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第一章7-バーン砦防衛戦・後編-

前書きと後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。

 先ほどまで龍騎兵同士の通信機から聞こえて来ていたのは、悲鳴、絶叫、断末魔――まさに阿鼻叫喚の様相そのものだった。

 深夜の密林の中で、まるで草食動物の群れが絶対的な捕食者に遭遇したかのような、一方的な殺戮を受けて次々と破壊され、殺されていった。しかし、自分たちは無抵抗な草食動物などではなかったはずだと、帝国の辺境伯クリシュ姫に仕えし将軍――ジノン=ロックは自問自答した。

 帝国の武力と侵略の象徴である龍型機甲騎兵は、この世界において絶対的な力だ。

 各機に備わった武装と、頑強且つ魔法を通し難い装甲を持つことで、それまでは戦において全盛を極めていた魔道師を廃するほどの力を持つ。その武勲は数知れず、数々の町、砦、城を陥落させて帝国の支配下に置いてきた化物をジノンたちバーン砦奇襲部隊は駆っていたはずだ。


 それをたった一人の人間に潰されるような事態は在り得ない。


 ジノンはそう思いながら敵――いや、味方かもしれない相手を探して森を移動した。そして、その相手を遂に見つけ、その姿を見た時、ジノンは自分の考えが間違っていなかったことを確信させられた。

 相手は――龍騎兵(ドラグーン)以上の化物だったのだ。


 巨大な戦斧槍(ハルバード)が刺さった龍騎兵(ドラグーン)アレスを足で踏みつけ、胴体を裂くように刺さったソレを無造作に引き抜く。その姿は、先ほど見た人影とは大きく違っていた。


 些か形容しがたいが、簡単に言えば身長5メートルの人型をした何かの全身を黒い霧が覆いつくしているモノだった。そして何よりも異彩を放ち目を引くのが、その頭部に当たる部分から覗く一対の黄金の眼だった。炯炯と輝くそれは、見られる者を不安にさせる強烈なまでの力を持ち、黒くユラユラと揺らめく黒霧の中で圧倒的な存在感を持っていた。


 その相手がジノンの乗るアレスを見て、肩に戦斧槍(ハルバード)を担ぐのを見た時、ジノンは龍騎兵(ドラグーン)に乗っている事に何ら優位性がないことを確信した。そして、どうせ死ぬならばせめて騎士として誇りを持ち死を迎えたいと思い、自然と龍騎兵(ドラグーン)から降り、生涯を通して自分と自分の守るべき存在(もの)を共に守ってきた剣を、鞘から引き抜き構えていた。

 

 密林の濃い緑の匂いを胸一杯に吸い、深く息を吐いた時には、恐怖や後悔はなく長年掛けて培ってきた厳然たる『覚悟』がジノンの中で太い芯となって彼を支えていた。

 その様子を見て、黒い影は心底面白そうな笑みを浮かべた――そんな気がした。


 巨大な戦斧槍(ハルバード)を構えた異形が、得物を持つ腕を大きく後ろに振りかぶり一気に距離を詰めると凄まじい速さで赤い光の尾を引く凶器を振り下ろす。凄まじい圧力と圧迫感が迫る中で、ジノンは己の死を覚悟しながらも剣を迫り来る戦斧槍(ハルバード)に向けて最後まで目を閉じることなくその瞬間を迎えようとした。


 ――だが、超重武器による圧倒的破壊がもたらす爆発にも似た衝撃は訪れなかった。


 カっと目を見開いて、ジノンは全身を総毛立たせたまま固まっていた。

 凄まじい速度で迫る戦斧槍(ハルバード)を受け止めようと、眼前で構えた剣に接触する寸での位置で、禍々しい赤い光を放つ戦斧槍(ハルバード)は停止していた。

 だが、ジノンが釘付けになったのは、その迫り来る死そのものだった凶器が止まったことではない。

その停止した凶器の向こう側――静止した闇の中に炯炯と光る黄金の瞳と目が合っていたからだった。

 それは陳腐な表現だが、まさに心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃だった。

 皇帝を前にした時ですら、ここまでの衝撃と緊張を覚えたことはなかった。それほどに、今目の前に居る何者かは、只ならぬ雰囲気を持ち。眼前で輝く人ならざる瞳には、息が出来なくなるほどの威厳と自然と魅入られる純然な『力』を感じた。


「お前は、精神が腐敗してはいないようだな」


「――っ!?」


 突然目の前の存在から掛けられた声に、ジノンは戦慄すると共に剣を持つ手が震え出しそうになり、もてる最大の精神力で剣の柄を両手で握りこんだ。

 その様子を見て,黒霧は裂けるような笑みを浮かべる。

 その笑みは冗談や比喩ではなく。黒い霧に覆われた頭部に、まるで耳まで裂けるような口が現れて笑みを浮べていた。

 それを見ても悲鳴を上げず、やや強張った表情を浮べながらも視線を逸らさずにいるジノンに対して、それは黄金の瞳を少し細めた。


「クリシュ=リアスカ=イニス=サーディアスの忠臣か」


「姫殿下を……お前は、いったい……」


「我が名はクロウシスケルビウス。あの娘に恩があり、今はそれを返すために動いている」


「ジノン=ロック……二年前までアレス城で将軍の任を賜っていた」


 状況からすれば極めて簡潔な自己紹介を済ませたところで、クロウシスが戦斧槍ハルバードを引き石突きを地面につけ、ジノンも剣を下ろした。


「ジノン=ロック。お前は城へと戻るがいい。そして身を隠し、我の合図を待て。必ず城を乗っ取った痴れ者は必ず我の話に耳を傾け、我に民を差し出す(・・・・)だろう。その時、お前のような民に信の厚い者がいたほうが都合がいい」


