第七話 二.猫の心の拠り所
翌日の朝、季節外れの雨が降り続いていたせいか、平年を下回るほどの冷涼ぶりで、夏の暑さも一休みといった感じだった。
そんな肌寒さに身を震わせながら、外出の用事を済ませてアパートへ帰ってきたオレ。広げていた傘を仕舞い込み、濡れたスニーカーから内履きのスリッパに履き替える。
「リビングの照明がついているな。」
リビングルームから明かりが漏れていることに気付いたオレは、消し忘れかどうか確かめようと、そのままリビングルームへと足を向ける。
一歩一歩近づくにつれ、わずかながらに住人たちの話し声が聞こえてきた。せっかく足を運んだのだからと、オレはちょっとだけ室内にお邪魔することにした。
「失礼しまーす。」
一言挨拶してから室内へ顔を覗かせると、どういうわけか、住人たちがソファに集まって何やら騒いでいた。みんなでソファを取り囲んで、いったい何をしているのだろうか?
「みなさん、そんなところに集まって、どうかしたんですか?」
オレがそう問いかけると、住人の一人の奈都美がニンマリとした顔で振り返った。
「マサ、見てみて。ほら、かわいいでしょ?」
奈都美が指し示した先には、ソファの前で屈んでいる潤とあかりさんがいる。そして、彼女たちの見つめるソファの上には、白色と黒色の毛並みに赤い首輪をした一匹の猫が座っていた。
「あ!・・・その猫、もしかして。」
その猫は紛れもなくあのぶち猫だった。住人たちに囲まれても人見知りすることなく、潤に顎を撫でられても嫌がりもせず、落ち着き払って気持ちよさそうな顔をしていた。
「ちょっと待ってください。お世話することは認めてるけど、アパートに連れ込むなんて規律に盛り込んでないからダメですよ。」
オレがそう苦言を呈すると、ぶち猫とじゃれている潤が口を尖らせる。
「そんな厳しいこと言わないでよぉ。この子、雨でびしょ濡れだったんだもん。あのまま放っておいたらさぁ、風邪引いちゃって、きっと大変なことになってたかも知れないよー。」
そう言い放ち、ぶち猫を思いやる姿勢を見せる潤。この優しさこそ、彼女の取り柄であり魅力でもあるのだが、こればかりは簡単に容認することはできない。
潤の気持ちに一定の理解を示しつつも、管理人代行という立場のオレは、彼女にルールはちゃんと守ろうとやんわり忠告する。
「んー・・・。わかってるよぉ。」
言葉では聞き入れてくれたが、潤はまごつくばかりでなかなか行動に移ろうとはしない。そんな彼女の思いを察してか、奈都美とあかりさんまでもがぶち猫の味方についてしまった。
「マサ、今回だけは許してあげてよ。雨が止むまでの間でいいからさ。ソファの上は、あたしたちがちゃんと綺麗に掃除するから。」
「こんな雨の中に放り出すなんて、あなたもそこまで鬼じゃないでしょう?規則を遵守することも大切だけど、それよりも大切なものがあるんじゃないかしら。」
奈都美だけならまだしも、あかりさんにこうも威圧されてしまっては、もうオレに自我を押し通すことなどできるはずもなかった。
オレは致し方なく、雨が止むまでの一時的な避難という例外措置により、ぶち猫のアパートへの入居を許可することにした。
「マサ、ありがとー。」
嬉しそうにお礼を述べる潤、そして、彼女に暖かい視線を向ける奈都美とあかりさん。オレは溜め息一つこぼしつつも、心なしか穏やかな気持ちに包まれていた。
「やれやれ。これじゃあ、管理人代行の面目も丸潰れだなぁ。」
「そうじゃないよ。マサはそれだけ優しいんだって。あたしたち住人のことを理解してくれてるってこと。」
そんな会話をしながら、オレと奈都美はテーブル椅子へと腰掛ける。オレたちに続くように、あかりさんもゆっくりとテーブル椅子に腰を下ろした。
「それにしても、あの猫。潤に随分と懐いてますね。」
「そうね。エサをあげたりしてるから当然とも言えるけど。でも、こうして見ていると、潤もすっかり飼い主さん気取りね。」
あかりさんの言う通り、潤は飼い主らしく付きっ切りでかわいがっている。そんな彼女のそばにいると安らぐのか、ぶち猫も彼女のもとから離れようとしなかった。
