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第五話 三.口にできない決意

 コンビニエンスストアの出来合い弁当で、その日の昼食を手軽に済ませたオレは、午後の休憩とばかりにほんの少しだけ仮眠を取った。そして、その仮眠から目覚めると、時刻は午後2時になろうかとしていた。

 寝起きだったオレは喉の渇きを潤そうと、リビングルームにある冷蔵庫を目指す。廊下を歩いている途中、リビングルームの室内からテレビの音声が聞こえてきた。どうやら住人の誰かがいるようだ。

 ドアを軽くノックしてから室内に入ってみると、フローリングの床の上で、テレビを眺めながらストレッチ体操をしているジュリーさんがいた。

「ジュリーさんだったんですね。誰かと思いましたよ。」

「Oh、マサ。こんにちはだネ。」

 フィット感のあるタンクトップとタイツ姿で、ジュリーさんはポニーテールの長い髪の毛を揺らしていた。日頃から体型にこだわる彼女にとって、このストレッチングは日課なのである。

 オレは冷蔵庫で冷やしておいた麦茶を取り出し、食器棚に置いてあったグラスに注ぎ入れる。その麦茶を喉にグイッと流し込むと、そのさわやかな清涼感に、オレは溜まらず唸り声を上げてしまった。

「ちょっと、マサ。あなた、髪の毛寝ぐせがついてるわヨ。何だか、目も腫れぼったいみたいだしネ。」

 流し台にいるオレのことを見ながら、ジュリーさんは驚いたように上擦った声を上げた。お昼寝から起きたばかりとオレが照れくさく言うと、彼女はだらしないオレに冷ややかな視線を送っていた。

「あなたも、わたしと一緒にストレッチングでもする?汗もかくから、スカッとして気持ちいいわヨ。」

 そう誘いかけて、このオレを体操の仲間に加えようとするジュリーさん。オレが弱々しい口調で丁重に断りを入れると、彼女はその不甲斐なさに苦笑いするばかりだった。

 あまりのカッコ悪さに居心地が悪くなり、この場からそそくさと退散しようとするオレ。すると、テーブルの上にある一枚のチラシらしきものに目が留まって、オレはつい歩みを止めてしまう。

「あれ?そのチラシって、もしかして?」

 オレはそうつぶやきながら、そのチラシの全貌を目の当りにする。それは何と、ジュリーさんがボーカルを務めるジャズバンド、あの「ローリングサンダー」のライブ開催を告知するチラシであった。

 チラシをよく眺めてみると、バンドのリーダーのみならず、ジュリーさんの顔写真もしっかりと掲載されていた。しかも、透き通るような美声を持つ魅惑のヴィーナス、という紹介文付きで。

「へー、このライブもうすぐじゃないですか。それに、ライブ会場も東京都内なんですね。」

「久しぶりの都内での開催なんだって。メンバーたちみんな興奮してるヨ。もちろん、このわたしもネ。」

 満面なスマイルで、輝かしい汗を頬を伝わせて、ジュリーさんは充足感をその声に表していた。来たるべく本番当日を、彼女は胸を張って待ちわびているように見えなくもなかった。

 ストレッチプログラムが終了したのか、ジュリーさんは深呼吸一つしてから顔の汗を拭う。そして、ライブ告知のチラシを手にするなり、有無を言わさずそれをオレの手に握らせてきた。

「それ、お願いネ。」

 ジュリーさんはそう言って、意味ありげにニッコリと微笑んだ。まさかライブのチケットでも買ってほしいのかと思いきや、彼女の意図はそれとはまったく違っていた。

「裏返してみてヨ。お買い物リストが書いてるから。」

「はい!?」

 ジュリーさんの一言に、オレは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする。すぐさまチラシを裏返してみると、黒いボールペンで、洗濯洗剤やら柔軟剤やら日用品がいくつか書き留められていた。

