第一話 二.意地っ張りな師範代
時間はあっという間に過ぎていき、役目を終えるように太陽が街並みに沈みかけると、ここアパートに真っ赤な夕暮れが迫ってきていた。
何をするわけでもなく、オレはたった一人、冷房の効いたリビングルームで夕涼みをしていた。
「やけに静かだと思ったら。・・・あかりさんまで外出してるんだっけ。」
まさにこの時刻、麗那さんと潤は仕事のために不在、奈都美は合宿のために出掛けてしまい、ジュリーさんはまだ帰ってきていない。さらに、あかりさんまでもが野暮用で外出していた。
もう一つ付け加えるなら、猫のニャンダフルすらも、ふらふらと庭先へお散歩に行ってしまったので、オレは正真正銘の一人ぼっちだったのだ。
「そろそろ夕食の支度でも始めるとするか。」
思い立ったように立ち上がった瞬間、来客を告げるチャイムがリビングルームにこだました。
「あれ、こんな夕方に来訪者なんて珍しいな。」
いったい誰だろうと思いを巡らせながら、玄関に向かって足を速めるオレ。暗くなりかけた廊下を渡って玄関まで辿り着くと、そこには思いがけない人物が立ち尽くしていた。
凛々しい顔立ちで、結った長い黒髪を背中まで下ろした女性。古風な雰囲気を感じさせるその様相に、オレは明らかに見覚えがあった。
「あなたは確か、あかりさんの・・・。」
オレの目の前にいる女性は、あかりさんの異母姉妹である真倉夜未さんに間違いない。
「いつぞやは、いきなり訪れて失礼した。改めて出直してみたが、五浦あかりはいるだろうか?」
「すいません。あかりさん、出掛けてしまいまして。帰ってくる時間もはっきりしないんです。」
オレがそう返答すると、真倉さんは眉をひそめて小さく息を吐いた。余程面白くなかったのか、彼女はしかめっ面したまま仁王立ちしている。
「・・・迷惑を掛けるやも知れぬが、しばし、待たせてもらってよいかな?」
唐突なことで戸惑ってしまったものの、あかりさんからは、真倉さんが訪問した際は呼んでもらって構わないと言われていたことを思い出し、オレは不安を感じつつもリビングルームまでお通しすることにした。
脱いだ靴を丁寧に揃えて、アパートの廊下へ足を踏み入れる真倉さん。しなやかに歩を進める彼女の姿は、血はつながっていないとはいえ、あかりさんと姉妹であることをにわかに感じさせた。
リビングルームのテーブル席まで案内した後、真倉さんを冷たい麦茶でもてなしたオレ。彼女は堅苦しくお礼すると、涼しげな顔で麦茶のグラスに口を付けた。
「わがままを聞いてもらうだけでなく、おもてなしまでいただいて本当にかたじけない。」
先日来訪した時は日帰りでの上京だったため、すぐ地元に帰らなければいけなかったそうだ。そのため、今回は最寄駅付近にあるビジネスホテルに宿泊の予約をしてきたと、真倉さんは独り言のようにそう話していた。
「申し訳ないが、今日はあかりが戻ってくるまで待たせてほしい。あつかましいかも知れぬが、どうかよろしく頼む。」
「あかりさん、そんなに遅くはならないと思いますから、気になさらずお待ちになってください。」
しゃべり方は特徴的ではあるが、真倉さんはとても礼儀正しく振る舞っている。彼女やあかりさんが暮らしていた空手道場は、こんな昔気質で愚直な風習が今も根付いたままなのかも知れない。
そんなわけで、オレと真倉さんは二人きりで、リビングルームであかりさんを待ちわびることになった。時は緩やかに経過していくも、待ち人はこういう時に限ってなかなか帰ってこないものだ。
真倉さんがやってきてから30分ほど。仲良し同士ではない二人に談笑などあるはずもなく、重苦しいばかりの威圧感に、オレは身も心も押し潰されそうになっていた。
「・・・あかりさん遅いなぁ。携帯電話に電話してみようかな。」
張り詰めた緊張感に耐え兼ねたオレは、心の中でそうつぶやきながら席を立つ。
黙然としたままの真倉さんに、あかりさんに連絡してみると断りを入れてから、オレはそそくさと廊下へと駆け出していった。
携帯電話を取り出して、アドレス帳からあかりさんの電話番号を確認するオレ。無事につながることを願いつつ、表示された彼女の名前を見ながら通話ボタンをプッシュした。
オレは携帯電話を耳に押し付けたまま、薄暗くなった廊下に一人佇んでいる。そんなオレの気持ちを焦らすように、受話器の先から呼び出し音だけが空しく繰り返されていた。