微笑ましくじゃれ合う潤たちを見ていると、オレの頭の中に一つの不安要素が浮かび上がる。それは愛着が強くなればなるほど、本当の飼い主が見つかった時、それだけ決別が辛くなってしまうことだ。
「ずっと、このままってわけにもいかないし。いずれは、飼い主のもとへ引き渡さないと。・・・とはいえ、今日まで飼い主らしき情報はまったくなしだもんな。」
「あ、そのことなんだけどね・・・。」
そう話を切り出してきた奈都美。ところが、彼女はいきなり潤に呼びかけられてしまい、オレとの会話が途切れてしまった。
「奈都美、ごめーん。あたし、ちょっとトイレ行ってくるからさぁ。それまで、猫ちゃんのこと見ててぇ。」
「あ。・・・うん、いいよ。」
潤が小走りで駆けていくと、ぶち猫も鈴を鳴らしながら、彼女の後ろ姿を追いかけていく。
「ダメだよぉ。ちょっぴりお留守番しててねー。すぐ戻ってくるからぁ。」
そう言い聞かせた潤は、顔をぶち猫に向けたままリビングルームを出ていった。
まるでご主人様のお帰りを待ちわびるように、ぶち猫は脇見もせずドアの前でじっと座り込んでいる。おとなしく留守番をしているその無邪気さに、オレたちみんな顔を見合わせて微笑していた。
「そうそう。奈都美、さっき何か言いかけていたみたいだけど?」
オレがそう尋ねると、奈都美が真面目な顔つきで話し始める。
「実はね。弁当屋のおじさんが馴染みのお客さんから聞いたんだけど、商店街から少し先の川沿いにある豪邸に住んでるご婦人が、猫が逃げ出したから探してるって。その猫のことをね、赤い首輪に、白と黒のぶち猫って言ってたらしいの。」
「おいおい、それ、この猫と特徴がピッタリじゃないか。・・・その川沿いにある豪邸、どこにあるのかな。」
奈都美の耳寄りな情報を耳にするなり、あかりさんは何かに気付いたように口を開いた。
「川沿いの豪邸といったら、蝶名林一族のお屋敷かも知れないわね。」
聞き覚えのない苗字に首を傾げつつ、オレと奈都美はあかりさんのことを見つめる。
オレがその”蝶名林一族”のことを詳しく尋ねてみると、あかりさんは呆れた様子で、その一族の素性について明かしてくれた。
「あなたたち、蝶名林一族を知らないの?この街一帯の土地を幾つも保有している大地主よ。ご主人はこの街周辺で一番大きい製薬会社の社長で、ご婦人はその会社の役員。地方新聞社に多額の広告料を払ってるから、誌面にも頻繁に名前が掲載されるほどの有名人よ。あなたたち、新聞ぐらいは目を通しなさいね。」
痛いところを突かれて、苦笑いでごまかすしかないオレ。受験勉強はしていても社会勉強は皆無なだけに、教養の無さを露呈して真にばつが悪かった。
「でね、この話にはまだ続きがあるんだよ。」
小さい声でそう言うと、奈都美は険しい表情のまま話を続ける。
「馴染みのお客さんが言うにはね。・・・そのご婦人、高飛車でいつも態度が偉そうなんだって。息子が一人いるんだけど、過保護で甘やかしているせいか、ものすごく自分勝手で、いわゆる世間知らずのお坊ちゃんらしいの。」
豪邸に住まう大地主であり、かつ大きな製薬会社を牛耳る一族ならば、いわゆる高慢な人格になってしまうことはだいたい察しがつくところだ。オレとあかりさんは、納得するかのごとくうなづいていた。
奈都美はこれからが本題とばかりに、声のトーンを抑えつつ話を続けていく。
「・・・で、問題はその息子の方らしいの。お客さんのお子さんの話によれば、どうも、ペットの猫に鎖をくくり付けて街中を引っ張りまわしてたんだって。言うことを聞かないと足蹴にしたり、石を投げつけたりするぐらいの乱暴者らしいよ。」
その無慈悲なまでの惨状を知って、オレもあかりさんも身震いするような悪寒が走る。それはあまりにも惨たらしく、飼い主としてあるまじき行為だった。
「ひどいわね。・・・ペットのことを奴隷か何かと思っているのかしら。そうだとしたら、動物虐待以外の何物でもないじゃない。」
唇を噛み締めているあかりさんの台詞には、行き場のない憎しみが込められていた。
