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第四話 一.託された手紙

 それから二日後、ビュービュー音を立てて風が強く吹き付けるそんな夜。

 ビルの隙間から吹いてくる夜風がぶつかるたびに、居酒屋にぶら下がる暖簾や提灯が忙しそうに揺れている。

 そんな気候条件の悪い夜にも関わらず、オレはちょっとしたお届け物を持参して、駅西口繁華街にある「串焼き浜木綿」まで足を運んでいた。

「おいおい、マサくん、これはいったい何だい?」

「なになになに?もしかして、どこかのお土産だったりして。」

 オレの持ってきたお届け物をまじまじと見つめるマスター。そして、彼の隣でワクワクと胸を高鳴らせている紗依子さん。

 カウンターの上に置いた白い箱が開放されると、そこには、これまた真っ白い生地をした丸いまんじゅうが入っていた。

「これ、大阪名物の豚まんです。」

 大阪からのお土産と聞いて、マスターと紗依子さんはどうして?と言わんばかりに首を捻っている。

「実はこれ、実家に帰ってるあかりさんが贈ってくれたものなんですよ。」

 一昨日の朝の新幹線で帰省していたあかりさん。その翌日には、もうこんな嬉しい贈り物を送ってくれていたのだ。義理人情を重んじて、律儀な性格の彼女らしい行いとも言えるだろう。

 あかりさんからの贈り物には、オレやじいちゃんを含めた住人全員、そしてマスターと紗依子さんの分の豚まんだけではなく、住人たちに向けられた手紙も一緒に添えてあった。

 道場主である父親と会い、姉妹である真倉夜未さんと一緒に説得したことや、のんびりと骨休めができたことなど、その手紙には、帰省した当日のことが達筆な手書きの文字で綴ってあった。

「へぇ、あかりちゃん、実家に帰ってたのか。・・・っていうかさ、オレ、あかりちゃんの実家が大阪って初めて聞いた気がするぞ。」

「ほら、あかりってあまり素性を語らない子だから。わたしだって実家のこと、本人からじゃなくて、麗那から聞いてたぐらいだもの。」

 そんなことを口にしつつ、二人は冷凍の豚まんを珍しそうに眺めていた。この二人にとって、大阪名物の豚まんは見慣れないものだったのかも知れない。

「マサくん、どうもありがとう。あかりちゃんにもよろしく言っておいてよ。」

 マスターはお店の冷凍庫へ豚まんを仕舞おうとする。それを見ていた紗依子さんが、両手をパチンと叩いて弾んだ声を上げた。

「ねぇマスター、せっかくだから、それ蒸かしちゃってもういただいちゃいません?」

 紗依子さんはどうも空腹だったようで、お腹をさする仕草をしながら照れ笑いを浮かべていた。

 丁度この時間、お客らしいお客はオレ一人だったので、マスターもその提案に異論を唱えることなく、お店の蒸し器の準備に取り掛かっていた。

 ガスコンロに乗った蒸し器が熱されていくと、ゆらゆらときめ細かい蒸気が立ち昇ってきた。それと同時に、豚まん特有の食欲をそそる匂いがオレたちの鼻孔を突いてくる。

 豚まんが蒸し上がるのを心待ちにしながら、紗依子さんはオレを相手に世間話をしていた。

「あかりがいないということは、お留守番とかどうしてるの?みんながお仕事に出掛けちゃうと、アパートはもぬけの殻になっちゃうでしょ?」

「だから、ジュリーさんに協力してもらってます。彼女のアルバイトは、それなりに融通が利くみたいなんで。実は今夜も、ジュリーさんに留守をお願いしてるんですよ。」

 オレが一人で浜木綿に行くことを伝えるや否や、ジュリーさんは思惑通り、一緒についていこうと躍起になったが、留守番してもらえるよう頼み込んで、彼女には泣く泣く諦めてもらっていたのだ。

 そんなやり取りがあったことを耳にした紗依子さんは、それはさぞ辛かっただろうと、ジュリーさんに共感しながら苦笑していた。

 オレたちが楽しい世間話をしている間に、いよいよ待望の豚まんが蒸し上がったようだ。マスターのそれを知らせる声に、紗依子さんは一人拍手しながら喜んでいた。

 ホカホカの豚まんをお皿に乗せて、カウンターの上まで運んでくれたマスター。豚まんはほのかな香りと湯気を揺らめかせて、おいしいから早く食べてねと訴えかけているようだった。

