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第三話 二.買い物デート

 翌日となり、今日は金曜日である。管理人室にある鏡の前で、オレは身だしなみを整えていた。

 アパートの住人である麗那さんから、オレはこの日の夕方、お買い物に付き合うよう誘われていた。今でも夢なのではないかと戸惑うほど、オレは緊張と興奮で落ち着かなかった。

「うーん、こんな感じかな。これなら、恥ずかしくないだろう。」

 オレは体をクルクル回しては、服装が汚れていないか確認し、髪型が乱れていないか確認する。いつの間にか、オレは10分間ぐらいこんなことをしていた。

 少し神経質になり過ぎかも知れないが、だらしない自分を見られたくない一心で、オレは鏡に映る「一桑真人」を厳しくチェックしていた。

「お、もう4時になるな。そろそろ出掛けよう。」

 麗那さんとの待ち合わせは、午後5時に渋谷駅そばの”モヤイ像”前である。そのため、オレはアパートの最寄駅から電車を利用して、渋谷駅を目指すことにしていた。

 財布に携帯電話、それにティッシュとハンカチをズボンのポケットに入れて、オレは左腕に腕時計を巻きつける。

「よし、行こう。」

 管理人室にカギを掛けて玄関へと向かうオレ。お気に入りのスニーカーと一緒に、オレは屋外へと出掛けていく。

 昨日とは打って変わって、今日の天気はよく晴れていた。太陽がまだ高い位置に居座っているせいか、この時間でも蒸し暑さが残っている。そのおかげで、アパート付近の道路はすっかり乾いていた。

「うん、この天気なら傘はいらないな。」

 暑さを紛らわせるため、Yシャツの袖を捲り上げると、オレは最寄駅目指して歩きだした。


 =====  * * * *  =====


 最寄駅に到着したオレは、渋谷駅行きの電車へと乗り込む。電車内は夕方だけに、学校帰りの学生や、買い物へ向かう女性らしき人が多かった。

 空いている座席に腰掛けて、車内を見渡してみると、オレが思っていたよりも、空いている座席が目に付いた。東京を走る電車はいつも満員という先入観は、どうやらオレの勘違いだったようだ。

 電車の車窓から、流れていく外の景色を眺望するオレ。景色は時間の経過とともに、閑静な住宅地から賑やかな商店街へと移り変わっていく。渋谷駅に近づいたのか、電車内がだんだんと混み合ってきた。

 電車に揺られること30分ほど。鼻にかかったような車内アナウンスが、まもなく渋谷に到着することを知らせてくれた。

「やっと到着かぁ。」

 ようやく、オレは目的の渋谷駅へ到着した。

 終点駅ともあって、電車内の乗客がわらわらとプラットホームに躍り出る。乗客にもみくちゃにされながら、オレもプラットホームへと降り立った。

 さすがは、東京有数のターミナル駅である渋谷駅。緑色やオレンジ色のラインが入った電車が滑り込むたびに、プラットホームがたくさんの乗降客でごった返していた。

 そんな光景に度肝を抜かれつつ、オレは駅の連絡通路を経由して改札口を抜けていった。

「えーと、待ち合わせ場所のモヤイ像はどこかな。」

 財布の中から一枚の紙切れを取り出すオレ。これは、待ち合わせ場所のモヤイ像までの道しるべを書き記したメモである。

 生まれて初めて渋谷駅を訪れたオレは、当然ながら、渋谷駅構内や駅周辺の土地勘がまるでない。現地で迷子にならないよう、オレは自己流ガイドマップ持参でここまでやってきたわけだ。

「駅西口出口付近か。うーんと、こっちか。」

 メモした手書きの情報を頼りに、オレは混み合う駅舎内を歩いていく。

 若者の街と言われるだけあって、渋谷駅構内は若者たちに埋め尽くされていた。まるで、学校の校舎にいるかのごとく、学生服を着た男女高校生が連れ立って闊歩している。だらしない格好で渡り歩く姿に、オレは日本の未来の行く末を不安視してしまった。

