第一話 二.初めてのキャバクラ
「おーい、少しだけ休ませてくれよぉ。」
「もうだらしないなぁ!まだ、30分しか経ってないじゃん。」
カレンダーのページが7月に変わってすぐ、気象庁が東京地方の梅雨明け宣言を発表していた。いよいよこれからが、待望の夏本番である。
夏の日差しがいっぱいの「山茶花中央公園」のサッカーフィールドで、滝のような汗を流していたオレ。今日は奈都美に誘われて、オレはサッカーの練習相手に付き合わされていた。
つい童心に返ってしまい、無邪気にサッカーボールを追い掛け回したせいか、練習を始めて30分ほどで、オレはすっかりグロッキー状態となってしまった。
「だから言ったじゃないか。オレだと練習相手にならないってさ。いくら同じ歳とはいえ、普段からの運動量がぜんぜん違うんだもん。」
息を切らしながらそう訴えたオレ。そんなオレに呆れつつも、奈都美は同情してくれたのか、ようやく休憩時間を設けてくれた。
ホッとして力が抜けたらしく、オレは崩れ落ちるように、汗だくのままでフィールド上に倒れこんでいた。
「こんなところにいたら、余計に体力奪われちゃうよ。ほら、あそこのベンチで休もう。」
そう言いながら、奈都美はオレの手を握り締めて、日陰のあるベンチまで連れていってくれた。
ベンチに腰掛けるなり、オレはスポーツドリンクをがぶ飲みする。この喉が潤った時の爽快感は、スポーツしている者にしか味わうことのできない快感ってヤツだろう。
「当り前だけどさ、奈都美はサッカー上手だね。一緒に練習してみて、すごく実感したよ。」
「サンキュー。マサも、へばっても食らい付いてくるところなんか、結構ガッツあるじゃん。おかげで効果的な練習になったよ。」
スポーツタオルで顔を拭きながら、さわやかな笑顔を見せる奈都美。練習相手として認めてもらえて、オレも安堵感からか顔をほころばせていた。
「そうそう、今日のお礼に、マサにあげたいものがあるんだ。」
奈都美はそう言うと、見覚えのある紙袋をオレに見せてくれた。
「あ、それ、はぎ家の紙袋・・・、ってことは、中身はカレードーナツか!」
「へへー、今日は運良く二個買えたんだ。一緒に食べようと思ってね。」
このカレードーナツは、奈都美もオレも大好物の和菓子屋「はぎ家」の看板商品だ。開店時から行列ができるほどの人気ぶりで、一個買えるだけでも奇跡と言われる逸品なのだ。
「じゃあ、遠慮なくいただきまーす。」
オレたち二人は、サクサクのカレードーナツを頬張る。噛んでも噛んでも飽きの来ない風味、そして豊かなコクが、オレたちをより一層笑顔にしてくれる。そんな幸せな余韻に浸りながら、オレたちは楽しい休憩時間を過ごしていた。
「ねぇ、マサ。」
サッカーボールと戯れながら、奈都美はそっとオレに声を掛けてきた。
「この前、浜木綿でも言ったけどさ、あたし、もう一度プロに挑戦することにしたよ。もうチームも決めてあるんだ。」
奈都美の話では、以前所属していた東京多摩FCではなく、千葉県にあるプロチームで近々入団テストがあるそうだ。彼女はそのテストに申し込んだらしく、それまでに徹底的に練習をするとのことだった。
「というわけなんで、これからも、あたしの練習相手よろしくねっ♪」
奈都美は愛らしく微笑んで、オレの肩をポンと叩いた。いつもはボーイッシュな彼女だが、この時ばかりは、かわいらしい一人の女の子に感じられた。
「へいへい。オレにできることがあれば、いくらでもお付き合いしますよ。」
それから少しばかり休憩をして、オレたちはハッスルしながら練習を再開した。
奈都美と声を掛け合って、オレは久しぶりのスポーツを満喫していた。受験勉強ばかりのオレにとって、この運動はストレス発散といったいい刺激になったようだ。
ところが、無我夢中で走り回ったオレに、この後、とてつもない悲劇が襲い掛かる。奈都美との別れ際に聞いた助言を守っていれば、後になってからあんなに後悔することなかったのに・・・。
