。よほど焦っている様子で、いつもは身なりを整えているが今は着のみ着のままといった格好で、その上顔を青くしている。
「これはこれは町長殿。こんな夜更けにいかがされましたかな?」
兵士が姉妹と走ってきたオグロとの間を遮るように立ちはだかり、含みを持った口調で尋ねると、オグロは疲労と心痛でやつれた表情で荒い息を吐きながら兵士を見上げ、そしてその後ろに立ち尽くす双子の娘たちを見た。
「む、娘たちがこんな時間に黙って家を抜け出しましてな……慌てて探しにきたのです。さぁ、お前たちこんな時間に家を出るなんてダメだろう、帰るぞ」
「違うもん! あたしたちは火龍様にお供えを持っていこうと――」
「ダメだよっルゥ! 内緒なんだよっ!」
幼さゆえの迂闊さで秘密を口にした妹の口を、姉が慌てて塞ぐが時すでに遅しだった。二人の言葉を耳にした兵士はニヤっと笑うと、妹が持つ麻袋を奪い取って中を確認すると、オグロに向かって勝ち誇った笑みを浮かべた。
「町長殿、これはどういうことですかな? 火龍の神殿に対する供物の献上は、我らが領主サウル=パンディアが禁じたはず。それを町長の娘が破るなどと、これは我らへの反抗心の表れだと受け取らざる得ないですな」
「そ、そんなことはございません! それは我が娘たちが勝手にやっただけのことでございます。城下に住まう者達にそのような意思はございません!」
その言葉を聞いて兵士は口角を上げた。
「では、我らはこの娘たちに罰を与えなければなりませんな」
「なっ!?」
兵士の言葉にオグロは目を見開く。
まだたった七つの子供に対して、城に仕える兵士が罰を与えるなどと正気の沙汰とは思えなかった。
絶句するオグロに対してニヤニヤと笑いながら、兵士たちが双子を取り囲み始める。それを見て咄嗟に娘たちを助けようと飛び出したオグロを兵士が剣の鞘で打ち据えた。腹を硬い剣の鞘で強かに殴られて倒れたオグロを数人の兵士が囲み、さらに蹴りを入れて踏みつけにする。
「おとうさぁんっ!」
「やめてぇー!」
兵士たちの隙間から双子が倒れて暴行を受ける父に手を伸ばして泣き叫ぶが、その小さな体に大人の男を退かす力があるはずもなく、悲鳴と泣き声が寂れた集落のはずれに木霊する。
「村長殿、今回のことは領主サウル様に報告させて頂きますよ。城下町と集落を繋ぐ貴方の娘が禁を破り、その上貴方自身が我々に対して反抗しようとした……見過ごせることではありませんからな」
頭を踏みつけられて動けないオグロに向かって兵士が、愚にもつかない言いがかりを当然のことのように朗々と述べると、兵士は自分のことが発端となって城下町や集落の扱いがさらに悪くなることを告げられたことに、絶望的な表情を浮べて座り込んでいた娘の髪を掴んで無理矢理に立ち上がらせる。
「さぁ、城まで来て貰うぞ。おい、そっちのも連れて来い」
兵士が顎で指すと、双子を取り囲んでいた兵士たちが父の身を案じて泣き叫ぶ姉妹の小さく細い腕を掴むと、そのまま引きずるように歩き始める。
その兵士たちの前に娘の母が跪き、頭を地に擦り付けるようにして
「お待ちくださいっ! どうかお願いでございます! 連れて行くのは娘だけになさって下さいっ! 町長様とお嬢様方をお赦しくださいっ!」
娘の絶望に染まった顔を見て、このままでは我が子が自害しかねないと思った母は、血を吐くような思いで娘を自ら差し出すような言葉を言った。その母の気持ちを察した娘が、決死の覚悟で兵士たちの前に身を投げ出した母の姿に涙を流す。
「退かぬかっ! 敗国の徒の分際で我々の邪魔をするなどと、貴様らなど奴隷も同然なのだぞっ!」
「お願いでございますっ!」
額が擦り剥けるほどに地に頭を擦りつけて動こうとしない母に、兵士の一人が業を煮やして遂に剣を抜いた。それを見て娘が悲鳴を上げて暴れ出し、双子もまた声を上げて泣く。
「城下町の連中はともかく、お前ら移民共に対しては我々に逮捕と処罰の自由が認められている。処罰には無論、場合によっては処刑も許可されている……ということだ」
