第五話 一.サッカー観戦
いよいよ8月の最終日曜日を迎えた。9月の足音が一歩一歩近づいているというのに、夏の衰えを感じさせない暑い日だった。
今日はアパートの住人たち恒例のお楽しみ会の日。その内容は、奈都美が所属するサッカーチームの試合観戦。気持ちを弾ませるほど天気は上々で、絶好のスポーツ観戦日和であった。
試合会場となるサッカースタジアムは、東京都内から少し離れた場所にある。オレを含めた住人たちは、アパートの最寄駅から電車へと乗り込んで、そのスタジアムに一番近い駅を目指していた。
「あたし、サッカー観戦なんて初めてだよぉ。今からわくわくするねー。」
「そうネ。わたしもテレビで数回観たぐらいだから、とっても新鮮ヨ。」
潤とジュリーさんはそう言いながら、試合前から興奮を抑えきれない様子だ。二人とも観戦が初めての割には、スポーツタオルをしっかり首からぶら下げていた。
「今日の試合、奈都美が出場できたらいいけど。そういう意味ではドキドキしちゃうな。」
「奈都美のことだから、きっと努力の結果が実を結ぶと思うわ。そう信じましょう。」
麗那さんとあかりさんはそう声を掛け合って、期待と不安な気持ちをあらわにしていた。それはまるで、奈都美という妹を切に想う姉のように見えなくもなかった。
アパートを出発してから1時間30分ほど、住人たちのさまざまな思いを乗せた電車は、スタジアムを近距離に望むことのできる駅まで到着した。
「へー、女子サッカーだからたいしたことないと思ってたけど、立派な球技場で試合するんですね。」
オレは駅の改札口を抜けるなり、眼前に堂々と居座るサッカースタジアムを眺めていた。すると、麗那さんが微笑みながら、呆然としているオレの肩にそっと両手を宛がう。
「女子だからって、あなどっちゃダメよ。このスタジアムを本拠地にするチームはね、あの強豪の東京多摩FCなんだから。」
「あれ?東京多摩FCといえば、確か、奈都美が以前所属していたチームじゃないですか。」
本日このスタジアムで開催される試合は、東京を本拠地とする「東京多摩FC」と、千葉を本拠地とする「千葉フューチャーズ」との対決だ。当然ながら「千葉フューチャーズ」がアウェイということになる。
麗那さんの調べた限りでは、「東京多摩FC」はリーグ戦で現在首位を独走中とのこと。一方の奈都美が所属する「千葉フューチャーズ」はというと、最下位から数えた方が早い順位とのことだった。
「そうかぁ・・・。ということは、奈都美のチームにとって分が悪い試合なんですね。」
奈都美のチームが形勢不利とわかり、内心がっかりしてしまったオレ。それでも、せめて彼女が出場して活躍だけでもしてくれたらと、そう願わずにはいられない心情だった。
「それにしても、麗那さん。女子サッカーのこと詳しいんですね。びっくりしましたよ。」
「詳しいというか・・・。ほら、わたし今仕事してないから、新聞のスポーツ欄をのんびりチェックしてみたというわけで。」
麗那さんは決まりが悪そうな顔をして、儚げな視線をはるか遠くへ飛ばしていた。それもそのはずで、彼女はこの前の失踪騒動の責任を取って、今日現在も、モデル活動を自粛している身なのである。
そんな麗那さんのことが居たたまれなく思えたオレは、申し訳ないという思いからつい頭を下げてしまう。
「そういえばそうでしたね・・・。すいません、いらない質問しちゃって。」
「いいわよ、そんなこと。わたしが自分で決めたことだもの。後悔なんてしてないよ。」
復帰時期についてはまだ未定だが、最新情報によると、麗那さんの所属事務所と専属雑誌の出版社とで、復帰イベントの開催を企画しているそうだ。それを待ち遠しく思いながら、彼女は気丈に明るく振る舞っていた。
「わたしのことはいいとして、ほら、マサくん。スタジアムはすぐそこだよ。」
