第一章8-その内に潜むもの-
前書きと後書きを活動報告にて書いております。
よろしければ、本文読後にお読みください。
夜の闇が来るべき朝に向けて、その存在を薄めていく。
戦場であるバーン砦には戦禍特有の臭いが立ち込めていた。
燃え上がる戦火に混じって火薬と人が燃えるすえた臭いが立ちこめ、崖道の四段目で爆発炎上している家屋の残骸から黒煙がもうもうと崖の上まで上がってきている。
崖の上、バーン要塞の前に広がる外壁前は異様な沈黙に包まれていた。
謀反騎士ゼミリオの配下であるアレスが、王女クリシュを卑劣な手で屈服させようとした時に、突如として砦の裏に広がる密林から現れたボロボロのアレス――それを一撃の下に葬ったクロウシスの姿に、その場にいたものは凍りついたように固まっていた。
潰れて崩れ折れたアレスの上に立ち、周囲の様子を見渡したクロウシスの視線がクリシュたちの前に立つアレスへと止まると、獰猛な笑みを浮かべた。
その笑みに背筋が凍るほどの悪寒を感じた搭乗士が、アレスの主力武装である火炎砲機構を使おうと発射の操作を行い機体の向きを変えようとしたが、その動きと同時にクロウシスが巨大な戦斧槍を構えて潰れたアレスから降り、一気に距離を詰めてくる。
その巨大な戦斧槍が先ほど齎した威力に息を呑むが、落下による威力がなければ一撃でやられることはないと踏み、搭乗士は迷いなくアレスの胸部と腹部の間にある火龍の口から巨大な炎弾を三発続けざまに放った。大気を焼きながら迫る炎弾に対して、クロウシスは回避などという行動はとらず、戦斧槍を真っ直ぐ突き出すように構えて炎弾に向かって突撃した。炎弾はクロウシスの突き出した槍に次々と直撃し、その周囲を炎に包んだ。
目の前で燃え上がった空間に搭乗士が安堵の息を吐くと、次の瞬間――炎の中から鋭い煌きと共に槍の穂先が飛び出し、それに続いて渦巻く炎を振り払うようにクロウシスが飛び出した。搭乗士が驚いて目を剥いた時には、戦斧槍の穂先がアレスの発射口へと到達し、硬い装甲を貫いて穂先は内部へと達して、逃げ場のない搭乗士を串刺しにした。
胸部を巨大な槍の先端で串刺しにされた搭乗士は激しく血を吐き、信じられないものを見るように自分の胸を貫通している槍を見て、次に目の前のメインモニターに大写で映っているクロウシスの姿を見て――絶命した。
搭乗士の絶命を感じ、戦斧槍を引き抜こうとしたところで、崖の下から数体のアレスがこちらに向かって跳躍してきているのを確認すると、クロウシスは戦斧槍を持つ腕に思い切り力を込めた。すると、アレスの巨躯が僅かに浮き、驚きのあまり未だに声の出ないクリシュたちの前でクロウシスはアレスを引きずり投げるように崖の下へと投げ捨る。
崖から落とされたアレスは、狙いすましたかのように三段目から一気に頂上に向かって跳躍したアレスの一体に空中で直撃し、空中で一瞬停滞した後に崖下へと落ちていった。隣で起きた仲間同士の空中衝突を目撃し、動揺したまま崖の上へと着地したアレスを待っていたのは、戦斧槍による横薙ぎの一撃だった。
遠心力を加えて中胸部の発射口に叩き込まれた重い戦斧の一撃は深々と機体に食い込み、その勢いでアレスの巨躯がわずかに後方に向かって浮くほどだった。メリメリっという装甲に戦斧の刃がめり込む音と同時に、機体が上げる悲鳴にも似た激しい軋みに搭乗士は恐怖した。
「う、うわぁぁぁぁぁっ!」
振り払おうにもアレスには腕がなく。よって、搭乗士にはここまで上ってきた脚部の推進装置を使って逃げるか、攻撃に移るかしか選択肢がなかった。
崖下へと逃れれば、あるいはこの搭乗士にも生き延びる可能性はあったのかもしれない。だが、聞こえ続ける機体の悲鳴と押し寄せる死の予感に、搭乗士は逃げるのではなく目の前にいる存在の排除を優先させてしまった。
戦斧の肉厚な刃がめり込んだ機械の口腔が赤く輝くのを目にしたクロウシスは、戦斧槍を持つ手に意思を送りこむ。すると、戦斧と槍の間にある赤い宝石が、まるで血に飢えた猛獣の赤い眼のように輝くと、機体に食い込んだ刃から炎が溢れ出す。その炎がアレスの内部に渦巻くエネルギーと結合する前に、クロウシスが戦斧槍を素早く引き抜き、体を大きく回転させて横向きにした戦斧槍を機体上部に叩きつけた。
「おぉぉぉぉぉっ!」
その衝撃に大きくよろめいた機体に、裂帛の気合と共に間髪入れず強烈な蹴りを見舞うと、腕のないアレスは自重を支えきれず、崖の転落防止柵を迎撃用に強化した防壁を破壊しながら真っ逆さまに落ちていった。
落ちる機体の中で、完全に恐慌状態に陥った操縦士が計器をデタラメに押していると、クロウシスが残していった戦斧槍によって生まれた炎が、アレスの内部で炎を作り出す魔力と結合して爆発的なエネルギーを生み出し――爆ぜた。
落下中に激しく爆発したアレスが火の玉になって崖道にぶつかり、そのまま更に下方へと落ちていく。そんな仲間の悪夢のような姿を見て、上へと上ろうとしていたアレスたちの足は完全に止まる。