 胸がむかつくような駅構内を通り抜けて、オレはようやく渋谷駅西口までやってきた。

「あ、あれがモヤイ像だな。」

 オレの目の前に、のっぺりとした大きな顔の石造が見える。その石造は渋谷駅に根を下ろし、さまざまな目的でやってくる人々を見守っているようだった。

 そのモヤイ像の周りには、オレと同じように、待ち合わせをしているような人がたくさんいた。

 腕時計で現在の時刻を確認すると、午後4時50分あたり。待ち合わせ時刻までに辿り着き、オレは胸を撫で下ろしていた。

「麗那さんが来るまで、座って待つとするか。」

 モヤイ像を囲む石垣に腰を下ろすオレ。退屈しのぎに、オレはモヤイ像の周囲を見渡してみた。

 とり憑かれたように、携帯電話とにらめっこしている人が多く見受けられた。待ち合わせの暇つぶしがてら、ゲームでもしているのだろうか、それとも、早く来いと急き立てるメールでも打っているのだろうか。

 そんなことを思い浮かべながら、オレは時間潰しをしていた。

「5時3分・・・。そろそろ来てくれるかな。」

 そろそろ麗那さんが現れるのではと思って、オレは渋谷駅の出入口付近へ目を向ける。出入口から流れては消えていく人の波を見極め、オレは彼女の姿を探していた。

「あ、来たかな。」

 群がる人の波を潜り抜けて、スタイリッシュな女性がオレのもとへと近づいてくる。小さなバッグを肩からぶら下げて、クロッシェ風の帽子とサングラスを掛けた麗那さんだった。

 今日の麗那さんは、涼しそうな水色のブラウスに、スリムなデニムのパンツ、そしてヒールの高いミュールを履いている。ファッションモデルの彼女らしく、おしゃれな着こなしだった。

「お待たせー。少しだけ遅れてごめんね。もしかして、待たせちゃった?」

「い、いえ。そんなことないですよ。ついさっき来たばかりです。」

 緊張のあまり、オレは勢いよく立ち上がり姿勢を正した。

 周りにいるギャラリーたちが、何でこの女性の相手がコイツなんだ?といった顔でオレを見ている。そんな羨望の眼差しを送られて、オレは肩身の狭い思いを感じてしまった。

 そんなことなど気にも留めず、麗那さんはオレを連れ立って歩きだした。向かう先は、渋谷のショッピング街のようだ。

「麗那さん、買い物って、どこへ行くんですか?」

「アンティークショップよ。わたしね、アンティーク系大好きなんだ。仕事オフの時は、暇さえあれば、お店覗きに行っちゃうの。」

 渋谷駅から歩くこと5分ほど、オレと麗那さんは洒落た雑貨店へとやってきた。

 雑貨店らしく、陶器やガラス製の食器類や、テーブルに乗せるキルトやクロスといった布製品、古めかしいキャラクターの置物などが、店内に所狭しと飾ってあった。

 麗那さんは店内に入るなり、目を輝かせながらアンティークグッズに見惚れていた。商品を手にして食い入るように見つめては、首を傾げて元の位置に戻す。買い物カゴに商品を入れたかと思いきや、買うのをためらうように悩み始める。そんなことを繰り返しつつも、彼女はお買い物を楽しんでいるようだった。

 一方、アンティークにあまり関心がないオレは、麗那さんの買い物が終わるまでの間、壁に貼り付けてあったアンティークについてのうんちくを読んでいた。

「アンティークとは、美術骨董とも呼ばれ、主に百年以上前に製作された物と定義される。百年未満の物は、ヴィンテージと言われることもある。アンティークには、身近なものから国宝級のものまであり、高級なものは、世界各地でオークションが行われて、高額で売買されている。そのデザイン、材質、製作法というさまざまな観点から、コレクターと呼ばれる収集家が世界中に存在する。」

