第二話 二.消えた携帯電話
黄昏時、リビングルームの窓から夕焼け空を望むと、朱色に染まった雲がわずかに浮かんでいた。
窓の外から、小学生たちの笑い声が聞こえる。夕ごはんが待ちきれないのか、小さなランドセルを揺すりながら、みんながみんな家路を急いでいた。
買ってきたお惣菜とインスタントご飯を持って、オレはテーブル席へと腰掛ける。これから一人寂しい夕食タイムである。
「さて、テレビでも見ながら食べるかな。」
そう言いながら、テレビのリモコンを探したが、なぜか、どこにも見当たらなかった。お昼時、ジュリーさんがテレビのスイッチを切って、テーブルの上に置いたところを見た気がしたけど。いったい、どこにいってしまったのだろうか。
「まぁ、いいや。冷めないうちに食べちゃおう。いただきまーす。」
今晩の夕食は出来合いのもので済ませているが、明日の夕食からは自炊しようとも考えている。
学生時代、オレは亡くなったばあちゃんから、基本的な料理作法を教わっていた。実家にいた頃、一人で家にいることが多かったオレは、台所に立っては簡単な食事を作っていたのだ。
このアパートにはキッチンもあり、冷蔵庫や電子レンジもあるので、簡単な料理はできそうだ。それに、スーパーマーケットも近所にあるため、食材選びにも困ることはないだろう。
暖めたご飯をいただきながら、オレはこれからの食事スタイルなどを思い浮かべていた。
「な、なんだ・・・?」
食事をしていると、階段の方からドタバタとやかましい足音が聞こえてきた。かなり慌てている感じの足音だった。
その足音はどんどん大きくなって、リビングルームへと近づいてくる。そして、ドアが開け放たれると、住人が一人リビングルームに転がり込んできた。
「あ、マサ!」
顔面蒼白になった潤が、オレのいるテーブルまで駆け寄ってきた。これから仕事なのか、彼女は藍色のブラウスを着て、スリムなデニムジーンズを履いていた。
「おい、どうしたんだよ、潤。そんなに慌てて。」
「ねぇねぇ、あたしのケータイ知らない?」
「ケータイ!?ケータイって、携帯電話のことか?」
慌てる潤を落ち着かせて、オレは何が起こったのか説明するよう促した。
潤の話によると、大切にしている携帯電話がなくなってしまったそうだ。今日の午後、二度寝から目覚めた後に、携帯電話を持ったままここへやってきたので、その時までは確かにあったという。
しばらくの間、ここでテレビを見てから自室に戻ったが、今しがた、仕事に出掛けようと準備をしていたら、その携帯電話が自室に見当たらなかったらしい。
自室を隈なく探しても見つからなかったため、潤はリビングルーム以外にあり得ないと思って、ここまで足を運んだというわけだ。
「あたしのケータイ、見てない?ねぇねぇ!」
「見てないなぁ。潤の携帯電話ってどんな形?」
銀色のボディーのスライドタイプで、アニメのキャラクターのストラップが付いていると、潤は自分の携帯電話の特徴をオレに教えてくれた。だけど、そんな特徴をした携帯電話に見覚えがなかった。
「なぁ、潤。午後、ここへ来てから自室へ戻った時、どこにも立ち寄らなかったのか?例えば、トイレとか洗濯場とか。」
「あのねぇ、その時のあたし、ちょっとボケボケしててさぁ、あんまり憶えてないんだよね。」
携帯電話の番号に電話をかけて、着信音で在り処を特定しようとオレが発案すると、どうも潤はすでに試していたらしく、現在マナーモードに設定されていて、音が鳴らない状態かも知れないとのことだった。
「はぁ、どこに行っちゃったんだろう、マサ、一緒にケータイ探してよぉ・・・。」
涙目で悲痛な表情を浮かべる潤。このままじゃ出掛けられないと、彼女は狂おしい声を上げていた。
じいちゃんから託されたノートに書かれた”住人からの苦情、相談、依頼などに必ず耳を傾けるべし”という教訓が、オレの頭にまざまざと浮かんできた。