「ジュリーさん、これってまさか・・・?」

「そのまさかヨ。そこに書いてあるの、みんな在庫切れってヤツね。」

 それはまさに、アパートで共用している日用品の補充を物語っていた。よりにもよって、毎日使用するものも数点あり、補充を急がなければならない様相を呈していた。

 オレがその辺りについて触れてみると、ジュリーさんは迷うことなく早急なる対処を要望してきた。

「あの、ジュリーさん。夕方まで待ってもらえませんか?オレ、これから勉強しようかと・・・。」

 無理を承知でそう哀願してみるも、ジュリーさんは聞く耳も持たず、買い物に行くなら今がチャンスと言わんばかりだ。

「今ね、あかりが外出中なのヨ。わたしも、あと1時間ほどしたらアルバイトに出ちゃうから、それまでだったらお留守番してあげるわヨ。」

 まるでタイムリミットが迫っているかのように、ジュリーさんはリビングルームの壁掛け時計を見つめている。

 ジュリーさんが留守番を買って出てくれたというのに、管理人代行であるオレがここで重たい腰を上げないわけにはいかない。オレは致し方なく、さっさと買い物を済ませようと気持ちを切り替えることにした。

「わかりました。すぐに行ってきますから、それまで留守番お願いしますね。」

 オレは買い物リストを握り締めると、駆け足でリビングルームを出ていこうとした。そんな慌て気味のオレに、ジュリーさんが呼びかけるように声を掛けてくる。

「マサ、買い物ついでに、わたしのお気に入りチューハイも買っておいてネ。あと裂きイカでいいから、おつまみもお願いネ。お金は後で払うから。」

 愛らしくウインクをして、まったく悪びれる様子のないジュリーさん。

 オレは難色を示しつつも、そのわがままを反論することなく聞き入れてしまう。もうここまで来たら、どうにでもしてくれといった心境だった。

「それじゃあ、行ってきます。」

 リビングルームを飛び出したオレは、管理人室へと立ち寄って身支度を整える。そして、携帯電話と財布を持参して、不本意ながらも本日二度目の商店街まで赴くのであった。

 日用品はよかったのだが、ジュリーさんのお気に入りの缶チューハイが見当たらず、オレはあちこちのスーパーを探し回る羽目となってしまった。無事に買うことができたものの、かなりの時間を浪費したことは言うまでもない。

 結局オレがアパートへ帰ってきた時には、ジュリーさんが留守番できるぎりぎりの1時間をみっちりと使い果たしていた。


 =====  * * * *  =====


 勉強らしい勉強もできないまま、時刻はあっという間に夕方6時を過ぎていた。

 リビングルームの窓から眺める景色も、落日を告げるように薄っすらと赤らみ始めている。そんな寂しそうな黄昏が、オレの心情に空しくも暗い影を落としていた。

 いつものように一人きりの夕食を終えたオレは、後片付けのために流し台で洗い物をしていた。とはいえ、麦茶を注ぎ入れたグラスを洗浄していただけだった。

 しっかりとした夕食を心掛けたい時期だというのに、オレはどうも自炊しようという気になれず、悩んだ挙句、この夕食さえも出来合いの弁当で済ませていたのである。

「さて、今度こそ勉強しなきゃ。」

 気が滅入りながらも、萎えていた意欲を蘇らせようとするオレ。これからやってくる静かな夜に、日中にできなかった分の巻き返しを図ろうと躍起になっていた。

 この静かなリビングルームに突如訪れる静かな足音。室内を見渡したその足音の主は、オレを見つけるなり囁くような声で話しかけてきた。

「ああ、管理人。ここにいたのね、よかったわ。」

 リビングルームに入室してきたのは、真っ黒いネグリジェを着用して、伸ばした黒髪で顔半分を隠したあかりさんであった。

 あかりさんは実家から帰ってきてから、このオレのことを管理人と代行なしで呼ぶようになった。しばらくは違和感を覚えていたものの、今となっては、距離が縮まったような親近感にありがたみを感じている。

「オレに何か御用ですか、あかりさん?」

「申し訳ないけど、少しばかりお手伝い願えるかしら?」

 テーブル席へ腰掛けたあかりさんは、オレを呼び寄せるように手で合図をしてきた。それに応えるように、オレは流し台を片付け終えて彼女のもとまで歩み寄っていく。

 テーブルの上に目を向けてみると、一般的によく見かけるリングノートが置かれていた。どうやら、あかりさんが自室から持ってきたものらしい。

「あれ、そのノートは何です?」

「これはネームといって、漫画でいうところの設計図みたいなものよ。」

 あかりさんはオレの質問に答えるなり、そのネームと呼ばれるノートをオレに手渡してきた。

 覗き見してもいいのか恐る恐る尋ねると、あかりさんは冷静沈着のままOKサインを出してくれた。ちょっぴり拍子抜けしつつも、オレは手にしたノートのページをそっとめくってみる。