 そのうんちくを読み終えて、オレはアンティークの奥深さを感得した。それと同時に、気品に満ち溢れたその豪華絢爛さに、とても収集家にはなれないとも感じていた。

「ごめんね、待たせちゃって。」

 オレが後ろへ振り向くと、麗那さんは大きな買い物袋を両手に抱えていた。楽しかったお買い物タイムが終了したようだ。

「随分、買い込みましたね。」

 はにかんだような笑顔で、買い物袋の中身を覗き込んだ麗那さん。

「ははは、つい気に入っちゃうとね。また衝動買いしちゃった。」

 麗那さんはウインク一つして、これよろしくとばかりに、オレに買い物袋を差し出した。まさか、この荷物を持ってちょうだいねという意思表示か。

 そんなこと尋ねるまでもないと諦めて、麗那さんから買い物袋を受け取ったオレ。予想以上の重たさに、オレは思わずよろめいてしまった。

「ありがと、マサくん。それじゃあ、次のお店に行くよ。」

「え?まだあるんですか。」

 麗那さんは満面の笑みを浮かべて力強く答える。

「もっちろーん。せっかくのお買い物だもん。今日はいっぱい見て回るよー。お付き合い、よろしくね。」

 麗那さんはルンルン気分で、黄昏色した渋谷のショッピング街へと繰り出した。

 もしかして、オレが買い物に誘われた理由ってこれだったのか・・・。オレは溜め息一つこぼして、今日はとことん麗那さんに付き合おうと覚悟を決めた。


 =====  * * * *  =====


 渋谷の街並みに、薄っすらと夕闇が迫ってきていた。これからが本番とばかりに、林立している店舗は、煌々とネオンサインを輝かせている。

 こんな夕方でも、さすがは東京の副都心と言われるだけに、市街地はたくさんの人で溢れていた。期待と不安が入り交じり、さまざまな思いを胸に秘めて、人々は渋谷という街並みを彷徨っているかのようだった。

 アンティークショップを後にしてからというものの、高級感のあるブティックやブランドショップから、庶民的な百貨店の雑貨コーナーまで、オレたちは至るお店を渡り歩いた。

 麗那さんは、立ち寄ったお店で必ず一つは買い物をしていたので、オレはバラエティに富んだ買い物袋たちに埋め尽くされていた。そのおかげで、オレの両手は痺れるほど痛かった。

「今日のお買い物はこれでおしまい。あー、楽しかったー。」

 ストレスを発散したようなスッキリとした表情の麗那さん。彼女はかしこまって、オレに感謝の気持ちを伝えてくれた。

「ねぇ、マサくん、お腹空かない?夕ごはん、食べていこうよ。」

「そ、そうですね。かなりエネルギーを消費したようで、お腹空いちゃいました。」

 というよりも、オレはほんの少しだけでも休憩したいのが本心だった。両手もかなり痺れていて、ただごとではないぐらいの疲労感だったからだ。

「よーし、決まり!すぐ近くにいいお店があるの。わたしに付いてきて。」

 そう言いながら、お店に向けて歩き出した麗那さん。息も絶え絶えに、オレは彼女のしなやかな後ろ姿についていく。

 いくつかの交差点を越えて、数ある信号を渡っていった先に、麗那さんがオススメするお店は存在した。

「ここだよ。」

 麗那さんが紹介してくれたお店は、メルヘンチックなレンガ造りのフレンチレストランだった。三角出窓越しに映る店内が慎ましやかで、どこか落ち着いた雰囲気を感じさせる。

 このおしゃれな印象からして、オレにはどうも場違いな気がしたが、麗那さんは誘われるようにレストランへと吸い込まれていった。

 レストランの入口前で一人立ち尽くすわけにもいかず、オレは心臓をバクバクさせながら店内へと入っていく。

「・・・。」

 あまりにも豪華絢爛な店内の光景に、オレは思わず絶句してしまった。

 ヨーロピアン風のインテリアや、モダンチックなテーブルがゆとりある配列で置かれている。そのテーブル上には、火を灯したキャンドルが飾ってあり、テーブルクロスや木製のチェアが高級感を漂わせていた。

