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第四話 二.突然の失踪

 翌日、世間ではいつもと何ら変わらない土曜日。ところが、このアパートに集まる人たちには特別な土曜日だった。

 いよいよ、麗那さんにとってのビッグイベント、高級ファッション雑誌ヴァルゴの特集に紹介されるかどうかが決まる、最終選考の結果発表当日を迎えていた。

「はー、もうすぐだねぇ。今頃、麗那センパイきっと興奮してるんだろうなぁ。ドキドキだね。」

「そうネ。テレビで発表するぐらいだもの。あの麗那でも、さすがに緊張していると思うワ。」

 午後3時を過ぎると、リビングルームに集まった住人たちは、この結果発表がまるで自分たちのことのように浮ついていた。それぐらい、麗那さんのことが他人事とは思えなかったのだろう。

 テレビ鑑賞のお供であるお菓子を準備しながら、オレは穏やかな目でそんな光景を眺めていた。

「お二人がそんなに舞い上がったところで結果が変わるもんじゃないですよ。」

 こんな緊張感の中においても、慌てることなく冷静な態度を貫いているオレ。すると、潤とジュリーさんは憮然としながら、文句に近い小言をオレに浴びせてくる。

「ちょっとマサ。何よ、その言い方はぁ?センパイが勝っても負けても、どうでもいいって感じに聞こえるんだけどぉ?」

「麗那を応援したい気持ちが伝わってこないワ。まさかあなた、彼女が負けてもいいと思ってるんじゃないでしょうネ!?」

 住人二人からそう問い詰められて、オレはぶんぶんと手を振って否定した。このオレだって、彼女たちに負けないぐらい、麗那さんのことを応援していることに違いないのだ。

「まぁまぁ、お菓子でも食べながら、のんびり待ちましょうよ。」

 オレが並べたお菓子を口に放り込みながら、今か今かとテレビにかじりついていた住人たち。そうこうしているうちに、このリビングルームに新しい来訪者がやってきた。

「こんにちわー、みんな集まってるねー。」

 明るく笑って姿を見せたのは、昨日オレが誘いをかけていた紗依子さんだった。彼女はお土産とばかりに、片手にコンビニエンスストアのビニール袋をぶら下げている。

 テーブルの上にビスケットという仲間が加わり、空いているテーブル席に紗依子さんが腰掛けた途端、麗しの女性ならではの華やかな談笑が幕を開けた。

 女性三人の異様な盛り上がりを傍目で見ていたオレは、これが酒席という場でなかったことに、思わず幸運を感じずにはいられなかった。

「あら、テレビ放送始まったんじゃない?」

 紗依子さんのその一声に、他のみんなは一斉にテレビ画面に釘付けとなる。

 画面に映し出された映像には、どこかのスタジオらしき舞台の上で、マイクを握った男性と女性が並んで映っていた。その容姿からして、このイベントの司会進行役のようだ。

 一つの出版社が主催するイベントだけに、映像そのものは地味な印象を抱かせるが、生放送という臨場感だけはテレビ越しながらも十分に伝わってくる。

「まだ、麗那も舞姫ひかるも出てきてないみたいね。」

 そう言いながら、テレビと壁掛け時計を見比べている紗依子さん。時計の針は、発表時刻の午後4時まであと残り5分といったところだ。

「う~ん、ドキドキしてきたよぉ。心臓破裂しちゃいそ~。」

 麗那さんが絶対に勝つと豪語していた潤も、いざ発表の時が近づいてくると、やっぱり緊張感に全身が支配されてしまったようだ。

 そんな落ち着きのない潤のことを、微笑みながら見つめている紗依子さんとジュリーさんも、どこか足が地に着いていない様子だった。

「テレビをご覧の皆様、こんにちは。」

 時刻はいよいよ午後4時に到達した。それを見計らったかのように、司会進行役の二人は神妙な面持ちで、本日のイベントの主旨について説明を始める。

 その説明によれば、最終選考の結果はすでに司会進行役の手の中にあるらしく、これから檀上に上がるべく、二ヶ咲麗那さんと舞姫ひかるのどちらかに、輝かしい栄誉が贈呈されることになるそうだ。