 そのノートには、漫画の設計図と言われる所以を示すかのごとく、下書きのようなラフな絵が鉛筆で大雑把に描かれていた。この繊細ながらも力強いタッチを見て、あかりさんが作画したものだとすぐにわかった。

「原稿を描く前に、こうやって下書きとかするんですね。でも、どうしてオレに見せてくれたんですか?」

 首を捻っているオレに、あかりさんは困惑したような顔でこの事情を打ち明ける。

「実をいうと、ある青年向け雑誌に特別読み切りを掲載したいという話が舞い込んできてね。この前、編集者の担当と打ち合わせてきたの。」

 現在連載している漫画とは別に、前後編の読み切りを掲載してみないかと、いきなり出版社からそう薦められたというあかりさん。しかもテーマが、青少年にも楽しめる娯楽的なドキュメント作品とのことだった。

 俄然その気になったあかりさんは、いろいろとストーリーを頭に浮かべながら、ほぼ三日間というハイペースでこのネームを仕上げたのだという。

 如何せん、これまで大人向け漫画ばかり描いてきたあかりさんには、このテーマに沿った作品の完成度に自信が持てず、アパート唯一の青年であるオレに評価してほしいというわけだ。

「あなたの感想や意見を聞いてみて、もう一度内容を精査してから担当に見せようと思っているのよ。そんなわけだから、協力してくれないかしら?」

「まぁ、そういうことなら、協力しないわけにもいかないですね。」

 そのお願いを受け入れるつもりで、あかりさんが創作した渾身のストーリーに触れてみたオレ。そしてページを一枚一枚めくるたびに、オレはページ数のあまりの多さに愕然としてしまった。

 それだけではなく、一コマ一コマに表現されている台詞も多くて、一ページ読むだけでもそこそこ時間がかかりそうな複雑な物語に見えなくもなかった。

「・・・あかりさん、これ、前後編の物語ですよね?思いのほか、ページが多くないですか?」

「そうかしら?それでも全部で60ページぐらいよ。漫画だから、スラッと読めちゃうと思うけど。」

 60ページをスラッと読めるだろうか?と疑念を浮かべるオレを尻目に、あかりさんは早く読んでみてとワクワクしながら急かしてくる。

 これから受験勉強が控えているオレにとって、ここでの時間の浪費は極力避けなければならない。オレは勇気を振り絞って、あかりさんに明日までの宿題にさせてもらえないか交渉してみた。

「ごめんなさい。明日の午後には担当と打ち合わせる必要があるの。だから、今夜中に読んでくれない?」

 オレの交渉はものの見事に決裂した。しかも、1分も経たないうちに。あかりさんのそわそわしさが、ここに来てようやくわかった気がする。

 もう悟っていた、オレに逃げ道など最初からなかったことを。受け入れる姿勢を示した以上、もうオレに後戻りできる術など残されてはいなかった。

「・・・はい、じっくり拝見させていただきます。」

 オレは観念するように、ノートに描かれた登場人物を目に焼き付けつつ、膨大にある台詞を細かく黙読していく。そして読み耽っているうちに、オレの勉強タイムはどんどん失われていくのであった・・・。

「・・・どうだった?できる限り詳しく、感想と意見を聞かせてちょうだい。」

 あかりさんの作り上げた壮大なるドキュメントを読み終えると、オレは抜け殻のように満身創痍な状態であった。それもそのはずで、休憩する間もなく1時間近く漫画と向き合っていたからだ。

 と言ってはみても、ストーリー自体はとてもおもしろくて、その世界観につい引き込まれていたオレ。これなら感想や意見といったものも、正直な気持ちのまま包み隠さずに伝えられそうだ。