崖上に上って来ようとする者がいなくなり、クロウシスが戦斧槍を肩に担ぎ息をつく。そして背後を振り返ると、そこには信じられないものを見たような表情を、クリシュを始め火龍の首飾りの面々が浮べて硬直していた。
彼女たちが驚くのも無理はない話しで、帝国が駆使する侵略の象徴である龍騎兵は、一機で兵士数百人分に匹敵する力を持ち、生身の人間が易々と相手をしてしかも破壊することなど通常あり得ないのである。
それを事も無げにやってのけたクロウシスに驚くと同時に、ある種の畏怖を込めた視線を送る。その視線を受けて、クロウシスは自嘲気味に笑みを浮かべた。すると――
「おじ様っ!」
ミリエルがクリシュの手を離れてクロウシスに駆け寄り、そのまま抱きついた。
「おじ様遅いよ……っ」
クロウシスの腹部に顔を埋め、服をぎゅっと握ってくぐもった声を上げるミリエルの頭に手を置き出来る限り優しく撫でる。
「すまない……怪我はしていないか?」
「うん……っ」
ミリエルの頭を撫でながらその姉に視線を向けると、クロウシスの視線に晒されたクリシュはビクっと体を震わせた。その反応に少しだけ目を細めたクロウシスは、クリシュにも声を掛ける。
「クリシュ、大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です……」
ようやくぎこちない笑顔を見せたクリシュに一先ず頷き、抱き付いているミリエルをやんわりと離れさせてから、戦斧槍を持っていない方の手を自分の懐を入れる。
涙の滲んだキョトンとした表情でクロウシスを見上げていたミリエルだが、クロウシスが懐から手を出すと、ズルりと出てきた白く長い生き物を見て目を丸くした。
「トリヴァっ!」
意識がなくクッタリとしたトリヴァを恐る恐る受けとる。
「大事無い。少し血の臭いに酔っただけだ」
心配そうに白龍の幼生を見つめるミリエルに、そう言うと戦斧槍を担いで崖の方へと歩いていく。
戦闘はいまだ継続中なのだ。
崖の縁にクロウシスは立ち、崖下を見下ろし見渡す。
湾内に船舶が二十隻以上。その周囲には海戦型の龍騎兵が船舶の倍以上浮かび、崖下にも上陸したモノが十二機いる。港と崖道には数百人規模の帝国兵がこちらを見上げていた。そして――崖道と港にいる龍騎兵・アレスの数と位置を、クロウシスは確かめていく。
崖道の三段目に四機、二段目に三機、港に五機がそれぞれいる。
クロウシスが左腕を宙に掲げるとそこに光が収束し、人の頭ほどの大きさをした光の球体が浮かび上がる。ふわふわと浮かぶそれを手の上に浮べたまま、後ろを振り向く。
「目をかたく瞑って、地面に伏せておけ。決して目を開けるな……目に光を失う」
それだけ言うと、光の球がクロウシスの手を離れて崖の外へと進み、空中へと浮かび上がっていく。それを見たクリシュは慌てて周囲の人間に指示を出す。
「皆さん、クロウシス様の仰るとおりにっ! 目と堅く瞑って身を低く!」
その指示に従い次々と近衛隊たちも伏せていく。その様子に頷き、クロウシスが砦の壁面に目をやる。港側の砦外壁には対砲弾と耐熱用に補強がされているが、それを指示したクロウシスの真の目的は、目張りすることによって砦町民が外の様子を見ないようにすることと、一切の光の遮断にある。
浮かび上がった光の球が、自らを目立たせるために光の輪を断続的に放ちながら、そこにいた人間全員が注目する高度に達する。
ゼミリオの配下たちは、闇の中に浮かび神秘的な光を放つ光球に魅入られるように注視した。湾の中ほどにいたゼミリオもその中の一人だったが、その光球が徐々に大きさを増していることに気づいて、その存在の真の意味を悟った時には、もう全てが手遅れだった。
「目を瞑れぇぇぇぇぇっっ! 光をみ――」
そこで言葉は途切れる。
空に浮かんだ光球が内部から膨張し、凄まじい勢いで破裂した。破裂する瞬間、凄まじい光源となった光の球は周囲を鮮烈な光で照らしつくし、その暴力的なまでの光量は兵士たちを網膜を焼いた。
この莫大な光の発散によって、兵士のほぼ全員が一時的に視力を失った。周囲に悲鳴と呻きが木霊する中で、クロウシスは崖から飛び降りて目標を定める。
龍騎兵アレスは猛烈な光が放たれるのを感知した瞬間に、メインカメラとなっている眼にフィルターを張り搭乗士の目を守ったのだが、搭乗士は今まで起こった事がないその動きに動転していた。突如として視界を黒いフィルターが遮り、目の前が見えなくなってしまった上に外の音声すらも遮断されており、これでは外で何が起こっているのか分からないっ! と半ばパニックになり慌てて計器を操作する。
しょせんは古代の拾い物、自分たちで作ったことがない以上、機能の全てを把握しているわけはなく。本来は閃光と爆音から搭乗士を守る機能なのだが、その機能の存在そのものを知らない搭乗士たちは狭い搭乗室の中で、目と耳を奪われてただただ焦るだけだった。
