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第一章9-醜き悪魔の腹腔-

【今回の話には≪性的虐待に属する残酷な描写≫がありますので、そういった表現や内容に不快感や拒否感を持たれる方は読まれない方がいいと思われます】

 大丈夫、という方もそういった描写があることを留意してお読み頂ければ幸いです。

「も、もう一度言ってくれないか……?」


 銀の杯が床に落ちるけたたましい音が謁見の間に響き渡り、金髪を僅かに乱した若い貴族――サウル=パンディアは、目を見開き口元をヒクヒクと痙攣させながら、謁見の間の中央で悪びれた様子もなく面倒くさそうに自分を見つめる下級特務騎士に対し、今受けた信じられない報告の内容について、もう一度説明を要求した。

 その求めに対して、ゼミリオは耳を小指でほじりながら心底面倒臭そうに溜息をつく。


「だから、攻略部隊は全滅だ。ぜ・ん・め・つ。俺の乗ってた指揮艦船を残して、あとは一人残らず海の藻屑になったんだよ。ったく、何度も言わせ――」


「そんな話が信じられるわけないだろっ!」


 ゼミリオの言葉を遮り、玉座から立ち上がったサウルが肩を怒らせてゼミリオを睨みつける。だが、そんなサウルの視線を受けても、ゼミリオはいっこうに気にした様子はない。その様子にサウルはさらなる苛立ちを覚える。


 いつもは昼前まで寝ているサウルだが、今日は遂にクリシュ姫を手に入れることが出来るという期待に昨夜から期待に胸を膨らませていた。そして、珍しく陽が完全に昇りきる前に起きてしまい、湾を一望できるバルコニーから朝焼けと爽やかな風を楽しんでいると、出航時にゼミリオが乗っていった艦船が一隻だけ戻ってきた。

 それを見たサウルは、早々に砦を落としたゼミリオがクリシュを連れて先に戻ってきたものと思い、身嗜みを侍女に整えさせて謁見の間で今か今かと待っていたのだ。だが、謁見の間に現れたのはゼミリオ一人で、後から人が来るような様子もなかった。

 そして、ゼミリオの口からもたらされた報告は、サウルの期待を大きく裏切る――どころか絶句させる内容だった。すなわち、バーン砦攻略部隊の全滅、という報告だった。


 今回の攻略作戦には、サウルが然る筋から預かっている龍騎兵(ドラグーン)の中でも、島という地形的特性と優位性を維持するために一番多く配備されていた海戦型龍騎兵ラクアの約半数を投入し、さらに島統治の要である陸戦二型龍騎兵アレス――元々の配備数があまり多くなく、被害の出難い奇襲部隊として投入したことからも分かるように、サウル軍にとってはまさに虎の子だったアレスの大部分を投入していたのだ。

 クリシュたちの戦力は事前の調査で分かっており、単純な兵員だけ言えば主には『火龍の首飾り(ガルフィネアス)』近衛騎士団という侍女上がりで、武芸に優れた女性だけの近衛兵が百人と少し、そこに砦付近に住んでいた人間と本土沿岸に住んでいる漁師がレジスタンスの真似事をしている程度の戦力。普通に考えて、差し向ける部隊の規模は大袈裟なほどだったはずなのだ。


 だが、結果は――攻略部隊が全滅。


 百機を超える龍騎兵(ドラグーン)は勿論のこと、本土から秘密裏に派遣された増援の龍騎兵(ドラグーン)と船舶から兵員に至るまでが全滅したというのだ。

 これが正規軍の統括責任者であれば、処刑どころか一族郎党の存在が帝国のありとあらゆる記録から抹消されるほどの重罪だ。以前に話していたあの丸焼き男(ロースター)どころの騒ぎではない。なにせ、あっちは正規任務の過程で起きた結果だが、こちらは非公式の考えようによってはある種のクデーターに近いような状態で、帝国の直系が治める領地を専有しているのだから。


「大体、相手に他国の軍隊でも付いていたならまだしも、たった一人の正体も分からない男にやられただなんてっ、そんな話を僕に信じろというのかっ!」


 ヒステリックに叫ぶサウルが、つかつかとゼミリオに歩み寄りその胸倉を掴む。


「まさか、君っ……今更偽善者ぶって向こうに着こうって腹じゃないだろうね?」


「おい、放せよ」


 胸倉を掴んで邪推を続けるサウルに、ゼミリオは低い声で警告を発する。


「なるほどねぇ……それであれだけの龍騎兵(ドラグーン)を手土産にして連中に尻尾を振ったというわけかい? これだから下賎なッ――!?」


 そこでサウルの言葉は続かなくなり、ゼミリオの拳がめり込んだ腹部を押さえて身を沈める。そして怒りで震える顔を上げると、自分を見下すゼミリオの冷めた顔があった。


「ゼミリオっ……僕にこんなことをして、どうなるか分かっているのかっ……?」


「分かってないのは、てめぇの方じゃねーのかサウルさんよ?」


 床にうずくまって自分を睨むサウルの襟首を掴んだゼミリオは、顔を近づけてドスの利いた声で凄むと、その迫力にサウルが怯んだ。


「確かにここの今の領主はお前だけどな。だが、ここの兵士共がお前と俺……果たしてどっちに服従しているのか、試してみてもいいんだぜ?」


 サウルと共にこのバーンアレス島にやってきたゼミリオは、龍騎兵(ドラグーン)と共に連れてきた元々の配下だった部下と共に、アレス城の軍団を牛耳り古参の兵の大半を処刑するか、城下町に家族を持つ者は人質をとって服従させた。そして、どっちつかず兵は恐怖を持って支配し、二年の歳月で悪道へと導いてきた。

 荒事の全てをゼミリオにやらせていたサウルには、黒幕とのパイプ役という重要な役割があったが、兵たちにとっては実質的にこのアレス城を牛耳っているのは、サウルではなくゼミリオだという認識を持っている者が大半なのだ。


 交錯する視線の先に、サウルはゼミリオの瞳に奥に狂気の炎がチラついているのを見て、思わず身を竦めてしまった。その様子にゼミリオは口元を僅かに歪めて笑みの形を作り、掴んでいたサウルの襟首から手を放して、両腕を掴んで立ち上がらせる。

 そして乱れた襟元を直しながら、両肩をバンバンと叩き一変して笑みを浮かべた。


「まぁ、そう心配すんなよサウル。俺たちはまだ本丸を押さえて、数え切れないほどの人質を握っているんだぜ? 負けやしねぇーさ」


 ニヤっと笑みを浮かべて出口へ向かって歩き始めるゼミリオに、サウルは憎々しげな視線を送りながら、嫌味の一つでも言ってやろうと口を開いた。


「き、君に倒せるのかっ? その化物じみた強さを持つ正体不明の男をさ」


 その言葉を聞いてにピタっと立ち止まったゼミリオは、ゆっくりと振り向くとその表情を見たサウルの目が見開かれる。


「心配するな、あのクソ野郎は俺が絶対にこの手で殺してやる……絶対にだ」


 そう言い捨てると、ゼミリオは謁見の間から退出していった。後に残されたサウルは、自分の協力者ではあるが、あくまで配下だと思っていたゼミリオの裏切りにも等しい反発に内心腸が煮えくり返る思いだったが、あの狂気に満ちた目を見てしまい身震いした。