「それではお二人にご登場いただきましょうか。まずはお一人目の候補、舞姫ひかるさんです。」

 司会進行役の男性にエスコートされながら、煌びやかなミニドレスを着飾って登場した舞姫ひかる。

 しっかりめのメイクに、ふんわり髪を艶っぽくアレンジした舞姫は、いつものアイドルらしさがまったく感じられない。スラリと伸びた美脚が、ファッションモデルならではの秀麗さを醸し出していた。

 テレビの視聴者に向かって、舞姫は手と一緒に愛嬌も振りまいている。しかし、その自信に満ち溢れた視線の鋭さに、オレの背筋がひんやりと冷たくなってしまった。

「Oh、この娘が麗那のライバル、舞姫ひかるというわけネ。これはなかなかの強敵じゃない。」

「ちょっとジュリー、感心しちゃダメだよぉ。舞姫ひかるなんか、勝てっこないんだからぁー!」

 言い合いをしているジュリーさんと潤に、次は麗那さんのお出ましだよと、紗依子さんが急かすように呼びかけると、彼女たちは素早くテレビ画面に視点を合わせた。

 期待に胸を膨らませて、麗那さんの登場を待ちわびていたオレたち。ところが、ここでちょっとした異変が起きてしまった。司会進行役の二人が、いつまでたっても麗那さんの名前を呼んでくれないのだ。

「あららら、どうしちゃったのかしら。何だか様子がおかしいわね。」

 そわそわするばかりの司会進行役は、ディレクターらしき関係者と何やら口合わせをしている。生放送だけに、そのただならぬ不穏な空気がテレビを中継して漂ってきた。

 どうやら放送に異常があったことは間違ないようで、司会進行役は謝罪の言葉を口にしつつ、その非常事態の対応に追われていた。

「・・・大変失礼いたしました。いったんコマーシャルをお送りします。結果発表はまもなくですので、チャンネルはそのままでお待ちください。」

 あたかも何事もなかったかのごとく、テレビ画面はその場しのぎのようなコマーシャルへと切り替わった。

 いったい何が起きたのかわからないまま、女性たち三人は呆然とした顔を向き合わせている。ちぐはぐとした段取りの悪さを訝しんで、彼女たちはそれぞれ不安な思いを口にしていた。

「まぁ、生放送ですからね。想定外の事故なんてよくあることだと思いますよ。」

 オレは自分なりの解釈でそう言ってみたものの、心のどこかでは、この予期せぬ事態を憂慮していたことは否めなかった。

 流れていたコマーシャルも終わり、画面に再びスタジオらしき映像が映し出された。ところが、いよいよ麗那さんの登場と思いきや、今度は舞姫ひかるを紹介する映像が流れ始めてしまった。

 結果発表を引っ張るだけ引っ張るのは、テレビの世界ではよくあることだが、どう考えてみても、この展開では進行順序のつじつまが合わないだろう。

「えぇー!?これ、どうなってんのよぉ!さっきから、舞姫ひかるばっかり取り上げてるじゃん?」

 潤はテレビに向かって激しく罵倒していた。オレもこの時ばかりは、彼女の憤慨する気持ちがわからなくもなかった。

 紗依子さんとジュリーさんも焦れるあまり、顔色から苛立たしさがにじみ出ている。罵るまではいかなくとも、依怙贔屓のようなこの段取りに怒りをあらわにしていた。

「もしこれが演出だとしたら、あまりにもあからさま過ぎるよな。それに、さっきの司会進行役のうろたえぶりから見ても、やはり何かトラブルがあったんじゃないだろうか・・・?」

 オレは心の中で、これまでのシーンを振り返りながらそうつぶやいた。

 ここに集まる誰もが怒りと不安を募らせている最中、突如、誰かの携帯電話の着信メロディーが流れてきた。そのメロディーに気付いた持ち主は、小さいポーチからすぐさま携帯電話を取り出した。