「ちょっと待って・・・。それじゃあ、あいつがその猫だとしたら、飼い主の虐待を恐れてここまで逃げてきたってことか?川沿いからだと、ここまでかなりの距離があると思うけど。」
「あたしも気になってさ、そのことチーコに聞いてみたの。性別や去勢してるかにもよるけど、猫の行動範囲は半径1kmぐらいあるんだって。遠いことは遠いけど、川沿いからここまで辿り着けない距離でもないと思うよ。」
奈都美の言う通りだとしたら、その猫は飼い主のもとから逃げ出して、彷徨った挙句このアパートまで流れ着き、そして、偶然にも潤と出会った。
人間不信に怯える猫を手厚く介抱した潤。そんな彼女の親心に触れたくて、その猫は何度も何回も、安住の地を求めてこのアパートへ姿を見せたのだろうか。
「このこと、潤には話さない方がいいよね。あの子、きっと猫ちゃんのこと手放さなくなっちゃうもん。」
「そうね。その猫が逃げてきた猫と決まったわけじゃないし。もうしばらく様子を見守ってみましょう。」
オレたち三人はぶち猫へと視線を向ける。ぶち猫はじっとしたまま、潤の帰りを心待ちしているようだ。
一人ぼっちで不安になったらしく、ぶち猫は時折、顔を振り向かせては周囲を警戒している。その時の寂しそうにすがる瞳が、ここから追い出さないでと訴えているように見えなくもなかった。
ぶち猫の願いが天に届いたのだろうか、降りしきる雨は止むどころか、轟音を打ち鳴らすほどに激しくなっていた。
===== * * * * =====
翌日の朝8時過ぎ、雨で濡れていた路面を乾かすぐらい、よく晴れたさわやかな朝だった。
たまには運動でもしなさいと奈都美に尻を叩かれて、オレは彼女と一緒に、「山百合河川敷公園」周辺まで足を伸ばしていた。なぜここまでやってきたかというと、オレたちにはある目的があった。
「ねぇ、あれ大きくない?あそこじゃないかな。」
「確かに大きいな。もう少し近づいてみるか。」
大きな邸宅の正門まで近づき、オレたちは石柱に埋め込まれた表札に目を向ける。しかし、表札に刻まれている苗字は、オレたちが探し求めていたものとは違っていた。
「あ、残念。ここじゃないみたいだ。」
「うーん、どこにあるんだろうねー。蝶名林さんの豪邸って。」
オレと奈都美は散歩がてら、この辺りに豪邸を構える大富豪の蝶名林邸を探していた。すぐに見つかるだろうと甘く見ていたが、川沿いには高級な住宅が散在しており、思いのほか目標に辿り着くことができなかった。
「でもさ、あのぶち猫、本当にこの辺りから来てるのかな。どうも信じ難い気がしてならないんだけど。」
奈都美からの情報では、あのぶち猫は蝶名林の邸宅で飼われていた可能性が高い。わずかでもその手掛かりを掴もうと、この高級住宅地を暗中模索していたオレたち。
「あたしも人づてに聞いたから確信は持てないな。だけど、猫ちゃんの特徴とかそっくりだったし。」
鈴をぶら下げた赤い首輪に白と黒の毛色。偶然にも路地を横切る猫を発見しても、そんな特徴を持った猫と遭遇することはなかった。
住宅地を歩き回ること十数分。表札をチェックし続けたオレたちは、太陽の日差しから来る暑さもあって、少々バテ気味になっていた。
オレたちは住宅に挟まれた小さな公園を見つけた途端、付近の自動販売機で飲み物を購入し、休憩とばかりにすぐさまベンチの上に腰を下ろす。
「まだ探す気力残ってる?歩いて帰ること考えるとさ、オレもう限界なんだけど。」
「あたしでも歩き疲れるぐらいだもんね。今日のところはもう諦めちゃおうか。」
収穫のない締めくくりとなって、オレと奈都美は溜め息交じりで肩を落としていた。運動するという目的は十二分に果たせたものの、消耗感ばかりが残ってしまう無残な結末となってしまった。
ドリンクで渇いた喉を潤した後、無念ながらも帰宅の途につこうと立ち上がったその時、公園出口の方角から女性の呼びかける声が聞こえた。
「あなたたち、こんなところでどうしたの?」
オレたち二人に声を掛けたのは、意外にも、面識のある身近な人物だった。
「あれ、紗依子さん!?お、おはようございます。」
「おはよう、紗依子さん。紗依子さんこそ、こんな場所で何してるの!?」
