組織
少年が目を開けるとそこにはうちっぱなしのコンクリートでできた壁、黒と白のタイルでできた床、そして目の前には片手で数えられるくらいの人が立っていた。先いた場所とは似ても似つかない光景だった。
「ようこそ、我らの組織へ。私は組織長の久遠だ。よろしく」
突然、低い声が響いた。見てみると、少年に歩み寄って来ている30代程のワイシャツにネクタイ姿の銀縁メガネの男性――久遠が手を伸ばしてきた。握手を求めているのだろうか、しかし少年はいきなりそんな事をされても戸惑う少年はただただ立ち尽くすばかりだ。何も出来ない。
「失礼。いきなりこんなとこに来させられて戸惑っているだろう。しかしもっと戸惑わせてしまうかもしれないがこちらの説明を聞いてくれ」
戸惑っていることを察したのか、手を引っ込め話をし始めた。まだこの状況を理解していない少年はまだそのまま立ち尽くしている。
「まず君は学校のグラウンドで二人組に襲われていたね。あの二人は私たちと対峙している組織の一員だ。その二人はある目的で君を標的にした」
一旦話を区切り少年の目を見つめた。
「……君、名前は?」
「……神谷、翔です」
まだ少し戸惑いながら、といった感じだったが少年――神谷翔は素直に答えた。
「神谷君か。それで神谷君、君は未来が見えるね?」
威圧すら感じる久遠の視線は神谷を突き刺した。
「………………」
何も答えない神谷。それを見た久遠はもう一度問いかけた。
「君には、未来が、見えるね」
しばしの沈黙。だが観念したのか神谷が口を開いた。
「……はい」
周囲にいた人物がにわかにざわめいたがすぐにそれはやんだ。
「……それが君が襲われた理由だ。……未来が見えるようになったのは最近か?」
「そう、ですね、ごく最近だと思います。二週間前とか。……それが何か……?」
不安気に相手をうかがう様はまるで子犬のようだ。
「いや、敵が君の情報をどれだけ集められているかを知りたくてね。そうすると奴らもそうは情報を集められてなかったはずだ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。君は一般人に紛れてるからな。そうそう能力には気づかないはずだ。だとしても学校や本名くらいはすぐに気づかれるだろうな。今日で顔や身体の特徴も割れてしまったからな、すぐに特定される。……いや、君の学校に奴らがいた時点でそのくらいの情報は知られているのかもな。それで、我々がここに連れてきたんだ、君を守るためにね」
更に話を続ける。
「そして君はもうじき魔法に目覚める。その予兆として、君のその未来が見えるという特殊な能力が先行して出てきた可能性が高いと思われる」
「ま、魔法……ですか」
神谷はふたたび困惑し始める。
「そうだ」
再び沈黙が周囲を包む。神谷は視線を下にやったまま固まってしまった。色々な情報が頭の中で処理しきれずにいるのだろう。一方の久遠は神谷の方をじっと見つめこちらも動かない。神谷がアクションを起こすのを待っているようだ。
「……あの、なんで俺がこんな能力持ってるって相手に気づかれたんですか?」
俯きながら神谷は質問した。
「そう……だな……。一般人にも魔力はあるがそれに比べ君の魔力が上がった、というのがわかったかなんらかの装置を使ったか、だろうか……すまん、こればかりは私にもわからん」
眉間にしわを寄せ、自分にもよくわからないという表情で答えた。
「……じゃあ何故あなた達は俺が襲われているって気づいたんですか?」
「ああ、それはあのピンクのドームさ。あれは対象と魔法使い以外は不可視にする魔法さ。魔法犯罪は何故か突然起きた、って思うだろ? あれはあのピンクのドーム、正確には結界を張っているからなんだよ」
「それで、俺を……?」
そんなに都合いいことにいくだろうか。確かに見つけられるかもしれないが、見つけられる確率はどのくらいだろうか。逡巡が続く。
「なんで簡単に俺を見つけられたんだ、って考えているね」
神谷は驚きで目を見開いた。久遠は鋭い目つきでじっと神谷を見つめている。睨んでる、とも言えなくはない。