「あら、どうして・・・?」

 携帯電話の持ち主の紗依子さんは、液晶画面を見ながら唖然としていた。予想もしない人からの着信だったのだろうか。

「もしもし、お久しぶりね。・・・ええ、テレビ見ていたわ。・・・は?それどういうことよ?」

 電話による会話が進んでいくうちに、紗依子さんの表情がみるみる青ざめていく。オレと住人二人は黙ったまま、そのやり取りの一部始終を固唾を飲んで見守っていた。

「・・・ええ、わかった。こっちでも確認してみる。・・・うん、また連絡するわ。」

 通話を切って、携帯電話を耳から離した紗依子さんは、まるで魂が抜けたように呆けた顔をしていた。彼女はその表情を緩ませることなく、緊張で硬直したオレたちに衝撃の事実を知らせてくれた。

「麗那のマネージャーから。・・・麗那がね、行方不明らしいの。」

 その瞬間、突然のあまり耳を疑ってしまうオレと住人たち。幻を彷徨うかごとく、麗那さんの失踪という現実を、頭の中ではっきりと認識することができなかった。

 マネージャーの話によると、前日の仕事から事務所まで一緒に帰ってきたらしいが、その後、誰にも伝言を残さずに、麗那さんは忽然と姿を消してしまっていたそうだ。

 麗那さんの携帯電話に何度も連絡してみたというマネージャー。しかし応答がないまま、この最終選考の発表時刻を迎えてしまったとのことだ。

「マネージャーがね、もしかすると、麗那が一人でイベント会場に向かったかも知れないと思ったんだけど、会場のどこを捜してもいないそうよ。」

 住人たちはおろか、このオレすらもまだ、この事実を受け止めることができずにいた。全身がふわっと、宙に浮かんでいるような感覚のままだ。

 オレはぎこちない動作でそっとテレビ画面を見つめる。そこには、リアルな麗那さんとは違う、ビデオ映像という二次元の彼女の姿しか映っていない。それこそが、彼女が会場にいないという真実を知らしめていた。

「マサくん。彼女、仕事に出掛ける時、何か言っていなかった?おかしいところとか、何もなかった?」

 混乱するあまり、頭の中が真っ白になっていたオレ。紗依子さんからの問いかけに、オレは気付いたことなど何もないと、たどたどしく答えるのが精一杯だった。

「そんなぁ、センパ~イ、どうしちゃったんですかぁ!?何があったんですかぁ!?」

 こぼれるほどの涙を瞳に溜めて、潤は悲痛な声で叫んでいた。狂乱しそうなぐらい取り乱す潤のことを、ジュリーさんが必死の思いで慰めていた。

 オレは頭を大きく激しく振り回して、いち早くこの現実の世界に戻ろうとした。背けたくなるような、信じたくない現実の世界へと・・・。

「・・・オレ、麗那さんのこと、探してきます!」

 オレは意を決して立ち上がり、たった一人でリビングルームから駆け出そうとする。

「待って!わたしも行くわ。」

 飛び出そうとしたオレの腕をがっちり掴んだのは、悲壮感を表情に映している紗依子さんだった。オレ一人だけ行かせたくなかったのだろうか、彼女はオレの腕を離さないまま勢いよく席を立つ。

「ジュリー、申し訳ないけど、潤と一緒に留守番をお願いするわ。もしテレビに何か映ったら、携帯まで連絡をちょうだい。」

 平静を装うジュリーさんがうなづくのを確かめるなり、紗依子さんは真面目な顔でオレの方に向き直った。

「マサくん、手分けして捜しましょう。見つからないからといって、闇雲に捜していたら徒労に終わってしまうわ。だから、夜7時までにアパートに帰ってきて。」

「わかりました。それじゃあオレは、駅の東口の方面を探してみます。紗依子さんは、西口方面を探してみてください。」

 オレと紗依子さんは行ってきますの言葉を残して、気を逸らせながら落日間近の街並みへと出掛けていく。

 麗那さんにいったい何が起きたのか?どうしてこんなことになったのか?そんな一つ一つの疑問など、もうオレにはどうでもよかった。とにかく彼女を見つけたい一心で、オレは最寄駅東口に向かってひたすら走り続けていた。