スラリを抜いた剣を手に母へと近づく兵士の背に娘の悲鳴が届くが、兵士は一切躊躇せずに地面に伏した母親の前に立つと剣を振り上げた。
そしてその剣を振り下ろそうとした瞬間――鋭く重い声が響いた。
「やめろっ!」
威厳と気合に満ちた裂帛の怒号に剣が止まり、声のした方に皆の視線が集まると、集落を囲むよう存在する密林を背に一人の男が姿を現した。
「ロック将軍……っ」
アレス城きっての忠臣であるジノン=ロックの登場に兵士たちがざわめき、暴行を受けて地面に倒れていたオグロは信頼に足る将軍の登場に顔を僅かに上げた。
壮年期も終わりに差し掛かりながらも、その屈強な身体は今だ健在で、軍服の上からでも鍛え抜かれた肉体が見て取れ、苦心による皺が目立つものの顔つきにも覇気が漲っている。髪は元々の金髪が加齢によって色素の薄いものとなりつつあり、短く切り揃えた髪型が本人の気質を表していた。
「他国の民とはいえ、このような人道に反する行為を……帝国の軍人として恥を知れっ!」
ジノンの一喝に思わずたじろぐが、兵士はすぐに余裕の表情を浮べた。
「これはこれはロック元将軍。バーン砦攻略戦で戦死されたと思っていましたが、まさか生きておいででしたか。今まで一体どちらへ?」
「……九死に一生を得て密林を彷徨っていた。それよりも、貴様らの振る舞いだ。噂は耳にしていたが、やはりカウンディはサウル以上に危険な存在であった」
自責の念に拳を震わせるジノンを前にして、兵士は薄ら笑いを浮べて剣の切っ先をジノンに向けた。それを見たジノンの眼光が鋭くなり、兵士の顔を睨みつける。
「我らが主の批判は止めて頂きましょうか。この土地は正しく統治されていますよ、あの姫様が統治していた頃よりもずっとね」
ヘラヘラと笑う兵士たちを見渡したジノンは、心の内で悲嘆していた。
閉塞した環境下で志し無き者が独裁を始めると、これほどまでに人心とは腐敗するものなのかと驚愕してのだ。ここにいる兵は主にサウルたちが本国から連れてきた者達だが、何人かは元々このアレス城にいた者の顔もあった。以前は精悍だった顔も二年間の内に心が腐り果てたらしく、今は弱者を弄ぶ愉悦を心から楽しんでいる表情をしていた。
「貴方には城まで来ていただこう。貴方が生きておいでを知れば、サウル公もさぞお喜びになることでしょう。尋問官は私がやらせて頂きたいくらいですなぁ」
サウル同様に高潔な者を這い蹲らせて陥れることに喜びを感じる歪んだ嗜虐心を、まるで隠そうともしない兵士の態度にジノンは不快そうに眉を顰めた。
「抵抗なさっても結構ですが――」
そこで兵士が片手を上げると、後ろにいた兵士たちがオグロとその娘たちに抜き身の剣を向けた。
「――この者たちの命は保証致しませんがね」
「下劣な……」
目を細めて呻くジノンを見て兵士は笑みを浮かべるが、その笑みが不意に曇る。
ジノンもまた異変に気づいて周囲を見渡すと、城下町からは手に火龍を模して作られたランプと手に簡素な剣や槍を持った町民が大挙して移民集落との境界線まで押し寄せ、移民集落の方からも今まで事態を傍観していた移民たちが手に木の枝を削って作った槍や、角材を手に兵士を取り囲みつつあった。
「な、なんだ貴様ら……こんなことをし――」
「こんなことをされて、我々がいつまでも黙ってると思っていたなら大違いだっ!」
「そうだっ! 人としての扱いさえ受けられない苦しみが、お前らに分かるかっ!」
兵士の言葉を遮って移民たちが怒声を上げる。
地面に倒れていたオグロが町民の群集に驚きの視線を向けると、手に武器を持った町民たちが町長であるオグロのボロボロの姿を見て沈痛な表情を浮べながらも、全員が何処か吹っ切れた顔だった。
そして群集を先導している二人組――眼鏡を掛けた細面の男と髭を蓄えた強面の男がオグロに語りかける。