(武力を統括して、兵を束ねて扱う人間は必要だ……アイツが僕を利用しているつもりでいるなら、それでいいじゃないか。あくまでアイツを利用しているのは、この僕なのだから――)


 怒りを痛みと一緒に抑えるように、玉座へとヨロヨロとした足取りで戻ったサウルは、まだ痛む腹部を擦りながらブツブツと何事か呟き続けていた。



                   ◇◆◇◆◇◆◇



 島に息づく生物たちには、島の南端で勃発した人間たちの争いなど気にした風もなく。見た目にはいつも通りで、夜の帳を下ろした密林は生き物の静かな息吹に満ちており、時折闇の中からけたたましい鳥の鳴き声が聞こえる程度で静かなものだった。


 砦を一足先に発ったクロウシスと、それに追従する火龍の首飾り(ガルフィネアス)近衛騎士団のミリアンとユティは、陽が落ちて間もない密林の中を移動していた。

 一切の荷物を持ち合わせず、布を被せた巨大な戦斧槍(ハルバード)を担いでいるクロウシスに対して、ミリアンとユティは食料や簡易救急用具と寝袋などが入った背嚢を背負っている。途中クロウシスが持つことを提案したが、二人はそれぞれに『背嚢を背負っての行軍は経験している』、『閣下のお手を煩わせることではございません』という答えとともに、提案をやんわりと断った。



 ミリアンは自分たちの五メートルほど前を歩くクロウシスの背中を見つめながら、目の前を歩く人物が砦で見せた鬼神の如き強さを思い出していた。

 あの時、クリシュの直近に控え目の前に迫り下劣な脅し口上をのたまう龍騎兵(ドラグーン)の搭乗士に対し、敬愛する主であるクリシュ姫を何としても守ろうと考えていたが、生身の人間と龍騎兵(ドラグーン)の間には絶望的な力の差がある――そう思っていた。目の前の男が、人間がおいそれと倒せるはずの無い龍騎兵(ドラグーン)を一撃の下に叩き潰すまでは――。


 あのバーン要塞に逃げ込んでからの二年間は、クリシュ姫を守るという使命感と下劣な恥知らず共に対する反骨精神を燃え上がらせながらも、ミリアンの内に渦巻いていたのは鬱屈とした思いに他ならなかった。


 ミリアンの主人である王女クリシュは、王族の中核に位置しているにも関わらず、火龍の巫女であることを理由に辺境の海上に位置するこの島へと半ば島流しのような形で送られ、そこで腐ることなく必死に善政を敷こうと小さく細い身体に鞭を打ち島の統治に尽くそうとしていた。そこへ本国――それも帝都から派遣されてきた人間によって、その立場すらも追われてしまったのだ。

 最初はこれら一連の黒幕は枢密院の誰かだと推測していたが、敵が配備している龍騎兵(ドラグーン)の規模を知っていく過程で、ミリアンの予測は外れているのではないかと思い始めた。それもより悪い形で……。

 枢密院に参加している元老議員の中でも、あれだけの数の龍騎兵(ドラグーン)を私的に――ないし正式な作戦として偽装して運用することは、まず不可能だ。その理由は単純明快で、連隊を超える数の龍騎兵(ドラグーン)を運用する場合は、貴族と学者からなる元老院、そして国家中枢の根幹である枢密院に認可を求めた上で、最終的には皇帝の承認が必要となる。

 これを私的理由やちゃちな偽装などで乗り越えるのは不可能と言っていい。それほどまでに龍騎兵(ドラグーン)は帝国によって重要な存在なのだ。


 だが、それを唯一やってのけられる人々が存在する。


 それこそが、ミリアンの推測が辿り付いた仮定の結論。

 すなわち――王族による直接的な意図が反映され、その協力を得ているということ。

 皇帝や王女や王子であるクリシュの父や兄姉がこの事態を差し向けているかもしれない。


 この結論に達した時、ミリアンはそのあまりの仕打ちに対し、今は無き皇国の象徴にして守護神だった火龍が、名を変えた他ならぬ帝国によって討ち滅ぼされた時と同じ、言い知れぬ悲しみを抱き、正義が淘汰され諸悪が蔓延る現実に絶望していた。


 その陰惨な気持ちを一気に吹き飛ばしたのが、このクロウシスという人物だった。

 最初は非常に怪しい要注意人物で、ミリアンはクリシュに側付きを命じられた時は監視することがクリシュの意思だと思い張り切っていた。だが、僅かな期間だが共に過す内にこの多くを語らない人物が発する只ならぬ雰囲気と、周囲にもたらす謎の安心感――単純に言えば圧倒的な存在感からくる頼もしさを感じる内に、少なくとも『敵』では確実にない(・・・・・)だろうという結論に達したのだった。

 そして砦での大立ち回り、砦の地下で発見された火龍の戦斧槍(ハルバード)を縦横無尽に振り回し、龍騎兵(ドラグーン)を次々と行動不能にしていった。そして結局、たった一人であの大部隊を退けたのだ。


 あの時、目の前で展開される圧勝劇に、ミリアンは子供の頃に夢枕で両親によくせがんで話してもらった物語に出てくる大いなる力を思い出した。人間では扱えないほどに強力な力を正義の為に振るう。その痛快さと胸をすくような爽快感が、幼少より正義感の強かったミリアンは大好きだった。

 それ故にまるで物語から出てきたような、黒髪で黄金の瞳を持つこの人物に対して、ミリアンは我ながら幼稚だとは思いながらも、憧憬の念を持ちながら――このクロウシスという人物がクリシュという悲劇の姫殿下を救うために現れた存在なのだと願わずにはいられなかった。



 隣で前回こうやって密林の中を同じように歩いていた時とは、明らかに違う様子で前方を歩く黒い人物の背を見つめるミリアンに、ユティは優しい眼差しを向けながら歩を進める。

 そして自分たちの前を歩き、ユティたちが歩きやすいように生い茂った植物の葉を不可視の力で落としてくれているクロウシスの背を見つめる。

 ユティの見立ては正しかった。

 クロウシスはクリシュや自分たちの窮地に颯爽と現れて、強大な帝国の龍騎兵(ドラグーン)を次々と粉砕して、挙句に大部隊の主力だった海上部隊を撃滅せしめた。

 その驚くべき戦闘能力と人智を超えた魔法の力は、見る者を驚愕させると同時に畏怖させた。クロウシスが次々と龍騎兵(ドラグーン)を破壊していくのを見つめながら、ユティは自分の想いを寄せた人物が救世主だったことを歓喜しながらも、それ以上には気持ちを盛り上がらせることは出来なかった。