住人からの要請を無碍に断ることもできず、夕食の途中ではあったが、オレは潤と一緒に携帯電話を探すことにした。
「とりあえずさ、オレはここを探すから、潤はもう一度自室を探してみなよ。あと、洗濯場とか、トイレも。」
潤は大きくうなづくと、一目散で階段を駆け上がっていった。
一方のオレは、テーブルの下やソファ周辺を調べてみた。しかし、携帯電話どころか、紙くず一つも落ちていない。ちなみに、台所周辺も確認してみたが、それらしい物体を発見するに至らなかった。
「やっぱり、見当たらないか。きっと、ここにはないんじゃないかな。」
念のために、他の場所も探してみようと思って、オレはリビングルームを離れて玄関口までやってきた。
下駄箱の上や、玄関先に落ちていないかなど、至るところを調べてみたが、残念ながら、潤の携帯電話を見つけることはできなかった。
まったく収穫のないまま、オレは玄関からリビングルームへと戻ってきた。丁度その時、階段から駆け下りてくる潤の姿が見えた。暗い表情からして、彼女の方も収穫がなかったようだ。
「ねぇマサ、あった?あたしのケータイ!」
「いや、見つからないよ。」
ガックリと肩を落として、潤はすっかり落ち込んでしまった。最近の若い女子は、携帯電話は命の次に大切だといった話をよく耳にするが、彼女の場合も例外ではないのだろう。
足元をふらつかせて、潤はリビングルームのソファへと座り込んでしまった。
「あのさ、潤。携帯電話はオレが引き続き探してみるから、潤は仕事に行きなよ。このままじゃ遅刻しちゃうよ。」
潤は狼狽しながら、ぶんぶんと大きく首を横に振った。
「ダメダメぇ!そういうわけにはいかないんだも~ん。」
まるで携帯電話依存症のごとく、潤は駄々っ子のようにわめき散らしていた。一日や二日利用できなくても、私生活上ほとんど支障のないオレと違って、彼女にはそうもいかない特別な事情でもあるのだろうか。
「それにしてもどこいっちゃったんだろう。部屋探したらぁ、探してないものが見つかったけどぉ。」
そんな潤の手には、銀色の小さい機器が握られていた。彼女から、オレはその機器を受け取った。
「あれ、これって。」
「リモコン。ここのテレビのだよぉ。」
これでは、リモコンが見つからなかったのも当然だ。まさか、潤がここから持ち出していたとは。
ということは、潤がリビングルームから自室へ戻る際に、間違って持ち帰ってしまったということか。それにしても、なぜ彼女はリモコンなんかを持っていったんだろう・・・?
「あたしぃ、かなりボケてたみたい。リモコンなんか持ち出しても、意味ないもんねぇ。」
手にしたリモコンを見つめるオレ。その銀色のボディーを見ていたら、オレの脳裏にある疑問が沸いた。
「潤、一つだけ聞いていいかな。普段、ここのテレビのリモコンってどこかに片付けるの?」
キョトンとした顔で、潤はテレビ台の方を指差した。
「最後にテレビを見た人がぁ、あそこ、テレビ台の引き出しに入れるの。これ住人みんなで決めたルールだよぉ。そっか、マサはそのこと知らなかったんだっけ?」
「それじゃあ、今日の午後、潤はここを出ていく時、リモコンをあそこに片付けたか?」
「う~ん・・・。うる覚えだけどぉ、片付けたような気がするぅ。」
オレはこの時、潤の携帯電話の在り処がわかった気がした。それは、携帯電話がここリビングルームにあるという確信でもあった。
その在り処へ、オレはすぐさま駆け寄る。潤は不思議そうな顔をしながら、オレのいるテレビ台のそばへと近づいてきた。
「あ、もしかしてぇ、この引き出しの中にぃ?」
テレビ台の引き出しに手を掛けて、オレはそっと引っ張り出してみる。オレと潤はドキドキしながら、その引き出しの中を覗き込んだ。
「あー!」
引き出しの中には、銀色に輝く携帯電話が横たわっていた。かわいいキャラクターの飾りが、ご主人様のお迎えを心待ちにしていたようだった。