「おかしいな、出てくれないぞ。・・・電話持って出掛けてるはずなんだけどな。」
不快なまでの蒸し暑さの中で、携帯電話を宛てたオレの耳に汗がにじんでいく。それでもしばらく粘ってはみたが、あかりさんが応答してくれることはなかった。
「仕方がない。また後で掛け直してみるか。」
溜め息交じりで通話を切り、リビングルームへとんぼ返りしようとした瞬間、オレの携帯電話から着信音が鳴り出した。慌てて液晶画面を覗くと、あかりさんからの折り返しの電話だった。
「もしもし、あかりさん?」
「ごめんなさい、電話をバッグの奥にしまっておいたからすぐに出られなくて。それで、何かあったの?」
オレが声を潜めて真倉さんのことを伝えると、あかりさんはしばらくの沈黙の後、落ち着き払った口調でつぶやいた。
「・・・悪いけど、この電話をつないだまま、彼女と代わってくれないかしら。」
「・・・はい。少し待っててください。」
そう言いながら、リビングルームへ戻っていったオレは、テーブル席に腰かけている真倉さんにそっと携帯電話を差し出した。
「あかりさんから、代わってほしいそうです。どうぞ。」
喜ぶどころか冷え切った表情のまま、オレから携帯電話を受け取った真倉さん。顔色を変えることなく、彼女は携帯電話をゆっくりと耳に宛がう。
「もしもし、あかり?久しぶりやないのー、元気やった?あんた、今どこにおるん?アパートであんたのこと、ずっと待ってるんやで。」
オレはびっくりして開いた口が塞がらなかった。あの澄ました顔をした真倉さんの口から、これほどあからさまな関西弁が飛び出すとは思ってもみなかったからだ。
その愛嬌のあるしゃべり方に留まらず、表情までもが温厚なぐらい緩んでいて、これまでの堅苦しさとのギャップの大きさからも、度肝を抜かれてしまうオレだった。
「ウチ?今日は近くのホテルに泊まるんや。せやから、あんたときっちり話させてもらうさかい、気付けて早く帰ってきてな。・・・うん、ほな、後でな。」
そう言って電話を切ると、真倉さんはちょっぴり照れくさそうにしつつ、オレに携帯電話を返してくれた。
「おおきに・・・じゃなくて、どうもありがとう。あかりはその・・・すぐ近くにいるから、もうすぐ帰ってくるとのことだ。」
つい勢いで出てしまった関西弁を言い直してまで、かしこまった姿勢を押し通そうとする真倉さん。そんな彼女のことを微笑ましく思い、オレはほんの少しだけ緊張感が和らいだ気がした。
その後も、リビングルームでは会話のない時間ばかりが過ぎてしまったが、あかりさんが帰ってくるまでそれほど時間はかからなかった。
===== * * * * =====
時刻は夜8時を過ぎていた。あかりさんが帰ってきてから1時間以上経ったが、リビングルームの照明は灯ったままで、姉妹同士の話し合いはまだ続いているようだった。
手軽な夕食でお腹を満たした後、管理人室で受験勉強に励んでいたオレ。とはいえ、あかりさんたちのことが気になってしまい、どうもノートの書き込みの進み具合が芳しくない。
「ふぅ、ちょっと息抜きでもするか。」
落ち着きなく髪の毛を掻きむしり、オレは管理人室のドアを開けて廊下へと出ていく。
どっぷりと夜の帳が下りた後も、空調のないアパートの廊下は湿っぽく蒸し暑いままだ。東京の夜を包み込むこの熱帯夜で、オレの心の煩わしさがより一層膨れ上がっていた。
意味もなく廊下を歩いていたオレは、リビングルームのドアの前に差し掛かる。そして、通りすがりに耳を澄ますも、物音も話し声すらも聞き取ることはできなかった。
「・・・随分静かだな。本当にいるんだろうか?」
オレは小声で囁きつつその場に立ち止まる。室内の様子を伺おうと、オレは音を立てないようリビングルームのドアまでそっと近づいた。
ゴクリと唾を飲み込んで、オレはドアを少しだけ開けてみる。鼓動を高鳴らせて覗き見するオレの視界に、テーブル席に座る女性の姿がかすかに映った。
「よく見えないけど、どうやら二人ともいるみたいだ。」
あかりさんと真倉さんは互いに向き合って座っていた。しかし、姉妹水入らず弾んだ会話をするわけでもなく、口をつぐんだままうつむいているだけだった。
リビングルームから漂うただならぬ緊迫感に、ドアの前から離れられなくなっていたオレは、すぐ隣に住人がいることに気付くことができなかった。