 あの爆発――崖道第四段で死んだリタ=シンプスとウィンディ=ゼラとは、侍女時代から共に苦楽を共にしてきた仲だった。勿論、亡くなった後の二人、ユーニン=サスペル、リンディ=ヘイロウと唯一生還することが出来たクロナ=ユディンも帝都からこの島で共に過して来た仲間だった。だが、自分のことを姉のように慕ってくれていたウィンディが――


『ユティさん美人なのに、またお見合いを断ったんですか? 勿体ないですよ! 私は素敵な花嫁になることが夢ですけど、それと同じくらいユティさんの花嫁姿を見られることを楽しみにしているんですからっ!』


 ――と興奮気味に言っていたウィンディが死んだ、という事実。クロナから聞いたその悲惨な最期を思うと、笑顔で将来の展望を語っていた姿を思い出すと胸が痛んだ。そして、そんな彼女たちの死の果てに生きている自分達――いや、自分が安易に恋愛感情に浮かれているわけにはいかない。いつか起こりえると分かっていたことだが、いざ仲間の死という事実に直面して改めて浮ついていた自分を恥じ入ると同時に、目の前を歩く広い背中を見て無意識に動悸を早める心臓を胸の上から押さえて俯いた。


 理屈ではない感情を抑えることは骨が折れる。それが初めて感じる感情であるならば、なおさらに責め苛むように心を不安定にさせ、まるで本人の意思とは無関係に無責任に心を囃し立ててしまう。そんな感情が自分の中にあることに驚きながらも、その自分勝手に我侭な感情に心の中で苦笑しながら、ユティは背筋を伸ばして気を引き締めた。



 二人の前を歩いていたクロウシスが密林の中にあるひらけた場所で、突然歩みを止めて頭上を見上げる。二人もつられて空を見上げると、青白い光を放つ月が静かに浮かびその周囲には美しく輝く星々が散りばめられていた。


「ここら辺でいいだろう」


 静かに呟くと、僅かに振り向いてミリアンたちに視線を送る。


「出てきたらどうだ。いるのは分かっている」


「――っ!?」


 その言葉と共にクロウシスが自分達のいる方向を見つめていることから、二人は瞬時に自分達が立っている後ろ――という事実に行き当たり、咄嗟に剣を引き抜いて振り向いて構える。

 ミリアンたちがいるのは比較的密林の中でも開けた場所だが、唯一の光源である月明かりを生い茂った木々の枝が遮断しているので、今まで歩いてきた道は黒い闇を留させて不気味な静けさの中にあった。

 二人が剣の柄を握ったまま真剣な顔で、その闇を油断無く睨みつける様に、後ろにいたクロウシスが苦笑しながら溜息をつく。


「出て来い。このままでは我まで共犯にされてしまう」


 その棘のない口調に、ミリアンとユティが恐る恐る前に広がる闇から視線を外してクロウシスを振り返ると、突然ユティの背嚢がひとりでにモゾモゾと揺れ始めた。


「きゃぁぁぁぁっ!」


 突然背中で何かが動き始めたことで、気を動転させたユティが悲鳴を上げて、ミリアンがその様子に慌てて剣を向けようとすると、背嚢の上蓋を抉じ開けて中から白く長い(・・・・)何かがニュルリと出てきた。ミリアンもユティもその正体に目を丸くした。


「ト、トリヴァ様っ!」


 ユティの背嚢に潜んでいたモノの正体――白龍トリヴァことトリヴァリアスアルテミヤは、白く長い身体を背嚢から半ばまで出し、きょろきょろと周囲の様子を窺いクロウシスの姿を見ると、クルルっと喉を鳴らして嬉しそうに背嚢から飛び出してクロウシスの元へと飛び跳ねていく。

 クロウシスが右腕を差し出すと、跳んだままの勢いでその腕に掴まりシュルシュルと巻きつきながら体を上がってゆき、首をクルリと一周してからクロウシスの顎に顔を擦りつけてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

 その様子をユティは微笑ましく見ながら、敵ではなかったことに安堵の息をついて、自分と同じく勘違いをしてしまった同僚に苦笑しつつ顔を向けると、何故かミリアンは地面に膝と両手をついて何やらブツブツと言っているようだった。


「な、何故です……何故私ではなく、ユティの背嚢に……あれ? まさか私はトリヴァ様に嫌わ……いやいやいやいや、そう結論付けるのは早計だぞ、ミリアン=カーターっ! これは――試練、そう試練なのだ。私のトリヴァ様に対する想いが真であるかどうかを――」


 そこで聞くに忍びなくなったユティは視線を切り、クロウシスがここで立ち止まったことには、ここで野営するという意味も兼ねていることを読み取り、早速背嚢から野営に必要な物資を取り出し始める。



 その一日目の野営地から更に三日を掛けて、クロウシスたちはアレス城に最も近い休火山であるバーンアレス島最大の火山――第一火龍山『アウレイス』に到着することとなる。



                   ◇◆◇◆◇◆◇



 バーン要塞での屈辱的な敗戦から四日が経ち、アレス城は表面上は静かに――だが、噂は確実に広がりを見せており、相手方の規模を考えればあれだけの大部隊を投入したにも関わらず、全滅したことについて様々な憶測が飛び交っていた。


 ――クリシュ姫に王家の巫女(御子)に代々仕える暗部組織が付いた。

 ――火龍バーンアレスの怨念をクリシュ姫が呼び出している。

 ――ゼミリオが寝返って、クリシュに討伐部隊をそのままそっくり渡した。

 ――敵国からの協力を取り付けて、あの部隊を全滅させた。

 

 城内に残っている兵士たちの間では、そういった噂がまことしやかに囁かれていたが、その現場に偶然居合わせたゼミリオによって噂話をしていた兵士が叩き斬られたことによって、城内で広がっていた噂話は表面上は終息した。

 だが、ゼミリオの苛立ちは日に日に増していた。

 思っていた以上に無能なサウルの言動に、浮き足立つ兵士たちが囁く噂話に、そしてなにより――あの男だ。


 どういった類の力を使っているのかは知らないが、生身で龍騎兵(ドラグーン)を次々と破壊してゆき、魔道師の力が限りなく減退(・・・・・・)しているはずなのにも関わらず、あの男はゼミリオが未だかつて見た事が無いほどの圧倒的な規模の魔法を行使して、ゼミリオの率いる大部隊を壊滅させ、そして――


 ゼミリオは無意識の内に奥歯を強く噛み締めて、耳にギリギリと歯が削れる音が聞こえてきた。城の地下へと続く階段を下りながら、強く噛み締めた奥歯と握り締めた手をゆっくりと開きながらも、脳裏には自分を嘲笑う黒い男の姿がこびりついて離れはしなかった。