 それだけ言い捨てると、クロウシスは身を翻す。それを見て、ジノンが慌てて声をかけた。


「ま、待てっ合図とは? い、いや、それよりもバーン砦は今海上から猛攻を受けているはずっ! 私も救援に行かねばっ!」


 そう言って足を踏み出そうとした時、クロウシスが黒霧に包まれた顔で僅かに振り向き、射抜くような視線でジノンを足を止めさせた。


「武人としての気概は買おう。だが、お前に今求められる役割はそうではない。戻るがいい、ジノン=ロックよ。心配せずとも――」


 そこでジノンは自分を射抜く黄金の瞳の中に一瞬だけ、炎がまるで陽炎のように揺らめいたのを見た気がした。


「――心配せずとも、あのようなガラクタが何百体いようと、全て我が潰すだけのことだ」


 視線を切り、そのままクロウシスは森の中へと消えていった。

 その姿が森の中へと消えていった所で、ジノンは体の緊張が解けその場に膝をついた。この世の中でも、最も恐ろしいものの片鱗に触れたような気分だった。

 

 手はじっとりと汗をかき、足は痺れと震えでまともに動かない。全身に感じる震えが、今自分が遭遇した存在の恐ろしさを、改めてジノンの精神に伝えていた。

 何体かの生き残りが砦に向かっていたはずだ――だが、彼らは奇襲をするためではなく、襲われた恐ろしい存在(もの)から逃げるために、死に物狂いで人間の領域(テリトリー)に向かっているだけだ。そこが敵か味方など、最早彼らの頭にはあるまい。


 ――そして生きて辿り着くのも無理だろう。


 クロウシスと名乗った存在が消えていった密林の闇の方へと視線をやる。もうそこに居ないにも関わらず、ジノンは存在の残滓のようなものを感じていた。

 クリシュ姫に恩があり、その身の為に動いていると言っていた。

 会話も一方的で得られた情報もその確証も無いに等しい。

 だが、ジノンはクロウシスを疑う気にはならなかった。

 この島に生まれて育った彼は知っているのだ。


 この世界には言語を絶する……いや、それを必要としないほどの説得力を持つ存在(もの)が存在することを――ジノンは知っていた。


 出会えば分かるのだ、相対すれば必然として納得する。

 抗いがたい力と意思を持つ存在がこの世に存在するということを――

 ならば、自分はその意思に従うことが役割なのだろう。


 ジノンは砦ある方向をジっと見つめ目を瞑り、やがてアレスへと向かって歩き始めた。



                ◇◆◇◆◇◆◇



 主張や利害の齟齬が軋轢となって軋みを上げ、やがて武力による単純な解決を求める。 

 そこでは怒声と悲鳴が木霊し、生が死へと転じ、生きる者が物言わぬ屍と成り果てる。

 

 ――それが戦場という領域の存在意味であり、そこで起きる全ての結果だ。


 港の広場にあった櫓から召喚された火龍の化身は、すでに沈下され消滅していた。崖道への入り口を守るための二対の竜頭ゴーレムも一体が打ち崩され、もう一体も波止場前に集結した海戦型龍騎兵(ドラグーン)ラクアによる集中水流射撃を受け、盾を突き出して身を屈めた防御姿勢を取っているが、盾は四隅が欠損してそれを支える腕にもヒビが入っていた。


 その様子を船上から望遠鏡で見ていたゼミリオは、気に入らないという表情をしていた。そして近くについていた兵士に向かって声をかけた。


「なぁ、おい。戦争ってもんはお互いに死人が出るもんだよな?」


「え、はっはい。戦闘行為をしているならば、双方に人的被害が出るのが一般的な戦争かと思います」


「だよなぁ。ところがだ……今こっちは数百人単位で死んでるってのに、あちらさんはまやかし龍にゴーレムを失っただけだ。どう思うよ?」


 望遠鏡を自分の肩にポスポスと当てているゼミリオの質問に、兵士は真面目に返答する。


「我が方は敵陣の防衛力を削いでいる様に見えますが、その実――被害はこちら側の方が圧倒的に多い……ということになるかと思います」


「そうなんだよなぁ……なぁっ! おいっ!」


 突然激高したゼミリオは持っていた望遠鏡を握り潰し、話をしていた兵士の頭を掴んで、自分へと引き寄せ耳元でがなった。


「これは戦争だぜっ!? それはまさか被害も出さずに、あんなこけおどしの炎やら岩の化物使って乗り切れるだなんてっ本当に思ってるのかよ! あぁ!? ムカつくぜぇぇぇ舐め切ってやがる!」


 それだけ言うと、頭を掴んでいた兵士の首に腕を回して首の骨を折ると、そのまま無造作に海へと投げ捨てた。それを見ていた周囲の兵士が息を呑み、恐怖に凍りついた視線を向けた。

 ゼミリオはぜいぜいっと荒い息をした後に、握り潰した望遠鏡の残骸を見下ろし舌打ちをすると、通信士に向かって声を荒らげる。


「おいっ! 後発部隊はまだこねぇーのかっ! 連中のラクアに通信入れて急がせろ!」


「わ、わかりました!」


 通信機は基本的には龍騎兵(ドラグーン)同士のみ可能なのだが、例外として指揮車両や指揮艦船には龍騎兵(ドラグーン)に対してのみ通信が行える通信機が搭載されている。これらは遺跡から比較的多く発見され、部隊に配備されている龍騎兵(ドラグーン)に対して通信を行うことで部隊間の連絡役を兼ねていた。


「火巫女だか何だかしらねーが、犠牲無しに戦争なんて出来ないことを教えてやるぜ……」


 ゼミリオはかがり火が焚かれている崖の上、砦に向かって粗野な視線を送った。



               ◇◆◇◆◇◆◇



 砦の広場では崖下の状況を常に観察し、次の作戦を始動させる準備をしていた。

 その中心で錫杖を携えたクリシュが状況の推移について報告を受け、想定よりも時間を稼げている事に頷いた。


「姉様っ! 残ったゴーレムもそろそろ倒されそうだよ。それに足元を通過されて、敵兵さんが最初の崖道を上り始めてる」


 ゴーレムを維持していたミリエルが切羽詰った声を上げるのを聞き、クリシュは作戦を第二段階に移す事を決める。


「ミリィ、ありがとう。港にいるゴーレムの維持は解いて、崖道の死守に移りましょう」


「うんっ!」


 ミリエルが手印を解いて立ち上がると、崖の上り口を死守していたゴーレムが砂上の楼閣のように崩れ去った。それと共に、松明を手にした近衛兵が崖下に向かって信号を送ると、下からも指示の了解を伝える信号が返って来た。


