第一章6-バーン砦防衛戦・前編-
前書きと後書きを活動報告にて書いております。
よろしければ、本文読後にお読みください。
海へと沈む太陽の黄色がかった斜光を浴びて、バーン砦の黒い表層が明るく照らされ、その分黒い影を大きく伸ばしていた。
砦から望む三日月形の湾には、金槌を打つ音や資材を持って走り回る近衛隊と砦町の住民による喧騒が慌しく響いている。
人々は港の防波堤を改造して即席の対弾防壁を築いたり、港にある建築物を破壊してその建材を砦へ続く崖道に運んだり、島外から持ち込んだ爆薬を仕掛けたりと大いに忙しく動き回っていた。
砦の崖沿いでその様子を見ながら、この砦の責任者たるクリシュは陣頭指揮を執るために報告にくる近衛兵から報告を聞いて、手元にある書類を捲りながら指示を出していた。
「――はい、それで結構です。ジラさんのお住まいにはその分量を設置して下さい。――いいえ、必ず床下に埋めて設置して下さい、建物は恐らく伏兵を警戒されて真っ先に破壊されてしまいますので」
「了解しました。姫様」
メモ書きをした近衛兵――火龍の首飾り《ガルフィネアス》の侍女騎士は敬礼をして、崖下へと続く崖道に向かって走っていった。その後ろ姿を見送って、手元の資料を確認する。
十数枚に及ぶ洋紙にはこの砦を防衛するための方策が細かく提案されており、その手段についても細かく記載され、文字だけでは難解な仕掛けや作戦については明解な図まで明記されていた。その中からクリシュと近衛隊、そして砦町に住む住民たちが相談を重ねて、残された時間内に実現可能なモノを物資と相談しつつ精査し、数日前から砦防衛戦に対する準備を、クリシュを慕う者達が一丸となって行っていた。
作業の進捗状況を確認しているクリシュの元へ、また一人の近衛兵がやってきた。そしてクリシュの前に立ち敬礼した近衛兵は、あの第二作戦会議室でクリシュに最初に傅いた近衛隊の長たる人物――ジル=カーティスだった。
「クリシュ様、砦外壁の補強作業は日没までには終わりそうです。湾側の進捗はいかがでしょうか?」
「ご苦労様です。港での作業はほぼ完了しました。崖道は特に手を加える部分が多いので、まだ完了していません。でも、持ち場の作業を終えた方々が随時作業に加わって下さっているので、こちらも日没までにはほぼ作業が完了しそうです」
寄せられる報告に私見の予測を混ぜつつ話すと、ジルは頷きクリシュと共に港へと続く崖道へと視線を向けると、そこには一心不乱に作業をする近衛隊と砦町民の姿があった。女性しかいない火龍の首飾り《ガルフィネアス》にとって、砦町に住む屈強な漁師たちの助勢は大いに助かっていた。
この数日間で砦周辺は限りなく即席だが、彼女たちにとっては考えもつかない方策の数々によって、もうじき押し寄せる敵軍に対しての備えがなされている。だが、最終的にこの砦を死守できるかどうかは彼女たち自身の力にかかっていた。
作業が行われる港、崖道、砦……その何処にも黒い髪と黄金の瞳を持った黒ずくめの姿は見当たらなかった。
「クロウシス様はお一人で行かれましたけど、本当に大丈夫でしょうか……?」
この防衛作戦の発案者である人物の姿を思い浮かべながら、ジルがその行方について案じていると、クリシュがクスクスと笑いながら笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ、あの方なら大丈夫です」
「クリシュ様……?」
ひとしきり可笑しそうに笑うと、クリシュは目尻に浮かんだ涙をそっと拭った。
「ごめんなさい……でも、あの方なら大丈夫って思うと、妙に納得出来てしまう自分がいるんです。まだ出会って間もないのにですよ? なのに、私は『あの方が居れば、きっと何とかなる』って、そう思える――いえ、感じているんです」
胸に手を置いて、これから始まる命をかけた戦いに不安と恐怖が渦巻く胸中に、あのクロウシスという不思議な力と存在感を持つ人物が居てくれることが、この上ない安心材料となって震える心と体を抑えて、この場に留まらせてくれていた。
そんなクリシュの気持ちを察してか、ジルも少しだけ笑みを浮かべて海の方へと目を向ける。
「そうですね。あの方の纏っている雰囲気は計り知れないところがあります。もしかして魔族なのではないかと疑いもしましたけど、トリヴァ様がお懐きになられている時点で、その可能性もありません。巫女で在らせられる姫様から見ても――?」
「はい、あの方は間違いなく人間です。魔力を行使できる御力は感じますし、シャプールのダバンからあの方が魔道師を名乗り、魔法を行使するところも目撃した、という報告を受けています。ですが、龍騎兵を打ち倒すほどの魔道師であれば、大陸でも名を馳せているはずです。でも、皇国時代の宮廷魔道師に師事していた私も、あの方のお名前も存在も知りません……」
考え込むクリシュに、ジルは内心安堵のしていた。
人間は絶望や窮地の時ほど希望を欲しがる生き物だ。
溺れる者は藁にも縋るし、心の琴線が敏感になり、それでいて不安定となる。
昨今のクリシュはまさにそうだっただろう。そんな折に現れた謎の人物。
只ならぬ容姿に只ならぬ雰囲気。
そんな人物を自分が助けたとなれば、薄弱した精神は都合の良い幻想を希望にすり替えて頼ろうとしてしまう。正直なところ、彼を拾ってきたクリシュ姫は舞い上がっていたし、白龍トリヴァリアスアルテミヤが彼に対して尋常ではない懐き方をしたことが、そのことに拍車をかけた。
出所不明の正体不明な人物に心を開き、まるで恋をする乙女のような振る舞いすら垣間見せる精神的な幼さゆえの弱さを見せるクリシュに対して、心配する声と共にクロウシスの存在を危険視する声も上がっていた。
だが、彼の砦内での行動は、一貫して作業に対する直接的な助力と知恵を貸すことに終止し、実質見張りとして付けた二人からも印象は同じもの。そして受ける印象と感じる雰囲気は、まさに得体の知れない何か――だった。
そんな中で起こった変化。
助けた日の夜と翌日は前記の通り、このままでは彼に対して軽視できない依存すら見せそうだったクリシュ姫が、まるで違う変化を見せたのだ。
前日まではクロウシスの事を逐一御付の秘書官や侍女に聞いていたのに、急に落ち着いた態度を見せて、何処か心中に懊悩を抱えたような表情で日々の執務をこなしていた。
クリシュ姫の様子が変わったのは、屋上の見張りをしていた者達の証言から屋上に居たクロウシスの元へクリシュ姫自らが訪れて、二人で長い会話をした後からだった。その事を聞いて、ジルは我慢ならずクロウシスの元へと赴き、そこで何があったのかを説明するように詰問した。だが、クロウシスから帰ってきたのはそっけないとも思える言葉だった。
『この二年間のツケをどう払うか、それをクリシュ自身が考えているのだ。あの姫を信じているならば、答えを出すまで待つがいい』
それだけで納得するわけにはいかないはずだった。だが、彼の言葉を信じるならば、クリシュが今抱える悩みは、部下である自分たちが決して言えなかった進言――それを受けたことによる懊悩なのだと理解すると、ジルにはそれ以上のことは言えなかった。
本来なら無礼と危険を承知の上で、彼女にそれを進言すべきは自分たち――否、近衛兵の長たる自分の役目だったのだ。
だが、どうしてもジルには――。
クリシュに――あの姫君に『立ち上がり、立ち向かえ』と言うことが出来なかった。
そしてクリシュは自らが抱えた二年間の懊悩に決着をつけ、自分本来の在り方を取り戻すべく立ち上がった。それどころか皆の先頭に立ち、導こうとすらした。そのことにジルたちは歓喜し、待ち望んでいた――都合の良い展開に乗った。
そのお膳立てをしたのが誰かなど、もはや考えるまでもなかった。
彼女たちは彼を信じるしかない。
彼が何者であるか――?