 それを思い出すと冷静ではいられず、その苛立ちを噂話をしていた兵士を斬ったり、払えない税の代わりに連れて来られた村娘を犯すことで発散しようとしたが、脳裏に焼きつくように残ったあの男の視線と屈辱が晴れることはなかった。


 だからこそ、ゼミリオは自分が最も気に入っている遊び(・・)で気分を紛らわせることにした。その遊びをするための玩具を選ぶために、今地下へと続く石階段を下りている。

 今回の砦攻略で、その遊びに使う玩具を補充できると思っていただけに、その点でも今回の失敗は残念な限りだが、この遊びには玩具にとっての『希望』が無くては盛り上がりかける。その点では、現状は最も理想的な状況でもあった。


 地下特有のかび臭さとすえた臭いが鼻腔を突く中を歩き、見張りの兵士がゼミリオを見ると敬礼をして奥へと続く格子戸を開ける。錆び付いた音を立てて開いた扉をくぐり、先へと続く薄暗い空間へと足を伸ばすと、左右にある牢屋から様々な気配と感情を向けられるのを感じる。

 警戒、怒気、悲しみ、憎しみ、怯え、向けられる感情は様々だが、そのどれもが負の感情であり鬱積した空間で粛々と膨らまされていく狂気へ繋がる感情だ。


 その向けられる負の感情を涼しい顔で受け流すと、更に奥へと繋がる分厚い木製の扉の前へとくる。その扉前に常駐している兵士は、こんな空間に長時間いても精神を病むことがなく、ゼミリオが一定の信頼を寄せるに足る人でなし(・・・・)の兵士だ。

 扉の横にある机で酒を飲んでいた兵士がゼミリオの姿を見ると、胡乱げな目を向けてくる。それに対してゼミリオは動じることなく顎で扉を指すと、兵士は腰に付けた鍵束とは別の大きな鍵を扉の鍵穴に差し込んで回すと、重い音共に木製の分厚い扉が内側に開き、中からより一層すえた臭いが出口へと向かって吸い寄せられる風に乗ってゼミリオの鼻腔を突く。

 

 扉を開けた兵士は椅子にどかっと座り、再び酒を飲みながらゼミリオの体をジロジロと見回してくる。その視線に鼻を鳴らして扉の奥へと入る。すると、先ほどと同じように左右に並ぶ牢屋は格子ではなく厳重な木製の壁で覆われており、僅かに開いた二十センチ四方の小窓から陰鬱な気配と様々な感情が向けられるが、そのどれもが先ほどのものとは大きく違う。

 狂気、殺意、悲哀、嘲笑、先ほどとはまったく違う体に纏わりついてくるような視線と粘っこい感情が満ちており、更に先ほどの牢屋と決定的に違う飛び交う野次だ。


「うぉぉぉぉぉぃっ! ゼミリオ大将軍さまよぉぉぉぉっ! またかよ、このクソ野郎っ! いい加減オレにも回せっ! このやろぉぉぉぉっ!」


「扉は開けっ放しにしとけよっ! 聞かせろよっ泣き声をよぉぉぉぉぉぉっ!」


「待ってたぜっ! 今回も散々抵抗させろよっ! あの鳴き声だけでオレは百回イケるぜっ!」


 品性の欠片もない言葉を喚き散らしているのは、このアレス城の地下牢の中でも最奥に隔離されている精神異常者たちで、その大半は敗戦国であるケリニアから移民船によって連れて来られた者たちで、飢餓や疫病や家族の死によって精神に異常をきたした者で、兵士に対する殺害や近親相姦、それらの死肉を喰らった者などまともな人間など一人もいない。サウルはそういった手合は即座に処刑するように言っているが、ゼミリオはこういった狂気に満ちた人間は捨て石という役割では使えると思っており、厳選した異常者をこの地下牢で生かしている。


 食事用の木製食器をカンカンと小窓の縁を叩いて奇声を上げる異常者の中を、さすがに喧しそうに顔を顰めながら奥へと歩いていく。だが、小窓越しにゼミリオに対して直接何かをしてやろうという囚人はいなかった。

 以前、こうしてここへ来たゼミリオに小窓から唾を吐きかけた囚人がいた。だが、その行為に他の囚人はゼミリオを嘲笑したが、ゼミリオは即座に激昂せず唾を腕で拭った後に、躊躇無く手投げ弾を小窓から投げ入れて小窓を閉じた。内部で爆発した手投げ弾の余波によって、その囚人の両隣の牢も壁の崩落によって死亡した。いくら比較的堅牢な作りをした城の地下牢とはいえ、こんな地下空間で躊躇無く手投げ弾を使うキレ具合に、さすがの異常者たちも息を呑んでいた。


 囚人たちの囃し立てる声を無視して、奥へと進むとそこにはやはり分厚い木製の扉があった。その扉の前で立ち止まると、懐から鍵を取り出して鍵穴に差し込んで回す。その行為が、まるでこの扉の奥で繰り返されてきた行為を象徴しているかのようで、ゼミリオは粗野な笑みを浮かべて扉が解錠される音を聞いた。


 扉が開いた先は十メートル四方程度の大部屋になっており、石畳と石造りの壁に囲まれた部屋の中はわずかにすえた臭いがしているが、それでも先ほどの異常者たちの牢屋どころか、最初の入り口に近い牢屋よりも臭いは薄かった。四方の石造りの壁には手枷があり、その周囲には鉄球のついた足枷がいくつか転がっている。今壁の手枷を使っているのは、扉の対面の壁に全裸で繋がれている三人の女たちだった。

 石壁の中ほどには鞭や焼きゴテが掛けられており、女たちの体には無数の裂傷痕や火傷の痕があり、ここに長期間監禁されいることが窺える。

 扉から向かって右端にいる少女は、淡い金色の髪を垂れ下げて俯き、理性の光を失った瞳は暗く陰りブツブツと何事かを呟き続けている。その隣の真ん中にいる少女は、手枷の届く限り腕を伸ばして立てた膝に回し、そこへ顔を埋めて小刻みに震えながら泣いていた。そして左端にいる三人の中で最も年長の少女は、長い栗色の髪と鳶色の瞳にはまだ理性の光が宿っており、時折左の二人に対して名を呼んだりして話しかけていた。


 そこへゼミリオが部屋に入ってくると、右端の少女は変わらずブツブツと呟き続けているが、真ん中の少女はバッと顔を上げると、絶望に染まった瞳から涙を流しながら足首に鉄球付きの足枷をされながらも、固く足を閉じ悲鳴を上げる。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ! こないでぇぇぇぇぇっ! もう酷いことしないでぇぇぇぇぇっ!」


「大丈夫っ! クエイラ、大丈夫だから泣かないでっ」


 悲鳴を上げて泣きじゃくる真ん中の少女――クエイラに対して、左端の少女が必死に名前を呼んで慰めながら、ゼミリオにキッと鋭い視線を向ける。


「しばらく来ないと思っていましたが、また恥知らずにも貴方は来たのですね。再三言っていますが、騎士として――いえ、男として恥ずかしくはないのですか? このような行為、畜生にも劣る卑劣な行いだという事をいい加減自覚しなさい」