「ちょっと表現が難し過ぎるかなと。もう少し台詞を短くしたり、解説文を整理した方がいいかなと思いました。ほら、青少年向けだから、オレはまだいいですけど、少年が読んだら、今のままだと途中で飽きちゃうと思うんですよね。」

 オレの淀みのない指摘を耳にしながら、あかりさんは感心するようにうなづいている。すぐさまノートを広げて、彼女は独り言を口にしながら物語を振り返っていた。

 あかりさんはその後もしばらく、エピソードを抜き出してはオレに意見を求めてきて、そのたびにオレの意見を摘み取っていく。この作品における、彼女の熱意が感じられる一コマだった。

「さすがは青少年代表、いろいろと貴重な意見だったわ。管理人、どうもありがとう。参考にさせてもらうわね。」

 充実感に満ち溢れた表情で、軽やかな足取りでリビングルームを後にしたあかりさん。

 リビングルームに一人残ったオレは、底へ落ちるほどの重々しい溜め息をつき、おもむろに壁掛け時計を見つめる。夜8時を過ぎ去った時計の短針を目にして、オレの顔色は落胆の色がより鮮明に濃くなっていった。


 =====  * * * *  =====


 そしてついに、まともな受験勉強ができないまま、夜9時という時刻に到達していた。今日ばかりは、いつもよりも時の過ぎる早さを痛感させられる一日だった。

 オレは開き直ってしまったかのように、管理人室を離れて、アパートの二階にある物干し場で一人佇んでいた。

 物干し場に立ち尽くし、夜空に小さく輝く星を眺めていたオレ。いつの間にかオレは、ここから見上げる星空観賞が好きになっていたようだ。

「今夜は月も随分綺麗に見えるな。」

 夜空の星の瞬きをかき消さんばかりに、青白く光る満月が煌々と輝いている。肌に当たる夜風も、涼しさというよりは肌寒さをにわかに感じさせていた。これもすべて、秋という季節の到来を物語っていたのかも知れない。

 正直なところ、こんなロマンチックな気分に浸っている場合ではない。オレにはやるべき難問が山積している。受験勉強に集中できる環境や、効率を高めるプロセスを考える必要があるのだ。

「はぁ・・・。とはいっても、果たしてどうしたらよいのやら。」

 ひたすら思案を繰り返すだけで、息詰まる思いに苦悩するばかりのオレ。追い込まれていくうちに、ついにはとんでもないことまで口走ってしまう。

「じいちゃんが退院してアパートに帰ってきた後、オレ、やっぱり実家に・・・。」

 そんな悩んでいるオレの肩に優しく触れる手の感触。驚きのあまりすぐさま振り返ると、オレのすぐ後ろには、艶のある髪の毛を夜風になびかせる住人が立っていた。

「こんばんは。こんな時間に、ここで何してるのかな?」

 暗い夜を明るくするような笑顔の持ち主、それは今日一日外出していたはずの麗那さんだった。

 ピンク色のシャツの上に栗色のセーター、そしてスリムなジーンズを着こなした麗那さん。そのおしゃれな衣装のままということは、外出先から帰ってきたばかりなのだろうか。

「あ、ただ、何となく星を眺めてました。」

 オレが反射的にそう返答すると、手すりに手を掛けた麗那さんも上空を見上げていた。

「そうか。今夜の星空って、何だか吸い込まれるぐらい澄んでるものね。」

 オレはふと、すぐ横にいる麗那さんの容姿を見つめる。月明かりに照らされたその横顔の美しさに、オレの鼓動がドキッと瞬時に高鳴った。

 この胸のときめきをはぐらかそうと、オレは頭を横に振って邪念を捨て去り、火照った気持ちを冷ましてから麗那さんに声を掛ける。

「麗那さん。今日は確か、マネージャーさんと打ち合わせだったんですよね?」

 麗那さんはそっとうなづくと、その打ち合わせの詳細をかいつまんで話してくれた。

 モデル復帰イベント特集について、麗那さんはつい先ほどまで関係者と話し合っていたそうだ。議論の末、彼女の専属雑誌であるLavieの中で、そのイベントを取り上げることが正式に決まったという。

 一連の騒動もあってか、Lavieの発行元は麗那さんの早期復帰に難色を示したそうだが、彼女なしのままでは売上部数に影響が出ることを懸念し、双方の要望を尊重し合った形で落ち着いたというわけだ。