◇◆◇
崖道二段目のアレスに搭乗していたアルシュ=エンドリも、突如として視界と聴覚をアレスによって遮断されてパニックになっている一人だった。
内部で計器や操縦桿を弄り回しながらアルシュは異変を感じていた。いつもは何よりも頼もしい自分の機体が、今日はまるで棺桶のように感じられた。それもこれも全ては、あの崖の上に現れた妙な男のせいだ。崖の上にいったアレスがゴミクズのように屠られて、崖の上から次々と転がり落ちてくる光景に、帝国の信徒として言いようのない絶望感を感じた。
――あんなことを許してはいけない。
龍騎兵は帝国の象徴だ。
それを一人の人間が易々と倒すなどあってはならない。そんなことを許せば、今日までこの力とそれを統べる帝国に信を寄せて、その力に忠誠を誓ってきた自分の全てが否定される思いだった。
アルシュが必死の形相で操縦桿を再度握った時、視界を遮っていたフィルターが上がり始める。それにほっとしたアルシェが、操縦桿を握り直して顔を前に真っ直ぐに向けた。
「そうだ……帝国の龍騎兵が負けるはずがないんだ」
そう呟いて、開けた視界に最初に映ったものは――凄まじい勢いで迫る戦斧槍の煌きだった。
◇◆◇
唸りを上げて戦斧槍の戦斧が二段目にいた最後のアレスに襲い掛かり、口腔に深々とめり込んで勢いで体勢をグラつかせる。戦斧をめり込ませたまま力で振り抜き、腹部に横薙ぎの傷を受けたアレスが崩れ落ちるのを尻目に、クロウシスは次の獲物――港に残る五機へと襲い掛かる。
目くらましに使った魔法だったが、アレスの搭乗士自体には効かなかった様だ。その判断の理由として、港にいるアレスたちは完全な動作で活動を再開させている。周囲の兵士がいまだに目を押さえてのた打ち回っているのを見れば、魔法による効果は無効化――ないし軽減されたと考えるべきだ。だが、原因はハッキリとは分からなかったが、搭乗士の視界は一時的に確かに遮断されていたようだ――強烈な閃光を光球を放ってから、ここに至るまで七機のアレスを登頂不能にしてきたが、そのどの機体も棒立ち状態だったのだ。
崖道の二段目から飛び降りて手近にいた一機の上から襲い掛かるが、さすがに動きを読まれて跳躍で回避される。港の東へと跳んだ機体には目もくれず、近くにいたもう一機へと戦斧槍を大きく後ろに溜めて構え、一気に距離を詰める。
迫るクロウシスに対して、回避せずに炎弾を発射する行動を取った搭乗士は勇敢ではあるが、その行動が仇となった。初弾を戦斧の一撃で払い切り、その遠心力で体を回転させて、クロウシスは姿勢を低く保ち次弾以降を背面に逸らしながら、脚部に遠心力の乗った一撃を叩き込んだ。
アレスは炎弾を吐き出しながら、間接部にめり込んだ戦斧の一撃によって姿勢を支えられず倒れ込む。そのまま止めを刺すことなく、クロウシスは次の獲物に向かって距離を詰めた。
仲間がやられる間に、武装を『炎弾』から『火炎放射』に換装していたアレスが、紅蓮の炎を前方から迫るクロウシスに向かって放射する。放射状に放たれた炎はクロウシスを呑み込もうとするが、その炎を投擲された戦斧槍が断ち割ってアレスの前に現れ、炎を吐き出す中胸部の口腔に深々と突き刺さり、その衝撃で後方によろめいた。そこへ間髪入れずクロウシスの蹴りが叩き込まれて、完全に重心を後方に持っていかれたアレスが倒れ込む。
その上に乗ったクロウシスが素早く戦斧槍を引き抜き、もう一度振り上げた銀に輝く凶器を脚部の間接に叩き込み砕いた。
脚の関節を砕いたアレスの上に立つクロウシスに向かって、双方向から紅蓮の渦が襲い掛かる。五体満足で残る三機の内、二機がクロウシスに向かって火炎放射を放っていた。数十メートルの距離を取っての放射だったが、その距離分の感知する暇を与えてしまい、交差放射された火炎から素早く離れたクロウシスは、左手に火球を生み出し波止場に近い位置にいるアレス目掛けてそれを放つ。
自分が放っていた火炎の中から突如飛び出してきた火球の着弾によって、機体の上半身が燃え上がる。自分の乗る龍騎兵アレスが、火に対して特に耐性高い機体であることを熟知していた搭乗士は、取り乱したりはしなかったもののメインモニターを埋め尽くす紅蓮の炎に視界を奪われ、クロウシスの姿を見失っていた。
『――上だぁぁぁぁっ!』
共に火炎を放射していた友軍の声に目を見開き、咄嗟に炎を放射するアレスの上体を上に向けたが、跳躍し落下速度を加えて振り下ろされる戦斧槍によって炎は二股に断ち割られて、そのまま機体頂上部に叩き込まれた戦斧により機体の上部は搭乗士ごと押し潰された。
振り向いたクロウシスの視界の隅に、崖の上と跳躍するアレスの姿が目に映った。恐らく直接クロウシスの相手をするのではなく、崖上のクリシュたちを人質にするつもりなのだろう。そして追撃を阻むように、港に残る最後の一機がクロウシスの前に立ち塞がる。