「町長、我々も限界だよ。こんなならず者たちが町を徘徊して好き勝手に振る舞い、城には人でなしの偽領主と殺人騎士がいる。そして町を一歩出れば――いや、家から一歩出れば、移民として連れて来られた彼らの悲鳴と叫びが聞こえる毎日……もう、とてもじゃないが我々は耐えられやしない」
「あんたはよく耐えてくれた。城に行って、あの貴族の若造と面を突き合わせていたのはあんただ。あんたはこの町のことも、移民たちのことも考えて行動してくれていた。だからもう、あんたがこれ以上一人で背負い込まなくていいじゃねーか。どうせこのまま耐えても地獄の日々が続くだけだ……クリシュ様がご帰還なさってくれることを祈ってはいたが、このままじゃ俺たちは今の境遇をあの方のせいにしちまいかねねーよ。だったら、俺たちの心がドス黒くなっちまう前に、パァーっとやっちまおうぜ」
その二人組は長い間オグロを補佐してくれていた商工会の頭目と町長代理だった。
彼らが手にしている武器は、反乱防止に奪われた武器とは別にオグロが密かに牛舎の地下倉庫に隠し持っていたものだった。兵士たちは家畜が放つ獣臭と糞尿の臭いを嫌って、牛舎や豚舎を必要以上に捜索しなかったのだ。
その武器を持ち出した以上は、彼らは完全に覚悟を決めているということだった。
武器持って助けにきてくれた仲間に対して、オグロが泣き笑いのような表情を浮べると、彼らもまたすっきりとした表情で笑みを浮べた。それで十分だった。
「ちょうど大将になってくれそうな方もいて下さるしよ」
町長代理が髭面にニヤっと笑みを浮かべ、オグロが視線を移すとジノンもまた力強い笑みを浮かべて頷いた。それを見てオグロも覚悟を決めて痛む顔の筋肉を使って不器用な笑みを浮べた。
「好き放題言いやがってっ! おぃ!」
兵士が声を張り上げると、仲間の兵士が空に向かって銃を数発発砲すると、すぐに詰め所付近から二機の龍騎兵アレスが跳躍してきた。
地面を揺らして降り立つアレスの迫力に移民たちが僅かに怯むが、町民たちはキッとまるで親の仇を見るかのような目でアレスを睨んで武器を手に身構える。
その様子にジノンは大きく頷いて、自身も剣を鞘から引き抜いて目の前に佇むアレスに向ける。
ジノンは思う。
目の前にいる龍騎兵は確かに強く強固な存在だ。
だが、あのクロウシスケルビウスという謎の存在と対峙した時に比べれば、今目の前にいる存在など紛いモノの力でしかないと感じられた。普通に考えれば自分が強くなったわけでもないし、アレスが弱くなったわけでもない。しかし、それでも以前は感じていた絶望的な力の差は感じなくなっていた。
――本物の力と、それが放つ恐怖と対峙したから。
ジノンは剣を振り上げて叫んだ。
「敵はアレス城に巣食う偽りの領主サウル=パンディア! ゼミリオ=カウンディは今、あの城に在らず森に行っているのを私は確認しているっ! そして――」
町民と移民を鼓舞するためにジノンは声を張り上げて、そこで一拍置き――。
「敵は大部隊をバーン砦へと差し向けたが、我らがクリシュ姫殿下はそれを退けたっ! そして今、強力な味方と共にここに向かわれているっ!」
町民と移民がざわめき、兵士たちもまた動揺し始める。
その様子を見て取り、ジノンはさらに声量を上げた。
「城やここに配備されている龍騎兵の数が減っているのが何よりの証拠っ! 我々にはまだ火龍様の加護が付いている! 我々は勝てるぞぉっ!」
『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!』
前方と後方で上がる歓声と怒号に兵士たちは気圧されるが、それでも自軍に龍騎兵がいることが彼らの優位を保っていた。
「なにが火龍だっ! 火龍など我々帝国によって滅ぼされたではないかっ! もはや居もしない神にいつまでも縋りつくなど、本当に貴様ら龍信仰者は憐れな連中だ!」
「ちがうもんっ!」
吐き捨てるように言った兵士の声を双子の一人が否定した。