 意志の強い鳶色の瞳は怒りに燃え、ゼミリオを睨みつける。その視線を受けてゼミリオは嬉しそうに笑みを浮かべた。


「さすがは火龍の首飾り(ガルフィネアス)近衛騎士団の出世頭。この二年間であれだけ辱めてやっても、まだまだ高潔なことを仰る。それともわざと俺を怒らせて誘っているのか?」


「いくら身体を汚されて、口汚い言葉で罵られても、私の意志は折れません」


「そうは言うが、俺は何度もお前がよがり狂って『いいっいいっ』と鳴いているのを聞いているぞ?」


 ゼミリオの下卑た言葉にも、少女は動揺せず屈することもなく吐き捨てる。


「薬で私の意識を一時的に操っても、それは貴方が私を自力で屈服させる術も自信もないだけなのでしょう? その粗末な汚物で、一度でも私を屈服させることが出来てから大きな口を叩いて欲しいものです」


 パンっ! という頬を打つ音が牢内に響き、口の中を切り唇の端から血を流し頬を赤く腫らせた少女が、一切の動揺を見せずに再びゼミリオを睨み、頬を張った手を僅かに震わせながらゼミリオは手を下ろして、自分を睨みつける少女に向かって笑みを浮かべる。


「その減らず口も今日で聞き納めと思うと、残念ではあるが仕方がねぇな」


 ゼミリオのその言葉に少女が僅かに眉を顰めるが、その言葉が意味するところに思い当たり一瞬だけ心臓を締め付けられるような悪寒が走るが、それを気取られることがないように奥歯を噛んで口を開く。


「遂に私の番――というわけですか」


 もはや月日の正確な推移は分からないが、それでも乾燥した時期と湿気の多い時期を乗り越えた回数から、あの反乱から約二年程度の月日が経過していることを少女は悟っていた。

 反乱に抵抗した自分達――火龍の首飾り(ガルフィネアス)は城に二十名が残っており、その内六名を城の外へと逃がし、二名が交戦で命を落とした。そして捕まった十二名はこの地下牢に連れて来られ、悪夢は始まった。

 捕らえられた十二名の火龍の首飾り(ガルフィネアス)は、反乱の首謀者の一人であるゼミリオ=カウンディによって、この牢内で次々と犯された。恐らく元々そういった願望を持っていたのであろうゼミリオによって、次々とその身を汚された侍女騎士たちは鞭で打たれ、焼きゴテで身を焼かれて、それでも抵抗する者には幻覚作用のある薬が投与されて、犬のような扱いで犯された。


 その末に、三人が舌を噛んで自ら命を絶った。残った者たちも時間の経過と暴行の回数を重ねるごとに正気を失う者もいた。そんな折、ゼミリオが残った九名の内の一人を連れて行った。そしてその娘は二度と帰ってくることはなかった。

 それからも不定期にゼミリオは一人ずつ侍女騎士を外へと連れ出して行き、そして誰一人としてここへ帰ってくることはなく。恐らくは無事で生きていることもないだろう。


 ここに残っている中でも、最も長く正気を保っている左端の少女はゼミリオにとってお気に入りの存在だった。だからこそ、最も長く最後までここへ残してその絶望を啜りたいと思っていたのだが、気が変わった。

 今のゼミリオの中に渦巻く苛立ちと鬱憤を晴らすには、この少女をあの(・・)遊戯の玩具として内に渦巻くこの感情を発露させなければ気が済まない。だが――


 ゼミリオは左端の少女の痩せた手首を掴むと、鎖の長い手枷から壁に直に取り付けられている手枷へと移し変え、両の手首を壁に固定した。そして自分を睨みつける少女の視線を受け流して、真ん中で怯えるクエイラへと手を伸ばした。

 それを見て、左端の少女が目を見開く。


「な、何をしているんですかっ! 私を連れていくのでしょう!?」


「その前にこいつで準備運動するんだよ。お前が俺を挑発したから乗ってやるんだ。ありがたくそこで眺めておくがいいっ」


 両手で顔を覆っていたクエイラの固く閉じた足にゼミリオの手を触れた瞬間、クエイラが目を剥いて悲鳴を上げる。


「いやぁぁぁぁぁっぁぁぁっ! やめてぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 二年間の虜囚生活によって痩せ細った身体に抵抗する力など残ってはおらず、衛生面だけは一週間に一度無理矢理に身体を水で洗わされことと、ゼミリオとの行為の後に渡される濡れた布地で体を拭くことで保たれていた。


 固く閉じた足を無理矢理に抉じ開けられ、クエイラは壊れるように泣き叫ぶ。その隣でずっとブツブツと何事かを呟いていた少女――エレインが突然狂ったように笑い始め、その狂気を帯びた哄笑が牢内に響き、クエイラの悲鳴と不快なアンサンブルを奏でて牢内を満たす。

 耳を塞ごうにも両手を壁に固定された少女にはそれすら許されず、仲間の悲痛な絶叫と精神を破綻させたエレインの哄笑が耳に響き続け、目尻からポロポロと涙を流して唇を強く噛んで必死に自身の精神の均衡を保とうとする。

 その様子を見ていたゼミリオは、口の端を吊り上げて心底可笑しそうに、そして満足そうに笑っていた。


 その地獄はクエイラが気絶したところで終わり、エレインはまたブツブツと何事かを呟きながら壁の方向を向いている。小刻みに震える少女の手枷を外し、足枷の重りを軽いモノへと換えるとゼミリオは少女を立たせた。


「さぁ、歩け」


「………」


 虚ろな表情で立ち上がった少女をゼミリオが急かすと、少女は倒れ伏したクエイラと壁に向かってブツブツと呟き続けるエレインに目を向けると、瞳から一滴の涙を流した。


「ごめんね……」


 そしてゼミリオに背を押されると、筋肉の衰えた足でよろよろと歩きながら牢の出口へと向かう。二年間一度も出ることが許されなかった牢を出ると、すえた臭いが鼻を突いて先ほど流した涙とは別の生理的な涙が頬を流れる。

 全裸で牢屋の通路を歩く少女に向かって、左右の厚い木壁で塞がれた牢屋から下卑た歓声と野次が飛び、口笛まで吹いている者までいる。


「うおぉぉぉぉぉっ! あんたアレだろ!? オレあんたの声に惚れてんだっ! 最後にもう一度鳴いてくれよっ!」


「姉ちゃんっ! どうせこれから死ぬんだろ!? だったらちょっとオレのとこ寄ってけよっ! この窓越しに相手してくれるだけでいいからよぉー!」


「女の匂いだっ……たまんねぇーたまんねぇーぜぇ……」


 それらの声を無視して虚ろな表情で歩く少女に向かって、牢屋の小窓から白い液体が次々と飛ばされて、粘性の強い液体が少女の体に付着したり、その足元に落ちる。だが、少女にとってその程度のことはこの二年間で味わってきた恥辱に比べれば大したことはなく。そもそも、ここへ来た時にもやられたことなので、何一つその行為に対して反応を見せることなく歩を進めていく。


