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第四話 三.歩道橋で見上げた星空

 アパートの二階にある麗那さんの自室前。静まり返った廊下には、マスターキーを手にするオレと、一緒についてきてくれた紗依子さんとマネージャーがいた。

 オレはドアノブにある小さな鍵穴にマスターキーを差し込んだ。そしてキーをゆっくり捻ると、開錠を知らせる金属音がシーンとした廊下に響き渡った。

「・・・それじゃあ、開けますよ?」

 オレの同意を求める声に、紗依子さんもマネージャーも口をつぐんだままうなづく。

 誰もいないとわかっていても、息詰まるような緊張感のせいで、オレの手はにわかに汗ばんでいた。さらに蒸し暑さで温くなったドアノブが、このオレに不快感までも伝わせてくる。

 固唾を飲む女性二人に見守られながら、オレがそっと自室のドアを開けると、廊下の明かりが届かない真っ暗な空間が浮かび上がった。

「オレが言うのもなんですが。・・・どうぞ。」

 まるで招かれるお客のごとく、麗那さんの自室へと足を踏み入れる紗依子さんとマネージャー。

 オレが手探りで室内灯のスイッチを入れると、誰もいない部屋の中に、麗那さんのきちんとした私生活が映し出された。

「・・・へぇ、麗那の部屋って、思ってたよりも綺麗なのね。」

 しわもなく整理整頓されたベッド、不要な物が散乱していないカーペット、そして整然と並んでいたおしゃれな衣装。できる限り覗かないようにしていたオレの目に、今までに見ることのなかった光景が焼き付いていた。

 感心している紗依子さんたちは、綺麗に片付いた部屋の中を隈なく見渡している。一方のオレは、女性の部屋に無闇に入ることができず、彼女たちの捜索が終わるのをじっと待つしかなかった。

「うーん。行方がわかるような、めぼしいものは見当たらないわね。」

「そのようですね。すべての引き出しや押し入れまで探すのも現実的じゃありませんし。」

 麗那さんの部屋から、女性二人の溜め息交じりの台詞が聞こえてきた。どうやらこの捜索は、収穫のない残念な結果に終わってしまったようだ。

 よくよく考えてみれば、麗那さんはアパートを最後に行方をくらましたわけではないので、この部屋にそれらしい痕跡がない方が当たり前なのかも知れない。

「マサくん、そんなところに突っ立ってないで、こっちに来て手伝ってくれない?」

「あー、その、そうしたいのはやまやまなんですが・・・。」

 麗しき女性の部屋へ立ち入るという、不道徳な行為に戸惑っていたオレ。そんなオレの心理を察した紗依子さんは、男性が興味を示すものなんか何一つ落ちてないからと、強めな口調で半ば強制的に入室するよう促してきた。

 これはやむなしと判断し、腹をくくって入室することを決意したオレだったが、それでも伏し目がちに、足元を見つめながら恐る恐る部屋の中へと入っていく。

「あれ?」

 オレは足元にある何かを目にしてふと立ち止まる。よく見ると、フローリングの床とカーペットの隙間に、何やら封筒のようなものが挟まっていた。

「そういえば・・・。これ、昨日わざわざ届けてもらったヤツだ。」

 昨日の朝、麗那さん宛ての手紙をアパートまで届けてくれた一人の女性。娘の代わりに渡してほしいとお願いされたオレは、紛失することがないよう、麗那さんの自室の中へ忍ばせておいたものだった。

 オレは記憶を思い起こしながら、麗那さんの目に触れることもなく、置き去りにされたままの封筒をそっと手にしていた。

「あらら、その封筒みたいの、麗那の落し物か何か?」

「いいえ。これは麗那さん宛ての手紙が入ってる封筒なんです。」

 オレが昨日のやり取りを紗依子さんに説明しようとした矢先、近くまで寄ってきたマネージャーが、オレの持つ封筒をまじまじと見つめていた。麗那さんのマネージャーだけに、この封筒の存在自体に何か心当たりでもあったのだろうか?