サッカー観戦する他の観客たちと交じり合って、オレたちはいよいよ、歓声に包まれるスタジアムの広大な敷地内へとやってきた。
本日の試合開始時刻は午後3時。試合開始まで、残すところあと1時間に迫っていた。
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ここ「東京多摩FC」のメインスタジアムは、観客を一万人ほど収容できる規模を誇り、サッカーフィールドのみならず、陸上競技のトラックを敷設した多目的競技場でもあった。
入場ゲートでチケットの半分を手渡して、活気に溢れるスタジアム内へ足を踏み入れたオレたち。国内リーグ戦だからなのか、待たされることなくすんなりと入場することができた。
オレたちはスポーツ観戦の定番、おつまみとドリンクを購入してから、フィールドが見渡せる観客席まで辿り着く。
「おお・・・。」
目に眩しい人工芝の緑色、それを取り囲む観客席の明るいオレンジ色、そして澄み切った青空を彩る爽快な水色。テレビで味わうことのできないこの色彩に、オレは高揚するあまりゴクッと息を呑み込んだ。
「あたしたちの席ってどこぉー?」
「奈都美のチームの応援席だから、あっちの方ヨ、きっと。」
ジュリーさんが指差している観客席には、奈都美のチームの応援幕がいくつか掲げられていた。さすがにここは敵地なだけに、その応援幕もどことなく控え目な印象が否めなかった。
オレはチケットの半券を手にしながら、オレたちが座るべき座席番号を目で追っていく。後ろにいる女性四人がはぐれないよう、背後に目を配りながら慎重に歩を進めていった。
「ああ、あそこみたいですね。」
フィールド一面を見渡せる最前列で、オレたちの到着を待ちわびていた五つの観客席。座席がわかった途端、住人たちは大はしゃぎでオレの横をすり抜けていく。ただ一人、落ち着き払ったあかりさんを残して。
「フフフ。彼女たち、新鮮なことばかりですっかり浮かれてるわね。」
微笑しながら、オレのすぐ横までやってきたあかりさん。そんな彼女の横顔には、少しばかり疲労感が見え隠れしていた。
「あかりさん、体調とか大丈夫ですか?昨日の夜に帰ってきたばかりだから、かなりお疲れですよね。」
「平気よ。睡眠は十分に取ってるつもりだし。・・・それに、住人のみんなに会えて、有り余るぐらい元気をもらったから。」
あかりさんは心配無用と言いながら、賑やかな住人たちを暖かい目で見つめていた。
実家のある大阪から昨夜帰ってきたあかりさんは、ゆっくりと休憩する時間もないまま今日の朝を迎えていた。実家の道場にいる間も、稽古で汗を流す羽目になったと語っていた彼女。きっと抱えている疲労もそれなりなものに違いない。
お疲れのあかりさんをエスコートしてから、オレも最後に空いている座席へと腰を下ろした。
「それじゃあ、カンパーイ!」
住人たちは紙コップをぶつけ合って祝杯を上げる。昼下がりの暑さのおかげで、彼女たちの一口目は、紙コップの底を突くかのような勢いだった。
売店で買ってきたチキンナゲットやフライドポテトを、おいしそうにつまんでいる住人たち。酒盛りしている彼女たちにとって、サッカーの試合など単なる口実なのではないかと思ってしまう。
「失礼なヤツだなぁー!あたしたち、ちゃんと奈都美の応援に来たんだからぁ。」
「そうヨ、そうヨ。しっかりと応援グッズ持参してきたのよ。見てみなさい!」
つい口を滑らせてしまったオレに、潤とジュリーさんはぶら下げていたタオルを突き出してくる。何とそのタオルには、奈都美のことを激励する応援メッセージが黒いマジックで描かれていた。
そのタオルをフィールドの上に立つ奈都美に振って、彼女たち二人は熱のこもった黄色い声援を贈るのだという。
「応援するのは大歓迎だけど、その小さいタオルじゃ奈都美に見えないよね。それに、その”一球入魂”っていうメッセージ、何だか野球っぽくない?サッカーだったら、”一蹴入魂”の方がいいと思うけど。」