「いただきまーす!」

 マスターと紗依子さんは豚まんを頬張るなり、熱い熱いと言って顔をしかめるも、あまりのおいしさにご満悦な様子だった。こんなに二人に喜んでもらえると、ここまで持ってきた甲斐があったというものだ。

「おっと、いけない。忘れてた!」

 ハッと何かを思い出したのか、マスターは目を見開いて店内の時計を見つめる。すると、彼は豚まんを一気に口に詰め込んで、慌てながら出掛ける準備を始めてしまった。

 オレがどうしたのか尋ねてみると、マスターはこれからお得意様へ仕出し料理を届けるのだという。おつかいなら紗依子さんの出番なのだが、今夜のお得意様はマスターの古くからの友人らしく、やむを得ず自ら配達することになってしまったそうだ。

「それじゃあ、サエちゃん。悪いけど留守番お願いするよ。30分までかからないと思うから。もし、お客さんが来たら、待ってもらえるようお願いしておいて。」

「はいはいはい、了解です。気を付けていってらっしゃい。」

 紗依子さんにそう伝言を残すと、マスターは急ぎ足でお店から駆け出していく。あんまり慌て過ぎて転ばなきゃいいけどと心配しながら、彼女は呆れるような顔で口元を緩めていた。

 閑散としたお店に二人きりとなってしまったオレと紗依子さん。オレは生ビールだけ注文すると、彼女との取り留めのない会話をおつまみに、ささやかなひと時を楽しんでいた。

「あ、マサくん、そういえば麗那から聞いてる?」

 紗依子さんは突然、麗那さんの話題に切り替えてきた。この雰囲気からして、高級ファッションモデル雑誌の特集掲載についてのことだろう。

「高級ファッション雑誌に紹介されるうんぬんのことですよね?二日後の最終選考で、舞姫ひかると一騎打ちするっていうヤツ。」

「そうそうそう。やっぱり聞いてたのね。麗那のことだから、きっとあなたには打ち明けてると思ってたの。」

 実際のところ、麗那さんの堅い口からは公表したくなかったようだが、潤の軽い口から大々的に激白されてしまった格好だ。オレがそのことをそのまま伝えると、紗依子さんは重々しい吐息を漏らして顔をうつむかせた。

「麗那は人と火花を散らし合うことが苦手だから、それだけ気が重かったのかな。・・・もしかして彼女、今でも気に病んでる感じ?」

「いいえ、今はそんな感じじゃないです。幾分か元気を取り戻して、発表当日までがんばるって意気込んでましたから。」

 無二の親友の心情が気掛かりだったのだろう。オレの回答を聞いた途端、紗依子さんは安堵の笑みを浮かべていた。

 麗那さんとの付き合いも長く、しかもモデル業界を一緒に過ごしたことのある紗依子さんだけに、麗那さんの内面的なもろさまで見透かしていたようだ。

 豚まんを食べ終えた紗依子さんは、おいしかった感想とは裏腹に物憂げな表情をして見せた。

「今の麗那が頼りにできる人って。・・・きっとマサくんしかいないと思うの。」

 そのドッキリ発言に、オレはとんでもないとばかりに声を上擦らせる。そんなうろたえるオレに、色恋が絡むことではなく、一人暮らしの麗那さんにとってオレが身近な男性だからだと、紗依子さんは微笑しながらそう言い直していた。

 それほど深い意味ではなかったことに、ホッと息をつき落ち着きを取り戻していたオレ。とは言うものの、心なしか残念な思いに駆られてしまう自分もいた。

「だからとは言いたくないけどね。麗那のこと、時々でもいいから気にしてあげてほしいの。・・・忙しいとは思うけど、彼女のことを励まし続けてほしいの。」

 麗那さんのファンの一人として、そして、彼女のかけがえのない友人代表として、紗依子さんは思いやる気持ちのままに訴えかけてきた。

 このオレも、紗依子さんと同じく麗那さんのファンであり、友人として接してもらっているつもりだ。こんな非力なオレでも、麗那さんのために役立つことができればと切に願っている。

「もちろん、そのつもりです。麗那さんは、オレにとっても、住人たちみんなにとっても大切な仲間ですからね。管理人代行という立場ながら、できる限りのバックアップはしていきます。」