 砦へと上る坂道は五本の真っ直ぐな上り坂と、その間に四箇所の折り返しがある構造をしている。現在帝国兵の集団は、その最初の崖道を上ってきていた。

 それを確認した最初の折り返し地点に居る十人の近衛兵が、何をするでもなく一斉に第二の崖道を駆け上がり始める。彼女たちはそれぞれ崖道の幅に対して、互いに均等な間隔で走りその手には木の棒が握られ、棒の先端を地面に擦りながら直線の線を十条――崖道に描きながら駆け上がっていく。


 その奇行ともいうべき行動に帝国兵たちは疑問を浮べつつも、ようやく自分たちでも容易に倒せる獲物が現れたことに倒錯した喜色を浮べて、銃と剣を持って我先にと崖道を駆け上がる。今まで受けた幻影火龍とゴーレムから受けた恐怖を彼女たちに味合わせてやる、と歪んだ考えが彼らの足を速めた。そして、最初に崖道へと駆け上がった集団が崖道一つ目の折り返しを折り返して、二つ目の崖道へと差し掛かったところで、それは起きた。


 それは――最初は小さな予兆だった。

 走る帝国兵たちには感じることがない程度の振動。しかし、それは徐々に巨大な揺れと化してゆき、二段目の崖道の途中まで進んだところで、ようやく帝国兵たちもその異変に気づくこととなった。 帝国兵たちが走るのを止めた時には、崖道の地面は完全に硬度を失いスポンジのようなフワフワとした足場となり、波打つように揺れる足場に立っていることができず、その場に倒れこんだり尻餅をつく者が続出する。それでも、剣を杖代わりに立ち上がろうとする者もいたが、そこで彼らにとってまったく予期せぬ出来事が起こった。

 

 流動していた地面から、突如として植物の蔓が生えて彼らの手足や首に巻きついてきたのだ。度肝を抜かれた帝国兵たちは、剣と銃で蔓を切ろうともがくが絡まった蔓はやたらと頑丈で、不安定な体勢から振られる剣や狙いの定まっていない銃弾で切られることはなかった。そして、次々と兵士たちを絡めとって宙吊りにすると、今まで波打っていた地面がボコっと隆起し、そこから体長二メートルほどのエゲつない形をした植物が顔を出した。


 地面からボコボコと顔を出すその植物は、簡単に言えば地面から生えた巨大なウツボカズラのような植物だった。ただし筒状の本体が地面から直接生え、粘液に塗れた巨大な口を大きく開けている。


「う、うわぁぁぁぁぁっ!」


「く、喰われるっいやだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!


 その光景を目にした兵士たちは悲鳴を上げてジタバタと手足を動かし、懸命に食人植物に喰われないために抵抗をし始める。


 この植物はこのバーンアレス島の密林に自生するもので、島民が恐れる自然の驚異の一つだった。それをクロウシスが魔力で小型化して休眠させて、それをこの崖道に穴を掘って埋めたのだ。目を覚まさせる合図は地面を引っかくような『音』だった。

 近衛兵たちが棒で地面を引っかきながら駆け上がったのは、この植物を起こすためだった。


 帝国兵たちを喰らおうとする植物に向かって、二つ目の折り返しまで駆け上がった近衛兵の一人が胸元から取り出した笛を吹いた。すると、笛の音に反応した植物たちは、蔓で捕獲した帝国兵たちを次々と崖の下へと放り投げ始めた。

 落差二十メートルから放り出された兵士たちは崖を転がり落ちていき、死者はほぼいなかったものの、骨折などの重傷を負った者がほとんどだった。

 一段目の崖道と、中には運悪く崖の下まで転がり落ちた兵士たちは痛みに呻き、そこへ更に続々と放り捨てられた兵士が落ちてくる。

 

 その光景にゼミリオはこめかみに青筋を立てて怒りを露わにしていた。

 そして同時にある確信を得ていた。食人植物に対して兵士を喰わないように指示したのは、恐らくはあの甘ちゃんな姫だと思うが、植物を――いや、ここで起こっている事の全ては、姫でもなく近衛隊などでもない。まったく誰か別の人間が発案しているはずだ。

 そもそもこれだけ狡猾で突拍子も無い事を思いつけるなら、あの姫は現状に甘んじているような器ではなかったはずだ。

 だからこそ確信する――この状況を作り出している人間は別にいる。

 そしてここに来て、龍騎兵(ドラグーン)アレスを先発隊に組み込めなかったことを悔やんでいた。元々の配備数がラクアに比べて少なかったアレスは、砦までの到達時間を考慮して奇襲部隊にほとんど投入してしまい、増強配備分は輸送船の補給作業で後発隊にいる。

 いや、そもそもこれほどの苦戦をするとは思ってもいなかったのだ。

 いくら崖上からの防衛に地の利があるとはいえ、これだけの奇策とも言える作戦を組んでくるとは思っていなかった。


「港の建材を使って植物を燃やせっ!」


「しかし、それでは侵入路が……」


「アホがっ! ある程度燃えたらラクアに消火させろっ! あの高さならまだ届く距離だろうがっ!」


「は、はいっ!」


 怒れる『私刑騎士(リンチングナイト)』に恐れ戦きながら、通信士が光信号とラクアに無線通信を行う。その様子を苛立たしげに睨みながら、ゼミリオは砦へと目を向ける。


(どんな野郎か知らないが、この俺様をここまでコケにしやがってぇ……絶対俺の手で殺してやるぜっ)

 

 凶暴な思考に怒気を鼻からフンと出して、腕を組み怒りに染まった目を細めた。



               ◇◆◇◆◇◆◇



 帝都南西に位置するモルデリクは中央大陸で二番目に大きな軍港を有する街だ。

 街そのものも巨大ではあるが、やはり軍艦数隻が駐留することのできる広大な港が最大の特徴といえる。特に今は帝国軍の中でも特別な意味を持つ艦船が停泊していた。

 港の第一埠頭に接岸している大型艦船。

 全長は五十五メートル、全幅十三メートルの帝国海軍でかなり大規模サイズにあたる。

 船首には帝国を象徴する龍騎兵(ドラグーン)アレスと四色の宝玉を象ったレリーフがはめ込まれている。最新の蒸気タービンを備えた艦船で、黒塗りの外装もこの船がただの艦船ではないことを物語っていた。