突然現れた「串焼き浜木綿」の店員である紗依子さん。マスターからの言いつけで、この近辺のお客様のところで用事を済ませた帰りとのことだった。
「あなたたちこそ何してるの?こんなとこでデートなんて、ちょっとムードがないわよねぇ。」
そんなロマンスっぽいことではないと断言するオレ。隣にいる奈都美も、それはありえないと笑いながら否定していた。
「だったら、こんな朝から住宅街で何をしてるのよ?」
「いや実は、お屋敷を探していたんです。大きな製薬会社の社長の蝶名林さんのお家なんですけど。」
そう答えたオレの顔を凝視しながら、紗依子さんはちょっと不思議そうな顔をしている。
「あらあらあら、どうして蝶名林さんの家に用があるのかしら?」
「話すと長くなりますけど、ちょっとばかり諸事情がありまして。もしかして紗依子さん、蝶名林さんのお家をご存知なんですか?」
オレがそう問いかけると、紗依子さんはコクンとうなづいて、オレと奈都美の背後にある、公園の奥にそびえるコンクリート壁を指差した。
「・・・この壁が何か?」
「これ、蝶名林さんのご自宅の外壁よ。」
オレと奈都美は唖然とした顔で、見るも大きなその外壁に見入っていた。
その外壁は公園の敷地をはるかに通り越しており、この公園を囲うものでないことは一目瞭然だった。
外壁の奥に立ちはだかる雄大な杉の木が邪魔をして、肝心の豪邸どころか、建造物の一つすらまったく知ることができない。この何者も寄せ付けない物々しさが、ここが蝶名林一族のお屋敷であることを物語っていた。
「驚いたなぁ。まさか、目的地のすぐ隣にいたなんて。」
「ホントだー。このまま諦めて帰らなくてよかったね。」
ただのコンクリート壁を眺めながら、満足そうに感動するオレと奈都美。そんなオレたちのことを、紗依子さんは理解し難かったのか、困惑の表情を浮かべるしかなかった。
「あなたたち、蝶名林さんにどんな用事か知らないけど、不用意に嗅ぎ回っちゃダメよ。大きな声じゃ言えないけど、この付近ではあまり評判がよくないんだから。」
近隣住人に対しての人当たりの悪さや、蔑視するような振る舞い。紗依子さんが話してくれた蝶名林家の噂は、奈都美から聞かされていた印象と似たり寄ったりなものだった。
その噂ついでに、蝶名林家が飼っている猫のことで、近隣住人から何か聞いていないか尋ねてみると、紗依子さんの口から思ってもみない答えが返ってきた。
「あー、猫のペットのことは聞いたことあるわね。高級そうなペルシャ猫って言ってたわ。」
オレと奈都美は目を丸くして顔を見合わせる。どう転んでも、あのぶち猫がペルシャ猫のはずがないからだ。
「ペルシャですか?・・・あの、白と黒のぶちじゃなくて。」
「間違いないわよ。ここのご婦人がその猫を抱きかかえて、この辺の人たちに自慢してたらしいから。」
予想もしなかった展開に、言葉を失って絶句しているオレたち。飼い主探しがここに来て振り出しに戻ってしまい、オレも奈都美も動揺を隠し切れずにいた。
「あらら、もうこんな時間。すっかり話し込んじゃったわ。」
あまり深入りしないよう釘を刺すと、紗依子さんはオレたちのもとから離れていった。
オレたちは崩れるようにベンチへ座り込んでしまった。どっと疲れが吹き出してしまい、立ち上がる気力をも失いかけていた。
「とんだぬか喜びだったね。・・・奈都美、これからどうしよう?」
「う~ん・・・。今度こそ、諦めて帰るしかないんじゃないかな。」
そんな怠惰な会話をしながら、オレたちは雲一つない青空を見上げる。今朝の青空は皮肉なほどに、すがすがしく澄み渡るような青空だった。
空しい気持ちを打ち消さんばかりに、オレたちはしばらくの間、目に眩しい真っ青な空を眺め続けていた。
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「麗那さん、さすがにまだ来てないな。ちょっと早く到着し過ぎてしまったか。」
数日経過したある日の夕方、最寄駅の東口にある交差点の一角で、オレは逸る思いで腕時計を見つめていた。