本来ならこの上なく重要なことだが、今はそんなことは些細なことだと思える。
きっと真のカリスマとは、ああいうものなのだろう。
その存在そのものが謎であっても、否応なく人心の取り込み引き寄せて止まない。
だから彼女たちは、主と共に彼――クロウシスの導きに従い、彼女たちの戦いをすることにした。
「クリシュ様。私は、もうあの方が何者であるのかを詮索するのは止めようと思います」
ジルの意外な言葉に驚き目を丸くするクリシュに、ジルは続けた。
「あの方が何者であろうと、我々の味方でいてくれる――それ以上の事実は今はいりません。私たちはそう思っています」
その普段の彼女らしくない発言にクリシュは目を瞬かせると、ゆっくりと微笑を浮べた。
「私も――本当はそう思っていました」
クリシュは戦いに向けての準備が進む急いた空気の中で、湾とは逆側に振り返る。目の前には巨大な砦が鎮座しているが、彼女が見ているのはその更に向こう側――バーンアレス島を覆う密林へと視線を向けて静かに祈った。
◇◆◇◆◇◆◇
過去の噴火によって堆積した溶岩流の名残を蹴り、クロウシスは密林を移動していた。
砦を出て数時間、もう日は落ちて密林には夜の帳が降りている。周囲からは夜行性の動植物の息吹が感じられ、昼間とはまったく違った剥き出しの野生の匂いが周囲には満ちていた。
目印の巨木までもうすぐの距離にいることを確かめて、森を駆け、沢を渡り、谷を跳んだ。
本来の姿になり飛べば十数秒の距離だが、人間の姿で走れば数時間を要する。まったくもって人間とは非力で不便に出来ていると思う。
肉体的な脆さと精神的な惰弱さを持ちながらも、底知れない知恵と揺るぎない団結を持って他種族にない地位を確立し、繁殖と繁栄を誇ってきた。
その人間の体に仮にではあるが身を没し、思うことは色々とある。
本来の体とは比べるのも馬鹿馬鹿しくなるほどに非力で不便な体だ。
疲労は通常の人間に比べるとかなり蓄積が遅いが、それでも体に慣れる内に徐々にではあるが感じ始めている。食欲や睡眠欲といった原始的な欲求も僅かながら感じ始めていた。
それに伴う僅かな違和感に脳裏がザラついた。
だが、今はそれを振り払いとにかく駆けた。
今はあの砦にいる人間たちの協力者という立場だ。我ながら気安い態度だと思うと、僅かに自嘲の笑みが口元に零れる。
――あの姫を、あの僧正巫と重ねているのか?
馬鹿なことを、と思う。
単に受けた恩を返すというだけだ。
確かにあの姫に関してある意味――気になることもある。
それは恐らくこの島の本来の主、十年前に討伐されたというドラゴンに大いに関係のあることだろう。だが、それもいずれは分かることだ。だから今は目先のことを片付けよう。
視界の端に密林から空へと突き出た、高く黒い巨木の陰影が見えた。
目的地が近いことを確認し、方向を修正して最後の沢を越える。
◇◆◇◆◇◆◇
密林の中を自然と調和の取れない歪な存在が移動していた。
全高6メートルほどの機械の怪物。
二足歩行を行い腕の無い形をしており、上半身の重さを前方に荷重を流すようにやや前傾姿勢で密林の中を走っている。
単座式陸戦二型龍騎兵――アレス
その数およそ三十機。
統制の取れた一列行進で、鬱蒼とした密林の中を事前に調べたルートを通り行軍する。
その中の一機に搭乗する――ジノン=ロックは後悔と義憤に塗れていた。
ジノンは元々このバーンアレス島出身で、クリシュが善政を敷いていた頃には将軍としてアレス城の警備を束ねる要職にあった。しかし、二年前のサウルたちによる裏切りによってクリシュが城へと戻れなくなったことをきっかけに、城内の様相は一変しジノンもまた家族を人質にとられて従わされていた。
あの日、クリシュの頼みで定期的に行っていた猟区の見回りを終えて城に戻ると、城内に入ったところで囲い込まれ拘束された。その時にはすでに城内の大勢は決しており、元々クリシュの忠臣だった官と兵は捕らえられ、サウルによって利用価値があるとされた人間は家族や仲間を人質にとられていた。
城内に残っていた僅かな火龍の首飾り《ガルフィネアス》近衛隊騎士団の団員を除けば、クリシュにとって一番の忠臣であったジノンに対し、首謀者の一人であるゼミリオは処刑することを提案したが、高潔な者ほど跪かせ醜態を曝け出させたいとするサウルはそれを拒み、ジノンの家族を城内深くに幽閉し、ジノンに対してその命乞いと忠誠を迫った。
自分の矜持と家族の命ならば比べるまでも無く、ジノンは跪き――だが、サウルが望むような情けなくみっともない姿を晒すような真似はせず、ただ頭を下げた。その態度が癪に障ったサウルはジノンを嬲るように脅したが、いざとなれば家族と共に死ぬ覚悟がある――という、ジノンの意思と迫力に気圧されてその場は収まった。
「アレス城にその人ありと謳われた名将ジノン将軍が今や私めの部下とは、いやはや感慨深いものですなぁ」
龍騎兵同士のみ可能な通信装置を使い、ジノンの乗る龍騎兵の搭乗座にこの部隊を率いるまだ若い上級戦兵の声が聞こえてきた。嘲りと含みに満ちた声音に、他の機体からも笑いを堪えるような声が洩れてきていた。
「……」
ジノンはその軽く安い挑発と嘲りなどには一切動じはしなかった。