 

 船の乗船口へと続く埠頭には帝国海兵が直立不動で一列に並んでいる。それはこれからこの船に乗船する人間を出迎える為だった。

 そして港側から埠頭へ向かって三人の男が歩いてきた。

 それに合わせて、整列した兵士たちが一斉に敬礼をする。その敬礼に返礼をしつつ、三人の先頭を歩く男は布を被せた長く巨大なモノを手に持ち、背筋を伸ばした堂々たる足取りで進み、乗船口へと続く桟橋の前で待機していた厳つい軍服を着た壮年の男が、最敬礼で出迎えた。


「ラウズ閣下。到着をお待ちしておりました。ようこそ、モルデリクへ。そして閣下の船――アウレイスへ」


「シルド艦長、久しぶりだな。今回は無理を言ってすまないが、世話になる」


 ラウズと呼ばれた男が小さな笑みを見せると、シルドも海の男らしい豪快な笑みを浮かべる。


「何を仰います。これは閣下の船であり、自分はその船を預かる身でございます。閣下が海に御用があるならば、どうぞ御命じ下さい。閣下の望む場所へと、最速且つ快適な船旅を御用意するのが私の役目でございます」


「よろしく頼む」


 そう言って鷹揚に頷くラウズの後ろに、二人の将兵がいることに気づいたシルドは、驚きに目を丸くした。一人はデップリと太った恰幅の良すぎる男で、もう一人は神経質そうで気弱な印象を受ける痩身の男だった。


「ヘンザ将軍ではないか」


 名を呼ばれた丸い男――カルロ=ヘンザは丸い顔をシルドに向けて、やや疲れたような笑みを浮かべた。その後ろでは、彼の秘書官であるマテオ=オニが白いハンカチで額の汗を忙しなく拭いている。


「や、やぁシルド艦長。私もラウズ殿下の御付きでね、よろしく頼むよ」


 ラウズの『殿下』という発言にシルドが眉を顰めると、カルロも自分の失言を悟ったようで慌てて言い直す。


「軍法会議でコッテリ絞られているところを、ラウズ閣下に助けて頂いてね……当面は閣下の下で働かせて頂くことになったのだよ。あ、こっちは私の優秀な秘書官でね、マテオ君と言うんだ。彼の事も一緒によろしく頼むよ」


 数週間前に見た時よりも、やや痩せた印象を受けるこの準級将軍がしでかした失態についてはシルドの耳にも届いていた。

 詳細までは知らないが、龍騎兵(ドラグーン)二百機を損失させたという衝撃的な被害規模だけは軍全体に知れ渡っていた。


 帝国軍の要とも言うべき龍騎兵(ドラグーン)は、古代遺跡からの遺物であり、帝国の科学力を持ってしても複製を作ることはおろか、損壊時の修理すらままならないのが実情だった。軽微な破損であれば、龍騎兵(ドラグーン)は自己修復能力が備わっているらしく、自ら修復を行うのだが部位を損失するほどの損傷を負うと修理はできない。

 それ故に帝国は龍騎兵(ドラグーン)の管理には心血を注いでおり、運用に関しても軍の最上層部と国家運営の根幹を担う枢密院による決定がなければ行えない。

 

 それほどまでに重宝されているが故に、龍騎兵(ドラグーン)を徒に損耗させた将兵に対する罰則は重く、作戦行動を預かる将軍も実際に搭乗している兵士も重い罰則がついて回るのだ。

 それこそ二百体を一度に失うなど、恐らく今までの戦歴から考えても初の大損害だろう。

 普通に考えれば当人の死罪は当たり前だが、その上に三等親族まで死罪の上に資産の全てが没収くらいのことはされていいはずだ。だが、こうして目の前にこの脂身たっぷりの準級将軍が五体満足で立っているということは、恐らくは情け深いラウズが見かねて助け舟を出したのだろう。


 擁護すべき義理はシルドにはないのだが、本来カルロ自身にしてもやらかした(・・・・・)事は未曾有の被害ではあるが、彼は実に敬謙な帝国貴族であると同時に優秀な帝国軍人でもある。丸焼き男(ロースター)という悪名の原因となっている悪癖を除けば、少なくとも帝国(・・)にとっては――極めて善良な男なのだ。


 カルロたちを伴って乗船したラウズが甲板に立っていると、そこにカルロがやってきてラウズに深々と頭を下げた。


「ラウズ殿下……いえ閣下。この度は私の処罰の減刑と御側付きをお許し下さり、本当にありがとうございます」


「何、大したことではない。ヘンザ将軍はこれまで多くの武勲を挙げておられる。その優秀な人材をただ一度の、それも誰も予期していない事態に遭遇した末の出来事だったのならば、尚のこと命を奪うのは軽率というものだ――それよりも」


 穏やかな表情を浮べていたラウズの顔が真剣なモノとなり、その視線で射抜かれたカルロは唾をゴクりと飲み込む。


「激硫の大地、クランガラクが蘇ったというのは本当なのだな?」


「は、はい。この目で見ました。そして奴に龍騎兵(ドラグーン)二百機をやられたのです」


 そのカルロの必死な様子が、嘘で誤魔化す類のものではないことを改めて確認し、ラウズは西方へと視線を向ける。それに倣い視線を海の先へと向けるカルロの様子がおかしいことに気づき、ラウズが視線を再度向けると、驚きながらも何かを言いたそうにする様子が見咎められた。


「ヘンザ将軍、何か言いたい事があるのならば、気にせず言ってくれ」 


「は、はい……実は軍事法廷でも申し上げたのですが、あのドラゴンは私たちに向かって話しかけてきたのです。その内容の中に気になる言葉がございまして」


 法廷を傍聴していたラウズもその事は知っている。だが、現地にいたカルロが特に気になったことがあるというのは、耳に入れておきたい情報だった。


「構わない、言ってくれ」

 

「はい。あのドラゴンは自らのことを『亡霊』と言ったのです。英霊精龍(カーディナルドラゴン)の代替わりではないのは確かなので、ある意味当然なのですが……私にはどうもあの言葉が引っかかっておるのです」


