第一話 三.個性ある住人たち
駅東西連絡通路を経由して歩くこと数分、オレたち一同は繁華街周辺へとやってきた。
さすがは繁華街だけあって、赤提灯をぶら下げた居酒屋や、煌びやかな電飾に彩られた飲食店が軒を連ねている。日曜日の夜ということもあり、サラリーマン風の人は少なく、路地を行き交う人々もまばらであった。
「ここだよ。」
おしゃれな女性が指差すお店には、「串焼き浜木綿」と書かれた暖簾が掛かっていた。串焼きが自慢の料理なのか、”地鶏焼き鳥”と書かれたノボリが飾ってある。
格子の障子戸から漏れるふんわりとした明かりが、安らぐような温もりを感じさせるそんな雰囲気のお店だった。
「あ、何だ、居酒屋だったんですか。」
「そうだよ。ここの焼き鳥おいしいんだよ。」
おしゃれな女性はそう言うと、軽やかにお店の中へと入っていった。置いてかれまいと、オレも彼女の後を追っていく。
「お、いらっしゃい!」
カウンターのそばにいる男性が、元気のいい声を張り上げた。住人の女性たちとは顔見知りらしく、その男性は愛想よくオレたちをもてなしてくれた。
「マスター、紹介しますね。彼、わたしたちのアパートの新しい管理人さん。」
「あ、あの、管理人代行です。」
カウンター越しの男性こそ、このお店の店長、つまりマスターというわけだ。短髪の頭に捻り鉢巻を巻いて、甚平を羽織った粋な男性だった。
マスターに向かって簡単に自己紹介をするオレ。すると、マスターも気さくに応じてくれた。
「よろしくね!オレのことはマスターって呼んでくれていいよ。いやぁ、常連さんが増えてくれるのはうれしいね~。今後ともご贔屓にね!」
初めての来店にも関わらず、オレは常連客のような待遇を受けていた。人懐っこく接してくれるマスターと、和やかなお店の佇まいに、オレは親近感を覚えた。
住人たちは勝手がわかっているかのように、店内奥の個室へと入っていく。そこは、このお店唯一の個室のようで、住人たち曰く、ここは自分たち専用のプライベートルームとのことだった。
「あの、それって、このお店を私物化してる気がするんですけど・・・。」
住人たちはその個室の座敷へと腰を下ろす。さすがはプライベートルームと呼んでいるだけに、住人たちの座る位置まで決まっているらしく、住人から指定された席へオレも腰を下ろした。
「さて、今日のご注文を伺おうか。」
マスターが注文聞きにやってきたので、住人たちは生ビールや焼酎水割り、チューハイにウーロン茶といった飲み物や、串焼き盛り合わせ、焼きシシャモ、揚げ出し豆腐、もずく酢といったおつまみ各種を注文した。食事というよりは、飲み会のような感じとなっていた。
「ねぇ、管理人さんはお酒大丈夫?まだ若い感じだけど、未成年じゃないよね?」
「いや、管理人じゃなくて、代行です・・・。一応、今年で二十歳になりました。ビールなら、少し飲めますよ。」
おしゃれな女性に勧められて、オレは彼女と同じ生ビールを注文した。ビール党の仲間が増えたと、彼女は無邪気に喜んでいた。
一通りの注文をメモに書き込んで、マスターは気合十分でカウンターへと戻っていった。
「もしかして、このお店って、マスター一人でやってるんですか?」
マスターを気遣うようにオレがそう問うと、おしゃれな女性は首を横に振って、すぐさま回答してくれた。
「ううん。普段はね、アルバイトのマドンナが働いてるんだけど、彼女、休暇中だから、今はマスター一人でがんばってるの。」
そうとは知らず、たくさんの注文をしてしまったことに申し訳ない思いだったオレ。しかし、住人たちは優しい心遣いも見せず、飲み物の催促までする始末だった。正直言って、オレはこの人たちと一緒に生活できるのだろうか。