「そうそう、アパート帰ってからでもいいけど、ちゃんと両足のストレッチと、全身をよく揉み解すこと。そうしないと、明日とんでもないことになっちゃうからね。」
そんなわけで、オレは翌朝、布団から起きれないほどの筋肉痛に襲われるのであった。
===== * * * * =====
その日の夕方、オレはアパートの管理人室で、両足の太ももを揉み解していた。
昨日、奈都美とサッカーの練習をした時、調子に乗ってハッスルし過ぎたオレは、今日一日激しい筋肉痛に苛まれてしまった。
困ったことに、その筋肉痛は両足だけではなく、なぜか背筋や腹筋でも起こっていた。そのため、少しでも体を起こそうものなら痛みが走り、身動きが取れないぐらい辛かった。
「いやぁ、参ったなぁ。これじゃあ、ろくに動けやしないよ。いてて・・・。」
そんな苦痛に悲鳴を上げている時に限って、立ち上がらなければならない事態が起こるもの。アパートの電話機のベルが、けたたましく鳴り響いていた。
職務を放棄することに罪悪感を抱きつつ、聞こえない振りをして、オレはそのベル音をやり過ごそうとしていた。
「・・・。」
ところが、ベル音は鳴り止む気配がなく、まるで、受話器を上げろと叫び続けるように聞こえた。
両耳を塞いでも、ベル音はオレの鼓膜をかすかに振動させてくる。このしつこさからして、電話の相手は余程の事情なのかも知れない。
「緊急事態も考えられるし・・・。仕方がない、出てみるか。」
苦悶の表情を浮かべながら、オレは四つん這いで動き始める。痛みに耐えながら這い続けて、オレはリビングルームそばにある電話機まで辿り着いた。
電話機にしがみつくと、やっとの思いで受話器を握り締めたオレ。
「・・・もしもし?」
「あ、マサ!もう、何でもっと早く出ないのよぉ!あんた、管理人でしょう?ちゃんとしなさいよぉ!」
甲高い女性の声がオレの耳をつんざいた。電話の相手は、文句たらたらに不満を口にしている潤だった。
「ゴ、ゴメン、ちょっと離れたところにいたんだよ。そんなに怒鳴らなくてもいいだろう。」
潤はかなり焦っている様子だ。トラブルでもあったような、そんな雰囲気を感じさせる口振りだった。
「それより何かあったのか?何だか、慌ててるみたいだけど。」
オレがそう問いかけると、拍子抜けするような、何とも潤らしい答えが返ってきた。
「あたしねぇ、部屋にケータイ忘れてきちゃったのよぉ!」
「ケータイって、また携帯電話か?」
度重なる携帯電話のトラブルに、オレは思わず呆れてしまっていた。それでも、潤にとっては一大事のようで、彼女は困り果てて悲鳴にも似た声を上げている。
「それって今晩だけのことだろう?それぐらいだったら我慢できるだろ。」
「ダメダメ、そうはいかないのぉ!1時間たりとも手放せないんだもん。」
オレがどんなに諭しても、潤は我慢できないと駄々をこね続けた。彼女のここまでの執着心、特別な理由でもあるのだろうか。
「ねぇ、マサ。あたしの部屋からケータイ取ってきて、あたしのお店まで届けてよぉ!」
「へ?」
ついに潤は、わがままという伝家の宝刀を振りかざした。
部屋から携帯電話を取りにいくだけならまだしも、潤のお店まで届けるとなると、さすがのオレでも素直に受け入れることはできなかった。
「だってぇ、他に頼める人いないんだもん!あかりに電話したら、打ち合わせとかで出掛けてるって聞いたし。センパイやジュリーも仕事だしさぁ。それに、マサならマスターキーで部屋に入れるし、あたしのケータイがどんなヤツか知ってるでしょ?お願いよぉ、あたしを助けてぇー!」
必死の思いで懇願してくる潤。悲しみに暮れる彼女の表情が、受話器を通してオレにも伝わるほどだった。
どうすべきか迷っていると、オレの頭の中に、じいちゃんの戒めがふらっと浮かんできた。
