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第五話 二.雨に濡れるジャズライブ

 数日経過した日曜日の夜。真っ暗な雲が空を覆い隠し、夜空から星の輝きを奪っていた。ぽつりぽつりと降り続く雨が、足元をずぶ濡れにせずとも、路上をしっとりと濡らしている。

 ぐずついた雨模様の今夜、オレと麗那さんの二人は、駅東口にあるライブハウスまで足を運んでいた。

 これよりこのライブハウスで、ローリングサンダーの単独ライブが執り行われようとしている。怪我をしたボーカリストの代役を務めるのは、言うまでもなく、オレたちの仲間であるジュリーさんだ。

「二人ともよく来てくれたね。おかげさまで、無事にライブを開催することができる。本当にありがとう。」

 オレと麗那さんに向けて、しきりにお礼を繰り返すローリングサンダーのリーダー。ジュリーさんを説得してくれたことに、彼は心の底から感謝の意を述べていた。

 今夜、オレたちは観客としてではなく、関係者という立場で招待されていた。チケット代金を払わんばかりか、ステージ前列で演奏を視聴できるというVIP待遇だった。

 そんなわけで、オレたちは関係者以外立入禁止である控室にお邪魔して、本番前のジュリーさんの様子を伺おうとしていたのだ。

「ジュリーはどうしてます?」

「ああ、奥の部屋でスタンバイしてるよ。ぜひとも声を掛けてくれると嬉しい。」

 リーダーに案内されるがまま、オレたちは控室の奥にある個室へと向かう。スタッフたちの慌しい雑踏から離れると、部屋の窓越しに、降りしきる雨音がかすかに聞こえてきた。

 ジュリーさんが待機する個室までやってきたオレたち。しかし、ドアの向こうから声や物音はなく、人の気配すらまったく感じられない。

「ジュリー、二人が来てくれたよ。入るぞ。」

 リーダーは軽くノックしてドアを開ける。彼に続くように、オレたちも個室へと足を踏み入れた。

 殺風景な光景が広がる個室内、大きな姿見に映し出された一人の女性。おしゃれなメイクを決めて、紫色のスパンコールドレスで華やかにドレスアップしたジュリーさんが、ぽつんとパイプ椅子に座っていた。

「ジュリーさん・・・?」

 ジュリーさんは血の気が引いた顔で小刻みに震えていた。冷静さを失っているのか、貧乏揺すりして落ち着かない様子だった。

 ただならぬジュリーさんの姿を目の当たりにして、オレと麗那さんは不安に駆られ、声をかけることすらできない。

「ここにこもってからずっとあの調子でね。久しぶりの観衆の前だから神経質になってるのかな。」

 リハーサルの音合わせでも声を震わせていたらしく、ここまで緊張するのは今まで見た記憶がないと、リーダーは心配そうな顔でジュリーさんの歌声を危惧していた。

 緊張するジュリーさんのもとへ、ゆっくりと近づいていく麗那さん。それに気付いたのか、ジュリーさんは視線をこちらに向けた。

「・・・麗那。来てくれたのネ。」

「もちろん。ジュリーの本気の歌声なんて、滅多に聴けるものじゃないからね。」

 ジュリーさんの顔が少しばかり緩んだように見えた。気の置けない親友がそばに来てくれて、彼女はわずかながらも、落ち着きを取り戻していたのかも知れない。

「もうすぐ本番でしょう。そんなに緊張してたらせっかくのライブが台無しよ。来てくれたお客さんのためにも、堂々としてなくちゃダメじゃない。」

 そう諭しつつ、励ましのメッセージを伝える麗那さん。モデルというプロの舞台で、緊張感と戦い続ける彼女らしい説得力のある言葉だった。

 麗那さんはそっと腰を落として、ジュリーさんの手に優しく触れる。

「・・・麗那の手、暖かいネ。」

 手の温もりが心まで届き、ジュリーさんの表情が少しずつ和らいできた。

「・・・ありがとう。お客さんのためにも、メンバーのためにも、わたしがんばって歌ってみるヨ。」

 絆を深めるように手を取り合う二人。彼女たちの通い合った友情の形に、オレとリーダーも安堵の笑みを浮かべていた。

 程なくして、本番の合図を知らせるため、ライブハウスの関係者がやってきた。時刻は夜7時、いよいよローリングサンダーのライブの幕開けである。

「がんばってくださいね。」

 オレと麗那さんの応援を背に受けて、ジュリーさんたちは気合とともに個室を出ていく。そして、関係者に誘導されるオレたちも、観客席に向かうため控室を後にした。

 非常灯に照らされた定員50名ほどの観客席は、満員に近いお客で埋め尽くされていた。スポットライトを浴びたステージは輝きを放ち、暗がりのこの観客席の中に浮かんでいるようだった。