 オレの誠心誠意を込めた宣言に、紗依子さんは安心してくれたのか、ありがとうと一言つぶやいて優しく微笑んだ。ちょっぴりカッコ付けてしまったオレも、恥ずかしさのあまり思わず笑みがこぼれていた。

「そうだ、紗依子さん。発表当日の午後3時過ぎ、やっぱりお店の準備とかで忙しいですか?」

「うーん、土曜日だからねー。でも、わたしはそんなに大変じゃないかな。どうかしたの?」

 結果発表当日、オレはアパートのリビングルームで、住人みんなと一緒にテレビで鑑賞するつもりだった。そこで、紗依子さんも都合がよければ一緒にどうかと誘おうと思っていたのだ。

 麗那さんの一喜一憂を、オレたちみんなで見届けるのも悪くないと言いつつ、紗依子さんは少しだけ高揚しながら快い返事をしてくれた。

「ありがとうございます。当日、待ってますね。」

「りょーかい。マスターには遅れて出勤するって話はしておくわ。」

 そんな会話のやり取りをしているうちに、配達に出掛けていたマスターが慌ただしく帰ってきた。どうも行った先で友人に捕まったらしく、彼は逃げて帰ってくるのに一苦労だったと愚痴っていた。

「新しいお客さん来てなかったかー。マサくんが早い時間に来ちゃうと、客が寄り付かないのかなぁ。」

「マスター、人を疫病神みたいに言わないでください。まだ開店して間もないんだから、そんなにすぐ決めつけないでくださいよー!」

 屋外では強い風が吹き荒れていても、ここ浜木綿だけは温もりのある穏やかな空気に満たされていた。

 一杯の生ビールを飲み切った後、後ろ髪を引かれる思いでアパートへ帰っていったオレだが、後日談によると、オレが帰ってからも新しいお客はやってこなかったそうだ。・・・もしかして、オレって本当に疫病神?


 =====  * * * *  =====


 翌日の朝は風も心地よく、暑さもほどよいさわやかな天気に恵まれた。

 電線で羽根を休めるスズメが甲高くさえずり、アパートの外壁の日陰では、猫のニャンダフルが目をつむってうつらうつらしている。

 そんないつもと代わり映えのしない朝に、いつもの日課である庭掃除をしていたオレは、この平穏な日常に心なしか喜びというものを感じていた。

 高級ファッション雑誌の特集掲載の発表を明日に控えた麗那さん。今朝も早くから、彼女は仕事へ向かおうとすでに出掛けた後だった。

 麗那さんの話では、今日の仕事は泊りがけになってしまうそうで、彼女は今夜アパートへ帰宅しないまま、明日の最終選考会場へ直接赴くとのことだ。

「・・・麗那さん、いい結果になるといいな。」

 オレは晴れた青空に目を移して、麗那さんを思いやる心境を口にした。どんな結果になろうと、もう二度と、彼女が辛くて悲しい思いをしなくて済むようにと。

「よし、こんなもんだな。」

 庭掃除と盆栽の水遣りも一通り終わり、オレがアパートまで足を向けようとした時だった。

 アパートの玄関先で、顔をキョロキョロさせて逡巡している一人の女性がいることに気付いた。そのそわそわした動作からして、このアパートに用事があるのは間違いなさそうだ。

 オレが身構えるように待っていても、その女性は一向に玄関まで近づいてくる気配がない。オレはとうとう痺れを切らし、その挙動不審な女性にそっと声を掛けてみた。

「あの、このアパートに御用でしょうか?」

 呼びかけられたその女性は、オレの顔を見るなり一瞬たじろいだが、すぐさま行儀のよい大きなお辞儀をした。

「これは失礼いたしました。こちらはハイツ一期一会というアパートでよろしかったでしょうか?」

 控え目な口調でそう問い返してきた女性。年齢は40代後半あたりで、銀縁のブローチをあしらった茶色い半袖ブラウスを着こなし、背丈があって品行方正な印象を受けるスマートな女性だった。

 その女性の問いにオレが迷うことなくうなづくと、彼女はホッとした顔をしながら、ここを訪ねた理由について明かしてくれた。

「こちらのアパートに、二ヶ咲麗那さんという女性はお住まいですか?実はわたし、その二ヶ咲さんにお届けしたいものがあって、こちらまで参った次第なんです。」

 慎ましやかにそう言うと、その女性はハンドバッグから一つの封筒を取り出した。彼女の手にある封筒には、切手らしいものは貼られておらず、このアパートの所在地も記載されていないようだ。