オレが突っ込みどころ満載のタオルに物申すと、潤とジュリーさんは冷めた目つきで、エールを送る気持ちが大切なんだと口を尖らせる。
応援グッズすら持っていない人に言われる筋合いはないと、完膚なきまで苦言を呈されてしまったオレ。余計なことを口走るものじゃないなと、オレはしきりに反省するしかなかった。
そんな騒がしいやり取りが続く中、時間は刻一刻と流れていく。試合開始の時刻まであと30分ほど、キックオフのホイッスルが吹き鳴らされるのを、オレたちは胸を躍らせながら待つばかりだった。
===== * * * * =====
試合開始の時刻まで残り10分となった。満員御礼とまではいかないものの、スタジアムの観客席は両チームの応援団や、ピクニック感覚でやってきた観客たちで賑わいつつあった。
今まで無人だったフィールド上にも、審判員らしき人や、ボールボーイを務める人の姿が見られて、それがキックオフ間近であることを物語っているようだった。
いよいよ、オレたちにとって緊張の瞬間が訪れた。両チームのスターティングメンバーが、スタジアムの電光掲示板に発表されたのだ。
両チームの応援団の沸き立つ声を耳にしながら、電光掲示板に表示された選手名を確かめるオレたち。
「あ!奈都美の名前見つけたぁー!」
潤のその発言に、他のみんなの鼓動が激しく高鳴る。
じっくりと確認してみると、奈都美の名前は間違いなくあったのだが、それはスターティングメンバーではなく、控えのメンバーとして表示されていたのだ。
それが理解できなかった潤は、たった一人で浮かれまくったままだ。オレがその辺りを事細かく解説してあげると、彼女はようやく理解したのか、苦虫を噛み潰したような顔で溜め息をついた。
「なーんだぁ、つまんない!試合に出られると思ったのにぃー。」
「諦めるのはまだ早いよ。ベンチスタートとはいえ、出場できるチャンスはあるからね。」
オレは潤のことを励ましながら、アウェイ側のベンチへと視点を合わせる。しかしあまりに遠すぎて、そこにいるはずの奈都美の姿を発見することはできなかった。
そんな矢先、両チームの応援のボルテージが一気に高まった。すぐさまフィールドに注目してみると、審判員に先導されつつ、両チームのスターティングメンバーが入場してきたようだ。
たくましくも勇ましい姿で、ピッチの上に姿勢よく整列した選手たち。その一列の中に、奈都美がいないことが残念に思えてならないオレだった。
「あ、ようやく試合開始みたいね。」
興奮しているのか、わくわくしたような声を上げた麗那さん。その声に反応して、他のみんなも緊張の面持ちでフィールドに釘付けとなった。
両チームの選手たちがそれぞれのポジションに散っていく。センターサークルにいる選手を見る限り、どうやら奈都美のチームから攻撃が始まるようだ。
笛を口にくわえた審判員が、センターラインに仁王立ちして時計を見つめている。そして数秒後、観客席にも届くような甲高い笛の音が鳴り響き、待ちに待った試合開始の時刻となった。
「わー、がんばれー!」
フィールド上にボールが蹴り出されると、住人たちは口元に手を置いて黄色い声援を送っていた。奈都美がピッチにいないとはいえ、彼女のチームを応援する気持ちに変わりはないのだろう。
試合開始早々こそ、奈都美のチーム「千葉フューチャーズ」はボールをキープし、相手ゴール付近まで果敢に攻め込んでいたが、やはり対戦相手「東京多摩FC」との実力の差か、わずかながら劣勢に立たされつつあった。
ボールを奪っては奪われる、そんな一進一退の攻防が中盤に掛けて繰り広げられる。これこそがサッカーの醍醐味であろうか、住人たちはすっかり我を忘れて観戦に夢中になっていた。
「マサくん、奈都美のチーム、どう思う?」