 指定されたステージの真ん前の席に腰掛けるオレたち。ワクワクドキドキしながら、オレたちは開演のその時を心待ちにしていた。

「オレ、ジャズの生ライブ聴くのって初めてなんですよ。」

「わたしはコンサートならあるけど、こういうライブは初めてかな。」

 そんな会話をしていると、開幕を告げる放送が天井のスピーカーから流れてきた。その放送で紹介されたタキシード姿の司会者が、ゆったりとステージの壇上に上がり律儀な挨拶をする。

「皆様、お待たせいたしました。ご紹介しましょう。ローリングサンダーのみなさんです、どうぞ。」

 ローリングサンダーの面々が会釈しながら壇上にやってきた。しかし、その列にジュリーさんの姿は見当たらない。

 メンバー一人一人が各パートに配置していく中、リーダーただ一人が司会者のすぐ横で立ち止まり、来てくれた観客たちに向けて大きくお辞儀をした。

「今夜はお足元が悪いところ、このライブにお越しくださいましてありがとうございます。・・・今夜は不慮の事故で欠席したメンバーの代わりに、わたしたちの昔の仲間がボーカリストとして参加してくれることになりました。」

 リーダーからそう紹介されて、ジュリーさんはいよいよ壇上に上がったものの、つまづきそうな足取りに取り繕ったような笑顔が、緊張感に支配された彼女の心情を物語っていた。

 ステージ中央に立ち、観客席に向けて小さく挨拶するジュリーさん。彼女を歓迎するように、観客席からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。

「それでは、今夜は魅力あるライブをお楽しみください。」

 拍手が鳴り止むのを見計らい、司会者はステージ袖へと退いていった。

 観客たちが期待を胸に静まり返る中、リーダーがドラムのスティックで合図を送ると、メンバーたちがずっしりとした深みのある旋律を奏でる。

 トランペットとサックスの音色、そしてドラムのリズムが相まって、観客席が優雅で洒落たムードに包まれていく。演奏の一曲目は「レイン・オブ・トワイライト」。以前、カラオケボックスでジュリーさんが歌っていたあの曲だった。

 スポットライトに照らされて、眩い輝きを放つジュリーさん。煌びやかな瞳を閉じると、彼女は艶やかな唇で歌い始めた。

「・・・。」

 その透き通った艶のある美声に、オレはいつもながら言葉を失った。

 時には優しく、時には力強く、ジュリーさんの歌声はオレたちの心に響き渡っていく。周りの観客たちも、流れてくる綺麗なメロディーに耳を澄ましていた。

 ジャズソングを心地よく聴き入っていると、少し離れた観客席からひそひそ話が耳に入ってきたので、オレは不機嫌丸出しにその方向を睨みつけた。

 何やら耳打ちしながらステージを見つめる観客たち。いつしか、ひそひそ話はざわつきへと変化していき、ステージ上で起きた異変を暗示していた。

「マサくん、見て。」

 麗那さんに声を掛けられて、慌ててステージの方へ振り向くと、オレの視点の先には、観客たちのざわつく真相がはっきりと映っていた。

 ジュリーさんが怯えるように顔を引きつらせて、ステージの壇上で両足をガクガクと震わせていた。その震えは歌声まで伝わって、美しかったハーモニーは耳障りなほどに調和を乱している。

 ジュリーさんの異変に気付いたのか、リーダーをはじめバンドのメンバーたちは、演奏にメリハリを付けて何とかごまかそうとしていた。しかし、その甲斐もなく、彼女の歌声は聴き取れないほどに小さくなっていった。