「あの、管理人さん。その封筒ですけど、わたしに見せてもらってもよろしいですか?」

 マネージャーの素振りを見る限り、封筒そのものではなく、封筒に書かれた文字が気になっているようだった。

 手紙を取り出さないと約束してもらった上で、オレはマネージャーに封筒を手渡した。すると彼女は、どういうわけか表面などに目も暮れず、すぐさま裏面へとひっくり返していた。

「やっぱりだ・・・!でも、どうして・・・!?」

 信じられないといった顔つきで、びっくりしたように絶句しているマネージャー。裏面には確か、封筒を届けてくれた女性の娘の名前が記されていたはずだ。

 マネージャーは愕然としながら、封筒を持ったまま紗依子さんのそばへと歩み寄る。

「紗依子さん、この封筒の差出人を見てください!」

 紗依子さんもその裏面を目視した途端、マネージャーと同じような顔をして、同じような反応を示していた。オレには何が何だかさっぱりわからず、そんな彼女たちの様子を呆然と見つめるしかなかった。

「マサくん、この封筒がどうしてここにあるのか教えてくれる?」

 深刻な表情を浮かべている紗依子さんは、オレを急かすようにそう問いかけてきた。

 昨日の朝に起こった出来事の過程をオレが一通り説明すると、紗依子さんとマネージャーは困惑めいた顔を向き合わせていた。

 紗依子さんにはその封筒の正体がわかっていたようだ。オレがそれについて尋ねると、彼女の口から思ってもみなかった事実が明かされた。

「・・・この封筒の差出人はね、麗那の尊敬するあの先輩なのよ。」

 その衝撃的な真実に、オレは目を丸くして唖然としてしまった。

「ちょ、ちょっと待ってください。その差出人の名前、オレの知ってる先輩の名前と違いますよ。」

 麗那さんに誘われてお墓参りをした時、オレが目にした墓石に刻まれた先輩の名前は、明らかにそれとは異なるものだった。それだけは、オレの記憶の中にしっかりと残っていたのだ。

 そんな異論を唱えていたオレを説得するように、マネージャーが異なる理由をわかりやすく教えてくれた。

「管理人さんの知っている名前はきっと、本名のことだと思います。この封筒に書かれた香稟とは、彼女の芸能活動上の名称、つまり芸名なんです。」

「あー、なるほど。そういうことでしたか・・・。」

 本名と芸名の違いという、あって当たり前の勘違いを指摘されて、オレは拍子抜けしたように気が抜けてしまった。

「先輩が亡くなってから二年。まさかこんな切羽詰まった時に、こんなものが出てくるとはね・・・。」

 封筒に視線を落としたまま、複雑な心境を吐露していた紗依子さん。

 このような驚くべき展開になると、否が応でも、封筒の中にある手紙のことが気になってしまう。紗依子さんもマネージャーもどこか落ち着かなくて、気が気でないように見えなくもなかった。

「マサくん!管理人であるあなたに、もう一つお願いするわ。」

 紗依子さんは命令口調でそう申し出てきた。それはとてもストレートに、封筒に仕舞われた手紙を読む許可を出しなさいという、オレの恐れていた申し出だった。

「いくらなんでもそれはまずいですよ。手紙となればプライバシーの侵害になりますから。これだけは本人の了解がないと・・・。」

 管理人という立場を押し通そうとするオレを諌めるように、紗依子さんは親友を想う気持ちを映しながら、息もつかせず一気にまくし立ててくる。

「ねぇ、あなたは麗那の今の状況を理解して拒んでいるの?この手紙には、彼女を救うことができる何かが書いてあるのかも知れないのよ!」

 成すべき決断に迷うあまり、オレは二の足が踏めずに口ごもってしまう。この時ばかりは、優柔不断な自分の性格が悲しくなるほど恨めしかった。

「管理人さん。この手紙は、当事務所の所属モデル同士で交わされたものです。ついては、この手紙は事務所で管理すべきものとも言えなくもありません。責任はわたしが取りますから手紙を読ませてください。どうかお願いします。」

 マネージャーまでもが果敢なまでにそう主張してきた。ここまでお願いされてしまっては、もうオレは管理人としてのプライドをかなぐり捨てるしかなかった。

「わかりました。そこまで言っていただけるなら、麗那さんのために、オレはすべてにおいて協力します。みんなで手紙を読みましょう。」

 オレのこの宣言をもって、いよいよ麗那さんに送られた手紙が公開される。果たして、亡くなった先輩はいったいどんなメッセージを残してくれたのだろうか。

 紗依子さんが緊張な面持ちのまま、二つ折りの手紙を広げて見せると、オレとマネージャーはゴクッと息を飲み込んで、手紙に綴られた文章を食い入るように覗き見した。

「・・・。」

 ”親愛なる後輩麗那へ”というタイトルで始まるその文章。前触れもなく引退することや、わざと冷たく接して嫌われ役に徹したこと、そして、手紙による伝言となってしまったことへの謝罪の弁が、優しい筆跡で述べられていた。