「アパートの住人からの苦情、相談、依頼などに必ず耳を傾けるべし。」
それにしても、じいちゃんの訓戒はなぜこんなに酷なのだろうか。これを無視することなど、しがない管理人代行のオレにできるはずなどなかった。
「・・・わかったよ、潤。今日だけ、特別大出血サービスだ。」
「マサ、ありがとぉ!」
受話器から伝わってきた潤の歓声。歓喜に沸く彼女の姿が目に浮かんだ時、オレの体はずっしりと重かったが、気持ちは軽やかになれた気がした。
「この電話切ったら、あたしのケータイに電話掛けるから。そうすれば、ケータイの在り処が着メロでわかるでしょ。見つけたらさ、そのまま電話に出てぇ。その時、あたしのお店の場所とか伝えるから。じゃあ、よろしくねぇ!」
潤はそう告げると、プツンと電話を切った。
管理人室からマスターキーを持参すると、痛い体にムチを打ちながら、オレはいつもより長く感じる廊下を歩いていく。
続いて、廊下よりも難所となる階段を上っていくオレ。一段一段上るたびに、太ももや背筋が痛みを訴えて、オレは苦痛のたびに顔をしかめていた。
息も絶え絶えに、オレはようやく潤の部屋まで辿り着いた。ドアのそばで耳を澄ましてみると、わずかながら携帯電話の着信メロディーが聞こえてきた。
マスターキーでカギを開けて、オレはそっと潤の部屋へと足を踏み入れる。
「それにしても、相変わらずだなぁ。」
室内照明を点けると、足の踏み場もない散らかった部屋が映し出された。この部屋はあの時のままだったのか、オレの記憶にある残像とぴったり重なった。
「おっと、そんなことより携帯電話だ。」
鳴り響く着信メロディーを頼りに、オレは室内を隈なく捜索していく。
ありがたいことに、大きい音量だったおかげで、携帯電話の在り処はすぐにわかった。赤に青、そして黄色の光を放ちながら、潤の携帯電話は枕元にある充電器に装着されたままだった。
充電器から携帯電話を取り外して、オレは点灯している外線ボタンを押す。
「もしもし、潤か?携帯電話、見つけたぞ。」
「よかったぁ!じゃあ、これからあたしのお店の場所言うから、ちゃんと憶えてねぇ。」
潤の勤めるお店は、アパートの最寄駅から電車に乗って都心まで行く必要がある。お店の名前は「ホワイトローズ」、場所は向かう先の駅北口繁華街の中にあるそうだ。そこまで行けば、お店の名前ですぐ見つかるだろうとのことだった。
「それで、お店に入ったらぁ、ボーイが指名を聞いてくるから、あたしの名前を言ってねぇ。あたし源氏名持ってないから、普通に名前を言ってくれればわかるから。」
「わかったよ。・・・それよりさ、料金とか指名代とか、その辺ってどうなるかな?」
心配ご無用と言わんばかりに、潤は料金のことは任せてと返答してくれた。店内でのテーブルチャージなどのセット料金と指名料金は、彼女が持ってくれるとのことだった。
「それじゃあ、マサ。よろしくお願いねぇ。なるべく早く来てよぉ!」
「わかったよ。着替えてからすぐに出るから。もう少しだけ待っててくれ。」
オレが電話を切ろうとした瞬間、潤が忠告するように話しかけてきた。
「マサ、あたしの下着、取っちゃダメだからねぇ!ちゃんと枚数、数えてるんだから、なくなったらわかるんだからね。」
「誰が取るかっ!」
そう言い返して、耳を真っ赤にしながら電話を切ったオレ。
散らかっている潤の部屋をあたふたと退出したオレは、出掛ける準備をするため管理人室にとんぼ返りする。
「はぁ、住人のトラブルとはいえ、まさかこんな事態となるとは。今日はついてないなぁ。」
筋肉痛の痛みを庇いつつ、オレはゆっくりとした動作で半袖シャツを羽織り、チノパンの裾に両足を通した。外へ出てみると、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。それもそのはずで、腕時計の時刻は夜7時を過ぎようとしていた。
