第六話 三.久しぶりのシルエット
じいちゃんの入院先からの帰り道、オレは寄り道がてら「山茶花中央公園」まで足を伸ばしていた。
本日の天候は晴れ。じっとしていても汗ばむほど、照りつける太陽が、見上げる青空の上でさんさんと輝いていた。
犬を連れてのんびり散歩している老夫婦。日傘を手にしてベビーカーを押しているママ。歓声を上げながら駆けずり回る子供たち。緑豊かな公園は、そんないつもと変わらない風景でオレを迎えてくれた。
「ここはいつ来ても、のどかでいいなぁ。」
麗らかな公園内をしばらく歩いていると、オレは小学生らしき子供たちの集団に目が留まった。
その子供たちは騒がしい声でわめきながら、水鉄砲のような玩具で遊んでいるようだ。これだけ暑い日が続くと、二十歳を過ぎたオレですら水遊びに興じたくなる。
子供たちを羨む目で見ていると、何かの目標に向けて水流を発射していることに気付いた。いったい何だろうと目を凝らすと、攻撃目標は驚いたことに動き回っている生物の姿をしていた。
「・・・あれ、猫じゃないか。」
子供たちのもとへゆっくり近づいていくと、接近するにつれて、そこで起きている状況が明らかになってきた。
首輪を電灯の柱にくくり付けられた猫が、放たれる水を避けようと逃げ惑っている。子供のやることにしては、いささか、かわいげのない悪趣味な遊びだった。
まるでボロ雑巾のように、びしょ濡れになってしまった猫。子供たちに敵意を剥き出して、尻尾を丸め込んで激しく威嚇していた。
「ひどいことするな。・・・やっぱり、注意した方がいいよなぁ。」
不道徳な行動は慎むべきと、子供たちに自制を促そうとしたオレだったが、余計なお世話かも知れないとためらい、一歩前に足を踏み出すことができずにいた。
注意すべきかしないべきか、そんな葛藤に苦しんでいるオレ。すると、オレのことなど見向きもせず、血相を変えた一人の女性がオレの横を駆け抜けていった。
「君たち、何をしているの?」
その呼びかけに子供たちは振り向くと、駆けつけてきた女性を見張るような目で見つめていた。
「猫にそんなことしたらダメじゃない。・・・猫はね、水に濡れるのが嫌いなんだよ。ほら見て、嫌がることするから、あんなに怯えちゃって・・・。」
いきなり現れた女性にそう諭されて、目を丸くしている子供たち。その中の一人が憮然とした顔で、余計なお世話と言わんばかりに楯突いた。
「ぼくんちの猫に何したって勝手だろー。こいつ、言うこと聞かないから、しつけしてあげてるんだよ。」
「こんなこと、しつけとは言わないよ。・・・いじめてるだけだもの。周りの人たちから見てもね、こういうことするのってよくないことだよ。・・・恥ずかしいことだと思うな。」
か細い声を震わせながら、その女性は子供たちの不品行を説教していた。しかし、子供たちは生意気な態度ばかりで一向に反省する様子がない。わがままに育てられたご都合主義の子供たちには、社会における道理とか条理なんて、到底理解することなどできるはずもなかった。
それでも挫けることなく、動物に対する人間愛について語り続ける女性。そのしつこいまでの執着さに、子供たちは気味悪がって顔を強張らせていた。
「わかったよ、もう止めるよぉ・・・。」
ついに観念したのか、子供たちは首輪をつないだ猫を抱きかかえると、その場から逃げるように走り去ってしまった。
一応の解決には至ったものの、その女性の横顔は滅入ったままだ。それはとても悲しげで、物憂げな横顔だった。
「あれ。あの人、ペットショップにいたチーコさん・・・?」
子供たちに良心を説いたその女性の正体こそ、奈都美の親友でもあり、隣町のペットショップに勤めているチーコさんだった。ちなみに、チーコとは本名ではなくあだ名である。
「チーコさん・・・ですよね?」
オレがそう声を掛けると、チーコさんは恐る恐る振り返った。
「・・・あ。あなたは、奈っちゃんとお知り合いの。」
「その節はどうも。こんなところで奇遇ですね。」
年中無休のペットショップで、四六時中勤務していたというチーコさん。少しぐらい骨休みするようにと、彼女は今日一日、お店から特別休暇を与えられたそうだ。
この貴重な休暇を自宅で過ごすつもりだったが、動物たちに囲まれない生活が落ち着かないのか、こちらの街のペットショップ見学に出掛けてしまったとのことだった。