 自分がそばにいなくてもめげることなく、これからもスターとして活躍してほしいと、その手紙は麗那さんを励まさんばかりの暖かい言葉でそう結んであった。

「・・・麗那がもし、もっと早くこの手紙を読んでいたら、きっと失踪なんてしなかったでしょうね。」

 この神の悪戯とも言える不運な巡り合わせに、紗依子さんは表情に悔しさをにじませていた。すぐ側にいるマネージャーも、居たたまれなさのあまり顔をしかめることしかできない。

 オレは天を仰ぎながら、麗那さんのことを頭の中に思い浮かべる。この真実を伝えたい、だからどこにいるのか教えてくださいと、オレは心の中から必死にそう呼びかけていた。

「・・・!」

 それは数十秒後のことだ。あまりにも唐突に、しかもびっくりするほど鮮明なイメージが、オレの頭上にくっきりと浮かんできたのだ。それはまさに、麗那さんが言っていたテレパシーを感じ取った瞬間でもあった。

「紗依子さん!その手紙をオレに渡してください。オレ、麗那さんの居場所がわかったかも知れません!」

「本当!?それなら、わたしも一緒に行くわ。」

 慌ただしく駆け出そうとした紗依子さんを、オレは立ちはだかるように両手を伸ばして制止する。

「ここは、オレ一人に行かせてください。」

 その瞬間、唖然とした表情を見せた紗依子さんだったが、オレの毅然たる使命感を悟ってくれたのか、ニコッと微笑しながら小さくうなづいてくれた。

「わかったわ。ここはマサくんにすべてを委ねることにする。・・・麗那を必ず連れ戻してね。」

 紗依子さんとマネージャーの視線を背中に、オレは手紙を握り締めたままアパートを飛び出していく。オレの向かう先はただ一つ、頭の中に浮かび上がったあのイメージに映った場所だった。


 =====  * * * *  =====


 時刻は夜8時を優に過ぎていた。汗びっしょりのオレが辿り着いた先、そこは暗闇に包まれつつあった大通りだった。

 歩道に並んだ街灯の明かりは乏しいほど弱々しく、走り抜ける自動車のヘッドライトが、オレの目にやたらと眩しく飛び込んでくる。

「麗那さんは間違いなくここにいる・・・。」

 オレはある一点を見上げてそう確信していた。見上げる先にあるもの、それは麗那さんにとってかけがえのない場所である歩道橋だ。

 いよいよ撤去工事を知らせるように、歩道橋の登り口はバリケードで覆い隠されていた。オレはそのわずかな隙間に身を潜らせて、誰も横断することもない歩道橋へと侵入していく。

 逸る思いのまま駆け足で階段を上っていくオレ。そして、歩道橋のてっぺんまで到着すると、やんわりとした夏の夜風が吹き抜ける中、地べたにぽつんと座る一人の女性がオレの視界に入った。

 近づいてくるオレの足音に気付いたのか、その女性、いや麗那さんはうつむいていた顔をそっと持ち上げる。

「やっぱりここにいたんですね。」

 道路沿いのネオンに映し出された麗那さんの表情は、憔悴しきっていて血の気が引くほど青ざめていた。

 オレのことを見て驚くかと思いきや、麗那さんは顔色を変えることなく、寂しそうな視線を下に落としてしまう。

「・・・あなたにはバレちゃったか。」

 そうつぶやきながら、うつむきつつも口元を緩ませていた麗那さん。

 それでもやはり、麗那さんは優れない顔を下に向けたままだ。オレは同じ目線になろうと、そんな彼女のすぐ隣に腰を下ろした。

「オレがここに来れたの、麗那さんが送ってくれたテレパシーのおかげですよ。」

「・・・テレパシーかぁ。わたしに本当にあるのかな、そんな能力が。」

 それからしばらく、オレたち二人は黙ったままだった。聞こえてくるのは、大通りを駆け抜ける自動車のエンジン音だけで、静まり返った夜が歩道橋に佇むオレたちを包み込んでいた。

 オレはこの息詰まる沈黙を破るように、麗那さんを連れ戻そうと説得を試みる。

「一緒にアパートに帰りましょう。・・・住人たちだけじゃなく、紗依子さんも、マネージャーさんも、麗那さんの帰りを待ってますよ。」

 みんなに迷惑を掛けてしまったことを詫びるも、麗那さんは帰ることだけは頑なに拒んでいた。気持ちが吹っ切れないとばかりに、彼女は頭を激しく振り乱している。

「マサくん、ごめんなさい。わたし、もうどうしたらいいのかわからないの。先輩の死も、事務所のことも、何もかも信じられないの・・・!」

 そう泣き叫びながら、麗那さんは悲しみに打ちひしがれる。交通事故で亡くなった先輩を苦しめたのが事務所の社長であり、さらにその引き金となったのが自身の成長と躍進なのだと、彼女はモデルである自分を悲観しながら慟哭していた。