潤に愚痴をこぼされたくはないので、気持ちだけを急かしつつ、オレは最寄駅を目指して歩きだした。
===== * * * * =====
東京都内、とある街の歓楽街。闇夜を引き裂くかのように、ネオンサインが眩しく輝き放っている。
眠らず営業する飲食店やコンビニエンスストア、さまざまな嗜好を凝らした居酒屋が点在し、一歩裏道を入れば、キャバレーやサロンといった男性たちのオアシスが所狭しと居座っていた。
そんな賑々しい歓楽街を、オレは右往左往しながら歩いている。ひっきりなしに声を掛ける呼び込みを知らん振りしながら、オレは「ホワイトローズ」というキャバクラを探していた。
「あれだな、きっと。」
降車駅から10分ほど歩き続けたオレは、白金色に光る派手な看板を見つけた。英語でホワイトローズと書かれているところから、ここが潤の勤務先に間違いないだろう。
「・・・う~ん、やっぱり緊張しちゃうよな。」
お店の前まで辿り着いたものの、オレは入店をためらい立ち往生してしまった。
キャバクラはまさに、オレにとっては未開の地だ。システムもよく知らないし、キャバクラ嬢たち相手に、どう振舞ったらよいのかもわからない。
緊張感と筋肉痛のダブルパンチで、オレの両足はまるで、地面に根を下ろしているように固まっていた。
「ためらってる場合じゃない。潤が中で待ってるんだもんな。よし、いざ行くぞ!」
心の中でそう意気込むと、オレは汗ばんだ手のひらで、未開の地へとつながる扉を開ける。
「いらっしゃいませ!」
薄明るい照明のせいで、店内の奥まではっきり見えない。そんな店内の奥から、真っ黒なスーツを着たボーイが姿を現した。茶色く脱色した髪の毛に、気持ち程度にはやした鼻ヒゲが印象的な男性だった。
生意気そうに釣り上げた目で、そのボーイはオレを見据えていた。
「誰かご指名でしょうか?」
「あ、あの、潤・・・お願いします。」
オレが恐る恐る潤を指名すると、そのボーイはイヤホンマイク越しに何やら小声で囁いている。彼女が接客中かどうかを確認しているのだろうか。
「はい、ご指名ありがとうございます。こちらへどうぞ。」
ボーイに案内されて、オレは店内奥のテーブル席へと腰掛ける。
一人寂しく、潤がやってくるまでの間、オレは薄明るい店内を見渡してみた。鏡張りのためか、思った以上に奥行きを感じさせてくれる店内。アンティークな照明器具や、花を飾り立てる豪華な花瓶が、ゴージャス感をより一層強調していた。
続いて、他のテーブル席へも目を向けてみたオレ。まだ夜8時過ぎのせいか、お客らしい人はオレ以外には見当たらない。ただ、曇りガラスで仕切られた特等席のようなテーブル席から、わずかに男女の笑い声が漏れていた。
「・・・それにしても、潤のヤツ遅いなぁ。」
キャバクラという独特の雰囲気に馴染めず、落ち着けなかったオレは、無意識のうちに貧乏揺すりをしてしまう。
「うぉわぁ・・・!」
無様にも、太ももの筋肉痛をすっかり忘れていたオレ。驚きのあまり背筋まで動かしてしまい、オレの背中にさらなる痛みが駆け抜けた。衝撃的苦痛が重なって、オレは涙目になって悶絶してしまった。
「マサ、何してんのぉ?」
慣れ親しんだ伸びのある声を耳にして、オレがゆっくりと顔を上げると、そこには、艶やかなドレスを身にまとったお嬢様が立っていた。
巻き髪をふんわりとさせて、つけまつげで目元を飾り立てたその女性こそ、愛想いい笑顔を浮かべるキャバクラ嬢の潤だった。
「な、何でもないよ。・・・ここまで来るのに、ちょっと疲れちゃってね。」
「ゴメンねー、来てもらっちゃってさぁ。ホントにありがとう、助かったよぉ。」
潤はしおらしく振る舞い、オレの隣のソファへと腰を下ろす。
「ほら、お待ちかねの携帯電話だよ。」
恋焦がれていた携帯電話を手にすると、潤は跳び上がるように喜んでいた。以前、アパートで見失った携帯電話を見つけた時と同じく、飾りのキャラクターに話しかけながら、彼女は携帯電話に頬擦りをしていた。