今から1時間ほど前、いきなりオレの携帯電話が着信した。発信元は麗那さんの携帯電話からで、何事かと電話を取ってみたら、彼女から驚かんばかりの話題が飛び出した。
「マサくん、急な話でごめんなさい。すぐに駅の東口まで出てこれるかな?この前一緒に行ったレストランのオーナーから連絡があってね。ジュリーのことでわかったことがあるの。」
ジュリーさんの話題となれば、管理人代行として出陣しないわけにはいかない。理由はそれだけではなく、一人の仲間としても彼女の身を案じていたからだ。
期待と不安を抱きつつ、オレはこうして今、麗那さんとの待ち合わせ場所である、最寄駅東口そばの交差点までやってきたというわけだ。
「焦っても仕方がない。のんびり待つか。」
溜め息一つこぼし、オレはぼんやりと上空を見上げる。時刻は夕方6時過ぎ、日の長い夏の夕暮れとはいえ、夕焼け空は深みのかかった藍色へと変わりつつあった。
そんな暮れゆく街並みの下、駅に向かって流れていく雑踏を横目に、オレは麗那さんの到着を待ち続けていた。
「ん、携帯電話か?」
ポケットの中にある携帯電話が振動している。液晶表示を見てみると、案の定、発信者は麗那さんだった。
「もしもし、麗那さんですか?」
「マサくん。悪いんだけど、目の前の交差点を渡ってきてくれるかな。渡ったら、右折してアーケードの方角に歩いてきてくれる?」
「あ。・・・はい。」
周囲をちらちらと見ながら、麗那さんに指示されるがまま歩いていくオレ。交差点を渡りきり、次に右に折れて、指定されたアーケードへと足を早める。
アーチ状の装飾が視界に入ったあたりで、アーケード沿いに停車している自動車を発見した。後部座席の窓にスモークを貼った見覚えのある自動車、あれは麗那さんが乗車している自動車に違いないだろう。
小走りで自動車まで近寄っていくと、オレのことを招き入れるかのようにドアが開いた。吸い込まれるように、オレは薄暗い後部座席へと乗り込んだ。
「マサくん、ごめんねー。いつもいきなり呼び出してばかりで。」
「気にしないでください。それより、ジュリーさんのこと、何かわかったんですか?」
オレの問いかけに、麗那さんは言葉なくただコクンとうなづいた。
「マネージャー。それじゃあ、中央公園までお願いね。」
従順に返事をしたマネージャーは、安全確認を怠ることなく自動車を丁寧に発進させる。
麗那さんが口にした中央公園とはいったい・・・?その公園がどこを指しているのか知る由もなく、オレがその中央公園のことを尋ねる前に、彼女が本題について話し始めた。
「この前のレストランのオーナーから連絡があってね。ジュリーの消息のことで最新情報が入ったの。」
レストランのオーナーは仕事の合間を縫って、ジャズバンドに精通する人脈から情報収集に奔走してくれたらしく、その人脈の中の一人から、ジュリーさんのことで有力な情報が得られたという。
その情報とは、ある女性が前触れもなく夜の街に繰り出して、酔っ払いや浮浪者といった観衆を前に、自慢のジャズソングを披露しているというのだ。その女性がどうも、ジュリーさんと同一人物ではないかとのことだった。
「でも、ジュリーさんは、観衆の前では歌わないって言ってましたよ。この前だって、観客の前に一度も姿を見せなかったですし。」
「でもね、これが彼女にとって、修行の一環だとしたら合点がいかない?」
また昔のように、ステージに立って堂々と歌いたい。それを夢見て、ジュリーさんは小さい群集の前で弱い自分自身と戦っているのだろうか。もしそうだとしたら、麗那さんの言うことも間違いとは言えないだろう。
「これからね、そのジュリーらしき女性が歌をお披露目する場所へ行ってみようと思ってるの。」
「その場所が中央公園というわけなんですね。・・・で、その公園はどこなんですか?」
そう問いかけるオレに、車窓に映る案内看板を指差して行先を教えてくれた麗那さん。
「新宿中央公園よ。」
オレが気付いた時には、自動車は新宿へといざなう首都高速道路に向かって突き進んでいた。
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