 この静寂な夜に、麗那さんのむせび泣く声だけが響いている。どんなことにもくじけなかった彼女が、この地べたを濡らすほどの大粒の涙を流していた。

「だから、もう・・・。モデルなんて、わたしは・・・!」

「麗那さん、待ってください。・・・その先は、この手紙を読んでからにしてください。」

 麗那さんの言葉を断ち切るように、オレは手に持っていたあの手紙を差し出した。

 一瞬だけまごついていた麗那さんは、ゴクリと息を飲み込んでから、その二つ折りの手紙をそっと受け取った。

 手紙の文章に携帯電話のライトを当てる麗那さん。明るく照らされた文字を見るなり、彼女は驚愕のあまり口に手を宛てて絶句してしまう。

「これは、麗那さんに宛てた先輩からの手紙です。昨日の朝、先輩のお母さんが届けてくれたんですよ。」

「うそ・・・!どうして・・・!?」

 麗那さんは動揺を隠せないまま、その手紙に綴られた先輩の思いに目を向ける。”親愛なる後輩麗那へ”という題名のその手紙には、次のようなことが書かれていた。

「あなたがこの手紙を読んでいる時、あなたはどう思っているでしょう。きっと不可解に思い、眉をひそめているのではないでしょうか?わたしがこの手紙を書いたわけは、あなたにどうしても伝えなければいけないことがあるからです。」

 先輩が伝えなければならないこと、それが事務所から強要された引退ではなく、さらに引退するきっかけが思い違いだったことを、麗那さんはこの時初めて知ることになる。

「不倫疑惑を報じられた彼は、わたしとは古くからの親友で、しばらく前から交際していました。彼の母親には重度な障害があり、わたしはその介護とモデルの仕事の両立に苦しみました。日に日に、心身ともに疲れ果ててしまったわたしは、彼と相談した末に、ついに引退することを決意したのです。」

 引退を決心した先輩のたった一つの心残りが、自分自身のことだったと知る麗那さん。こぼれる涙を拭いながら、彼女は目を逸らすことなく手紙を読み続ける。

「あなたに独り立ちしてほしいばかりに、わたしはあなたに厳しく当たり、時には激しく罵ったりしました。あなたはそれを許してはくれないでしょう。それでも、そういう真実があることだけでも知っておいてほしかったのです。」

 終始憎まれ役を演じきったことを、そんな後悔の念を先輩は手紙の中で繰り返し綴っていた。麗那さんはそれを目にしたのだろうか、気にしてませんと言わんばかりに頭を激しく横に振っていた。

「これが最後になりますが、あなたはこれからも一人のモデルとして、挫折することなく歩き続けてください。離れてしまうわたしのためにも、夜空を飾るスターのように輝き続けてください。わたしはいつまでも、遠くからあなたを応援しています。それでは、お体に気を付けて。・・・香稟より。」

 手紙のすべてを読み終えた麗那さんは、口を手で覆い隠して号泣していた。彼女の目元から大粒の涙がこぼれ落ちて、先輩の残してくれた文字をにじませてしまうほどだった。

 麗那さんの流している涙は、さっきまでのような悔し涙ではなかった。すべての真実を知り、それを受け止めたかのような感涙にむせぶ涙であった。

「・・・香稟先輩。こんな、わたしなんかのために・・・。本当に、本当にありがとうございます・・・。」

 オレがそっと手渡したハンカチで、止まらない涙を拭っていた麗那さん。先輩からの手紙を自分の胸に抱き寄せると、彼女は天国にいる先輩へ感謝の気持ちを伝えていた。

 感激のあまり涙する麗那さんのそばで、このオレも感情が高ぶり胸がいっぱいになっていた。目頭が熱くなってきて、ついもらい泣きしてしまいそうだった。

 オレは男泣きをはぐらかすように、上空に浮かぶ星空を見上げながら、麗那さんを慰めるように話しかける。

「今夜のように、この歩道橋の上から星空観賞はできなくなるけど。・・・だけど、場所なんて関係ないと思うんです。この満天の星空がある限り、先輩はきっと、麗那さんのことをずっと上空から見守ってくれますよ。」

 オレの視線を追いかけるように、麗那さんも満天の星空を見上げる。目を潤ませている彼女の横顔は、とても穏やかで晴れやかな表情を映していた。

「・・・思い出の場所は失っても、思い出そのものは失ったりしない。わたしの心の中に、いつまでも残り続ける。・・・きっと先輩が生きていたら、いつまでも悲しい現実にしがみついてないで、前へ前へ進みなさいって叱ってくれただろうな。」