そんなことを思っているうちに、マスターが忙しそうに飲み物を運んできてくれた。飲み物がテーブルの上に出揃うと、おしゃれな女性はビールジョッキを手に乾杯の音頭を買って出る。
「それじゃあ、新しい管理人さんの前途を祝して、かんぱ~い!」
「かんぱ~~い!」
「かんぱーい。・・・ちなみに、管理人代行です。」
乾杯の一口を飲み終えたオレたちは、それぞれの自己紹介をすることになった。歓迎される立場ともあり、まずはオレから自己紹介を始めた。
「オレは一桑真人といいます。今日、新潟県からやってきました。ご存知の通り、じいちゃんが退院するまでの間、みなさんのアパートの管理人代行をやらせてもらうことになりました。実はオレ、浪人生なのでこっちで予備校に通いながらのお手伝いとなりますが、今後ともよろしくお願いします。」
オレが自己紹介を終えると、住人たちは歓声と拍手でもてなしてくれた。
「なるほど、真人だからマサなのね。よろしくね、マサくん。」
おしゃれな女性が親しみを込めて、オレのことをそう呼んだ。あだ名で呼ばれて、オレはちょっと照れくさい思いだった。
本当のことを言うと、オレは”マサ”というあだ名が好きではない。小さい頃からそう呼ばれていたこともあり、何だか子供扱いされているような気がするからだ。
だけど、住人たちから親しみを持ってもらう意味で捉えれば、あながち、頑なに否定するものでもないだろう。オレはそう考えることにした。
「はい、よろしくお願いします。」
今度は、住人たちが順番に自己紹介を始める。まずは、ブロンド髪の外国人っぽい女性からだ。
「わたし、三樹田ジュリー。アメリカ生まれの日本育ちネ。今はアルバイトで生きながらえてるワ。わたしのこと、ジュリーと呼んでくれていいわヨ。」
ジュリーさんは、キュートな笑顔で自己紹介してくれた。
「どんなアルバイトですか?」
オレからの質問に、ジュリーさんは指を折りながら、日中はパチンコ屋の掃除にスーパーの商品棚の整理、夜はレンタルビデオ店のレジ係と、多岐に渡る業務をこなしてると答えた。これは生きながらえているというのも、まんざらウソではなさそうだ。
ジュリーさんの日本語は聞き取りやすく、とても流暢だった。これなら、オレとのコミュニケーションに問題はなさそうだ。
ジュリーさんの次は、茶髪ギャル系の女性が自己紹介を始める。
「はーい、次あたしねぇ。あたし四永潤。今はぁ、夜のお店で働いてる。あたしも二十歳だからさぁ、気軽に名前で呼んでくれて構わないよぉ。」
潤は、馴れ馴れしい口振りで自己紹介してくれた。
「あのさ、夜のお店って?」
オレが気兼ねしながらそう尋ねると、潤はあっけらかんと、キャバクラのことだと回答してくれた。
キャバクラという職業を生業にする女性に、オレは負い目を感じていた。世の男性たちの心を奪っては、私服を肥やしているという固定概念が付いて回っていたからだ。
見た目も言葉遣いも、潤は今時のギャルといった感じだけど、愛着のある仕草や振る舞いから、そんなに悪い子には見えなかったので、オレはちょっとだけホッとしていた。
潤の次は、化粧気のない色白な顔をした女性が自己紹介を始めた。
「わたしは五浦あかり。ごくマイナーな出版社の、マイナーな雑誌の、マイナーなタイトルの漫画を描いてるわ。わたしのことは何と呼んでくれても構わないわ。よろしく管理人代行さん。」
あかりさんは、冷静沈着な面持ちで自己紹介してくれた。
「どんなジャンルの漫画書いてるんですか?」
オレがそう詮索すると、他の女性たちから”恋愛”だとか、”SF”といった数あるジャンルが出てきた。あかりさんはムッとした顔で、全面否定するように”ハードボイルド”とだけつぶやいた。