 その姿を後ろから見つつ、ゼミリオは前を歩く少女――セリス=ロルのこれからの運命を思い浮かべてニヤニヤと笑みを浮かべた。



                   ◇◆◇◆◇◆◇



 闇色に染まった海は、その底知れない深さと何処までも続く広大さゆえに、夜の海は魔性の存在とされている。月と星々の光を受けて淡く波の輪郭を現しているが、それでも深淵に潜む巨大な何かがそこにいるのではないかと思わせる恐怖を人に与える。


 そんな夜の海を一隻の巨大な軍艦が静かに進んでいた。

 艦首に帝国を象徴する龍騎兵(ドラグーン)アレスと四色の宝玉を象ったレリーフがはめ込まれ、帝国の軍艦の中でも特別に許された艦だけが艦首にその戴くことを許されている。その艦は、サーディアス帝国第一王子であるラウズ=レクイア=ウルス=サーディアスの旗艦アウレイス。


 アウレイスはモルデリクの港を出航してから順調な航海を続け、目的地のバーンアレス島まであと一日という距離まで来ていた。その甲板にはこの船の艦長である白髪に白い髭を生やし、海の男らしい褐色の屈強な肉体を誇る艦長ジルドと、アウレイスの主である王子ラウズがいた。

 

「海も穏やかなものです。この調子なら、明後日の早朝にはバーンアレス島に到着しますよ、閣下」


「あぁ、船に乗るのは久しぶりだったが、やはりジルドの指揮する船での旅が一番快適だよ」


 ラウズの賛辞にジルドは照れ臭そうに頭を掻くと、艦首が向かう地平線の先を見て目を細めて僅かに懐かしい気分に浸る。


「こうやって閣下をお乗せして、あの島に向かうのは三度目ですな……クリシュ姫殿下とミリエル姫殿下はお元気にされておりますかな」


 あの島で領主をしている妹の話に、ラウズは一瞬顔を強張らせる。

 すぐ下の妹であるクリシュ=リアスカ=イニス=サーディアスと末の妹であるミリエル=シアスカ=イニス=サーディアスに会うのは、実に三年振りだった。前回この島を訪れたのは四年前で、ちょうどクリシュ付きの老将校が亡くなった折で、他でもないあの地(・・・)で一人でやっていけるかと聞くと、大丈夫だと弱々しく微笑んだ顔を今でもラウズは覚えていた。


 あれからの四年間。

 上級将軍の地位に上がり、同時に父である皇帝ヴェスパル一世によって大陸西方を領地として治める侯爵の地位を拝命してから、魔族の領域である北方大陸アーカーヘイトに対して睨みを利かせる役割を含めて、丸々四年間身動きが取れなかった。

 今考えれば、性急な大陸全土の征服という大きな隠れ蓑の中には、父ヴェスパル一世の意思とは別の思惑が働いていた気がしてならない。それが何者の意思であるかは容易に想像がつくことからも、ラウズは考えないようにしていたのかもしれない。

 そしてその予想が正しければ、妹のクリシュがいるあの島では何かが起きているはずなのである。何故ならば、特にアレ(・・)はクリシュのことを毛嫌いしていたからだ。


 無事であって欲しいという思いを胸に黒く波打つ海原を見ていると、ラウズはある異変に気がついた。闇色にたゆたう海原の中に青白い光が三つゆらゆらを揺れていた。

 帝国軍人であるならば見間違えるはずもない。

 あれは帝国海軍主力兵器・複座式海戦型龍騎兵――ラクアの索敵灯の光だ。


「ラクアだと……こんな東の洋上で作戦行動してる部隊なんて聞いた事がないですな」


 ジルドが胡散臭そうに光を見つめながら顎を撫でると、後ろからカルロ=ヘンザが脂肪を揺らしながら走ってきた。


「ラウズでん……あぁ、いや。ラウズ閣下、ジルド艦長。前方に見えているラクアから通信が入りましたよ。と言っても『ここから先はバーンアレス島の統治海域であり、無断での侵入は許されない。直ちに立ち去らなければ撃沈する』という一方的なモノです」


 汗を拭き拭き手に持ったメモを読み上げるカルロの言葉に対して、ジルドは眉を吊り上げてラウズは目を細めた。


「そいつは妙ですな……この艦には当然友軍の龍騎兵(ドラグーン)に対して識別信号が送られています。それも王家直属のラウズ閣下旗艦であることを証明する特別信号が、です」


 ジルドがチラりとカルロを見ると、カルロも当然頷いてメモの続きを読む。


「当艦の通信士がこちらの所属と艦船名を名乗りましたが、相手は『関係ない。立ち去れ』の一点張りのようです」


 それを聞いてジルドは確信を持って頷き、青白い光を睨みつけた。


「そこまで言って、そんな間抜けな受け答えをするということは、連中正規軍の搭乗士ではありませんな。王家三大名艦であるこのアウレイスに唾を吐くなんて馬鹿なことをするヤツは、我らが帝国海軍には居やしませんよ」


 そう言ってジルドが後ろに控えている兵士に迎撃の指示を出そうとした時、ラウズがそれを手で制した。


「閣下?」


「艦長。今は時間が惜しい、艦はこのまま進めてくれないだろうか」


「はぁ、それは勿論構いませんが、ラクア相手に接近戦は骨が折れますぞ?」


 困惑した表情を浮べるジルドにラウズは自分の持つ白い布に覆われた巨大な物体を掲げて見せた。それだけでラウズが何を考えているのかを瞬時に理解したジルドは、頬を掻きながら溜息をついた。


「閣下……私だからそんな無茶がすんなり通るんですよ?」


「感謝しているよ、艦長」


 困った表情で頬を掻くジルドに、ラウズが笑みを浮べて答えると、その両者を交互に見比べながらカルロが困惑しっぱなしになっていた。


「御二人とも、何のお話を?」


 サッパリ解らないといった表情を浮べるカルロに対して、ラウズが同じように笑みを浮かべて艦首手前に設置された四角く黒い鉄板の上に向かって歩いていく。その背を見つめながら、ジルドはやれやれと肩を竦めて首を振る。その様子にカルロが堪らずジルドに事情を尋ねる。