「あたしのケータイじゃーん!」
その携帯電話を手にした途端、飾りのキャラクターを撫でたり頬擦りしたりして、潤は感動の再会を涙ながらに喜んでいた。
「そっかぁ、あたし、ボケちゃってケータイとリモコンを間違えて片付けちゃったんだぁ。」
「色が同じだし、大きさも似てるとはいえ、リモコンと携帯電話を間違えるとは、潤は相当ボケボケしてたみたいだな。」
オレに向かって口を尖らせる潤だったが、彼女の顔色からは安堵の表情が見て取れた。
「マサ、見つけてくれありがとう。」
頬を赤らめながら、潤は照れくさそうにお礼を言った。とても晴れやかで、満面の笑みを浮かべながら。
「あ、それはそうと、潤、時間大丈夫か!?」
「あー、やっばいじゃーん!!」
潤はまたまた顔面蒼白となって、大慌てでリビングルームから飛び出していった。
ドタバタと階段を駆け上がったと思いきや、わずかに間を置いてから、潤はあっという間に階段を下りてきた。彼女は猛ダッシュで、リビングルームの前を通り過ぎていく。
「あー!お化粧ポーチ、忘れたぁ!」
またまた忘れ物を取りに戻る潤。怒号にも似た声を上げながら、階段を上っていく彼女の姿が見えた。
「・・・まったく、落ち着きがないなぁ、ホントに。」
気を取り直して、オレはテーブル椅子へと腰掛けた。そして、中途半端になっていた夕食にありつく。
このドタバタのおかげで、お惣菜とご飯はすっかり冷めてしまっていた。それを電子レンジで暖め直すと、オレは再び静まり返ったリビングルームで食事を済ませた。
===== * * * * =====
夕食の後、オレは使い古しの参考書を広げて受験勉強を始めた。このアパートに移り住んで二日目の夜にして、オレはようやく受験生らしい行動ができる。
とはいうものの、住み慣れた実家と環境が違うせいか、オレは落ち着かなくて勉強に集中できないでいた。しかも、苦手な科目から手を出してしまったことも災いしてしまった。
意気込んでいたわりには、今日の目標も達成できず、オレは苦痛な時間を過ごすだけだった。
「・・・ふぅ、一息つくか。」
壁掛け時計を見つめて、そうつぶやいたオレ。時刻は午後9時を知らせていた。
広げていた参考書もそのままに、オレは左腕に腕時計をはめる。そして、気分転換とばかりに、夜のお散歩へと出掛けてしまうのだった。
玄関でサンダルを履いて、オレは真っ暗な外へと出ていく。空を見上げると、はるか遠くの彼方に夏の星座が輝いていた。
「さーて、ちょっとぶらつこうかな。」
路地に浮かぶ明かりを辿りながら、オレはゆっくりと歩いていく。涼しい夜風が流れてきて、モヤッとしていたオレの頭を覚ましてくれた。
結局オレは、このままウォーキングをしながら、近所のコンビニエンスストアへと向かうのだった。
「ありがとうございましたー。」
近所のコンビニエンスストアで、オレはペットボトルの炭酸飲料とスナック菓子を購入した。これをいただきながら、受験勉強の後半戦へ突入しようと考えていたからだ。
こういう時ほど、24時間営業のコンビニエンスストアはありがたい。品揃えは充実していないが、いつでも手軽に買い物ができる点では、現代に必要不可欠なお店と言っても過言ではないだろう。
出掛けてから20分ほど経過した頃、オレは夜のお散歩からアパートへと帰ってきた。
「あれ?」
よく見ると、リビングルームの窓から明かりが漏れている。もしかして、オレが電気を消し忘れていたのかも知れない。
管理人室へ立ち寄らず、買い物袋を手にしたまま、オレはリビングルームへと近寄った。当然だが、ドアの隙間からも明かりが漏れている。
「・・・誰かいる。」
ドアの奥から、何やら女性たちの話し声が聞こえてきたので、オレはドアの窓ガラスに目を凝らしてみた。すると、テーブル付近に人影が浮かび上がっている。住人の誰かがいるのは間違いないようだ。