麗那さんが戦況を見つめながら、オレにさりげなくそう問いかけてきた。
「押し込まれてるのは間違いないですね。奈都美のチームの選手たち、ほとんどが守りに徹してますよ。」
貴重な先制点を奪うため、相手チームの攻撃陣は攻撃の手を緩めようとはしない。やはり実力の違いなのか、はたまた応援団の絶大な後押しなのか、時間を追うごとに、相手チームの士気が増してきたのがわかる。
一方の奈都美のチームはというと、ゴールを死守することだけで手一杯で、攻撃に移ることすらままならない。防戦一方とはまさにこのことだろう。
そんな試合展開が続いていた矢先、奈都美のチームにとってピンチが訪れた。放たれたシュートをキーパーが必死に弾いてくれたものの、相手チームにコーナーキックのチャンスを与えてしまったのだ。
「ここは集中して守らないとですね。」
「ハラハラドキドキ・・・。みんな、しっかり守ってね。どうかゴールされませんように!」
この緊迫したシーンを見守るオレのそばで、麗那さんは手を合わせて祈るように叫んだ。他の住人たちもこのピンチを危惧するあまり、居ても立っても居られない様子だった。
コーナーポストにいる選手が勢いよくボールを蹴り出した。ゴールマウス目指して放物線を描くボールを、オレたちは息を凝らしながら目で追っていく。
宙を舞うボールの争奪戦は、両チームの選手のヘディング勝負となった。そして、選手たちの頭に当たって弾んだボールは、不運にも、ゴール前に待機していた相手チームの選手の足元まで転がってしまう。
「あっ!」
オレは最大の危機を察知し、無意識のうちに大声を張り上げてしまった。
それはあっという間の出来事だった。相手チームの選手がシュートしたボールは、ゴール付近の人波を掻き分けるように縫っていき、気付いた時には、奈都美のチームが守るゴールネットを揺らしていた。
ついにゴールが決まり、拮抗していた攻防戦の均衡が破られた。スタジアムは活気付いた場内アナウンスとともに、相手チームの応援団の割れんばかりの大歓声に包まれた。
それとは反対に、奈都美のチームの応援団はすっかり意気消沈としている。もちろん、オレの横にいる住人たちからも悲鳴のような溜め息が漏れていた。
「わぁー、入っちゃったよぉ!?どーしよぉ!」
「オーマイガッ。やられちゃったわネ・・・。」
潤とジュリーさんの二人は、ショックのあまり落胆の色を隠せない。ガックリと肩を落として、二人とも頭をうつぶせ気味に垂らしていた。
「今の運が悪かったよね。まさか、ボールが相手の選手のそばに落ちるなんて。」
「でも、運だけとは言えないわ。ゴールを決めた選手のポジションもよかったから。」
麗那さんとあかりさんの二人は、失点したことを受け止めつつ冷静に分析していた。それでも、その表情から悔しさが溢れていたことは言うまでもない。
それから十数分が経過したが、両チームとも奮闘するも、ともに加点することができないまま、前半戦終了を告げるホイッスルがスタジアムに鳴り響いた。
「ふぅ・・・。前半戦が終わったね。奈都美のチーム、まだ逆転のチャンスはあるよね?」
「もちろん、最少得点差だからまだまだ諦めるのは早いです。勝負は後半戦ですよ。」
ピッチから引き上げる選手たちを労いながら、オレと麗那さんは互いにそう励まし合っていた。
ハーフタイムとなり、観客席がガヤガヤと騒がしくなる中、アパートの女性陣は皆、トイレに向かうために揃って席を立つ。観客席に一人残されたオレは、どうすることもなくフィールドをぼんやりと眺めていた。
スターティングメンバーから外れた奈都美は、結局前半戦に出場することはできなかった。残りの後半戦45分にきっと出場する機会がやってくる、今のオレはそう期待するしかなかった。
「あれ?」
薄っすらとした視界の中に飛び込んだ一人の選手。フィールド上に駆け出してきたその選手は、ボールを転がしながら同チームの選手たちと練習を始める。