「今はなんで俺の考えてることがわかるんだ、かな?」
正直、体が動かない。口も乾ききって上手くしゃべれない。思考も停止し始めたのか言葉すら上手く出てこない。人に思考を読まれるなんて恐ろしい以外の何物でもない。
「そんなに驚くことかな?君は未来が見えるんだ。人の思考が読めたってなんら不思議じゃないだろう?」
神谷の上から降り注ぐ視線は変わらず神谷を睨んでいる。
「正直な事を言おうか。我々も君を追っていた。だから今日こうやって助けることが出来た。別に押し付ける気はないが、我々は君の命の恩人ということになる」
「……だからなんだよ」
不快感をあらわにする口調と表情を浮かべた。
「だから、我々に少し協力してほしい」
「……協力?」
不安気な表情で問い返した。
「そう、協力」
「……何をすればいいんだ?」
表情は不安気なままだ。
「特別なことはしなくていい。ただ自分の通う学校に普通に登校してもらえばいい」
「……そんなことで?」
「ああ、そうだ。普通に学校に行ってもらえばいい。まあ登校時には護衛をつけさせてもらうが」
「それだけでいいんですか?」
「ああ」
頼み事は簡単な物だったので少し気が緩んだようだ。
「そして多分敵は君を襲うだろう。学校という封鎖的な空間は魔法犯罪にとってはとても狙い目なんだ。だが君の命は保証する。学校にいる人間の命もだ。これは約束しよう」
最初の言葉に少しこわばった。それに緊張もし始めたようだ。やはり不安気な表情は隠せない。
「それでだ、君の身の安全を守るためと明日の作戦を実行してもらうために今日はここに泊まってもらいたい」
「えっ……?!」
驚いた表情を見せた神谷。だが、少し考えを巡らせた。確かにここにいれば安全だと。相変わらず表情は不安気だがそこに少しだが笑みものぞかせた。
「じゃ、じゃあよろしくお願いします」
可愛らしい笑顔だった。中性的な神谷の容姿に相応した笑顔だった。
「じゃあ部屋に案内する。着いてこい」
言い終わるや否や、後ろを向きそのまま歩いていく久遠。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ!」
慌てて追いかける神谷。茶色がかった髪の毛が揺れる。
道を開ける数人の人。皆神谷に視線を向けていた。茶髪混じりなツンツン跳ねた髪に少し髪に隠れている大きな目、通った鼻筋。整った顔に華奢な体。その中にある微かな魔力、それに感じ取ることの出来ない隠れた能力。それらを見る目はみな期待と歓喜している様にも思えた。そんな視線を感じながら神谷は久遠がほんの少し前に開け放った扉をくぐった。
そこは先ほどの白と黒の空間と違いモスグリーンの壁と灰色の床が広がっていた。人が二人が寝そべられるような広い幅と緩いカーブを描く廊下だ。そこを歩く二人。会話もなく、響くのは二人の足音だけだ。
(き、気まずい……。それに久遠さん歩くの速い……)
身長の高い久遠と低い神谷は歩幅では歩く速度も違う。響く足音は一方が早歩きか、それ以上にも聞こえる。それに気づいたか久遠は神谷の方には視線を遣らなかったが少し歩く速度を緩めた。
それから何分歩いたか。久遠の歩みが止まった。本来はそれほど経っていないはずだが気まずい雰囲気のためすごく長く感じた。
「ここに泊まってくれ。中にあるものは好きに使ってくれていい。着替えも用意してあるからシャワーを浴びてもいいし好きにしてていい。ただこの中からは許可なく出ないで欲しい。君の安全を守れないかもしれないからな。それじゃあ、何かあったら中にブザーがある。それを押してくれれば誰か駆けつけさせよう。それじゃあ」
業務的な説明をし、足早に去って行ってしまった。神谷は冷たい人だな、と心で思いながら扉の前に立った。すると自動でシャッっと鋭い音をさせ、扉が横にスライドし、開いた。そのまま中に入ると中はあまりにも殺伐としていた。青いタイルの壁と床、黒い目地、白い机と白いベッド、蛍光灯。それに二つの灰色の扉しか目につかない。
「自由に使っていいって言ったってなにもないじゃないか……」