「ということは、復帰もそんなに遠くないみたいですね。」

「うん、おかげさまでね。今回ばかりは、社長やマネージャーに頭が上がらないわ。復帰したら、目一杯お仕事して恩返ししなきゃ。」

 苦笑しながらそう嘆いていた麗那さんだが、心の中ではとても嬉しそうだった。モデル活動を自粛してから二週間ほど経過しているだけに、カメラの前に立つ自分自身に恋しくなってしまったのだろう。

 それに引き換え、このオレはいったい何をしているのだろうか。悩んでばかりで前向きにもなれず、大学受験という苦境から現実逃避する毎日を送っているただの大バカ野郎だ。

 麗那さんの眩しさに目を覆い隠してしまうオレは、やり切れなさに唇を噛みしめることしかできなかった。

「・・・悩み事があるなら話してみて。わたしが相談に乗ってあげるから。」

「・・・え!?」

 オレは目を見開いて、麗那さんの方へ顔を振り向かせる。彼女は優しく穏やかな眼差しで、こんな愚かなオレのことを親身になって気遣ってくれた。

 心の中を見透かされるたびに感じているが、オレは麗那さんにだけは嘘を付けないタイプなのかも知れない。

「やっぱり、わかっちゃいましたか?」

「まあね。こんな暗い夜でも、はっきりわかるぐらい沈んだ顔してるんだもの。」

 麗那さんは胸をポンと叩いて、お姉さんに相談しなさいと言いながら、オレにすべてを打ち明けるよう促してきた。オレはそのお言葉に甘えるように、尊敬できる先輩に抱え込んでいる悩みを告白する。

「恥ずかしいお話ですが、9月に入った途端、受験勉強と向き合えない自分に恐怖感を覚えてしまって。本当のところ、合格しなければいけないプレッシャーに押し潰されそうなんです。」

 アパートの仕事をしながら勉学に励む難しさ、住人のお願いを受け入れる大変さなど、オレは勢い余って、そんな言い訳がましい胸のうちまで吐露してしまう。

 管理人を代行する者として、そして一人の男として、オレはこんな弱音を吐くなんて真似はしたくなかった。しかし今のオレは、誰かにすがりたい気持ちを隠し通すことができなくなっていたのだ。

「すいません、つい言い出したら止まらなくて。オレって情けないですよね。遠回しに、住人のみなさんに責任転嫁しているんですから。」

「それは違うよ。マサくんは管理人としての責任を全うしているだけ。わたしたち住人が、もっとあなたの辛さをわかってあげなきゃいけないの。本当に迷惑ばかりでごめんなさい。」

 住人全員に成り代わって、オレに向けて深々と頭を下げる麗那さん。住人たちを取りまとめる役として、それ相応の責任を感じていたのだろう。

 オレの心の訴えを受け止めてくれた麗那さんに、オレも誠意をもって感謝の気持ちを伝える。彼女のおかげで、もやもやしていた胸の奥がスカッと晴れたことが何よりも嬉しかった。

「もうすぐ、予備校で志望校判定テストが実施されるんです。とりあえずオレは、そのテストで高評価をもらえるようがんばってみようと思ってます。」

 目標を掲げるオレに感心したのだろうか、麗那さんは声を弾ませながらオレを激励してくれた。

「目標を持つことは大事よ。マサくんは努力家だから、きっと好成績が取れるわ。」

「ありがとうございます。とにかく集中できるよう踏ん張ってみますね。」

 アパートの仕事は気にしないで一生懸命がんばってと、麗那さんはそんな一言を告げると、おやすみの挨拶とともにオレのもとから離れていった。

 麗那さんに元気付けられたおかげで、オレは心に秘めていた一大決心を話しそびれてしまった。いや、正直言うと打ち明ける勇気がなかったのだ。

 とにかくがんばればいい。志望校判定テストで目標ラインを超えることができれば、それを告白する必要もなくなる・・・。オレは情けなくも、見上げる星空にそんな惨めな祈りを捧げるしかなかった。

第五話は、これで終わりです。

ご意見、ご感想など、お気軽にお寄せください。

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