 =====  * * * *  =====


 オレは無心になって駆け回った。失踪してしまった麗那さんを捜すため、汗でびしょ濡れになりながらも、オレは無我夢中で駆けずり回った。

 そんなオレのことを嘲笑うかのように、赤く染まった太陽がビルの谷間へと沈んでいく。そして、オレの気力を奪っていくかのように、長く伸びた自らの影が地面へとへばり付いていく。

 最寄駅の東口周辺、馴染みのあるアーケード、おしゃれなブティック通り、思い当たるありとあらゆるエリアを捜し続けていたオレ。しかし、麗那さんの姿をこの目で捉えることはできなかった。

「麗那さん・・・。お願いです、姿を見せてください・・・!」

 オレの切なる願いも空しく、時刻は無情にもタイムリミットを迎えようとしている。やり切れないもどかしさを残したまま、オレは通勤客で賑わう最寄駅に背中を向けていた。

 街並みの暗がりを薄ぼけた街灯が照らすそんな夜7時、オレはとぼとぼとした重たい足つきで、みんなが待っているアパートへと帰ってきた。

「・・・あれ?」

 玄関に入ってみると、紗依子さんのものとは違う、見知らぬ一足のパンプスがオレの目に留まった。彼女の他にもお客が来ているようだ。

 玄関でスニーカーを脱ぎ捨てて、オレは管理人室に立ち寄らないままリビングルームへと向かう。

 人口密度が高いはずのリビングルームからは、物音も賑やかな声もまったく聞こえてこない。かすかな明かりと、寂しさという灰色の空気だけがかすかに漏れていた。

「・・・ただいま戻りました。」

 オレは脱力感いっぱいの挨拶をする。みんなは困惑の表情をしながらも、そんなオレに労いの言葉を投げかけてくれた。

「マサくん、暑かったでしょう?冷蔵庫に冷たい飲み物入ってるわよ。」

 オレよりも一足先に帰ってきていた紗依子さん。血眼になって捜索していたのだろうか、彼女の汗ばんだ顔には、オレと同じような徒労感と焦燥感がにじんでいた。

 そんな紗依子さんの隣のテーブル席には、来客であろう一人の女性が座っていた。その女性は起立するなり、ポニーテールに結った髪を揺らしながら、オレに対して謝罪するようにお辞儀をしてきた。

「どうもお邪魔させていただいております。・・・このたびは、わたしどもの二ヶ咲麗那がご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」

「あ、あなたは、麗那さんのマネージャーの・・・。」

 麗那さんのマネージャーは、最終選考の状況について報告しようと、わざわざアパートまで足を運んでくれていた。

 その報告によれば、イベントそのものを白紙にできなかった主催者は、麗那さんを急病による欠席と公表してその場をしのぎ、結果発表も含めて生放送を番組終了まで継続したとのことだった。

「結果発表があったということは、どちらかが当選したってことですよね?」

 オレのその問いかけに、塞ぎ込んでいた潤が小さい声で結果を教えてくれた。

「・・・麗那センパイだよぉ。当ったり前じゃん。あの舞姫ひかるなんかに、負けるわけないじゃん。」

 誰しも大喜びで叫びたかったはずのこの嬉しい当選結果。しかし、主役である麗那さんが失踪した今、誰しも素直に喜べるわけもなく、この現実がただ皮肉に思えてならなかった。

 当選結果を誰よりも心待ちにしていた潤にとって、この仕打ちはあまりにも悔しくて、喜びを表現できない自分自身に苛立っているようにも見えた。

「でもネ。朗報とも言える進展もあったのヨ。」

 ジュリーさんの思わせぶりな一言に、オレは驚きのあまり呆気に取られてしまう。オレがその真意を問うと、ジュリーさんはマネージャーの方へ合図のような目配せをした。

「はい。実はこちらへ向かっている途中、麗那さんから携帯電話にメールが届いたんです。」

 マネージャーはそう言いながら、携帯電話に届いたメールの本文をオレに見せてくれた。

 いなくなってしまったことに対するお詫び、そしてショックなことがあり、しばらく一人にさせてほしいこと、そのメール本文には、オレたちの知り得ない麗那さんの実情が綴られていた。