 同年代の女性グループや仲睦まじいカップルがテーブルを囲んで、楽しそうな会話とともにリッチな食事を満喫していた。

 ピシッとしたスーツ姿のボーイに案内されて、オレたちは窓際のテーブル席へと腰掛ける。

「マサくん、ボーっとしてるけど、大丈夫?」

 身に着けていた帽子とサングラスを外した麗那さん。心配そうな顔をしている彼女に、オレは青ざめた顔をごまかしながら大丈夫ですとだけ答えた。

「さーて、何を食べようかな。」

 麗那さんはルンルン気分でメニューを広げる。気持ちを切り替えようと、オレもメニューをめくってみた。

「!」

 メニューを見るや否や、オレはまたまた絶句した。

 ありとあらゆる料理の価格が、オレの私生活レベルをはるかに超えていた。しかも和食党のオレには、フランス料理などどんな料理なのかさっぱりわからない。

 足がガクガクと震えだしたオレは、泣きつくような声で麗那さんに話しかけた。

「あの、麗那さん。ここの料理、オレのお小遣いではとても無理です。」

 そんなオレを見て、麗那さんはちょっと唖然とした顔をしていたが、すぐさま胸に手を置いて、彼女は女神のような微笑みで語りかけてきた。

「心配しないで。ここはわたしのおごり。お手伝いしてもらったお礼に、好きなものを選んでね。」

 そんな心遣いを示してくれた麗那さん。緊張感から解放されて、オレの全身からスーッと力が抜けていく。背中にかいた冷や汗が、わずかに引いていくのを感じた。

「あ、ありがとうございます。麗那さん。」

 麗那さんにお礼を言いつつ、オレは改めてメニューを見直す。しばらくメニューとにらめっこしていたが、オレはある結論に達した。

「あの~、麗那さん。お願いがあるんですけど。・・・オレ、メニュー見てもどんな料理かわからないんで、レクチャーしてもらってもいいですか?」

 麗那さんはクスっと笑って、オレに向かってOKサインを指し示してくれた。

 メニューを見ながら、オレたちは本日の夕食を選んでいく。麗那さんのレクチャーのおかげで、オレはおいしくいただけそうな料理を選ぶことができた。

「すみません、注文ですけど。」

 ボーイを呼び寄せると、麗那さんは慣れた感じでメニューを注文する。そんなスマートな彼女に、オレは尊敬の眼差しを送っていた。

「かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ。」

 低姿勢でお辞儀をして、ボーイはオレたちのテーブルから離れていく。

「マサくん。」

 麗那さんは辺りに気を配りながら、そっとオレに声を掛けた。

「そんなに緊張しないでね。こういうお店だからって、VIPな人たちが来てるわけじゃないし。周りを見ればわかると思うけど、お客さんはみんな普通の人たちだから。」

 そう言いながら、麗那さんは他のテーブル席へと目を配る。導かれるように、オレも彼女の視線の先を目で追った。

 ごく普通の人たちが賑やかに会食していて、麗那さんが言う通り、そのテーブル席はよくある見慣れた光景だった。

 自分自身に釣り合わないという先入観だけで、オレはこのお店の雰囲気に飲まれてしまったのかも知れない。

「マサくんの目の前にいるわたしだって、ここにいたら、ただの女の子なのよ。フフフ。」

 麗那さんはかわいらしく微笑んで、オレの気持ちを和ましてくれた。そんな彼女の気配りのおかげで、硬かったオレの体が、ゆっくりとほどけていく感じがした。

「でも今日は助かっちゃった。本当にありがとう。」

「はは、オレも渋谷に初めて来れてよかったです。いろいろと見れたし。また気軽に誘ってください。」

 料理がテーブルに出揃うまでの間、オレたちニ人はいろいろと世間話をした。

「そういえば、マサくんは新潟から来たんだよね?わたし、新潟って行ったことないけど、どんなとこ?」

 そう問いかける麗那さんに、オレは我が故郷新潟県の特徴なんかを簡単に話した。

 お米やお酒がおいしくて、日本海の夕日が美しく、漫画家を多く輩出しているといったことをアピールをした。

「麗那さんの出身って、東京ですか?」

「ううん、わたし千葉県出身よ。」

 麗那さんも、故郷の千葉県のことをいろいろと話してくれた。

 世界の玄関口の成田空港があることや、一大テーマパークの東京ディズニーランドがあることを自慢げにアピールしていた。

 そんなお国自慢をしていたら、オレたちはついエスカレートしてしまって、さらに自慢話を語り続ける。