クロウシスは左手の上に長く巨大な炎の槍を作り出し、それを握り締め右手には戦斧槍を持ってアレスに向かって走り始める。猛然と躊躇いなく向かってくるクロウシスに対し、アレスの搭乗士は後方にバックステップをしながら、距離を一定に保ち炎弾を放ってきた。
威力よりも連射力を重視した攻撃に、クロウシスは笑みを浮かべる。
――いい戦い方をする。だが……
先ほどクロウシスによって倒されたアレスのところに差し掛かった際に、わざと一瞬足を止め、そこへ飛来する炎弾が直撃したように見せかける。
燃え盛る炎の中に追い討ちを撃ちながらも、アレスの搭乗士は油断せず注意深く正面を注視して、脚部の推進能力をいつでも使えるようにしていた。そして案の定、炎の中から何かが飛び出して自分に向かって飛来してきた。搭乗士はすぐに用意していた操作を行い、大きく左に向かって跳躍した――その瞬間、炎の帳を突き抜けて巨大な戦斧槍がアレスの腹部に突き刺さった。
驚きに目を見開いた搭乗士が、先ほどまで自分がいた場所をモニターで確認すると、そこには倒れていたアレスから剥ぎ取られた細長いパイプが転がっていた。
囮によるフェイントに引っかかったことを悟った搭乗士が、自分の迂闊さに歯噛みする間に、炎から身を守った魔力障壁を解除しつつ、クロウシスは左手に握られた灼熱の槍を投擲する。
すでに崖道の四段目から最上段へと跳躍し、空中にいたアレスの搭乗士は跳躍の最頂点に達した際、眼下に自分を見上げるクリシュたちを見つけて勝利を確信した。だが、突如崖下から飛来しら炎の槍が左足を貫通し、足の付け根付近に突き刺さった。その衝撃で体が横逸れ、おまけに足を片足を失った体は頂上に足を掛けることも出来ずに、崖下へと真っ逆さまに落ちていった。
その光景を視界の端に捉えつつ、クロウシスは戦斧槍の刺さって地面へと落着するアレスへと駆け寄り、倒れることなくすぐさま体勢を立て直そうとするアレスの腹部に刺さった槍の石突きに思い切り蹴りを入れた。その蹴りの一撃により、槍の先端が完全に機体を貫通して、穂先が搭乗士へと達し、搭乗士は口から大量の血を吐いて絶命した。
動かなくなったアレスから戦斧槍を引き抜き、先端についた血を一振りで飛ばして崖の上を見る。そこには足の付け根にささった槍が凄まじい高温に達し、真っ赤になったアレスが崖道で跳ね上がりやがて炎上しながら落下していた。
クロウシスは龍騎兵・アレスがどれくらいまでの高温に耐えられるか、又各部位のどの位置の装甲が薄いかを、クランガラク大森林に乗り捨てられていたアレスを使って調べていた。
アレスを全機失ったことで、この戦いの大勢はほぼ決したと言っていいだろう。
◇◆◇
満を持して投入したアレス十五機を全て行動不能にされ、挙句に虎の子だったはずの奇襲部隊も姿を現さない。状況から考えて、港で大立ち回りをしたこの男がその元凶なのだろう。
ゼミリオはその人間離れした戦闘に口を開けたまま呆然としていた自分に気づき、怒りに顔を真っ赤に染めて船の壁面を腕で殴りつけた。
「何呆けてやがるっ! ラクアに攻撃指示を出せっ!」
「り、了解しましたっ!」
慌てて通信機を取る通信兵に睨みつけながら、港へと視線を移す。
波止場に沿って展開していたラクアたちが、横一列に並んだ状態から一斉に猛烈な水圧を掛けた水流を噴射してくる中で、男は崩れ落ちたアレスの残骸に身を隠した。水流の直撃を容赦なく受けて、アレスの機体が動き装甲も徐々に剥がされていく。
集中放水を浴びていた中から、男が後方へと飛び出し崖へと向かって走っていく。その手には何か黒く大きなモノが持たれていたが、ゼミリオの距離からではそれが何かまでは分からなかった。
港から上陸して崖下にいたラクアの内、一機が振り向こうとしていたが、急速に距離を詰めた男の右腕が翻ると、ラクアのその長い首が切り飛ばされて宙を舞っていた。そしてその背から隣のラクアの頭へと跳び、そこで溜めを作り一気に跳躍する。
男は信じられない跳躍力で、一度の跳躍で崖道の二段目まで上りそこから更に跳び、爆発によっていまだ帝国兵が近づけないでいる四段目の崖道にまで到達した。
崖道の三段目に着地した男が振り向き、その左手に持っていたモノを掲げた。
それは黒く丸い機械の塊で、中心部に輝く宝玉が収められている。見る者が見れば分かるのだが、それは龍騎兵の心臓部である英霊精龍の眷属であるドラゴンたちを殺して奪った『龍玉』だった。
男がそれを掲げてすぐ、それは光を放ち始めやがて輝き出し――魔法の素養がないゼミリオたちにさえ視認できるほどの魔力を集めていた。
まるで闇の中に突然小さな太陽が生まれたかのような輝きだった。先ほどの目くらましの魔法の光とは、明らかに質の違う光を放っている。