「火龍様は死んでなんていないもんっ! 今はあの御山の中でお休みされてるだけだもん!」
「ふんっ。それは誰がそう言っていたんだ?」
兵士が姉妹の存在を思い出して、ニヤっと笑みを浮かべながら剣を片手に振り返る。
「おとうさんが教えてくれたっ! 時が来れば火龍様は復活なされて、またルゥたちを救って下さるって」
双子の片割れ――妹のルゥという少女の言葉に、兵士は嘲るような笑みを浮かべてオグロに振り返る。
「可愛い娘たちに希望を持たせたい気持ちは分かりますが、嘘はいけませんなぁ」
兵士の嘲りを受けながら、火龍が十年前に死んだ事実を知っているオグロは、歯を食いしばって呻いた。その様子を見ながら、兵士は剣を手に囲まれて身動きの取れない姉妹へと近寄っていく。それを見てオグロが痛む体を起こし、ジノンも駆け出そうとするが、それぞれ兵士とアレスに道を塞がれた。
「ま、まてっやめろ! やるなら私をやればいいだろうっ!」
「貴様……っ! 本気で年端も行かぬ子供を手にかけるつもりかっ!」
オグロの叫びもジノンの怒号も無視して、兵士が剣を振り上げた。その様子を呆然と地面に座り込んで抱き合う双子の少女は見上げていた。
「祈ってみせろ、小娘ども。火龍様が助けてくれるんだろう?」
馬鹿にした口調と狂気に彩られた目で兵士が言うと、双子の姉が妹のルゥを庇うように抱きしめた。その自分と同じ容姿の姉の腕の中で、ルゥは二年前にクリシュ姫から貰った首飾りを握り締めて祈った。
――火龍さま、たすけてください。
――お姉ちゃんとお父さんと、島の皆をお助け下さい。
抱き合う双子の姉妹に兵士が剣を振り下ろそうとした瞬間――周囲に震動が走った。
予兆震動など一切なく、爆発的な何らかの力によってもたらされたその震動の正体は、夜空を朱に染める凄まじい爆発だった。
町民、移民、兵士たちさえも呆然とその光景を見上げていた。
バーンアレス島最大の火山であるアウレイス山が凄まじい勢いで噴火を起こしていた。噴出した真っ赤に燃える溶岩が周囲の密林へと降り注ぎ、まるで大地の血潮のような溶岩流が火口から流れ出している。
その突然の噴火に戸惑う間もなく、さらに衝撃的な出来事が起こる。
真っ赤に燃える溶岩流と噴出する溶岩と噴煙の中で、巨大な存在が蠢いた。黒い噴煙を割って進み出たのは巨大な龍だった。
紅蓮の体表は燃え盛る炎で形成され、途方もなく長く太い胴体が巨大な火山の火口の中で巨大なとぐろを巻いている。火口から姿を現している頭部は、激しく後方へと燃え盛る炎のたてがみに、燃える頭部の体表から真紅の角が二本突き出し、深く裂けた口の中には凄まじい高温によって白く輝いている牙が並んでいた。
その姿を見て、町民たちは無意識に涙を流してその場に跪き祈りを捧げる。移民たちは初めて見るこの島の真の支配者の姿にいまだ呆然としながらも、先に自分を取り戻した者から町民たちに倣って膝を折った。兵士たちはただただ呆然とその姿を見上げ、その中で元々この島出身の兵士たちは武器を取り落としてガクガクと震え始めていた。
「ルグォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
聴く者の耳朶を焼くような苛烈な咆哮が、天へと燃え盛る炎と共に上がる。
この島にいる者たちの中で、その存在を知らない者など居はしない。
元々の島民は勿論のことだが、移民たちも話に聞き、兵士たちも帝国に属している以上存在は知っていた。
この火山島を統べる本来の主。
十年前に守護すべき帝国によって殺された悲劇のドラゴン。
英霊精龍の一柱にして、最強のドラゴン。
火龍――焦熱の火山バーンアレス。
火口から長大な体を伸ばして噴き上がる噴煙と共に、まるでマグマが起立しているかのような赤く発光する体を大きく伸ばした火龍はゆっくりと巨大な顔を巡らせて、アウレイス山北方に広がる密林から集落、城下町とアレス城を睥睨すると、燃え盛る頭部で一際目を引く黄金の瞳がジノンたちのいる集落の広場に向けられる。