 そのカルロの言葉を受けて、ラウズはドラゴンが言ったという言葉と自分の考えを吟味するように目を細めた。そして危惧していることについても、同時に考えた。


 目指すはグリムディア中央大陸の東方に浮かぶ島――バーンアレス島。

 ラウズにとって縁深き地だ。

 あれから十年経つのに、いっこうに心労が減ることはなかった。

 まるで古の呪いを受けているかのような気分だった。


 隣で厳しい表情をして、東方の地平線を睨む若者を見つつ、カルロはこれから向かう島が隣に居る青年にとっていかなる地であるかは、当然理解していた。


 このラウズ皇子が危惧するのも当然と言える。

 死んだはずの――大地の英霊精龍(カーディナルドラゴン)の復活。

 その情報を耳にして、彼――ラウズ=レクイア=ウルス=サーディアスが冷静でいられるはずがないのだ。

 何しろラウズは帝国の第一帝位継承権の持ち主であり、上級将軍という軍籍を持ちながら中央大陸西方を領地として管理する侯爵の地位を持っている人物。


 そして帝都民からは竜を狩りし者(ドラゴンスレイヤー)の一人として謳われている。だが、帝都以外の民衆からは裏切りの竜殺し(ルグ・ベトレイヤー)として蔑まれている。

 

 この男こそが、帝国の前身である皇国の守護者だった『焦熱の火山』ことバーンアレスを殺した張本人であり、クリシュ姫の実兄である人物だった。



               ◇◆◇◆◇◆◇



 バーン要塞の攻防は正念場を迎えつつあった。

 ゼミリオ率いる攻略部隊に対して、今まで一人の犠牲者も出さずにさまざまな奇策とも言うべき意表を突いた作戦を展開してきた、クリシュ率いる砦守備部隊。

 

 今までその策に(ことごと)くはまっていたゼミリオ軍だったが、彼らもまた通常では考えられない手段による反撃に出た。

 海戦型龍騎兵(ドラグーン)であるラクア数機を岸に上げ、給水用のホースを後部から伸ばしてそれを海に浸けたまま歩行させる。四肢が鰭になっているラクアの歩行速度はかなり鈍足だが、港にいた兵たちがラクアを崖の近くまで押した。

 そして、自らが溜めている持ち水と内蔵されている給水機能によってホースから水を補給したラクアは、崖の上に向かってウォータージェットによる攻撃ではなく、射程距離に優れているウォーターカッターによるピンポイント攻撃を開始した。


 射程が長い代わりに効果範囲が狭い攻撃ではあるが、四段目の崖道まで攻撃が届くことにより食人植物を起こす役割を担っていた十人の内、五人が三段目から四段目の崖道に続く折り返しに残っていた。そこをラクアが狙って攻撃する。

 さらに五人が立ち往生している間に崖道二段目の食人植物を、港の建物を破壊した建材と手投げ弾で焼かれて突破され、帝国兵が三段目に続く折り返しに到達した。兵士たちは手に小銃を持っており、距離を詰められれば近衛兵たちに分が悪いのは明白だった。


 その光景を砦から見ていたクリシュはすぐに救助の手を打った。


「ミリエルっ!」


「うん、任せて姉様」


 クリシュは錫杖を振るい舞を踊り、ミリエルは地面に両手を着いて目を瞑る。

 錫杖の連環がシャンを音を鳴らすたびに先端に火がつき、その音が繰り返されるたびに火は大きくなり、やがて炎をなって巨大な松明のように燃え盛る。

 錫杖の先端で燃える炎の熱さによるものではない汗を額に伝わせながら、クリシュが炎を三段目の崖道へと放つ。放たれた炎は三段目の崖道を走る兵士たちの目の前に着弾し、まるで意思があるかのように燃え広がって炎の壁を形成して、崖道を塞いだ。

 

 それと同時に、近衛兵たちを狙うラクアにも異変が起きた。

 十二機のラクアが絶え間なくウォーターカッターを撃っていたが、それが一斉に停止した。無論搭乗者の意思とは別の――ミリエルによる干渉を受けたためだった。

 

 崖道に突如燃え上がった炎とラクアの攻撃が止んだのを、味方による援護だとすぐさま判断した近衛兵五人は一斉に四段目の崖を駆け上がり始める。三段目に居た兵士たちは炎の壁に阻まれて先に進めずにいた。だが、ミリエルによる干渉を受けていたラクアの何機かが、歪な動きながらも再び顔を上げて照準を定め始める。


 それを感じたミリエルが、集中しながらも焦りから汗を流して叫んだ。


「姉様っ! 龍騎兵(ドラグーン)が支配しきれないっ……ダメっ!」


「ミリエルっ!」


 切羽詰った妹の声に慌てて駆け寄ろうとするが、それよりも先に周囲に悲鳴が響いた。


 疲労したミリエルによる龍騎兵(ドラグーン)への干渉は不十分で、影響の緩んだ機体が放ったウォーターカッターが四段目を走っていた近衛兵たちの、最後尾付近を下から上へとなぞる様に通過した。


 凄まじい衝撃が通り過ぎた後、五人のちょうど真ん中にあたる三番目を駆けていた近衛兵――リタ=シンプスが倒れた姿勢のまま目を開けると、前方にいる二人の同僚が痛ましい表情でこちらを見ているのが見えた。

 そして後ろを振り返ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。

 

 強力な力によって幅十センチほどに抉られた大地の深い傷が、まるで崖道を両断するように下から上に向かって一直線に穿たれている。そして最後尾を走っていたウィンディー=ゼラが、その傷跡の上に胴体を胸付近で真っ二つにされて絶命していた。

 さらにリタの後ろを走っていたユーニン=サスペルが左足の脛から下を切断されて、血溜まりの中でもがいていた。

 

 焦りから、比較的崖に近く浅い場所を走ってしまったのが全ての要因だった。

 リタはユーニンの元へと駆け寄り抱き起こす。


「ユーニン、大丈夫っ!?」


「――っ、っ」


 痛みに呻きながらも首を縦に振るユーニンを抱き上げながら、自分の服を――『火龍の首飾り《ガルフィネアス》』近衛騎士団の象徴である赤い服を破り、ユーニンの切断された足のすぐ上でキツく巻いて止血した。