大気がか細い叫びような音を上げて、大地は振動して海に大きな波紋をもたらす。更に輝きを増していくその光に、猛烈に嫌な予感を感じたゼミリオは思わず呟いた。
「ふ、船を回頭させろっ! あの光はヤバいっ!」
「し、しかしまだ友軍が――っ!」
「いいから言うとおりにしろっ殺すぞ貴様っ!」
青筋を立て血走った目で睨みつけられ、通信兵は萎縮して操舵室へと連絡を取る。その姿を忌々しそうに身ながらも、ゼミリオはすでに直視するのが辛いほどの輝きを放つ光を見上げて、これから起こることに考えて体を堅くした。
ゼミリオの乗る指揮艦が湾の外へと出るところで、男は小さな太陽かと見紛うほどの輝きを放つまでに至ったそれを湾の中へと放り投げた。まるで地上の落ちた太陽の如く光を放つそれは、海へと没して沈んでいった。港と船舶に乗船している帝国兵が固唾を呑んで見守る中、黒い闇が広がっていた海が白く輝き、その輝きで海が白く塗り潰された瞬間――
――すさまじい大爆発が起きた。
海底から競り上がってきた爆発によるエネルギーが、湾内に存在した一切の存在を呑み込んで巨大な水柱となり、その範囲は湾内全域で水柱の高さは砦のある崖の頂上と同等の高さにまで昇り、それを見たクリシュたちはただただ呆然としていた。
水中で起きた凄まじい爆発によって、湾内にいた龍騎兵・ラクアも後発部隊の追加人員を乗せた船舶も、アレスたちを運んできた輸送艦も、その全てが凄まじい水柱に巻き込まれた。圧倒的な力によって天高くへ噴き上げられ、戻る力に呑まれて水中で揉みくちゃにされて全てが粉々に砕けて海の藻屑となっていった。
水柱が湾へと戻る中で、男は崖道の地面に戦斧槍を逆さまにして垂直に下ろし、穂先を地面に根元まで埋め込んだ。すると、戦斧槍の槍と戦斧の中間点にある赤い宝石が輝き始め、さらに赤い光を中心に発せられる光の脈流が黄金で意匠された装飾部を流れて戦斧槍全体に行き渡る。光の脈流が石突きへと達すると、そこに光が滞留して輝きを増してゆき、やがて光が大きくなったところで男が石突きに手を添えて、押し込むように力を加えると光が石突きから穂先へと凄まじい速度で落ち、光が穂先へと達した瞬間に凄まじい轟音と衝撃が周囲を支配した。
穂先の刺さっていた地面が崖の内部で爆発が起きたかのような勢いで割れ、崖道の四段目が戦斧槍を中心に豪快に半分で断ち割れて、その周囲も凄まじい速度でひび割れていく。その破壊の力はまるで波紋のように崖の下層へ浸透し、崖全体を轟かす規模で崖道が次々と崩落していく。
一から三段目までの崖道にいたゼミリオの部下たちはその崩落に巻き込まれ、崖下にいた先ほど破壊されたラクアを含む十二機も、逃げる間もなく崩落する崖の岩塊と土砂に押し潰されてゆき、そこへ水柱によって生じた局地的な津波が襲い掛かり完全に呑みこまれていく。
悪夢のようなその光景を、一隻だけ湾外へと逃れていたゼミリオとその僅かな――失った人員の数から考えれば、あまりに僅かな部下たちが呆然といまだに崩落を続ける崖を見つめていた。それでも操舵士は、湾の外へと広がりを見せる津波から逃れるために船を走らせる。
ゼミリオは呆然と失った途方もない損失を頭に浮べながら、何故このような結果になってしまったのかをひたすら自問していた。その時――遠視の利くゼミリオの目が、崩落によって立ち上る砂煙の中から、黒い影が崖の頂上へと跳躍で上ってきたのが見えた。
そして――ゼミリオの顔が大きく引きつる。
距離的に考えて、ゼミリオに見えるのは蚤の様なサイズであって、相手の表情など見えるはずもない。だが、それでもゼミリオには、あの黒い男が大勢の部下を見捨てて一番に逃げ出した大軍の長である自分を――まるで嘲るように鼻で笑ったのが見えた。
言葉に出来ないほどの憤怒を感じるゼミリオの横顔を、昇る太陽の斜光が照らした。
◇◆◇◆◇◆◇
戦いの終わりと共に夜が明けた。
崖道の崩落とそれによって巻き上がった砂の噴煙も収まりつつある。
火龍巫女であるクリシュによって、この戦いで戦死した火龍の首飾りの四人と、敵側の恐らくは千人以上の死者に対して御霊送りの儀が行われた。
薪を組んで大きな焚き火を起こし、火の前にクリシュが立ちその周囲に近衛隊の面々が囲み、その後ろに砦町民たちが集って祈りを捧げていた。
今回の戦いでは、砦町民たちによる陣地設営の準備など直接的な協力も勿論だが、むしろ精神的――長年に渡って住んできた場所を捨て去ることを承諾してくれたことが大きかった。
今回の防衛戦は常に迎撃のみに当たり、時間を稼ぎながら奇襲部隊の事前討伐に行ったクロウシスの帰還を待つ――というのが、クリシュたちの勝利条件だったが為に、迎撃に最も立地として優れている崖道が主な主戦場となるのは必然だった。そして最終的には、もう人が住むことが適わない場所となることも、クリシュとクロウシスの口から町民に事前に説明された。