絶大な力を有する眼力に晒されて兵士たちが竦み上がると、その眼が赤い光を放ち始める。すると、龍騎兵アレスが急に活動を停止させ、力を失ってまるでうな垂れるように待機状態となる。
「お、おいどうしたんだ、これは!? クソッ動かない!」
アレスの中から兵士が声を上げて中で必死に計器を弄っていたが、やがて閉鎖された空間に閉じ込められたことと、その寸前でこちらを確かに見ていた火龍の眼光が、目を瞑っても脳裏に焼きつきまるで呪いのように搭乗士の頭を焼くように、赤く光る黄金の瞳がフラッシュバックする。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっっあぁぁ出してくれ! ここから出してくれぇぇぇぇっ!」
遂に恐慌に陥った搭乗士の兵士がハッチを開けるレバーを必死に引くが、搭乗口がビクともせず開くことはなかった。そして火龍の赤い光を放っていた眼が、見る者の目が眩むほどの閃光を放った瞬間、龍騎兵アレスが次々と爆発炎上した。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっ!」
搭乗士たちの断末魔の絶叫が周囲に響き渡り、バーンアレスの権能によって龍騎兵アレスの動力源である龍玉が自壊を起こして次々と爆発して燃え上がっていく。
その光景を目の当たりにして、ほとんどの兵士たちが体を震わせて巨大なかがり火となって燃え盛り朽ちてゆく龍騎兵アレスの姿を見つめて呆然としていた。
ジノンはバーンアレスの復活に呆然としながらも、生粋の火龍信仰者である彼は涙を滲ませながら密林の方へと目を向けると、密林の奥地からも細い煙が上がっているのが見て取れた。それはジノンが密林の中に乗り捨ててきたアレスが燃えている証だった。
そのことに頷きながら、ジノンは思う。
(帝国は龍騎兵を重用しているが、それは帝都に住まう人間だけだ。古来よりこの世界に住まう者達は英霊精龍を主とする龍信仰と共に生きてきた。だからこそ、こんなモノが存在することは本来歪であり、決して許してはいけないはずだ)
燃え上がるアレスの残骸が放つ炎の熱さ感じながらジノンが首を巡らせると、彼らの主であるバーンアレスは真っ直ぐにアレス城の方角へと顔を向けていた。
燃え盛る炎によって構成された体表が鮮やかに赤く輝くと、後頭部から揺らめく炎のたてがみが一層激しく燃え盛り、大きく裂けるように開かれた巨大なアギトの中で、まるで白い太陽のような超高温の光球が喉元の辺りで輝きを増していく。
人々が見守る中で、バーンアレスが一際大きくアギトを開いた瞬間、目が眩むほどの光の奔流がバーンアレスから放たれ、闇夜を切り裂いて走り抜けた熱線はアレス城の最上部に掲げられた帝国とパンディア家の旗を掠めて消し炭にして、そのままアレス城の背後に位置する港の湾内に着弾した。
マグマよりも高温のエネルギーを有した熱線が直撃した湾の海面は、着弾地点を中心に一瞬ながらも海に穴が空くほどの速度で海水を蒸発させ、海底へと直撃した熱エネルギーによって急激に蒸発した海水が膨張し水蒸気爆発を起こし、港をそこにあった船舶と龍騎兵ラクアごと消し飛ばし、島全体を揺らすほどの衝撃波が駆け抜けて海に面したアレス城の窓がことごとく割れ、その白亜の壁面にも幾条ものひびが入った。
白い蒸気の噴煙が立ち上る港だった場所――そこにはもう船舶はおろか港の基礎すら残らず、円形のすり鉢状に削られた破壊の後と、そこへ流れ込む海水の轟々という音しか聞こえなかった。
壮絶な威力を誇る熱線を放射したアギトを閉じたバーンアレスは、口腔の隙間から焔を迸らせながらアレス城に視線を固定したまま、火口において悠然と佇んでいた。
瞬く間に龍騎兵アレスを破壊し、さらに港とそこにあったラクアを破壊しつくしたバーンアレスの想像を絶する力を目の当たりにして、アレス城にいた兵士たちはやはり呆然として中には地面にへたり込んでしまう者までいた。