受験勉強の続きもあったし、女性たちのおしゃべりを邪魔しちゃ悪いので、オレはリビングルームの前から立ち去ることにした。
管理人室へ帰ろうと振り返った瞬間、リビングルームのドアが開く音が聞こえた。ちょっと驚いてしまったオレは、思わず声を上げて振り向いてしまった。
「あれ、マサくん?何してるの、そんなところで。」
呼びかけたのは、リビングルームから顔を覗かせる麗那さんだった。オレが散歩している間に、帰宅後の晩酌を始めていたようだ。
「その、リビングの電気がついていたんで、消し忘れかと思って、確認するためにここへ。」
オレがそう言うと、麗那さんはニコニコしながら、オレをリビングルームへと誘ってくれた。
「今ね、ジュリーと二人でおやすみ前の一杯をしてたとこなの。部屋が少し暑くなってきちゃってね、ドアを開けて涼しくしようと思ったんだ。よかったら、マサくんも一緒に飲まない?」
この展開からして、このまま管理人室には戻りにくいので、オレはちょっとだけと、麗那さんと一緒にリビングルームへと入っていく。
「ハーイ、マサ。」
テーブル椅子に腰掛けているジュリーさんが、缶チューハイ片手に元気のいい挨拶をした。照れ笑いしながら、オレも彼女に小さい挨拶を返した。
麗那さんはジュリーさんの向かい側へと腰掛ける。二人は向かい合って、缶ビールと缶チューハイを軽くぶつけ合った。
「カンパーイ!」
乾杯の掛け声とともに、ニ人はお酒を口元に注ぎ込んだ。彼女たちのおいしいの一言に、オレの喉は激しく潤いを求めていた。
「冷蔵庫に冷えたビールあるから。マサくんもどうぞ。」
「あ、オレにはこれがありますから。」
そう言いながら、オレは買い物袋からペットボトルを取り出した。
ペットボトルの炭酸飲料を一気に喉へ流し込むオレ。炭酸のシュワシュワ感が、渇いたオレの喉にさっぱりとした爽快感を与えてくれた。
麗那さんとジュリーさんは、乾き物のおつまみを口にしながらお酒を楽しんでいた。おつまみを口へ運び、そしてお酒を飲み込む。そんな和んでいるニ人を見ていると、オレまでリラックスしてしまうほどだった。
「お二人は一緒に、よくここでお酒飲むんですか?」
オレの質問にニ人は答える。
「そうねー、夜の仕事が終わって、帰りが一緒になったりすると一緒に乾杯しちゃうよね。わたしは毎晩こうやって、リビングでビール飲んでるし。」
「うんうん。潤はこの時間、仕事から帰ってないし、あかりは部屋にこもったまま絵描いてるし。だから、麗那とはこうやって一緒に飲む機会、多いかもネ。」
女性ニ人は、飲み友達のように明るく笑っていた。仕事明けでお疲れなのだろうか、二人とも缶一本でほろ酔い加減のようだった。
「もしよかったら、これ食べてください。」
コンビニエンスストアで買ってきたスナック菓子の封を切ると、オレはそっとテーブルの上に置いた。
「これどうしたの?」
「この後、食べようと思って買ったんですけど、もう眠くなっちゃったんで。よかったらどうぞ。」
オレからの差し入れに、麗那さんとジュリーさんは手を叩いて喜んでいた。お酒のおつまみが寂しくなっていたようだ。
「オレ、そろそろ寝ますね。おやすみなさい。」
「ありがとう、マサくん。おやすみなさい。」
「マサ、サンキュー。おやすみ、グッナイ!」
ニ人におやすみを告げて、オレはリビングルームを立ち去ろうとした。
「ん、何だろう?」
リビングルームのドアの脇にある、壁掛けカレンダーがオレの目に留まった。注目して見ると、明日の日付が赤いマジックで丸く囲まれていることに気付いた。
「すいません。このカレンダーにある赤い丸印ってなんですか?」
オレの質問に、麗那さんが浮かれた感じで答えてくれた。
「ああ、それ?フフフ、明日はね、住人全員のお楽しみ会なの。」
「お楽しみ会ですか?」