「千葉県はね、電車の乗り換えなしで、東京まで来れちゃうから便利なんだよ。新潟だと、そう簡単にはいかないでしょう。」

「そんなことないですよ。新潟県も新幹線を利用すれば、乗り換えなしで東京まで来れますよ。千葉県って新幹線走ってないですもんね。」

 オレがそう言うと、麗那さんは更なる競争意識を燃やす。そんな彼女に、オレも負けじと対抗する。

「あー、そんなこと言うなら、千葉県は高速道路でも、一本で東京まで来れちゃうんだから。」

「いやいや、新潟県だって一本で来れますよ。距離は遠いですけどね。」

 ムスッとした顔で口を尖らせる麗那さん。次の瞬間、彼女はクスクスと笑い出した。

「ここは引き分けだね。」

 麗那さんの屈託のない笑顔につられて、オレも堪らず笑みを浮かべた。

「お待たせいたしました。」

 テーブルが多彩な料理に飾り立てられて、オレたちは待望のフレンチディナーをいただく。

 言うまでもないが、和食中心のオレにとってフォークとナイフは天敵である。まったく使いこなせないわけではないが、物心ついた頃から苦手意識は強い。どうも、フォークとナイフを持ち替えたりする動作が煩わしくて、食事を楽しむ以前にイライラしてしまうのだ。

 オレが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、麗那さんが右手を挙げてボーイを呼び寄せた。

「ごめんなさい。お箸を一膳もらえるかしら。」

 フォークとナイフを握り締めたまま、オレは唖然としてしまった。

 ボーイから割り箸を受け取った麗那さん。彼女はその割り箸を、オレにそっと差し出してくれた。

「こっちの方が使いやすいでしょう?」

 どうやら、オレは胸中を見抜かれてしまったようだ。そんな麗那さんの気配りに、またしてもオレは助けられてしまった。

「どう、ここのお料理。おいしいでしょう?」

「ええ。フランス料理なんて初めて食べたから、とても新鮮で斬新な感じですね。」

 このお店によく訪れるのか麗那さんに尋ねてみると、撮影の仕事でこっちの方に来たついでに、撮影スタッフと時々来店するとのことだった。彼女にしてみたら、ここは馴染みのあるお店ということだろう。

 よくよく考えてみれば、麗那さんぐらいのファッションモデルなら、こういうレストランで食事をしても違和感がない。オレのような庶民とは、そもそも生活レベルそのものが違うのだから。

「でも、うらやましいな、こんなおいしい料理を時々でも食べれるなんて。やっぱり華やかな舞台というか、モデルとして活躍する麗那さんのこと、うらやましく思っちゃいますね。」

「・・・見た目だけよそんなの。うらやましがられるほど、モデルの仕事って素敵なものじゃないのよ。」

 麗那さんは一呼吸置くと、モデルという職業の過酷さを打ち明けてくれた。

 見た目こそ華やかだけど、モデルは大変な職業だという。売れなければ仕事が入らないため、モデル一本では生活していけない。だからといって、売れっ子になれば、寝るヒマもないぐらい忙しくなってしまう。

 ファッションショーの仕事はかなり大変らしく、ステージに立つたびに新しい衣装に着替えるため、化粧直しやトイレに行く余裕もないという。そのため、控室ではあまりの忙しさにモデル全員がピリピリしていて、些細なことでも言い争いが起こったりするそうだ。

 そんなモデル業界の裏側には、オレの思惑以上に鬼気迫るものがあったようだ。

「恐いですね、仲間同士でも言い争いって。やっぱり、モデル仲間同士でも、仕事の取り合いとかで、人間関係が壊れたりなんて、実際にあるんですか?」

「え?」

 その時、麗那さんの表情が凍りついたような気がした。戸惑うように、彼女は顔色を曇らせてしまった。

「麗那さん?」

 オレが問いかけると、フォークとナイフをテーブルに置いて、麗那さんはうつむき加減で口を開いた。

「・・・そうね、ある程度のことはあると思うよ。そういう世界だからね。」

 そう言うと、麗那さんはいつもの微笑みを浮かべた。しかし、その笑顔の裏側に、彼女は語りたくない何かを隠していたような気がしていた。もちろん、オレはそれについて触れることはできなかった。

 それから食事が終わるまでの間、麗那さんは終始、いつもと変わらない笑顔を振りまいてくれたが、オレたちの会話はそれほど盛り上がることはなかった。ただ時間だけが、ゆっくりと過ぎていくだけだった。