「麗那さんはこのアパートに住んでいます。あいにくですが、今は留守にしてまして、戻ってくるのは早くても明日になるんですよ。」

「まぁ、そうでしたか・・・。」

 麗那さんが不在と知るや否や、その女性は溜め息交じりに肩を落としてしまう。その落ち込み具合が気に掛かり、オレは事情や経緯などについてそれとなく尋ねてみた。

 その女性が言うには、封筒を届けるためにはるばる他県から電車やタクシーを乗り継いで、ようやくここまで辿り着いたそうだ。どうして事前に電話なりで連絡しなかったのか、それには一言では終わらない深い事情があったのだ。

「実を申しますと、この封筒には、わたしの娘が書いた手紙らしきものが入ってまして。どうやら娘は、その手紙を二ヶ咲さんに直接手渡したかったようなんです。」

 切手が貼られておらず、アパートの所在地も書かれていない封筒。オレはようやく、その意図を理解することができた。

「この封筒を二ヶ咲さんにお渡ししたくとも、麗那という名前しか書いてなくて。おまけにこちらの諸事情ですが、娘本人からも聞くことができませんでしたので、こちらのお住まいがわからず、すぐにお届けすることができなかったのです。」

 その女性は麗那という名前だけを頼りに、親族や知人、そして娘の知り合いに手当たり次第聞いて回ったそうだ。しかし、娘とは離れて暮らしていたこともあり、思いのほか有力な手がかりが得られなかったという。

 つい最近になってから、娘の職場の関係者と連絡が取れたらしく、フルネームと住んでいるアパートの存在を知ることができたとのことだった。

「何でも、わたしの娘は二ヶ咲さんとお仕事をご一緒したということでしたので、ぜひとも一度、お礼かねがねお会いしてから、この娘の手紙をお渡ししたかったのですが・・・。」

 これまでの経緯を話し終えると、無念とばかりにやるせない表情でうつむいた女性。

 オレも哀れむ思いに顔を曇らせてしまう。遠路はるばる、麗那さんと面会するためにここまで来たことを考えると、このタイミングの悪さが不憫に思えてならなかった。

「オレはこのアパートの管理人を代行している者なんですが、もし差し支えなければ、オレの方でお預かりしますけど?」

 少しばかりためらう仕草を見せたものの、その女性はオレの厚意に甘んじることを決心した。

「わたしも、いつこちらに来れるかわかりませんし、お預けしますわ。娘のためにも、二ヶ咲さんによろしくお渡しください。」

 その女性から、麗那さん宛ての手紙が入った封筒を託されたオレ。この女性と娘の思いが詰まっていたのだろうか、薄くて軽いはずの封筒から、使命感という重みがオレの手にずっしりと伝わった気がした。

 念のために、連絡先の電話番号をオレに教えてくれた女性は、失礼しますという姿勢正しい挨拶だけを残して、やり切れなさそうにアパートを後にした。

「麗那さんと一緒に仕事したってことは、あの人の娘さん、芸能関係の仕事してるのかな。」

 ”麗那様へ”と表面に書かれた封筒を裏返してみると、あの女性の娘の名前らしき”香稟より”だけがポツンと書かれていた。苗字がないので判断は難しいが、オレに心当たりのない名前であることは明らかだった。

「さっきの女性からの伝言もあるし、どうやって麗那さんに渡そうかな・・・?」

 住人宛ての郵便物の類は、通常なら玄関に置いてある郵便受けに入れているが、今回みたいにややこしいケースの場合、麗那さん本人に直接手渡した方が無難だろう。

 だからといって、麗那さんに渡すまでオレが保管していると、万が一にも紛失といった事態が起こらないとも限らない。そうなったら、管理責任を問われるほどの大失態となってしまう。

 結局、オレが考え抜いた挙句に出した結論は、この封筒にオレからのメモを貼り付けて、彼女の自室へそっと忍ばせておくことだった。

「それなら確実に麗那さんの目に留まるし、しかも、他の住人にも見られたりしないからね。」

 オレは自らの考案に一人納得して、封筒を握りしめたまま玄関へと急いだ。

 麗那さんの身近なところで、ありとあらゆる物事が目まぐるしく動き出している。そんな浮足立つ雰囲気の中、彼女にとって運命を変えるであろう最終選考の結果発表は、もうすぐそこまで迫っていた。

ご意見、ご感想など、お気軽にお寄せください。

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