 二年越しに届けられた先輩からの応援メッセージ。その一言一句を、麗那さんはしっかりと胸の奥に刻み込んでいたはずだ。彼女は語らずとも、夜空を眩しく飾るスターを目指して、モデルとして歩き続けることを誓ってくれたに違いない。

 麗那さんの迷いのないその表情から、オレはそんな揺るぎない信念のようなものを感じ取っていた。

「麗那さん。・・・一緒にアパートへ帰ってくれますよね?」

 オレの遠慮がちな問いかけに、麗那さんはためらうことなく小さくうなづいた。だけど、彼女は一つだけお願いを聞いてほしいとだけつぶやく。

「もう少しだけ、星空観賞に付き合ってくれないかな?わたしの、本当に最後のわがまま。」

 オレがそのわがままを快く受け入れると、麗那さんはニコッと安堵の笑みを浮かべる。そんなオレたち二人は、夏の星座を心行くまで観賞していた。

「・・・わたし、やっぱりマサくんに、すべてを打ち明けておいてよかった。」

「えっ?」

 麗那さんのその一言に、オレはびっくりした顔を振り向かせる。

「だって、わたしの悩みも悲しい過去もみんな打ち消して、すべて解決してくれたんだもの。」

 オレのことを称賛しながら、ちょっぴり照れ笑いを浮かべていた麗那さん。オレは恥ずかしさのあまり、定まらない視線を宙に泳がせていた。

 麗那さんの心の闇に希望の光が射すきっかけになれたこと、そして何よりも、彼女のために役立つことができた自分自身に、オレはこの上ない充足感を抱かずにはいられなかった。

「あ、マサくん、ほら見て。あそこにすごく綺麗に光っている星があるよ。」

「え?・・・ああ、本当だぁ。他の星に負けないぐらい綺麗に光ってますね。」

 いつもと一緒のはずの夏の星座に、一際輝いている青白い星があった。それはまるで、麗那さんのことを励まし続ける先輩の微笑みのように、時には優しく、時には力強く瞬いていた。

 たとえそれが偶然だったとしても、オレはそう信じたかった。いや、そう信じていたかったのかも知れない。

「麗那さん、そろそろ帰りませんか?さもないと、アパートで待ってるみんなのイライラが爆発しちゃいますからね。」

 オレはゆっくりと立ち上がり、お尻に付いた砂を両手で払い落とす。するとオレの横目に、麗那さんの差し伸べる右手がふらっと視界に入ってきた。それがあたかも、立ち上がらせてと言わんばかりに・・・。

 クスッと照れくさそうに微笑んでしまうオレたち。細くて綺麗な右手をしっかりと握って、オレは麗那さんをゆっくりと立ち上がらせる。

「ありがとう、マサくん。・・・わたしのこと、連れ戻しに来てくれて。」

「いえいえ。これがアパートの管理人代行であるオレの務めですからね。」

 触れ合った麗那さんの右手から、嬉しさと感謝の気持ちが溢れんばかりに伝わってくる。この時の彼女の手の温もりを、オレは生涯忘れることはできないだろう。

「わたしきっと、みんなにものすごく怒られちゃうんだろうなぁ。それも自業自得ってやつだよね。」

「そういうことです。みんなに目一杯怒られて、いっぱい反省してくださいね。」

 オレと麗那さんはお互いに苦笑しながら、もう二度と訪れることのない思い出の歩道橋を後にする。

 辛かった思い出だけをすべてそこに残して、麗那さんは名残惜しむことのない、前向きな気持ちのままに歩き出していく。そんな彼女の雄姿を見つめながら、このオレも前へ前へと大地を踏みしめていった。

 これは後日の話となるが、麗那さんは結局、事務所やイベント主催者に迷惑を掛けた責任を取る形で、高級ファッション雑誌への特集掲載当選を辞退してしまった。さらに本人の強い希望により、期限を設けないモデル活動の自粛まで申し出てしまったのだ。

 こうして最低限のけじめを付けることにした麗那さん。しかし、彼女は満面の笑顔を浮かべて、オレや住人たちみんなにこう宣言してくれた。

「大丈夫よ、わたしはモデルをこのまま続けるから。誰もが憧れる、先輩のようなモデルになれるまでは、わたしはもう絶対に逃げたりしないよ。だからこれからも、わたしのこと応援してよね!」

第四話は、これで終わりです。

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