そしてアレス城の最上階で事の推移を最も見晴らしのいい場所で見ていたサウルは、先ほどの水蒸気爆発の余波で広い部屋の中を横断するように吹き飛ばされて、壁際に置かれていたキャビネットに背中から突っ込んでグシャグシャに潰れたキャビネットに埋もれるようにして仰向けに倒れていた。
「な、なぜだ……バーンアレスは確かに……死んだと、聞いていたんだぞぉ……」
背中を強かに打ったことにより息を詰まらせながら情けない声で呻くと、不意に声が聞こえた。
『――我はバーンアレス。英霊精龍の一柱なり』
聴覚ではなく、脳に直接伝わってくるその感覚に鳥肌を立てながら、サウルが潰れたキャビネットから全身隈なく痛む体を起こしつつ、その顔色は蒼白だった。
「いっいった、い……一体どうして、こんなことに……」
ぶつぶつと呟きながら立ち上がると、そこへ――。
『アレス城に巣食いし奸物――サウル=パンディア』
今度は背中が粟立つような感覚に陥り、あの伝説の火龍に自分が名指しされたという事実を受け入れられず、埃を払っていた手がブルブルと震え始め、まるで錆び付いた機械のような緩慢な動きで首を巡らしてアウレイス山が見える窓へと顔を向けると、遥かに離れているにも関わらずバーンアレスの黄金の瞳と視線が合った気がして体が竦み上がった。
『今我が巫女がこちらに向かってきている。夜明けまでに城を巫女に明け渡し、汝らは降伏せよ。さもなくば――我が焦熱の炎で、汝らの魂を芥子粒一つ残さず燃やし尽くす』
その宣告を絶望的な気持ちで聞きながら、サウルは爪を噛みながらぶつぶつと呟きを洩らす。
「ぜ、ゼミリオは何処にいったんだ……こんな時のために、アイツが居るんじゃないかっ」
『――悪名の騎士ゼミリオ=カウンディはもはや戻りはしない』
まるでサウルの呟きが聞こえているかのようになバーンアレスの言葉が脳裏に響き、サウルは目を見開いて今度は自らバーンアレスへと目を向ける。すると、バーンアレスの巨大な顔の前に黒い霧のような靄が立ち込め始め、そこから凄絶な声が漏れ出た。
「アッァァァェアァァァァァァッアァァァァァァっ!! ヤメテクレェェェェェェェェェッ! ――うあぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁったす、けイェァァァァァァァアァァァァッ!!」
島全体に響き渡るかのような男の絶望に塗り潰された絶叫は、確かにあのゼミリオの声だった。
あのゼミリオがまるで落ちた地獄で拷問を受けているかのような絶叫を上げている事実を耳にして、サウルはその場にへたり込み目を見開いたまま緩々と首を振る。
『夜明けまでに武装を解除して、異国民たちの集落へと集え。もし抵抗すれば、サウル=パンディア……汝もまたゼミリオ=カウンディと同じ場所へ放逐してやろう』
その声に一切の感情が無いことを、今まで常に人心に潜り込み取り入ることを処世術としてきたサウルは知らず知らずの内に悟り、自分にもう残された道がないことを知った。そしてゼミリオの悲鳴が耳の奥にこびり付いて離れず、脳裏にはバーンアレスの黄金の瞳が焼きついたように燻り、次第に駆け上がってくるあまりの恐怖に失禁してしまい、へたり込んだ尻と足を冷たく濡らした。
◇◆◇
夜空に向かってそそり立つアウレイス山と、その火口から夜空を朱に染めて燃え上がるバーンアレス。
その神々しい姿を見上げながら、人々は徐々に自分達が救われる事を噛み締め始めていた。突如として復活を遂げたバーンアレスを仰ぎ見ながら、年配の者ほど滂沱と涙を流す島民と移民たちが喜ぶ中で、兵士たちがただ武器を握り締めてこれから自分達がどのような行動を取るべきなのかを模索していた。
『――我が島に住まう者達よ。異国の民を率いて我が山へと来るがよい。汝らが作りし供物の捧げし祠にて、我が巫女の到着を待つがいい』