「オレが言うのも何ですけど。さっきの子供たちのこと、注意してくれて嬉しかったです。」
「・・・この前に続いて、みっともないところを見られてしまいましたね。」
動物のことになるとつい我を忘れてしまい、おっかなびっくりしつつも、知らぬ間に行動を起こしてしまうと、チーコさんはそう打ち明けながら控え目にはにかんだ。
「でも、それって素晴らしいことですよ。オレなんて、悪いことだとわかっていても、いつも見て見ぬ振りしちゃうんですから。」
チーコさんは表情を曇らせて、消え入りそうな声でオレに問いかける。
「・・・ペットたちの、悲しい現実をご存知ですか?」
「え、悲しい現実ですか。」
オレがどういうことか尋ねると、ペットにおかれた悲痛な事情について、チーコさんは哀れむように語ってくれた。
「テレビの影響でしょうか、ここ近年、混沌とするほどのペットブームで、見た目がかわいいとか、血統書付きだからとか、ペットを気軽に飼う人が増えました。・・・だけど、いざ飼ってみたら、世話が面倒、病気になった、ペットが飼えないマンションに引越したといった無責任な理由で、ペットを捨ててしまう人も増えてしまったんです。」
黙ったままのオレに言い聞かせるように、チーコさんは遠慮がちながらも、力強い口調で話し続ける。
「捨てられたペットは動物愛護センターに保護されると、里親が見つからない限り、そのまま殺処分されてしまいます。・・・身勝手に捨てられて、罪を犯したわけでもないのに、生きることすら許されない。そんな悲しい運命を辿ることになるんです。」
年間に30万頭ほど、犬や猫の尊い命が失われている現在。処分費用に多額の税金を捻出できない自治体は、薬を投与しての安楽死ではなく、炭酸ガスによる窒息死で殺処分しているという。犬や猫たちはこの世の無情さに泣きわめき、そして、もがき苦しみ暴れながら死んでゆくのだ。
チーコさんは目頭を熱くして、やり切れない胸のうちを語り続けていく。
「ペットはみんな、飼い主に愛されたいんです。飼い主と一緒に遊んで、微笑んで。・・・いつまでもそばにいたんです。飼い主が本当にペットを愛してくれたら、ペットもちゃんとそれに応えてくれるんです。その人のことを好きでいたいから。ずっと愛していたいから・・・。」
抑えていた感情が込み上げてきたのか、チーコさんは潤んだ瞳に涙を浮かべていた。彼女の涙声はまるで、悲運な宿命にあるペットたちの苦しみもがく悲鳴のようだった。
このあまりにも無残な現実に、痛ましさで胸を締め付けられるオレ。口をつぐんで悲しみに暮れるチーコさんに、オレは慰めの言葉を投げかけることができない。
「・・・ごめんなさい。少し取り乱してしまいました。」
「いいえ。・・・とても勉強になりました。貴重なお話、ありがとうございました。」
ハンカチで目元を拭き取ると、チーコさんは気持ちを切り替えるように気丈に振舞っていた。
「それでは、わたしは失礼しますね。・・・奈っちゃんによろしくお伝えください。」
大きくお辞儀をしてから、オレに小さな背中を見せるチーコさん。ゆっくりとした歩調で、駅のある方角に向かって歩いていく。
小さくなっていくチーコさんを見届けると、息詰まるような閉塞感を抱いたまま、オレも黄昏が迫る公園を後にした。
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いよいよ8月に入り夏本番、夏真っ盛りの毎日。そんな晴れやかさとは裏腹に、オレの気持ちは優れずどんよりと曇っていた。
ジュリーさんがアパートを離れてから一週間以上経ったが、いまだに帰ってくる気配はない。”いつになるかわからないけど、アパートには帰るつもり”。置き手紙に綴られたこの言葉を信じて、オレは気が気でない日々を送りながらも、彼女の帰宅をひたすら待つしかなかった。
「ふぅ、今日はこれぐらいにしておくかな。」
オレはこの日の正午過ぎから、少しでも遅れを取り戻そうと受験勉強に励んでいた。電話のベルや住人からのヘルプといった邪魔もなく、とても集中した数時間を過ごすことができた。
夢中になって学習していたせいか、管理人室内がにわかに薄暗くなっていた。それもそのはずで、時計の針は夕方5時を指し示している。
「麦茶で一休みしてから、夕食の準備に取り掛かるとするか。」