「そうそう!メールチェックしなきゃ。」
潤はすぐさま、受信メールをチェックする。血走ったような目で、彼女は一件一件、メールのタイトルを食い入るように見つめていた。
「はぁ。やっぱり、なかったかぁー。」
メールをチェックし終えた潤は、溜め息をついて肩を落としている。誰かからのメールでも期待していたような素振りだった。
「そこまで頻繁にメールチェックするぐらい大切なもの、部屋に置き忘れちゃダメじゃないか。だいたい、潤はおっちょこちょい過ぎるよ。」
「ぶぅー。あたし、今日遅刻しそうでやばかったんだもーん!昨日、いろいろメールしてたらさ、電池切れちゃってぇ、充電器に掛けたまま忘れちゃったんだよぉ。」
管理人代行と住人ではなく、従業員とお客という立場として、テーブル席で肩を並べるオレたち。いつもと変わらない二人だったが、今夜ばかりはちょっぴり照れくさかった。
手馴れた手つきでオレのドリンクを準備する潤。グラスに手際よく氷を落として、彼女はバーボンとミネラルウォーターを注ぎ入れる。マドラーでしっとりかき混ぜると、グラスは淡い琥珀色に染まっていった。
「すいませーん。こっちお願いしまーすぅ。」
潤はボーイを呼び寄せて、自分のためのウーロンハイを注文した。
「おい潤、お酒飲んだらまずいんじゃないの?」
「大丈夫だよぉ。あたしのお酒、すっごく薄く作ってくれるから。マサも、今日はおんぶしなくていいから、ゆっくり飲んでいってねぇ。」
ウーロンハイが届くと、オレたち二人はお互いのグラスを重ね合った。
潤の作ってくれたバーボンの水割りは、スッキリとした香りと味わいで、蒸留酒らしい苦味がほのかに余韻を残してくれる。
オレにとって初めてのキャバクラ、そして初めてのバーボンウイスキー。オレはいつもより、ちょっとだけ大人になれた気がした。
「それにしても、ここまで変わるとは・・・。」
艶やかな潤を見つめながら、オレは心の中でそうつぶやいた。ボサボサの締りのない髪型に、ダブダブのジャージ姿でふらつく彼女とはまるで別人のようだった。
流行りの小悪魔メイクをバッチリ極めて、セクシーなスリット入りのドレスを着ている潤は、いつも以上に魅力的で、オレと同じ年齢とは思えないほど大人っぽかった。
「ん?マサ、何黙ってるのぉ?」
潤と目が合ってしまい、オレはつい視線を逸らしてしまった。
「いや、別に何でもないよ。」
「あれれ、マサ、もしかしてぇ。・・・あたしに惚れちゃった?」
「そ、そんなんじゃないって!」
恥ずかしさをごまかすように、オレはグラスのバーボンを一気に飲み込む。しかし、バーボンの苦味が喉を刺激して、堪らずむせ返ってしまった子供っぽいオレ。
「マサって、かわいいぃ~。」
そう茶化しつつ、潤はオレの赤いほっぺを指で突いていた。
「・・・そういうことすると、オレ帰るぞ。」
「ああ、ゴメーン!そんなこと言わないでさぁ、せっかくここまで来たんだから、一セット50分だけでも楽しんでいってよ。あたしのおごりなんだからぁ。」
それからしばらくの間、オレと潤はお酒を酌み交わしながら、他愛もない会話で盛り上がった。同じ歳のオレが接客相手だったからか、彼女の気持ちも思いのほか弾んでいたようだ。
その楽しい雰囲気に包まれて、オレもいつしか、キャバクラにいるという緊張感を意識しなくなっていた。さらに、筋肉痛まで忘れられたら万歳三唱だったのだが。
知らず知らずのうちに時間が経過したようで、他のテーブル席でも、男性客の姿がちらほら見受けられた。そんな中、ひと際目立っているテーブル席にオレは釘付けになっていた。
「あのテーブル席すごいな。キャバクラ嬢一人に、あんなにいっぱい男性客が。」
独り言のようにそうつぶやいたオレ。潤もそのテーブル席へと目を向ける。
「ああ、あれね。」