その様子と態度に隊長の男は小さく舌打ちをするが、それ以上の挑発はしてこなかった。サウルからはジノンが不審な行動を起こした場合、即座に龍騎兵の動きを止めることのできる装置を持たされている上に、家族を引き合いに出せば滅多なことでは裏切ることは無いと言われている。
隊長の男が強制停止装置の確認をしている中で、ジノンは自分の立場とこれからの状況について思いを巡らせていた。
ジノンはサウル一派によるバーン砦攻略戦の奇襲部隊の一員として、龍騎兵アレスに搭乗し砦へと向かっていた。部隊の構成員はジノンを除いて全員がサウルの息の掛かった兵であり、本来将軍の身分にあるジノンも一兵卒の扱いで、自分よりも遥かに若い戦兵の指揮下に入っている。
皇国から帝国へと国号を換えて以来、帝国は中央大陸の各国を武力により平定していった。その原動力となったのが、この龍騎兵だ。時折発見される古代の遺物の中でも一線を画した存在であったが、動く見込みがなく当時の宮廷魔道師たちによって『禁忌』の存在とされていたが、現皇帝で当時まだ皇太子であったヴェスパルによって秘密裏に研究が行われ、結果的に龍騎兵の稼動に成功した。
だが、この龍騎兵が英霊精龍の眷属であるドラゴンたちを殺し、その体内にある龍玉を動力源にしているという情報が洩れると、元々ドラゴンに対して信仰心の厚かった地方の民衆は大いに反発した。
古くから英霊精龍焦熱の火山・バーンアレスの住処であった。この島出身であるジノンもまた、敬謙な火龍信仰の徒であり、その火龍の眷属から奪った龍玉で動く龍騎兵に乗ることは自ら神を踏みにじる行為に等しかった。
バーン砦攻略戦の本隊は現在海上から南端の湾に向かって進攻している。ジノンたちの任務は本隊との戦闘が開始後に、砦裏手の密林からの奇襲攻撃。クリシュたちは砦が崖の上にあるという地の利を活かし、最終的には港を捨てて砦のある崖から上に登って来ることを防ごうとするのは目に見えているので、そこを背後から陸戦型の龍騎兵で襲えば大勢は即座に決するだろう。
そうならない為にジノンは自分に出来ることを考えるが、性根の腐った者達で構成されたこの部隊の人間が自分の言葉に耳を傾けるとは思えなかった。かといって、龍騎兵の扱いに関しては特別な訓練を受けているわけではないジノンが、他の29機の龍騎兵を倒すことなど出来るはずもない。
そしてあの狡賢く忌々しい姑息な貴族の若造が、自分を龍騎兵に乗せて何も対策を施していないとも思えなかった。砦に着く前に行動を起こすべきだ。だが、29機の内の数機を倒したところで状況に大きな変化はないだろう。そう考えれば、チャンスは砦で乱戦となってからになるのだが、クリシュの気性を考えれば、背後からの奇襲を受けて砦を抑えられれば即座に降伏しかねない――そうなれば全てが手遅れとなる。
(昔はやんちゃな所のある姫様だったが、八年前のアレ以来――すっかり大人しくなられてしまわれた……あの方の背負われた宿命を思えば当然の事とはいえ、御労しい)
幼い頃のクリシュを思い浮かべ、今の大人しくも何処か情緒不安定なところがあるクリシュを思うと、その原因となった出来事に悔恨の念が浮かんだ。
だが、もはやそれを言っても詮無きことだった――生きている以上は、過去よりも現在をどうするかを考えなければいけないのだから。
ジノンは操縦桿を強く握り、眉間に深い皺を作った。
◇◆◇◆◇◆◇
その夜の空は雲が多く、いつもは明るく深い闇色をした海を照らす月光が、雲の狭間から時折顔を覗かせ、途切れ途切れに差し込む淡い斜光が断続的に海の様子を窺わせていた。
その静かな夜の海に、いくつもの陰影が揺らめいた。
湾の入り口部分に大軍を為しているのは、一隻に数十人の人間を乗せた揚陸船だった。元々サーディアス帝国が最初に得た龍騎兵が海戦型だったことも起因しており、その海軍力と技術は非常に高い。中央大陸沿岸に存在する街を片っ端から制圧していった要因の一つが、この揚陸船だった。帝都直下の海軍には揚陸艦も存在するが、主流となっているのはこの小型の揚陸船だ。
数十人の兵を乗せた揚陸船団の第一陣がスピードを上げて、湾内へと侵入してきた。湾内は異様に静かで、砦付近にかがり火が焚かれているだけで、港には明かりの一つもなかった。
「臭いな……偵察の話だと、連中ここ数日の間に港と砦に大掛かりな補強をしてたはずだ。なのに砦にも港にも人影すら見当たらないってのは、どういうことだ……」
その不審なほどの静けさに、沖合いの指揮艦にいるゼミリオは顎に手をやり考え込む。
クリシュたちの動向を探らせていた部隊からの報告では、決戦を予期したクリシュたちが砦と港の防衛機能にテコ入れをしていたはずだ。
現に前回来た時にはなかった櫓のような構造物が港内にある。
この土壇場で全員が作業に疲れて眠っている、などという落ちがあるはずがない。ならば、考えられるのは罠を仕掛けて待ち受けているということだ。
「第一陣は5隻だけ行かせろ。それで様子を見る」
ゼミリオの指示はすぐさま点滅信号で揚陸船団に伝えられ、中継された信号が湾内に侵入していた10隻に打診された。そしてその中から5隻の揚陸船が速度を上げて、港の縁へと猛然と向かい始める。その間、一番ゼミリオたちが危惧していた港の波止場に置かれている防衛装置も沈黙を守っていた。
そして5隻の船は、船の先端に取り付けられているシールドごと港中央の波止場に激突し、止まったところで船の前部が前側に倒れ、それぞれの船から20名――総勢100人前後の兵士が呆気なく上陸を果たした。