ささやかなティータイム休憩しようと腰を上げるオレ。すると、テーブルの上にあった携帯電話から着信メロディーが流れてきた。
携帯電話の液晶画面を見てみると、お仕事に出掛けているはずの麗那さんの名前が表示されていた。メールではなく電話してきたということは、何か急ぎの用事でもあったのだろうか。
「もしもし、麗那さんですか?」
「あ、マサくん。今、外出中?それとも、アパート?」
アパートにいるとオレが伝えると、麗那さんはホッとしたような口振りをする。
「もし都合よかったら、これから付き合ってほしいんだけど、どうかな?」
「都合は悪くないんですけど、もう時間が時間なんで、そろそろ夕食の準備をしようかと。」
「それなら、丁度よかった。付き合ってほしいのはレストランだったの。わたしのおごりで一緒にどう?」
貧乏な浪人生の悲しい性か、ごちそうしてもらえるなら拒否する理由などどこにもない。冷蔵庫の食材には翌晩まで待ってもらうことにして、オレは喜んでディナーのお誘いを快諾した。
「ありがとう。身支度整えたら、玄関の前まで出てきてくれる?すぐに迎えにいくから。」
そう告げると、麗那さんはすぐさま通話を切ってしまった。ここまで迎えに来るということは、もうアパート周辺にいるということだろうか・・・?
麗那さんを待たせるわけにはいくまいと、大急ぎで普段着に着替えたオレは、財布と携帯電話をポケットに詰め込んで、管理人室をドタバタと飛び出していった。
「それにしても、麗那さん少し慌ててたみたいだけど、何かあったのかな。」
お気に入りのスニーカーにかかとを滑らせるなり、オレは日の沈みかけた夕暮れの空の下へと駆け出した。
アパート前の路地を右へ左へ見回してみると、外壁沿いに停車していた一台の自動車から、顔を覗かせた麗那さんが手招きしていた。
導かれるまま、オレはその自動車の後部座席へと乗り込む。車内には、隣に座る麗那さんの他に、ポニーテールに髪の毛を結った、彼女のマネージャーらしき女性が運転手として座っていた。
「レストランまでお願い。できるだけ急いでくれるかな?」
麗那さんの言いつけに、マネージャーらしき女性は歯切れのいい返事をして、静かにアクセルを踏み込む。
「マサくん、ごめんね。いきなり誘っちゃって。事情が事情だったから、どうしても同行してほしかったの。」
「急いでいるみたいですけど、何があったんです?レストランって、どこへ向かってるんですか?」
オレたちが目指している先は、都内新宿にある洋食レストランとのことだった。何でも、麗那さんが昔お世話になった、元芸能関係の知り合いが独立して開店したお店とのことだ。
そのレストランでは週に一度、ディナーショーのようなライブを開催しているらしく、ぜひ一度観賞がてら来店してほしいと口説かれてしまったそうだ。
「それでね、お店のオーナーからパンフレットをもらったの。これを見てみて。」
そのパンフレットを手にしたオレは、満遍なく書かれた数ある宣伝項目に目を走らせる。厳選食材を使ったコースメニューや、高級ホテルで修行を積んだシェフの紹介など、このレストランの魅力ある特色が所狭しと並べられていた。
「びっくりですね。・・・料理の値段、みんなめちゃくちゃ高いじゃないですか。」
「料理のことじゃないよ、もう。ほら、ここを見てみて!」
麗那さんが指差した箇所には、演奏するバンドの紹介や主な活動といった、ディナーショーに関する詳細が記載されていた。
その細部を一字一句注視してみると、ゲストとして参加するボーカリストの名前に、オレの目は釘付けになってしまった。
「・・・このボーカリストのM.ジュリーってもしかして?」
そう問いながら麗那さんの顔色を伺うオレ。彼女は察したように黙ったままうなづいた。
「わたしもこれ見た時びっくりしちゃって。それでね、ディナーショーのこと、お店のオーナーにいろいろと尋ねてみたの。このボーカリストが、ジュリー本人かどうかも含めて。」
レストランの目玉ともいえるこのディナーショーは、オープンして間もない頃から開催しているそうだ。巷で活躍するバンドに精通した人脈があるオーナーは、開催の都度、都合のいいバンドを紹介してもらっているとのことだ。
このジュリーというボーカリストも、その人脈からの紹介とのことだが、演奏を担当するバンドとのつながりは一切なく、オーナー自身も、そのボーカリストとはまったく面識がないのだという。