 いずれにせよ、麗那さんが無事でいることだけはわかった。オレはその本文を読み終えると、安堵感から胸を撫で下ろしていた。

「・・・でも、音信不通ではないにしろ、心配は心配よね。いつアパートに帰ってくるかもわからないし。」

 紗依子さんの言った通り、まだ手放しに安心することはできない。麗那さんの行方がわからない以上、消息不明のままであることに変わりはないからだ。

 売れっ子モデルの麗那さんだけに、明日も明後日も撮影の仕事が入っているという。マネージャーの困り果てた顔色からは、そんな仕事のことよりも、麗那さんの身を案じる思いの方が強く表れていた。

「ねぇ、マネージャーのあなたなら、麗那に何が起こったのか、それとなく思い当たる節とかわからない?」

 問い詰めるような口調で、マネージャーに声を掛けた紗依子さん。

 少しだけためらう仕草をしていたマネージャーだったが、オレや住人たちの切望の眼差しに耐え切れず、ついに石のように硬くなった口を開いた。

「本当は公にすることはできませんが、麗那さんのことを考えたら、お話しないわけにはいきませんね。」

 意味深な言い回しをしたマネージャーは、今日の最終選考イベントの舞台裏を打ち明けてくれた。

「最終選考のことですけど、関係者にだけは、前日に結果は知らされていたんです。・・・もちろん、麗那さんと舞姫さんにもです。」

 つまり最終選考に勝ち残ったモデル二人にしてみたら、今日のイベントは、結果を知りながらの芝居じみた茶番劇のようなものだった。

 主催者側はあくまでも、高級ファッション雑誌への特集掲載をアピールすることが狙いで、結果発表そのものは、単なるシュー的な意味合いに過ぎなかったというわけだ。

 マネージャー曰く、麗那さんはその結果を至って冷静に受け止めていたそうだ。それならば、彼女はどんなことにショックを受けてしまったのだろうか・・・?

「・・・麗那さんはいいのですが、一方の舞姫さんはというと、落選という結果を素直に受け止めることができなかったようなんです。」

 マネージャーは囁くようにそう話を続けた。ただでさえプライドが高くて、勝ち気な性格の舞姫ならばそれもうなづける話であろう。ところが、この舞姫の嫉妬のような感情が、この後の揉め事の発端となってしまったのだという。

「これは後から、事務所の社長から伺ったお話なんですが。・・・イベントが行われる前に、舞姫さんが社長のところを訪ねてきたそうなんです。」

 オレたちはこの時、マネージャーの口からとんでもない事実を聞かされることになる。

 最終選考の結果に納得できなかった舞姫は、事務所に単身乗り込んで社長との面会を迫った。結果発表直前というシビアな時間だったこともあり、社長は致し方なく彼女の申し出に応じたという。

 社長室で話し合いという場を設けた舞姫と社長の二人。その話し合いの席上で、彼女は何を思ったのか、あってはならない取り引きを持ち掛けてきたそうだ。

「・・・麗那さんに、当選を辞退させろと。さもなくば、一人のモデルを死に追いやった秘密をマスコミに告白すると脅迫してきたんです。」

 その話に激しくおののき、紗依子さんは語気を強めてマネージャーに噛みついた。

「ちょっと待って。一人のモデルを死に追いやったって、それどういう意味なの!?・・・まさか、あの先輩のことじゃないでしょうね!?」

 紗依子さんの言う先輩とは、麗那さんが尊敬してやまないあの先輩のことだ。その先輩は確か、スキャンダルをきっかけに仕事が激減してしまい、その虚脱感から交通事故を起こしてすでに亡くなっているはず。

 うつむき加減で力なくうなづいたマネージャーを前にして、紗依子さんだけではなく、このオレすらも何かどうなっているかまるで理解できなかった。

「それは誤解なんです。社長が不倫疑惑をダシに引退を強要して、彼女を死に追い込んだという根拠のないデマなんです!」

 マネージャーは頭を振り乱して涙ながらにそう否定した。

 どこかの誰かの些細な噂が風に乗って、さまざまな芸能関係者を通り抜ける際、事実無根のゴシップにすり替えられてしまい、それが舞姫の耳に入ったのではないかとのことだった。