そのことを聞いた町民たちは全員が暫く沈黙していたが、しばらくして一人の男が立ち上がった。彼はこの崖町に一番長く住んでいた男で、名をウィンストン=ジラといった。
ジラは神妙な面持ちで立ち上がり、周囲に座る町の仲間の顔を見渡して一つ頷くと、それに合わせて周囲の町民たちもしっかりと頷いた。そしてクリシュを真っ直ぐに見た。
「クリシュ姫様。我々この砦町で住む者たちは、元々は大陸北方に存在していた亡国に住まいし一族でございました」
その告白にクリシュは僅かに驚き目を見張った。
「周辺で戦乱が起こり、私どもの先祖が住んでいた町もまた戦火に巻き込まれて、長い間大陸を流浪していた我ら一族は、国を失い帰る場所を持たぬ民。様々な地で生きようとしましたが、当時の族長が国が戦乱に巻き込まれた際に助力をする、という血判状を押しておりました。その結果、一族は敵国から追われ続けていたのでございます」
クリシュはその話に静かに聞き入り、周囲の町民たちもジラに意志を託しているかのように、皆が押し黙りジラを見ていた。
「大陸南部への道が敵国によって封鎖され、北方の地より出られなくなった我々の先祖は、このまま捕まるよりかは――と、船を作り大海へと乗り出しました。ですが、それも敵国に読まれており、すぐに発見されて攻撃を受けました。言い伝えでは、攻撃によって五隻あった船の三隻が沈められたとされております。そして船に乗った全ての者が死を覚悟した時――」
ジラはクリシュをもう一度、真っ直ぐに見て頭を垂れる。
「――東方より赤雷を纏いて飛来せしは、偉大なる英霊精龍の赫き神体。その長き御身より紅蓮の炎を放ちて、敵船を悉く討ち滅ぼした――」
昔から言い伝えられてきた、バーンアレスの砦町民たちだけに語り継がれる英霊の詩。
「我らの先祖をお救い下さった英霊精龍『焦熱の火山』・バーンアレス様は、その後船を導くかのように飛び、この島へと辿り着きました。そして、当時の火龍の巫女様によって我々はこの地に住まうことを許され、遂に安住の地を得た我らは数百年に渡ってこの地で人間らしい営みをさせて頂いて参りました」
頭を垂れているジラに倣い、他の町民たちも身を正して頭を垂れる。
「我らは与えられし者でございます。サーディアスの方に住む場所を諦めろと言われれば、それを断る権利はございません。ですが、長く暮らしてきた地でございます……それでも不満を持つことはあったでしょう。ですが、貴女様ならば別です――今は亡き我らが精龍バーンアレス様の最後の巫女で在らせられる貴女様にならば、我々は何の不満もなくこの地を返上いたします」
そこで顔を上げたジラの皺深い顔は、喜びの涙に濡れていた。まるで積年の約束を果たすことができることを歓喜するような顔だった。
「我々はむしろ感謝しております。我らの代で、あの時に受けた大恩に報いることができようとは……バーンアレス様が亡くなった今、貴女様だけが我らの希望でございます。どうか……どうか……生きて下さいませ」
その言葉にクリシュは心打たれ、頬を伝う涙を拭うことも忘れてジラの手を取って微笑んだ。
御霊送りの儀式は最終段階に移行していた。
そこで皆が祈りを捧げる中で、一人の周囲より一回り背の低い近衛兵が熱心に祈りを捧げているのがふと目に入った。すると、クロウシスの視線に気づいたその近衛兵と目が合う。
まだあどけなさが残る顔立ちにはそばかすが目立ち、全体的に年齢層の低い近衛兵の中でもかなり年少だろう。恐らくはミリエルよりも三つか四つ上といったところだろうか。栗色の髪を後ろで二本の三つ編みのおさげにして、鳶色の瞳を不安そうに左右に揺らしている。
しばらくあわあわと視線を彷徨わせた後、何故か意を決したようにクロウシスに向かって歩み寄ってきた。
「あ、あのクロウシス卿様」
「若き騎士よ。卿と様は同時に使う言葉ではない」
「は、はいっ! 申し訳ございません!」
頭が膝に着きそうなほど頭を下げて、指摘を受けた恥ずかしさからか顔を真っ赤にする少女にクロウシスは何処か懐かしい印象を受けた。
「あ、あの私、ティリス=ロルと言います。姫様と皆を助けて下さり、本当にありがとうございますっ! そ、それであのその……っ」
「落ち着くがいい、ティリス=ロルよ。謝辞は代表してクリシュより受けているが、直接言ってくれることには我も嬉しく思うぞ」
クロウシスが目を細めると、ティリスは恐縮しきってもう一度頭を下げ、その拍子におさげが忙しなく揺れる。そして、何か言い難そうに口をモゴモゴとさせている。それを見てクロウシスは首を傾げる。
「何か我に頼み事があるのか?」
するとバっと顔を上げて、真っ赤だった顔が一気に青ざめていく。口をもごもごとさせ違うと弁明しようとしているのか、図星を突かれて度肝を抜かれているのかは定かではない。
しばらくティリスの百面相を見物していたが、やがて顔色が元に戻ったティリスが小さく頷いた。