 =====  * * * *  =====


 夜8時を回った頃、豪勢な夕食を済ませたオレと麗那さんはフレンチレストランを後にした。

 今夜はフライデーナイト、花の金曜日と言われるだけに、この時間になっても、渋谷の市街地は人通りがあって賑々しかった。

 アパートへ帰ろうと、渋谷駅から電車に乗り込むオレたち。往路の時と違って、帰りの電車はサラリーマンやOLたちで混み合っていた。つり革を握り締めて、オレたちは窓に映る自分たちの姿を見つめていた。

 暑苦しい電車に揺られること30分。最寄駅へ到着したオレたちは、自動改札を潜り抜けて駅構内へとやってきた。渋谷駅と比べるまでもないが、こちらの駅構内は人通りがまばらであった。

「荷物もあるから、タクシーで帰ろうか。」

 駅東西連絡通路を越えて、オレたちはタクシー乗り場へ辿り着いた。金曜日の夜らしく、タクシー乗り場には、客待ちしているタクシーが無数に停車していた。

 麗那さんがタクシーの窓ガラスをノックすると、のんびりタバコをふかしていた運転手が慌ててドアを開ける。

 ゆったりとした後部座席へと乗り込んだオレたち。麗那さんが行先を告げると、タクシーはアパート目指して発車した。

「・・・。」

 弾む会話のないまま、オレたちを乗せたタクシーは、見慣れた商店街を走行していく。

 オレは何となく、麗那さんに声を掛けづらい心境だった。フレンチレストランでの会話の後、彼女はどことなく、影を引きずっているような素振りを見せていたから。

 しかし、その麗那さんはいつも通り明るく振舞っていた。もしかすると、オレの勘違いだったのだろうか。

「マサくん、あれから浜木綿に行った?」

 麗那さんからの唐突な問いかけに、ドキッとしてしまったオレ。

「あれからって、ボウリング大会の打ち上げの時ですか。いいえ、あれからは行ってないです。それが、どうかしたんですか?」

 そう問い返すと、麗那さんは進行方向を見つめたまま返答する。

「浜木綿にね、アルバイトの子がいるって話したと思うけど、その子ね、わたしの親友なの。九峰紗依子くほうさえこっていうんだけど。」

 そういえば、浜木綿で歓迎してもらった夜に、そんな会話をしていた気がする。ついこの前も、浜木綿での別れ際に、マスターと麗那さんがそれらしい女性の話をしていたが、きっとその人のことだろう。

「その紗依子がね、今日、旅行先から日本に帰ってきたの。何でも”金のなる木”ならぬ”鐘を鳴らす木”の写真を撮りたいからって、ガラパゴス諸島へ行っていたのよ。ちょっと変わった趣味でしょう?」

「なるほど・・・。本当に、変わったご趣味をお持ちですね。」

 麗那さんの親友の”紗依子さん”とは、かなり奇想天外な人物のようだ。オレは少しだけ、その紗依子さんという人に興味が沸いてしまった。

「たぶん、明日から浜木綿で働いてると思うから、今度、顔出してあげて。彼女、アパートの住人たち以外に友達が少ないから、マサくんも彼女と仲良くしてあげてね。」

 まるで、我が子を心配するような口振りをする麗那さん。

「わかりました。今度、ヒマを見つけて行ってみますね。」

 そうは言ったものの、如何せん、金銭的に余裕のないしがない浪人生のオレなので、懐具合と相談しながら訪れてみることにしよう。

 そんな会話をしていると、タクシーは「ハイツ一期一会」のそばで停車した。

「あ、タクシー代金も気にしないでね。わたしが払っておくから。」

 オレたちがアパートの前に降り立つと、タクシーは闇夜の中へと消えていった。

 買い物袋の山を引っさげて、オレは二階へと上っていく。麗那さんに補助されながら、オレはやっとの思いで、彼女の自室まで荷物を運び終えた。

「マサくん、今日は本当にお疲れさま。それじゃあ、おやすみ。」

 別れを挨拶を告げると、オレはフラフラの足で管理人室へと戻っていった。

 外出から帰ってきたら、少しでも勉強しようとテーブルに並べていた参考書。オレはそんなものに目も暮れず、すぐさま寝間着に着替えると、滑り込むように煎餅布団へと潜り込んでいた。

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