 そして振り返ると、完全にウォーターカッターによる攻撃が再開された中で、こちらに戻ってこようとする二人の近衛兵に向かって叫んだ。


「来ないでっ! 今来たら全員死ぬっ! だから、貴方たちは行って!」


 リタの言葉に驚きと悲しみの入り混じった表情を浮べた二人だが、一人がそれでも駆け寄ろうとした時、再び水の刃と化した水流が崖道を一閃し、駆け寄ろうとしていた近衛兵の体を腹部から腰にかけて両断した。


 目の前で彼女が死ぬ瞬間を目撃したもう一人の近衛兵が悲鳴を上げ、そのまま口元を押さえて崩れ落ちるように膝から倒れて嘔吐した。リタもその光景に恐怖と胃が捩れるような感覚に襲われるが、奥歯をギリギリと噛んで気を保った。


 そして、一つの疑問を持つ。


 死んだ近衛兵は、攻撃に備えて道の中央付近を走っていたにも関わらず、攻撃は彼女を直撃した。先ほどまでの攻撃なら当たらない位置関係のはずなのに――である。崖下を見れば謎は解けるのだが、位置を教えることになるのでそれは無理だった。だが、リタの疑問は聴覚によって解決することとなった。


 ユーニンに肩を貸して立ち上がろうとした時、崖の下で兵士たちの掛け声と「もっと後ろだー!」という声が聞こえた。それによって、さきほどの近衛兵がいた位置にまで攻撃が届いたのは、龍騎兵(ドラグーン)を後方に引いて射程距離よりも、リタたちのいる場所に対して奥の壁に近い深い位置へと攻撃ができるように射角を緩めているのだ。


 これでは安全な場所はかなり限られてくる。

 すぐ脇を死の水流が一閃して地面と壁と鋭く削り取っていき、その衝撃でバランスを崩しユーニンと共に倒れこんだ。苦痛に呻き涙を流すユーニンの頭を庇うように抱き寄せた。そして、視界の隅でこちらを膝を着いたまま呆然と見ている近衛兵がいることに気づいた。


「私たちのことはいいからっ! 貴女は早く行って! 攻撃が崖の奥まで届き始めている! 出来るだけ壁に沿って、走るのよっ!」


 リタの叫びに震えながら首を横に振る近衛兵――クロナ=ユディンにリタは出来る限り表情が硬くならないように微笑んだ。


「クロナっ!」


 名前をはっきりと呼ばれて、焦点が合っていなかったクロナの目に僅かな生気が戻る。そして微笑みを浮べるリタを目にして、その目が大きく見開かれる。


「大丈夫だから……私たちは諦めたりしない。だから貴女は走るの。行って!」


 リタの強い言葉に、クロナは砂に塗れた顔に頬から幾筋もの涙を流しながら、ぎゅっと唇を噛むと顔を上げた。


「い、生きてっ! お願いだから……っ!」


 普段はプライドの高いクロナが、涙と悲しみでクシャクシャになって表情で叫ぶと、思いを振り切るように崖壁に向かって駆け出していく。


「クロナ、貴女も……」


「く、クロナちゃ……行った?」


 耳元で聞こえる声にハっとしてリタが振り向くと、青白い顔色に不器用な微笑を浮べたユーニンの顔があった。その想いを感じて、リタが頷くとユーニンは嬉しそうに小さく頷いた。


「そっか……クロナちゃん、普段は強気なのに……弱いとこあるからさ」


「そうね。でも、ちゃんと行ってくれた」


「うん……」


 弱弱しい笑顔を浮べるユーニンに肩を貸して、リタは崖の深い場所へと身を低くして移動する。その間も攻撃は止まずに続き、周囲の壁が次々と削られていった。そして二人が崖壁に到達すると、そこにはほってた小屋に毛が生えたような建物があった。

 建物には表札が掛けられている。

 

 そこには『ウィンストン=ジラ』というネームが書かれていた。


                ◇◆◇


 砦前のクリシュ陣営では、リタたちを救うための救出部隊が編成されていた。だが、具体的な策があるというわけではなく。五人編成の近衛兵たちが二組の担架を持って、崖道を降りていった。彼女たちはほとんどが侍女からの生え抜きメンバーで構成されており、結束が固く女性だけの集団ということもあって仲間を無下に見捨てるようなことはしない。


 クリシュとミリエルは魔力の過剰行使で精神的な疲労が蓄積されていた。さらに先ほどのミリエルがラクアを抑え切れなかったことによって、この戦い初のクリシュ陣営からの犠牲者が出たことにミリエルがショックを受けていた。

 呆然とした表情で涙を流す妹を抱きしめて、その背中を撫でていたが、クリシュは今が非常時であることをミリエルに言い聞かせていた。


「ミリエル。私たちは戦場にいるの。そして私と貴女も、間接的に人を――殺しているのよ」


 クリシュの言葉にビクっと体を震わせる妹をぎゅっと抱きしめて、あくまで穏やかな声で――だが、甘やかすことなく事実を告げる。


「仕方が無い――という言葉で片付けるには、人の命を奪うことは容易くないよね……でも、私たちが戦って守れる命もあるの。だから今は気をしっかりもって、一人でも多くの命を救わなければいけないの」


 姉の胸に顔を寄せながら、ミリエルはグっと唇を噛んでコクっと頷いた。その小さな背をもう一度抱きしめてから、クリシュは立ち上がった。


「崖道を上って来ている兵士たちの前に放った炎の壁がもうじき消えます。そうすれば、崖道の四段目まで突破されるのは時間の問題です」


 一度言葉を切り、周囲に集まる近衛騎士たち全員の顔を見渡し、大きく頷く。


「親愛なる火龍の首飾り《ガルフィネアス》近衛騎士団の皆さん。情けない立場である私を受け入れ支えて下さった砦町の民を守り、騎士団の仲間を見捨てることなく最期まで戦い抜きましょう」


『はいっ!』


 クリシュの言葉にその場にいた全員が頷いた時、崖下を見張っていた団員の一人が声を上げた。


「姫様っ! 炎の壁の収束によって三段目の崖道を突破した敵一団が、四段目に残った娘たちが逃げ込んだ家屋を包囲しようとしていますっ!」


 その声にクリシュが『崖側には近づかないように』というジルとの約束も忘れて、崖下を望むが角度的に四段目の崖道を駆け上がってくる敵兵の姿は見えたが、崖壁に寄ってラクアの攻撃を凌いでいるという報告を受けた近衛兵の姿は見えなかった。