「私のお姉ちゃ――姉がアレス城に捕らえられているんです」
「姉?」
「はい……姉も火龍の首飾りで、とても優秀な侍女騎士なんです。二年前も城に残る侍女騎士の責任者で、数人の仲間を逃がしてそのまま……何度か城近辺に偵察班が行ったのですけど、結局無事かどうかは分かりませんでした」
グスっと鼻をすする音と、小さな嗚咽を必死に我慢する様子が見て取れた。その姿を見て、クロウシスの中で何かがざわめく感じがした。
郷愁――いや、これは単純な懐かしさだろうか。
「お願いですっ! お姉ちゃっ……姉をお助け下さいっきっと、きっと生きていますっ!」
そのひたむきな思いと、痛ましいほどに震える声は、この二年間に絶望と希望のせめぎ合いを繰り返した末だったのだろう。
「――姉の名は?」
「――っ!! セリスっ! セリス=ロルですっ!」
「分かった。必ず助け出そう」
力強く頷くクロウシスに、ティリスは涙でくしゃくしゃになった顔を輝かせ、何度も頭を下げた。しばらく言葉にならない感謝を述べて、儀式の終わりに際して持ち場へと戻ろうとするティリスにクロウシスは声をかけた。
「二年は長かったであろう。どうやって、お前は姉の生存を信じていられたのだ?」
そのある意味、無神経な言葉に対してティリスは今までで一番迷いのない笑顔を浮べた。
「私は、お姉ちゃんの妹ですからっ!」
その答えにクロウシスは目を見開き、呆然とした。
駆け去っていくティリスの背を見つめながら、先ほどまで感じていた妙な懐かしさと既視感の答えが、今の言葉で全て繋がった。
――私はあの子のお姉ちゃんですから。
あの星の美しい夜に感じた、姉妹の絆とその強さ。
懐かしいはずだと、クロウシスは目を細める。
虜囚となって二年。
取り逃し、抵抗を続けるクリシュ姫の懐刀である火龍の首飾り。
若い女性。
無事ではない要素が圧倒的に多い。
だが、それでも諦めるわけにはいかない。
自分はあの少女と約束したのだから――。
儀式が終わり、砦に残っている物資の再確認とアレス城への出発準備に近衛兵たちは追われていた。その陰で考え事をしていたクロウシスには、今後やることはハッキリしているのだが、その前に確かめなければいけないことがあった。
密林で敵奇襲部隊を待っていた際に、クロウシスの精神世界に侵入してきた存在。
そして前々から浮かんでいた疑問――英霊精龍を殺してきたサーディアス帝国の王女でありながら、火龍の巫女でもあるクリシュ=リアスカ=イニス=サーディアス。
その心中に宿したものがクロウシスにもたらす謎の違和感について、今後のことを考えて明確にさせておく必要がある。
恐らくはそれこそが――十年前の真実を紐解く鍵となるだろう。
◇◆◇
「クリシュ」
「あ、先生……」
近衛兵筆頭騎士のジル=カーティスを伴い、アレス城への行軍準備の進捗状況を確かめていたクリシュをクロウシスが呼び止めた。
その身に凄まじい力と魔力を内包した人物。
最初は隠していた黒い髪に黄金の瞳も、もうずっと曝け出したままにしている。
バーン砦を守れたのは、一重にこの人物の力によるものだった。その見る者を唖然とさせる恐るべき戦闘能力と魔法を駆使して、帝国の龍騎兵を単身生身で次々と打ち破り、砦の地下に封印されていた御龍神・焦熱の火山バーンアレスの遺骸を使って作られたとされる巨大な戦斧槍を、その呪いで身を焼き尽くされることもなく使いこなす。
まさに規格外の人物だった。
自分の予想通り、目の前の人物は只者ではなかった――そして、自分たちを救ってくれている。だが、あの戦いを見てからクリシュは、何故かクロウシスに強烈な畏怖――恐怖ではない――と思いたいが、近寄ると胸を焦がされるような息苦しさを感じていた。
それはあの出会った日の夜に感じた甘く切ない感情とは違い、放っておけば身の内からクリシュの体を焼き尽くすのではないかと思うほどに、クリシュの深層心理の奥深くで狂おしいほどの激情を秘めて蠢いていた。
「あ、あの先生、ご用件は何でしょうか?」
クロウシスの全てを見透かすようなその視線を受けて、クリシュは居た堪れなくなって自分から用件を尋ねた。
「うむ。少し込み入った事を訊かねばならない。何処か――」
そう言い掛けたところで、クロウシスはクリシュが自分から視線を僅かに逸らしているのを感じて、目を細めて言葉を改めた。
「いや、やはりここで構わない。二つの質問に答えてくれるだろうか」
「はい……」
明らかにほっとした表情をして、クリシュはようやくクロウシスの顔を真っ直ぐ見た。そして視線を絡ませてから、クロウシスは口を開いた。
「火龍の巫女に理を教えてもらたい。火龍による選定が生前から決まっているのであれば、試練を受けて正式な巫女となる際に、言うべき祝詞――誓約のようなものがあるのだろう?」