「こうなったら、わたしたちの目で直接確かめるしかないと思ってね。よく見たら、このディナーショーが今夜7時からなんだもの。だから、慌ててマサくんに電話しちゃったというわけ。」
「そういう事情だったんですね。そういうことなら、喜んでご一緒させていただきます。」
このボーカリストの正体とは、あのジュリーさんなのだろうか?ジュリーさんであってほしいと、オレも麗那さんもそう期待せずにはいられなかった。
歩いたことのない街並み、眺めたことのない風景が、車窓越しにオレの視界に飛び込んでくる。ひた走る自動車は幹線道路を走り抜けて、新宿を目指して留まることなく突き進んでいった。
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迫りくる夕闇が落日を告げると、そびえ立つ高層ビル群はまるでシャンデリアのように輝きだす。
首都高速道路を突っ走り、交通渋滞を掻き分けて、オレと麗那さんを乗せた自動車は新宿駅周辺まで辿り着いていた。
そこはまさにメトロポリス新宿副都心。今日一日の生業を終えた人々が高層ビルという砂漠から、私生活というオアシスを目指して四方八方に散らばっていく。
流れゆく群集の生き様を肌で感じたオレは、同じ時代を生きる者として、次元の違いというものを思い知らされた気がしていた。
「マネージャー、どうもありがとう。社長にはうまく説明しておいてね。」
嫌な顔一つせず、きちんとした姿勢で返事をする運転席の女性。どんな言いつけも快く受け止めてくれる、そんな理想像のようなマネージャーだった。
そのマネージャーに見送られつつ、オレと麗那さんは夜の新宿の地に降り立った。
ビル備え付けのデジタル時計に目を合わせると、時はあっという間に過ぎていたらしく、ライブ開催時刻を当に越えてしまっていた。
「ディナーショーもう始まってる。マサくん、急ごう!」
洋食レストランまでは、新宿駅東口から徒歩数分の道のりとのこと。オレはスニーカーで地面を蹴りだして、長い髪をなびかす麗那さんの後ろ姿を追いかけていく。
群がる人ごみを避けながら、大きな交差点を渡っていくオレたち。不快なまでの蒸し暑さが、逸る気持ちをより一層苛立たせていた。
駆け出してから3分ほど経過した頃、ようやくオレたちの目に、雑居ビルの一階にあるレストランらしき店舗が見えてきた。シックな色を基調としていて、高級感のある見栄えのいい店構えだった。
「いらっしゃいませ。ただいまのお時間、ご予約の方以外の入店はお断りしておりますが?」
自動ドアを踏み越えた途端、オレたちの前に立ちはだかった男性従業員。麗那さんから予約済みと聞かされて、彼は予約管理表を丁寧にめくって確認する。
「お待ちしておりました、二ヶ咲様。ご案内いたします、どうぞ、こちらへ。」
男性従業員の行き届いた案内により、オレたちが薄暗いレストラン内へ入っていくと、残念にもディナーショーはすでに幕を開けた後だった。
スポットライトに照られたステージから、バンドが奏でる軽快なリズムと一緒に、心に響くような美しい歌声が流れてくる。それは記憶の片隅にある、どこか懐かしい女性の声だった。
「・・・ジュリーさん?」
観衆が注目するステージ上には、バンドメンバーたちの姿はあるものの、肝心のボーカリストの姿が見当たらず、磨りガラス製の間仕切りがステージの袖に設置されているだけだった。
周囲の迷惑にならないよう腰を低くして、案内されたテーブル席へ腰掛けるオレたち。すでにテーブルには、遅刻したオレたちを出迎えるように、今夜のコースメニューがぼんやりとした照明に包まれていた。
その豪華なディナーに手を付けることなく、麗那さんは落ち着かない様子でステージを見やっている。
「マサくん、見て。ステージにボーカリストがいないわ。どういうことかな。」
「おかしいですね。演奏だけがライブで、歌声だけ録音なんて絶対にありえないですよ。」
オレたちがそんなひそひそ話をしていると、薄暗がりの中から女性らしき人影がふらっと浮かび上がってきた。その人影は麗那さんのそばに近づくなり、周りに漏れないぐらいの小声で話しかけてきた。
「麗那、来てくれたのは嬉しいけど、時間にルーズなのはいただけないわね。」