「……あぁ?」
あまりに呆気ない上陸成功にゼミリオは一瞬眉を顰めるが、攻める側の自分たちが一々相手の行動にビクついていては落とせるものも落とせないと思い、そのまま残りの揚陸船にも上陸の指示を出した。
「海上からは狙えねぇーだろうから、下に指示を出せ。とにかく港の防衛機構は破壊しろ」
数十の船舶が湾内へと雪崩れ込んでくる中、船団の先頭が港中央の波止場までもう少しというところまで入ったところで――遂に動きがあった。
港の両サイドの波止場にそれぞれ10基ずつ配備されていた火龍を顔を模った防衛機構――通称『火龍の吐息』が速射砲のような炎弾を次々と発射し始めた。
だが、それは狙いを定めて撃っているとは言い難い精度で撃たれており、ただ闇雲に定められたペースで弾を吐き出しているような状態だった。しかし、それでも威力ならば龍騎兵アレスの撃つそれに匹敵する炎弾は、侵入してくる揚陸船のいくつかに直撃し、乗員諸共海の藻屑としていった。
港を囲う両サイドの波止場から撃ち出される炎弾の火線に揚陸船の何艘かが火達磨になる中で、海中から射出された猛烈な水圧によるウォータージェットが火龍の吐息に直撃し、火龍を模した像のいくつかを粉砕した。
それを為した存在が海中から浮上してきた。
最初に現れたのは長い首、海龍種の造形で作られた頭部には青く光る眼とは別に、一角獣のように額から伸びた角があり、その先端が青い光をぼうっと幽鬼のような光を放っている。体は首長竜そのもので、全長10メートルの巨躯に長い首を持ち、四肢は全て鰭になっている。
サーディアス帝国海軍主力兵器・複座式海戦型龍騎兵――ラクア。
湾内に次々と長い首と頭を出すその数は、五十を超えていた。
ラクアは口腔から射出する強力なウォーターカッターで 火龍の吐息を破壊しようとするが、今まで無軌道に炎弾を放っていた防衛装置は急に意思をもったかのように台座を動かし、射角を調節してラクアを狙って炎弾を放ち始めた。
放たれる炎弾の直撃を受け、ラクアの頭部や胴体が爆発する。しかし、ラクアのウォータージェットも負けてはおらず、波止場に敷設された火龍の吐息を次々と破壊していった。
その間に揚陸艦が次々と中央波止場に着岸し、中に乗っている兵士が次々と上陸を果たしていた。すると、港周辺を探索する兵士たちが崖の上を見た時、周囲にどよめきが起きた。
状況を理解できていない兵士が、他の皆に倣い上を向くと、そこには――巫女がいた。
火に包まれた船舶に防衛機構と龍騎兵が港をやや明るく照らす。その中でもっていまだ多くのラクアが港から湾へと浮かび上がり、揚陸船が港への接岸を続ける。
遂に始まった砦への侵攻を前に、クリシュは火龍の巫女としての衣装に身を包み、錫杖を手に崖下の景色を見下ろしていた。その周囲には赤い制服に身を包んだ火龍の首飾り《ガルフィネアス》近衛騎士団の団員数名が守護している。
「姉様。あたしも準備できたよ」
「――はい。ではミリィ、いきますよ」
「うん」
いつもは元気な妹の神妙な態度に少しだけ表情を柔らかくして頷くと、クリシュは崖下に向かって声を張った。
「志無き者たちよっ! 貴方方は自分たちのしていることがどういうことかっ、その答えを真剣に省みて、父母と自分自身に誇りが持てるのですか!? それを考えた上で争いを続け、まして考えることすら放棄してここにいるのであれば――」
そこで言葉を切り、クリシュは錫杖を振るい両手でクルクルと回転させる。すると、錫杖の先端についている火龍の眼を模した赤い宝石が赤く燃え始める。そして、その炎が十分に大きくなったところで、錫杖を崖下の櫓に向けて振るった。
錫杖から放たれた炎は尾を引く流星のように闇を切り裂き、建てられた木造の櫓に炎が直撃すると、凄まじい爆発が起きた。
爆炎で櫓が土台ごとが吹き飛び、荒れ狂う炎が周囲の空間を舐めるように暴れた。そして一頻り無軌道に暴れた炎は、まるで意思があるかのように収束し始め、やがて一つの明確な形へと転じる。
それは――
「か、火龍――」
「火龍の……火巫女」
兵士たちに動揺が走っていく。
クリシュによって放たれた炎が形成したその姿は、このバーンアレス島に住む火龍の化身だった。炎を本体とした龍の幻影がゆらりと立ち上がる。噴き上がる火柱を胴体に、火柱の先端に周囲の炎よりも赤い目がカッと開き、港に上陸している兵士を見下ろしている。
「――偉大なる英霊精龍にして我らが神の御霊が眠るこの地を荒らし、その信徒である我らに危害を及ぼす罪に対し、火龍の巫女として――貴女方を罰します」
その宣言と共に燃え上がる火龍の化身は、炎の胴体を伸ばして周囲にいる兵士たちを呑み込み火達磨にしていった。
「う、うわぁぁぁっ!」
「火龍だぁぁぁぁぁっ!」
「ひっひぃぃぃぃ!!」
この世界に住んでいて、ドラゴンの眷族やそれに類するものに畏怖や敬愛を持たない者は少ない。そういった感情や思想を打ち消すことも含めて、帝国は龍狩りを行ったのだが、それでもなお末端の兵士にとってドラゴンとは畏怖すべき存在だった。
「あの女、味な真似してくれるじゃねーか。おいっあれが何であれ元は火なんだっ! 火龍の吐息を壊してるラクア以外は港の中央に集めて、あの炎をとっとと消し飛ばせっ!」
湾の入り口まで指揮艦を進めたゼミリオが命令を飛ばすと、その旨はすぐに通信装置を持つラクアへと伝えられる。