「・・・彼女は引退を強要されたんじゃなくて、不倫騒動の前から、自分から引退を申し出ていたんです。」

「それ本当?そんな話、わたしも麗那も聞いてないわ。」

 唖然としている紗依子さんに、知らないのは当然と前置きしてから、マネージャーはその真相を告白する。

「彼女に口止めされていたんです。社長も、そしてわたしも。・・・麗那さんを落ち込ませないよう、仕事に影響が出ないようにするための配慮だったんです。」

 マネージャーはその時の様子を振り返りながら、あの先輩の引退にまつわる経緯を話してくれた。

「彼女の不倫相手として噂されてしまった方は、実を言うと、すでに奥さんとは離縁関係だったそうです。その理由が、その男性のお母様が重度な障害をお持ちでして、その介護に嫌気が差したというひどいものでした。」

 そんな時に、その男性の心の傷と母親の心身を案じて、親身になって献身的に介抱したのがその先輩だったそうだ。その男性と先輩はもともと同郷で、同じ学校に通っていた同級生だったという。

 日を重ねていくうちに、いつしかその二人は真剣交際へと発展していく。そして、男性が独り身になった時に契りを交わす約束までしていた矢先、例のスキャンダル騒動が勃発してしまった。

「彼女はそれをきっかけに、男性と話し合った末、引退を決意しました。だけど、彼女には一つだけ懸念が残ってました。・・・それが、自分のことを師と仰いでいる麗那さんとの決別だったんです。」

 麗那さんにはいつまでも、自らの背中ばかり追いかけてほしくない。独り立ちして立派なモデルになってほしい。そんな親心から先輩はあえて心を鬼にして、麗那さんに厳しく当たることで、嫌われ役に徹することを決意したのだという。

 もちろん、このような別れ方をしたのではわだかまりが残ってしまう。そう考えた先輩は、後になってから麗那さんへ事情を説明するつもりでいたそうだ。

「あの先輩って、すっごく優しい人だったんだねぇ。麗那センパイが憧れるの、すごくわかる気がする。」

「そうネ。いつまでも頼っていたら、麗那はきっと、その先輩との別れを受け止められなかったかもネ。」

 潤とジュリーさんは感慨深げにそんな思いを口にしていた。このオレも、声に出さなかったものの彼女たちと同じ思いを抱いていた。

 マネージャーからの告白をすべて聞き終えて、紗依子さんは思いついたように一つの結論に辿り着く。

「それじゃあ、麗那はまさか、社長と舞姫ひかるのその話を偶然聞いて、そのショックで失踪してしまったってこと・・・?」

「・・・そう思って間違いないと思います。スタッフの一人が、麗那さんが社長室の方から駆け出していく後ろ姿を見かけたそうですから。」

 ほんの一つの思い違いから生まれてしまったこの悲劇。麗那さんの誤解を解くことができないもどかしさに、ただ押し黙ることしかできないオレたち。

 しばらく続いた静寂を打ち破ったのは、意を決したように立ち上がった紗依子さんだった。

「やっぱりじっとしてられないわ。どこかに、麗那の居場所がわかるヒントがあると思うの。」

 そう訴えかけた紗依子さんの視線は、いつの間にかこのオレへと向けられていた。

「マサくん、このアパートの管理人であるあなたにお願いするわ。麗那の部屋のカギを開けてくれる?」

「・・・え?」

 麗那さんの自室をしらみつぶしに探れば、きっとヒントになる何かが見つかるだろう。紗依子さんは表情を引き締めて、確信めいた口振りでそう言い放った。

 あまりに突拍子もない発案ではあったが、この非常事態とあっては、ただ指をくわえて見ているよりはずっとましだろう。オレは管理人の特権を発動して、麗那さんの許可なしに開錠を了承することにした。

「わかりました。オレ、マスターキー取ってきます。」

 紗依子さんの思惑の通りに、麗那さんの自室に何かがあるのかも知れない。いや、今はそう信じるしかないのかも知れない。オレは逸る思いを胸に、息遣いを荒くしながら管理人室へと駆け出していった。

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