「ジルド艦長。閣下は何をされるおつもりなのですかな?」


「いやはや、閣下もまだまだ腕白ということですな。さぁ、ヘンデ将軍、何かに掴まった方がよろしいですよ。恐らくかなり揺れることになりますからな」


 そう言って手近な支柱に手を伸ばすジルドに更に困惑して、ラウズの方に向くとカルロは信じられないものを目撃することとなる。

 四角形の二メートル四方の鉄板の上に立ったラウズは、白い布に包まれた長く巨大なソレを右手に持ち肩に担ぐように乗せると、腰を僅かに屈ませて足に力を込めると突如靴の底から炎が噴き上がり次の瞬間、凄まじい爆音と共に艦が僅かに船首側に傾いたのではないかと言うほどの衝撃と共に、ラウズが空高く跳躍していた。


 ずっと匂っていた潮の匂いが一瞬失われるほどの速度で空へと舞い上がったラウズは、空中で手に持った長剣(・・)の柄を強く握ると、布の中で刀身が赤く輝きそれと同時に炎が溢れ出して掛けられていた白い布を一瞬にして燃やし尽くす。

 白い布から現れたのはラウズの身長よりもやや大きい一メートル八十センチはある長剣で、幅が三十センチはある刀身には揺らめく炎のような波紋があり、握りと刀身を繋ぐ鍔部分には旧皇国を象徴する火龍バーンアレスを意匠した赤い龍が絡みつくような装飾が施され、その柄頭には子供の握り拳ほどの紅蓮に輝く宝玉が取り付けられていた。

 跳躍の頂点で一瞬身体が停止すると、次に来る落下の感覚と共に着地点へと落下方向を調節し、剣を真下へと構える。


 海面から自分たちに接近してくる艦船アウレイスに対して、迎撃態勢を取ろうとしていた三機のラクアの真ん中に突如として凄まじい衝撃が襲う。突然真上から降ってきたラウズによって、巨大な長剣を落下の勢いそのままに突き立てられ、丸みを帯びた背中がグシャグシャに潰れて海面に覗いていた機体が落下の直撃を受けて海中にほとんど沈みかける。


龍騎兵(ドラグーン)を正規軍ではない者が運用することは、いかなる事情があろうとも国家機密の私的使用となる。巨大な力ゆえに、帝国に属する軍人は龍騎兵(ドラグーン)を私的に使用する者を赦しはしない」


 剣の柄を持つ手に力を込めると、柄頭の宝玉が赤く光り始める。すると、外部装甲を貫通して内部に突き出した刀身の波紋が赤く輝き、そこから炎が噴き上がり内部を搭乗士ごと舐め尽す。

 すぐ横を並走していたラクアがこちらに顔を向けようとするのを感じ、柄を両手で握ると刀身を潜り込ませたまま切り上げる。深海での水圧にも耐えるように設計されたラクアの特殊装甲を紙でも斬るかのように易々と斬り裂いて、そのまま首を巡らせていたラクアの首を下から切り上げて一閃すると、刀身が切り裂いた足元のラクアの裂け目から炎が噴き出し、長剣による一閃を受けたラクアの首がズルリと海の中へと落ちる。

 仲間の二機がやられたところで、ようやく攻撃態勢に入った最後のラクアが口から圧力を加えた水流をラウズに向かって噴射した。直撃すれば岩をも砕く水流が、最後のラクアに向かって振り向いていたラウズを直撃し、内部でモニターを見ていた搭乗士二人はニヤっと安堵の笑みを浮かべた。

 だが、すぐにその笑みは凍りつくこととなる。

 水流は確かにラウズに向かって一直線に噴射されているが、肝心のラウズを捉える直前で差し出されたラウズの手によって受け止められていた。正確にはラウズの手の平から放出されている熱障壁によって、水流の勢いを殺されると同時に蒸発させられていた。

 そしてラウズが目つきを鋭くさせると、熱障壁から紅蓮の渦が立ち昇り、水流を押し返してあっという間に水流の放出点であるラクアの頭部に炎が到達し、凄まじい爆発と共にラクアの頭部が弾けて炎上する。その様子をラクアの内部で信じられないという面持ちで見ていた操縦士たちは、自分達に唯一あった逃亡の機会を失い、突然天井を突き破って侵入してきた長剣の刀身に高い位置にある副座に座っていた副操縦士が貫かれ、その光景を振り返ったまま驚愕の表情で見ていた正操縦士の視界を紅蓮の炎が満たし、彼の意識はそこで焼失し消えて無くなった。


 前方で爆発炎上するラクアを望遠鏡で見ていたカルロが、信じられないという表情で手を震わせながら筒状の望遠鏡を顔から離す。


龍騎兵(ドラグーン)を生身で……それもラクアを海上でああも容易く……」


「はっはっはっ! 龍騎兵(ドラグーン)を生身であしらえるのは、世界広しと言えど人間では五人と居ますまい。我らが閣下は猛将で在らせられますからな」


 心底度肝を抜かれたという表情のカルロと、直属の上司であり終生に渡って仕えると心に決めている若き主の成長の頼もしさにご満悦のジルドが、海上で炎上する自国の象徴とも言うべきモノの末路を見ていると、跳び出して行った時と同様に四角い鉄板の上へと海上からラウズが帰還した。


 笑顔で迎えてくれるジルドたちに笑みを返しながらも、正規軍ではない所属不明の龍騎兵(ドラグーン)が哨戒行動を取っていたその存在に対して、ラウズは黒い思いを巡らせる。周辺海域の地形やラクアの無補給での航続距離を考えれば、恐らくその出所は自分が今向かっているバーンアレス島だろう。

 自分の予測が悪い方で当たっていることに確信を持ちながら、ラウズは妹――クリシュとミリエルの無事を祈りながら、ジルドに船速を上げるように命令した。



                   ◇◆◇◆◇◆◇



 アレス城から東に徒歩で三十分程行った所に軍の演習場がある。

 牢から出された少女――セリス=ロルはそこへ連れて来られていた。

 元々は帝都の孤児院にいた彼女は、帝都の平民街にある『学び舎』という読み書きと算術を教えてくれる場所へ通いながら、孤児院の紹介で下級貴族の家に侍女として奉公をしていた。

 勉学に優秀で容姿も悪くなかったセリスは、奉公先の貴族の薦めで王宮侍女の試験を受けて、大変な競争率を誇る試験を通過して王宮の侍女見習いとなり、時の侍女長に認められて第二王女クリシュ姫の直近侍女となった。

 その経緯の全てが最年少記録を総なめにしたもので、歴史そのものが浅いものの史上最年少で火龍の首飾り(ガルフィネアス)近衛騎士団に入団し、若き侍女頭として陰日向にクリシュを支えてきた一人だった。


 責任感の強い彼女は、二年前の反乱時にも年端の幼い仲間を先に逃がして、自身は最後まで抵抗続けたが、仲間を人質に取られて捕縛された。

 そしてあの地下の牢屋で、地獄の日々を過して二年を経た今――二年ぶりに見る夜空を見上げながら、力の入らない四肢に力を込めて立っていた。


 その身なりは美しく整えられていた。

 ここへ来る前に、恐怖と悲しみに顔を凍りつかせた一般の侍女たちに体を洗われた。

 彼女たちはこの後何が起きるかを知っているようで、どの娘も青い顔に涙を浮べすすり泣きながらセリスの髪や体を出来る限り優しく洗い、その手がセリスの体についた生々しい傷跡に触れるたびにビクッと体を震わせて、背後に見張りがいる状況で終始『ごめんなさい、ごめんなさい』という言葉にならない声を上げながら沐浴を手伝っていた。