次々とラクアが港中央の波止場前に集合し、荒れ狂う炎の火龍に向かってウォータージェットを直撃させる。周囲には高温に熱した鉄に水をかけた時の様な『ジュゥゥゥゥゥッ!』という音が反響して、猛烈な勢いで水蒸気が立ち込める。
「姉様、火龍の吐息がもうほとんど壊されちゃったみたいだよ」
「うん。こっちも水蒸気が港の大部分を覆いつつあるから、頃合だと思う。お願いね?」
「うん!」
クリシュとは少しデザインの違うものの、やはり巫女の服を着たミリエルが予め用意していた魔法陣の上に立ち、両手を胸の前でつなぎ目を閉じる。すると、魔法陣がぼうっと光り始め、やがてその光が湾の入り口にいるゼミリオにも確認できるほどの輝きに達する。
その異変は港の最奥に位置する崖道の前に立てられた倉庫で起こった。ちょうど水蒸気の中から幻影の火龍から逃れた兵士たちが駆け出してきて、崖へと続く道を確認していまだ水蒸気の中にいる仲間へ声をかけようとした時、大きな地響きがした。
その兵士らのすぐ近くに建てられている建物の中から、重く巨大な何かが動く気配がした。兵士たちは生唾を飲み建物へと視線を戻すと、凄まじい轟音と共に建物の中からそれは現れた。
全高は5メートルはあり、重量も数トンはある異形の物体。
どこぞの神殿にでも飾られていたのではないか? という技巧を尽くした作りをされており、石の剣と盾を持ったその姿は美しかった。人間の体に龍の首を持つリザードマンのような風体をしたそれは世に言う――ゴーレムだった。
それを制御しているのはミリエル。
彼女は幼いながらも『無機物に意思』を与える魔法に優れた素質を持っており、火龍の吐息に対しても、『港の波止場に10船以上の船舶が到達した場合、攻撃を開始すること』と『特定の(今回の場合は龍騎兵)が発する魔力を感知した場合は、そちらを優先的に攻撃する』という二種類の命令を与えて制御していた。
このゴーレムほどのサイズになると、意識を集中させて付きっきりで制御を行わなければならないものの、幻影の火龍によって動揺している兵たちに対し、異形ゴーレムの登場と間髪入れない揺さぶりに上陸した兵士たちの精神は千々に乱れていた。
「やるねぇーお姫様方。こりゃ被害を気にしているとか言ってる場合じゃないな……」
多少魔法に精通していると聞いていたが、予想外に厄介で大きな力を使ってくる。
連れてきた兵士の四分の三が上陸し、次に上陸させた兵士の三分の一に今被害が出ている状況だ。今だ湾内にいる船舶を含めてここに残っている兵士の数はざっと700人程度。
ラクアの被害は10体にも満たない状況だ。
(見たところ港はほぼ無人だが、そこを逆手にとってあのゲテモノ共を暴れさせるつもりだな。ちっ、これじゃー港で防衛してくる近衛隊や町民を人質にする作戦も使えないわけだ……)
その方法に関しては、かなり初期の段階でアレス城の使用人や城下町の人間を使って何度か試しては見たものの、クリシュたちは人質を使った強迫には一切反応を示さなかった。
冷静に考えればクリシュがサウルたちの手に落ちれば、今以上の悲劇が生まれるのは分かりきったことなので、内心では相当に堪えながらもクリシュたちは耐え忍んできた。
思った以上に苦労しそうな砦落としにゼミリオは口を笑みの形に歪めた。
状況は芳しくないが、実はここにいるのはあくまで先発隊であって、補給の関係で出向を遅らせた後発部隊がすぐに合流する。そうすれば後は物量戦――あちらは兵員で言えば200にも満たないのだから、港を片付ければ後は時間の問題だ。
篭城戦は時間を攻め側に時間と労力を掛けて疲弊させるものだが、果たして時間が味方するのはクリシュだけなのか――答えは、否。
ゼミリオは砦の後方に見える密林の陰影を見て、ニヤりと笑った。
◇◆◇◆◇◆◇
声が聞こえる。
何処かで聞いたことがあるような、それでいて無いような――つまりは曖昧な声。
『クロウシスケルビウス』
クロウシスが眼を開けると、そこは何も無い空間だった。
見渡す限りモノは一切なく、それどころか上下の感覚さえも曖昧だった。
声がするほうに首を巡らせると、そこには黒い輪に囲まれた白く輝く塊が在った。
音も立てずに明滅するそれは、白から青、青から赤と色を次々と変えながら浮遊している。
得てして高次元の存在は、精神世界でこういった光の球体などやたらと造形の曖昧な形態を取る傾向にあるのを、クロウシスは経験則として知っていた。
『クロウシ――』
「聞こえている。我の精神世界にまで侵入して、いったい何の用だ」
相手の言葉を遮って言葉を返すと、光を放つ球体は明滅する速さを僅かに加速させてクロウシスの眼前へと近づいてくる。
『汝の中に秘められし、力の正体に気づいているな?』
相手もまた一切の説明無しで質問をしてきた。その遠慮の無い態度に、クロウシスはニヤっと笑みを浮かべる。
その態度から相手も自分と同じか――それに近い存在であることを確信する。
「それを知っているということは、お前は――」
『気づいているのならばいい。それでこそ、お前をこの世界へ召喚した甲斐があったというもの』
その思いかげず大胆な発言に黄金の瞳を細める。
迂闊とも言える発言だ。
クロウシスとしてはそれに類するか、関する手合だろうとは思っていたが、まさか張本人を名乗ってくるとは思っていなかった。