その選手にピントを合わせてみると、出番を今か今かと待ちわびている、背番号19番を背負った奈都美の姿だった。
機敏な動作で巧みなパスワークを披露する奈都美。練習に付き合わされたことのあるオレには、彼女の好調ぶりが遠距離ながらもはっきりとわかった。
「・・・奈都美、いつになく気合が入ってるな。この日のために努力してきたんだもんな。後半戦に出場できるよう期待してるぞ。」
闘志をみなぎらせる奈都美の雄姿に、オレは心の中から、応援団にも負けないぐらい熱い声援を送っていた。
練習している控え選手と入れ替わるように、フィールドに両チームの選手が気合とともに走り込んでくる。住人たち全員が観客席まで戻ってきた頃、タイミングを狙ったかのように後半戦の火ぶたが切られた。
後半戦開始早々、奈都美のチームで一人だけ選手交代がアナウンスされた。オレたちは神妙に耳を澄ましてみるも、残念ながら交代選手は奈都美とは別の選手であった。
「あー、もう!さっきから、やきもきしてばっかりよ。」
「本当に心臓がドキドキね。わたし、こんなに緊張するの久しぶりだわ。」
焦れながら胸に手を宛てている麗那さんとあかりさん。そんな二人の隣では、潤とジュリーさんが柏手を打って奈都美の出場を祈願していた。果たして、オレたちみんなの願いは叶ってくれるのだろうか?
後半戦も予想していた通り、序盤から相手チームの猛攻が続いていた。奈都美のチームは守勢に回ってばかりで、ボールをセンターラインの先まで送ることができない。
試合時間も10分、20分と瞬く間に過ぎていく。応援団の熱のこもった声援にも、わずかながら諦めがちな敗北感が交わり始めていた。
奈都美のチームは一点ビハインドのまま、二人目の選手交代を宣言する。ところがこの交代でも、彼女の目標達成という文字に結びつくことはなかった。ルール上、残る交代カードはあと一枚となった。
「もう残り5分か・・・。このままじゃ、奈都美の出番もないし、試合にも負けちゃうな。」
諦めたくない気持ちとは裏腹に、オレの心の奥底はそんな絶望感に支配されつつあった。住人たちもまた、焦燥感を表情に映しながら、過ぎていく時計の針だけを目で追っている。
「あー、いらいらするぅ!試合負けちゃうならさー、奈都美を出場させてもいいじゃん!」
「そうよネ!勝敗に限らずに、いろいろな選手に出場機会を与えるのも大切なことヨ!」
もう試合の勝敗なんてどうでもいい、とにかく奈都美を登場させろとばかりに、潤とジュリーさんは声を荒げて選手の起用法にクレームを付けていた。
「ちょっと待って!ほら、あれ見て!」
麗那さんが叫び声を上げながら、フィールドのはるか先を指差した。他の住人たちは何事かと、彼女の指し示す方角へと視線を向ける。
控えベンチのすぐそばで、背番号19番の選手が入念なストレッチをしている。オレたち全員には、それが奈都美であることが遠いながらもくっきりと見えていた。
「やった!いよいよ奈都美の出番だっ!」
オレはこの時ばかりは我を忘れて絶叫していた。応援団の奮起を促す声援や、沸き上がる観客席の歓声に興奮を抑えきれなかったのかも知れない。
奈都美のチームは最後の交代カードを切った。待ち焦がれていた彼女が、ピッチという夢の舞台に立つ瞬間がついにやってきたのだ。
「奈都美ー、がんばれー!!」
住人たちは一斉に立ち上がって、フィールドに駆けていく奈都美に騒音のような声援を送った。もちろんこのオレも、彼女たちに引けを取らないぐらいの声を張り上げた。
奈都美は水を得た魚のように、フィールド上を所狭しと駆け回っている。そのファイティングスピリッツは、疲労度が増した同チームの選手たちに活力を蘇らせる勢いだった。
それでも奈都美の出番はあまりにも遅すぎて、電光掲示板にある時計の針は、まもなく45分に差し掛かろうとしていた。