 セリスは彼女たちの目を見た時に悟っていた。


 彼女たちも自分達と同じなのだ――と。


 長い間恐怖と悲しみに支配され、体と心を汚されても怯えることしかできず――それでも歯を食いしばって耐えて生きている。生き地獄で生きている人間の目を、セリスは嫌というほどこの二年間見てきた。だからこそ、自分のために泣いてくれる彼女たちを御門違いに怨むような真似はしない。同じ女性として、受けた行為に差はあっても受けた痛みは等しく同じだと思えた。


 あの牢に連れて来られた日に無理矢理に破かれた火龍の首飾り(ガルフィネアス)近衛騎士団の制服を着せられて、皮肉にも腰の剣帯には一振りの剣まで鞘に収めた状態で吊るされている。それを自由自在に振るっていた頃を思い出すと、懐かしさに目尻が熱くなり掛けるが、この状況で泣くことなど彼女の矜持が許さなかった。


 ――セリスは両手首の腱を切られていた。


 力のほとんど入らない両手の指を僅かに動かして剣の柄に触れるが、剣を振るどころかそれを握って鞘から出すことさえも出来そうになかった。


 そんなセリスの様子を見ていたゼミリオがニヤニヤと笑いながら近づき、セリスの右肩に手を置いて力を込めると、痩せて骨の浮き出た肩が折れそうなほどに圧迫され、セリスは苦痛に悲鳴を上げそうになりながら足を折って倒れ込む。その様子に満足そうに笑みを浮かべたゼミリオは、手に力が入らず起き上がれないセリスの髪を掴んで無理矢理立たせる。


「――ッ!!」


 髪の根元がミシミシと音を立て激痛がセリスを襲うが、体重がかなり減退して体が軽くなっていることにより何とか耐えられた。


「セリス=ロル。今からちょっとした遊戯(ゲーム)をしようじゃねーか」


 髪を掴まれたまま、耳の側で聞こえる不快な声音にセリスは眉を顰める。だが、その話の内容は聞き逃さないように気を張った。


「今から一時間お前に時間をやる。その間に出来る限り遠くへ逃げてみろ。そして、朝日が昇るまで逃げ延びれたらお前の勝ちだ。俺はお前を探すのを止めてやる。だが――」


 そこでゼミリオは言葉を切って、セリスの耳朶をベロリと舐めた。そのおぞましい感覚に背筋が凍りつき、全身に不快感が広がる。


「もし俺がお前を捕まえたら――わかるな? その時、お前がもし自害を図ったら俺は止めはしない。だがその代わり、牢に残るお前のお仲間に死ぬまで拷問をくわえてやる。もっとも、あの二人はもう壊れちまってるし、見捨ててもいいんだぜ?」


 セリスがそれを絶対にしないことを理解した上で、ゼミリオは嬲るようにセリスの耳朶から頬にかけて舌を這わせた。そしてセリスからすっと離れると、その背中を蹴飛ばした。反射的に手をついて受身を取ってしまい、腱を切られた手首を地面に強かに突いてしまい激痛が走る。折れてはいないが、重度の捻挫を右手の手首に負ってしまい、痛みに呻くも声を上げようとはしない。


「さぁ、もう猶予の一時間は始まってるぞ。さっさと逃げたほうがいいんじゃないか?」


 後ろからゼミリオの煽る声が響き、セリスは鈍い痛みと鋭い痛みを交互に放つ右手首を庇いながらヨロヨロと立ち上がり、南の森に向かって走り始める。その背に向かって、更にゼミリオの野次が飛んできた。


「言っておくが、城下町や移民共の村には逃げ込まないほうがいいぞっ! 確か二番目の奴が村に逃げ込んでな、匿った連中含めて皆殺しにしてやったからなっ! あの時の自分を匿った連中が目の前で殺されていく時の、お前の仲間の顔は傑作だったぜ!? あーはっはっはっ!」


 二番目に連れて行かれた侍女騎士は、サリアという娘でいつも背伸びをして自分の手に余るほどの仕事を引き受けて頑張っていたが、肝心な場面では自分に自信が持てずにいる娘だった。きっと、どうしていいか分からず困り果てて助けを求めて逃げ込んだのだろう。

 そして自分を匿ったばかりに、目の前で無関係の人間が惨い殺され方をした時の彼女の悲哀を思うと、憤りと悲しみで頭がおかしくなりそうだった。


 セリスは歩くだびに体のどこかが悲鳴を上げるが、それでも相手が圧倒的優位ゆえに見せたこの人の命を弄んだ遊戯は、文字通り彼女にとって最初で最後の好機だった。

 二年前の自分に比べれば筋肉は衰え、手の腱も切られている。だが、幸いにも体力だけはまだ残っていた。恐らく骨と皮だけになった女など抱きたくは無かったのだろう。セリスたちに与えられる食事だけは、ある程度の水準が保たれていた。

 そのお陰で痛みさえ我慢すれば、小走りで移動することだけは出来そうだった。


 セリスには希望があった。

 いまだあの城にクリシュ姫たちが連れて来られていないということは、主である彼女と自分の仲間たちはまだ無事なのだ。そして、あれだけの人数がこの島で生活できて、敵が手を出せない場所は一つしかない。

 セリスは南端のバーン砦の風景を脳裏に浮べながら、森に向かって走り続ける。一応ルール上は朝日が昇るまで森の中を逃げ回るか、何処かに身を隠せばいいだけなのだが、あの男が殊勝にそれを守るとも思えなかった。


 だからこそ走り続ける。

 クリシュ姫と仲間という希望はある。

 そして、セリスには待っててくれている人がいる。


「……ティリス」


 血を分けた、この世でたった一人の妹。

 いつもセリスが一人にならないように後を追いかけてくれた。

 そして、努力の末に自分と同じ場所に着てくれた。

 たった一人の可愛い妹。

 ティリスが自分の帰りを待ってくれている。

 ただ、それだけの望みでセリスは正気を保ってこられた。

 


 誰よりも愛しい――私の妹。

 待っていてね……お姉ちゃんは必ず帰るから。



 セリスはその想いを糧に森の中へと足を踏み入れた。


後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。


ご意見・ご感想はお気軽にお寄せください。

とても励みになります。

ありがとうございました。


感想にて現在公開中の全話に及ぶ誤字脱字と違和感のある表現についてのご指摘を頂き、それらの修正を致しました。

 恥ずかしながら、修正範囲が本当に全話に及ぶ勢いだったので最新話にてまとめて修正を行った旨をご報告させて頂きます。

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