オレは失礼と思いつつ、あかりさんの容姿から、まさか”ハードボイルド”というジャンルが出てくるとは想像もしなかった。どんな漫画なのかどうしても知りたくて、掲載雑誌名とタイトルを尋ねてみたが、あかりさんは最後まで教えてくれなかった。
「よーし、それじゃあ最後はわたしだね。」
いよいよ、おしゃれな女性の番だ。彼女は生ビールを一口飲み込み、咳払い一つして自己紹介を始める。
「わたしの名前は、二ヶ咲麗那よ。年齢は、あなたより少しだけお姉さんってとこ。気楽に名前で呼んじゃってくれていいわよ。」
愛くるしい微笑みを浮かべながら、麗那さんは自己紹介してくれた。
その自己紹介で、麗那さんはなぜか、職業について一切触れていなかった。そのことに気付いたオレは、麗那さんにその辺について問いかけると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、潤が声を裏返した。
「えー、マサ、あんた麗那センパイのこと知らないのぉ!?」
「は?」
唖然としながら、オレはコクンとうなづく。潤の言わんとしている意味が理解できないでいた。
「センパイはねぇ、人気ファッション雑誌のトップモデルなんだよぉ!」
「人気雑誌のトップモデル・・・!?」
潤の大げさぶりに、麗那さんは照れくさそうにしていた。
「ははは、そんな大層なものじゃないの。よくあるファッション雑誌の専属モデルっていうだけよ。」
そう謙遜する麗那さんを尻目に、潤やジュリーさんは興奮気味に話していた。
「その雑誌はね、20代女性から絶大の支持を得てるLavieだよぉ。センパイ、表紙だって飾ったことあるもん!」
「そうヨ。麗那は、TVにも出たことあるじゃなイ。それに、大きなファッションショーにも呼ばれたりしてるしネ!」
女性雑誌のモデルとはいえ、麗那さんがそれほどの有名人だったとは思いも寄らなかった。受験勉強ばかりで、テレビとか雑誌の類をほとんど目にしないオレだから、気付かないのも仕方がないのだが。
言われてみれば、麗那さんは女性にしては身長も高いし、ほっそりしていてスタイルもいい。洋服の着こなしも整っていて、とても格好いい印象を受ける。モデルならではの恵まれた体型の持ち主とも言えるだろう。
「そういう言い方しないでよ。わたしはみんなと同じ女性だし、同じ人間だもの。決して特別なことじゃないわ。ただ、選んだ道や進んだ道が、みんなとそれぞれ違ってるだけだよ。」
薄いピンク色した口元に、麗那さんは冷えたビールを注いでいる。お酒のせいで赤らんだ頬が、彼女の魅力をより一層際立たせていた。
これまでの態度や仕草を見ていると、モデルという職業柄もあるのだろうが、麗那さんは堂々としていて凛とした性格を感じさせる。十人十色の住人たちを取りまとめるその主導ぶりからも、そんな印象が伺えた。
「それじゃあ、自己紹介も終わったことだし、おいしいお料理をいただきましょう!」
「さんせ~い!」
オレたちのテーブルに、注文した料理が次々に置かれていく。
麗那さんに勧められて、オレは自慢の串焼きに舌鼓を打つ。お肉の脂加減や焼き具合が絶妙で、塩コショウの風味も抜群で、素直においしいと言えるそんな味だった。
おいしいというオレの一言に、麗那さんは嬉しそうに微笑んでいた。
「ね、おいしいでしょう。ビールが進むのよね~、ここの焼き鳥いただくと。ほら、マサくんも遠慮しないで飲みましょう。」
そんな麗那さんは、すでに生ビールを三杯も飲み干していた。その飲みっぷりに驚きつつ、オレも生ビールをグッイと飲み込んでいた。
「言っておくけど、麗那は底なしのビール党ヨ。わたしたちの中で、一番飲めるネ。」
オレにそう耳打ちするジュリーさん。その声が聞こえたのか、麗那さんは目を細めながら言い返す。
「あら、ジュリーだって結構飲むでしょう。浜木綿の常連だものね。」