 一人だけ退避に成功した団員が担架を持った救出部隊と合流するのが見えたが、彼女たちもすでに包囲されかけている仲間を迎えに行くべきか躊躇っているようだった。それを見て、すぐに増援部隊を編成するために声を上げようとしたクリシュだが、先ほどの報告を思い出して動きを止めた。


「崖道四段目の家屋……まさかっ!」


 クリシュが作戦指揮の補佐をしていたジル=カーティスに目を向けると、ジルは神妙な面持ちで首を縦に振った。その答えに目を見開いたクリシュは、震えるほどに握り込んだ手をブルブルと震わせて呻いた。


「なんてこと……」


                ◇◆◇


 リタたちが逃げ込んだ家屋には家具などは残っているものの、生活に必要な主な品々はすでに持ち出されていた。それでも、ここに人が暮らしていた温もりと思い出があるのを感じて、リタは戦争というものがこういったものを理不尽かつ無慈悲に奪っていくことに憤りを感じていた。


 ユーニンと共に部屋の奥まで辿り付いたリタは、部屋の奥に置かれていた工具箱くらいのサイズをした箱を背中に隠して座り込んでいた。

 しばらく轟いていた海戦型龍騎兵(ドラグーン)の攻撃による地響きがピタりと止み、代わりに幾つもの軍靴が近づいてくるのを感じた。



 最初に死んだウィンディー=ゼラとは、侍女時代からの付き合いだった。少し子供っぽいところのある子だったが、仕事は真面目でいつか素敵な花嫁になりたいと言って笑っていた。


 リタたちを助けようと駆け寄ろうとして死んだ近衛兵。

 彼女の名はリンディ=ヘイロウ。

 危険な役回りだと知りつつも真っ先に志願して、罠の作動役として崖道二段目に待機する任に着いた娘だった。その責任感の高さから、リタと負傷したユーニンを置いて逃げることなど彼女の頭にはなかったのだろう。


 そして、最後まで残ろうとしてくれたクロナ=ユディン。

 侍女としても近衛騎士としても古株で、ミリアン=カーターと選任騎士の座を争ったこともある秀才。人一倍責任感が強く今回の役回りにしても、志願することをリンディに遅れを取ったと真剣な顔で悔しがっていたのをリタは覚えていた。


 

 扉には備え付けの鍵などはなかったので、竈にあった引っかき棒を閂代わりに扉と壁の間を跨ぐように設置して固定した。

 その扉の前に来た帝国兵たちが、扉を破ろうと小銃の銃底で扉を殴打する衝撃と音が二人に伝わってきた。リタは後ろ手に持っていた箱を、壁にもたれ掛かるユーニンの手に渡した。驚いた表情でリタを見つめるユーニンだが、リタが静かに――だが、力強く頷くとユーニンもまた大きく頷いてリタの手をぎゅっと握り締めた。


 そして遂に扉が打ち破られ、戦場で着る戦闘服に身を包んだ帝国兵が十数人が小屋へと雪崩れ込んできた。兵士たちは部屋の中にリタとユーニン二人しかいないことを確かめてから、改めてリタたちに銃を向けた。


「立てっ」


 その声にリタが立ち上がり、ユーニンに目配せをする。


「彼女は足を負傷しています。手当てを」


 リタのその言葉に先頭に立っていた兵士が目を細め、後ろを少しだけ振り返って周りの兵に聞こえるように声を上げた。


「おい。姫様付きの近衛騎士様はよほど頭の中がお花畑らしいぞ。散々俺らをコケにして殺してきた癖に、自分が捕まったら仲間を手当てしろだとよ」


 周囲の兵がそれに乾いた笑いを発すると、ニヤニヤとしていた兵士が目を剥いてリタの腹部に銃底を叩き込み、たまらず膝を折ったリタの頭を銃底で殴りつけた。


「ふざけんなよっ! てめぇらは降伏したって全員嬲りものにした挙句に殺してやる!」


 

 そう息巻いて、倒れ伏し嘔吐して咳き込むリタの頭を硬い軍靴で踏みにじる。そんな扱いを受けながらも、リタは口の端に笑みを浮かべた。


「だ、大丈夫……言ってみただけよ」


 その言葉を不審に思い、壁にもたれ掛かっていたユーニンを見る。そして、彼女が縛られているわけでもないのに、まるで何かを隠すように腕を腰の後ろにやっていることに気づいた。加えて、薄暗い中ではっきりとは見えたわけではなかったが、彼女の後ろから黒いワイヤーが左右に伸びて穴を開けた壁を抜けて外に続いているのも確認できた。

 そのワイヤーは壁から外に出ると、偽装のために浅い地中に埋められて四段目に並ぶ五つの住居へと続き、それぞれは家屋の真下の地中に埋められた何かに繋がっていた。


 それが何であるかに気づいた時、先頭の兵士が意味不明な叫びを上げ、逃げるべきかユーニンを撃つべきか逡巡している内に、ユーニンは気丈に微笑みながら腰の後ろでそれの作動レバーを押し込んだ。


 それはこの四段目の崖道に並ぶ、全ての家屋の床下に設置された爆弾の起爆スイッチだった。


 白い閃光が薄暗かった家屋の中を一瞬にして光で塗り潰した。そして、帝国兵たちは驚愕と絶望に塗り潰された表情で、リタとユーニンは二人とも穏やかな表情で、それぞれ対照的な表情で光に呑まれていった。


 一瞬の閃光の後に、五つ並ぶ家屋の全てが凄まじい轟音と共に吹き飛び、帝国兵百数十人を巻き込んだ爆発は崖全体を揺らした。そして、その光景を両陣営が崖の上と下でそれぞれに呆然とした表情で見ていた。