「もう後半戦が終わっちゃう。せっかく奈都美が出てきてくれたのに・・・!」
「まだ大丈夫ですよ。アディッショナルタイムがありますから。」
審判員が両手に掲げた表示板には”3”という数字が表示されており、アディッショナルタイムが3分だということを意味していた。
この長いようで短い残り3分に、奈都美の大活躍をただただ期待するオレたち。潤とジュリーさんはタオルを振り回し、麗那さんとあかりさんは両手を激しく打ち鳴らす。このオレも、奈都美の素早い動きにいつしか目を奪われていた。
相手チームも体力消耗が著しく、攻撃よりも守備に重点をおいていたそんな最中、奈都美のチームの選手が相手チームからボールをインターセプトすると、そのボールを前線に向けて大きく蹴り出した。
「あ、奈都美がボールをゲットしたわ!」
麗那さんのその声に、他の住人たちはやんややんやの大騒ぎとなった。
ボールを受け取った奈都美は、華麗なドリブルをしながらサイドラインを駆け上がっていく。それに引っ張られるように、相手チームの守備陣が必死になって彼女を追いかけていた。
コーナーポストの付近で、ついに相手チームの守備陣に取り囲まれてしまった奈都美。ボールをパスしたくても、彼女のチームの攻撃陣は堅いガードに阻まれてしまっている。
「まずいぞ、これは。残り時間を考えても、これがラストチャンスだ。」
「それじゃあ、ボールを奪われたら試合が終わってしまうってこと?」
汗ばんだ拳に力を込めて、オレと麗那さんは最後のチャンスに祈りを捧げる。他の住人たちも、そして応援団の全員も同じ思いを抱いていたに違いない。
オレたちみんなが見守るフィールド上で、奈都美はまだ守備陣に動きを封じられていた。しかし、ここで彼女は無謀な作戦に打って出た。何と、取り囲んでいる選手をドリブルで突破しようと試みたのだ。
技巧派の奈都美ならではのこの作戦は、危なげながらも功を奏し、ボールを蹴り出せるスペースを確保することに成功した。相手チームの積み重なった疲労が追い風になったのだろう。
「奈都美、中央が空いてる、チャンスだ!」
オレの声が風に乗って届いたわけではないが、奈都美が期待した通りにピッチの中央へボールを蹴り出すと、そこへ走り込んできた彼女のチームの選手が、そのボールをしっかりと右足で捉えていた。
ボレー気味に放たれたシュートは鋭角なカーブを描き、ゴールを守る守備陣とゴールキーパーすら動けないぐらいのスピードで、ゴールネットの右隅を切り裂かんばかりに突き刺した。
「やったぁー!!」
待望のゴール、待ちに待った同点弾だった。しかも、奈都美のアシストによる値千金の得点であった。
奈都美のチームの応援団は拍手喝采の雨あられだ。オレたちもあまりの嬉しさに、手を取り合って喜びを分かち合っていた。
試合終了ぎりぎりの同点劇に、フィールド上も異様な盛り上がりを見せている。奈都美はチームの仲間たちと抱き合い、オレたちと同様に歓喜の瞬間に浸っていたようだ。
試合はこのまま、一対一という結果でゲームセットとなった。勝利こそ叶わなかったものの、奈都美のチームにしてみたら、勝利に等しいと言っても過言ではなかったかも知れない。
「奈都美、おめでとう。オレや住人たちにとっても、最高のプレゼントになったよ。」
満面の笑みをこぼしている奈都美に対して、オレはそんな激励のメッセージを贈った。
「東京多摩FC」という強豪、その因縁のある対戦相手に臆することなく、自らの活躍で一矢報いることができた奈都美。自信喪失と挫折から這い上がってきた彼女だからこそ、きっと喜びもひとしおだったであろう。
「やったねー、奈都美。最高にカッコよかったよぉ!」
「うんうん!わたし、もう感動しちゃったわヨー。」
「本当によかったわ。あんなに活躍してくれるなんて。」