「飲むことは飲むヨ。でもビールいっぱい飲めないワ。わたしはショーチュー派ヨ。」
どうやら、ジュリーさんはアルバイトの帰り道に、ここ浜木綿によく立ち寄っているらしい。日曜日が定休日にも関わらず、今日が開店していることを知っていた彼女は、かなり常連のような気がした。
「えーと。」
他の女性たちがどうしているかと、オレは辺りの様子を伺った。
潤はおつまみをパクパクと口にしながら、生グレープフルーツチューハイを楽しそうに飲んでいる。あかりさんは、そんな潤の話に相づちを打ちながら、ちびちびとウーロン茶を飲んでいた。
「あかりさんは、お酒ダメなんですか?」
オレがそう問いかけると、当人のあかりさんではなく、ニヤッと不敵に笑ったジュリーさんが答えてくれた。
「あかり、飲めるヨ。時々しか飲まないけどネ。でも、飲む時は日本酒一気飲みするんだから。」
あかりさんは否定も肯定もしなかった。その代わり、鋭い眼光でジュリーさんを睨みつけて、まるで、おだまりと訴えかけているように見えて、オレはちょっとだけ恐かった。
「はぁ~、おいしい。ねぇマスター、あたしにライムチューハイねぇー。」
すっかり気分をよくした潤が、お酒を追加注文しようとした。すると、その様子を見ていた麗那さんが、その注文を取り消してしまった。
「ちょっと潤、あなた一杯でやめなさい。これ以上飲むと大変だよ。」
「えー、せっかく楽しくなってきたのにぃ!もう一杯ぐらい大丈夫だもーん。」
駄々をこねるように、潤はブーブーわがままを言い出した。その二人の会話に、オレは思わず割り込んでしまった。
「・・・あの、潤ってお酒弱いんですか?」
「この娘ね、お酒好きなんだけど強くないの。ビールとかでもニ杯飲んじゃうと、もうグロッキーになっちゃってね。」
そうと知るや否や、オレはそっと潤のことを観察してみた。
顔色に主だった変化はないが、少しだけ呂律が回らなくなっている。潤は口調がおっとりしているから判別できないが、泥酔しているような雰囲気ではなかった。
オレにも経験があるが、ほろ酔い加減の今ぐらいが、一番心地よい気分なのだろう。お酒に弱いくせに、よくキャバクラに勤められるなと思ったが、オレは口には出せなかった。
「ねぇ、マサ。もう一杯飲んでもいいよねぇ?今日はあんたの歓迎会なんだよぉ。」
潤は猫なで声で訴えかけてきた。オレを味方につける作戦のようだ。
どうしてよいかわからず、オレは他の住人たちに救いを求める。麗那さんにジュリーさん、そして、あかりさんも眉をひそめて、困ったような表情を浮かべていた。
「こうなったらさ、マサくんが決めていいよ。わたしたちは、マサくんの判断にすべて任せるわ。」
麗那さんの提言に、他の住人も同意するかのようにうなづいた。それこそ、オレにとって一番難しい選択を迫られたと言っても過言ではない。
媚びるような目で、おかわりを訴え続けている潤。こういったシーンを目の前にして、オレは冷たく拒否する術など持ち合わせてはいなかった。
「せっかく、オレを歓迎してくれてるのに、そのオレがダメとは言えないです。二杯目注文していいよ。」
オレがそう言った途端、潤は嬉しそうにはしゃいでライムチューハイを注文していた。
そんな潤の表情を見て、内心ホッとしていたオレ。その一方で、他の住人たちは溜め息交じりで雑談していた。
「マサがOKなら、それでいいんじゃなイ?」
「そうね。決定権は管理人代行に委ねたわけだし。文句は言えないもの。」
「うん、マサくんが最後まで面倒見てくれるだろうし、大丈夫でしょ。」
薄っすらと聞こえてきた”最後まで面倒見てくれる”という台詞に、オレはいささか嫌な予感がしていた。それから一時間後、この嫌な予感は見事に的中してしまうのであった。
===== * * * * =====