一つのテーブルに数人の男性客が寄り集まって、一人のキャバクラ嬢を取り囲んでいる。高貴ある顔立ちをしたそのキャバクラ嬢も、男性客一人一人に目配せしたり、優しく声を掛けたりして、お手本のような接客を披露していた。
「・・・ふ~ん、マサもああいう子がタイプなんだぁ。」
「いや、そういう理由で見てたわけじゃないよ。でも、あの子、すごい人気があるんだね。」
虫の居所が悪かったのか、潤は巻き髪をいじりながらよそよそしく語りだす。
「あの子、ウチのお店のナンバーワンだよ。ここの稼ぎ頭だもん。浜木綿で、ちょっぴり話したことあったよね。結構かわいい顔してるしぃ、男受けする性格だしねぇ。オーナーのお気に入りだから、好き勝手に振舞ってさ、ちょっとムカついてるんだぁ。」
余程おもしろくなかったようで、潤は不機嫌そうにひたすら悪態をついた。競争心からくる嫉妬なのかも知れないが、彼女は冷ややかな目で、賑わっているテーブル席を睨みつけていた。
「潤、そんなに目くじら立てるなって。潤だってお客さんたくさんいるんだろう?根拠はないけど、潤だってこのままがんばれば、きっとナンバーワンになれる日がやってくるよ。」
潤の興奮を静めようとするも、オレをよそ目に感情に走ったままの彼女には、オレの助言など頭に入ってはいなかったようだ。
「雑誌に取り上げられたから人気が出たんじゃない。今に見てなさいよぉ。あたしだって、あたしだってぇ、そのうちきっと、・・・届くはずなんだからぁ!」
携帯電話をぎゅっと握り締めて、潤は悔しさを爆発させている。その悔しさの裏側に、オレの知らない何かが隠されているのだろうか。
「おい、潤。雑誌って何のこと?届くって何が・・・?」
オレがそう問いかけると、我に返ったような顔をした潤。
「あ、ゴメン、マサ。・・・ははは、何でもないんだぁ。ちょっと、ムカついちゃっただけだから。」
潤は照れ笑いしながら、いつもと変わらない笑顔を取り戻していた。
その後、潤がオレの問いに答えることはなかった。そんな彼女を気遣って、オレもそのことを繰り返し尋ねたりはしなかった。
「お客様、そろそろお時間となりますが、ご延長などいかがなさいますか?」
キャバクラ初体験のひと時は瞬く間に過ぎていき、入店から50分、一セット終了を知らせるため、ボーイが暗がりからふらっと姿を現した。
オレのそばで片ひざを付いて、時間延長を促してくるボーイ。当然、延長する金銭的余裕などないオレは、すぐさま断りの意思を告げる。
「えー、帰っちゃうのぉ?せっかく、盛り上がってきたのにぃ。もうちょっとだけ、一緒にいようよ。ねぇ?」
潤はすがるような瞳のまま、オレの肩に寄り添ってきた。これこそが彼女の、いやキャバクラ嬢の真骨頂だろう。これを武器にして、彼女はこれまで何人の男性を落城させてきたのだろうか。
「・・・あのさ、延長料金っていくら?」
「30分で三千円だよぉ。ここからは自腹でお願いね♪」
財布の中を覗き込み、オレは数少ないお札たちと睨めっこした。
「・・・じゃあ、もう30分だけ。」
「ありがとうございます!」
延長すると知るや否や、ボーイは笑みを浮かべながら軽やかに去っていった。
「マサ、ありがとぉー!マジに、マジに嬉しいよん!やっぱ、マサと一緒にお話した方が楽しいもん!」
それからの30分間、オレは潤と有意義な時間を過ごした。
オレにとって貴重な三千円があっという間に消えていったが、自宅では学ぶことのできない社会勉強を体験できたと思えば、これも決して無駄な投資ではなかったと言えるかも知れない。
そして延長時間終了後、オレは再び、潤に誘惑の眼差しを向けられた。これ以上は付き合いきれず、オレは太ももの痛みなど忘れて、夜のネオンサイン瞬く繁華街へと飛び出していった。
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