「・・・ジュリーさん。」

 駆け寄りたくても駆け寄れない焦れったさに、オレたちまでもが冷静さを失ってしまう。

 ジュリーさんはマイクを握り締めたまま顔を歪めている。彼女の麗しい歌声は、もう二度と、ステージ上に響き渡ることはなかった。

 一曲目の演奏が終了すると同時に、打ち下ろすように頭を下げたジュリーさん。不穏な雰囲気が漂うステージに悲痛な足音を残して、彼女は逃げるように走り去ってしまった。

 この非常事態にざわめきだす観客たち。事態を収拾しようと、ステージ袖から半身を覗かせた司会者が目配せすると、それを悟ったリーダーは機転を利かして、この騒動をやり過ごそうとする。

「引き続き、ローリングサンダーの定番曲でお楽しみください。」

 マイク越しにそう叫ぶと、リーダーはスティックを振り回してドラムを打ち鳴らした。ドラムのリズムに連なるように、他のメンバーたちも二曲目の旋律を演奏し始める。リーダーの冷静な判断と見事なまでの統率力で、どうにかこの事態を収拾できたようだ。

「行こう、マサくん!」

「は、はい!」

 オレと麗那さんは立ち上がり、姿を消したジュリーさんを追いかけることにした。

 関係者から観客席を離れる許可をもらったオレたちは、周囲の迷惑にならないよう配慮しながら観客席を飛び出していく。

「とりあえず、控室の方に行ってみましょう。」

 小走りしながらそう話し合ったオレたち。薄明かりの廊下を駆け抜けて、オレたちは控室のドアの前までやってきた。

 開けっ放しのドアを越えて控室へ立ち入ってみたが、そこには人っ子一人おらず、ただ窓打つ雨音だけが空しく響いていた。

「見て、個室のドアも開いたままになってる。」

 そっと個室の中を覗き込んでみたオレ。期待を裏切るように、ジュリーさんはおろか、そこはもぬけの殻だった。

 オレと麗那さんは念のため、誰もいない個室に入ってみた。そして周囲を見渡してみると、姿見のそばにある机の上に、ジュリーさんが身にまとっていたドレスが無造作に置かれていた。