夜も9時になろうかとしていた。料理やドリンクもあらかた片付き、お腹の満腹具合も丁度よくなったところで、この歓迎会も閉幕の時を迎えようとしていた。
「宴もたけなわだけど、そろそろお開きにしましょうか。」
麗那さんが締めを宣言した後、オレたち全員一本締めして帰宅の準備を始める。
マスターにごちそうさまを告げて、今夜のお勘定を精算する麗那さん。会費は一万三千円、一人当たり二千六百円なので、居酒屋での歓迎会としては比較的安く済んだ。主賓のオレも徴収されてしまったが、千円ほど割り引いてもらって気持ち嬉しかった。
「あ、みなさん。座敷から離れる前に、忘れ物とかないか気を付けてくださいね。」
オレが注意するよう喚起すると、麗那さんが座席の一箇所を指差した。
「マサくん、忘れ物よ。」
「へ?」
麗那さんの指差した方向へ目を向けるオレ。すると、酔っ払いが一人、テーブルの上に顔をうつぶせていた。静かに寝息を立てて、気持ちよさそうに眠っている潤の姿だった。
よく見ると、潤が注文したライムチューハイのグラスは、いつの間にかすっからかんになっている。麗那さんたちが言っていた通り、潤は二杯目のお酒で本当に泥酔してしまったらしい。
潤の名前を繰り返し呼び続けて、オレは彼女を起こそうとした。肩を揺さぶったりしてみたものの、彼女はやっぱり目覚めない。まるで眠り姫のごとく、オレの呼びかけにも目覚めることはなかった。
「麗那さん・・・。ど、どうしましょう。」
「どうするもなにも、ここに置いていくわけにもいかないでしょう。ねぇ?」
麗那さんが小悪魔のように微笑むと、他の住人二人もクスクスと笑っていた。
「そうネ。潤が酔っ払っちゃったのも、マサが二杯目をOKしたからだネ。」
「そうそう。ここは、管理人代行として責務を果たしてもらう必要があるわ。」
「というわけで、マサくん。潤のこと、ちゃんとアパートまで送り届けてね。」
住人たちに文句など言えるはずもなく、オレは黙ってうなづくしかなかった。
じいちゃんから手渡された大学ノートを麗那さんに預けて、オレは潤をおんぶしようとその場に屈んだ。ところが、いくら小柄な女性とはいえ、寝ている彼女を背負うのは案外大変だった。
住人たちの手を借りることで、オレはようやく潤を背負うことができた。そんな苦労も露知らず、彼女は寝息を立てて眠りこけていた。
「それじゃあマスター、おやすみなさい。」
「おやすみー。気を付けて帰りなよ。」
マスターに別れを告げて、オレたち一同は浜木綿を後にする。繁華街はすっかりひと気がなく、吹き抜ける風の音だけが寂しく残っていた。
歩くこと数分、潤を背負ったまま歩き続けることに限界を感じたオレ。堪らず、オレは住人たちにタクシーで帰宅させてほしいと直訴した。
「ああ、わたしたちはいいけど、潤はダメかもね。何たって酩酊状態だからねー。タクシー汚しちゃうことになっちゃうかも。」
そう脅されては無理強いできないので、オレは泣きっ面のままアパートまで歩くことにした。もちろん、潤をおんぶしたままで。
===== * * * * =====
駅西口の繁華街から歩くこと15分ほど。すっかり車通りの少なくなった大通りを越えて、アパート前の路地まで戻ってきたオレたち。
オレの足はすっかり疲れきってフラフラ状態だった。背中にいる潤をしばらく支えていた両手も、痺れていて感覚がなくなっている。あまつさえ、彼女の大きなネックレスが背中に食い込んで、これが思った以上に痛くてたまらなかった。
他の住人たちの声援(?)を受けながら、オレは何とかアパートまで歩き続けた。目の前に「ハイツ一期一会」が見えた時、オレはゴールに辿り着いた長距離ランナーのような気分だった。
「はぁ、はぁ。ようやく着いたぁ。」