「貴様は――」
『用事は済んだ。余は去る――が、一つ忠告を与えておこう」
先ほどのお返しとばかりにクロウシスの言葉を途中で切った光球は、振り返るような動作で回転すると、男とも女とも取れないその声音で更に話した。
『汝を呼んだのは確かに余だが、人間の姿で呼んだつもりなどない。現在のお前の身に起きている……汝本来の形態と人間の形態を持つことに関しては、余は無関係だ。それは汝自身の問題なのであろう――人間など愚かで唾棄すべき存在だ。さっさとそのような下等な衣、脱ぎ捨てるがよかろう』
それだけ言うと、光球は闇が支配する世界の果てへと凄まじい速さで飛び去った。後に残ったのはクロウシスのみ、ゆっくりと自分の腕を伸ばして目をやると、そこには人間の手ではなく自分本来の――ドラゴンの腕があった。
そこで初めてクロウシスは、自分が今人間ではなくドラゴンの姿でいることに気がついた。本来の自分の腕、強靭な力を宿した強力無比な体を見ながら、正体不明の光球の言葉を反芻する。
『人間など愚かで唾棄すべき存在』
この世界に来てからまだそれほど時は経っていない――その中で出会ってきた人間たちと、人間という種族の在り様を考える。
「……分かっている。いや――」
そこまで考えたところで、意識の表層が何かに揺り動かされて、構築されていた精神世界が音を立てて崩れ始める。
その様子を見ながら、クロウシスはその崩壊する世界を見渡す。
――見渡す限り闇に支配された世界。
だがそれでも、そこには幾筋かの光が差し込んでいた。
今はそれを信じるしかない――そう思いクロウシスは目を閉じた。
目を開けると、そこには白い顔に銀の瞳を輝かせる白龍の顔があった。
どうやらこの白龍がクロウシスの顔を舐めた事によって、意識が覚醒して精神世界を崩壊へと導いたらしい。
精神世界――それは限りなく夢の世界に近く、決定的に違う存在でもある。
白龍の頭を撫でると、トリヴァは嬉しそうに喉を鳴らして手に甘えてきた。その人間の手を見つめて、クロウシスは先ほどの出来事を振り返りつつ、自分の胸に空いた手を置く。
胸の奥底に息づく意思無き力が脈打っているのが分かった。
自分の中に何故か存在する――この世界の精霊四元素を司りし英霊精龍の力。それには意志は存在せず、記憶すらも残されていない。
まるで精神と記憶が抜け去った抜け殻をクロウシスの中に押し込めたような、そんな印象を受ける強引なる継承だった。だが、ここにきてその継承の中に特定の条件を満たしたときだけ現れる感情の残滓のようなものがあることに、クロウシスはここ――バーンアレス島に来て気づいた。
それは――。
自分の手を見つめていたクロウシスの耳朶に、密林の中を歩く重い歩行音が聞こえてきた。
今クロウシスが居るのは、密林から突き出た巨大な木の枝の上だった。偽装の魔法を施して、転落防止にロープを枝に結んでいた。
眼下に目をやると、そこには木々の切れ間から無粋な金属の塊――帝国の龍騎兵が隊列をなして行軍する様が見て取れた。それがここバーンアレス島に生息していた火龍を基にした機体であり、その動力炉には火龍を殺して得た龍玉が使われていることが脳裏によぎる。
心の弱いものが見れば失神してしまうほどに、凍えるほどに冷たい視線を眼下へと向けていたクロウシスが背中と木の間に挟むようにして置いていた物を手に取る。そして、布に覆われたそれをゆっくりと持ち上げ、同時にクロウシス自身も立ち上がった。
巨木の枝に立ち上がり右手に持つ布に力を込めると、まるで見えない炎に焼かれるように布がクロウシスの手が触れていた部分から焼けていき、その中にあったモノが現れた。
全体的に赤を基調とした簡素な意匠に、戦斧部分はしっかりと切断することを念頭に作られており、肉厚で鋭い光を讃えている。先端の槍部分は巨大な力による刺突攻撃に耐えうるように、長く幅の広い槍刃が取り付けてある。柄の部分も太く頑丈な作りで、いかなる衝撃にも耐え得ることを念頭にした作りとなっていた。
それは紛れも無く、バーン砦の地下にある『第三武器庫』に安置されていたバーンアレスの遺骸で作られた戦斧槍だった。
掛けられていた布を不可視の火によって焼き、己を掴むクロウシスの手から魔力を奪うように吸収して、魔力が戦斧と槍部分の中間点にある赤い宝玉に達すると、まるで覚醒したドラゴンの瞳のように宝玉が赤い輝きを放つ。
「トリヴァリアス。懐の奥に潜んでいろ……決して動くな」
「――キュィ」
クロウシスの静かな声音に応える様に一鳴きすると、腕から這い上がり首の裾から懐深くに潜っていった。トリヴァが身を落ち着けるのを待ち、その場所をポンポンと手で叩くと、クロウシスは眼下を見下ろした。
目論見どおり、この巨木を位置の確認に利用して真下を通過していく龍騎兵の一団の姿がある。魔力を吸い上げて赤い光を放つ戦斧槍は、まるで血を求めている火龍のように猛っていた。
その怒りに触発されたように、クロウシスは戦斧槍の柄を両手で握り込み、そのまま真下へと鏃向けて降下していく。
――殺戮が始まった。
◇◆◇◆◇◆◇
それは突然のことだった。
前から13番目、後ろから18番目を一列の行軍歩行していたルーツ=エリディス下級戦兵の搭乗する龍騎兵アレスが、城と砦の中間地点を告げる巨木に差し掛かったところでのことだ。
ズガァァァァン!