「マサくん?・・・何を覗き込んでるの?」
いきなり呼びかけられて、オレは仰け反りつつ必死に叫び声を押し殺した。
まごつくオレのすぐ隣にいたのは、帰宅してきたばかりの麗那さんとジュリーさんだった。買い物袋を手にしたまま、彼女たちは唖然とした顔でオレのことを見据えている。
「・・・お二人ともお帰りなさい。ご一緒だったんですね。」
「うん。たまたま仕事のミーティングが早く終わったから、わたし電車で帰ってきたんだけど、そうしたら、ジュリーと駅の構内で偶然出会ってね。」
出会ったこの二人は丁度いいとばかりに、浜木綿に押しかけて酒宴で盛り上がろうとしたらしいが、金銭的余裕のないジュリーさんに気兼ねして、今夜は安く済ませようと、帰宅途中のスーパーマーケットで食材をしこたま買って帰ってきたそうだ。
「それより、マサくんはいったい何をしていたの?」
麗那さんに問いただされてしまい、オレは言い逃れるような釈明に追われた。
「あ、これはその。・・・じ、実はさっき、リビングにお客さんがいらっしゃいまして。あまりに長居されてるから、本当にまだいるのかどうか確認しようと思って、つい・・・。」
「それなら、そんなコソコソしないで堂々と確かめていいと思うよ?リビングは共同スペースなわけだし、管理人であるマサくんなら、その責任があるでしょ。」
麗那さんの真っ当とも言える切り返しに、オレは恐縮しながら納得せざるを得なかった。すぐ横にいたジュリーさんもうなづいて、麗那さんに同調するような素振りを見せていた。
「それにしても、こんな夜に珍しいわネ。そのゲストっていったい誰なノ?」
「それがですね。あかりさんの身内の方で、どうもご姉妹のようなんです。」
ジュリーさんの質問にオレがありのまま答えると、彼女はちょっぴり意外そうな表情をしていた。
「あかりに姉妹がいたなんて初耳だワ。昔、そんな話題で話をした時は、彼女、一人っ子って言ってた気がするヨ。」
あかりさんの姉妹のことは、麗那さんも寝耳に水だったらしく、ジュリーさんと同様に驚いていたようだった。
「あかりさんたち姉妹、もう1時間以上もリビングにこもってるんです。何だか、とっても複雑というか深刻そうな感じなんですよ。」
オレが現状について説明すると、麗那さんとジュリーさんは順番にリビングルーム内を覗き見する。不穏な雰囲気を察したらしく、彼女たち二人とも理解したかのように眉をひそめていた。
このままだとリビングルームへ入るに入れず、これからささやかな晩酌を楽しもうとした二人は、どうしてみようもなくすっかり困り果ててしまった。
「ジュリー、今夜の酒宴は諦めた方がいいみたい。」
「そうネ。残念だけど、また次回にしましょうか。」
今夜はこれにて解散といった感じで、オレたち三人おやすみの挨拶をした矢先、リビングルームの方角から眩い明かりが漏れてきた。
リビングルームから明かりを解放したのは、優れない表情を浮かべていたあかりさんだった。
「リビングに入りたいなら遠慮しなくていいわよ。見られて困るような相手がいるわけでもないから。」
冷めたような口振りでそう告げると、あかりさんは再びテーブルの辺りまで戻っていった。
オレたち三人は戸惑いながら顔を見合わせる。そして、どうするか相談した末、緊迫したままのリビングルームへお邪魔させてもらうことにした。
「もう内緒にしても意味がないから、みんなに紹介しておくわ。彼女はわたしの姉妹、真倉夜未よ。」
あかりさんにそう紹介されると、真倉さんは機敏に起立して自己紹介を始める。
「ああ、お初にお目に掛かる。わたしは、ここにいるあかりと姉妹関係にある真倉と申す。いささか不束者ではあるが、どうかよろしくお願いしたい。」
この一風変わった堅苦しい言い回しのせいか、麗那さんもジュリーさんも呆気に取られて立ち尽くしている。輪をかけるように、お互いの苗字が違う理由まであかりさんから伝え聞いて、二人はその予想だにしない事実に驚きを隠せない様子だった。
「あなたたち、いつもの晩酌をするつもりなんでしょう?少しだけ待っててくれる。」
あかりさんは、麗那さんとジュリーさんの目的がわかっていたようだ。買い物袋から連想したのか、それとも、オレたちの廊下での立ち話を小耳に挟んでいたのだろうか。
「そういうわけだから、夜未。もう話も済んだことだし、そろそろ帰ってくれないかしら。」