お楽しみ会って、どんな会合なのだろうか。オレの頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「Oh、お楽しみ会、明日だったわネ!お楽しみ会はネ、わたしたち住人全員参加のイベントよ。」
ジュリーさんに続くように、麗那さんがお楽しみ会の詳細を説明してくれた。
「ほら、わたしたちって、みんな仕事内容も異なるから、お休みや帰宅時間もバラバラでしょ。だから、月に一度、夕方から夜までお仕事お休みにして、みんなでパーッと遊ぼう!って決めたの。それが、お楽しみ会というわけ。それで、明日のお楽しみ会は、ボウリング大会なんだよ。」
ウキウキ気分で、麗那さんは意気揚々と語った。ジュリーさんも嬉しさからか、かなり興奮していたようだ。二人とも、明日のお楽しみ会を余程楽しみにしているのだろう。
「そうだ、せっかくだからマサくんもお楽しみ会に参加しなよ。」
「そうネ。マサだったら、潤もあかりも反対しないと思うしネ。」
会話の流れから、お楽しみ会に勧誘されてしまったオレ。管理人代行のオレが、住人たちのお楽しみ会に参加してもよいのだろうか。
「いいんですか?住人でもないオレが参加しても。」
そんなオレに、麗那さんとジュリーさんは暖かい言葉を投げかけてくれた。
「当然じゃない。マサくんは、わたしたち住人と同じお友達だもん。」
「そうそう。こうやって共同生活するファミリーみたいなものネ。」
このアパートに暮らす住人たちは、みんなとても仲がよく親しみやすい印象があったが、それにはこういう触れ合うイベントがあったからなのだろう。このイベントに参加したら、オレも住人たちと今以上に仲良くなれるかも知れない。
そんなことを思いながら、オレは心優しいお誘いに感謝しつつ、お楽しみ会へ参加させてもらうことにした。
「それじゃあ、今度こそおやすみなさい。」
管理人室へ戻るや否や、オレは薄っぺらの煎餅布団へと潜り込んだ。そして、目を閉じて就寝の時を迎える。
明日の夜は、住人たちとの触れ合いの場となるお楽しみ会。オレは気持ちを躍らせながら、深い眠りにつくのだった。
===== * * * * =====
さわやかに晴れた翌日の午後、アパートから10分ほど歩いた先の大きな公園までやってきたオレ。ここは、この街に住む人々の憩いの場「山茶花中央公園」である。
緑いっぱいの芝生に囲まれた散策路を歩いていくと、犬の散歩をする愛犬家がちらほら目に付いた。
公園の奥の方には、テニスコートとサッカーフィールドといった球技場もあり、今日は平日のせいか、さわやかな汗を流す若者や、駆けずり回る少年少女の姿は見られなかった。
「さてと、待望のお昼ごはんといきますか。」
今日の午前中、オレは管理人代行として、アパートの庭先にある盆栽の手入れで時間を費やした。
じいちゃんが趣味で集めた植木鉢に水を遣ったり、植木鉢に付いた泥を洗い落としたりと、盆栽の手入れは思いのほか面倒だった。
盆栽の手入れって管理人の仕事だろうか?と思いつつも、オレは管理人の心構えノートに書かれた通りに従事してしまうのだった。
そして午後、オレはピクニック気分で、ここ「山茶花中央公園」でランチを食べることにした。ランチメニューは、コンビニエンスストアで買ったメロンパンとコロッケパン、そして牛乳である。
「よし、あそこのベンチにしよう。」
サッカーフィールドが見渡せる小高い敷地で、オレはプラスチック製のベンチを見つけた。
そのベンチに腰掛けるなり、牛乳パックにストローを差し込んで、オレはグビグビッと吸い込んだ。残念なことに、牛乳は思った以上に温くなっていた。
「そりゃそうか。コンビニ寄ってから、もう10分以上経ってるもんなぁ。」
メロンパンを頬張りながら、オレはサッカーフィールド全体を見下ろしてみた。
青々と茂った木々に囲まれているこのサッカーフィールド。観客席の広さを見る限り、小中学校レベルのサッカー大会で利用できるぐらいの大きさだった。