              ◇◆◇◆◇◆◇



 崖を揺らすほどの爆発は、湾の中ほどに浮いている指揮艦にいたゼミリオの元にも爆音と共に届き、爆風とそれに伴う衝撃がゼミリオと艦自体を揺らした。


 今までの報告を聞く限り、あの四段目の崖道で逃げ遅れていた忌々しい姫の腰巾着どもが自ら自爆した結果、目の前の光景が起こっているということになる。それが真実であるならばゼミリオは相手を侮っていたことを認めざる得なかった。


 侍女上がりの近衛騎士団。

 ただのお飾りで――死ぬ覚悟はおろか、戦う覚悟すら本当にあるのか疑問に思っていた。だが、結果はどうだ。飾りだと思っていた侍女騎士は百人以上の兵を巻き込んで華々しく自爆。ゼミリオどころか、兵全体が受けている衝撃も軽いものではない。


「ゼミリオ様っ! 後発部隊のラクアから通信が入りました。後方をご覧くださいっ!」


 通信士の声に後ろを振り向くと、そこにはゼミリオにとって希望の光があった。


「へ、へへっ……やっときやがったか」


 輸送艦二隻と揚陸艦二十隻が煌々と光を照らし、さらに湾内に潜行していたラクアが浮上を始める。湾に展開した増援のラクアは約三十機。

 そして、輸送艦が湾の中ほどまで入ってきたところで、輸送艦の甲板に乗っていたモノの目に光が灯る。赤い光を放ちながら立ち上がり、先頭の機体から身を屈めて力を込めて一気にそれを解放した。


 単座式陸戦二型龍騎兵アレスが、自身の持つ跳躍能力を遺憾なく発揮し、岸までの数百メートルを跳躍して港へ次々と降り立っていく。その数十五機。

 港に上陸を果たしたアレスたちは、さらにその推進力による機能を垂直跳躍という形で発揮して瞬く間に崖の頂上へと到達した。


 そのあまりにも呆気ない頂上への到達に、ゼミリオは呆れながらもこの戦いの勝利を確信した。最初からアレスを投入出来ていれば、今のように攻略は容易かったのかもしれないが、あの幻影火龍やゴーレムの存在に厄介な罠があったことを考えれば、少なくともゼミリオにとっては安い代償だったと言える。


 仲間の自爆劇という衝撃から完全に脱することが出来ていなかったクリシュたちは、敵増援の到着から瞬く間に頂上への到達を許してしまった。

 六メートルの巨躯が辺りを見渡すように、赤く大きな目にあたる部分をギョロギョロと動かして、まるで何かを探しているような動きを見せる。そして、近衛兵たちが護るために周囲を固めていたクリシュを探し出すと、機械的な駆動音で体の向きを変えてクリシュへと向き直る。


『クリシュ殿下とお見受けする』


「いかにも、私がクリシュ=リアスカ=イニス=サーディアスです」


 毅然とした表情で答えるクリシュに、拡声器で増幅された声音でアレスの搭乗者が話を続ける。


『貴女様の身柄を拘束させて頂く』


「それは誰の命令でしょうか?」


『アレス城の現城主、サウル=パンディア卿の御命令でございます』


 その答えにクリシュは目を細め、抱きしめていたミリエルの背を硬く抱いた。


「お断りします。あのような恥知らずな者の元へ投降する理由など……私にはありません」


『ならば、貴女様に頷いて頂けるまで貴方様の部下に死んで頂きます』


 その狂気じみた警告に身を硬くするが、クリシュの周囲を囲む火龍の首飾り《ガルフィネアス》たちが抜き放った剣を構えて、覚悟は出来ていると意志を示すようにアレスを睨んだ。そんな彼女たちの行動にクリシュも改めて覚悟決めてアレスを睨みつけた。

 そんな彼女達の行動に、アレスの搭乗者は困った困ったと機体を左右に振ると、更に残忍な警告を告げた。


『では、この砦に付近に住んでいた住民たちを一人ずつ火炙りにすると言っても、貴女様はそのような頑固なことを仰っていられますかな?』


 無情にして人の考える所業ではないと、クリシュは顔を青ざめさせて体をふらつかせた。その背をミリエルが姉の背を抱きしめて支え、直近にいたジルもクリシュの背を支えてアレスを睨みつける。周囲にいる火龍の首飾り(ガルフィネアス)の誰もが、相手の非道にして卑怯な行為に歯噛みして悔しさと悲しさを露わにしていた。


『そうです。大人しく従っていただ――』


 アレスの搭乗者が改めて投降を警告しようとした時、崖とは反対側に位置する密林から巨大なモノが飛び出し、砦の横を通り抜けてクリシュたちの横二十メートルほどの位置に――何かが降りてきた。

 

 それは一体の龍騎兵(ドラグーン)アレスだった。


 その突然の出現にクリシュも交渉に当たっていた搭乗者も驚いたが、奇襲部隊の話を事前に受けていた搭乗者はすぐに警戒を解き、声を掛けようとしたが――そこで異変に気づいた。


 情報では奇襲部隊は三十機だが、目の前に飛び出してきた一機しか出てくる様子が無い。

 しかもその一機は、まるで道なき道を死に物狂いで跳躍し続けてきたようで、全体的に汚れており脚部は負荷の掛け過ぎで煙を噴いていた。

 そして何よりも不審なのは――通信機から聞こえてくる声だった。



『あいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクルアイツガクル――っ』



 延々とそう呟き続けているのだ。

 得体の知れない恐怖と不気味さを感じながらも――とにかく声をかけようと、通信機の信号を換えて声を掛けようとした時――通信機から凄まじい絶叫が轟いた。


『アイツがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁキたぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァ――――』


 その耳をつんざく絶叫は途中で途切れることとなった。


 突如そのアレスの頭上から巨大な戦斧槍(ハルバード)を垂直に構えた男が、奇襲部隊のアレスの頭頂部に巨大な戦斧槍(ハルバード)を落下する勢いそのままにぶち込んだ。ほぼ押し潰されるような形で上半身を搭乗座ごと潰されたアレスは、圧壊して割れた機体から搭乗者の体液を噴出しながら崩れ落ちる。


 そして、それを成した黒ずくめの男は、残骸から戦斧槍(ハルバード)を引き抜き、自分を見つめるアレスの赤い目に向かって獰猛な笑みを浮かべるのだった。


 

 

前書きと後書きを活動報告にて書いております。

よろしければ、本文読後にお読みください。

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