それを口実にして、真倉さんをアパートから追い返そうとするあかりさん。しかし、真倉さんは釈然としないのか、不機嫌を絵に描いたような顔で異議を唱える。
「ちょい待ち!まだ話は済んでへんやろ?あんたが受け入れるまでは、ウチはこのまま帰られへんで。」
「あんたもしつこい!さっきから何回も言わさんといて。もう、いい加減諦めてホテルへ直行しなさい。」
オレたちが見つめる中、目の前の姉妹は語気を強めた関西弁でバトルを始めた。それはあたかも、コマーシャルなんかでよく見かける、大阪のおばちゃん同士の口喧嘩のようだった。
いつになく今夜は、驚かされてばかりいる麗那さんとジュリーさん。この口論を止めたくても、割り込むタイミングが計れず戸惑うことしかできなかった。
「お二人とも落ち着いてください。あの、時刻が時刻ですから、あまり大声を出すのはよくないですよ。」
居ても立っても居られず、オレはびくびくしながらも仲裁に入った。アパートの管理人代行という使命感が、このオレを無意識のうちに動かしてくれたようだ。
オレの一声に、あかりさんと真倉さんは我に返ったように絶句した。冷静さを欠いてしまったことを、彼女たちは恥らいながら猛省している。
「口論の原因はいったい何なの?差し出がましいと思うけど、よかったら話してくれない。」
「そうそう。相談に乗るぐらいならできるわヨ。これも何かの縁だしネ。」
さすがにこの状況で晩酌などできるはずもなく、麗那さんとジュリーさんは傍聴席となるソファへと腰を下ろした。
「ほんなら・・・じゃなくて。・・・それならば、わたしの話を聞いてもらった上で、皆様方にも、あかりを説得してもらいたい。」
真倉さんはまたしても、勢い余って口から出た関西弁を言い直した。そこまでこだわることに、オレは違和感を覚えていた。
「あの、真倉さん。オレたちにそこまで気を遣うことないですから、普段通りの話し方でいいですよ。」
「そうはいかないのだ。わたしたち道場の門下生には、身内以外を相手にする際、姿勢を正しく、礼節を持って接するという鉄の掟があるのだ。少々堅苦しいやも知れぬが、どうか許してほしい。」
そう申し上げると、真倉さんは礼儀正しく深々と頭を下げていた。あかりさんを横目に見やると、彼女は苦笑しながら、本当のことだと言わんばかりにうなづいている。
「彼女、わたしと違って、愚直過ぎて融通が利かない節があるから。聞き苦しいとは思うけど、その辺は我慢してあげてくれる?」
許すも我慢するも構わないのだが、そんなことよりも、真倉さんが言っていた身内以外の相手とは、対話する相手のことではなく、対戦する相手のことを指している気がするのだが・・・?
そんな疑問を浮かべつつ、空いていたテーブル席へオレも腰を下ろすと、一人起立している真倉さんが咳払い一つして熱弁を振るう。
「知っての通り、わたしとあかりは異母姉妹、そして大阪にある五浦空手道場の師範代でもある。わたしたちは幼少の頃に面識を持って以降、お互い切磋琢磨し、日々鍛錬を怠ることなく技を磨き合ってきた。」
あかりさんは涼しい顔をしたまま、真倉さんの演説っぽい話に耳を傾けていた。
「二ヶ月ほど前のことだが、道場主でもある父上が、師範代であるわたしたちや門下生に相談もせず、年齢には勝てんと言いつつ唐突に引退を宣言してしまったのだ。」
真倉さんの言う引退とは、道場主がその肩書きを退いて、若い後進に師範という地位を譲るというものだった。それはつまり、後継者候補である師範代、真倉さんとあかりさんのどちらかに委譲することを意味していた。
「師範という威厳ある地位となれば、無造作にじゃんけんや遊戯などで決めるわけにもいくまい。そこで父上に助言を求めたところ、姉妹同士で真剣勝負をして、勝利した方を後継者にすることに決まったのだ。」
まだ話の途中だったが、不思議そうな顔の麗那さんが割り込むように疑問を投げかける。
「ちょっと待って。勝負するも何も、あなたたち姉妹でしょう?こういう場合、普通お姉さんが後を継ぐものじゃないのかな?」
麗那さんのその問いかけには、第三者のジュリーさんやオレも同感だった。この二人にとって道場主とは、跡取りと同じ意味なのだから、お姉さんである長女の方が適任のはずだ。
あかりさんはそれが正論だと前置きしつつも、そうは問屋が卸さないといった感じで、困惑めいた顔で複雑な事情を打ち明ける。