「どうやら、ここに来たのは間違いないみたいですね。」

 動揺するあまり、焦りの顔色を浮かべるオレ。その焦りをさらに助長させるように、麗那さんが大きな声を上げる。

「待って、ジュリーのハンドバッグがなくなってるわ。」

「え、ということは・・・!」

 オレは個室にあるたった一つの窓を見つめた。降りしきる雨で、窓には無数の水滴が付着している。

 無意識のうちに、オレは個室から一目散に飛び出していた。廊下をとんぼ返りして、ステージや観客席の横を通り過ぎて、正面玄関目指して走り抜けていく。

「個室に立ち寄ってるなら、そんなに遠くには行っていないはずだ・・・!」

 ジュリーさんに追いつこうと、オレは息を切らせながら無心に走り続けた。

 正面玄関までようやく辿り着き、観音開きのドアを思い切りこじ開けると、雨でかすむ街並みがオレの目の前に広がった。

 降り止まない雨足が視界を遮り、ずぶ濡れの路面が行く手を阻んで、オレの追走を踏み止まらせる。

 信号機の灯りと自動車のヘッドライトが交錯する交差点で、傘を差さずに駆けていく一人の金髪の女性を、オレはこの目でしっかり捉えていた。

「ジュリーさん!!」

 オレの呼びかける叫び声は儚くも、その女性の姿とともに、夜闇に群がる人波へと消えていった。


 =====  * * * *  =====


 蒸し暑さを煽らんばかりに、夏の雨がなおも降り続いていた。

 小雨がそぼ降る中、ライブハウスから走り去ってしまったジュリーさん。彼女が戻ってきてると祈りつつ、オレは一人アパートに帰宅していた。

 濡れた靴の跡と下駄箱に転がる泥で汚れたパンプスが、ジュリーさんがここに戻ってきていることを証明していた。ホッと胸を撫で下ろし、オレは携帯電話を手にする。

「あ、麗那さんですか、オレです。・・・ジュリーさん、アパートに帰ってきてます。」

 ジュリーさんの身を案じるローリングサンダーの面々と一緒に、麗那さんにはライブハウスで待機してもらっていた。

「そう、よかったわ。リーダーにこのことを伝えたら、わたしもすぐに帰るから。マサくん申し訳ないけど、ジュリーの様子を見てあげて。」

「わかりました。バンドのみなさんによろしく伝えてください。」

 そう告げると、オレは携帯電話の通話を切った。

 管理人室で濡れた衣類を脱ぎ捨て、オレはラフな服装に着替えてから、ジュリーさんの部屋がある二階へと向かう。

 ゆっくりとした歩調で、大きな足音をさせないよう階段を上っていくオレ。そのせいだろうか、今夜は不思議と、階段の段数がいつもより多く感じられた。

 いつもと変わらず、二階の廊下は静寂に包まれていた。抜き足で歩を進めながら、オレはジュリーさんの自室前までやってきた。しかし、ドアの向こうは人の気配がなく、ドアの隙間から室内灯の明かりも漏れていない。

「・・・もう寝ちゃってるのかな。」

 ジュリーさんの様子を気にしつつ、オレはドアを数回ノックしてみる。ドアのそばで耳を澄ませてみるも、まるで誰もいないかのように静かなままだった。

 ノックを繰り返し、ジュリーさんの名前を呼んでみたが、空しくも、部屋の奥からは無音という反応だけが返ってきた。

「ダメか。・・・とりあえず、麗那さんが帰ってきたら相談してみよう。」

 溜め息交じりに、心の中でそうつぶやいたオレ。いったん管理人室に戻るため、オレがとぼとぼと階段の方へ歩き始めた瞬間だった。

 生理現象はごまかせなかったようで、ジュリーさんの部屋の奥から、小鳥の鳴き声のようなかわいらしいくしゃみが聞こえた。

「ジュリーさん、やっぱり部屋にいたんだ。」

 内心ホッとしながら、オレは再びジュリーさんの部屋の前に立ち止まった。

「ジュリーさん、本当にごめんなさい。オレ、ジュリーさんの気持ちとか、そういうこともっと理解していれば、ボーカルの代役をお願いしたりしなかったかも知れないのに。」

 オレの謝罪の気持ちは、ジュリーさんの傷ついた心に届いてくれるだろうか。やるせない思いのまま、オレは独り言のように語り続けた。

「・・・びしょ濡れで帰ってきたんですよね?風邪引かないように、暖かくして休んでください。」

 そう言葉を投げかけて、オレは部屋の前から立ち去っていく。去り際に、ジュリーさんの返事がわずかに聞こえた気がしたが、雨どいから滴る水音に邪魔されて、それをはっきりと聞き取ることはできなかった。


 =====  * * * *  =====


 リビングルームで一人、オレはやきもきしながら佇んでいた。夜9時になろうかという時刻、降り続いていた雨はようやく小康状態となっていた。

 それからしばらくして、不安な面持ちをした麗那さんがアパートに帰ってきた。彼女のそばには、困惑した表情を浮かべたリーダーの姿もあった。

「ジュリーの様子はどう?」

「部屋にこもってます。・・・状況が状況だけに、話とか、そういうのは難しいと思います。」

 オレの返答を聞いていたリーダーは、居たたまれなくなったのか辛そうに頭を垂らしてしまった。

「申し訳ない。わたしが無理やりお願いしたばかりに。」

 自分自身に言い聞かせるように、リーダーは肩を落として自責の念を口にしていた。

「リーダーの責任じゃないですよ。・・・それを言うなら、このオレに一番責任があります。」

 嫌がるジュリーさんをステージに立たせたのは、紛れもなくこのオレなのだ。オレはそのことを深く反省し、迷惑を掛けてしまったことをリーダーに詫びる。

「それは違うわ。結果はそうかも知れないけど、ジュリーをしつこく口説こうとしたのはこのわたしだもの。マサくん、あなただけの責任とは思わないで。」

 親切な心遣いで、麗那さんはオレのことを庇ってくれた。そんな彼女自身も、ジュリーさんを追い込んでしまったことを自省していたようだ。

「立ち話もなんだから、とりあえず座りましょうか。マサくん、ごめんなさい。麦茶お願いできる?」

 客人のリーダーに続いて、自らもテーブル椅子に座る麗那さん。グラス三つに麦茶のボトルを持って、オレも彼女の隣の椅子へと腰掛けた。

「正直な話、驚いているんだ。ジュリーがまさか、あそこまで声を乱してしまうとは。」

 そう話しながら、リーダーは腑に落ちない様子で首を傾げる。多少は緊張することはあっても、あそこまで冷静さを失ったことは、かつて正式メンバーだった頃にはなかったという。