そこで言葉を切ったバーンアレスが、その黄金の瞳を光らせて兵士たちを睥睨するように見渡す。ほとんどの兵士たちが、その視線から逃れるように建物の中や物陰に身を潜めて、ジノンたちと対峙していた兵士たちは身を隠す場所がなく、俯いて火龍の眼を見ないようにしていた。
その様子に再びバーンアレスが瞳を赤く燃えさせると、兵士たちが手にしている銃や剣が次々と熱を持ち始めて、やがて剣も銃も高温で真っ赤になり持っていることが出来ず、身に着けていたモノも服に火がつくほどの熱さに装備者が耐えかねて床へと捨てた。
『無駄なことは考えぬことだ。我が眼はこの島であれば、いかなる場所も見透すことができる。この期に及んで愚にもつかぬことをする者がいれば、生きながら燃える苦しみを永劫与えてくれようぞ』
その言葉とそれに宿る次元の違う威厳に対して、兵士たちは次々と膝を折ってその場に崩れ落ちてゆき、力なくうな垂れていった。その様子を見て、町民も移民たちも仲間と抱き合って喜びを分かち合った。
その様子を遥か上空から見下ろしながらバーンアレス――クロウシスは事態の表層部が確実な終息へと向かったことを確認し、巨大な顔を巡らせて北西方向の海に視線を向けて眼を細める。
――時期に役者が揃う、か。
眼だけを後方へ向けて、顕現させたバーンアレスの身体を保ちながら思う。
――さぁ、クリシュ=リアスカ=イニス=サーディアスよ。刻が来たのだ。
今の自分のこの姿を目の当たりにして、恐らくは――している姫の姿を見ることが出来るが、敢えて見ることはせずに想像する。
そう、クロウシスにとってそれは想像に難くないのだ。
運命との邂逅に備えて、クロウシスは静かにその時を待った。
◇◆◇◆◇◆◇
立て続けに起こった一連の現象――奇跡に『火龍の首飾り』近衛騎士団の者達は歓喜の声を上げて喜び、抱き合い涙を流しながら喝采を上げていた。
彼女たちはクリシュと共にクロウシスが作成していた地図を元に、安全な道を通って密林を進んでいた。そしてアレス城までもう少し、アウレイス山が大きく見上げるほどに高く近くへと来た時にそれは起こった。
僅かな揺れと共に一瞬の内に爆発的な力が大地を駆け巡って、長らく休火山となっていたアウレイス山が噴火を起こし、とにかくクリシュを守るための陣形を取ろうとした最中、それは現れた。
焦熱の火山バーンアレス。
火口から現れた彼女たちの神は、力強い咆哮を上げて復活を告げた。
そこからは瞬く間の出来事だった。
呆然と立ち尽くす彼女たちを背に、火龍はその恐るべき力と権能を使いサウルに降伏を勧告し、あのゼミリオ=カウンディが既に始末をつけられており、城下町や移民たちの安全さえも実質的に保証させた。
まさに急転直下に事態が良い方向へと推移していた。
火龍の首飾りの侍女騎士たちが喜びに打ち震える中で、クリシュは最初は周囲の侍女騎士たちと同様に呆然とバーンアレスの姿を見ていたが、やがて口元を手で覆うとその場に蹲った。その様子にそこにいた誰もが――妹であるミリエルさえも、クリシュが感動のあまり感極まっているのだと思った。
だが――クリシュは蹲って両手で顔を覆ったまま、大きく目を見開いて震えながら呟いていた。
「――お赦し下さい……お赦し下さいっお赦し下さいっ……お赦し下さいっ……お赦し下さいっお赦し下さいっお赦し下さいっお赦し下さいっ……お赦し下さいっお赦し下さいっ……お赦し下さいっお赦し下さいっ……お赦し下さいっお赦し下さいっお赦し下さいっ……お赦し下さいっお赦し下さいっ……お赦し下さいっお赦し下さい――」
その事に気づくものは、その場には誰もいなかった。
後書きを活動報告にて書いております。
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ありがとうございました。
※修正情報
2012/12/1
誤字脱字修正しました。