と、ひとりごちる。何もすることもないのでベッドに飛び込み、そのまま仰向けに寝転がる。そして大きく溜め息をついた。青い天井をただただ見つめる。その目はどこか虚ろだった。
それから何分経っただろうか。神谷は眠りの中に落ちていた。
――翌日。
神谷が目を覚ましたのはそれから5時間後。7時少し前だ。まだ眠たそうに目を擦る。そして小さな呻き声。そのままベッドに寝転がればまた寝てしまいそうな勢いだ。
それから数分、扉がスライドするとともにお盆を手に持った久遠が現れた。
「おはよう、神谷君」
相変わらず低い声だ。しかし聞き取りづらいわけでもなく、ダンディという言葉がぴったり合いそうないい声である。
「ん……、おはようございます……」
久遠が来ても眠気は変わらないのか、目はまだ微睡んでいる。
「朝飯はここに置いておくからしっかり食べておくように。食べ終わる頃にまた戻ってくる」
お盆を机に置きながら言った。そして言い終えるや否や、即座に部屋から出て行ってしまった。その速さに少し呆れながらも朝食に目を移す。盆に乗っている二つの皿には、まだ湯気が立っているスクランブルエッグと飾り付けのレタスとケチャップ。別の皿にはこんがりキツネ色に焼けた2枚のトースト、他に盆の上にイチゴジャムの瓶とバター、そして水が置いてあった。まるで三ツ星ホテルの朝食のようだ。香ばしい匂いが神谷の鼻腔をくすぐる。自然と空腹も感じる。
「いただきます」
胸の前で手を合わせ、一言。
それから十数分、そこにあったのは綺麗になった皿だけだった。食事を終えてすぐにまたスライド音がした。そこに立っていたのはやはり久遠だった。
「食べ終わったか。それじゃあ支度しろ。40分後、出るぞ」
まるで部屋を監視しているかのように食事が終わった後すぐにやってきた久遠。そのことを不気味に感じながらもこくりと頷いた。
まだ覚醒しきらない頭を引きずりながらシャワー室に向かう。昨日シャワーを浴びれなかったのと眠気を覚ますためだ。シャワー室に入るとまず脱衣所があり、もう一つのドアを開くとシャワー室があるようだ。そこにはまっさらなタオルが用意してあった。そこで神谷は服を脱ぎ、ドアを開けそしてシャワーを浴びる。40分という短い時間しかないので早急に済ますと、急いで水分を拭き取り、ドライヤーをかけた。そして下を見ると先着ていた服はなく、なぜか自分がブレザーが置いてあった。再び気味悪さを感じながらも自分のブレザーを身にまとった。最後にネクタイを締め、脱衣所を後にした。
部屋に出るとそこには久遠がベットの上に座っていた。
「出たのか。そろそろ出る時間だ。行くぞ」
「あ、はい。わかりました」
簡単な会話を済ませ、二人は部屋から出た。それから廊下を渡り初めて会った時の部屋に入った。あの長い廊下での会話はほとんどなかった。
部屋には5人の人がおり、それらが各々気ままに待ち時間の暇を潰していた。体操をする者、音楽を聴く者中には寝ている者もいた。
「待たせた。今から作戦を開始する」
「はい」
自由な時間を過ごしていた5人が集まり、一気に緊張感が高まった。一斉に返事をした。神谷は立ち位置がよくわからないのでそのまま立ち尽くしていた。
「じゃ、行きますか」
短めの金髪の青年が口火を切った。この少し緊張した空気の中で全く緊張感がない言葉だった。そしてもう一人、寝たままの神谷と同じくらいの歳の男性がいた。
「起きろっ!!」
先ほどの青年に机に突っ伏している黒髪の後頭部めがけてげんこつが炸裂した。しかしその少年は呻き声を上げただけで机に突っ伏したまま微動だにしなかった。
「……相変わらずだな、お前……」
こういうのはいつものことなのか、焦ることなく、準備などをしている。
「……まあ直に起きるだろ。行くぞ」
なんか緊張が一気に削がれてしまった。それとともにこの人たちでいいのかと言う念も湧いてくる。しかしこんな感情とはお構いなしに作戦は実行されていく。みんな部屋から出て行ってしまった。
「行くぞ」
久遠にも促され、神谷も一緒に出ていく。
(……あの人、このままでいいのかなぁ……)
少し振り返ったがみなが先にどんどんと行ってしまう為、置いて行かれないように前を向き足早に付いて行った。