そのクロウシスの問いは、クリシュはとってひどく意外なものだった。それ故に後ろに控えていたジルも少し不審に思うほどに動揺していた。
「せ、誓約はとても長大です。そして代々の巫女によって秘匿されています……」
暗にそのものを言うことはできない、というクリシュの言葉にクロウシスは頷く。そして別の言い方で再度尋ねられた。
「ならば、その誓約を出来る限り短くまとめて――お前がどう解釈しているのかを述べてくれ」
クリシュにはクロウシスの意図が分からなかったが、誓約そのものを言うのは代々秘匿してきた歴代の巫女に対して申し訳ないと考えたのだが、自分の言葉で要約したものを言うことは出来そうだった。
「誓約は巫女の決意と使命を、御龍神たるバーンアレス様に示すことです。ですので、誓約の宣誓を要約すれば――」
ほんの少しだけ言葉を整理するために言葉を切り、しっかりとした口調で宣誓する。
「――火龍の巫女は、御身の為に命尽き果てるまで共に在り。御身の為にこの生命の一切を捧げることに躊躇せず、御身の生きるときも死すとき常に運命を共にすることを誓うものなり」
ジルはその言葉に荘厳さを感じて聞き入っていたが、クロウシスは僅かに目を細めてミリエルを嗜めた時と同じように屈みこんで、目線をクリシュに合わせてその目を覗き込む。
「二つ目の問いだ。十年前、お前の神が死んだ時――お前は何処で何をしていた?」
その質問にクリシュは目を見開き口を震わせた。
だが、何とか答えようと記憶を探ると、頭に激痛が走り顔をしかめる。その痛みに耐えながらも、クロウシスの問いに答えようと口を開きかけた時――自分を見つめる黄金の瞳のその中に、見覚えのある――いや、忘れられるはずもない紅蓮の炎が燃えているのが見えた。
その炎は――
「――っ!!」
急に声にならない声を上げ、クリシュがクロウシスを突き飛ばした。
その行動にジルは目を見張り、クロウシスは驚いた風もなく突き飛ばされたと言ってもその体は微動だにしていなかった。そしてクリシュは自分の腕を呆然と見つめ、次にクロウシスに目を向けると目から涙をボロボロとこぼし始めた。
「許せ、すまなかった」
そう言って、クロウシスが頭を撫でようと手を出そうとしたが、途中でその手を止めて自分の手を少し見つめて手を引いた。その様子にジルは一抹の不安を募らせながらも、クリシュに駆け寄り力のない体を支える。
「ジル=カーティス。我は先に出立するが、お前たちはどのくらいでここを発てる?」
「え、先にご出立をされるのですか? 私どもは町民の方々に砦の設備についての説明と、物資の分配が残っておりますので……日没までには発てるかと思われます」
「分かった。順路は事前に作成した地図に記載した通りにくるがいい。敵が密林にいても我が潰しておく。安心して行軍しろ」
「はい、あの……」
ジルに身を預けて顔を伏せて泣くクリシュの姿にジルが心配の声を上げるが、クロウシスはその姿を一瞥し、続いて周囲の心配そうな表情を見せる近衛兵たちを見渡す。
その誰もが仕える姫を心配するが、クロウシスを非難するような目は不思議とほとんどなかった。同性での連帯感の強い彼女たちではあるが、クロウシスが意味もなくクリシュを泣かせるような事はしないだろうと、単純な怒りの感情よりも信頼を優先させていた。
「クリシュ=リアスカ=イニス=サーディアス。過去を置き去りにすることは出来る。だが、決して消えてなくなるものではない。それが大勢の人間の運命を左右するほどの『宿命』であるならば、いずれは向き合わなくてはならないものだ。その覚悟をしておくことだ――猶予は余りないだろう」
重く容赦のない言葉に、クリシュの頭はいまだ混乱して顔を上げることが出来なかった。だが、最後の言葉『その覚悟をしておくことだ――猶予は余りないだろう』という言葉に脳裏で何かがガンガンと警鐘を鳴らしていた。
その言葉の意味を聞こうと何とか顔を上げると、既にクロウシスの背は密林に向かって歩き始めており、近衛隊の中からミリアン=カーターとユティ=コルベイルが行軍の準備を一足先に整えた出で立ちでクリシュに視線を送ってきた。
クリシュが弱々しくも確かに頷くと、二人は大きく頷きクロウシスの背を追った。
その三人の背をぼんやりとした表情で見つめながら、クリシュは心が分からなくなっていた。
まるで自分の心の中に異物があり、それを突かれると心がかき乱されておかしくなりそうなほどに精神が千々に乱れて壊れそうになる。
怖かった。
昨日まで、あんなに迷いのない気持ちを持っていたのに――。
今はもう、何もかもが分からないほどに弱くなっている。
不安と身の内で起こる謎の恐怖に震えながらも、結局は今すべきことに立ち戻るしなかった。
――過去との邂逅は近い。
前書きと後書きを活動報告にて書いております。
よろしければ、本文読後にお読みください。
※修正情報
2012/10/19 誤字と表現の一部を修正しました。