玄関の段差につまづかないように、オレは慎重な足つきでリビングルームへと向かう。そして、背負っていた潤をリビングルームのソファへと寝かせた。彼女はまだ、何もなかったかのようにぐっすりと眠っていた。
「ご苦労サマ~。あとはわたしたちに任せていいわヨ。」
「潤を部屋まで運んだら、わたしたちそのまま寝るから、おやすみなさい。」
ジュリーさんとあかりさんが、寝たままの潤を抱えながらニ階へと運んでくれた。
どっと疲れが出たのか、オレは崩れ落ちるようにリビングルームのソファに倒れこんでしまった。
「本当にお疲れさま。フフフ。」
ソファのそばにあるテーブルへと腰掛ける麗那さん。彼女の手には、いつの間にか缶ビールが握られていた。
「あれ、麗那さん、もしかしてまだビール飲むんですか?」
麗那さんはニコッと笑って、缶ビールのプルトップを開けた。そして、グイッと一口飲み干す。
「駅から歩いてきたから喉が渇いちゃって。マサくんも喉渇いてない?一緒に飲む?」
「喉渇いてますけど、ビール飲んだら、余計渇いちゃいますよぉー。」
と言いながらも、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、麗那さんのお誘いに応えてしまうオレ。彼女の向かい側の椅子へ腰を下ろし、オレも缶ビールのプルトップを開ける。
「今日はいろいろあったから疲れたでしょう?」
「そうですね。ここまで長い道のりでしたからね。罪人扱いで拘束されたり、酔っ払った住人をおんぶしたり、いろいろありましたから。」
オレと麗那さんは苦笑しながら、缶ビール片手に乾杯した。
「そうそう、これ返しておくね。マサくんにとって貴重なアイテムだから。」
「あ、すいません。そういえば預けっ放しでしたね。」
麗那さんがそっと差し出した大学ノート。このノートには、じいちゃんが書き綴った管理人のノウハウが詰まっているはずだ。
「あまり堅苦しく考えなくていいと思うよ。ほら、ここは共同アパートだから、管理人と思わないで、新しくやってきた住人みたいな気持ちで臨んでみたらどうかな。」
優しい眼差しで、オレを励ましてくれた麗那さん。そんな彼女の心遣いに感謝しつつ、オレは大学ノートを受け取った。
それからしばらくの間、オレたちは他愛もない会話で談笑していた。
アパートに来るまでは、これからどんな生活が待っているのだろうか、まともに管理人代行としてやっていけるのだろうか、オレはそんな不安な思いを抱いていた。
しかし、馴染みやすくて暖かい気持ちを持った住人たちのおかげで、オレの不安な思いも少なからず薄らいでいったようだ。
缶ビール一本の終わりとともに、オレにとって記念すべき、東京での長い一日が終わった。
「それじゃあ、おやすみ、マサくん。」
「ええ、おやすみなさい、麗那さん。」
オレたちは、お互いにおやすみの挨拶を交わした。ニ階の自室へと向かう麗那さんを見送ると、オレも自室となる管理人室へと向かった。
「ふわぁ、眠いなぁ・・・。」
マスターキーで、管理人室のドアを開けたオレ。部屋に入るなり、室内のアンティーク調の壁掛け時計に目をやると、時刻は夜10時過ぎだった。
オレは大学ノートをそっと机の上に置く。とてつもない疲労感から、オレは猛烈な睡魔に襲われていたので、ノートの中身は明日チェックすることにした。
六畳ほどの畳間に、じいちゃんが愛用していた煎餅布団を敷くと、オレは転がるように横になってしまった。
「あ、寝間着に着替えなきゃ・・・。あー、眠いなぁ・・・。」
そんな気持ちとは裏腹に、オレの意識は遠い夢の中へと彷徨い始めた。そのまま起き上がることなく、オレは翌日の月曜日の朝を迎えるのであった。
第一話は、これで終わりです。
ご意見、ご感想など、お気軽にお寄せください。