「あ、オーナー、ごめんなさい。仕事が順調にいかなくて、終わりの時間が押しちゃったんですよ。」
オレたちのテーブルに姿を見せたのは、麗那さんの顔見知りでもある、このレストランの女性オーナーだった。旧知の仲を物語るように、彼女たちはとても親しそうに語り合っている。
「オーナー、ステージにボーカリストが見当たらないですけど、どういうことです?」
そう尋ねた麗那さんに、オーナーはステージの袖にある間仕切りを指し示した。
磨りガラス越しに映し出された一つのシルエット。それはほっそりとしたラインが繊細で、透明感のあるミステリアスな女性の姿をしていた。
「あのボーカリスト、歌は一曲だけで、しかも、お客様の前に姿を見せない条件で承諾してくれたの。そんなわがまま、わたしとしては認めたくなかったけど、紹介してくれた人からプロ並みの歌声だと伺ったものだから、まぁ今回だけは例外としてお願いしたのよ。」
演奏が始まるまでは危機感を抱いていたオーナーだったが、観客を見事なまでに引き寄せたあの歌声に、自分の判断に間違いはなかったとすっかりご満悦の様子だった。
オーナーの話を聞いて、オレと麗那さんは確信していた。類まれな歌唱力を持ち、観衆の前に姿をさらけ出さないあの女性こそ、ジュリーさん本人に間違いないだろうと。
「あの、オーナー。一つお願いがあるんです。」
麗那さんのお願いに、感じよく耳を貸してくれたオーナー。
「彼女のことですけど、きっと。・・・いや間違いなく、わたしたちの友達だと思うんです。曲が終わったらでいいんです。彼女に会わせてもらえませんか?」
プロフェッショナルを志し、自分自身をさらに磨くため、修行と銘打ってアパートを飛び出していった友達のことを、麗那さんは包み隠さず洗いざらい打ち明けた。
「なるほど、そういうことなら了解よ。そろそろ演奏も終わる頃だから調整だけはしておくわね。」
オレたちのいるテーブルから離れたオーナーは、待機していた男性スタッフを小声で呼び止める。
男性スタッフは軽くうなづくと、間仕切りのあるステージの方へと向かっていった。歌唱を終えたジュリーさんを引き止めておくよう指示されたのだろう。
お客たちを魅了した演奏も終わり、いよいよ曲目の一つが終演を迎える。拍手の波が押し寄せる最中にも関わらず、ジュリーさんのシルエットは身を翻すと、あっという間に舞台袖へと消えてしまった。
「ジュリーさん、まさか・・・。」
嫌な予感が漂い、一抹の不安を抱えていたオレ。向かい側にいる麗那さんも、不穏を絵に描いたような顔をしていた。
そわそわしながらテーブル席で待っていると、オーナーから指示された男性スタッフが一人きりで戻ってきた。彼はオーナーのそばに駆け寄るなり、慌てた様相で何やら耳打ちをしている。これはトラブル発生かと、オレの胸騒ぎはますます激しくなっていた。
気を揉んでいるオレたちのテーブルへ、険しい表情をしたオーナーが早足に近寄ってきた。
「麗那、ごめんなさい。彼女ね、報酬を受け取ったらすぐに帰ってしまったらしいの。友達が待っていると引き止めようとしたら、猛スピードで駆け出していったそうよ。」
やはり、オレたちの予感は的中してしまった。ジュリーさんは面会を恐れるあまり、オレたちのもとから逃げ出してしまったのだろうか。
悔しくも、ジュリーさんに会いたいという願いが叶わなかったオレと麗那さん。そんなオレたちに、オーナーは穏やかに笑って励ましてくれた。
「きっと、彼女を紹介してくれた人なら、彼女の居場所も知ってるはずよ。連絡してみるから、何かわかったら知らせるわね。だから二人とも、今日のところはおいしい料理を楽しんでいってちょうだい。」
「・・・ありがとうございます。それじゃあ、おいしくいただいていきます。」
両手で合掌してから、オレたちはテーブルの豪勢な料理に舌鼓を打つ。どの料理もとても上品な味で、おいしさが口いっぱいに広がったが、気分が晴れないせいか、少しばかりほろ苦い後味が口の中に残っていた。
ステージでは二曲目の楽曲が演奏されていた。歌声のないこのインストゥルメンタルは、まるでオレたちの空しい心に響き渡るバラードのようだった。
第六話は、これで終わりです。
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