という衝撃音と、もう一つ『グシャッ』という柔らかいものが押し潰されるような音とともに、目の前を歩いていたアレスの丸く肥大した胴体部分が、上から落ちてきた何かによって頂点部が陥没するほど潰され、そこから悲鳴は聞こえずにただ金属のミシミシという圧壊する音だけが周囲に響いた。
あまりの驚きに呆然としていると、潰れたアレスから長い武器の柄の様なものが飛び出ており、それに寄り添うように人影のようなものが佇んでいるのが見えた。視線をその人影に定めた時、その人影が身動ぎして、ルーツは――見てしまった。
黄金の輝き。
禍々しいまでに闇の中で輝き、まるでおぞましい凶月が二つ並んで自分を見下ろしているかのようだった。そしてその瞳が感じたことのない憎悪を秘めた邪悪さで、ルーツを静かに見ていた。
「あ、あぁぁぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
半狂乱に陥ったルーツは、操縦桿と発射装置をデタラメに作動させた。ルーツの搭乗するアレスが魔力のチャージも行わずに、前方に向かって遮二無二炎弾を吐き出す。目の前で胴体を潰されたアレスが威力の弱い炎弾を受けるも、搭乗者の死亡により姿勢の制御がされておらず、そのまま前方に衝撃で倒れた。
その間もルーツはアレスの操縦桿を無茶苦茶に動かし、まるで狂ったような行動を取る仲間に後ろを歩いていたアレスの搭乗者が通信をする。
「おいっルーツ! 何やってんだおまえっ!」
必死に呼びかけるが、通信機から返って来るのは意味不明な言葉と叫び声だけだった。仕方なく体当たりでルーツのアレスを倒そうと正面を向いた時、メインカメラであるアレスの目が凄まじい速度で振られた戦斧槍が残像を引きながら迫るのを捉えていた。
戦斧の直撃による凄まじい衝撃によって、アレスは後方に戦斧槍が刺さったまま吹き飛び、後続のアレスを巻き込んで倒れる。
倒れこんだ二機のアレスの上に立つ人影がゆっくりと戦斧槍を振りかぶり、それぞれ一撃の下にアレス二機の装甲ごと搭乗者の命を叩き潰す。
そこでようやく襲撃を受けていることに気づいた前後の搭乗者たちが通信機で全体に警告を飛ばした。
「こちらレギルっ襲撃を受けてるぞ! もう三機やられた!」
『なにぃっ!? 敵は何人だっ!』
「分からないっ! ただ敵は斧のよう――ウアァアァァっ!!」
レギルの通信は絶叫と共に途切れ、辺りには金属を破砕する金切り音と地面を穿つ重々しい爆音が響き、それに続く悲鳴と絶叫が途切れ途切れに木霊する。
『ハズルだっ! 全機跳躍して散開しろっ! 縦一列の隊形では身動きが取れんっ! 一度適当にバラけたら、レーダーを使って仲間と合流して、二人組以上の組を作って周囲警戒っ!』
かろうじて冷静さを保つ副隊長ハズルの声に全員が反応し、各アレスが隊列を崩して左右の森へ向かって足を踏ん張らせる。
アレスの脚部には数箇所推進装置が付いており、そこから魔力が推進剤となって噴射され、高さ数十メートルと水平距離で数百メートルの跳躍を行うことができる。
歩行と走行に不向きなアレスが得意とする独特の移動方法だった。
その方法で移動しようとした別の下級戦兵が跳躍の瞬間、狂って踊るようにフラフラとしているルーツ=エリディスのアレスが銀色に揺らめく軌道に晒されて、胴体を引き裂かれ血飛沫を巻き上げて崩れ落ちるのを目撃し、その向こう側の闇の中で黄金に輝く何かを見てしまった。
「ヒィッ――」
その奈落の底を覗き見てしまったような恐怖に体が強張り、足元のペダルを思い切り蹴るように踏むと、一瞬の浮遊感と共に地面へと着地する。優秀な姿勢制御装置と脚部と胴体に組み込まれた衝撃吸収機構が衝撃を逃がしてくれる。
「ふぅー……」
息をついた瞬間、搭乗室の天上を突き破った戦斧の刃に体を中央から断裂されて絶命した。
◇◆◇
目の前で跳躍したアレスを追って跳び、着地した瞬間に上から戦斧を叩きつけて粉砕したアレスの残骸から血に塗れた戦斧槍を引き抜き、クロウシスは周囲に散開したアレスの居場所を魔力を探知する魔法によって把握し、戦斧槍を両手を肩に担いだ。
人間の血を吸ったハルバードは、それ自体が発する熱によって血を蒸発させながら、まるで次の獲物を求めるかのように赤い瞳のような宝玉を輝かせる。
一番近い孤立したアレスに狙いを定めると、一気に加速して密林の中を駆け抜ける。あちらの動体センサーがクロウシスを把握し、搭乗者が反応する頃にはアレスの背後に回ったクロウシスが体を回転させて、その遠心力で戦斧槍を振るい、装甲が比較的薄い足の付け根から胴体へと切り上げるように戦斧を叩き込み、アレスが浮くほどの衝撃をそのままに、内部に食い込んだ戦斧の分厚い刃が機体ごと搭乗者を押し潰しながら、内部の反対側の内壁にメリ込んだところで勢いが止まった。
倒れこんだアレスの胴体に上がり、金属にめり込んだ戦斧槍を引き抜いていると、横合いから放射状の炎が噴射された。
アレスの残骸を炎が覆い、火力をより高めた噴射が継続され破壊後から内部へと侵入した炎が搭乗者の亡骸を焼く。
そのアレスの搭乗者が、動体センサーに反応がないことでニヤっと引きつった笑みを浮べた直後、クロウシスがアレスの足の下を潜り抜けて、そのまま戦斧槍を振り返り際に振るう。左足を意図も容易く切断され、崩れ落ちるアレスに乗る搭乗者が残る片足の噴射機構を使おうとしたが、その意図が実行される前に正面モニターでは黒髪の男が無表情に巨大な戦斧槍を大きく振りかぶっている姿が見え――そこで彼の命は強い衝撃と一瞬の激しい痛みと共にもぎ取られた。
更なる血を浴びた戦斧槍は、まるで咆哮するように戦斧と槍の刃をざわめかせて、己を持つクロウシスの腕を突如として発火させた。
右腕を炎に包まれるが、熱さを感じるわけではなく――もっと別のものがクロウシスの中で燃え上がった。
それは炎によく似た性質を持つ感情――燃えるような怒りだった。
やがて炎は全身に燃え広がる。
クロウシスの服を一切焼くこともしない不可解な炎は、彼の中で渦巻いていた黒いわだかまりをまるで焚き付けるかのように燃え上がらせる。そして、その焔に触発されたかのように黒い霧がクロウシスから噴出し、炎を完全に呑み込んだ黒霧はクロウシスを中心に滞留し続ける。
その闇の中で、クロウシスが持っていたバーンアレスの戦斧槍が黒い霧を吸収して成長するかのように、炎を噴き出しながら刀身をざわめかせて、その赤い本体を長く伸ばし、柄は太く膨張し、戦斧の刃も幅を広げて大きさが増し、先端の槍も幅広の長剣をそのまま差し込んでいるかのような姿へと変貌していく。
そこへ三機のアレスが密林から現れ、一斉に炎弾を撃ち始める。