「わたしたち姉妹はね、事もあろうか誕生日がまったく一緒なの。だから、どちらも姉と言えるし、どちらも妹と言えるわけ。」
偶然というのは恐ろしいもので、この姉妹は同じ年月日に、それぞれ異なる病院で産声を上げたそうだ。しかし、年月日は一緒でも時刻は違うだろうと、お互いの母親の間で言い合いがあったらしいが、どちらも頑なに折れようとしなかったため、やむなく年上も年下もない姉妹となってしまったという。
「そういう都合もあり、わたしは事の詳細を書き綴り、何度も言づてを送ったのだが、あかりは一度たりとも返事をくれなかった。しからばと、こうしてはるばる東京まで足を運んでみたところ、何を言い出すのかと思いきや、わたしと真剣勝負する気はない、跡目は譲るからもう帰ってほしいとの一点張りだ。」
不満げにそう嘆き、真倉さんはあかりさんに冷めた視線を送っている。一方のあかりさんはというと、まったく動じる気配もなく澄ました顔をしていた。
「でも、あかりさんは道場主を継がずに、真倉さんに譲ると言ってるんですよね?それなら、わざわざ真剣勝負なんて物騒なことする必要ないと思いますが?」
理にかなったオレの指摘に、麗那さんにジュリーさん、そして、あかりさんまでもが賛同するようにうなづいていた。ところが、真倉さんは納得できないのか、ただ一人眉を吊り上げて反論する。
「それでは、わたしの自尊心が許さない!譲られた上での後継者とあっては、他道場の猛者たちに、実力を伴わない未熟者と色眼鏡で見られてしまうだろう。真剣勝負に打ち勝ってこそ、正真正銘の道場主と認知されるというものだ。」
まくし立てるように、思い込みに近い持論をぶちまけた真倉さん。闘うことがすべてだと言わんばかりに、彼女は好戦的な態度でオレたちに迫ってきた。
その執念深い対戦要求に、あかりさんはあくまでも冷静に拒み続ける。その聞く耳持たずの振る舞いに、真倉さんは苛立つように声を荒げるばかりだった。
「あんた、いつからそんな臆病になったんや?道場にいる頃、あんたは突き刺すような獣の目をしとったやないか。ふん、どうせ漫画とかいう下衆な生業で破廉恥な絵を描いてるさかい、頭の中まで軟弱になってしまったんやろ!」
「ちょっと、漫画は関係ないやろ?それに、わたしは破廉恥な漫画など描いてへんわ!自分勝手な想像ばかりして人をおちょくるのも大概にせぇ。」
怒号と罵声を繰り返し、激しく睨み合っている姉妹。鬼気迫るその圧迫感に、オレたち三人はおろおろしながらただ見届けるしかできなかった。
「わたしは格闘家やない、漫画家や。道場の跡取りに興味なんかあらへん、ただそれだけのこと。何回、何度、何べんやってきても、わたしの答えはたった一つやから憶えておき!」
勝ち気にそう吐き捨てて、あかりさんは憤慨しながら離席する。真倉さんの制止を振り切ると、そのままリビングルームを出ていってしまった。
平行線のまま言い争いが終結し、シーンと静まり返っていたリビングルーム。残されたオレたちは皆、居たたまれない思いに押し黙っていた。
「ふぅ・・・。」
口火を切るように、真倉さんは重たい溜め息を漏らした。まだ諦めきれないのか、悔しさに唇を噛んでいる。
「大変失礼をした。あかりの極まりない無礼な行為、わたしの方から詫びさせてもらう。・・・今日のところはこれで引き上げるが、近いうちにまたお邪魔させてもらう。」
明後日には大阪の道場へ帰宅するが、また近いうちに東京へ舞い戻ってくるという真倉さん。その時までに、あかりさんを何とか説得してほしいと、彼女は去り際に、オレたちに繰り返し切願していた。
嵐のようなひと時が過ぎて、オレたちがようやく落ち着きを取り戻した頃、時刻は夜10時に到達しようとしていた。
「もう遅いし、あかり本人も引っ込んじゃったし。・・・今日のこと、また日を改めてお話しようか。」
「そうしましょう。わたし、もう眠くなってきちゃったヨ。・・・おやすみ、グッナイ。」
疲労感たっぷりのオレたち三人は、元気のないおやすみの挨拶を交わした。
自室へ帰っていく二人を見送り、最後に残ったオレがそっと照明を落とすと、慌ただしかったリビングルームにようやく静かな就寝の時が訪れていた。
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