 あまり人見知りせず、人前でも物怖じしなそうなジュリーさんだけに、オレと麗那さんも彼女の乱調ぶりにショックを隠せずにいた。

「彼女、観衆の前で歌うの久しぶりだったから、極度に緊張しちゃったのかも。今思うと、もう少し冷静になれる時間が必要だったのかも知れないですね。」

「うむ。緊急事態によるヘルプだったし、ジュリーにしてみたら、気持ちを切り替える余裕がなかったのだろう。今更ながら、配慮してあげるべきだったと思うよ。」

 麗那さんとリーダーはそう予想していたが、このオレだけは、その予想に疑問符を浮かべていた。他にも原因があったのではないかと、オレは心の中で自分なりに分析してみた。

「・・・もし極度の緊張だったら、歌う前から体が震えだすんじゃないかな。しかも、ジュリーさんの歌いだしはとても上手で、途中から震えだして変調していったはずだ。・・・それにしても、どうしていきなり異変が起きたんだろう?」

 考えごとに夢中だったせいか周囲のことに気付かず、オレは麗那さんの呼びかけにハッと我に返った。

「どうしたの、マサくん?黙り込んじゃって。」

「あ、すいません。ちょっと考えごとしてたもんですから。」

 やはり確たる材料が揃っていないため、残念ながら、オレの分析は結論まで辿り着けずに終わってしまった。

 それはそうと、オレはオレで気掛かりなことがあった。それは、ジュリーさんが走り去ってしまった後のライブの顛末だった。

「リーダー。ジュリーさんがいなくなった後ですけど、ライブは滞りなく進行できたんですか?」

「ああ。ライブは無事に終わったよ。お客さんの目立った離席もなかったし、それについては成功と言えるんだが。」

 オレの問いかけに、リーダーは苦笑しながら歯がゆそうに答えてくれた。ジュリーさんと一緒に成功を喜べなかった無念さが、そんな彼の表情から見て取れた。

「申し訳ないが、君に頼みたいことがあるんだ。」

 そう言いながら、リーダーはハンドバッグから一枚の封筒を取り出す。表書きのない封筒に手をついて、彼はテーブルの上でそっと滑らせた。

「今夜の報酬、これをジュリーに渡してほしいんだ。・・・本来なら、わたしから手渡すべきところだが、素直に受け取ってくれると思えんのでね。」

 今夜のライブの成功はジュリーさんあってのことだと、感謝の気持ちを伝えてほしいというリーダー。彼女に伝言することを約束し、オレはその封筒を大切に受け取った。

 テーブルの麦茶に手を付けることなく、リーダーは長居は無用とばかりに席を立つ。そんなリーダーのことを、オレと麗那さんは玄関まで見送ることにした。

「ジュリーによろしく。二人とも、おやすみなさい。」

 玄関から外に顔を覗かせてみると、路面は濡れていたものの、雨はすっかり上がっていた。

 リーダーは傘を差すことなくゆったりと帰っていく。彼の寂しそうな背中を、オレたちは見えなくなるまで見送った。

「預かった封筒、どうするの?」

「今夜はちょっと無理だから、明日になったらオレから手渡しますよ。」

 オレたち二人はアパートに戻るなり、おやすみの挨拶を交わし、そのままの足で自室へと帰っていった。

 少しばかり気持ちが緩んだせいか、管理人室へ入った途端、オレはこの上ないほどの睡魔に襲われた。煎餅布団を床に転がして、オレは少しばかり早い就寝の時を迎える。

 そのまま熟睡したオレは、翌朝目覚めるまで気付くことはなかった。管理人室のドアの隙間から、一枚の便箋が差し込まれていたことに。

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