「死ねぇぇぇぇ化け物ぉぉぉぉぉっ!」
「うおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
絶叫と共に連射される炎弾は黒い霧に着弾した瞬間、まるで掻き消されるかのように消滅する。そして黒い霧はまるで形を整えるかのようにビクンビクンっと動き、やがて滞留していた黒い霧をそのままに巨大な人影と化し――ゆっくりと立ち上がる。
体長は5メートルほどで、アレスたちとほぼ同じ大きさとなっていた。そしてその黒い人影の頭部に黄金の輝きが生まれた瞬間、それは凄まじい速さで三機のアレスに向かって突進してきた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
左右のアレスは横へと跳んだが、中央の搭乗者は狂ったように叫びながら炎弾を撃ち続ける。だが、人の命や建物を数え切れないほど破壊してきたその一撃を受けても、黒い影は一切怯むことのなく距離を詰め、両手で握る5メートルほどに巨大化した強力無比な戦斧槍を思い切り振るうと、先ほどまでは半壊までしかいかなかった龍騎兵アレスの胴体を横薙ぎの一撃で真っ二つに切断し、切られた胴体の上半分がグルグルと回転しながら吹き飛び、残った下の部分は切断面から赤い液体を吹き上げながら、膝から崩れ落ちた。
その結果には目もくれず、右へと跳んだアレスを追って黒い霧に包まれた人影が追撃する。仲間の――そして、帝国軍の力の象徴たる龍騎兵を意図も容易く壊して、殺して回る謎の存在に狙われ搭乗者は完全にパニック状態だった。
「ああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁなんなんだよっおまえはぁぁぁぁぁぁぁっ!」
悲壮なまでの絶叫が木霊するが、撃ち出す炎弾も噴射する放射炎も何一つ意味をなさないまま、恐ろしい破壊力を持った戦斧槍に頭頂部から搭乗者ごと真っ二つに叩き潰しながら両断し、血飛沫と龍騎兵の残骸を撒き散らしながら中央に寄るように崩れ落ちる。
振り返る黒い人影は炯々と輝く黄金の瞳で、密林の奥へと逃げるアレスの後ろ姿を捉えると、まるで魂を刈り取る死神が大鎌を振るうように巨大な戦斧槍を振り上げて追撃を開始した。
◇◆◇◆◇◆◇
ジノン=ロックは大いに混乱していた。
ジノンは一列隊列の後ろから5番目を歩いていたのだが、城と砦の中間地点の目印である密林の中でも一等突き出た巨木へと差し掛かった際に、かなり後方を歩いていたジノンにも聞こえる破砕音とそれに続く絶叫が聞こえてきた。
前後のアレスが歩くのと止めると
『おいっルーツ! 何やってんだおまえっ!』
という通信が全発信で聞こえてきたが、それに続いて聞こえたのは意味不明な言葉の羅列に狂ったような絶叫だった。
ジノンはすぐに隊列順を思い浮かべ、ルーツ=エリディス下級戦兵が前から13番目で自分からは12体前であり、そこで何かが起こったことを瞬時に理解した。
『こちらレギルっ襲撃を受けてるぞ! もう三機やられた!』
『なにぃっ!? 敵は何人だっ!』
『分からないっ! ただ敵は斧のよう――ウアァアァァっ!!』
通信から聞こえてくるのは、悲壮なまでの混乱と絶望的な絶叫ばかりだった。
最初の異変から1分も経たない内に3機、いや恐らくは4機の龍騎兵アレスがやられたことになる。
ジノンはそんなことが出来る人間に心当たりが――ないわけではないが、少なくともこの島にはそんな人間はいないはずだ。
『ハズルだっ! 全機跳躍して散開しろっ! 縦一列の隊形では身動きが取れんっ! 一度適当にバラけたら、レーダーを使って仲間と合流して、二人組以上の組を作って周囲警戒っ!』
かろうじて冷静さを保った副隊長のハズル=ワルダーの声に反応して、全てのアレスが脚部の推進装置を使って跳躍し、周囲の密林内に散開する中でジノンも推進装置の準備をしながら、前に居たアレスが跳躍して開けた視界に目を細めると――狂ったような千鳥足でフラついていたアレスが何かの一撃を受けて砕け散り倒れ伏す。それを見て慌てて森の中へと跳躍するアレスを追うように、人影と思しきモノがアレスと同等の跳躍を見せて森の中へと消えていった。
(生身の――それも単騎!?)
その恐るべき事実を前に、ジノンは自分が知る唯一この状況と同じことが出来る人物を思い浮かべるが、今この状況を作り出している人物がその人物ではないことを直感で悟り、ともかくジノンは相手に接触しようと人影が消えた方角へと跳躍した。
◇◆◇◆◇◆◇
性懲りも無く炎弾を吐き出す擬似火龍の口に無理矢理に腕を突っ込み、中から搭乗者の人間を引きずり出す。恐怖のあまり失禁する兵士を手の中で噴出する炎で焼き尽くし、跳躍して逃げようとするアレスに戦斧槍を放り投げ、投擲された戦斧槍の直撃を受けたアレスの体が衝撃で横に吹き飛んだところで推進装置が発動し、斜め前に向かって跳躍ではなく推進剤の噴射のみで、頭から突っ込むように木々を薙ぎ倒しながら突っ込んでいく。
ざわめく影と闇の集合体と化した人影――クロウシスが戦斧槍を回収しようと歩き出すと、感知魔法が生き残ったアレスのほとんどがバーン砦に向かって死に物狂いで跳躍を繰り返して移動していることを告げた。
その行動に黒い影の口元に裂けた様な笑みを浮べて、クロウシスは凄惨な笑みを浮かべた。
――そうだろう。
――距離的には中間。
――だが、アレス城とバーン砦までの地形を考えれば連中は前へと進むしかない。
――追いすがる敵から怯え、後ろを何度も振り返りながら逃げるがいい。
密林の中で倒れたアレスの胴体に横からめり込んでいる戦斧槍は、アレスを発火させて燃え上がる炎の中にあった。それを引き抜いていると、密林の中から一体のアレスが現れた。
燃えるアレスを足で押さえつけて戦斧槍を引き抜き、自ら現れた獲物へと襲い掛かろうとした時、予想外の出来事が起きた。
稼動を停止したアレスが、下腹部のハッチを開き中から搭乗者が出てきたのだ。
――命乞いか?
そう思って戦斧槍を肩に担ごうとすると、またしてもクロウシスの予想に反した出来事が起こった。
アレスを降りた壮年の男は、剣帯に吊っていた剣を引き抜き構えたのだ。
龍騎兵から降りて、今の自分に向けて剣を構える人間。
――面白い。
クロウシスは久しぶりに心の底から愉快な気持ちになり、戦斧槍を構えた。
前書きと後書きを活動報告にて書いております。
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※修正情報
2012/10/7
一部の表現と名称を変更しました。