奈都美の苦労と努力を知っているのは、もちろんオレだけではない。ここにいる住人たちもまた、彼女と一緒の願いを胸にこの試合に臨んでいたのである。
「こういうサッカー観戦も楽しいね。ちょっとしたスポーツもののドラマ観てるみたいだったわ。」
「それは言えますね。今日の試合はまさに、筋書きのないドラマだったのかも知れませんね。」
オレと麗那さんはそんな会話をしながら、微笑ましい表情を向き合わせて、感動というドラマの余韻に胸を躍らせていた。
熱戦の終わりがアナウンスされる中、熱気に包まれたスタジアムから、観客たちがそれぞれの思いのままに去っていく。オレたちも弾むような気持ちのままに、この興奮冷めやらぬスタジアムを後にした。
===== * * * * =====
オレたちは帰りの電車に乗るため、観客で賑わっている駅周辺まで辿り着いた。時刻は夕方5時30分を過ぎたあたり、試合開始が午後3時だったのでそれもうなづけるところだ。
試合終了間際こそ、バカ騒ぎしていた潤とジュリーさんの二人だったが、応援に疲れてしまったようで、今ではすっかりダラダラしながら歩いている。麗那さんとあかりさんは、だらける二人の両肩を掴んだまま、元気出しなさいと諭すように励ましていた。
「それにしても、今日は一風変わったお楽しみ会になったわ。結果的に、とっても楽しめてよかった。」
「これもすべては、奈都美ががんばってくれたおかげね。わたしも空手以外で熱くなったの久しぶりよ。」
試合が終わった後も、興奮が冷めきっていない様子の麗那さんとあかりさん。奈都美の躍動ぶりに感化されたのか、彼女たち二人の歩調もどこか軽やかだった。
「もう6時近いし、もしだったら、みんなでご飯食べて帰ろうか?」
麗那さんはポンと手を一つ叩いて、お楽しみ会の二次会を企画した。
みんなお腹が空いていたようで、反対する意見は何一つ出なかったが、潤だけがボソッと沈んだ声で話しかけてくる。
「でもさぁ、奈都美のいない二次会になっちゃうね。」
奈都美がこの場にいない寂しさから、潤は表情に薄っすらと憂いを漂わせている。いくら奈都美からの提案だったとはいえ、お楽しみ会の楽しさを共感できないことがやるせなかったのだろう。
「今日の主役がそばにいないの、ちょっぴり残念ネ。」
「だからといって、彼女を呼び寄せられるものでもないわ。」
ちょっとばかり物悲しいムードに包まれていた住人たち。オレは小さく頭を横に振って、そんな彼女たちを少しでも元気付けようとする。
「奈都美はきっと、楽しんでくれると思いますよ。だって彼女とオレたちは、試合に出場できたという共通の喜びを一緒に体感できたんですから。離れたところにいても、この二次会に参加できなくても、彼女は喜んでくれるはずですよ。」
今日は今日として、別の日に奈都美を交えた慰労会を開催しましょうとオレが提言すると、住人たちの表情にほんのりと明るさが帰ってきてくれた。
潤に至っては、沈んだ太陽が昇ってきたかのように明るくなって、お腹を押さえながら食事のリクエストを叫びまくる始末だった。お調子者の彼女らしいと言えばそれまでなのだが。
「それじゃあ、行きましょうか。この駅の路線の途中でね、わたしの知ってるお店があるんだ。」
「へー、途中下車の寄り道ですか。何だか、テレビの旅番組みたいでワクワクしますね。」
そうと決まればと言わんばかりに、潤とジュリーさんは元気を取り戻して駅へと急ぐ。そんな二人の後ろ姿を、呆れながら追いかけていくあかりさん。そして、いつも通りの賑やかな触れ合いを感じて、オレと麗那さんはクスクスと微笑するのだった。
オレはこの日の夜、住人たちととても満足で有意義なひと時を過ごした。このオレにとって、これが東京での最後の楽しい晩餐会になるとも思いもしないで・・・。
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