「ん、誰かいるぞ。」
サッカーフィールド上で、オレはボールと戯れる人影を見つけた。ボーダー柄のTシャツ姿に、白いショートパンツを履いていて、その風貌から、その人はサッカーを本格的にやっている印象を受けた。
その人は機敏な動きでドリブルを始めると、ゴールポスト目指して駆けていく。その見事なまでのボール捌きは、サッカー経験者であることを物語っていた。
いよいよ射程距離まで到達したのか、その人はゴール目掛けてボールを蹴り出した。すると、風を切るように飛んでいくボールが、ゴールネットの左隅に突き刺さった。
「すごい、上手だなぁ。」
思わず興奮してしまい、オレは上擦った声を出していた。サッカーにどれほど詳しくはないが、あの人の身のこなしと華麗なボール捌きに、オレはつい見惚れてしまった。
ピクニック気分の昼食を終えるまでの間、オレはサッカーフィールドを駆け回るその人を目で追っていた。
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「ふぅー、お腹いっぱい。」
気ままなランチを食べ終えたオレは、紙くずやビニール袋などのゴミを片付け始める。そんな中でも、サッカーフィールドでは、あの人がまだ一人サッカーで汗を流していた。
ゴミを捨てるために、オレはサッカーフィールド付近のベンチまでやってきた。そのベンチのそばには、スチール製の網状のゴミ箱が設置されていたからだ。
「うわぁ・・・。ゴミでいっぱいだな。」
ゴミを捨てようとしたものの、そのゴミ箱はすでに、ありとあらゆる残骸で山盛りになっていた。しかも、普通のゴミだけではなく、空き瓶や空き缶も乱雑に詰め込まれていた。公園内のゴミ箱ではよくある光景だった。
オレはゴミ箱を前にしながら悩んでいた。無理やりゴミを詰め込むべきか、それとも、アパートまで持ち帰るべきか、オレの心の中にある善と悪が互いにいがみ合っていた。
「・・・ん?」
そんな葛藤に苦しんでいると、オレの足元にサッカーボールが転がってきた。
サッカーフィールドの方へ顔を向けるオレ。すると、このボールを拾うために、あの人がここへ駆け寄ってくるのがわかった。短い髪の毛を揺らしながら、スポーツマンらしいダッシュで近づいてくる。
少しずつ近づいてくるその人に、オレは見入るように目を凝らす。引き締まった肢体に膨らみのある胸元、そして、パッチリとした煌びやかな瞳は、オレの予想を明らかに裏切って、思わず心の中で絶叫してしまった。
「この人、女性だったのか・・・!」
オレは反射的に、足元のボールをその女性に向かって蹴り出した。ところが、女性だったことに気が動転していたのか、ボールはとんでもない方向に転がってしまった。
しかし、その女性は華麗な身のこなしで回り込み、そのボールをしっかりと受け止めていた。
「どうもありがとう。」
そのさわやかな笑顔は、間違いなく女性のものだった。オレは改めて、目の前の人物が女性であると確信した。
振り返りながらボールを蹴り出したその女性。彼女は去り際に、黙っていたオレに言葉を投げかけた。
「ボール返してくれたのに、こんなこと言っちゃ悪いけど、キミのボール捌き、なかなかの下手っぷりだね。この至近距離であれだけ方向ずらせるなんて、ある意味すごいよ。それじゃあ!」
そう言い残して、その女性は汗を飛ばしながら駆け出していった。スピーディーなドリブルを披露しながら。
オレは悔しさに歯ぎしりしながら、走り去っていく女性の姿を見つめていた。
「うー、悔しいけど、文句言えない・・・。」
学生時代に、サッカーの授業を真面目にやっておけばよかったと後悔しつつ、オレは昼下がりの公園を後にした。
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